札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。札幌で子どもの不登校やひきこもりのカウンセリング機関をお探しの方は、こちらをご覧ください。
さて、1990年代のことであったと思います。学校に行かない、行けない子供たちが急増してますます社会問題となり、登校拒否から不登校へと呼び名が変わりつつあったような気がします。2010年になって世の中はどうなったのかといえば、不登校はほとんど減少の兆しを見せず、以前の不登校者が成人してニート化したりで、ひきこもる人たちが増大するばかりのように思います。
子供から大人まで、ひきこもりの内実を見ると、とても多様であると思います。精神病的な疾患や発達障害など、何らかの精神医学的な疾患や障害に起因するケースもあるに違いありません。また、精神疾患とは違うけれども、人づきあいが苦手であったり、あまりにも内気であったり、スキゾイドないしシゾイド・タイプの人たちもいるはずです。
ドストエフスキーの「地下室の手記」には、予期せぬ財産を手に入れてから社会的にひきこもった人間のモノローグが収められています。ひきこもりは何も考えずに漫然と日々を送っているのだ、と考えるのは間違いのようです。とにかく、ひきこもりとは言っても、頭の中は尋常ではないほど忙しいのです。
彼らに対する援助として、アウト・リーチ型のカウンセリングが目立つようになってきました。引きこもっている人は相談室に訪れることができないので、カウンセラーの方から自宅に赴く援助の仕方です。医師の往診とよく似ていると思います。ひきこもりの場合、大変なのは本人だけではありません。その家族も、精神的に追いやられてしまうことが多いわけで、外部から風が吹きこまれるだけで随分と気が楽になる場合もあるでしょう。
こもることは、何かを生み出すための準備段階として必要な期間でもあります。たとえば作家は、原稿の締め切りと戦いながら、ひきこもって作品を仕上げます。けれども、いわゆるひきこもりは、何のためにという目的がよく見えてきません。淀んだような時間が、延々と続くかのように思われるのです。本人の焦りも(周囲には見えません)、家族の焦りも、高まって行くばかりです。
ひきこもりに対するカウンセリングの効果は、不登校の子供が学校に行けるようになったとか、外に出ることのできなかった人がコンビニに買い物に出かけるようになったとか、とかく目に見える行動レベルで判断されがちです。外に出るのがOKで、外に出ないのがNGなわけです。けれども、そのような価値観では見えてこないことを見据えるのも、ひきこもりでは重要になってくるのかもしれません。
この領域は、本人はもちろん、家族への援助も大切であると思います。たとえば、我が子の不登校の現実が、親にとってのスティグマともなり得るからです。地域、子供の学区のなかで、他の家庭の子供は通学しているのに、我が家だけ異質であると意識することは、それだけで大変な重荷になってしまうのです。いまは、学校にスクールカウンセラーが配置されるようになり、援助の幅もかなり広がりつつあります。困ったときには、どうぞ手助けを求めてください。以上、札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。
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