このところ、人生後ろ向きの私でございますが、なにやら人から聞いた話。
人間、後ろ向きに歩くのが、とっても体に良い運動であるとか。
嘘か真かは存じませんが、バランス感覚も必要っぽい感じがしてなかなかでございます。
ちょっと、やってみるかなと思案中でございます。
京都新聞 2005.9.22 朝刊 「点 殺意あり」社会報道部 松尾浩道記者を読む。
裁判員制度を四年後に迎え、市民6人が裁判員として加わる模擬裁判が開催された。
記事には裁判官3人が模擬裁判における被告に殺意ありとし、どんな人達かは知らないが、裁判員6人が殺意無しであった。
ここからが、興味深いことで、裁判員6人は裁判官3人の説得に応じて、殺意ありに6人が変更したとのこと。
最高裁判所のサイト
つまりは裁判官の常識と市民の常識が違ったと云うこと。そして、問題は裁判官の常識が市民の常識を説得したところにある、
記事では「市民感覚の反映が制度の目的ならば、既成の「判断材料」に市民の常識を照らすだけでなく、判断材料そのものに市民の常識を持ち込んでみることこそが大切なのではないかと思った。(京都新聞 2005.9.22 朝刊 「点 殺意あり」社会報道部 松尾浩道記者)より後半抜き書き」
性格というものは、個々の人にそれぞれ宿るものと、人種であるとか、国民であるとか、そういう広い範囲で考えるべき広義の性格というものがある。
日本人は島国根性だ、というのも広い意味で性格、日本人の性格、国民性と捉えることができる。
「和」を尊ぶ、これを否定的な面で捉えれば、議論が苦手、公の場で自分の意見を発することが苦手、もしくは危険と思っている。
あまり、裁判員制度に合う国民性とは言えない。
上記最高裁判所のサイトでは、導入の理由に、「国民が裁判に参加する制度は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア等でも行われています。」とあるが、それにどれほどの意味があるのか。
たとえ、その制度が適切なものであろうと、適うだけの能力がなければやめておく方が賢明だと思う。
拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる
文春新書 376
関岡英之/著
出版社名 文芸春秋
出版年月 2004年4月
ISBNコード 4-16-660376-0
税込価格 735円
頁数・縦サイズ 229P 18cm
分類 新書・選書 /教養 /文春新書
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拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる
ネットにて、意図的に流通業者が販売を抑え込んでいるとありました。嘘か誠かは存じませんが、文系春秋サイトでは購入可能。アマゾンはしばらく前まで不可だったらしい。ちょくちょく利用しているe-honは不可
新刊時、一応、ぱらぱらと立ち読みはしたのだけど、しっかりとは読んでなかった。
とにかく、こういうい曰くありそうな本は読んでみたいと云うことで。
ぶっこわすのはいいのだが・・・。
小泉氏の出演するCM。自民党をぶっこわすと曰うが、まっそれはいいとしよう。自民党も長く存在しすぎた。
問題は壊せば、また、あらたにつくらなきゃならない。
辺りを見渡してみると、いま、壊して、あらたにできあがりそうなものが、どうにも胡散臭くて仕方がないわけだ。
私の基本思想は畳の上で大往生である。100歳以上の年齢を目指し、うっひゃぁというような立派な邸宅で、子や孫、曾孫あたりが、私の眠る羽布団の周りでおじいちゃん、元気になってよぉとか言われながらの大往生。
どうも、このまま行くと、それどころではない、そんな時代になりそうだ。
まっ、結婚もしていないし、子供も居ないしはじめから無理なことか・・・。
予想してなかったと言えば嘘になるが、この国の大人は、選挙権を持っ
ている彼らは、何を思っているんだと嘆く。
江戸時代およそ300年の呪縛を未だに、我が身を縛る呪縛を後生大
事にしている様子に呆れるやら哀しいやら。
「思考」とは「思う」に始まり、「考える」に帰結する。
ところが、この国の人は「思う」で機能停止してしまう。
「イメージ」に踊らされているのだ。
もう、どうしようもない。
大阪のこと、言えないってことで、まぁ、均等に割るということ自体、詭弁はありましょうが、以前、友人との話で、赤ん坊が生まれた途端、その子に500万円の借金が生じるなんてねぇと言っていたのに、いつのまにやら600万円超。
国の借金、過去最高795兆円=国民1人623万円に−6月末
件のやふーニュースにございます。
私は国債とか申します類、もちろん株券も、触れたこともない貧乏人ですから、いや、まぁ、国から返して戴かなくてもよろしゅうございますが。
リアルタイム財政赤字カウンタ、リアルタイムで表示しているページでございます。
徳政令
『企業再生屋が書いた借りたカネは返すな!』 加治将一/著 八木宏之/著 出版社名 アスキー・コミュニケーションズ
いずれ、国の財政が破綻する、それはほぼ間違いないのではと考えます。
この、破綻したときに、以下に国からの被害を被らないようにするか、それを考える時期に既に至っていると考えます。
ブログってのは、けっこう、大変だったりする。いや、自分の好きなこと、書きたいことを書く、それは、楽しい。大変ではない。特に私は学生時代から400字詰め原稿用紙、大きな段ボール箱にいっぱい、くらい書いてきた人だから、こんな短い文章書くのは楽なものだったりする。あえていえば、ブログや掲示板に書き込むようになってから文章が下手になったが、それについてはまたいづれ。
さて、大変なのはコメントとトラックバックだったりする。仕事用のブログにはコメントを書き込めるようにしているのだけれど、ココログとこのブログはコメント拒否にしている。
何かについて、私には私の意見があり、それをまた構成するところの土台となるべきたくさんの考えがある。これについて、同意してくれるコメントは良いのだけれど、そうでないのもある。
自分の言葉に対して、異なる意見を提示されると、それはそれで公開している以上仕方がないが、間違いなく、自分自身を削り取られていくような疲弊感を感じるのもまた有りなのである。
だから、ある意味、たいしたことを書いていない仕事用のブログはコメント可に設定しているが、このブログなどはコメント用のプラグインすら取り付けていなかったりするわけだ。
さて、改めてこんなことを書こうと思ったのは、久方ぶりに仕事用ブログでリンクしている「mimiちゃん日記」が閉鎖するのを見てのこと。
夜回り先生こと、水谷修氏の応援ブログである。彼女の閉鎖するというキャパオーパ、その言葉の内は、もう一つの彼女のブログと合わせ読んできた中で、さもありなんとは思う。
楽しんで読んでいた読者の一人としては寂しい限りだが、それはしょうがない。
ただ、思うのは言葉は共有するものであるけれど、本来の共有ではなく、自分の側に引き寄せようとする、あまりにも暴力的な同化を共有と勘違いしている、そんな言葉を放つ人たちがたくさん存在する。
繊細な感性がそんな暴力から身を守るには、最初っから、コメント不可にしてしまうか、もしくは、思考を重ね、それを背景に自信を持つことだ。
最近読んだ「ぐるりのこと」梨木香歩著の帯に「もっと深く、ひたひたと考えたい」とあった。言い得て妙な良い言葉だと思う。
なお、このブログもコメント不可にしているが、別に私は繊細ではない。程良い大きさの掲示板も付けてるし。
明日は衆議院総選挙、最高裁判所裁判官国民審査。
さて・・・
今回の選挙は、今までの選挙と少し趣が違う。
投票用紙の裏に隠れている白紙委任状、これが今以上に大きく意味するようになる。
いわゆるマニフェストだとか、選挙公約だとか、そういう類に書き込まれている約束については、なるほど、参考にしよう。問題は書かれていないことについては白紙委任をするということだ。
選挙に通った某は、通ったことを免罪符として、書き込まなかったことは己の都合と思惑で、それもまた、これは有権者からいただいた免罪符として利用する。
だからこそ、今回の選挙はこの国の未来、その方向性を決定せしめるだろうと思う。
この白紙委任状がいつか、赤色の紙になってこれからの世代の人たちに送られてくることだけは避けたいと思う。
興味あること、近日、これらについて記事を書くかも知れない。
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