マイ・セレクト

その時々に「いいなぁ~」と思った短歌をセレクトして紹介します。

マイ・セレクト一覧

【vol.234】森尻理恵『グリーンフラッシュ』青磁社

子をなしてハンディー背負うは女ゆえ君が決めよと同業の夫

背広にしか着かぬ印章配られてオフィスのデスクの奥に押し込む

男なら軽々持てる磁力計に担当者われは他力を頼みぬ

子の一年僅かと知りつつ吾の一年長しと思えり育児休業

定年まで勤め続ける約束の住宅ローンに実印を捺す

終業のベルと同時に駆け出せるベルサッサ組とわれも呼ばれぬ

子を持ったマイナスばかり数えいるわが顔が澄んだ子の目に映る

吸収合併のニュースを見れば十年前女は要らぬと言われし会社か

研究と家庭は両立せぬものと妻子ある身の男言いおり

離婚増は女の自立が原因と自立できない男は言いおり

雨降れば死にたい人が減るという朝の電車が定刻に来る

電子レンジで卵が爆発するような予感抱えて地下鉄に乗る

なぜ旧姓を使いたがると責めらるるそれなら君が姓変えてみよ

母の肩を揉めば私の肩が凝る老々介護の前触れなりや

不惑とは迷わずではなく迷っても引き返せない 両目を閉じて

仕事削り子に向ききしが昇格の遅ればかりを指摘されいる


 

森尻さんは1963年生まれ。22歳の時、男女雇用機会均等法が制定され、いわゆる一期生と呼ばれる。均等法制定後、初の社会人として社会の期待と希望を持って働き始めた世代である。森尻さんは、国の研究機関で地質調査等をこなす研究員だ。私は、女性労働者の歌について、いろいろ調べているうちに、この歌集に行きついた。

【vol.233】斎藤美衣『世界を信じる』典々堂

ひきだしのサクマドロップスの缶の底 ざざん、ざざんと波音聞こゆ

ぬいぐるみ型の爆弾あるといふ 人は抱くもの、抱きしめるもの

夕飯のさなかに仕事の電話来て口はわれより上手に話す

たましひの抜けゆくごとしティッシュペーパー最後の一枚引き出しをれば

わが身より離れてしろきブラウスはやさしさうなりわたくしよりも

冬をする けふは一人で冬をする 金木犀はだまつてなさい

広場には雨に降られて重そうにあほらしさうに四月の噴水

体内に充つる真みづはたゆたひぬかたはらの人ねがへりうてば

反抗期ただなかの子がまだあれをくつつき虫と呼びて摘まみぬ

医学書の巻末付録のカラフルな血液癌の生存率表

雪の午後ながくひらかぬ踏切のむかうでわたしが手を上げてをり

思春期の「ああ」に多様な「ああ」ありて今夜の「ああ」はいい方の「ああ」

肩並べ上る坂なりわたしたち違ふ高さに心臓ありて

くるほしい愛ではなくておほぶりの薬缶を持つて春になります

取材受けながらかぞへる〈起業家〉の前に〈女性〉が付いた回数

うたがはず夫を社長と呼ぶ人のネクタイ光る午後の銀行

右足のいつもほどける靴紐を結びなほして世界を信ず

アイロンをかけたシャツ着てシャツのため身をまつすぐにひとひを過ごす

きみの書く「衣」の字はいつもやはらかい わたしはすこしやはらかくなる


 

コスモス、COCOONの仲間、斎藤美衣さんの第一歌集。14才で作歌をはじめ、今年(2024年)で歌歴34年。その内の2007年~2024年迄の17年間の歌を収めたもの。白血病を克服し、子育てしながら抱っこ紐の会社を立ち上げた作者。「やはらか」「影」「水」等が多い印象。常に自身を離れて見つめるもう一人の自分がいるよう。

【vol.232】江戸雪『カーディガン』青磁社

死はこわく生きるも不気味 さやぎたる竹のひたすら美しい世に

カーテンは下にむかってやさしさを垂らしてそれがときに傲慢

輪になってなんだか人は皆ひとり小さな壜に夏雲あつめ

朝顔は朝を忘れる日もあってゆらゆら蔓を風になびかす

母の膝にしぼませてあるカーディガン低く鳴きおりそうかそうかと

生きものが生きものを食うレストランきれいな花が飾られている

ええやんか虹はいつでも半円やん今日もたこ焼きはんぶんこしよ

虚しさの崖っぷちから飛んでみるなんと静かな終わりの海へ

てのひらが硬くて朝の火にかざす温もればまた生きたくなった

母はもう父には逢えぬしゃらんしゃらん私があえないよりも逢えない

やわらかくなった輪ゴムをぐるぐると巻きたりかりんとうの袋に

本当と噓とどっちがさびしいか噓の娘となって座れば

わらってもわらっても落ち葉ふってくるゆるしてねって言いたくなった

糠床に茄子ねむらせて冬の手はちっともやさしくなってゆかない

山は空だけを抱きしめ空は星だけを抱きしめ愛(かな)しみのはじめ

いつか、はるか、まだか、そうして別れゆくきっといつかはもうこないから

雨を忘れ雨におどろく枝となる母のスプーン小さかりけり

いちにちは何も起こらず夕暮れて地に落ちているカーディガンあり


第8歌集。残酷なシーンほど美しく、と言ったのは北野武監督だったか。そんなことを思った歌集。生きるとは苦悩の連続。特に老いゆく母を詠んだ歌は切ない。

【vol.231】睦月都『Dance with the invisibles』角川書店

春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますレズビアンたち

女の子を好きになつたのはいつ、と 水中でするお喋りの声

あかねさす銀杏並木のはつ冬の黄葉(くわうえふ)するつてきもちがよさそう

会ひたきといふ感情もすでに恋なのかな 同じ夜を眠る犀

昨日と今日がまちがひさがしの絵のやうにならぶ九月の朝の食パン

風の夜あなたの捲毛をほぐしてゐる小さなソファーが箱舟になる

わたしの彼女になつてくれる? 穂すすきのゆれてささめく風の分譲地

けはひなく降る春の雨 寂しみて神は地球に鯨を飼へり

婚なさず子なさずをれば一日がシロツメクサのやうな涼しさ

娘われ病みて母きみ狂ひたまふ幾年まへの林檎樹の花

人らみな羊歯の葉ならばをみなともをのこともなくただ憂ふのみ

鳥獣保護区に入りつつ反芻してゐたり女のひとの子どもを産む夢

お母さんわたし幸せなのと何度言つても聞こえぬ母よ 銀杏ふる日の

ハンドベル奏者の右手左手の音のあゆみせり少女ふたりは

わが気配泥にひとしく冷たしとわれを産みたる母は告げきぬ

靴ずれを見むと路上にかがむとき雨の路上の音量あがる

いつか小さなアパートになつて冬の日の窓辺にあなたの椅子を置きたい

夢のなかでの殺意は罪に問はれえず卵ふたつでつくるオムレツ

夏の白い光がさしてわたしいま大きな保健室にゐるのかもしれず

流し台に立つたままプラムへ齧りつく 憎しみの跡地に憎しみが来る

人間のからだにありて爪だけが作りものめいてうつくしいこと

革靴に差し挿れる舌 恋といふあなたを損ふもの思ひつつ

さびしさの補償をあなたは求めすぎる 千の夜 月の土地の権利書

感情を人質に取るやうなことをしてたし、されてゐた、恋の洞

その日からいまも降りつづく白い雨 あなたが姉妹都市になる夢


主体はレズビアンである。独創的かつ幻想的なイメージにより、繊細な感情を昇華している。文語旧仮名が「言葉のコスプレ」「言葉を虚構化する装置」として機能している。1991年生まれ。「かばん」所属の第一歌集。2017年角川短歌賞受賞。

【vol.230】川島結佳子『アキレスならば死んでるところ』現代短歌社

オンライン会議のために上半身着替えてわたしケンタウルスのよう

包丁でキャベツを二つに割るときに新雪を踏みしめてゆく音

カーテンの隙間から差す夏の陽はジョン・F・ケネディを撃つかのように

私が桃ならばここから腐るだろう太腿にある痣撫でている

シャーペンの先から芯を入れる眼をして蜜蜂を食おうとする猫

ハリガネムシに寄生されてる蟷螂のようにふらふら初冬の池へ

走れば息は血の香りするいつだろうマスクが季語を取り戻すのは

美容師に掃き集められる髪の毛は地獄で売られる綿あめのよう

まず倒すそれから剥がすボス戦に挑むみたいにミルフィーユ食う

昆虫をやがて食べる日今は目に近づく虻を追い払っている

ミステリーの双子トリックを思い出す見分けのつかないAのねじaのねじ

無理やり死者を蘇らせる強さにて締めつけてゆく六角ボルト

殺された女性見習い看護師の写真 笑顔では殺されてない

風を受けて海岸をゆくロボットの動きで走る犬とすれ違う

穴を掘るうさぎは知らない穴を掘って埋めるを繰り返す拷問を

えっ、と思いそうかと思い「いいえ」って答える「戸籍は変わりますか」に

トマトの皮を直火に当てれば思い出した怒りのように弾けはじめる

足首を何度も何度も蚊は刺してアキレスならば死んでるところ

洗濯槽のドア引き開ける人質を閉じ込めていた扉の重たさ

熊でないから嚙みつかないだけである目の前で眠るサラリーマンに


通常「雪のような肌」と喩えた場合、多くの人が雪を知っているので、白く美しい肌をイメージできる。しかし、川島の比喩は「雪」にあたる部分が独特で、共通認識を持たない。この歌集は、ほぼ二〇二〇年三月以降の作品を編年体で収録したもの。コロナ渦の生活の変容を、この時代を生きた人類の記録のように細部まで詠み込んでいる。また、自らの身体をさらして、日常を滑稽に表現するのが特徴。

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