お釈迦様は、頭(知恵)を使って良く考え、不幸に巻き込まれないようにとお考えになったのかなと思います。一方、キリスト様は、慈愛で憎しみの連鎖を断ち切る事をお考えになったと思います。
難しい事は抜きにすると、”全ての人が幸せに暮らせる事”を目的にしたのだと思います。
ぶっちゃけ過ぎて、これでこのテーマは終わってしまいますね(^^!なのでもう少しつらつらと書いてみます。
現在は宗教が目的とした事は基本的人権の考えとしてまとめられ、宗教から離れて”理念”として先進国に根付いたように思います。ただ、この理念は社会理念に過ぎず、人々の心まで行き渡っていないのが現実です。そういった良心を持った人を食い物にする人たちが居るのも現実だし、周辺国へ侵略を繰り返す国家もあります。
宗教というのは不幸を避ける方法を伝えると思いますが、実際に被害にあった場合の対応は、宗教の範囲では無く、司法や外交などの範囲になると思います。こう考えると”政教分離”という社会体制も人類が長年かけて獲得した優れた知恵の一つですね。実現出来ているのは先進国と呼ばれる国家が大半ですが。。
結局、宗教の理念自体は、長い時間をかけて、宗教とは意識しないところで社会に組み込まれたと言えそうです。しかし人々が心の底から安心しているかというと、まだ程遠いですね。当面の数百年は”全ての人は天寿を全うする権利がある”社会の実現でしょうかね。
せめて年末、年始くらいは穏やかでありますように。。
(2013/12/25 記)
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