邪馬台国論争、出雲王国、吉備王国、越王国など古代の日本史について面白い本がたくさん出ています。子供の頃はこれらの本を読んでは、遥か古代の日本の人々の生活、英雄たちを思い浮かべてわくわくしました。良く夢の中で古い日本へ行ったものです。
今でも古代の日本の姿について論争が続いています。ところで、これらの論争についてたった一つ重要な事実が置き去られています。意図的なのかも知れませんが、本を読む読者の立場としてはその事に気づかずに著者の論調に引き込まれてしまいます。
それは古代日本に文字が無かったという事実です。
これも表現は正確ではないです。歴史を伝えるための文字==文書が無かったという意味です。木管や銘いりの遺物は発見されていたと思うので文字はあったが文書にする所まではいかなかったというところだと思います。
日本人として、邪馬台国の時代には高度な国家があったと信じたいですが、現実は古代日本は後進国であったろう事はまちがいないだろうと思っています。この文書が無い事と古代論争には重要な関係があります。
気づいたきっかけは、日本の長崎や五島列島に伝わる隠れキリシタンの伝承を何かで読んだ時でした。キリシタンについて厳しい弾圧があったのは歴史が好きな人なら誰でも知っている内容ですが、司祭さんを失った隠れキリシタンの方々がその後どうなったかは余り知られていないのでは無いかと思ったりします。私もそこまでは知らなかったです。司祭さんと聖書が失われた結果、時間と共にキリスト教の内容そのものが変わっていったのです。今、Wikipediaの”隠れキリシタン”の記事をみると”教義の変容”にその内容が書かれています。禁断の身を食べたアダムとイブが神に許されてしまったと言うものです。ここで重要なのは”口伝により伝えられる内にキリスト教の教義の本質が300年で失われてしまった”という事実です。
ところで原罪が許されたアダムとイブはエデンの園に留まりつづけたのでしょうか。続きが気になります。。
古代史論争本をみると、”魏志倭人伝”、”古事記”、”日本書紀”等の古文書から解釈を展開します。魏志倭人伝は三国志時代の本で西暦300年の頃の中国の書です。一方、古事記と日本書紀は西暦700年代前半の書です。この文書には400年以上の開きがあります。当時の卑弥呼が古事記の誰との推定などを皆さん一生懸命やっておられます。が、口伝で伝えられた伝承を文書化した古事記や日本書紀をベースに議論しても色んな解釈が出てしまうのは仕方がないと思っています。口伝だけで伝えられた場合、オリジナルの物語との剥離の度合いと言う物は歴史学として検証出来るのではないでしょうか。ちなみに私の世代だと卑弥呼==神功皇后が多いのではないでしょうか。近年読んだ本では、神様の名前があがってたような。。
古事記や日本書紀に当時の権力者による意図的な書き換えがあったという説は私が若い頃はわくわくしながら読んでいたものです。古代日本の最大の巨悪でかつ黒幕である藤原家の陰謀という図式にもわくわくしましたね。口伝とオリジナルの物語との間に剥離がある事に気づいてからは考えが変わりました(^^!。意図的な書き換え以前に。。本当に口伝の内容が変わってきたと考える方が自然です。元の物語と異なってしまった伝承に基づいた歴史論争というものは、誤訳だらけの規格書の文言を前提に設計を進めてしまうようなもので、正しい結果はまず出てこないのではと思ってしまいます(^^!。これを読んでいる歴史学者さんがいらっしゃるとも思えませんが、あくまで個人的な考えですので。。気に障ったら済みません。
この点、発掘などの考古学による歴史解釈は、技術者の私にとってしっくりきますネ。客観的な証拠こそが真実への近道ですよ。シャーロックホームズもそう言ってます。。確か。(^^!。
とは書いてみた物の、天津神と国津神との覇権争い(出雲神話)、神武東征(大和政権成立)、日本武の伝承(大和政権と各地の関わり)はオリジナルとなる歴史的な事件があったのは間違いないだろうし、ロマンがありますね。
(2012/10/9 記)
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