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●延享元年(1744)
●延享2年(1745)
●延享3年(1746)
●延享4年(1747)
●寛延元年(1748)
●寛延2年(1749)
●寛延3年(1750)
●宝暦元年(1751)
●宝暦2年(1752)
●宝暦3年(1753)
●宝暦6年(1756)
●宝暦8年(1758)
●宝暦10年(1760)
●宝暦11年(1761)
●宝暦12年(1762)
勘定奉行神尾春央(かんおはるひで)、摂津・播磨・但馬などの国々を巡見する。
4月−摂津・河内・和泉・播磨などの農民約2万人が,年貢増徴
に反対して京都所司代、京都・大坂町奉行,さらに朝廷に訴え出る。
7月−三好松洛(しょうらく)・並木川柳・竹田小出雲の合作「夏祭
浪花鑑」が竹本座で初演され,12月には大坂3座で上演される。
この年、堂島の米商いで通信用に手旗が試みられる。
8月21日−竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作「菅原伝授手習鑑」
が竹本座で初演され,8か月間上演される。
8月28日−町人学者富永仲基(32)没。
幕府が大坂に長崎からの輸出の俵物会所を設置し俵物の捺印制が始まる。
11月16日−竹田出雲・三好松洛・合作「義経千本桜」が竹本座で初演され,大当たり。
8月14日−竹田出雲・三好松洛(しょうらく)・並木川柳の合作「仮名手本
忠臣蔵」が竹本座で初演され,11月まで続演となる。
土佐光起筆の「北野天神縁起絵巻」ができる。
1月−大坂三組千鰯問屋仲間規約ができる。
7月−幕府が大坂銅座を廃止して長崎御用銅会所を設置し,長崎直買い入れとする。
12月11日−並木宗輔の代表作のひとつ「一谷嫩軍記」が豊竹座て初演される。
夏−諸社の祭礼で「にわか」が流行する。
村々で,肥料の値段の高騰に反対する運動がおこる。
2月14日−幕府が,安治川・木津川両河口の浚渫費用として,出入
りの船舶から石銭を徴収する触れをだす。
9月16日−17日にかけての暴風雨で淀川や紀ノ川などが氾濫し,大坂・和歌山に被害がでる。
「浪華往古図」が刊行される。
6月17日−大坂の懐徳堂開校の中心人物で,儒者中井竹山・履軒(りけん)兄弟の父甃庵(しゅうあん=66)没。
1月15日−幕府が油の流通を掌握するため,油の原料となる種
物を扱う菜種問屋・綿実問屋それぞれの株数を定める。
3月3日−幕府が,野村屋五郎兵衛の出願をうけて,末精製の綿を
延べ取り引きする繰綿(くりわた)延売買会所の設置を許可する。
8月26日−幕府が前年冬から三都,とくに大坂で貨幣改鋳のうわさが世上を惑わしているとして,
改鋳をしないと触れをだし,流言をなす者を訴え出るよう命じる。
12月16日−幕府が,米価引き上げのための買米資金として,大坂の富商へ初の御用金を課す。
12月30日−幕府は,大坂の両替崖が印金(いんきん)と名づけて延(のべ)売買をし,
また諸大名の蔵屋敷が所蔵米より過分の数値を書いた米切手
を振り出しているため,これらを禁止する。
4月−幕府が大坂金蔵から江戸金蔵への送金方法を変え,為替
をやめて銀貨を現金で運ばせる。
9月10日−竹本座で近松半二の「奥州安達原(あだちがはら)」が初演される。
10月−幕府は,大坂町奉行の許可をえたうえで町人が買った米を売買することを認める。