札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。二人に一人が癌あるいは悪性腫瘍にかかる時代のようです。誰の身に降りかかっても不思議はない病気です。もちろん私の身近にもいます。手術とその後の治療が功を奏して長期生存している者、残念ながら他界した者、いずれも自分に近い身内に存在します。私にとっても、他人事ではない病気です。
一介のカウンセラーとして、この病気に罹患する方々のお話にも耳を傾けてきました。私はこの病気専門のカウンセラーではありませんから、たまたま何か別の件で相談にやってきた方が実はそうであった場合が大半です。相談にお見えになる方は、治療の相談のためにやって来るのではありません。病とともに生きながら降りかかってくる、いまある日常の苦悩を話しにやって来るのです。
術後の経過がよくて再発の無い方と、すでに自分の余命を知る方では、カウンセリングの意味も違ってくるでしょう。それに、家族のある方、一人身の方の違いによっても、カウンセリングの内容が異なってくるはずです。しかし、いずれにしても、何か問題を解決するための手段としてカウンセリングを行うのではありません。カウンセリングを通じてカウンセラーと相談者が顔を合わせること、二人が会うこと自体が目的になるのです。
このようなカウンセリングを、プレゼンスの心理療法と呼ぶ人もいます。つまり、ひとつの場所に自分がいて相手がいる、それこそが大切なのだという立場です。体調的に一時間くらいはイスに座って居ることができるが、特に話すことが思いつかない日には、二人で外をぼんやり見つめながら黙ったまま居てもよいのです。
私のこれまでの経験ですと、相談者の方が比較的体調がよくて、外出可能であれば会うことができました。病状が進んで外出がままならない方のところに、私から出向いて耳を傾けることは行っておりません。不定期のお見舞いはできるのかもしれませんが、定期的に出向くことは無理だと思います。ここが私の限界です。
私自身がもしもこの病気で最期を迎えることになったら、どのようにしてむこうの世界に行けばよいのか。在宅にすべきか、病院にすべきか、考える必要に迫られるでしょう。そのとき私を看取ってくれるのは家族だろうか、それとも看護師さんであろうか。あるいはまた、別の道があるのだろうか。以上、札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。
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