札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。このページは、相談者とカウンセラーの相性について触れたいと思います。
これは学生によくする作り話です。ある方のカウンセリング最中に、その人がいつの間にか居眠りしてしまったことがあります。とても疲れていたのでしょう。私の目の前ですやすやと、気持ち良さそうに寝て居ます。私は終了の時間が来るまで、その人に声をかけませんでした。目覚めてからその人が言ったのは、「田澤さんといると、とても落ち着くわ」と言う、ちょっとくすぐられるような一言でした。その言葉には、お前と一緒にいると何だか退屈で眠くなるんだ、といったニュアンスは微塵もありませんでした。
このような「気がねなく」いることが可能となる間柄とは、あるいは、相性とは、一体何なのでしょうか。
通常の対人関係であれば、何らかの利害関係の網の目のなかに組み込まれます。たとえば、職場での関係がそれです。上司とか、部下とか、同僚とか、そのような役割を離れては社会関係が成り立たないのです。おそらく上司に対しては、表立って相性がどうとか、肌が合わないと口にすることは咎められるはずです。
カウンセラーとクライエントのあいだには、このような意味での利害関係はありません。そのため、相手との相性が前面に浮かび上がってくることになります。かりに複数の相談機関を利用した経験があるとすれば、何だか話しにくいカウンセラー、一緒にいると落ち着くカウンセラーなど、クライエントにしてみればさまざまな印象を与えられるはずです。
カウンセリングにおける理想的な相性について述べるのは、とても難しいことであると思います。一般論とは言えない、私個人の意見はこうです。私は、理想的な相性とは、親密で無遠慮なスタイルを実現するような間柄になることができる、そうした人間同士の組み合わせであると思います。キーワードは、「親密」と「無遠慮」です。少し説明が必要かもしれません。
まず「親密」についてです。相手の痛みに共感を示す温かい雰囲気、互いに信頼し合うことのできる空気、親密であると言うことは、二人のあいだにまさにそのような何かが流れていることです。これが基本です。しかし、それだけではありません。そこには「無遠慮」であることを許容するような雰囲気も必要です。たとえば親友同士の関係を思い浮かべてください。二人はとても仲良しですが、慣れ合いの関係とは言えません。ときには、相手のことを思えばこそ、その人にとって痛いところにも触れてくるでしょう。この「無遠慮」は「親密」なくしては成り立たず、だからこそ、そのような二人は親友と呼べるのではないでしょうか。
このような間柄になれるのも、なれないのも、相性が重要な前提になるような気がします。相性は肌で感じ取られるものです。たとえば、何だか相手の雰囲気に嫌な感じがして、どうも苦手と言うのがそれです。なんとなくのレベルで行われる、感覚的・感情的な判断なのです。いずれにせよ、相性は一方的なものではありません。互いにとってのものなのです。
よい相性の条件としてよく言われるのは、互いに似すぎてはいないこと、反対に互いに異質であり過ぎないことです。似すぎると、互いに相手のなかに自分の嫌な側面(似姿)ばかり見えて不快になりやすいですし、自分からかけ離れすぎると、相手のことをまったく共感的に理解できないと言うことが起こってくるのです。そこそこに似ており、そこそこに違う、どうやらそれがよき相性を生む条件のようです(もちろん、これに合致しない人たちもたくさんいるはずです)。
カウンセラーとの相性を超えた、人間同士の相性の話になりました。相性を判断するひとつの目安にできるのは、相手の声を聞くことです。人間の話し方のテンポやトーンは、人それぞれです。何だかキンキンして耳につく声、ザラザラした声、暖かい声、ついていけないほどの早い話し方、イライラするほど遅い話し方などです。「のっぽろカウンセリング研究室」の利用をお考えの方は、留守番電話に私の声が入っているので、ぜひ聞いてください。その声があなたにとって不快なものでなければ、相性が最悪と言うことにはならないはずです。
もしもこのような方がいれば、その人は今一度考えてみてください。カウンセラーとの相性がどうも悪いと言いながら、何十軒も相談機関を変えたことのある方です。いわゆるドクター・ショッピングの問題です。それは本当に相性の問題なのであろうかと、立ち止まって考えることも必要かもしれません。
最後にひとつ。カウンセラーとクライエントのあいだには一般的な社会関係のような利害関係が無いと書きましたが、まったく無いことにはなりません。世界的な心理臨床家のアーヴィン・ヤーロムがどこかで言っていました。つまり、料金の支払いと受け取りが二人のあいだにあって、それが(本当の意味で)互いに親密になることを妨げるのだと。どんなに親密になったとしても、カウンセラーとクライエントは親友になることができないのです。ここに限界があると、正直に申し上げます。以上、札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。
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