どれくらい食べれば傷を癒せるか「食べなさい(かめー)、食べなさい(かめー)」と迫る嫗(おばあ)の
ぬばたまの黒髪に降る花びらをとらんと君に初めてふれつ
血や怒り悲しみでもなくひとを抱く色として咲けハイビスカスよ
瀬をはやみ渡る渋谷の交差点 別れの後をわれは流木
雪の坂下ればフードつかみくる人よ振り返らざれど 好きだ
基地の街に育ちし母は米軍の機種を聞き分く 空の叫びで
妄想でロケット花火をゲートへと打ち込む去勢されたぼくらは
僕のあげたネックレスが揺れている君の怒りの最前線で
誰を許し誰を許さず 戦後民主主義の眼鏡をぼくらはかけて
御馳走(くゎっちー)のまだ来ぬ卓はひろびろと叔父の「ナイチャー」批判は続く
沖縄の心を持てと諭されて半分開ける助手席の窓
春空の煙となりてなびく祖父 フェンスの向こうの故郷へ帰れ
基地という濃き灰色をあまた持つグーグルマップで見下ろす島は
公園のCAUTION(禁止行為)の看板に銃向けるなと書かれていたり
弾込めの姿勢で像となりし人に青々とひろき敗北の空
放課後の外階段の告白をぬんでぃがぬんでぃが米軍機ゆく
空をぶつのみの拳は尊かりけれど寂しきシュプレヒコール
スカートの脚組み替えて、ああ、君も米兵に抱かれたことを言う
文化財保護法により「さん」付けの頃のメールは残しています
洗い物する背を抱けば抱くことは世界に少し前のめること
飛花ひとひら水面に触れてきわまれる見まく欲しさを恋と思えり
わわわYわわうとわるさわわぬYわわたつわくるわわさりわY
花火待つ空は無垢なり「オスプレイ欲しい人?」と言われあまた手を挙ぐ
缶ジュース頬にあてられひゃっとなる的な平和が続くといいな
「雨かしら?」(いいえ実弾)「雷が」(廃弾処理よ)「野焼き?」(墜ちたわ)
沖縄の歌人、屋良健一郎さんの第一歌集。屋良さんは1983年生まれ。当然、戦時中のことも、米軍の統治下にあった時代も知らない。今年2025年は、戦後80年。80年経ってなお、沖縄の人々の苦悩は続いているのだ。80年前ではなく、今、空を米軍機がゆき、公園に銃向けるなの看板が立つ。屋良さんの祖父は、嘉手納の出身だが、戦後沖縄市のKOZA地区に移り住み、故郷に帰れぬまま生涯を終えた。沖縄の今を詠った一冊。痛いほど純粋な相聞歌も魅力。心の花会員。