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●天明元年(1781)
●天明2年(1782)
●天明3年(1783)
●天明4年(1784)
●天明5年(1785)
●天明6年(1786)
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●寛政元年(1789)
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●寛政6年(1794)
●寛政8年(1796)
●寛政9年(1797)
●寛政11年(1799)
●寛政12年(1800)
●享和2年(1802)
1月−大坂北組・東堀組・上町組綿屋仲間が公認される。
6月12日−大坂市中において、地車をひいて橋上を通ることが禁止される。
8月24日−諸藩の蔵屋敷が蔵米を引当てに出す米切手の空発行により金融が混乱しているため、
幕府は補償立て替えをやめ、後藤縫之助(ぬいのすけ)米切手改め方に任命して処理させる。
8月30日−幕府が江戸・京・大坂・堺、4か所の明磐(みょうばん)会所に,
薩摩産と輸入明磐を扱う会所を増設する。
川辺郡昆陽口(こやぐち)村(伊丹市)の住民、宝くじを興行し逮捕される。
6月−全国的な天候不順で米価が急騰したため、江戸・大坂・京都など
で米・銭の施しが行われる。
8月24日−二十四組問屋347人が,株仲問を公認される。
9月20日−幕府が,鉄鉱の価格設定や販売方法を改め,また鉄座で徴収する
口銭(付加税)の基準を変える。
11月14日−幕府が,諸藩の苦情や商人の混乱などのため米切手加印制をやめ,
米切手売買高届出制などに変える。
9月−幕府が、大坂鉄座以外での売買を規制するため、相場制を導入するなど、
鉄座の専売方法を変える。
1月−武庫・川辺郡などの村々が大坂干鰯(ほしか)株会所の新設に
反対して訴願運動をおこす。
5月12日−米価高騰から町人が米屋などを打ちこわし、やがて畿内一帯へ
騒動が拡大する(天明の打ちこわし)。
12月22日−大坂と平野郷町の繰綿延売買会所が廃止される。
7月29日−幕府が,米の売り惜しみなどの罪で仲買人などを処罰する。
5月−幕府が芝居役者・遊女・湯女などの衣装その他について質素にするよう触れを出す。
9月−幕府が,年貢米の蔵納め手続きを請け負う納宿(おさめやど)を廃止する。
12月−幕府が,訴訟や公用で旅行する農民を泊める郷宿(ごうやど)の1772年以来の
株を廃止し,旅宿先規制を解いて届け出制とする。
冬−儒者中井竹山が「草茅危言」を著し,老中松平定信に献じる。
3月18日−大坂の文人の庇護者である木村兼葭堂(けんかどう)が,本業の酒造業での
酒造高超過を咎められて地所・財産を没収され、伊勢へ移る。
10月−下屎(しもごえ)汲み取り仲間が値段を引き上げ、村々が肥料高騰は耕作に
さしつかえるとして値下げの訴願運動をおこす。
4月−6月にかけて、摂津・河内両国内の村々が肥料の値下げを要求して種々の訴願運動をおこす。
7月25日−近松徳三作の「伊勢音頭恋寝刃(こいのねたば)」が,角座(かどざ)で初演される。
5月−幕府が,銅の流通統制のため仲買の介左を厳禁し,大坂に設置した長崎銅会所への
直売りを命じる。
10月27日−4月に幕府が発令した油の統制に反対して,農民が訴願運動をおこす。
11月−大坂で米価高騰により打ちこわしがおこる。
7月2日−幕府が江戸常是(じょうぜ)家を上納金延滞により処罰し、京都常是家を
江戸・京都・大坂の銀座御用とする。
この頃、初代植村文楽軒が高津新地に人形浄瑠璃の営設小屋を設ける(文楽座の始まり)。
7月1日−長雨で淀川堤防が決壊し、大坂では天満橋をはじめ5橋が落ちる。