2013年後半

結局、新しく本を探す時間もないままこの夏も終わっても仕方がないかなあと思っていたけれど、読まないままで本棚に置いていた本が数冊あることを思い出して読んでみることに。どれも、いわゆる青少年向けの本。一昨年の春に青少年向けの本で本当に素晴らしい本に出合って、自分の大好きな本の一冊になってから、同じことがおこるかもと期待して、著名な賞を取った児童書ばかりを買っていたものです。残念ながら、そこまでの感情はこれらには起きなかったけれど、4冊ともそれぞれにみなよい本で、読んでよかった。やはりよい本は世代を超えていい本なのですよね。。


平成25年8月4日
Inside Out & Back Again(Thanhha Lai)☀☀


 ベトナム戦争末期のサイゴンに住む10歳の少女、Ha は、サイゴン陥落時に、母親と3人の兄と一緒に国外脱出する。軍人の父親には連絡が取れないまま、家族は行先としてアメリカを選択。父親との再会を祈りながら、アラバマで新生活を始める。サイゴンの日常、ボートでの脱出、アラバマの生活-そうした日々が、詩の文体で記され、Haの心情は、直接の言葉以上に、彼女の見る光景、人々の言葉、行動に静かに反映される。母国を立ち去り異国に生きることは誰にとっても大変なことで、ボート上の体験やWhat if のような箇所に度々胸を突かれる。それでも、Early Christmasのように多くの箇所が現実の苦さの中にユーモアを併せ持っている。生きていくということはそうなのだろう。アメリカの大学で知り合ったホーンを思い出した。湖に面した寮のベンチに腰掛けて座っていた時、ボートで脱出したというホーンの体験を聞かせてもらったことがある。サイゴン陥落後、自分の家の台所だった部屋に家族全員が住むようになったこと、軍人だった父親がこれ以上ここに居ては自分は危ないと家族に告げた日、彼女と一緒に国を出ることができず再会を誓い合った恋人、英語を必死で学んで遅れて入った大学、そして噂で聞いた母国での恋人の結婚―全てが私の経験はもとより想像力をはるかに超える物語で、適切な共感の言葉を探しあぐねて、同じ言葉を何度も繰り返して言った。あの時の私の限界をホーンは気づいていたのだろうか。きっとそう。それでも彼女は私に2時間も話してくれたのだ。長い月日がたった。今の私が発することができる言葉は、あの時より成熟したものになっているのだろうか。そうであってほしい。

“An enlightening, poignat, and unexpectedly funny novel in verse.”(Kirkus Reviews)


平成25年8月5日
Moon Over Manifest (ClareVanderpool)☀☀☀


 1936年の夏、12歳の少女Abileneは、鉄道工事員として働きながら転々として暮らす父親Gideonの希望で、一人で若い時父親が暮らしたことがあるカンザス州の田舎町マニフェストにやってくる。そして父親の知り合い、臨時牧師のShadyの家に滞在する。その家の床下から見つけた手紙の謎を突き止めようとしたAbileneは、次第に町の人々を知り、20年前に何がそこで起きたのかを知っていく。なぜAbileneは一人でその夏マニフェストに送られたのか。手紙の差出人と父親、そして町の人々との関係はどのようなものだったのか。一体何が起きたのか。そうした謎が、そもそもなぜ父親はその町に留まることなく転々と場を変えて暮らす人生を選んだのか―ひと夏の終わりに、すべての謎が明らかになる。ミステリーとしてなかなか面白い。どうなるのかしらと気になって、速読状態で読んでしまった。児童書のミステリー物は、謎の解決が自然に主人公の成長とつながっていくパターンですよね。これもまたそう。過去の悲しく残念な出来事をもってしても、読後感はだから爽やか。メルヴィルの『白鯨』の言葉、うまく使われています―“It’s not down in any map; true places never are.”(p.337) これも気に入ったー“All I’m saying is drastic times call for drastic measures.”(p.192)

“This thoroughly enjoyable, unique page-turner is a definite winner.”(School Library Journal)

平成25年8月6日
Winne-Dixie ( Kate Dicamillo)☀☀☀


 牧師の父親とフロリダの町に引っ越してきたばかりの10歳の少女Opalの夏。母親は3歳の時家を出ていったきりで、彼女には思い出すら存在しない。新しい場所で友達もまだいない彼女は、今まで以上に母親のことを考えてしまう。そんなある日、マーケットで出会ったみすぼらしい大きな犬をWinn-Dixieと名付けて家に連れて帰る。そのWinn-Dixieが、彼女とまわりの人々を強く繋げていく機会を与えていくことになる。父親との繋がりもまた例外ではない。この微笑んでみせる不思議な魅力あふれる犬の存在そのものがファンタジーぽいのだけれど、同時にこんな犬本当にいるよねと思わせてもくれる。家族を置いて出ていってしまった母親も含めて、人間はみな等しく愛おしい存在なのだと思わせてくれる。物語中にいくつも素敵な言葉が出てきた。“Other people’s tragedies should not be the subject of idle conversation.”(p.124) “You can only love what you’ve got while you’ve got.”(p.a167) “I believe, sometimes, that the whole world has an aching heart.” (p.134) 自分もまた生きている以上、Littmus Lozengeを舐めた時のような感情を免れることは出来ない。それが生きるということ。昔飼っていた犬も雷を怖がって庭でクルクル回り、揚句の果てに哀れっぽく泣いてリビングルームの網戸にすがり付くので、雷の時には玄関の中に入れていたことを思い出した。そんな彼をとてもかわいがっていた母親も。でっかい犬が飼いたくなった!!

“A well-crafted tale of sweetness, sorrow, and hope. And it’s funny, too. A real gem.” (Kirkus Reviews)


平成25年8月7日
The Higher Power of Lucky (Susan Patron)☀☀


 カルフォルニア州の砂漠地帯の小さな町ハードバンに住む10歳の少女Luckyの語る彼女の深刻な問題と不安――母親の死後、姿なき父親は相変わらず現れることなく、彼女の世話を最初の妻であるフランス人のBridgetに依頼、そして、そのBridgetはどうもフランスを恋しがって戻りたがっている、そうなると自分は、友達や愛犬とも別れて孤児院に入ることになる―である。彼女の語るその問題と彼女の取ろうとする対策が物語の中心である。
それまで続けて読んだ児童図書3冊は、児童書ということをさほど意識もせず引き込まれて読んでいたのに、この本は入り込めないな、終わりも予想がつくし、もう止めようかなと思っていたら、後半面白くなったという感じ。最後に表紙の絵が理解できるというのもいい。彼女の服も、掲げていたものも、表情も、なぜそうなのか。家族に恵まれない、好奇心の強い、生き生きとした女の子、そしてエンディング。『マチルダ』の米国、そして現代版という感じかも。Milesが居なくなった母親についてコメントする箇所(p.124)、ハッとします。子どもも子どもなりに不安を抱えているのですよね。

“Parton is a master of light but sure characterization and closely observed detail. A small gem.” (Kirkus Review)

私にもLuckyのようにHigh Powerがあるならば、使いたい。でも現実では、全く無力。
生きている方が幸せだとどんな場合でも言い切れるのだろうか。老いることも、弱っていくことも、誰にも避けることが出来ないことで、生の尊厳はどんな状況になっても優ることだと信じてきたし、そうだろうとは今でも思うのです。それでも、ここまで生きることに喜びを持っていない者の長い生を願うことには、躊躇いを覚えることもあります。起きてまた朝を迎えること自体を喜びと思っていない者には、食べることも、座っていることも、まして、失っていく機能を目の前で次々に言われることもただつらいのかも。そして、全く反応を示さない虚ろな目を見る度に、助けられない無力な自分に罪悪感を感じます。

4冊読んだら、急に新たな物語を、それも大人向けのを読みたくなって、パソコンをチェックし始めました。レビューが高い物語を探して4冊注文。翌日配達を頼んで、期待しながら眠りにつきました。物語は生きることを助けてくれる。


平成25年8月8日
The Silver Linings Playbook (Matthew Quick)☀☀


 語り手は34歳の男性Pat。母親が精神病院に入院している彼を故郷の自宅に連れ帰るところから物語は始まる。なぜ彼は病を持っているのか、彼の愛する妻Nikkiとなぜ別れているのかという謎は、彼の語りだけでは読者には完全にわからない。両親の家で、Nikkiに再会する日のためにだけに、体を鍛え、文学作品を読んで過ごす彼に、心を砕く母親、無視を続ける父親、理解を示す精神科医、気を使って自然な態度で接しようとしている弟や親友とのやり取りの中で、想像をつけてみたり、謎がまた増えたり。そんな中、親友の家の夕食に呼ばれて会った妻の妹Tiffanyも、夫を事故で失った後何らかの心の問題を抱えているらしい。そのTiffanyがPatに興味を示し、奇妙な形で近づいてくる。一体彼女はどんな問題を抱えているの?といった謎も加わる。なかなか面白くて一気に読んだ。ただ、最後の手紙のやり取りはどうなのかなあ。前半のリズムが突然失われた感じがして、ちょっと残念かも。主演女優賞をはじめ話題になった映画の原作でしかも心温まるお話らしくて選んだけれど、後半は最後も含めて悪い意味で映画的過ぎるかも。もっと淡々と人間関係の発展する中で、前半と同じように「奇妙な行動」を続けあう中で、二人が過去と向き合って、お互いを必要としていくという方が物語にずっと共感できたかも。でも、面白いストーリーであることは変わりない。ただただ苦しんでいる彼に悪いのだけれど、彼のこだわり、米文学の作品へのコメント、彼の病気を気遣って隠そうとするがゆえに母親や友達の言うこと・すること・慌てぶり、Tiffanyとの最初の夕食デート、奇妙なジョギングデート?精神科医との会話(すごく人間的な医師!!)、人間って正常と異常が紙一重のような奇妙な生き物だと思わせる父親――くすっと笑う箇所も多いです。映画はどうなっているのか見てみたくなりました。

“Utterly original and a real word-of-mouth classic” (Easy Living)


平成25年8月9日
The Lock Artist (Steve Hamilton)☁


刑務所にいる若者Mikeの回想で物語は始まり、1999年、1990年、彼が9歳からの二つの時間軸を中心にすすんでいく。8歳の時の事件以来、Mikeは言葉を発することが出来ない。解錠の特別な才能を持っていることで、犯罪の中に巻き込まれていく。2011年のエドガー賞受賞作品で、購入する時も、レビューがよいのを確認したから、期待はすごかったけれど、あれ~、あれ~、なんか全然物語に引き込まれないまま、最後まで一応は読んではみたという感じ。時間軸の交差、過去のトラウマの謎、物言えぬ孤独なヒーロー、絵の才能、解錠の天才的才能、美しい少女との恋、犯罪、一杯一杯盛り込んであるとは思うのだけれど、なんだろう、文のせいでしょうか、語りがなんかわざとらしいというか。下手というか。すべて物語は作為的な要素があるのだろうけれど、これは最後の最後まで物語の中に入り込めない程度だった。ダイヤル式の金庫やポケベルを使うために、作家はわざわざ1990年代に設定したのであろうが、ほかの要素もすべて、「あ、だから作家はこうしているのよね」的に思えるようでは、楽しめませんよね。物語の中に少なくとも自然に入り込んで、ヒーローと生きてしまうような、これより少なくともおもしろいミステリーを今まで一杯読んだ気がします。これがエドガー賞受賞作品になるのか―正直こちらの方にかなり驚いた。ちなみに、ヒーローの過去、孤独、天才的な才能、犯罪という連想から、The Girl with the Dragon Tattooを一瞬連想してしまった。アイディアを借りたのかもね。ただ、The Girlの方は本当に面白くて面白くて、読んだ時の満足感もすごかったし、続編を読むのが待ちきれなかったのにね。残念。(あれ、これずいぶん前のハヤリ言葉では?まさにこういう時使うのよね。)

書評はよいのですけれどね。私にはどれも同意できず。
“Hypnotic… A proven master moves in a brand new direction-and the result is can’t-put-it-down spectacular.”(Lee Child)


平成25年8月10日
The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry (Rachel Joyce)☂


 英国南東の町に住む退職した65歳のHaroldのもとに、20年会ってもいない、かつて同僚だったQuinnieから手紙が届く。末期ガンの彼女が最期を覚悟して書いたお別れの手紙である。返事をポストに入れるため家を出たHaroldは、思いがけない衝動に突然取りつかれて、彼女の入院しているホスピスのある英国北部の町までそのまま歩いて向かうことにする。何の用意もなく歩き始めた彼の長い旅の途中には、きっと心打つような出来事がいくつもおこるのだろう、上手くいっていないのが明らかな妻や息子との関係にも何か良い変化があるのだろう、とは思うのだけれど、70頁で本を置いた。心温まる話のはず、レビューもよいし、書評もよいのだから、最後まで読んだら自分も好きになるかも、もう少し頑張ろう、なとどと自分に言い聞かせて読み続けることは時々あるのだけれど、それを、ほとんど物語の始まりからし続けるのはもう無理だった。最初から下手な小説を読まされている感じで、それ以上読むのは私には辛すぎた。

“At times almost unbearably moving”(Sunday Times)
ふむ、ふむ、ふむ。でも私には無理。

平成25年8月23日
The Fault in Our Stars (John Green)☀☀


 物語の 語り手は肺癌を患って酸素タンクを離せないままホームスクールで勉強する16歳の少女Hazel。気が進まないまま親に勧められて参加した小児ガン患者のサポートグループの会合で、一目で心を惹かれるハンサムな少年Augustusに会う。バスケットボールの選手だった彼は骨肉腫で片足を失っている。ガンを患っているという点では共通であるが、彼の場合は、手術後このままガンから解放される可能性は80パーセント、一方、彼女はこの状況を続けていけることにだけ生の可能性があるのみで回復の見込みも少ない。そのことに戸惑いはありながらも、素直に好意を示し積極的に近付いてくるAugutusにHazelも心を開いて、日常生活でガンと死について考えていることを除けば、普通のティーンエイジャーのように恋をはじめる。お互いの愛読書を紹介して読みあい、急速に親しくなる中で、彼女の愛読書の作者にオランダまで会いに行くことも。
ガンを患う二人のティーンエイジャーの恋。お涙頂戴の決まりきったような展開になったら嫌だなあと用心しながら、しかも、二人の会話がティーンエイジャーにしては賢すぎない?なんて批判的に読んでいたのに、アムステルダムへの旅の途中からそんなことを思うことはなくなって、気がついたら本を読み終えていた。生の価値は長さでは測れない。全ての生が同じように貴いのだから。でもそれでも愛する者とともに長くあることは幸せだから、そうあれと祈る。だからこそ死の影に脅かされながらも、互いをやさしく思いやり尊重する誠実な二人のやり取りは心を打った。人間の賢さだけは生の長さでは測れませんものね。241頁のHazelの言葉―涙があふれました。作為的すぎない、考えが大人っぽすぎないなんて二人の会話を最初に斜めから見ていた自分が恥ずかしい。私にはこの二人の何百分の一さえの賢さもない気がします。“she was loved deeply but not widely. But it’s not sad….It’s triumphant. “(p.312) 愛する人の死と向き合い、愛する人の心を守り、自分の生もまた最後まで生き抜くー私も賢い人間として生きたいとは思うのに。

“A novel of life and death and the people caught in between, The Fault in Our Stars is John Gr3een at his best. You laugh, you cry, and then you come back for more.” (Mrkus Zusak, author of The Book Thief)
↑The Book Thief(これはすごい小説でした。心がわし掴みにされて泣きました。)の著者が言うのですから、確かでしょう!

続けて、賞を取った児童文学、話題になった小説を読んで、あらためて思うこと。
作家は、どんな小説でも、虚構を書く以上、作為性を免れることはできない。
だけど、その作為性を、小説を読む間は読者に考えさせないのが作家の力である。
読者は、語られる物語の中に入ってしまって、読み終わって、我に返る。
その後、初めて作家の力そのものに気付く。
そんな小説に会えて、その上で、時には、自分の経験を超え、同時に自分の経験に戻る、そんな
ブーメランのような心を揺さぶられるような共感が湧き上がってくるといいなーそう思うから、
やっぱり本を読み続けてしまうのでしょう。


平成25年9月13日~9月26日
This is How You Lose Her (Junot Diaz)☁


 オムニバス形式の9つの短編が、様々な場所を舞台にしながら、なぜ一つの恋をまっとうすることも出来ないまま、人は人生を生きていくことになるのかを物語る。ドミニカ人のYuniorがすべての物語に出てくる中心人物。切ない気持ちになりそうになって、でも、その前でぱっと止まるのは、なぜだったのかなあ。
学生引率で滞在中のキャンパスのブックストアーに、ベストセラーのセクションがあり、これを一冊購入。学生達と過ごしているビルの椅子に座って、時間がある時に、少しずつ細切れに読んだからか。Yuniorが、Junot Diazのあの素晴らしい小説The Brief Wondrous Life of Oscar Waoの語り手でもあったというのは忘れていた。あの小説を読んだために期待が大きすぎたのか、それとも、元々こうした短編が重なりあう小説には感情移入しにくいのか、それとも細切れの時間を使っての読書のためだったのか、ともかく上手な文だ、展開だなあとは思っても、自分の感情が動いたのは一度だけ。
絶賛する書評ばかり。あれだけの作品を書いた人のだから、もう一度、いつか、静かに、途切れることなく読んでみようとは思うのだけど。

“Impresseive...Comic in its mopiness, charming in its madness, and irresistible in its heartfelt yearning.” (The Washington Post)

平成25年11月
Bridget Jones: Mad About the Boy (Helen Fielding)☀☀


ブリジット・ジョーンズの三作目。長い月日を経て発売というニュースをタイム誌のFielding特集記事で読んで、すぐ購入。かつて文化現象となった「ブリジット現象」を生み、多くの女性の共感を生んだ30代独身のBridgetは、今50代に入り、夫Markを事故で失い、2児のシングルマザーという、多くのファンには思いがけないストーリー展開での再会に。Bridgetは恋愛戦線に復帰。30代では受け入れられたけれど、50代になって、同じような葛藤を繰り返すBridgetではという声もあると読んでから、読み始めた私の感想は――それでいいでしょう。人間ってそんなに賢く成長しなければならないもの?Bridgetが、30代の時と同じように、ウッカリ、勘違い、小さな葛藤続き、ただ、同じように、本質的に明るくて、能天気に近いような気楽で、と、全てがそのままであることが、私には決して嫌ではなかったです。自分だって、若い時から「成長した」なんて思えないものね。Markファンの多くの女性と同じように、彼の喪失は残念だけれど、Bridgetがまた幸せになるのに右往左往しながら頑張るのには、素直にエールを送って読みました。
 もし一つケチをつけるなら、結局、Markのような大人の男性に再び出会う図式でしか、ファンの女性の読者を満足させるようなエンディングが出来ないとFieldingが考えているのであれば、そして、この話を読む限り、そうだと思うのだけれど、それはどうなのかなあと。私は、最後に、一人のままで終わるBridgetを置いてくれても、大丈夫だったけれどな。Bridgetは、また頑張るのだろうなと思い、むしろ納得して本を置くことが出来ただろうから。そうする勇気がFieldingにあったら、嬉しかったなって。成長しなかったのは、Bridgetが一人のままで終わるエンディングを、かつてBridgetに共感した女性達が楽しめると考えられなかった作者、または作者にそう信じさせることに失敗している女性達、そのどちらか、または両方―そんな気がします。


平成25年12月22日
Me Before you (Jojo Moyes)☂


 3頁でストップ。そこで、本にある書評を読んで、うん、読んでみれば、面白いのかも、と自分を説得しようとしたけれど、どうしても我慢できないと止めることに。こんな感じの文章を読むのは苦痛ですね。なんか、臭い演技だらけの芝居みたいで、とても無理。

“Tremendous. I loved it.” ( Daily Mail)
う~ん。私の判断が違うのか。また書いていて揺れてきました。またいつか、読んでみよっと。


平成25年12月22日 
The Sense of an Ending (Julian Barnes)☀☀☀


 2011年マンブッカー賞受賞作品。60代、すでに仕事を引退して、今は静かな生活を送るTonyは、40年以上も前の若い日の恋人Veronicaの母親が残した遺言によって、500ポンドと日記を託される。その日記は、自分と別れたVeronicaと後で付き合い、その後、自殺をした友人Adrianのものであった。なぜ Veronicaの母親が、自分に残したのか。そもそも、なぜ40年以上前に自殺をしたAdrianの日記を彼女が持っていたのか。Tonyがそれを突き詰めていく過程で、高校時代のAdrianとの出会い、大学時代のVeronicaとの恋と別れ、一回きりのVeronicaの母親との出会い、Adrianへあてた手紙、自分の結婚、離婚、と過去の回想へと戻っていくことになる。過去の出来事を思い出す度、彼の記憶は一部が鮮明となり、また同時に曖昧さを持ち始め、自分の気持ちも揺れる。Veronicaに対する彼の理解も、結局は確かないものではなかった。“You still do not get it. You never did, and you never will. “(p.144) でもそれは読者も一緒。最後はまさに「あっ」ですから。別れた妻からの、”You are on your own.”も、Veronicaからの“You do not get it.”も、納得するような、自らの気持ちも、自分が愛した、愛された女性の気持ちもよく理解しきれない情けないTonyだけれど、結局、彼はまさに普通の人間なのでしょう。だからこそ、この小説は、最後に彼と同じく、私も「あっ」なのでしょう。


平成25年12月27日
The Serialist(David Gordon)☀☀


 実名では一作も小説を発表する力もなく、ポルノモノ、吸血鬼モノと、SFモノ、と、全て偽名、時には売るために女性作家の振りをしながら、どうにか続き物の小説執筆で生計を立てている二流作家のHarryが、連続猟奇殺人による死刑囚のClayから、突然手紙を受け取る。自分のした犯罪を本にする機会をHenryに与える代わりに、獄中の彼に手紙を送ってきた女性達に、代わりに会いに行って、それを基に物語を作って自分に渡して欲しいという、奇妙な取引を持ち掛けられる。そこから始まる、手紙を書いた女性達、Clayの過去のおぞましい犯罪に関係する女性、Harryの小説の読者でもある女性、前妻、バイトで教えた少女Claire、と、女性達が沢山登場して、賑やかに展開。過去の犯罪は、意外な展開をして(当たり前。ミステリー小説だもの。)、Harry自身の生活にも大きな影響を与えてくる。えっこれ何と思うぐらい犯罪の描写は凄惨なところもあり、ポルノ的な箇所も十分以上に書かれているしで、途中、まさか、この小説自体が「三文小説」、と何回も思ったりさせて、でも、最後まで読んで、思ったのは、これって、作者がわざとそうしたのよね、ということ。わざとでしょ。最後の最後、全ては、小説を稼業とするHenryの「・・・」ということ??だから、時には、彼自身の小説の文章も挿入され、小説論、ミステリー論も入れ込まれ、Harryの作家としての劣等感や自負心や、同時に自覚も書き込まれているのよね、だから、終わりはそうなるのよね、とそれなりに納得はさせられたかも。”I prefer the beginning to the end. I love the mystery and am vaguely let down by the solution.”(p.333) Henryも言っているとおり。そうだとしたら、それはそれで上手いのかもしれない。ミステリーの謎解きも、物語の展開も、今いちと感じるのに、最後まで一気に読んでしまったから。

‘”The Serialist is a book about many thing but above all it’s about storytelling-why and how we tell stories to say not only sane but also alive.”(David Evershoff)


平成25年12月30日~31日
Before I go to Sleep (S.J Watson)☀☀


 毎朝目覚めると、昨日までの記憶は全て失っている女性Christineの語りで始まる。彼女は、毎朝、自分がすでに20代でなく、40代の後半に入った中年の女性であり、ベッドに一緒に横たわる男性は、自分の長年連れ添った夫Benであることを知って、驚愕しなくてはいけない。Benが辛抱強く、記憶を失い、新しい記憶も維持できないことを教えてくれる――毎日同じような質問をして一日、一日を生きるはすだった。そんな中、連絡を取ってきた医師との会話、自分に起きることを記し始めたジャーナル、フラッシュバックのように戻ってくる記憶の断片が繋がってきて、Christineは、次第に、自分の過去に何が一体起こったのかを少しずつ理解し始める。読み始めたら、最後まで読むのは確かでしょう。サイコスリラーなのだから、最後の最後に、どうせなら、もう一回、えーと読者を驚かせる展開があってもと思う一方で、主人公の恐ろしい記憶との闘いの後だから、これでいいよねとも思える、というところか。結末は、私が途中で想像し始めたのとは、半分違っていた。「うーん、怪しい」とは早くから思っていただけれど、でも、まさか、・・・となるとは思わなかったわけで、作者が上手いということでしょう。

“Stunningly executed, completely gripping, slowly terrifin.” (Daily Mirro)

30日の夜読み始めて、朝、すぐに続きを読んで、昼御飯を作って、大晦日の年越しそばとお正月の雑煮の下準備をして、また午後読んで終わり。気になるから、これは読み切るしかないでしょう。ただ、年の終わりは、心温まるような話を読んで終わりたいので、もう一冊読み始めて、今年の終わりとしたいと取ってある本で、31日の夜はスタートします。