マイ・セレクト

その時々に「いいなぁ~」と思った短歌をセレクトして紹介します。

マイ・セレクト一覧

【vol.235】塚本邦雄『水葬物語』

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫

シャンパンの壜の林のかげで説く微分積分的貯蓄額

幹を這ひ枝から塔へすべりこみ蛇が女と待つ春のバル

しかもなほ雨、ひとらみな十字架をうつしづかなる釘音きけり

赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へ咲くジギタリス

薔薇つむ手・銃ささへる手・抱擁(あひいだ)く手・手・・・の時計がさす二十五時

肉を買ふ金てのひらにわたる夜の運河にひらき黒き花・花

廃港は霧ひたひたと流れよるこよひ幾たり目かのオフェリア

當方は二十五、銃器ブローカー、秘書求む。ーー桃色の踵の

翅あはすやうに両掌(りやうて)をあはせつつ君かへる日を花にいのりし

渇水期ちかづく湖(うみ)のほとりにて乳房重たくなる少女たち

てのひらの迷路の渦をさまよへるてんたう蟲の背の赤と黒

夜のつぎにくるはまた夜、かなしげな魚の眼の中に燈(ひ)ともせ

古き砂時計の砂は 秘かなる湿(しめ)り保(も)ちつつ落つる 未来へ


 

書肆侃侃房から『塚本邦雄歌集』が出て手に取りやすくなったことと、COCOON有志の読書会があったことで、難解でこれまで苦手意識のあった塚本邦雄をようやく読むことができた。西洋の香りをまといつつ、インパクトのある言葉によって鮮烈なイメージが広がる。今読んでもニヒルでかっこいいのだから、当時の衝撃はいかほどか。体言止めが多いのも特長。

【vol.234】森尻理恵『グリーンフラッシュ』青磁社

子をなしてハンディー背負うは女ゆえ君が決めよと同業の夫

背広にしか着かぬ印章配られてオフィスのデスクの奥に押し込む

男なら軽々持てる磁力計に担当者われは他力を頼みぬ

子の一年僅かと知りつつ吾の一年長しと思えり育児休業

定年まで勤め続ける約束の住宅ローンに実印を捺す

終業のベルと同時に駆け出せるベルサッサ組とわれも呼ばれぬ

子を持ったマイナスばかり数えいるわが顔が澄んだ子の目に映る

吸収合併のニュースを見れば十年前女は要らぬと言われし会社か

研究と家庭は両立せぬものと妻子ある身の男言いおり

離婚増は女の自立が原因と自立できない男は言いおり

雨降れば死にたい人が減るという朝の電車が定刻に来る

電子レンジで卵が爆発するような予感抱えて地下鉄に乗る

なぜ旧姓を使いたがると責めらるるそれなら君が姓変えてみよ

母の肩を揉めば私の肩が凝る老々介護の前触れなりや

不惑とは迷わずではなく迷っても引き返せない 両目を閉じて

仕事削り子に向ききしが昇格の遅ればかりを指摘されいる


 

森尻さんは1963年生まれ。22歳の時、男女雇用機会均等法が制定され、いわゆる一期生と呼ばれる。均等法制定後、初の社会人として社会の期待と希望を持って働き始めた世代である。森尻さんは、国の研究機関で地質調査等をこなす研究員だ。私は、女性労働者の歌について、いろいろ調べているうちに、この歌集に行きついた。

【vol.233】斎藤美衣『世界を信じる』典々堂

ひきだしのサクマドロップスの缶の底 ざざん、ざざんと波音聞こゆ

ぬいぐるみ型の爆弾あるといふ 人は抱くもの、抱きしめるもの

夕飯のさなかに仕事の電話来て口はわれより上手に話す

たましひの抜けゆくごとしティッシュペーパー最後の一枚引き出しをれば

わが身より離れてしろきブラウスはやさしさうなりわたくしよりも

冬をする けふは一人で冬をする 金木犀はだまつてなさい

広場には雨に降られて重そうにあほらしさうに四月の噴水

体内に充つる真みづはたゆたひぬかたはらの人ねがへりうてば

反抗期ただなかの子がまだあれをくつつき虫と呼びて摘まみぬ

医学書の巻末付録のカラフルな血液癌の生存率表

雪の午後ながくひらかぬ踏切のむかうでわたしが手を上げてをり

思春期の「ああ」に多様な「ああ」ありて今夜の「ああ」はいい方の「ああ」

肩並べ上る坂なりわたしたち違ふ高さに心臓ありて

くるほしい愛ではなくておほぶりの薬缶を持つて春になります

取材受けながらかぞへる〈起業家〉の前に〈女性〉が付いた回数

うたがはず夫を社長と呼ぶ人のネクタイ光る午後の銀行

右足のいつもほどける靴紐を結びなほして世界を信ず

アイロンをかけたシャツ着てシャツのため身をまつすぐにひとひを過ごす

きみの書く「衣」の字はいつもやはらかい わたしはすこしやはらかくなる


 

コスモス、COCOONの仲間、斎藤美衣さんの第一歌集。14才で作歌をはじめ、今年(2024年)で歌歴34年。その内の2007年~2024年迄の17年間の歌を収めたもの。白血病を克服し、子育てしながら抱っこ紐の会社を立ち上げた作者。「やはらか」「影」「水」等が多い印象。常に自身を離れて見つめるもう一人の自分がいるよう。

【vol.232】江戸雪『カーディガン』青磁社

死はこわく生きるも不気味 さやぎたる竹のひたすら美しい世に

カーテンは下にむかってやさしさを垂らしてそれがときに傲慢

輪になってなんだか人は皆ひとり小さな壜に夏雲あつめ

朝顔は朝を忘れる日もあってゆらゆら蔓を風になびかす

母の膝にしぼませてあるカーディガン低く鳴きおりそうかそうかと

生きものが生きものを食うレストランきれいな花が飾られている

ええやんか虹はいつでも半円やん今日もたこ焼きはんぶんこしよ

虚しさの崖っぷちから飛んでみるなんと静かな終わりの海へ

てのひらが硬くて朝の火にかざす温もればまた生きたくなった

母はもう父には逢えぬしゃらんしゃらん私があえないよりも逢えない

やわらかくなった輪ゴムをぐるぐると巻きたりかりんとうの袋に

本当と噓とどっちがさびしいか噓の娘となって座れば

わらってもわらっても落ち葉ふってくるゆるしてねって言いたくなった

糠床に茄子ねむらせて冬の手はちっともやさしくなってゆかない

山は空だけを抱きしめ空は星だけを抱きしめ愛(かな)しみのはじめ

いつか、はるか、まだか、そうして別れゆくきっといつかはもうこないから

雨を忘れ雨におどろく枝となる母のスプーン小さかりけり

いちにちは何も起こらず夕暮れて地に落ちているカーディガンあり


第8歌集。残酷なシーンほど美しく、と言ったのは北野武監督だったか。そんなことを思った歌集。生きるとは苦悩の連続。特に老いゆく母を詠んだ歌は切ない。

【vol.231】睦月都『Dance with the invisibles』角川書店

春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますレズビアンたち

女の子を好きになつたのはいつ、と 水中でするお喋りの声

あかねさす銀杏並木のはつ冬の黄葉(くわうえふ)するつてきもちがよさそう

会ひたきといふ感情もすでに恋なのかな 同じ夜を眠る犀

昨日と今日がまちがひさがしの絵のやうにならぶ九月の朝の食パン

風の夜あなたの捲毛をほぐしてゐる小さなソファーが箱舟になる

わたしの彼女になつてくれる? 穂すすきのゆれてささめく風の分譲地

けはひなく降る春の雨 寂しみて神は地球に鯨を飼へり

婚なさず子なさずをれば一日がシロツメクサのやうな涼しさ

娘われ病みて母きみ狂ひたまふ幾年まへの林檎樹の花

人らみな羊歯の葉ならばをみなともをのこともなくただ憂ふのみ

鳥獣保護区に入りつつ反芻してゐたり女のひとの子どもを産む夢

お母さんわたし幸せなのと何度言つても聞こえぬ母よ 銀杏ふる日の

ハンドベル奏者の右手左手の音のあゆみせり少女ふたりは

わが気配泥にひとしく冷たしとわれを産みたる母は告げきぬ

靴ずれを見むと路上にかがむとき雨の路上の音量あがる

いつか小さなアパートになつて冬の日の窓辺にあなたの椅子を置きたい

夢のなかでの殺意は罪に問はれえず卵ふたつでつくるオムレツ

夏の白い光がさしてわたしいま大きな保健室にゐるのかもしれず

流し台に立つたままプラムへ齧りつく 憎しみの跡地に憎しみが来る

人間のからだにありて爪だけが作りものめいてうつくしいこと

革靴に差し挿れる舌 恋といふあなたを損ふもの思ひつつ

さびしさの補償をあなたは求めすぎる 千の夜 月の土地の権利書

感情を人質に取るやうなことをしてたし、されてゐた、恋の洞

その日からいまも降りつづく白い雨 あなたが姉妹都市になる夢


主体はレズビアンである。独創的かつ幻想的なイメージにより、繊細な感情を昇華している。文語旧仮名が「言葉のコスプレ」「言葉を虚構化する装置」として機能している。1991年生まれ。「かばん」所属の第一歌集。2017年角川短歌賞受賞。

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