マイ・セレクト

その時々に「いいなぁ~」と思った短歌をセレクトして紹介します。

マイ・セレクト一覧

【vol.226】吉村実紀恵『バベル』短歌研究社

庇護の手をふりほどきわが見上げたる空の高みに雲雀うしなう

何をもて天与の性と和解せむ遂にいのちを産むことなくて

落ちてなお色ある花に壮年を過ぎたる心添わせむとすも

花束を抱えて帰る花束にふさわしき顔よそおいながら

みずからの色を忘るるまで浴びたし銀座アップルストアの白を

会社には行かぬ、行かれぬ君のため取り分ける〈シェフの気まぐれサラダ〉

うなだれて咲く水仙の首ほそし置かれた場所で咲けと言われて

気の抜けた炭酸水と答えおり愛でなければ何かと問われ

開閉をくり返すドアとおく見る〈無理なご乗車〉もはやせずとも

明日からはまた現実と言う人の今日はそれなら何であろうか


大学四年で短歌をはじめ、矢継ぎ早に二冊の歌集を出し、30歳でいったん歌の世界を離れたという作者。『バベル』は22年ぶりの第三歌集。子を持たず働く女性の複雑な心境に多く共感。

【vol.225】俵万智『アボカドの種』角川書店

人間かどうか機械に試されて人間として答えつづける

言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ

「どんぶりで食べたい」というほめ言葉息子は今日も言ってくれたり

二人がけの席に二人で座るときどんな二人に見えるのだろう

色づいてはじめて気づく木のようにいつも静かにそこにいる人

「割烹着のように」着るよう渡された検査着うまい比喩だと思う

春だから、そんな理由があっていいミナ・ペルホネンのスカートを履く

心配をさせてくれない人だから救急箱のように見守る

宇宙から地球を見れば人類は集まることが好きな生き物

ちぐはぐなパッチワークを見るように五輪のニュース、コロナのニュース

三か月ぶりの病院に向かうとき同窓会のように化粧す

ダイソーの迷路に息子見つければイメージよりも大きかりけり

「はじまり」と「おわり」にそれぞれ一つずつ「り」がある男と女のように

第二志望迷う息子の傍らにおせちカタログ眺めておりぬ

簡潔にネタバレをするタイトルの「ジキルとハイドに恋した私」

ルーティンを増やしてごめん老母にはヤクルト1000がストレスになる

白い娘と黒い娘がおりましてどちらが出るか日替わりランチ


50代最後の375首を収めた第七歌集。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の4か月にわたる取材中に詠んだ50首が核になっている。番組を見たが、サブタイトル「平凡な日常は、油断ならない」の通り、生活の中にあるわずかな心の揺れを見逃さず、じっくりこだわって一首に昇華している。時代は変わっても、詠む素材が変わっても、作風は変わらないと改めて思う。一方、これらの作品は「俵万智」というクレジットが付いた上で評価されるものだとも思う。マネてもダメだろう。

【vol.224】大松達知『ばんじろう』六花書林

咲くためにこれまで生きた菜の花のなるべく咲いてない束を買う

レーズンになりゆくまでをひそやかな喜怒哀楽のあっただろうに

アンビギュアス、アンビヴァレント、アンビシャス、三人寄ればひとりとふたり

キリンビール飲んでたまさか思いおりキリン、キリングつまりは殺し

モルヒネと言えばなにかが救われてどこかが壊れゆくなりそっと

霜月のとある深夜の首都高を遺体の父はベルトされて行く

〈お父さんのお通夜〉とわれの口が言い耳が聞きたりよくわからない

なにゆえに母は言い切ったのだろう父は白木の棺が好きだと

深呼吸しながらシエラレオーネの山脈(シエラ)おもえば私語はしずまる

狂わせてしまったようだかんかんと飛び切り燗の加賀の〈加賀鳶〉

感情と感情的に違いありmumble bumbleぱぱんどぱぱん

死ぬまえにたべたいものをたべる日のようにしずかなチーズ牛丼

いますこし傷つけられるゆとりある夜を話してすこし傷つく

きっとあくびしているんだな手のひらをマスクの上にかざしたひとり

柿食えば「飲んでるとこに柿出すな」そう怒りたる父を憶えり

ひとりひとりレジに寄りゆき告解のごとしよ朝のセブン‐イレブン

食べたお皿もってきてねと妻が言うお皿は食べてないと子が言う

〈選べる〉は〈選ばなくてはならない〉でコーヒーブラック、ホットで先で

「5年おきで買い替えてゆくとしてですよ、先生はあと5、6回です。」

とんかつに添えられているひとやまの、いうなれば傷だらけのキャベツ

グンカンと呼ぶほかなくて呼んでいるいやな感じは食えば消えたり

見ることは祈ることとは違うけれど漕ぎつつ二秒見ている祠

標本木のような生徒のひとりふたり解き終わるまでちらちらと雲


歌人として、教師として、夫として、父として充実した時間を過ごす。一方、お父様の死や、挫折(めずらしく負の感情)もある第六歌集。言葉への興味、こだわりは一段と深まり、場面の切り取り方には独自性がありつつ一読納得できる。誰もが潜在意識下にある感情を言語化してくれているようだ。

【vol.223】富田睦子『声は霧雨』砂子屋書房

わがうちに金春色の壜がありあふれだすとき桜咲き初む

伸びし陽に長くのびたる影の手を下げるその手はもう繋がぬ手

ドクダミは黙って咲いてまなうらに白き小さき紋章(しるし)をのこす

芍薬の莟に「ゆらら」と名付ければ枯れたるときには泣かねばならぬ

うっそりとこころ離(さか)れば伝えざる言葉を夜の川に棄てにゆく

鯉の背のぬるぬるふくらむまなざしに互いの娘を褒め合う母ら

桜守さくらを見つめるまなざしで発表会を母ら見つめる

わが耳は自分で見えぬゆえにわが耳をいちばん知るひとがいる

冬空をだらりと脚をさげて飛ぶゴイサギのこころで座るスツール

今はまだ死ぬのが怖いヒレ肉を油に落とすすれすれの指

樹にありて地にありて常より美しく憎悪の炎のように紅葉

触れあわぬ合せ鏡にももいろのラナンキュラスは果てしなく咲く

春の虚空 されどさくらは咲きはじめ一枝を振りてたましいを招(よ)ぶ

目を覚ます夢をみている夢に似て緊急事態宣言解除

七月のおもたきまぶたを両の手で押さえるときの草むら、ほたる

開くとき用心せねば崩れくる押し入れがわが胸底にもある

生きめやも/生きざらめやも 熱の夜にふいに浮かび来どちら正しき


あとがきに「この時代を生きるごく普通の人間の生活が表れていますように」とあり、その目指すところは十分に達成されている。その上で、単なる日常詠に留まらず、詩に昇華できているのは、心情をあらわす比喩の素晴らしさによるものだと思う。同じ母らのまなざしでも「鯉の背のぬるぬるふくらむまなざし」と「桜守さくらを見つめるまなざし」のように、その違いが明らかである。2018年春~2021年秋までの381首を収めた第三歌集。充実期の歌集である。

【vol.222】福士りか『大空のコントラバス』柊書房

御包(おくる)みから顔のぞかせる児(こ)のやうに中一男子詰め襟高し

受胎告知ほどにあらねどパーキンソン病の告知のわけのわからなさ

病院から帰る頃には病人となつてしまつて歩幅の狭さ

津軽弁「空骨(からぼね)病み」とふ地ビールを飲めばゆるゆる空骨が病む

いいいるか ららららいおん きききりん弾む名前を持ちたし秋は

羽はもう水を弾かず残年をかぞへて中学主任退きたり

「ドーナツは穴があるからゼロカロリー」どこか政治の理屈に通ず

グランドにひびく歓声そのこゑの真中に立てば夏空ふかし

床も壁も白く塗りたる化粧室出でむとすれば見失ふドア

投薬と運動のほか治療法なければ歩く 歩くために歩く

オオデマリ、コデマリ揺らす夏の風さみしいときは一緒に揺れる

この雪はいつまで続く空深くコントラバスの鈍き音する

何をするにしても名前を問はれればいつしか名前は記号のかるさ

さみしいと言へばさみしくなるこころ鷺はひつそり片足で佇つ

クリスタルのペーパーウエイト置く窓辺 ひかりは虹を虹は希望を

恥の多い人生の終はることなきか『人間失格』二〇九刷

はつゆきは〈歓〉をふぶきは〈憂〉を連れ津軽野づらを白く染めたり

散る花ありつぼむ花ありつなぐ手のぬくみが今のかけがへのなさ


教師の歌、雪国の歌、ほのかな相聞に加え、難病までも福士さんの詩の世界へ昇華し見せてくれる。2018年~2023年の400首を収めた第五歌集。福士りかの歌は次の章へ移ったのだと感じた。

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