万延文久元治リンク | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●万延元年(1860)
佐賀藩、佐賀兵に弓・槍を廃止、「総鉄砲」とし徹底的な洋式訓練を実施する。
●文久元年(1861)
3月28日-幕府が長崎の飽の浦に創設した長崎製鉄所の落成式が行われた。
5月15日-長崎でイギリス人ハンサードが最初の英字新聞を創刊する。
8月16日-幕府、オランダ海軍軍医ポンぺの意見で長崎に医学所を設立。
12月12日-養父郡対馬領上郷の農民数百人、櫨実売買の自由を要求して主法方役所を打壊す。
●文久2年(1862)
4月下旬-幕府、貿易視察使を上海に派遣。長州藩士高杉晋作、薩摩藩士五代友厚ら幕吏に随行し、長崎を出港する。
7月14日-幕府蒸気船・千歳丸、上海から帰港。
9月11日-幕府初の留学生として、榎本武揚、津田真道、西周らが、長崎からオランダへ向かう。
11月-上野彦馬が長崎に写真館を開く。
●文久3年(1863)
1月-長崎にグラバー邸が完成する。
佐賀藩、アームストロング砲の鋳造に成功。
●元治元年(1864)
2月14日-竜馬、勝海舟とともに伊万里港で下船。陸路、長崎へ向かう。→
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2月23日-坂本竜馬、勝海舟とともに長崎着。4月4日-熊本へ。→
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2月28日-長州藩士・小田村文助、玉木彦助ら4人が福済寺に滞在する勝海舟を訪れる。