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●宝永元年(1704)
●宝永2年(1705)
5月中旬から御蔭参り流行。
●宝永2年(1705)
●宝永3年(1706)
●宝永4年(1707)
●宝永5年(1708)
●宝永6年(1709)
●宝永7年(1710)
●正徳元年(1711)
●正徳2年(1712)
●正徳3年(1713)
●正徳4年(1714)
●正徳5年(1715)
11月−大和川付け替え工事が完成。
鴻池、菱屋ら旧大和川河道を開発。
5月−豪商淀屋三郎左衛門がけっ所・所払になる。
11月−竹田出雲が竹本座の座元となる。
近松門左衛門が大坂竹本座の座付き作者となる。
幕府が旧大和川河床を大坂の富商鴻池・深野・菱屋・天王寺屋らに開発させる。
6月−近松門左衛門作「碁盤太平記」が竹本座で初演される。
11月21日−幕府が大坂に入港する船舶に石銭を課し,木津・安治(あじ)両川口の浚渫費にあてる。
12月29日−大坂で大火65町1,500軒が焼失する。
3月16日−大工・日雇いの賃金が定められる。
9月−江戸幕府が上方から江戸への為替延着を取り締まり,過度な場合には両替屋を処罰する。
淀川過書座の年寄が大坂に3名,尼崎・枚方・大塚・淀・京都に1名ずつおかれる。
3月−近松門左衛門作「冥途の飛脚」が竹本座で初演される。
9月16日−朝鮮通信使一行が大坂に到着、本願寺が客館にあてられる。幕府側の接待および儀式の
改変について対馬藩と朝鮮通信使側の交渉が行われる。26日、大坂を出発。
松平忠喬、遠江国掛川4万石から尼崎4万石に入る。
3月30日−幕府が大坂銅座を廃し,銅吹屋仲間に貿易銅500万斤の長崎への回送を命じる
(5月19日、再命令)。
春-近松門左衛門作「夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると)」が竹本座で初演。
医師寺島良安が図説百科事典「和漢三才図会」を完成する(1713刊行)。
6月9日−幕府が長崎貿易支払い用の銅不足のため諸国の銅を大坂
に回送させ,銅吹屋から長崎へ送らせる。
12月8日−幕府が大坂の蔵屋敷に米の蔵出し期限の厳守を,また米屋に米価抑制を命じる。
摂津国名塩(なじお=現西宮市)に紙会所が設けられる。
9月10日−浄瑠璃太夫,初代竹本義太夫(64)没。
幕府が秋からの飢饉により大坂で34万人に施米する。
12月−幕府が両替商に仲間を結成させ,金銀の両替を行わせる。
11月1日−近松門左衛門作「国性爺合戦」が竹本座で初演され,17か月間続演となる。
11月4日−遠城治左衛門・安藤喜八郎兄弟が弟の仇生田伝八郎と崇
禅(すうぜんじ)寺馬場で決闘し,返り討ちに遭う。
近松門左衛門の「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」「生玉心中」が初演される。