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精神医学と性的偏見


 このページは少し難しいかもしれません。以前、ある雑誌に掲載した「マーシー・カプラン『女性の立場から見たDSM-V』の検討−DSM対フェミニズム論争の原点」という論文の一部を抜粋しました。私にとって、いわゆるヒステリー性格(演技性人格障害)など、精神医学の診断基準には男性目線の性的偏見が紛れ込んでいることを教えてくれた論文があります。それに触発されて書いたものです。

 かなり以前に脱稿した古い論文ですから、書きなおしたいところがたくさんあります。まちがっているところもあるかもしれません。けれども、精神医学の目に見えない前提について考えるとき参考になると思い、そのままにしてあります。精神科医の中井久夫先生の著書を読むと、精神医学の診断は「自分はこの病気にはならないだろう」という視点から書かれていることがよく分かります。同じように、カプランの論文を読むと、目に見えない男性優位の視点から精神疾患概念が作られていることを、思い知らされます。

 少し長いですが、これを読んでいただいて、いろいろなことを考えていただければ幸いです。







T.はじめに

 忘れ去られようとしている一連の論文がある。すなわち、マーシー・カプラン著『女性の立場から見たDSM-V』、ジャネット B.M.ウィリアムズ、ロバート L.スピッツアー著『DSM-Vにおける性的偏見の問題−マーシー・カプランによる「女性の立場から見たDSM-V」への批判』、フレデリック・カシュ、ロバート L.スピッツアー、ジャネット B.M.ウィリアムズ著『DSM-V第U軸人格障害における性的偏見の問題に関する実証的研究』、そしてマーシー・カプラン著『DSM-Vにおける性的偏見の問題−スピッツアー、ウィリアムズ、カシュへのコメント』である。
 この一連の論文は、1983年のアメリカン・サイコロジスト誌上に一挙掲載された論争である。それは、権威あるDSMの作成者に対して、一介のフェミニスト心理学者が挑んだもので、あまたあるDSM論争のなかでも、いまだ珠玉のような光を放っている。本論で私が試みるのは、この論争の解説である。内容は、論争の時代的背景についての要約、カプランが言いたかったことの要約、現在のDSM-Wについての言及、そして、ジェンダーに関連する事例の呈示である (注1)。



U.論争の背景を読む

 いまや世界制覇を成し遂げたかのような感のあるDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)であるが、それが今日のように絶大な影響力を獲得するためには、アドルフ・マイヤー流の「人格の反応」なる考え方を骨組としたDSM-Uが一新されて、客観的操作主義を重んじるDSM-Vが登場する必要があった。スピッツアーを中心として周到に準備されたDSM-Vは、1980年にその全貌を明らかにしたが、その頃、米国ではかつて隆盛を極めた精神分析学や力動精神医学は、衰退の一途をたどっていた。
 一方、このような学際的な精神医療の世界(利用者である庶民の身近にありながら、その反面疎遠であるような世界)ではなく、1970〜1980年代の草の根レベルの米国においては、フェミニズム運動、コンシャスネス・レイジング運動、レズビアン解放運動などが、活発に行なわれるようになっていった。その根底には、男性優位の性差別が蔓延する社会に対する異議申し立て、女性や子供に対する男性の家庭内暴力および性的虐待の告発などがあったのであろう。
 また、患者と呼ばれる人たちが専門家に治療を求めることを拒否し、自助グループの組織化を積極的に推進していった事実も見逃すことはできない。その背景にA.A.(アルコホリック・アノニマス)の伝統が根付いているからこそなのであろうが、その中には、例えばPTSDの諸症状に苦しむベトナムの退役軍人たち(男性である!)のラップ・グループなども存在している。そして、このような自助グループ活動のうねりの中から「アダルト・チルドレン」「共依存」などの非精神医学的(庶民的)な言葉が生まれたり、かつて患者と呼ばれていた人たちの中からソーシャル・ワーカーやカウンセラーなどの専門家が輩出したりしたのには、大きな意味があるように思われる。
 私には米国の歴史を自在に語るほどの知識はないが、こうした様々な流れが収斂し、一瞬火花を散らしたのが、本論で取り上げる論争である。トラウマ、多重人格(解離性同一性障害)、児童虐待、セクハラ、ストーカー、PTSD、フェミニスト・セラピーなどの言葉が一般の人たちにも浸透してきた今日、われわれは、20年ほど前に米国で起こったこの論争を、やっと正面から取り上げることができる地点にまで到達した。DSMについて論じた著書や論文は、今となっては星の数ほどあるのかもしれないが、今一度、DSMに対するフェミニズム運動の原点であるこの論争について、熟読玩味する意義は大きいであろう。
 ところで、トラウマ臨床で活動する治療者にとっての必読書として、ジュディス・ハーマン(1992)の『心的外傷と回復』をあげることができる。ハーマンは女性たちの声にならない声を聞き取り、それをこの一書にまとめたのであるが、彼女が撃っているのは、ヒステリー、境界例(境界性人格障害)、女性に対するレイプなど、外傷体験全般であり、精神科医として新たな診断名(複雑性PTSD)を提起していることに特徴がある。
 それに対してカプランは、フェミニズムの視点から叙述していることがハーマンと共通しているが、彼女が取り上げて撃っているのは、主としてU軸の人格障害それも演技性人格障害と依存性人格障害のふたつだけである。これらの診断基準は、大きな修正もなく現在のDSM-Wに受け継がれているのであるが(ハーマンの複雑性PTSDも残念ながら取り入れられていない)、つまり学際的なレベルでは一応スピッツアーらに軍配が上がった?のであるが、はたしてカプランの主張は間違っていたのであろうか。
 カプランが引用している重要な文献に、フィリス・チェスラー(1972)の『女性と狂気』がある。この本は1972年に出版されたものであるが、彼女がそれを執筆しようと決意した際のエピソードこそが、カプランの言わんとしていたことを代弁してくれるであろう。少し長くなるが、平川(1990)から引用する。

彼女は1970年に開かれた全米心理学協会の大会で、“女性のために必要なサイコセラピィ”という研究発表を行なう予定であった。彼女はその前年からセラピィストとしての仕事を始めたばかりであったが、その時点で、女性の生き方を援助する方法を彼女自身がほとんど持っていないことに気づいて、学会の女性会員と一緒に女性の心理学会の設立に参加していた。そこで彼女は、女性たちが集まって「女らしさ」を問い直すコンシャスネス・レイジングのグループにくりかえし参加し、そのなかから、@女性の直面している壁がなんであるのかについて共感的に理解できる方法を見つけること、A援助の方法を見つけるためには女性のセラピィスト自身が自分自身の体験をふりかえること、B病理を診断するための方法ではなく、女性の精神衛生のための方法を開発すること、の三点を整理したのである。学会に発表しようとしていたのはこのことについてであった。……中略……。
 しかし彼女は研究発表を行なわなかった。かわりに、2000人の心理学者が参加する総会で、100万ドルの賠償金を学会に要求したのである。賠償金とは、精神医療や心理療法のなかで、これまで助けられてこなかった女性たちへの賠償金であった。彼女たちは精神病というネガティブなレッテルを貼られた。治療というのは名ばかりで、ただ安定剤をのまされただけだった。治療中に男性治療者に性的誘惑を受けた。あるいは、承諾もなく、精神病院に入院させられた。そして無理矢理に電気ショック療法やロボトミー手術を受けさせられた。治療者に興味の対象にされつつ軽蔑されるという屈辱を味わわされた。女性は攻撃的・うつ状態・顔のみにくさ・性的ルーズさという理由で嫌悪された。なかでも子供を精神病にした母親に対する評価は最悪であった。これらが彼女の言い分であった。彼女はセラピーの政治学を主張してセラピィストたちを弾劾したのである。
 それにしても、会場にいた2000人の反応が興味深い。
 彼らは一斉に笑ったという。彼女の提起を無視したという。なかには、度肝をぬく彼女のやり方に対して、「彼女はペニス羨望にとりつかれている」という言葉を浴びせた男性もいたという。しかし最後には「彼女は狂っているのだ」と会場の聴衆は悟り、ようやくホッと胸をなでおろしたのである。興味深いのは、こうした一部終始が一人の女性を狂気に陥れていくプロセスと同じものであるという点である。しかも陥れていく人間がセラピィストであったという、恐怖の構造になっている。この構造こそ、彼女が今しがた訴えたばかりのものであったにもかかわらずである。……中略……。
 ……フィリス・チェスラーは無視とからかい、否定と狂気のレッテル貼りの対象にされるというあつかいを受け、急いでニューヨークにもどった。その帰りの飛行機のなかで『女性と狂気』の構造は練られ、やがて沢山の女性たちへの面接調査が開始され、まとめあげられたのである。本の基調は被害者の位置にあり続けた女性たちの怒りであった。

 カプランの論述の基調が、このような女性たちの怒りであることは一目瞭然である。精神科医であるハーマンが病理を診断するための方法を否定しないこと(新しい診断名を提起していること)とは対照的に、カプランは診断というレッテル貼りそのものを攻撃するチェスラーの立場により接近しているように思われる。われわれは、臨床面接においては共感的理解だけでなく診断的理解も必要であるという論旨で、カプランを攻撃することもできるであろう。しかし、それでは議論が噛み合わないまま終わるに違いない。
 本論で取り上げる論争がどこかチグハグで、十分に噛み合っていない印象を与えるとすれば、それはスピッツアーらがカプランの論述の基調(女性たちの怒り)に反応することを、周到に回避しているからなのかもしれない。うがった見方ではあるが、筆頭著者に女性(論文中でみずから紹介しているが、ジャネット・B・W・ウィリアムズはソーシャルワークが専門で、DSM-V作成の重要メンバーであることに違いはないのだが)を立てているのは、権威のある男性精神科医とフェミニストである女性心理学者の対決という構図を緊迫感のないものにしているであろうし、女性ではなくもっぱら男性に対して貼られるレッテルもあることを強調するだけで、結局は問題の演技性人格障害と依存性人格障害について、つまり女性性と男性性について正面から回答しているようには思われないのである。
 私が思うに、カプランが撃っているのは、診断に含まれる治療の政治学である。容易に気づかれるそれとしての性差別のみならず、思わず知らずのうちに入り込んでいる性差別、これこそが彼女の標的である。
 もちろん、DSMに関する論争は、この論争(1983年)に限られるものではない。全米心理学協会全体を巻き込むようなさらに大きな論争が、この直後(1985年)に勃発したのである。それは、DSM-Vの改訂版(1987年に公刊されたDSM-V-R)に「自虐的人格障害(masochistic personality disorder)」なる診断名を追加するという、男性精神分析医の一団による提案と、それを受けたスピッツアーの推進に端を発するものであった。
 この論争に関する詳細はデボラ・フランクリン(1987)を参照されたいが、1980年代の半ばは、この診断名に対する異議申し立てが精力的に訴えられた時期である。主要な人物は『バタード・ウーマン』(1979)の著者であるレノア・ウォーカー、そして『女性のマゾヒズムの神話』(1985)の著者であるポーラ・キャプランなどであった。ハーマン(1992)によれば、このとき「女性側は診断基準を執筆する過程を公開せよと迫り、これまで少数の特権であった心理学的実体の命名にはじめて参画した」のである。結果として女性組織からも抗議の声が上がり、「自虐的人格障害」は「自己敗北型人格障害(self-defeating personality disorder)」と名を変えて、DSM-Vの改訂版の本文ではなく付録部分(研究基準案)に記載されることになった。スピッツアーは、女性側の猛烈な異議申し立てにかなり狼狽したらしいが、これを本文から付録部分へ移動する決断をするまでは、「われわれはどんな選択をしたろうか、そう、あなた方はいつでも誤診の可能性について心配している。しかし、われわれの精神医学はある種の定義を持たなければならない。精神科医は精神病についてテストする実験室を持っているわけではない。だからわれわれは行動の特徴を頼りとしなければならないのである」と、このカテゴリーの正当性と価値を弁護していたようである。全米心理学協会は、この診断名を「十分な科学的根拠のないもの」であり「女性に対して危険な可能性を持つもの」として非難し、当時6万数千人の学会員に対して、その使用を中止するように通達している(かつてチェスラーを笑いものにした全米心理学協会は大きく様変わりしたようである)。
 演技性人格障害や依存性人格障害の診断名には異議を申し立てず、DSM-Vに対しては「主観的な診断に賛否両論のあるこの分野においては、この本は標準化への勇敢な試みであったのです」と一定の評価をしていたほどのウォーカーであるが、彼女でさえ「自虐的人格障害」や「自己敗北型人格障害」なる診断名については、カプランと同様の態度を示している。もちろん、犯罪被害者や被殴打女性への不利益を懸念して、である。このように考えると、カプランは非常にラディカルなフェミニスト心理学者であるのかもしれない。
 最後に、スピッツアーについて付言しておく。これまでの書き方だと、彼がいかにも悪者であるかのような印象を一方的に与えたかもしれないが、もちろん、そういうわけではない。
 詳細についてはケネス・ルイス(1988)を参照されたいが、DSM-V前夜である1970年代には、同性愛に関する議論がかなり激しく闘わされたようである。その論争はとても痛ましいものであったらしいのだが、同性愛に関する限り、スピッツアーは良識的な裁定を下しているように思われる。
 スピッツアーは、1970年代にDSM-Vの改訂作業を進めていたが、それまでの精神医学の保守派が同性愛を逸脱や不適応とみなしていたのに対して、そのような見解に疑義を抱いていた。そして、同性愛の非臨床事例に関する非分析的な精神医学的実地試行をすすめ、彼ら(彼女ら)が不適応とは無縁の充実した生活を送っていることを見出した。この調査結果を踏まえて、スピッツアーは、同性愛に対してそれまで無根拠に貼られていた狂気のレッテル(同性愛行為を法律で禁じていた時代と場所が存在していたことは周知の事実である)を剥ぎ取るべく、来たるべきDSM-Vにおいては本人が苦悩する場合に限って、すなわち「自己非親和的同性愛」に限って性障害と診断することに決定したのである。1973年のことであった。米国精神医学会は彼の決定を肯定し、まもなく全米心理学協会もこれに追随している。
 しかしながら、このような公的表明ないし改革派(スピッツアーもその一人である)の政治的勝利にもかかわらず、大多数の現場の臨床家にとって、あるいは保守派にとって主流となっていた精神分析学的見解(例えば同性愛は治癒しなければならない)はその後も根強く生き残っており、それによって精神療法業界内部の姿勢が大きく変化したわけではない。改革派に対する異論や、同性愛に対する非好意的な論文が、その後も発表され続けたのである。同性愛に対する根深い偏見は、保守的な臨床家それも非同性愛者にあるのであって、スピッツアーにあるというわけではない、というのが真実なのかもしれない。
 ルイスは精神分析学的な方向づけを持った臨床心理学者であると同時に男性同性愛者のようであるが、このように、カプランとは対照的にスピッツアーを好意的に引用しているのである。
 DSM-Vに関するその他の議論については、大野(1990)を参照されたい。DSM-Vが改訂されてDSM-V-Rが公刊されるまでの主要な文献が紹介されている。ただし、カプランの演技性人格障害と依存性人格障害の診断基準に対する抗議が、ウォーカーらの自己敗北型人格障害のそれに対する抗議と区別されていないように読み取れる箇所があるので、その点については注意が必要である。



V.カプランが言いたかったこと

 ここでは、スピッツアーらの主張はともかくとして、カプランが言いたかったことを要約する。カプランの第二論文は、スピッツアーらの反論に答える形で(非常にコンパクトであるが)第一論文の要点を明確化している。これに私の考えを加味する形で、彼女の論旨を明瞭に浮き立たせるつもりである。
 全体としてカプランが言いたかったのは、女性の精神障害の治療率(人格障害のそれではない)が男性のそれよりも高いという事実と、DSM-Vの診断基準には男性に中心化された社会・文化の影響が反映されているという事実との間には関連があるのではないか、ということである。その具体例として、特に演技性人格障害と依存性人格障害を取り上げ、それらを(カプランが創作した架空の診断である)非依存性人格障害や機能制約性人格障害(いわゆるマッチョの男性を含む)と対比する形で、フェミニズムの視点から検討を加えているのである。問題の焦点は、当然、男らしさ女らしさというジェンダーに置かれる。以下に、臨床家個人の偏見、そしてDSM-V に含まれている偏見、というかたちで要約する。
 まず、臨床家自身の価値観に含まれる偏見についてである。DSM-Vの精神障害と社会的逸脱に関する定義は曖昧であり、さらに、例えば女性のオルガズムの抑制の診断には「困難な判断」を要することが記載されている。したがって、精神障害と(精神障害ではないから治療を要しない)社会的逸脱を区別する際や、診断に呻吟して困難な判断を伴う際には、どうしても診断者自身の価値観に拘束された(value-laced)直観に頼らざるを得ない状況が生じる。そして、そのような臨床家個人の価値基準(clinicians'values)は社会的な価値基準(societal values)と不可分であるから、そこに性差別的な事柄が入り込む余地が生まれるのである。
 いくら熟練した臨床家であっても、その人が生きる時代の価値観から完全に自由になることはできないはずである。そして、その人がバックボーンとする学問的立場から離れることは、極めて困難なはずである。というのは、われわれ臨床家は、その時代の価値観すなわち常識に拘束されると同時に、その自明性に対する懐疑を停止することで安定した生を営むことができるわけであるし、深層心理学や家族心理学や認知行動心理学などの理論を知ることで臨床眼を養うことができるわけであるから。言わずもがなであろうが、われわれ臨床家は、何らかの照合枠なしに物事を見ることが不可能なのである。
 次に、DSM-Vに含まれている偏見についてである。臨床家個人の価値観以前(以後に?)に、われわれがそれを用いてクライエントを診断する基準に性差別が紛れ込んでいたとしたら、どんなことになるのだろう。カプランは、ここで演技性人格障害と依存性人格障害を取り上げる。
 演技性人格障害と依存性人格障害は重複して診断されることが少なくないのだが、カプランが強調しているのは、これらが女性性ないし女らしさのカリカチュアではなく、ステロタイプと合致しているということである。つまり、女性性を絵に描いたように極端にした形(男性性を極端にした形がいわゆるマッチョである)ではなく、それらが平均的な女性像と合致するというのである。ここに、どっちに転んでも不自由な二重拘束が生み出されることになる。
 女性は女らしくあることを強制され、その時代に応じた女性性を身につけていくことになるのだが、カプランによれば、それはまさに演技性人格障害や依存性人格障害の診断基準にあるような特性を身につけていくことに他ならないのだという。女性にとって、女らしくあること、これ即ち人格障害と呼ばれることである。女らしさを拒絶すること、これ即ち性同一性障害と呼ばれることである。反対に男性はどうであろう。カプランは架空の診断を例証しているが、男性が男らしく振舞っても(女性のように)診断されないのは、男性優位に偏った性的偏見のせいであるという。
 また、依存性についても、カプランは異議を申し立てる。つまり、DSM-Vは女性の依存性については人格障害のレッテルを貼るのに、男性の依存性について取り上げていないのは偏見であると。そこでカプランが男性の依存性として例証するのが「秘匿された依存性(masked dependency)」である。彼女はここで、当時、非学際的な草の根のレベルで一般化しつつあったであろう「共依存(co-dependency)」という言葉の使用を回避しているが、多分、どっちもどっち的なニュアンスを漂わせる共依存という考え方に批判的なのであろう(フロム・ライヒマンの「分裂病原性の母親」なる概念がフェミニズムの立場から批判されたように、共依存という概念も後に深刻な批判を受ける)。カプランによれば、DSM-Vはこのような男性の依存性を同定するような診断システムではないのである。
 カプランは、ここに男性優位・女性劣位の非対称的な構造を認め、DSM-Vに暗に含まれている診断(治療)の政治学を撃つ。
 カプランが第二論文で、劣位(one-down position)という言葉を用いて例証している箇所に注目してほしい。彼女は、例えば、うつ病の人がうつ病と診断されることに異議を申し立てているのではない。彼女がここで意図しているのは、われわれが、診断すなわち病気のレッテル貼りの持つ影響力の強さに注目すべきだ、ということである。診断されるということは、彼女によれば、すなわち社会的な劣位に置かれるということなのである。さらに言えば、診断がスティグマ(差別的烙印)となって、無力化された女性に対するさらなる差別を促進する作用が生まれるということである。男性が優位(one-up)で女性が劣位(one-down)という非対称性が社会構造の特徴であるとすれば、それが診断基準だけでなく、臨床家個人の価値観にも入り込むことは自明であろう。劣位にある者すなわち女性は抑圧され、精神疾患に対する脆弱性が増すことは想像にかたくない。ましてや、例えば被殴打女性の場合、様々な症状をその人の隠れた病理のせいにして、被害者である女性の側に非があるとする傾向が現に存在しているわけであるから(レイプもそうである)、女性の側の人格障害こそ問題の根源であるとする臨床家も少なからず存在しているわけであるから、診断が誤ったレッテル貼りとして反治療的に利用されている実情を無視することはできないのである。
 女性の精神疾患の治療率は、男性のそれよりも結局高いのであろうか。スピッツアーらは数字 (有病率) を提示してこれを否定したが、これについて一体どう考えればよいのであろうか。ハーマン(1992)は「精神保健機関には長期反復性児童期外傷の被害経験者が押し寄せている。しかも児童期に虐待を受けた人の大部分はまだ一度も精神科医の門を叩いていない。回復の程度が高くなると、自己判断によってますますその傾向が強まる。被害経験者のごく一部だけが何かの機会に精神科患者となるのである」と叙述している。多分、カプランの念頭には、精神医療を求めて「来る人」だけでなく、「来ない人」のことがあるのだろう。ハーマンと同様にして、草の根の中で臨床活動を展開していることが反映されているのかもしれない。
 総じて、私には、カプランに対するスピッツアーらの回答が腹立たしく感じられるのだが、読者はいかがであろうか。多分、その人が身を置いている立場によって、この論争はそれぞれに異なる色合いを放つのであろう。



 W.DSM-VからDSM-Wへ

 最初のDSM-Tが公刊されたのは1952年であった。その後、DSM-Uは1968年、DSM-Vは1980年、DSM-V-Rは1987年、そして現在のDSM-Wは1994年に公刊されている。私見ではあるが、UとVの間ほどではないのかもしれないが、VとWの間にも全体として相当の変化が認められる。
DSM-Wにおける精神疾患と人格障害の定義は以下のようになっている。まず精神疾患である。

各精神疾患は、臨床的意味のある行動または心理的症候群または様式であって、それがある人に起こり、現存する心痛(例:苦痛を伴う症状)または能力低下(すなわち、機能の一つ以上の重要な領域での不全)を伴っているか、死、苦痛、能力低下、または自由の重大な喪失の危険が著しく増大しているものとして概念化される。さらに、この症候群または様式は、単にある特別な出来事、例えば、愛する人の死、に対して予測され、文化的に容認される反応であってはならない。元の原因が何であろうと、現在では、その個人に行動的、心理的または生物学的機能不全が現れていることが考慮されなければならない。本来、個人と社会の間に存在する偏った行動(例:政治的、宗教的、または性的)も葛藤もその偏りや葛藤が上に述べたように個人の機能不全の一症状でなければ精神疾患ではない。

 次に人格障害である。

人格傾向とは、広範囲の社会的および個人的状況で示される、環境および自分自身を知覚し、人間関係をもち、および思考する持続的様式である。人格傾向に柔軟性がなく、非適応的で、著しい機能障害または主観的苦痛が引き起こされている場合が人格障害ということになる。人格障害の基本的特徴は、その人の属する文化から期待されるものから著しく偏った内的体験および行動の持続的様式であり、それは認知、感情性、対人関係機能、または衝動の制御のうち少なくとも二つの領域に表れる。この持続的様式は柔軟性がなく、個人的および社会的状況の幅広い範囲に広がっており、臨床的に著しい苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域の機能における障害を引き起こしている。その様式は安定し、長期間続いており、その始まりは少なくとも青年期または成人期早期にまでさかのぼることができる。

 このように、精神疾患と人格障害の定義は(VとWを比較すると)微妙に変化しているようである。そして、人格障害の「特有の文化、年齢、および性別に関する特徴」には、「ある種の人格障害(例:反社会性人格障害)は男性に多く診断される。他の障害(例:境界性、演技性、および依存性人格障害)は女性に多く診断される。こうした有病率の違いはおそらく、そのような型の存在の真の性差を反映しているであろうが、臨床家は、典型的な性的役割および行動についての社会通念に基づいて、ある種の人格障害を女性または男性に過剰に診断したり過少に診断したりしないように注意しなくてはならない」という注目すべき記載がある。また、人格障害とは直接の関連はない「序文」の「倫理的、文化的配慮」には「DSM-Wの解説に、文化に関する一節を設けたこと……は、……文化的背景に根ざした臨床家自身の無意識の偏見の影響の起こることを減少させる」という一文が記載されており、これも注目に値するであろう。
 これらがカプランの主張を汲んだものなのか、そうでないのかは定かではないが、一連の論争において、カプランが全面的に敗北したわけではないことが理解されるであろう。加えて、Wの演技性人格障害の解説の中には「演技性人格障害の行動上の表現は、性的役割についての固定観念によって影響されるであろう。例えば、この障害の男性はしばしば“マッチョ”“男っぽい”と見なされるようなやり方の服装や振る舞いをし、スポーツ技能の自慢をすることで注目の的になろうとするかも知れず、一方、女性は、例えば、とても女性らしい服装を選び、ダンス教師がどんなに彼女に誘惑されたか、という話をするかも知れない」という一文が登場しており、演技性人格障害にマッチョ・タイプの男性を診断すべきことが明示されているのである。ここに、カプランの(部分的)勝利を読み取ることができるであろう。
 Wの演技性人格障害と依存性人格障害の診断基準についてであるが、Vと比較すると、カプランの言う女らしさのステロタイプからカリカチュアの方向へと(ある程度)変化しているように思われる。というのは、演技性人格障害は性的な側面が、依存性人格障害はしがみつく側面が、若干ではあるがそれぞれ強調されているからである。
 現在のWの人格障害において、明らかに男性よりも女性に多く診断されるのは、境界性人格障害である(男性は反社会性人格障害)。境界性人格障害がなぜ女性に多いのかは、ハーマンの著書を一読されたい。児童期外傷体験(例えば娘に対する父の近親姦)の後遺症として境界性人格障害などを捉え直す視点には、非常に説得力がある。演技性人格障害は、DSM-Vとは違って性比率に格差が認められていないが、多分、診断基準が多少ではあるが変化したことと、マッチョ・タイプの男性を診断するように明示された影響が大きいのであろう。依存性人格障害は女性の方が多く診断されるものの、男性との統計学的な有意差は認められていない。
 ちなみに、Vとその改訂版において編集(改定)実行委員会の委員長をつとめていたスピッツァーは、Wにおいては特別顧問となっている。同じくVとその改訂版においてテキスト編集者をつとめていたウィリアムズは、Wにおいては多軸問題を扱う部門の委員長として名を連ねている。人格障害を扱う部門の委員長は、境界例の研究で著名なジョン・ガンダーソンであるが、Vから引き続いてその委員をつとめているテオドール・ミロンの影響力は相変わらず大きいであろう。
 さて、フェミニズムの視点からDSM-Wを一瞥すると、やはり非常に気になる診断基準が記載されている。例えば、月経前不快気分障害(V-Rの研究基準案では「黄体期後期の不機嫌性障害」)がそれである。これはあくまで研究基準案として付録に掲載されているものであるが、フェミニズムの視点からは批判されるべきものであろう。様々な切り口で批判することができるであろうが、例えば、月経に前後して不機嫌になる女性がいたとして、彼女はやはり病気のレッテルを貼られるのであろうか。もしかしたら、男性に中心化された社会構造の中で抑圧された日常を送っているとき、つまり男性から見て穏やかに生活しているときが本当は疑問符を打たれる状態なのであって、苛立ちの中で、普段は口にせず我慢している事柄について異議申し立てをしているときの方が、実は健全な状態として考えられるのではないか、ということである。その意味で、女性の月経前症候群に関するジェーン・アッシャー(1989)の批判は、一読に値するかもしれない。
 最後に、自己敗北型人格障害の行方である。Wの付録を見ると、この診断名は姿を消している。しかし、女性たちの猛烈な反論が功を奏したというわけではない。それは「抑うつ性人格障害」と名を変えて、いまだに生き長らえているのである。これは、クルト・シュナイダー(1950)の「抑うつ精神病質者」の考え方が取り込まれたものであり、診断の範囲としているのは、やはり自己敗北型人格障害と変わるところのないものである。自己敗北型ないし自虐的人格障害は、元来シュナイダーの記述的概念や力動的な精神分析学的人格論(抑うつ的-自虐的性格)を下敷きにしたものであるから、もちろん診断基準は変更されているものの、単なる診断名のすり替え(ヒステリー性→演技性、自虐的→自己敗北型のように)と言っても差し支えあるまい。この事実は、女性の側がラディカルに異議申し立てをしたとしても、DSMのタスク・フォースの内部に、そして多くの臨床家に、いまだ根深い偏見が残っていることを意味しているのかもしれない。
 DSMは今や臨床家にとってなくてはならぬものであり(保険のサインにせよ、法廷に提出される診断にせよ、米国ではDSMに則った診断が求められる。W の影響力はVの比ではない)、付録から外れて一度本文に記載されると、その診断基準の影響力は絶大である。そこから再び抹消することは、極めて困難であるに違いない。近い将来に公刊されるであろう、DSM-Xに注目せずにはいられない。



注 釈

1)本論は、私がまだ精神科病院に勤務していた頃に執筆したものである。当時は、DSM-V(1980) が改訂されたDSM-V-R(1987) の時代が終わり、DSM-W(1994) が出回っていた。したがって、その後Wの解説部分を改訂して公刊されたDSM-W-TR(2000) については、言及していない。だが、W-TRにおける改訂は、本論が論じている部分に大きな影響を及ぼすほどのものではないので、文章にはほとんど修正を加えていない。



文 献

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