執筆 年月 日 |
文書題名 |
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掲載元(雑誌・新聞等) |
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1920年代の文書 |
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1929 /2/ 19 |
翻訳 「散歩」 (2020/4/24更新) |
(フリー ドリッ ヒ・シラ ー、 1795) |
大学最後の授業時間に読み上げた訳(ノートより) | |
1929 /?? /?? |
翻訳 「約束の地」(前半)、 「出エジプト」(其1) |
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ノートより | ||||
1930年代の文書 |
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193? /?? /?? |
翻訳「矢車草」(汝らに善し、 自然に於ける神の栄光) |
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K・ゲロック、C・F・ゲッレルト作 | ||||
1931 /2/5 |
聖霊自ら言い難き 嘆きをもて執成し給う |
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日記の断片より 「満二十七の日を 前にして」 |
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1939 〜 |
「天上天下誰をか慕わん」 | 詩篇 第73 |
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「キリスト教常識」原稿 | ||||
1938 /5〜 1939 /7 |
翻訳 「島々は呼ぶ」 (W・レンゲ著) |
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「新シオン」第53〜59、61号、1938/5 〜1939/7 |
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1940年代の文書 |
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1946 /10/ 末 |
実在者を知れ | |||
「Pulsation」NO.2 昭和医大文学 部、1946年12月15日発行 |
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1947 /12/ 25 |
伝道者の十字架 | |||
「信望愛」誌第205号、1947年12月 25日 |
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1950年代の文書 |
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1950 /4/ 25 |
平和への意志 | |||
医学生文化新聞 1950/5/20発行 | ||||
1950 /5/ 26 |
書評「詩魂に応う」─八木重 吉氏の『神を呼ぼう』を読みて |
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「?」誌 明和書院、1950年11月発 行 |
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1950 /10/ 1 |
詩と現実 | |||
藤井武20周年記念講演、論文 | ||||
1952 /6/1 |
聖霊の根源相に於て | |||
武蔵野幕屋 月報No.1 「ヨルダン」 | ||||
1953 /6/ 25 |
苦難に勝つ信仰 ──ヨブ記を身読する |
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「世の光」第37号1953/6/25 | ||||
1953 /12 /? |
世の塵芥の如く | |||
武蔵野幕屋月報「ヨルダン」No.10、 1953年12月号 |
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1955 /4/8 |
生命の源泉 | |||
東京歯科大学予科会、55会報 5 〜7頁 |
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1955 /? /?? |
主こそわが牧人─詩篇23篇 を身読する |
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「世の光」第48頁 1955年6月1日発 行 |
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1955 /?/? |
虹の人(1) ──幼年時代 | |||
筆記原稿 | ||||
1955 /9/? |
パンをさくイエスと 波をわたるイエス |
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原始福音証誌「十字架の言」第9号 | ||||
1955 /11/ 20 |
「歌道囈語」 (東大教養学部昭和29年 度入学文科2類3組) |
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「LU3」誌4号1955/11発行より。 「和歌の道で私は全くの素人ではあ る。しかし、どんな気構えで、私も時 には歌を詠むかということを語って、若 い人々の御参考に供するのも無意 味ではなかろう。……」 |
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1955 /12/ 15 |
降誕節─聖なる日の意味す るもの─ |
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東大教養学部報 | ||||
1956 /7/ 28 |
永遠の生命 | |||
「小羊之叫」第3号、キリスト教青梅 幕屋 発行人荒井大寿 1956/9/1 |
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1957 /1/ 20 |
死生の転換(詩篇102) | |||
筆記録 | ||||
1957 /9/ 19 |
無き者 (コリント前1・18〜 31) |
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録音筆記原稿 | ||||
1957 /11 /? |
藤井武選集完結に際して | |||
岩岡書店発行『藤井武選集第九 巻』の栞 |
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1957 /3/ 20 |
原子力と原始力 | |||
東京歯科大学市川部会学友会、 1956会報第3号37〜41頁 |
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1958 /3/1 |
『藤井武選集』について | |||
キリスト教図書雑誌「興文」3月号、 1958年3月1日発行 |
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1958 /3/ 31 |
舟出 | |||
東京歯科大学市川部会学友会、 1957会報第4号50〜52頁 |
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1960年代の文書 |
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1960 /4/1 |
内村鑑三先生召天 三十周年を迎えんとして |
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キリストの幕屋諸集会誌「よるだん」 No.4 |
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1961 /2/5 |
大事な忘れもの | |||
「公明選挙時報」1961/2/5 | ||||
1962 /8/1 |
何を意識すべきか | |||
「世界連邦 むさしの」第3号1962/ 8/1 |
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1962 /?/? |
鉄を重んじる国民性 | |||
「東京歯科大学新聞」 | ||||
1962 /7/ 15 |
福音とは何か(2)(3)1962/7/ 15(京都大原講筵) |
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「泉」No.100、101 (守口福音会) | ||||
1963 /1/ 28 |
本願悲願──人生の前篇を 終るにあたって学生諸君に今 昔物語の一端をつたえる |
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東京大学教養学部報第118号 | ||||
1963 /5/ 10 |
ヒルティ『眠られぬ夜のために』 (小池辰雄編 白水社版) |
編者 の「編 者まえ がき」 「目次」 「解説」 を抜粋 転載。 |
「解説 ヒルティの世界的名著『眠られぬ夜のために』I(第一部)U(第二部)から抜粋し、その内容に したがって15項目に分類し、一書にまとめてみたのが本書である。……」 |
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1968 /5/ 25 |
(書評)精神と信仰を明示 (山本泰次郎著 「内村鑑三 の根本問題」) |
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「キリスト新聞」第1089号1968/5/25 | ||||
1969 /5/ 18 |
聖霊の賜物 (使徒10) | |||
「石垣会だより」第16号 1969/6/15 | ||||
1970年代の文書 |
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1970 /8/1 |
「未完の一大叙事詩」藤井 武著『羔の婚姻』 |
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キリスト新聞「あの頃あの本」日本宣 教史上の名著より |
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1972 /9 /? |
天然と文化 | |||
獨協中学・高等学校文化祭パンフ レット |
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1974 /4 |
「宗教と教育」 | |||
1973年度 独協中学・高等学校 『研究紀要』創刊号巻頭〔『無者キリ スト』に掲載〕。「二十世紀はあと四 半世紀をもって終ろうとしている。世 界は今世紀において二つの世界大 戦を爆発させた。そして現実はいつ 第三次世界大戦が起るやも知れぬ 危機性を孕んでいないと誰が言えよ うか。……」 |
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1974 /12/ 7 |
「かくてありなん」(詩) | |||
1988年4月24日 京都召団聖 日集会にて披露。「1.嵐吹きすさぶ 夜の燈台/村雨おそう夕べの雨傘 /雪に暮れゆく夕べの宿屋/陽に 焼きつく真昼の木陰/そういう人であ りたい。……」 |
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1976 /2/7 |
社説「『無者キリスト』を読む | |||
キリスト新聞 | ||||
1976 /3/9 |
校長先生と対談 | |||
「獨協新聞」 獨協学園新聞委員 会 復刊第1号 |
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1977 /11/ 30 |
寺子屋塾精神 | |||
獨協PTA会報第7号 | ||||
1978 /4/1 |
「孝道」 | |||
キリスト新聞「橄欖」蘭1978年4月 1日発行より転載。「汝の父母を敬 え」(出エジプト20・12、申命記5・16) 原文直訳は、「敬え、汝の父を、汝 の母を!」で、「敬う」という言葉は 「重んずる」という意味を源にしてい る。…… |
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1978 /4/8 |
「霊の貧者」 | |||
「キリスト新聞」1978年4月8日に 掲載。「「恵福なるかな霊の貧しき者 たち、天国はその人たちのものなれば なり」いわゆる「山上の垂訓」の第一 言である。垂訓といっても、その本質 はイエスの告白である。イエスは体験 し体現しないような空言を発したこと はない。……」 |
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1979 /4〜 6 |
「目白台十年」 ──お別れに際して── |
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自筆原稿より。「昭和43年(1968 年)の大晦日の前日、天野学園長 から電話をいただいたので、何の御 用かと思って参上したら、獨協中学 高校の校長をやってくれないかとのお はなし。……」 |
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1979 /5/1 |
古典を身読すべし ──在学中ぜひ聖書にふれ て |
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「獨協大学ニュース」1979/5/31 | ||||
1979 /9/ 27 |
新秋所感 | |||
「獨協百年」第2号 | ||||
1980年代の文書 |
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1980 /?? /?? |
私の宗教的な出会い | |||
「あすあすあす」誌、京都 東本願寺 維持財団 |
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1980 /6/7 |
書評「魂をゆさぶる講解」 (岸千年) |
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キリスト新聞、小池辰雄著作集第4 巻「詩篇珠玉集」 |
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1981 /1/1 |
万法帰一 | |||
『世界日報』宗教界 | ||||
1982 頃 |
「無の神学原論」 | |||
自筆原稿。「「恵福なるかな霊の貧 者たち、天国はその人たちの者であ る」山上の大告白の第一言に於て、 福音の原相が「無」であることを見 る。「霊の貧者」とは自分を何者とも しない者の謂である。そのことはキリス ト自らが実証している。……」 |
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1982 /1/ 10 |
親鸞とルター | |||
「人類の知的遺産」第26巻月報第 45号 |
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1982 /5/ 20 |
たましいの旅路 | |||
月刊「提言」第109号 | ||||
1982 /5/ 23 |
無の神学の焦点 | |||
筆記原稿より | ||||
1984 /9/8 |
からだで聴く講話 ─手島郁郎著「詩篇講話第 1巻」(研究書の推論しのぐ現 実的確かさ) |
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キリスト新聞1907号 | ||||
1985 /3/ 30 |
詩作が私の使命 | |||
「キリスト新聞1985年3月30日発 行 |
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1985 /7/ 26 |
「即行の福音」(要旨) | |||
第32回夏期福音特別集会(伊東) 第1回集会。「静思」誌第10〜11号 1985年10月4日より転載 ●百行 一死に如かず ●キリストの中へ突 入 ●神の御意の実証者 |
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1985 /7/ 26 |
「即行の福音」 | |||
第32回夏期福音特別集会(伊東) 第1回集会。(録音を文字化したも の) ●百行一死に如かず ●罪の 赦しの中へのバプテスマ ●時は満ち た ●福音の中に信住する ●行 為をもって身証せよ ●「直ちに福 音」 ●信行一如 ●始めに行為あ りき ●タート・ウム・タート ●聖霊 の権威 ●キリストの無者 ●十字 架の門 ●行為は一切である ●キ リストの新しさ ●神の御意を行う者 ●即行の福音 |
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1986 /12/ 25 |
書評『インド途上のキリスト』 | |||
キリスト新聞1986/12/25 | ||||
1987 /10/ 24 |
書評『感想と紀行』 「聖霊の愛」歌う (岸千年) |
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「キリスト新聞」1987/10/24読書欄 | ||||
1987 /10 /?? |
教壇の小池辰雄先生 (西尾幹二) |
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(財)ドイツ語学文学振興会「ひろの」 27号 |
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1987 /1/1 |
山上の大告白(2)、 八恵福の第二言 |
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「日本厚生振興新聞」1987/11/1 | ||||
1987 /3/? |
序文「大乗仏教とキリスト教」 (淵江淳一著) |
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原稿 | ||||
1988 /4/1 |
山上の大告白(7)、 八恵福の第七言 |
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「日本厚生振興新聞」1988/4/1 | ||||
1988 /4 /?? |
親鸞とルター 『歎異抄』 と『キリスト者の自由』 |
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「あす あす あす」163号 1988/4月 号 |
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1988 /11/ 8 |
無者キリストとは何か、 聖書は大ドラマである |
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「静思」第30号、1985/12/10 | ||||
1989 /2/4 |
書評『聖書は大ドラマである』 | |||
「キリスト新聞」 ? (岸千年) | ||||
1989 /7/ 22 |
第14代小池辰雄校長時代 | |||
「獨協百年史」 | ||||
1989 /9/? |
書評「神道とイスラエル 古代思想とキリスト道」 (淵江淳一著)) |
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原稿 | ||||
1990年代の文書 |
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1990 /?/? |
経済大国から宗教大国へ (1990年の抱負) |
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原稿 | ||||
1990 /1 /?? |
新年に思う──神仏への畏 敬の念 |
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「キリスト新聞」 ? | ||||
1990 /7/? |
序文 吉村騏一郎著『わが師 手島郁郎』に寄す |
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筆記原稿より 1990/4/23 | ||||
1991 /10 /?? |
私のパトモス | |||
野尻高原大学村小誌 | ||||
1990 /7/ 26 |
AUF WIEDERSEHEN 暫しのお別れの辞 白旗信 学兄! 大学葬に際して |
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筆記原稿より | ||||
1991 /7 /?? |
淵江淳一著『パウロの神学 と日本の神学』を読んで |
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「キリスト新聞」 | ||||
1992 /12/ 4 |
旧約の神霊@〜E | |||
筆記原稿より | ||||
1996 /?? /?? |
インタビュー東町の人 静かな無者 |
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吉祥寺東コミュニティ通信「九浦の家だ より」1996年5月5日 |
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1996 /8/ 31 |
「義の冠を備えられて」 ──小池辰雄先生を忍びて ──(奥田昌道) |
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小池辰雄先生告別前夜式式辞。 「生命の光」から転載。「明日の告別 式〔1996年9月1日〕を前にしまし て、今宵は小池辰雄先生のご生涯 を簡潔に振り返り、先生の歩まれま したキリスト者として、学者として、ま た教育者としての実に雄々しく勇まし いご生涯とそのお姿を偲びたいと思い ます。……」 |
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1996 /9/1 |
小池辰雄先生追悼、 わが車を天星に繋ぐ宵、神の ドラマ (今橋淳) |
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「活かすキリスト」誌第370号、1996 年12月号 |
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1996 /11/ 16 |
賜った無「私」の信仰に生きる (奥田昌道) |
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「キリスト新聞」1996/11/16「小池辰 雄先生を送る」 |
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年代不明の文書 |
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