万延文久元治リンク | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●万延元年(1860)
●文久2年(1862)
●文久3年(1863)
●元治元年(1864)
4月−西成郡江口村(大阪市東淀川区)の田中善左衛門などが中心となって「万延組」と呼ばれる大坂周辺
85ケ村もの青物生産農村が結集、天満の26ケ村立売場とは別に新しい立売場の設置を求めて訴願運動を起こす。
三田(さんだ)藩の白州退蔵、藩政改革に着手する。
4月21日−坂本竜馬、西宮に到着。この後大阪、京に滞在し、江戸に下る。
→【竜馬の足跡N進む/戻る】
イギリス公使オールコック一行、兵庫を訪れる。
1月−竜馬、大阪着。→【竜馬の足跡Q進む/戻る】
3月−14代将軍徳川家茂、一橋慶喜上洛。翌月大阪城に入る。
4月−徳川家茂、順動丸に乗船し兵庫付近の海域を巡見する。
5月2日−竜馬、勝海舟の使者として大阪本願寺に姉小路公知を訪問。→
【竜馬の足跡(23)進む/戻る】
5月−老中小笠原図書頭が大兵を伴って軍艦で上阪したが、朝廷の意向で老中免職、大阪城代へお預けとなる(6月1日)
6月13日−将軍家茂が江戸へ向けて出航する。
7月下旬−坂本竜馬、江戸へ出発。→
【竜馬の足跡(27)進む/戻る】
9月下旬−竜馬、勝海舟と共に大阪天保山沖に着く。
10月−第1次長州征伐の出兵予定諸藩の軍議が大阪城で開かれる。
10月−土佐藩小監察が神戸村の海軍塾の竜馬に藩命として帰国を求める。竜馬以下土佐藩の塾生は
すべて召喚命令を拒否。竜馬は再度脱藩。10月28日、幕艦・蟠竜丸で勝に従い江戸へ向かう。→
【竜馬の足跡(29)進む/戻る】
1月8日−徳川家茂、海路大阪に入る。大阪天保山前に投錨。
1月−竜馬、観光丸で神戸着。2月9日、大阪で合流した勝に随行し観光丸で長崎へ。→
【竜馬の足跡(31)進む/戻る】
5月21日−幕府が勝海舟を頭取に海軍操練所を神戸村に開設する。
7月−竜馬、神戸海軍塾に帰着。28日−大阪経由で京に上るため出発。→
【竜馬の足跡(38)進む/戻る】
8月11日−幕府が京坂の豪商鴻池善右衛門ら14人に献金を命じる。
10月21日−幕府、勝海舟に江戸召喚命令を下す(事実上、神戸軍艦操練所の閉鎖)。
11月−竜馬、神戸軍艦操練所の土佐及び各藩脱藩浪士を京・大阪の薩摩藩邸に寄寓させる。自身も薩摩藩邸に潜伏。→
【竜馬の足跡(40)進む/戻る】