マイ・セレクト

その時々に「いいなぁ~」と思った短歌をセレクトして紹介します。

マイ・セレクト一覧

【vol.228】金田光世『遠浅の空』青磁社

遠浅の海は広がる生徒らがSと発音する教室に

ひつそりと標識は立つ夕空に記憶を捨てた木立のやうに

裂くやうにきりんは歩く青空の水琴窟の底に目覚めて

波紋とは水の肋骨 現れては消える体に抱かれてゆく

風を裂いて坂を下れば十月が空港のやうに開かれてゐる

納豆の糸の切れつつひかり帯びて微笑みたるか半跏思惟像

風つよき夜を帰りて温めたる糸こんにやくの結び目を嚙む

消えようとしてゐるものがさいごまでそつと消えゆくためのまばたき

あるだけのマスクの白を鳥のやうにすべて抱へて東京へ来し

浮遊できぬからだは土地にとどまりて矢車菊と石鹼を買ふ


塔短歌会。十代の学生時代から歌を詠みはじめ、20年を超える作品をまとめた第一歌集。抽象画をずっと眺めていると急に花や鳥が見えてきてはっとする、そんな印象の歌集。選んだのは歌意が取れる歌だが、淡い印象の歌も多く、解釈するより感じる歌集なのだと思った。

【vol.227】外塚喬『不変』いりの舎

盛り上がる蔕(へた)にナイフを入れるときデコポンはおのづから笑ひだす

こはれたる皿より逃れ大空にはばたく鳥はわれかもしれず

迷ふこと少したのしゑ街中の漢方薬店にて蛇に遇ふ

捨てる物まだあればわれを捨てるのを先延ばしして花咲くを待つ

これはもう死に欲なのか全国の桜行脚(あんぎや)をしてみたくなる

樹になると思へばなれるくすのきの翳りに入りてわが影を消す

つくづくと見れば嶮しく見ゆる顔われを許さず鏡の顔は

花終へて青葉こくなる人はみな善根(ぜんこん)をつみて死ぬとかぎらず

孤独とはさみしさならず一輪の花がこころの内深く咲く

〈ドラえもん〉の〈どこでもドア〉のやうなものパソコンにゴビの砂漠を歩く

誉(ほ)めそやすときの相手のしたごころふにやふにやのゴムまりのやうだな

わが骨をひろへぬわれはかしこみて拾ひたり父の骨母の骨

憩(いこひ)には甜(てん)と心があればこそ夏の日の妻とのアイスクリーム

猫なりの悩める顔をわが知れば猫の会議のこゑが聞こえる

ゆづれざる一線といふのが連れ合ひにありてハーフのマヨネーズ買ふ

いくたびとなく伊勢海老をさばくうち命を取るといふコツを知る

充電の完了ランプ灯りゐてシェーバーは夜の孤独ふかめつ

つやつやの椿の実あり目を洗へ心洗へといふがごとくに

ひといろに暮れゆく川に飛ぶ鳥のこの世の忘れ物のごとくに

黄金(くがね)なる瑞穂をわたる風をきく瑞穂はわれの産土(うぶすな)の村

使はない鍵といへども心奥(しんあう)の扉を開ける鍵かも知れぬ

丸い部屋に育つたことのなきわれはゐる心地せず丸い地球に

人間の世界を見ないはうがよい首を隠して甲羅ほす亀

押し波にまさる速さの引き波に大き海石(いくり)のうごく気配す


第14歌集。2020年の1年間に詠んだ628首ということで、1日2首弱詠んでいる計算だ。そのためか、緻密に技巧を凝らすような歌ではなく、日記のような自然な作品群。「ゴムまりのやうだな」等、つぶやくような口語の歌もある。言葉は仏教用語~どこでもドアまで、実に自在。コロナ渦ということで、自己を見つめる歌も多い。

【vol.226】吉村実紀恵『バベル』短歌研究社

庇護の手をふりほどきわが見上げたる空の高みに雲雀うしなう

何をもて天与の性と和解せむ遂にいのちを産むことなくて

落ちてなお色ある花に壮年を過ぎたる心添わせむとすも

花束を抱えて帰る花束にふさわしき顔よそおいながら

みずからの色を忘るるまで浴びたし銀座アップルストアの白を

会社には行かぬ、行かれぬ君のため取り分ける〈シェフの気まぐれサラダ〉

うなだれて咲く水仙の首ほそし置かれた場所で咲けと言われて

気の抜けた炭酸水と答えおり愛でなければ何かと問われ

開閉をくり返すドアとおく見る〈無理なご乗車〉もはやせずとも

明日からはまた現実と言う人の今日はそれなら何であろうか


大学四年で短歌をはじめ、矢継ぎ早に二冊の歌集を出し、30歳でいったん歌の世界を離れたという作者。『バベル』は22年ぶりの第三歌集。子を持たず働く女性の複雑な心境に多く共感。

【vol.225】俵万智『アボカドの種』角川書店

人間かどうか機械に試されて人間として答えつづける

言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ

「どんぶりで食べたい」というほめ言葉息子は今日も言ってくれたり

二人がけの席に二人で座るときどんな二人に見えるのだろう

色づいてはじめて気づく木のようにいつも静かにそこにいる人

「割烹着のように」着るよう渡された検査着うまい比喩だと思う

春だから、そんな理由があっていいミナ・ペルホネンのスカートを履く

心配をさせてくれない人だから救急箱のように見守る

宇宙から地球を見れば人類は集まることが好きな生き物

ちぐはぐなパッチワークを見るように五輪のニュース、コロナのニュース

三か月ぶりの病院に向かうとき同窓会のように化粧す

ダイソーの迷路に息子見つければイメージよりも大きかりけり

「はじまり」と「おわり」にそれぞれ一つずつ「り」がある男と女のように

第二志望迷う息子の傍らにおせちカタログ眺めておりぬ

簡潔にネタバレをするタイトルの「ジキルとハイドに恋した私」

ルーティンを増やしてごめん老母にはヤクルト1000がストレスになる

白い娘と黒い娘がおりましてどちらが出るか日替わりランチ


50代最後の375首を収めた第七歌集。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の4か月にわたる取材中に詠んだ50首が核になっている。番組を見たが、サブタイトル「平凡な日常は、油断ならない」の通り、生活の中にあるわずかな心の揺れを見逃さず、じっくりこだわって一首に昇華している。時代は変わっても、詠む素材が変わっても、作風は変わらないと改めて思う。一方、これらの作品は「俵万智」というクレジットが付いた上で評価されるものだとも思う。マネてもダメだろう。

【vol.224】大松達知『ばんじろう』六花書林

咲くためにこれまで生きた菜の花のなるべく咲いてない束を買う

レーズンになりゆくまでをひそやかな喜怒哀楽のあっただろうに

アンビギュアス、アンビヴァレント、アンビシャス、三人寄ればひとりとふたり

キリンビール飲んでたまさか思いおりキリン、キリングつまりは殺し

モルヒネと言えばなにかが救われてどこかが壊れゆくなりそっと

霜月のとある深夜の首都高を遺体の父はベルトされて行く

〈お父さんのお通夜〉とわれの口が言い耳が聞きたりよくわからない

なにゆえに母は言い切ったのだろう父は白木の棺が好きだと

深呼吸しながらシエラレオーネの山脈(シエラ)おもえば私語はしずまる

狂わせてしまったようだかんかんと飛び切り燗の加賀の〈加賀鳶〉

感情と感情的に違いありmumble bumbleぱぱんどぱぱん

死ぬまえにたべたいものをたべる日のようにしずかなチーズ牛丼

いますこし傷つけられるゆとりある夜を話してすこし傷つく

きっとあくびしているんだな手のひらをマスクの上にかざしたひとり

柿食えば「飲んでるとこに柿出すな」そう怒りたる父を憶えり

ひとりひとりレジに寄りゆき告解のごとしよ朝のセブン‐イレブン

食べたお皿もってきてねと妻が言うお皿は食べてないと子が言う

〈選べる〉は〈選ばなくてはならない〉でコーヒーブラック、ホットで先で

「5年おきで買い替えてゆくとしてですよ、先生はあと5、6回です。」

とんかつに添えられているひとやまの、いうなれば傷だらけのキャベツ

グンカンと呼ぶほかなくて呼んでいるいやな感じは食えば消えたり

見ることは祈ることとは違うけれど漕ぎつつ二秒見ている祠

標本木のような生徒のひとりふたり解き終わるまでちらちらと雲


歌人として、教師として、夫として、父として充実した時間を過ごす。一方、お父様の死や、挫折(めずらしく負の感情)もある第六歌集。言葉への興味、こだわりは一段と深まり、場面の切り取り方には独自性がありつつ一読納得できる。誰もが潜在意識下にある感情を言語化してくれているようだ。

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