【vol.211】中川佐和子『夏の天球儀』角川書店
雨夜(うや)にたつ枝垂れ桜は人間の孤独に増(ま)さる孤独を持てり
長くながくかかりて選ぶ夏帽子卒寿の母に気力のわきて
破水して生み落とさんとするまでの子の腰さする噓つきながら
さみしくはないと言い切るときにわくさみしさを知る娘の前に
みどりごはかぶせた帽子を投げ捨てて歩きはじめるそれでもいいよ
天球儀ながめておれば人間を小さく感ず夏の光に
コハクチョウが羽を休めに湖(うみ)に来るまでを思いて駅頭に立つ
ハロウィンの仮装の魔女の児が駆ける元より仮面のおとなの前を
散る気配なくて散りゆく桜ばな近づきたれば刃をもつごとし
蜘蛛の巣がジューンベリーの枝先にかかるくらいの嫌な感じだ
独り住まいの母の庭先どくだみがぎっしりと咲くあきらめるまで
蓮の葉の上を雨滴はころがるにどこかへ行ってしまおうと言う
一(いち)、二(にい)、三(ちやん)、四(ちい)、六(ろく)、八(はち)と声聞こえどこかへ散歩す五と七の数
冬の陽といえど海面(うなも)の反照をすればカモメは光の番人
母がわれにのこししもののさみしさよ硝子コップの二藍の色
鈴虫と閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)、言の葉の持つ迫力の差を思いたり
新しい命と死に向き合った時期。お孫さんの誕生とお母さまの逝去、また岡井隆さんを見送る。桜やコハクチョウ、ジューンベリー、どくだみ等々、自然とともに感情が動く。