しかしサラリーマンも長くやると自らも含め、周囲で色々と失敗談が発生します。案外歴史の英雄に自らを比した人間がしょうもない失敗をしてしまいます。おじさんになって気がついた事があります。歴史から何を学ぶか?についてです。
それは歴史から失敗を学ぶ事なのです。
確かに成功はしたい。しかし100回の成功も1回の失敗で水泡に帰すことを歴史は伝えています。しかも先人が犯した失敗を繰り返す必要もないのに。。社会においては失敗は日々繰り返されています。成功した人の歴史は、一方で失敗しなかった歴史とも取れます。失敗しなかったのはそれに対して手を打ったからであり、凡人の我々としてはどう考え手を打ったかは想像するしかないです。その想像が当たっているかは誰にも分からないです。しかし歴史で敗者となった側の失敗例は具体的に残っています。その具体的な失敗例を読むだけで、社会でも十分通用します。
大会社を傾けてしまう駄目な社長も、実のところ詳細は知らないですが、幾人かは武田家を滅亡させた武田勝頼タイプではないかと思います。
武田家滅亡のきっかけとなった長篠の戦いは、信長の鉄砲三段打ちが喧伝されてます。武田側に視点を置くと、織田、徳川連合軍が作った3段備えの馬防柵に向かって騎馬突撃を行い、3段目にたどり着いた所で力付きたのが敗因です。私の考えですが鉄砲が効果を発揮するのは敵が近くに来たときです。しかし最初の斉射が出来ても、その時に騎馬隊に切り込まれたら終わりです。なので馬防柵は騎馬隊の足止めさへ出来ればOKであり、3段儲けたのは1,2段目で勢いを削ぎ、3段目で完全に足止めさせるためと思っています。そこを鉄砲の的にされたと思います(個人的には3段撃ちが効果があったのではなく、鉄砲の的にするように敵を誘導する運用の方の効果が高かったと思う)。一方、武田家の重臣たちはこのリスクに気づいていたそうですが、当主の武田勝頼は聞く耳を持たなかったと伝えられています。
相手が鉄砲で無く弓隊の想定でも馬防柵への騎馬隊での突撃という選択は無かったと思います。つまり武田勝頼は常勝であった騎馬隊中心の戦術の枠から抜け出せなかったのだと思います。
競争社会である以上、ライバル会社は様々な手を打ってきます。また状況も刻々と変わります。その変化の中で万全を尽くした者のみに勝者となる資格が与えられるのです。テレビの市場の飽和、価格競争による苦戦などは2010年頃から分かっていたにも関わらず手を打たなかった点について一体何をしていたのか疑問に思ってしまいます。資金がある内にテレビ以外の研究開発関連に回しておけば、早期に代案を出せたのではないかと思います。私も製造会社にいた立場としてイケイケの事業とは異なる分野への研究費に回すのは難しいと理解していますが、この辺の決断が出来るのが社長だと思うし、役割だと思うのです。でも社長まで現場の状況が届いていなかった可能性もありますね(^^!。。このケースはもっと深刻で秦の滅亡と同じかも知れませんね。あくまで想像ですが。。
ところでもっと身近なレベルで駄目な上司の失敗例(手柄の横取り、不公平、責任逃れ、嘘をつく(不都合を隠す、認めないなど)、イエスマンしか近づけない)など歴史にいくつもあります。これを知っていれば少なくとも自身がその立場に立ったときはそのような事をやらずに済みます。そんな訳で歴史を読むときは敗者となった側の立場になり何故失敗したかを考えると実際の社会に役に立ちますよ。きっと。
(2012/11/8 記)
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