享保年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●享保元年(1716)
●享保2年(1717)
●享保3年(1718)
●享保5年(1720)
●享保6年(1721)
●享保7年(1722)
●享保8年(1723)
●享保9年(1724)
●享保10年(1725)
●享保11年(1726)
●享保12年(1727)
●享保13年(1728)
●享保14年(1729)
●享保15年(1730)
●享保16年(1731)
●享保17年(1732)
●享保18年(1733)
●享保19年(1734)
●享保20年(1735)
7月4日−曽根崎で大火、堂島・天満に延焼し3,600軒余・米8万4,700石余が焼失する。
河内柏原築留が決壊し、摂津、河内大洪水(申歳切れ)。
5月5日−土橋友直ら平野郷の有志7名が郷学含翠(がんすい)堂を創設する。
7月17日−松江藩茶道役正井宗昧(そうまい)が大坂高麗橋で妻敵(めがたき)討ちをする。
8月22日−近松門左衛門作「鑓の権三重帷子(かさねかたびら)」が竹本座で初演される。
淀川が氾濫して、摂津・河内大洪水(点野切れ)。
11月20日−近松門左衛門作「博多小女郎浪枕」が竹本座で初演される。
12月6日−近松門左衛門作「心中天網島」が竹本座で初演される。
7月15日−近松門左衛門作「女殺油地獄」が竹本座で初演される。
閏7月25日−大坂町奉行が米商人に蔵米の延べ売買・先手形による売買・買い占めを禁じる。
4月22日−近松門左衛門作「心中宵庚申」が竹本座で初演される。
9月24日−幕府が摂津・河内・和泉・播磨4国の公事訴訟・寺社支配
の所管を京都町奉行から大坂町奉行に移す。
9月−幕府が京都・大坂両町奉行に,米価低落により米穀
の延べ売買取り締まりの緩和を命じる。
12月23日−大坂町奉行が大坂本屋仲間を公認し,新規の出版物の原稿を検閲させる。
1月27日−大坂町奉行が大坂入港の薪の買い置き・占め売りを禁じる。
2月−幕府が前年9月につづき、京都・大坂両町奉行に米
価低落により米穀の延べ売買取り締まりの緩和を命じる。
3月21日−大坂・南堀江橘通3丁目の妙知(みょうち)宅から出火し,焼失408町・
1万2,205軒,焼死者7,000人、大坂の3分の2が焼ける(妙知焼け)。
11月21日−浄瑠璃・歌舞伎台本作者、近松門左衛門(72)没。
11月−三星屋武右衛門ら町人5人が私塾懐徳堂を創立する。
難波村幕府領農民、道頓堀裏に青物市を開設。
9月27日−幕府が大坂本両替仲間に金銭売買立ち会いを許可する。
4月8日−西沢一風・並木宗輔・安田蛙文合作「北条時頼記」が豊竹座
て初演され,大入りとなる。
6月7日−幕府が中井竹山らの要請をいれて私塾懐徳堂の諸税を免除し,準官設の学問所とする。
2月−幕府が江戸米会所を停止し,江戸町人中川清三郎ら3人
に大坂堂島に米相場会所の設立を許可する。
5月−幕府が大坂入港の200石以上の諸国廻船隻数を調査させる。
9月−幕府が大坂町奉行所門前に目安箱を設置する。
5月29日−幕府が道頓堀に鋳銭座を設け,寛永通宝を売り出す。
7月−幕府が米価引き上げため蔵米の延べ売買を許可する。
12月1日−幕府が堂島北浜米仲買人の請願により堂島永来町(えらちょう)の米会所を廃止する。
4月22日−幕府が並河誠所(なみかわせいしょ)に「五畿内志」の編纂を命じる。
5月22日−幕府が江戸商人冬木善太郎ら5名に大坂米会所の設置を許可する(北浜冬木会所、8月13日停止)。
8月13日−幕府が大坂商人の運営になる堂島帳合米市場の開設を許可する。
11月−大坂町奉行が江戸積み荷物11品目について天和以来10年ごとの価格を調査・報告させる。
十組問屋、樽廻船を始める。
1月−米価下落により広島米1石の相場が銀29匁8分となる。
4月1日−幕府が米価引き上げのため20万石以上の大名に対
し江戸・大坂での米買い上げを指示する。
4月3日−幕府が畿内諸城の備蓄米調査のため勘定衆を派遣する。
6月24日−幕府が米価引き上げのため市中の富商130余名に米の買い上げを命じる。
7月10日−幕府が江戸の米商高間伝兵衛に大坂での米買い占めを指示する。
7月−幕府が大坂の薬商和久屋源左衛門に諸国の鉱山巡察を命じる。
8月13日−幕府が米価低落により諸国からの廻米を制限する。
9月13日−文耕堂・長谷川千四(せんし)作「鬼一法眼三略巻(きんいちほうげんさんりゃくのまき)」
が竹本座で初演される。
12月−幕府が米仲買株を許可する。
2月−幕府が市中の米方両替屋に株札50枚を許可する。
この年、近畿から九州にかけて雨が数十日降り続き、蝗虫大発生による飢饉,餓死者1万2,000人余に達する(享保の飢饉)。
8月30日−幕府が大坂城代に対し、西国・中国・四国の煌害地へ囲い米5万石を払い下げるよう命じる。
9月−米価が高騰し,大坂の相場で米1石が銀130−150匁となる。
10月1日−並木宗輔・小川文助・安田蛙文(あぶん)合作「忠臣金短冊(ちゅうしんこがねのたんざく)」が
豊竹座で初演され大入りとなる。
5月5日−幕府が米蔵の新造工事に窮民を用い,労賃を支給して救済をはかる。
8月−絞り油問屋が大坂のほか摂津・河内・和泉3国にも許可される。
10月5日−大坂・竹田出雲作「芦屋道満大内鑑」が竹本座で初演され,吉
田文三郎が操り3人道いを創始する。
11月−幕府が堂島の米仲買・米方両替屋に蔵米13万石の買い上げを命じる。