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ハラスメントとカウンセリング


 ハラスメントなる言葉が一般にも広がってきました。モラル・ハラスメント、モラハラです。その意味は、立場を利用した嫌がらせです。パワハラ(パワー・ハラスメント)、セクハラ(セクシュアル・ハラスメント)、アカハラ(アカデミック・ハラスメント)等、いろいろな種類があります。職場で、大学で、家庭等日常生活で、人と人との間で、今日もハラスメントは繰り返されているのでしょう。

 ハラスメント対策に取り組む組織は増えつつあると思います。けれども、まだまだ全体に浸透したわけではないと思います。訴訟を起こす被害者があとを絶たず判例が増えると同時に、組織の闇の部分が表面化していますから、私たちはそこからいろいろなことを学ぶ必要があると思います。

 ハラスメントは上司から部下に対して行われるだけではありません。部下から上司へのそれもあるようです。たとえば、医学的な診断書を悪用してちらつかせる行為について触れている研究者もいます。また、男性から女性に対するセクハラだけでなく、女性から男性へのそれもあるようです。たとえば、年下、あるいは部下の男性の身体に、事あるごとに触れるような女性の場合です。

 それから、大声で罵る等、派手なハラスメントだけでなく、静かなるハラスメントもあるでしょう。穏やかに、声を荒げずに、静かなる恫喝(どうかつ)を行う人の場合です。人あたりの良い、周囲には評判の悪くない人間も、パワハラを行ってしまう可能性があります。

 構造的なハラスメントもあるでしょう。パワハラの主体が特定の誰ということもない、組織的な構造によって一個の人間が追いやられる場合です。

 では、ハラスメント関連の相談はどこにすればよいのでしょうか。

 まずは、自分が所属する組織のなかにある対策委員会や、産業カウンセラーなどでしょう。しかし、そのような委員会やカウンセリング・サービスが無いところや、あったとしても相談しにくい場合も少なくないでしょう。そんなときは、やはり外部機関に相談することになります。

 ハラスメントが悪質な場合、直に弁護士に相談して、訴訟を起こすこともあり得るのかもしれません。いろいろな意味で、とても勇気がいることでしょう。いまは、過酷な労働とうつ病やPTSDとの因果関係が認められれば労災も下りるようですし、ハラスメントを被った弱者、あるいは被害者にとっては追い風が吹き始めているのかもしれません。

 ハラスメントを申し立てるとき、その事実があったのか、なかったのか、事実関係の確認が焦点になるはずです。申し立てる者、申し立てられた者、あいだに入る第三者、これらのあいだで話し合いがもたれます。第三者は双方の言い分を聞き、最終的に判断を下すことになります。おそらく、双方の言い分は異なるでしょう。

 一方が虚偽を口にする場合、こじれることは必至です。しかし、双方が自分の言い分を述べた結果として、事実関係が食い違う場合も少なくないはずです。なぜならば、真実は一つではないからです。互いにとっての真実があるわけで、それが食い違いを見せるのです。

 対話理論では、間テクスト性なる言葉があります。一方が語るストーリーによって形成されるテクストと、他方のそれによって形成されるテクストのあいだで、一致や不一致が起こってくるのです。われわれが日常的に体験するすれ違いは、理にかなったことなのです。互いに嘘を言っているのではありません。双方とも真実と思って言っているのです。記憶とは、記憶そのものが脳に歪められることなく記録されることではありません。心理学者のジャネが言ったように、記憶とは語りのことなのです。

 このように考えると、真実とは勝ち取られるものなのかもしれません。裁判がそうです。有罪判決が次には一転して無罪となり、最高裁までもつれることはよくあるのです。歴史上の出来事も、あった、なかったの間を揺れ動くことがあり、民族間の争いに発展することもあります。

 中立的な立場から書いてきましたが、被害者の立場に立って記憶について触れておきます。

 ハラスメントを申し立てると、おそらく何度も同じことを問われるでしょう。記憶を掘り起こして、自問自答して、それを言葉にしなければならないのです。「本当にそうなのか」「間違いないですね」など何度も念を押されるかもしれません。そこで、こんなことが起こってくる場合があります。つまり、自分が言っていることは確かなのか、本当は違うのかもしれないと、自分の記憶があいまいになり、自分自身を疑ってしまうのです。これは、自分に自信のない人にかぎられる現象ではないようです。誰でもそうなる可能性があります。こうなると裁判心理学の領域になるのですが、おそらく多くの冤罪事件には、このような記憶のメカニズムが作用しているのかもしれません(申し立てられた側の人間にも起こり得ることです)。

 最後に、ハラスメントとカウンセリングについてです。カウンセラーの役割は、ハラスメントを受けて苦しむ方々を精神的に支えることだと思います。裁判官のように、事実関係を洗い出すようなことはしないでしょう。精神的なダメージを手当てすることが、私たちに課せられた役割なのです。

 職場内での「いじめ」や「かわいがり」だけでなく、度を越した非人間的な扱いが、いまもどこかで起こっているはずです。自分で自覚することなく、知らぬ間に行っている上司もいるに違いありません。ハラスメントのなくなる日が、いつか訪れますように。


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