マイ・セレクト

その時々に「いいなぁ~」と思った短歌をセレクトして紹介します。

マイ・セレクト一覧

【vol.238】森澤真理『地吹雪と輪転機』六花書林

張り込みの水銀灯下にするするとストッキングが裂けてゆく夏

輪転機響動(どよ)もす未明手まねにて求めし刷り出しほのかに温し

蒸留水をのみどに通す声のみの生き物となる五分のために

録音のブース別名金魚鉢玻璃の向こうに夕日が濁る

すこしだけ眠ってきますときりすとのように呟き地下倉庫へと

番記者に符丁はありてワンテンポ笑い遅れぬ地方紙われは

俺とお前の仲だからサとおもむろに人名ひとつ注がれる耳

会果てて資料あまたを引き寄せしわが手の僅か老いたるを見つ

女ゆえ最年少ゆえ庇われてふらふらと飛ぶ風船の赤

産む性と見なされ原発二十キロ圏内取材を外されており

線量計備品となりし驚きもその朝限りロッカーと閉める

胴震い続けるバスよ眠るとき人はなぜ皆老いた顔する

ぼろぼろの尾羽見せるも仕事なり還暦二年前の始末書

テロリストでなきわたくしを示すため鞄の口をぱかりと開ける

窓口に苦情電話の長くあり「寂しいですか」と聞けば切れたり

わきまえる女であったなわたくしも心を鈍く硬く均して

セクハラの語も均等法もなき時代われら招かれざるとは知らず

茱萸の実の甘き苦みを含みたり裏日本とは死後にあらずも

鼓舞されることにも疲れとりあえず汚れを拭くかガラスの天井

室長を解かれる日まであと十日さくら色したスニーカー選る


 

森澤さんは新潟日報社で女性記者のパイオニアとして四十年余り第一線を走っている方です。歌集の副題は「A newspaperwoman」。入社は、男女雇用機会均等法が制定される前の一九八二年。働く女性の苦悩が歌から伝わる。

【vol.237】貝澤駿一『ダニー・ボーイ』本阿弥書店

サイダーとモネとシスレー ためんこんだひかりを空に還す約束

ぎりぎりでライン破らぬボールへと「怒れぬ若者たち」の疾走

パーカーの肩にしずかに降る雪をしずかに殺してしまう手のひら

〈化学死んだ〉〈数学死んだ〉生きていてくれればいいが死にすぎだろう

〈理由なき宿題わすれ〉〈動機なき犯行〉そよぐ葉の影の子は

ざらついた舌にマンゴーのせるとき夕陽の通学路の味がする

永遠と聞きまちがえてあの夏を泳ぎつづける遠泳の子よ

落ちてくるさくらの花を打ちかえす野球部のあほの袖のかがやき

グラタンが好物だよねといつもいう母の記憶は更新されない

ポケットに誰もが銃を持つような整列指導の寒き体育館

シュガースティックふたりで分ける輝きをこの東京で離さないから

長雨を傘も差さずにやりすごす ひとりきり 夏 アフガン 自爆

交差点 まだ生きているホッカイロを左手へ投げ右手にかえす

悪政はとおくの国の話だと言いよどみつつヘビイチゴ踏む

嫌いでも好きでもないがコンビーフたしかに家族の味だったこと

祈りの形に翼をたたむ鳥を見て 死なないことが生きることだから

散るときは全力で散る花があり 破壊の 雨の バフムトの 大地

考えて書けない答え〈戦争は身近にあると思いましたか?〉

〈陰キャ〉だが好意を寄せる人がいた。それすら悪のように語られた。


 

英米文学専攻の学生として、英語教師として、異国の香りと青春性に満ちた一冊。高校生だった自分が高校教師となって学校にいる。歌集後半は、社会詠も多い。「かりん」に入会した2016年~2024年の約9年間を収めた第一歌集。1992年横浜生まれ。
※とにかく「カタカナ」と上記に引いていないが「詞書」が多い。

【vol.236】久永草太『命の部首』本阿弥書店

呼び捨てにされてあなたをはたと見るここか私の分水嶺は

手を絞り指揮者が音を消すようにラットの胸の太鼓を止める

生命の等価交換 献血の後に卵を十個もらいぬ

そりゃそうさ口が命の部首だから食べてゆく他ないんだ今日も

ゴンゴンとウシのおしりをノックする注射の前の鈍痛は愛

パンダ似のホルスタインが自らの顔を見ずして終える一生

治す牛は北に、解剖する牛は南に繋がれている中庭

採算と命の値段のくらき溝 鶏の治療はついぞ習わず

ヒトという毛のなき獣の腕を見る猫より採血むきだと思う

午前中五匹殺した指でさすドリンクメニューのコーヒーのⅯ

保育士の「おやすみなさい」に潜みたる命令形の影濃かりけり

マシュマロを焼いたら燃えたそれだけが光源だった夜ありしこと

ポツリまたポツリと中和滴定(てきてい)をするようだった愚痴をこぼせば

無くなった気がする、気がするけれどまだそうと決まったわけじゃないペン

苦くないことが売りとうニガウリの苗、ノンアルコールビール、休講

昨晩の残り物たる僕たちを温めなおしてください、朝日

宇宙旅行五日目クッキー食うときのやっぱり下に添えてしまう手

「人生で最後にググるとしたら何?」「そうねピカソのフルネームとか?」

未だ見ぬ東京ドームで計られてとにかく古墳群広いらし

文化財現状変更許可申請済ませて御崎馬(みさきうま)の採血

宇宙から見たら規則のありそうな天丼の海老、ケーキのいちご

選択肢「予後は悪い」に丸をする答案用紙に牛がまた死ぬ

身離れのよさ褒められているカレイどんな気持ちで煮汁に沈む

なにひとつ嚙み殺したことなき歯なりエビマヨおにぎりもそもそ食べる

納得のいかぬ姿で目玉焼き焼けゆく 命に別状はない

受信料十二ヶ月分納めたり十二ヶ月を生きる予定で

AIがAIをプログラミングしたらそいつは繁殖なのか


 

獣医師として日々「命」を見つめている作者が「命」をテーマに詠う。現場で体験した者だから詠える手触りがある。またウイットとユーモアを合わせ持っている。1998年生まれの第一歌集。獣医学科在学中の6年間と動物病院に勤めて1年の間に詠んだ400首を収録。2023年歌壇賞受賞。「心の花」会員。

【vol.235】塚本邦雄『水葬物語』

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫

シャンパンの壜の林のかげで説く微分積分的貯蓄額

幹を這ひ枝から塔へすべりこみ蛇が女と待つ春のバル

しかもなほ雨、ひとらみな十字架をうつしづかなる釘音きけり

赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へ咲くジギタリス

薔薇つむ手・銃ささへる手・抱擁(あひいだ)く手・手・・・の時計がさす二十五時

肉を買ふ金てのひらにわたる夜の運河にひらき黒き花・花

廃港は霧ひたひたと流れよるこよひ幾たり目かのオフェリア

當方は二十五、銃器ブローカー、秘書求む。ーー桃色の踵の

翅あはすやうに両掌(りやうて)をあはせつつ君かへる日を花にいのりし

渇水期ちかづく湖(うみ)のほとりにて乳房重たくなる少女たち

てのひらの迷路の渦をさまよへるてんたう蟲の背の赤と黒

夜のつぎにくるはまた夜、かなしげな魚の眼の中に燈(ひ)ともせ

古き砂時計の砂は 秘かなる湿(しめ)り保(も)ちつつ落つる 未来へ


 

書肆侃侃房から『塚本邦雄歌集』が出て手に取りやすくなったことと、COCOON有志の読書会があったことで、難解でこれまで苦手意識のあった塚本邦雄をようやく読むことができた。西洋の香りをまといつつ、インパクトのある言葉によって鮮烈なイメージが広がる。今読んでもニヒルでかっこいいのだから、当時の衝撃はいかほどか。体言止めが多いのも特長。

【vol.234】森尻理恵『グリーンフラッシュ』青磁社

子をなしてハンディー背負うは女ゆえ君が決めよと同業の夫

背広にしか着かぬ印章配られてオフィスのデスクの奥に押し込む

男なら軽々持てる磁力計に担当者われは他力を頼みぬ

子の一年僅かと知りつつ吾の一年長しと思えり育児休業

定年まで勤め続ける約束の住宅ローンに実印を捺す

終業のベルと同時に駆け出せるベルサッサ組とわれも呼ばれぬ

子を持ったマイナスばかり数えいるわが顔が澄んだ子の目に映る

吸収合併のニュースを見れば十年前女は要らぬと言われし会社か

研究と家庭は両立せぬものと妻子ある身の男言いおり

離婚増は女の自立が原因と自立できない男は言いおり

雨降れば死にたい人が減るという朝の電車が定刻に来る

電子レンジで卵が爆発するような予感抱えて地下鉄に乗る

なぜ旧姓を使いたがると責めらるるそれなら君が姓変えてみよ

母の肩を揉めば私の肩が凝る老々介護の前触れなりや

不惑とは迷わずではなく迷っても引き返せない 両目を閉じて

仕事削り子に向ききしが昇格の遅ればかりを指摘されいる


 

森尻さんは1963年生まれ。22歳の時、男女雇用機会均等法が制定され、いわゆる一期生と呼ばれる。均等法制定後、初の社会人として社会の期待と希望を持って働き始めた世代である。森尻さんは、国の研究機関で地質調査等をこなす研究員だ。私は、女性労働者の歌について、いろいろ調べているうちに、この歌集に行きついた。

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