[117] 家族のピンチ
ソリューション データ: 私の家では昔から両親の仲がわるく、小さい頃から困っていました。最近になってそれから ひどくなってきた為、2人に提案した事があります。それは、スキンシップによる方法です。 その方法とは、「肩もみ券7回分を父、母それぞれにわたして半年以内に使いきる事でした。 ただし、使いきちなくてはダメではるく、つかれた時に使ってもらう、というものにすた。その後、 大きる変化かないのですが、コミュニケーションがふえ、お互いに少しだけでも認める 仲になっています。
キーワード: 家族関係
|
|
[114] きっかけ
小学生
両親
ソリューション データ: 私の両親は子どもの前で殴り合い、大声でのののしり合いは しないものの仲があまり良くなく私が小学生くらいの頃から ひんぱんに相手への悪口やそれと共に「お前たちが成人するまでは 離婚しないよ、子どもたち3人とも成人したら離婚してやる」と お互いから聞かされていました。 両親とも飲酒はしないし問題はお互いの性格や、仕事などによる疲れが 原因だったのかもしれません。 しかし、このような家庭内での生活は、息苦しいものがありました。 この状態が良くなったきっかけは母が体調を崩したことによります。 重い病気のおそれがあると入退院、検査の日々が続きました。 3交代勤務の父ですが、母を気遣い私たち子どもに対しても前より 一層に気にかけてくれるようになりました。 検査の結果、母は大きな病ではなく無事に家に戻って来る事ができました。 この時以来、父と母のけんかは少なくなり、 今まででは考えられなかったような2人で外出したりなどするように なりました。加え家族のまとまりも強くなり、とても良い家族であると思います。 きっかけは母の症という良くない出来事でしたが、 このような普段とは違う出来事は日常を変える力を持っていると学びました。
|
|
[113] 家族の危機!
自分が中学三年の時
母親
ソリューション データ: 中学三年くらいのときに自傷癖があったが制服を汚したことで母親にばれてしまい、 それ以降母親が家中のゴミ箱や刃物を毎日点検するようになり、しょっちょう部屋まで
のぞきに来るようになったためやる場所がなくなりおさまった。何度かくり返したけれど
あまり継続せずにやめられている。大してリアクションのない母の反応には助かったと思う。
妹が中高不登校だったが高2のときに「卒業が危ない」と担任に言われてから普通に学校に通うようになった。
中2頃父母の仲が悪く離婚するなどと言っていたが、父親が単身赴任で岩手に引越し月に1度か2ヶ月に1度しか家に帰ってこなくなったら距離を置けたのか前よりいざこざは起きなくなった。距離の話も流れたらしくいまにところまだ夫婦でいる。父は東京勤務でなくなってから仕事のストレスが減ったのか性格も変わって、一緒に住んでいた頃は毎日恐ろしかったけれど今は普通に会って話せるし特にこわいとも感じなくなった。
|
|
[112] 問題が解決した
弟
ソリューション データ: 私と二歳離れている弟が中学二年生だったとき、反抗期がきて最も激しいときがありました。 私とその弟以外の下二人の弟は家に帰るのが嫌になるくらい中二の弟は暴言を吐き、 母親に対して殴ったりけったりすることもありました。 最初は父親も母親も中二の弟に対して怒ったり、力づくで」止めようとしていました。 しかし、おさまるどころか悪化するばかりなので、ある時から荒れ始めた時、みんなで 責める気持ちを抑え、優しい気持ちで優しく話しかけるようにしました。 夜は、食後にみんなでゲームをしたり、テレビを見たりして過ごしました。 中二の弟もだんだん家族の気持ちを読みとってくれるようになり、少しずつですが、 気持ちが落ち着くようになりました。 気づいた時にはもう今までと同じ、優しい弟に戻っていました。
|
|
[111] 両親の仲
両親が喧嘩をしていたころ
両親
ソリューション データ: 自分の親が、ケンカをしていて、 互い何を言っても良くならなかった時に、 子ども(自分たち)が、 母には、 「父は実は〜と言ってたよ」 と言い、 父にも同じことを言っていました。 そしたら、お互いの本心を言い合えるようになり、 どうにか、互いが落ち着いて話せるようになりました。
キーワード: 両親 喧嘩
|
|
[109] 兄が変わった夏
兄が中学2年の時
兄
ソリューション データ: 兄が中学2年の時、母にあることで怒られたことをきっかけに、ご飯をリビングで食べなくなり、家族ともほとんど話さなくなった。 兄は母ととても仲が良かったが母とは特に話さなくなった。 リビングにご飯を食べにこないので母は部屋までご飯を運んだ。 父がたまに一緒に食べようと誘ったり怒ったりしたが、その状態は兄が大学1年の夏まで続いた。兄は大学1年の夏にフィリピンで井戸を掘りに行くボランティアに参加し、1か月近く家を離れた。 フィリピンから帰ってきてからはリビングでご飯を食べるようになり、フィリピンでの出来事や、写真を見せてくれ、おみやげも家族全員買ってきた。 会話も増え、元には戻っていないが、よく話すようになった。 それから長期休みになると兄は海外にボランティアに行っている。
キーワード: 兄
|
|
[107] 「今」のとらえ方
ソリューション データ: 友人だった人と過去の嫌な思い出があり、ふたをするように目をそむけていたがあったが、そのことよりもつらかったのは、過去に捉われすぎたり、過去の自分のしてきたことの愚かさであった。今という時間を無駄にしていた。自分の考えだけではどうしようもないと思い、過去について、今についての捉え方について変えることができそうな本をすすめられ読んだ。すぐに効果が出るわけではなく、努力が必要なことだったが、気持ちが楽になり、今とこれからに対して可能性と希望を見出すことができた。偶然のきっかけとなった本をすすめてくれたのは弟でした。
|
|
[106] 意地の張り合い
弟
ソリューション データ: 家の弟は中3の時とても荒れていました。 高校受験だというのに勉強しない。だからと言って就職もしたくない。 というような感じで、私や母は時に色々急かしていました。しかし、反発ばかりでした。 父もそのやりとりに我慢できなくなると、声をあげました。 しかし、あるときに我々も精神的にまいってしまって口を出すのをやめました。 結果として当初の予定よりレベルを下げましたが、高校は無事に合格をしました。 今ではギクシャクということはほとんどなくなりましたし、以前と比べて穏やかになりました。 今考えてみると、互いに意地をはりすぎた部分も多く、また、一般的な話を押しつけ過ぎいていて、 知らずのうちに本人にとっては虐待のような感じだったのかなと思います。 もちろん、ほめる部分はほめてはいましたが、さらに頑張ろうという言葉は逆効果でした。 もともとはとてもきちっとしてる弟でしたので、元々の性格を信じて放っておくことも必要だったのかなと思います。
|
|
[102] 家族の絆
ソリューション データ: 私と二歳離れている弟が中学生二年生だったとき、反抗期がきて最も激しいときがありました。私とその弟以外の下二人の弟は家に帰るのが嫌になるくらい中二の弟は暴言を吐き、 母親に対して殴ったり けったりすることもありました。 最初は父親も母親も中二の弟に対して怒ったり、力ずくで止めようとしていました。 しかし、おさまるどころか悪化するばかりなので、ある時から荒れ始めたとき、みんなで 責める気持ちを抑え、優しい気持ちで優しく話しかけるようにしました。 夜は、食後にみんなでゲームをしたり、テレビを見たりして過ごすようにしました。 中二の弟もだんだん家族の気持ちを読みとってくれるように、少しずつですが、 気持ちが落ち着くようになりました。 気づいた時には もう今までと同じ優しい弟に戻っていました。
|
|
[94] 家族関係
ソリューション データ: ある日、祖母が入院し、元の生活に戻れなくなった。一緒に暮らしていたので家庭での 役割分担の関係が崩れてしまった。私自身、ショックと、そのアンバランスな関係が 続いて「何かをやること」ができにくくなってしまった。(例えば、課題が手につかない) いままで、できていたことができなくなり、家庭も変わり、何がなんだかよくわからなくなっていた。だが、家族の役割分担を決めたり、これからどうするのかに ついてたくさん話していく内にスッと課題も手につくようになり、だんだん 「自分」のようなものが帰ってきたと感じた。でも期間としては半年かかった。
|
|