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SolutionBank.net > 家族問題編 > 男性

 [401] 父への気持ち
   

ソリューション データ:
私は、人とのコミュニケーション(特に男性)が苦手で、家族であり、親である父とのコミュニケーションも苦手だった。
その根本にあるのは、父が仕事の関係で私が小さい頃から単身赴任をしていて、家に帰ってくるのは、夏休みやお正月などの休みの時くらいで、男性にかかわる機会が少なかったということである。それでも、中学生くらいまでは自分なりに上手にコミュニケーションをとることはできていた。しかし、高校生になったあたりから、だんだん父に対する気持ちが変わっていった。父と同じ空気も吸いたくないし、一緒にテレビを見るのも嫌。自分の好きな番組ならなおさら。一緒の食卓で同じ時間に食べるのも嫌・・・とこんな風に父と同じ空間で生活すること自体が苦痛で嫌と感じるようになっていった。何が何でも父と一緒に過ごすのがとにかく嫌だったので、ご飯の時間が重ならないようにし、テレビは録画しておいて後で見るなどの対策をとっていた。
しかしある日、母も姉も出かけてしまい、私と父の不祟りだけになってしまったことがあった。
この時ばかりは一緒の空間にいることは仕方がないと思い、我慢してご飯を一緒に食べたりした。
父もごはんの支度に協力してくれるなどのやさしい面を見せ、私はこのことがきっかけで、それからは父のことを気持ち悪いとか、嫌だと思うことが少なくなった。
今思うと、当時はなんであそこまで父のことが嫌いで仕方なかったのかと不思議である。
今では父が家に帰ってくれば、ご飯も一緒に食べるし、テレビも一緒に見るし、以前のように極端に嫌うことはなくなった。
母も姉も出かけ、必然的に二人でいなければいけない状況になったことが功を奏したのだと思う。

 [397] 真実を言うのがいいばかりではない
   


ソリューション データ:
兄弟が病気になった時、本当の病名を親にしらせるとパニックになると予想されたため、親には言わずに本人と二人だけの秘密として、今も継続中。

 [394] 姉弟の絆
   

父親


ソリューション データ:
 私が小学1年生のころに母は家から出て行ってしまいました。原因は父の暴力でした。その時から父と姉二人と私の生活が始まりました。父はもちろん仕事に出ていたので家事などは姉弟で分担して生活していました。しかし決して楽な生活ではなく、父は酒を飲んでは酔って暴れることもあり私たち姉弟はこころに余裕がなくなってきていました。中学になりそれまで母とは月に1回程度あっていました。そのころには母の出て行った時の状況も理解しており母の新しいパートナーとも良好な関係でした。その一方で私は父の暴力に精神的に参っており学校の勉強にも集中できずにいました。学校でも喧嘩をすることが多くなっていました。しかし家に帰っても父が帰ってくれば緊張がとかれることはなく心の安らぐときは父が居ないときだけでした。しかししばらくして私たちは母のところに住めるようになりました。それは決して父と円満に別れたのではなく母と会う月一回の時に荷物をまとめ父の家を黙って出ていきました。その後は私自身心安らぐところができたからか勉強にも今まで以上に集中することができ公立の大学にも入ることもできました。この問題の解決すなわち私の精神の維持に大切だったのは姉二人の存在でした。姉は常に私のことを考えてくれていました。そのことを理解していたので私も姉には頼ることができていました。緊張の生活の中で姉の存在は大きくいなかったらきっと今のような生活にはなっていなかったと思います。この問題は私たち姉弟のつながりをより強いものにしたのだと思いました。

 [393] 部活でのこと
   

ソリューション データ:
高校の後輩に、学校の部活をサボり気味で自分を被害者も思い込むためのトラブルをひきおこしてばかりのRさんがいました。
毎日のように、部長に相談があると呼び出していて、部活はうつのようになっていきました。
誰がどう話しても、トラブルを起こし続けてました。部活に障害をきたすとはんだんした顧問が退部させることで解決しました。

 [392] 兄弟間のトラブルからの関係修復
   

上から二番目の姉


ソリューション データ:
 私の家族は父・母・姉二人・私の五人構成です。今から五年前、一番上の姉が大学受験を控えて近所の図書館で勉強していた日のことでした。父は仕事で母は友人とテニスをしていたので、家には二番目の姉と私だけでした。私とその姉はよく口げんかをするのですが、その日激しい言い合いになってしまいました。私もつい感情的になりすぎて、玄関先のドアの窓ガラスをパンチして割ってしまいました。その姉は怖がって家を飛び出していったきり、しばらく帰ってきませんでした。私自身も大変怖くなりうずくまって泣いていました。結果的には、母親と一番上の姉の力添えで見つけて連れ戻してこられたのですが、私は家族皆に迷惑をかけて申し訳なく思いました。逃げ出した姉には「怖い思いさせてほんとにごめんね。俺が悪かった。」と一生懸命に謝りました。母親の仲介もありこの件は解決できました。現在姉二人は一人暮らしをしており、たまに家に帰ってきます。今では時々会うのがちょっとした楽しみでもあります。今回学んだのは血がつながっている家族である以上、本当に憎みあうことなどできないということです。また、家族に限らず、友人や恋人との関係においてこじれそうになった時は少し距離を置いてお互いに頭を冷やすことが大事だと分かった。

 [390] 祖母の体調
   

ソリューション データ:
祖母が目の炎症を起こして手術をした。それを機に、祖母の歩き方から喋り方まで、行動のすべてがおぼつかなくなってしまった。祖母の家は遠いので電話でしか様子を知ることができなかったが、長期休暇を利用して祖母のもとを訪れると、祖母はあまり喋ることもなくぼーっとしていて、物をつかむ力さえも弱くなってしまった。
以前とは全く様子が違い、あまりの変化に私は驚いた。
しかし、祖母と一緒に運動をしたりマッサージをしたり、暇さえあれば話をしたりしていくうちに少しずつではあるが動きがスムーズになったり口数が増えてきたりした。私が帰るまでに完全には治らなかったが、目に見えるほど回復したのだった。祖父母は二人暮らしで会話が少ないため、もし認知症だったら症状が早く悪化してしまう。なので今後も電話で、できれば祖父母の家に行って話し相手になれればと思う。

 [374] 祖父の死
 おじぃちゃんが亡くなった頃  

他界したおじぃちゃん


ソリューション データ:
最近、父型の祖父が亡くなりました。父と祖母がそれほど仲良くなかったために、家も
近かったはずの祖父や祖母と最後にあったのはいつのことやら・・・。祖父が入信してか
らは頻繁にお見舞いに行ったものの、祖父の変わり様と、久しぶりに対面する緊張感からあまり話すこともせず・・・そうこうしているうちに祖父は亡くなってしましました。悲
しくて号泣しましたが、思い出せる祖父と思い出は本当に僅かでした。思い出が少な
いことに、もっと悲しくなりました。祖母は今、一人で暮らしていてきっととても寂し
い思いをしています。今こそ私たち家族が祖父を支える時だと感じました。そして、
たくさんの話をして、いろいろな所へ連れてってあげたいです。それが、私のできる
精一杯のおばあちゃん孝行だと思うのです。祖母だけではなく、両親や兄弟、従兄弟たち
ともたくさんの思い出を作りたいと思いました。そして、思ったことは素直に口にだし
て伝えさせたいと思わせてくれたんは私の祖父でした。

 [373] ストレス発散法
 家族と暮らしていたころ  

家族


ソリューション データ:
 私は外面がいいと家族に言われるのですが、本当にその通りで、家と外ではだいぶ差があります。反抗期とかもひどくて、まわりにあたってしまったかなと思います。その頃は毎日のように些細な言動にイライラして、それを私は態度に出してしまっていました。外でまわりに嫌われないようにすごく気を使って生活して、その分家で爆発してしまうといった感じでした。けれども家族に対して、理不尽な事を言ったり、ひどい態度をとったりした後で、一旦冷静になると、どうしてあんなこと言ってしまったんだろうというように後悔して自分をよく責めていました。好きでイライラしていた訳ではないのです。イライラしたくないし、こんな態度も取りたくないのにとってしまう、自分は何をやっているのだと悩んだ時期もありました。でもそんな時、イライラしてしまうのはしょうがないかもしれないが私はイライラして人にあたってしまうのがいけないのだと思ったのです。よってそれから家族にあたらないようにするために、悩みがあったら溜め込みすぎないで友達に相談したりするようにしたり、イライラしている時は家族に近づかないようにしたり、ストレス解消法を見つけたりしました。そうすることで、イライラの根本がなくなったわけじゃないけど、イライラから生まれるもう一つのイライラは少し減少しました。

 [365] 戦わないと良い方にも悪い方にも転ばない
 小学校高学年  

両親


ソリューション データ:
小学校のころ、家族とケンカして嫌な気分になると、逃げ出したい衝動にかられることがよくあった。
今思うと、ケンカの理由は明らか私が悪い。
でも、自分が悪いと認めたくなくて、ガミガミ怒った親が風呂に入った瞬間、現金や写真自分が大切だと思うものをすべて持って家を出た。
そう、家出をしたのだ。
小学校4年生の夏から、小学校5年の冬まで計3回くらいした。
毎度毎度、親が探しにきてくれた。
そして今でも忘れない小5の冬の4回目、私は初めて電車に乗って本格的な家出をした。
今までは近場だったため、居場所を簡単につきとめられてしまっていたので
結局、親に電話で説得され終電で帰ったが、地元の駅まで親が迎えに来てくれた。
その時に父が言った言葉。
「お前1人が逃げて解決できると思うなよ。
 逃げるだけじゃ何もはじまらない。
 戦わないと良い方にも悪い方にも転ばないんだ。」
――――今でも忘れない。

 [360] 家族
 中学生の頃  

お父さん


ソリューション データ:
私が中学生の頃の両親が別居した。
父さんが出て行って、別にそんなお父さんが好きって言う訳じゃなかったが、普段いるんがいない
というのがすごきショックでよく泣いていた。
お父さんに会ってもなんか泣けてきたけど、まだ死んで会えなくなった訳ではないし、結婚して
私が家を出るのが早まった的な感じで前向きに考えるようにしたのと、あと時間が経つに連れて気が楽になった。


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