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無料カウンセリングについて考える


 私の相談室が無料カウンセリングを提供していることもあり、ここでは「無料」の意味について考えてみるつもりです。カウンセラーの視点ではなしに、相談者の視点から検討することになります。

 まずは、インターネットに接続してグーグル等の検索エンジンで検索してみましょう。キーワードは「無料カウンセリング 札幌(地名はどこでもよい)」のふたつです。あるいは「無料相談 札幌」です。おそらく、札幌で無料カウンセリングを希望する相談者の方々は、このように検索するはずです。検索結果を見て、私は驚きました。と言うのは、心理カウンセリングだけでなく、それ以外のさまざまな分野のサイトが「無料カウンセリング」を強調しているからです。

 一例をあげます。薄毛治療、美容、エステ、美容整形、インプラント、結婚相談、離婚相談、法律相談、探偵、脱毛、ダイエット、整骨、わきが、脂肪吸引、アンチエイジング、借金相談、などです。また、行政機関の無料相談も検索されます。それから、そのほとんどが、初回の一回に限って無料相談を実施するようです。

 さて、カウンセラーとしての立場を離れて、一人の庶民として、ユーザーとして考えてみます。皆さんは「無料」と言う言葉から何を連想するでしょうか。

 こんなのはどうでしょう。無料は最初だけで、結局は商売人が儲かるようになっている。たんまりふんだくられて、懐がすっからかんになる。無料という甘い罠にご用心、ご用心。タダより高いものはない。

 人生経験をある程度踏んだ方であれば、このような警戒心を抱くのは当然のことでしょう。甘い言葉を何も疑わずに信じ込み、結局騙された経験のある人であれば、なおのことであると思います。

 まず最初の結論です。企業側の努力によって無料が打ち出されるにせよ、それはいまの世の中、疑いの目をもって見られる場合があるのです。実際に人を騙す悪徳業者がマスコミをにぎわすこともあり、真面目に努力している企業にとっては残念なことでしょう。

 心理カウンセラーも、初回にかぎって無料相談を受け付けている方がいます。少しでも窓口を広げようとする努力なのでしょうが、あいにく上記のような意味で猜疑の眼差しに晒される場合もあるのかもしれません。カウンセラーとしては、そのような心配を胸にして来談される相談者のことを、よく理解しておく必要があると思います。

 次に、初回だけでなく、料金を完全に無料にして心理相談を行う機関の場合です。こんなところは、おそらく滅多にないでしょう。あったとしても、数が少ないはずです。実は、私の相談室がそうなのですが。

 カウンセリングという無形のサービスを提供し、それに対する報酬として金銭を受け取る、これは私設相談室を開業しているカウンセラーの基本的な経済原則です。資本主義社会、自由主義経済の下で生活するわれわれにとって、これは当然のことです。だからこそ、無料なる言葉に対して、何かあると疑いの目が向けられるわけです。初回だけでなく、すべての面接が無料となると、それに拍車がかけられるに違いありません。

 ジレンマです。金銭によって媒介された関係では親密になることができません。二人のあいだに財布が介在して、ギブ・アンド・テイクの理念が伏在してしまうのです。無料も同じことです。有料が当然のご時世に無料とは、そこには何かあるに違いないという疑いの眼差しが生まれるのです。いずれにせよ、奉仕の精神は奇麗事、いまとなっては昔のこと、いま現在そのようなことを口にする人間はペテン師かもしれないと疑われるかもしれないのです。

 さて結論です。私の「のっぽろカウンセリング研究室」は無料です。無料ゆえに上記のような心配や、あるいは無料で相談しているからという理由で何かとカウンセラーに対して遠慮してしまうようなことが起こるのかもしれません。けれども、そんな心配や遠慮は、一切無用です。なぜなら、一介の大学の教育者・研究者として、研究を目的として心理相談を行っているからです。

 ここまで書いて、何だか自分の書いたことがしっくりしません。

 本当は、いま、こんな風に考えています。早く大学を定年退職して、研究者の立場を離れたい。そうすれば、研究を目的とすることなく、あるいは年金をもらいながら小遣い稼ぎを目的とするのでもなく、ただひたすらに相談者の声に耳を傾けることを目的として生きられるのではあるまいか。相談者と会って耳を傾けること、そのことだけを生き甲斐にして奉仕して生きられたら、何と幸せなことでしょう。私は、そんな無料カウンセラーになりたいのです。20年後には。


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