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  •  テロについては、公正な政治が行われず、公平さも無い社会体制において、弱者が選択できる最後の手段となる事を歴史は伝えています。だからこそ、公正で公平な社会体制を作るという事が人々のためであり、テロを防ぐ最善の方法であると考えます。

     ところがそれと趣を異とするテロがあります。宗教テロです。我が国ではオーム真理教が無差別テロを実行しました。宗教テロはどの宗教からも一部が過激化して発生します。
     ただユダヤ教から派生したキリスト教やイスラム教のテロの話を聞くと、客観的に違和感を感じます。キリスト教やイスラム教は、異教徒である私から見ても、民衆の側に立ち、平和を愛する宗教に見えます。しかし、テロは起きています。実行しているのは、一部の過激派との事で、それらの宗教の主流派からは外れた一派だそうです。

     この違和感が何だったのかがずっと、気になってきたのですが、最近気づきました。一神教では、絶対で唯一の神に反抗する悪魔の存在が信じられています。キリスト教でいう善は愛だと思います。それに反する行為と言えば憎しみです。悪魔はこの憎しみを生み出す役割を負うのだと思います。とすれば、悪魔の側からすれば、憎しみを生み出す行為をさせれば良いわけで、無実の人を殺す行為を行わせる事はその考えに沿っているわけです。
     宗教の名を借りた無差別テロや殺人などは、いつのまに、その宗教の神に反する悪魔側の手先になっている訳です。そう考えるとキリスト教における十字軍はイスラム教の人々の憎しみを買い、ついには戦争を引き起こしたし、魔女裁判では多くの無実の人々が処刑されており聖職者の側も本人が気づかない内に悪魔サイドに加担していたわけです。

     以前、イスラエルでパレスチナのイスラム過激派の一派の少女が自爆による無差別テロを実行しました。その少女は自爆直前に恍惚とした表情を見せていたそうです。その事件では、その少女の母親がテレビに出ていました。その深い悲しみに満ちた目を今でも忘れる事が出来ません。娘を失ったこの母の慟哭は彼らの神に届かない筈が無いと思いました。私は異教徒ながらも、自爆による無差別テロを行った少女が本当に彼女が信ずる天国に行けたのか疑問に思っています。パレスチナの人々が長年不公平な状況に置かれてきた背景が生み出した悲劇だと思っていますが、本来宗教問題ではないと思っています。しかしテロを行う側はいつのまにか宗教の名を語っています。。。
    (2013/4/15 記)







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