砂浪

砂浪

男性の朗読を想定して書いた小説です。

「砂浪」 


遙かな昔、砂の民族、砂の民と噂される人たちがいた。
いま、私は彼らの道を辿り、取り残された子供のように、この砂漠に立ちつくしている。
皮膚の焼ける感触、靴の底からも砂の熱さが伝わってくる。サングラス越しに空を見上げる。ほんの少しサングラスをずらせば。目に突き刺さるのはまさしくの青だ。
そうだ、青い空だ。あれは、学生時代の夏、暑い昼下がりのことだった。
蝉の声、油蝉の唸る音。木漏れ日の並木道を歩く。アカシアの薄い葉が日差しを緑に染める。歩きつづけ、古びた図書館、涼を求めるように私は埃っぽさとその薄暗がりの中へと入り込んでいった。
もともと、さして本を読む質ではない。いたずらに背表紙を眺めて廻る。
私にとって、微かに木の床がきしむ書架に囲まれたこの空間は、未知の世界に他ならない。
薄暗がりの所為だろうか、ひたすら奥へと続く本の背表紙、果てなく何処までも続いていく。一歩、足を踏み出す度に一つの世界を、一歩、足を踏み出す度に一つの歴史を私は通り過ぎていく。
声が・・・。
いったい何処からだろう、ほんの一瞬、子供達のはしゃぐ声が聞こえた、いや、こんな薄暗い図書館の・・・、暑さに疲れているのか・・・
少し座ろう・・・
何気なく、私は書架から一冊の本を抜き出し、机へと向かった。

ひたすらに続く砂漠、限りのない広がりだ。
砂漠は空の青の広がりを映し込む。砂漠は砂の空だ。私は空の中にいる。
何一つとして目印のない、建物があるわけでなく、オアシスが見えるわけでもない。でも、私は確信している。もう少し、もう少しで辿り着くことができるのだと。

手ぶらで机につくのもなんだかと、何気なく書架から抜きだした一冊の本。
これはシルクロード調査隊の残した記録だった。
ゆっくりとページを繰る指先が止まる。小さな写真だ。砂漠の風景が微分化され、小さな黒の点でこの本に移し込まれている。そして、この風景こそが、約束を・・・、この砂漠に私がやって来た理由となるものだった。
蜃気楼・・・、地平の彼方に揺らめく何かが見える。
揺らめく所為で、それがどんな姿を光が演じようとしているのか、わからない。無数の巨人達がやってくるようにも見えるし、また、遥かに望む巨大な建造物のようにも思える。
かの地では人はまだ住んでいるのだろうか。生活を、営みを続けているのだろうか。
遥かな昔、この地はこんな砂漠などではなかった。オアシスの、たゆとうたる湖、賑わう街があった。交易の要所として栄えた街だった。
立ち止まり、見知らぬ言葉を私は話している。不思議と意味が分かる。誰に話しかけているのだろう。私の横に誰かがいる。遠い記憶。やわらかな指先がそっと私の指を絡める。そして、ほんの少しの未来、ほんのささやかな希望を語り合う。誰と・・・。このやわらかな指先は誰だろう。とても儚くて哀しい。少しでも力を入れれば、この指先はふっと消えてしまうかもしれない。
声だ・・・、子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。何処から・・・。
風紋、風が砂漠に規則正しい模様を描く。
そうか・・・、少し日が傾きだした所為だ、風紋のグラデーションが際だち浮かび上がる、これは砂漠の年輪だ。何処までも何処までも続いている。
一つ一つの光と陰の連なりが、砂漠の見てきた、人の営みも、なにもかもを樹木の年輪のように、その陰に移し込んでいる。
子供の頃、不思議に思ったことがある。どんなに大切なことでも思い出せないことがある。どうして思い出せないのだろう、とっても、大切な約束なのに。そして、ある時、気がついた。思い出せないのは、きっと、記憶を落としてしまったからだと。落としてしまった記憶は陰に吸い込まれてしまう、でも、消えるのじゃない、陰の中にうずたかく蓄えられていくんだ。たくさんの記憶や、大切な思いがひっそりと蓄えられていく。
それなら、どうなんだろう。この光と陰のグラデーションを一歩、一歩、越えていけば、落としてしまった記憶たちが私を待っていてくれるのではないだろうか。
空の青が少しずつ薄れ、紫帯びた赤に変わる。頬に感じる風がほんの少し涼しくなった。今更に、なんて静かなんだろうと思う。音・・・、風の音と砂を踏む足音だけが、少なくとも私がこうして歩いていることを実感させてくれている。少し立ち止まって、空を見上げる。空はいつの間にか赤く赤く紅蓮に燃えている。複雑な炎の色だ。空が、空そのものが燃えているようだ。五十六億年後に現れるという弥勒菩薩の見る風景はこれと同じかもしれない。
視線を落とせば、砂漠一面が赤く染まっていた。砂一粒一粒が赤く色づいてる。砂漠は砂の空、ならば、私は夕暮れの空を歩いている。そうだ、遙かな昔、湖が消え、オアシスが消えて、街を失った砂の民もこの砂漠をさまよい歩いた。いったいどれほどの思いで住み慣れた地を離れ、この砂漠をさまよったのだろう。たくさんのものを失い、儚き未来の幸せだけをよりどころに歩きつづけたのだろう。
私は・・・、いったいどんな気持ちでいたのだろうか。
声だ・・・、一瞬、子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。どうしてだろう、不思議と懐かしい。とても、懐かしくて、懐かしくて仕方がない。とても大切な大切な記憶。歩くことで、落としてしまった記憶たちが私の元へと帰ってきてくれているのだろうか。
空は燃え尽き、虚空に白い月が浮かびあがる。風が緩やかになり、そして凪いでいく。月の明かりが砂漠を白く照らし出して。白い光に呼応して砂の一粒一粒が水晶の粉のように輝きだす。
ここまで歩いてきた。そして、たくさんのこと、無くしてしまっていた記憶を拾い上げてきた。
そうだ、ここだった。ここだったよね。気がつけば姿の見えぬ同伴者。私の横を歩いていた。月の明かりの、その中でその存在は確かな存在として蘇る。
立ち止まる、そうだったよ、ここだったんだ。
白く輝く砂の一粒一粒から蓄えられた記憶が光とともに浮かび上がる。
光がその速度を停止させ、靄のように漂う。
そして少しずつ光の靄は形を生み出していく。
人の生きていた街を生み出す、白い光のオアシスだ、光の湖が街を生み出していく。そうだ、白く輝く砂漠が、その輝きに湖へと生まれ変わろうとしているんだ。
声だ・・・、子供たちの声が聞こえる。
目の前で光の靄が子供たちの姿に生まれ変わる。遊び、鬼ごっこだろうか。光の子供たちが光の街を駆けめぐる。なんて、賑やかなんだ。
絡める指先、暖かい・・・
未来、いつの日か生まれ変わり、また、もう一度、君と出会おうと約束した。いま、その約束をしたときの君とこうして指を絡めている。
どうなんだろう、君はいま生まれ変わり、私を探してくれているのだろうか。これから私は君を探し見いだすことが出来るのだろうか。
月が沈み朝がくれば、また、私は独りだ。
そっと振り返り、光の君を見つめる。少し恥ずかしそうに笑みを浮かべる君。
これから君を探しに行くよ。

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色あせた教室


『色あせた教室』
物部俊之

舞台は闇、千尋1、舞台中央、手首に剃刀を当てて。
千尋1 ぽたっ、ぽたっ・・・、手首から赤い血が零れ出して、ぽたっ、ぽたっ、手のひらの水脈を突き抜ける、ぽたっ、ぽたっ、小指を伝い、紡ぐ赤い絃のように、ぽたっ、ぽたっ、私の血、どこまでも流れて行く。あぁ、小指が温かい。・・・流れる血が温かいこと、いま、初めて知ったよ
千尋1 ぽたっ、ぽたっ、いつの間にか私の温かい血が、ぽたっ、ぽたっ、ほら、私の足元に溜まってく
千尋1 ね、私って何なんだろう、こうして立っている私と、そして足元の温かい血溜まり、そうだ、この温かい血も、私なんじゃないかな
千尋1 あぁ、私、が二人になる。温かみのなくなってしまったあたしと、温かみだけのあたし。もう、誰も、誰も信じられないと思ったけど・・・、もう一人のあたしなら、信じること、できるかも・・・、知れない
千尋1、呼びかけるように。
千尋1 ね、もう一人のあたし、君のこと、信じていいかな
千尋2か現われる。
千尋2 いいよ、信じてくれて
舞台明転。
季節は冬、新設校、教室の中。ただし、古いダルマストーブがある。ほぼ、中央の机の上には小さな竹が生えている。古びた柱時計、六時三十分を示している。
はり紙、よく見えるように。
(1996年度第一回PTA分会 いじめ撲滅週間を迎えるにあたって)
林、外から教室のドアを開けようとするが、なかなか開かない。
林 もう、立て付け悪いんだから。予算がどうだこうだで、新しい学校はこういうとこ、ケチるのよね
林、やっと教室に入る。
千尋1 げ、母さん。そういえば昨日の晩、電話で
千尋2 母さん、なにしに来たんだ
千尋1、はり紙を指差して。
千尋1 あれ・・・
千尋2 あ・・・
以降、千尋二人は母親に自分達の存在を知られるまで、できるだけ母親を無視、そして避け続けようとする。
林 一番乗りか・・・
教室の時計を見て。
林 確か昨日の電話で六時半って言ってた。今・・・、なに、古臭い柱時計、これ、動くんでしょうね。ん、六時半、少し済んだとこか。それにしても、誰も来ていないなんて、いじめの問題、どう考えているんだろ
田中(男)、慌てたように入って来る。
田中 これはこれは、遅れて申し訳ない。いやぁ、仕事の都合がつきませんで。おや、まだ、お一人だけですか
林 ええ。ご覧の通りですわ
田中 ということはまだ始まっていない
林 私、一人ですから
田中 それは良かった、いや、急にお客さんから電話がかかって来ましてな、さぁ、車に乗って出かけようとしたところで
林、あきれたように顔を反らす。
千尋2 1組の田中の父親だ、あれ
千尋1 田中京子、かつ上げしてる奴よね
千尋2 そう、成績優秀の学級委員長様
田中 いつもこういうのは家内ばかりにいかせているのですが、今日はちょっと家内の奴、電話の声が不気味だなどと云いだしまして、で、私が・・・。ほぉ、1996年度第一回PTA分会いじめ撲滅週間を迎えるにあたって。なるほど、この学校にもいじめなんてものあるんですかな
林 さぁ、どうでしょうね
吉田、教室に入って来る。
吉田 すいません、遅れまして・・・。あら、まだ、お二人
林 あら、吉田さん。どうぞ、ストーブの横にいらっしゃいな
千尋1 千尋、何処かで見たこと・・・
千尋2 えっとね・・・
千尋1と2 孝男の母親。げーっ
千尋2 二日前、孝男の奴に殴られた。先生の前ではおとなしいくせに。ほらほら、頭の上、まだこぶが出来てんだから
千尋1 見せなくていいよ、あたしにもあるんだから
千尋2 あ・・・、そうか
吉田、林の近くで。
吉田 寒くなりましたね、ほら、窓。雪が降りだしましたわ
林、窓を見て。
林 ほんと、積もらなきゃいいけど
田中 大丈夫でしょう。なんだったら、私、車ですから、帰り送ってあげますよ
中村、飛び込んで来る。爽やかな感じで。
中村 遅れて申し訳ありません。はは、思ったよりテストの採点に手間取ってしまいまして。おや、まだ、三人ですか・・・
林 あら、中村先生。まだ、三人って・・・。いったい今日は何人の父兄が集まる予定ですの
中村 ああ、これは、林さん。いや、それは・・・
吉田 ご存知ないの
中村 はは、お恥ずかしい話、私の机、書類で一杯でして
吉田 そんなことをお聞きしているんじゃありません
中村 いや・・・。あれ、確かポケットに・・・、何処行ったんだろう。メモが下敷きになってましてね、書類の下に。確か・・・、六時半にこの教室へと・・・。ん、職員室に忘れて来たかな
千尋1 あれ、中村先生だ
千尋2 うん。一番の暴力教師で、運動おたくの。ね、千尋、中村先生どうしてPTAの会に来てんだろう
千尋1 そう・・・、どうしてかな
中村 まっ、いいか。ん、1996年度第一回PTA分会いじめ撲滅週間を迎えるにあたってか・・・。確かPTAというと、会長は三島さんでしたっけ
吉田 ええ
中村 三島さんはお見えになるんですか
吉田 さぁ・・・。私、電話で呼び出されただけですから
林 あら、私もなんですよ。それも昨日の晩に。だから、もう、大変、お兄ちゃんの晩ご飯の用意もしなきゃならないし、千尋ちゃんも塾に送り出さなきゃならないし
中村 ひょっとしてそちらの方も
田中 確かに、電話で。女房が取った電話なので、時間はわかりませんが
中村 なんだか妙ですね。いったい、どうしたんだろう。あ・・・、考えてみたら、この教室を使用するってカード、黒板には貼ってなかったような気がする
田中 じゃ、このはり紙、1996年度第一回PTA分会いじめ撲滅週間を迎えるにあたってっていうの、一体誰が貼ったんでしょうな
林 私が最初にこの教室に入ったときにはもう貼ってありましたわ
千尋1 なんか、変
千尋2 何が
千尋1 母さん達のこと
千尋2 そういえば。ね、確かあたし達が来たときにはもう、はり紙貼ってあったよね
千尋1 何か、陰謀のにおい
千尋2 陰謀といえば、やっぱり事件。それも殺人事件。よし、母さん達、一人ずつ殺して行こう。母さんは最後にしてあげて
千尋1 あのね。クリスティーの『そして誰もいなくなった』じゃあるまいし
千尋2 あ、それいい
千尋1 母さん達、知り合いだよ。設定に無理がある
千尋2 なら。そうだ、千尋。こうするの
千尋2、田中の近くにより、後から首を締める。
田中 うぉぉぉっ
中村 ど、どうしました
田中 首が、首が
林 喉、なにか詰まったんですか
田中 ち、ち、違う。首が、首が締まって・・・
吉田 よ、横になってください
林 気持ちを楽にして。すぐに救急車を呼びますから
千尋2、一段と力を入れる。
田中 ううっ
千尋1 そ、こ、ま、で
千尋2、手を放す。
千尋2 ここからが面白くなるのに
千尋1 考えてる。もしも、この人死んだら、あたし達と同じになるんだよ
千尋2 あ、そうか。そしたら・・・。立場、一緒になってしまうんだ
千尋1 そう。反対に首を締められかねない
田中、せき込みながら。
田中 いや、申し訳ない。急に首が締められたように苦しくなって
林 大丈夫ですか
田中 いや、もう。・・・大丈夫です。ご心配お掛けしまして
千尋2 そうだ、いいこと思いついた。にくったらしい奴の首締めツアーに行こう
千尋1 孝男達の首、締めに行くのね
千尋2 そう、死なない程度にね
千尋1 はは、なんか面白そう。よし、行こう
千尋1と2、教室を駆け出して行く。ふっと、千尋2、立ち止まり。にっと笑みを浮かべて。
千尋2 ドアはちゃんと締めなきゃね。あたし、いい子だもん
ゆっくりと、ドアを閉める。
林、悲鳴。
吉田 どう、どうしたの
林 ドアが、ドアが
田中 ドア・・・
中村 あれっ、俺、ドア、閉めたかな
林 今、勝手にドアが閉まったんです。するするっと、するするっと
田中 まさか、自動ドアじゃあるまいし
林 でも、でも。確かにドアが、ドアが閉まったんです
吉田 そう言えば、私、女の子の笑い声が聞こえたような
田中 妙なこと、言いださないでくださいよ
中村 ふむ。閉めたといえば、閉めたような
田中 ど、どうなんです
中村 ・・・忘れました。はは、申し訳ない
中村、急に思いだしたように。
中村 そうだ
田中 は、はい。どうでした
中村 貰いものですけど、職員室においしい羊羮があるんですよ。お茶も用意しますし、ちょっと
中村、ドアの近くへ。
林 先生、私達を置いて、逃げるんですか
中村 へ・・・。どういうことです
林 あ、いえ・・・
中村 あ・・・、ドアが勝手に・・・、それに女の子の声・・・。まさか。幽霊だとか信じているんですか。はは、困ったな、子供じゃあるまいし。まぁ、安心してください、すぐに戻って来ますから
中村、ドアを開けると同時に、大声を上げる。
中村 うわぁぁっ
中村、二歩、三歩、後退りをするのに合わせて、榊(男)が、少し不気味に教室に入って来る。榊、後ろ手にドアを閉める。
榊 あのう、こちらですよね
中村 は、はい
榊 PTAの・・・、会は
中村 そ、そうですが
榊、ほっと溜め息をついて。
榊 いや、私は生まれつきの方向音痴でして、職員室で階段上ぼっての突き当たりの教室って聞いたのですが、最初開けたドアは、がらんとして誰もいないし、その隣の教室のドアを開けてみたら、これが部活が終わったかなにかで、着替えていたんでしょうな、女の子達がパン一で、いや、良い目の保養をさせていただきました。まっ、欲を言えば、あと十年くらい、成長した後の女の子なら、もっと良かったのですが
林 いったい、何をおっしゃっているんです。不謹慎ですわよ
榊 いや、これは申し訳ない。ところで・・・
吉田 ええ、まだ、始まっていません
榊 いけませんな、それは。このいじめ問題が取りざたされている昨今。我々大人も、しっかりといじめ問題に対峙しなければなりません
田中 とにかく座ってください。ちょっと、私達、疲れてましてね
榊 ほぉ、何かあったんですか
田中 いいえ、得には何もないんですけどね
林と吉田、うなずく。榊、椅子に腰掛けて、手持ち無沙汰に。
榊 しかし、まぁ、懐かしいものですな、教室というのも。私は出来が良くなかったから、よく先生に殴られましたが
中村 昔はね
榊 え、今は違うんですか
中村 僕なんか、一度も生徒を殴ったことないですよ。殴ってなんかみてご覧なさい、すぐに親が押しかけて・・・。いや、まぁ、暴力では何も解決しませんからね
林 そうですわよね、何事も話し合いで解決するべきですし、また、解決できるものなんですわ
吉田 そうそう。大切なのはお互いを思いやり理解することです
林 ええ、テレビや新聞なんかでは、よくいじめの問題を取り上げていますけど、あれって本当に特殊なことなんですよ
吉田 だからこそ、ニュースになるわけなんですわ。これは珍しい話だって
林 大切なのは思いやりの心、本当、それだけなんです。それだけあれば充分。そうは思われません
田中 ま、もちろん、そうでしょうが。私など、子供の頃、先生に殴られて廊下に立たされたことも、今では懐かしい思い出ですよ
林 あら。それがいけませんのよ、ね、先生
中村 そうですね。なんて言えばいいのかな。ん・・・、昔の良き時代、昔と今とでは時代も環境も全く違うんですよ。だから、価値観もそれに応じて変化させていきませんとね
田中 いくら違うって言っても、そんなには、かわらないでしょう。私の娘など、親の私が云うのも何ですが、真面目な娘でして、テレビなんぞでやっているいじめのドラマ、こんなの本当にあるのかなって、娘を見ていると疑いたくなりますよ
吉田 それは、わかりますわ。うちの孝男にしても、いつも元気に『行ってきまーす』って楽しそうに学校に行く子なんですよ、本当に微笑ましいというか
千尋二人、どたどたと入って来る。
千尋1 いったい、どういうこと。学校から出られない
千尋2 門から出ようとしたら、何かに引き戻されるし
千尋1 塀を乗り越えようとしたら、何かに顔ぶつけるし
千尋2 結界だ、これは
千尋1 結界って。それ、オカルトの見過ぎだよ
千尋2 でも、それしか考えられないよ
千尋1 じゃあ、こういうこと。何処かにお札が張ってあって、それが邪魔して出られない
千尋2 そうそう。よし、お札探しに行こう。見つけたら、それ、はがして
千尋1 もし、そうだとして、はがせられると思う。あたし達、幽霊だよ。去年の夏、見た深夜テレビの『牡丹燈篭』
千尋2 あ・・・。自分では、はがせられないから、男にとりついて、その男に無理矢理、お札をはがさせたんだ
千尋1 つまり、協力者がいるってこと
千尋2 うーん。そうだ、とにかく、こいつで試してみよう
千尋2、中村の腕を取り、舞台中央へ。
中村 あ、あ・・・。躯が勝手にー
千尋2と中村、舞台正面に並んで立つ。
千尋2、自分の右の頬を引っ張ってみる。そして、中村を覗く。中村、無反応。千尋2、少し首を傾げて、もう一度。今度は中村も同じように頬を引っ張る。以降、ラジオ体操など、中村、千尋2と同じ動きをする。
千尋2、大きくうなずくと同時に、中村の動きが止まる。
千尋2 大丈夫、上手くいく
千尋1 じゃ、お札はがし、始め
千尋2 行け、中村
中村 は・・・、はい
中村を先頭に千尋2、千尋1とドアに向かって駆け出す。中村、ドアを開けようとするが、開かない。
千尋1と千尋2もドアを開けようとしたが、全く開かない。
田中 ・・・先生、先生。いったい・・・、どうなさったんですか
中村 か、躯が勝手に、勝手に動くんです。誰か、誰か止めてください
千尋1 まじで開かない
千尋2 さっきは簡単に開いたのに
千尋1 変だ、これ。開かないなんてもんじゃない。まるで、壁に描いたドアの模様みたい、ぜんぜん、動こうとしない。千尋、壁抜けするよ
千尋2 うん
中村、弾き飛ばされたように後ろに下がる。
林 だ、大丈夫ですか。先生
中村 は、はぁ・・・
吉田 ちょっと休まれたほうが

千尋1 心をゆっくりにして・・・
千尋2 心をゆっくりにして
千尋1 壁に右の手のひらをつける・・・
千尋2 手のひらをつける
千尋1 あたし小さい、あたし小さい・・・
千尋2 あたし、小さい
千尋1 壁の分子のすき間を通り抜けて・・・
千尋2 すき間を通り抜けて
千尋二人、大声で。
千尋1と2 行こう、この壁の向こうに
千尋1と2、ぐっと躯を前に乗り出し、逆に弾き飛ばされる。
千尋1 まさか・・・。閉じ込められた、この教室に・・・
千尋2 まじ・・・、これ

中村 変です。とにかくこの教室から出ましょう
田中 そ、そうですな
榊と、千尋二人を除いて、全員ドアに近寄り、何とか開けようとするが開かない。
林 窓、窓はどうです
田中 窓。そうですな
田中と林、窓を開けようとするが、窓も開かない。
田中 先生。窓を壊してもよろしいですな。弁償くらい、いくらでもしますから
中村 は、はい
田中 では、この机で
田中、窓に投げ込もうと、机を持ち上げようとするが、机も全く動かない。
吉田 手伝いますわ
田中と吉田、一緒に机を持ち上げようとするが、机は地面に張り付いたように動かない。林、今度は椅子を動かそうとするが、それも動かない。
林 どうして動かないのよ。さっきまで簡単に動いていたのに
千尋1 ね、おかしいよ。机や椅子まで動かないなんて
千尋2 ああ。あの人・・・
千尋2、榊を指差す。
千尋1 しっかり、落ち着いてる、一人だけ
榊 皆さん。まぁ、落ち着きましょう、慌てても仕方がない
田中 なに気楽なこと、言っているんです。あんたはこの事態の大変さがわからんのですか
榊 そうですな・・・。何が起こっているのかぐらいはわかりますが、まぁ、たいして困った事態でもありませんし。いいんじゃないですか
林 わかっているんですか。ここから、出られないんですよ
榊 まぁ。大変といえば大変かも知れませんが、ふむ、外は寒いのに、この部屋はストーブもあって、暖かい。たまに地下街を歩くと、こう、段ボールを敷いて寝転がっている人がいるでしょう、そんなのに比べたら、もうこの教室は別天地ですよ
榊、欠伸をかみころす。
吉田 何を考えているの、この人は
榊 おや、竹がまた少し伸びたようですな。ここの養分はなかなか質が良い
千尋1 ね。ほんの少しだけど机の竹、成長していない
千尋2 そう・・・、いえば・・・
吉田 竹って・・・
吉田、竹の生えている机によって、竹をまじかからのぞき込む。
吉田 生えてる、この竹、生えてる。先生、この竹、机から生えていますわ
中村、机に近づき。
中村 ま、まさか・・・。これは
田中と林も机に近づき。
田中 確かに・・・、机の上から竹が・・・、生えている
中村、榊に向かって。
中村 いったい、何がどうなっているんです
榊 簡単なことです。この教室に竹が根づいたんですよ。ドアや窓や机に椅子、この教室、全てに竹の根がまわっておるんです。ちょっとやそっとでは、机も動きませんな
中村 竹が・・・、竹が根づいた・・・
少し、零囲気を変えて。
榊 昔、竹は小さな草だった。それが今のように大きくなったのは
千尋二人、何かにとりつかれたように。それを、榊、少し驚いたように。
千尋1 草だった竹が樹木に憧れたから
千尋2 木のように大きくなりたい、長く生きてみたい
千尋1と2 春が一度だけなのかどうか、知りたい・・・・
千尋1 願い、焦がれ
榊 少しずつ、少しずつ竹は大きくなった、少しずつ、少しずつ、竹は長く生きられるようになった、本当に幸福だった。だが、長く生きることができるようになって、竹は何処かに一抹の不安と寂しさを抱くようになってまっていた
千尋1 本当に己は生きてきたのか、いま、ふわっと現れただけではないのか
千尋2 何が己の生きて来たことをあかしてくれよう、他の誰でもない己自身に
榊 そう、樹木には年輪がある。年輪が他の誰でもない、己自身に己が生きて来たことを示してくれる
千尋1 だけど・・・
榊 竹は無理に大きくなったため、その内を空洞としてしまった。その空洞がどれほど、大きくても空洞には年輪を描く余地はない。それに気づいてからというもの、竹は・・・、竹は鉛雨の降る日には、俯くようになってしまった
千尋1 俯く、俯く・・・
千尋2 ・・・これは・・・
榊 俯いた拍子に見つけたものは落ちて朽ちかけた記憶の破片だった。通り過ぎる人間達の・・・
千尋1 ・・・思い出したいことが思い出せないのは、記憶を落としてしまったから・・・
千尋2 竹はその記憶の破片を地層の如く、拾っては節と節との間に重ね続けた
千尋1 ため続けた記憶の地層で竹は己が生きた証を己自身に示すことが出来る、そう考えたんだ
千尋1と2 そして重ねられた記憶の破片が時の流れと共に化石に変わる。竹は無精繁殖で無限の時の流れを越え続ける。記憶の化石をその身に抱きながら
千尋1 ・・・これが竹の年輪です・・・
千尋1と2 ・・・月の出る晩、風のない晩、静かな心で竹林を歩くと、鈴の鳴るような声が聞こえてきます。竹の中で歌う声。幽幻の吟遊詩人のように、ひそやかに、秘めやかに。化石となった記憶達、その思いはいかほどか・・・
榊、きっぱりと。
榊 誰が大切な思い出を落とすものか。竹は落とされた記憶を拾ってため込んでいたんじゃない。忘れてしまいたいと捨てられてしまった記憶をため続けているんだよ
中村、竹を掴む。
中村 こんな竹、引っこ抜いてやる
中村、竹を引き抜き、打ち捨てる。
中村 よし、出ましょう
榊 無駄ですよ。そんなのは、ほんの一部分でしかありません
中村 あんた、いったい何者なんだ
田中 ここの生徒の保護者じゃないだろう
榊 はい。違います。もっとも、私、保護者だと名乗った記憶はありませんがな
中村 俺が教室を逃げだ・・・、いや、私が出ようとしたとき、あんた、まるで何もないところから、ふわっと目の前に現われた・・・
榊 目がお悪いようで。ひょっとしてコンタクトでも落とされましたか。皆さん、動かないでくださいよ、今、コンタクト、探していますから
林 ふざけないでください。あなた、いったい、誰なんですか
榊 誰でしょう。ただ、申しておきますが、ドアが開かぬのも、窓が開かぬのも、私が原因ではありませんよ。あえて原因があるとすれば、それはあんたがた自身ですよ
千尋1 あのおじさん。性格は曲がっているけど、悪い人じゃない・・・、と思う
榊、気楽に。
榊 お嬢さん。どんなまっすぐな人間でも、一千年も生きていると、少しぐらい性格も曲がりますよ
千尋1 え・・・、あたしのこと
吉田 教えてください。いったい、何がどうなっているんです
榊 ドアが開かなくなっています
吉田 そうじゃなくて
林 開かなくなった理由です
榊 竹の根が教室中に根付いてしまったから、開かないわけでして。つまりはこう、柱とドアを竹の根っ子が釘で打ち付けたようにですな
田中 聞きたいのは、どうやったら、ここから出られるかってことなんだ
榊 あぁ、なるほど。そうならそうと言ってくださればいいのに
榊、立ち上がり教室をあちらこちらと見て廻る。
榊 こんなに早く繁殖してしまうとは。ここ数年、成長が激しいとは思っていたが。凄いものだな
榊、歩き回り、不意に千尋二人の前で立ち止まり、ポケットから飴を取りだした。
榊 お嬢さん達、飴をあげよう
千尋2 あ、ありがとう
千尋1 どうも
榊 さて、皆さんにはっきり申し上げましょう
吉田 はい
榊 私の手には負えません、あしからず
田中 どういうことだ
榊 予想していたよりも、かなり根がはっておりましてな、とても私のかぼそい腕では切れません
榊、座っていた椅子に腰を降ろして。
榊 ま、なるようになるでしょう。私は日頃の行ないがいいですからな
榊、一人で笑う。

田中 とにかく、私達だけでもこの教室を脱出することを考えましょう
林 そうですわね、でもいったいどうしたら
中村 まず、準備です
吉田 準備・・・
中村 ええ。まずは机の中や、ロッカーの中から、なんでもいいです、そこにあるものをこの机に積み上げましょう
林 そうですわね
田中、中村、吉田、林、机の中やロッカーを引っ掻き廻して、中にあったものを一つの机に積み上げて行く。
(ナイロン袋に入ったパン2枚、マーガリン一かけ、子供用の小さな鋏、細身のカッターナイフ、色画用紙、チョーク3本、鉛筆1本、社会科の教科書1冊)
田中 給食のパン二枚。それからマーガリン
中村 非常食には心許ないですね
林 小さな鋏、それにカッターナイフ
中村 カッターナイフか・・・
吉田 赤色の画用紙に、チョークと鉛筆
中村 それと、社会科の教科書、これはどうしようもないな。よし、これだけですね
田中 あとはまるめた鼻かみ、何枚かの紙切れだけです
林 どうします、これで
吉田 そうだ、このカッターナイフでドアを・・・
林 ドアよりは廊下の窓の方がいいですわ、とにかく、人ひとりが何とか出られるだけの大きささえ確保できたら
田中 そうですな、順番に出られます
中村 待ってください。もっと他の方法も考えるべきです
田中 確かに・・・。こんな紙を切る程度のカッターナイフで窓枠のゴムを切り取ってガラスの外すのは難しいかもしれない
林 じゃあ、どうすればいいんです
中村 落ち着いてください。学校は宿直の教師が一晩に二回廻ることになっています。一回目は七時です。ですから、その時に、私達が出られなくなっていると伝えることができたら
吉田 わかりましたわ、もしも、声が届かないことを考えて
林 紙にメッセージを
中村 そうです
田中 時間は・・・
田中、驚いて、壁の時計を指差す。
田中 時間が経っていない
林 六時三十分、ま、まさか、時間が経っていない
吉田 そ、そんな
中村 落ち着いてください、時計が動かないから時間が経っていないなんてわけがないでしょう。電池が切れて・・・
中村、慌てて時計のそばまで行く。
中村 どうしてこんな古臭い柱時計が掛かっているんだ。いたずらか・・・
林 あ、あの・・・
中村 え・・・
林 最初、この教室、何か妙だと思ったんですけど、ここ、新設校ですわよね
中村 ええ、二年目です
林 じゃ、このストーブって。何かの意味があって・・・
中村 は・・・
中村、始めて気がついたように、まじまじとダルマストーブに魅入る。
中村、うめくように。
中村 ダルマ式・・・、セントラルヒーティング、そんなわけあるか・・・
田中 とにかく、先生。今、できる最良のことをやりましょう
中村 わ、わかりました
四人、頭を突き合わせて、画用紙にメッセージを書き出す。
千尋二人、あぶなっかしいものに近づくように、榊の近くに寄る。
千尋2 おじさん、あたし達、見えているんだよね
千尋1 声、聞こえているんでしょう
榊、空々しく、あたりを見回して、それからふっと千尋二人に笑いかけ、手招きする。
榊 良く見えているし、聞こえてもいるよ。しかし双子の幽霊とは珍しい
千尋1 双子じゃありません
榊、二人をのぞき込むようにして。
榊 元は一人か・・・、長く生きてきたが、こんなのは初めてだ
千尋1 おじさんは誰
千尋2 幽霊、妖怪、それとも宇宙人
榊、くすぐったそうに笑う。
榊 どういう答えをお求めかな
千尋1 え・・・
榊 自分にも分からないんだよ。人間にしては一千年ちょっと、生きているしね、といって死んだ記憶も無し。それに空飛ぶ円盤にも乗せていただいたこともないからな
千尋2 じゃあ、妖怪だ
榊、大笑いをして、自分の笑い声ににらんだ四人に、ひゅっと首をすくめて見せる。
榊 妖怪とは手厳しい。そう・・・、竹取物語は読んだことがあるかな
千尋1 かぐや姫だよね
榊 ふむ、何を隠そう、わしは
千尋2 わかった、おじいさんだ
千尋1 え、どういうこと
千尋2 かぐや姫を切ったおじいさん
千尋1 かぐや姫を切ってどうすんだよ
千尋2 あ、そうか
榊 ま・・・。わしはそのかぐや姫の入っていた竹を切って、その子を育てたという翁『さかきの造』にてございます
千尋1 本当に・・・
榊 こちらのお嬢さんはなかなか疑り深い。正直云うと、あの話は全くの作り話なんだ。まぁ、そういう話にしておいたほうがロマンがあっていいからな
千尋1 じゃ、本当は
榊、少し間を置いて、もったいぶるように。
榊 わしは竹を刈り、集めては火を点けその竹を燃やす。そして竹の中に溜まり積もった哀しみや苦しみの化石を煙にして、空の高み、天へと送ってやるんだ。それが・・・、一千年続いたわしの仕事なのだよ
千尋2 よくわからない
榊、がくっと肩を落として。
榊 折角、気分よく言えたのにな
千尋1、千尋2を肘でつついて。
千尋1 おじさん、いじめたらだめだよ
千尋2 はは、ごめんなさい。本当は感動した
榊、嬉しそうに。
榊 そうか、ならばよろしい
千尋1 ね。じゃ、さかきの造のおじさんって呼べば良いの
榊 ほう。人から本名で呼ばれるなんて、久方ぶりだな。しかし、長ったらしいだろう、おじさんでいいよ
千尋2 じゃあ、おじいさんは
榊 じーと伸ばさんように。俺はそんな老けてなんかないからな
千尋2 でも、一千年生きてんでしょ、さっき、自分で言ってたじゃない
榊 たとえ生きていても、俺の心はまだ十代の若者だ
千尋1 ね、千尋、いいんじゃない。この人、人の十倍以上生きてんだから、その分、じーって伸ばしていたら、うっとおしくて仕方ないもの
千尋2 あ、そうか。おじいー、いー、いーっさん、肩をもんであげる。あー、あたしの方が肩、こってきた
千尋1、千尋2の肩をもみながら。
千尋2 あ、そこそこ。ああ、良い気持ち。極楽、極楽
千尋1、千尋2の頭を軽く叩いて。
榊 飽きない奴等だな

田中 よし、できた
林 じゃ、人が来たらこの紙を見せて
中村 中からドアを開けることができません。窓も開きません。工作室に電動鋸がありますから、それを使って窓を開けてください
吉田 いいですね、これで
中村、うなずき、紙を隣の机に置く。
中村 あとは待つだけです。まぁ、しばらく経てばやって来ますよ。確か今日の宿直は吉岡先生だったかな。あの先生は落ち着いた方ですからきっと冷静に対処してくださいます
田中 しかし、少し気が楽になると・・・
中村 なにか・・・
田中 あの止まった時計、気になります。それにストーブも
中村、うなずいて。
中村 それも、もうしばらくの辛抱ですよ。この教室から出さえすれば。そうだ、カッターナイフ脱出法、試してみましょう。上手く行けばそれにこしたことはない
林 そうですわね。じっとしていると落ち着かなくて
四人セットのように窓により、カッターナイフと鋏で窓枠とガラスを接着しているゴムを削りだす。榊、ふっと思いついたように、机の上にある社会科の教科書を取りだし、ページを繰る。そして中程で興味ぶかけに頁を見つめる。
千尋2 おじさん、何をみているの。あ、日本史。あたし、数字苦手なんだ
榊 歴史に数字なんか関係ないだろう
千尋1 年号のこと。ムシゴロシ、六四五年、大化の改新
榊 なるほど、そうか。そう考えて見てみると、数字だらけだな
千尋2 困ったもんだよ。ね、おじさんも大人の仲間だよね
榊 ああ、こんなひねた子供がいたら大変だ
千尋2 なら、教えて。どうしてこんなことばっかり覚えなきゃならないんだろう
榊 不思議だな、その前に教えてほしいな
千尋1 え・・・
榊 覚えたければ覚えたらいい、覚えたくなければ覚えなければいい。どうして覚えなきゃならないと考える
千尋1 だって、みんな、覚えるもの
榊 みんなって
千尋1 同じ組のみんな
榊 なんだ、みんななんて云うから世界中の子供達全員が、ムシゴロシ645年って覚えるのかと思った
千尋2 だけど、だけど。先生もお父さんもお母さんもいうよ、とにかく覚えなさい、記憶しなさい。そしていい学校に入って、いい会社に入って、いいお婿さんもらって、たまのこし
千尋1 勉強しなくちゃならない、覚えなくちゃならない。学校終わったら塾へ行きなさい。そうだ、雑誌に記憶マシーンってのあったから一度試してみる。ね、ね、クラシックを聞くと脳波がアルファ波になって、簡単に記憶できるんだよ。それにそうだ、寝ている間は睡眠学習もしよう、・・・今度のテスト、お母さん楽しみだなって
榊 なるほどなぁ、子供達はみーんな、幽霊なんだ
千尋2 幽霊・・・
榊 先のことばかりで、今のことを考えていない。未来を生きることばかり考えて、今を生きていない。生きていないんだから、幽霊。そうだろう
千尋1 ほんと・・・。そうだよね
千尋2 生まれて初めて逆らってやろうと思ったのに
千尋1 やっぱり同じなんだ。いくら手首を切っても
千尋2 幽霊から、少しかわった幽霊になっただけ
榊、少し頭を掻いて、教科書を広げたまま机に置いて。
榊 それに気がついた。気づくことで人は変わり始める
千尋1 本当に変わることできるかな
千尋2 本当に
榊、力強くうなずいて。
榊 気づくことから、全ては始まる。気づくことで、子供は親から巣立ち、本当の大人に生まれ変わる。君等にとって、今が一番、素敵な時代だ
吉田、榊に近寄り。
吉田 いったい、何を言っているんです、一人で
榊 おや、聞こえてましたか。いや、私は孤独な人間でしてな、ついつい独り言が口をついて出てしまうんですよ
千尋二人、くすぐったそうに笑う。
吉田 あ、あの。いま、女の子の笑い声、聞こえませんでした
榊、気楽なふうに。
榊 さぁ、空耳でしょう。それより、はかどっていますか、脱出用の穴は。お願いしますよ、私の生命もかかっているんですから
吉田 生命って、そんな大げさな
榊、吉田に耳打ちするように。
榊 締め切った部屋、燃えるストーブ、いつまで息ができるでしょうね
吉田 え・・・
榊 冬場良くあるでしょう。一酸化炭素中毒、ふぅぅっと気が遠くなって、そのまま。こてん
吉田、悲鳴をあげる。
林 吉田さん、どうしたんです
吉田 い、いいえ。なんでもありません。なんでも
吉田、林を手で制するようにして。すぐに、榊と吉田、頭突き合わせて相談するように。
吉田 そんなこと言ったら、パニックになってしまいます
榊 それで
吉田 それでって・・・
榊、少し皮肉っぽく。
榊 立派な大人ですよ、私達は。ちゃんと、立派な理性というものがございますよ
吉田 そんな建て前を・・・
榊 建て前と本音というやつですな。つまり、本音ではこんなこと言おうものなら、パニックになって収拾つかなくなってしまう。といってストーブを消したら、この先どうなるかわからないのに、寒さに震えていなきゃならない。とにかく、ここは問題を先送りにしてしまおうってことですな
吉田 私はそんな・・・
榊 違いますか
吉田 ・・・いいえ
吉田、沈黙。
吉田 あの、私達、どうなるんでしょう
榊 あなた、日頃の行ないは良いほうですか、それとも悪いほう
吉田 え、どういうこと
榊 先ほども申しましたが、私は日頃の行ないがいいですからな、きっと自分は 助かると思っております。で、あなたは
吉田 私は・・・、悪いかも、知れません、多分、いえ、きっと・・・
吉田、千尋二人の存在に初めて気がつく。茫然としたまま。
吉田 あなた達・・・。確か・・・
千尋1 あたしの躯、見えるの、吉田君のお母さん
千尋2 あたしの声、聞こえるの。吉田君のお母さん
榊 世界が浸食されつつあるのか。竹の節と節の間に詰まったこの思いに
吉田 まさか・・・、千尋ちゃん。孝男と幼馴染の
千尋1 友達じゃないけどね、幼馴染ではあるけど
千尋1、左手首を吉田に突きだす。
吉田 手首が、黒い血のあとが・・・
千尋2 孝男達にいじめられたの
林 まさか、孝男が千尋ちゃんを・・・
千尋1 手首を切って、あたし、死にました。幽霊になって怨みをはらすために
吉田 そんな、あの子がそんなこと・・・
千尋1 あたしがクラスの連中から、寄ってたかって殴られたとき
千尋2 あいつ、知らん顔していた。見て、見ない振りしていた
千尋1 もし、あたしを助けようとしたら、あいつ、自分もいじめられるようになるってわかっていたから
千尋2 そして、すぐにあいつも一緒になってあたしをいじめるようになった。自分自身を守るために
千尋1 あたし、とても心が痛かった
吉田 まさか、あの子が、そんなことをするわけがないわ
千尋1 そっか・・・、そうだよね。信じられないよね。自分の、かわいい、かわいい息子だものね
千尋2 いいよ、憎いのはあんたじゃないもの。憎いのはあんたの息子だもの
千尋1 死んで、怨みをはらす相手はあんたじゃない、だから安心していいよ
千尋2 苦しめたい相手は孝男なんだから
千尋1と2 死んでも、孝男達、許さない。あいつら、いつまでも呪ってやる
吉田、千尋二人に。
吉田 孝男だけには・・・、お願い。悪いのは私なの。あの子をちゃんと育ててやれなかった私が悪いの。何もかも悪いのは私なのよ。ごめんなさい、本当にごめんなさい
千尋1 親離れどころか、子離れもできていないなんて、やりきれないよ
榊、何事もないように平然と、吉田に教科書を開けたまま手渡す。
吉田 え、あ、あの・・・
榊 それ、良く見てごらん
千尋1 今、話中なの。あとにして
榊 たいした話じゃあるまい。そこの机に鉛筆があるだろう。それにメモ用紙、ほら。これに書いてわしに預けときな。あとで渡しておいてやるから
千尋二人、気楽に笑って。
千尋1 まっ、いいや。メモ、貸して。たっぷり、恨み書いておくから
千尋2 あとで、ちゃんと渡してよ
榊 わしを信用しなさい
千尋1 大人は信用できない
千尋1、榊からメモを受け取り、千尋2は机にあった鉛筆を取り、二人、他の机に着いて、メモに怨みを書きだす。
榊 さぁ、とりあえず、得意技の問題先送りをしてと・・・。見てもらえますかな
吉田 これは・・・
榊 明治の頃の写真が載っているでしょう。何処かの工場のようですな。さて、間違いが一ヵ所あります、それは何処でしょう
吉田 間違いって・・・
教科書に見入る、吉田の後から千尋二人も教科書をのぞき込む。
千尋1 あ、セントラル
千尋2 ヒーティングだ
榊 なんだ、もう書き終わったのか。どれどれ
千尋1、紙切れを榊に手渡す。読もうとするが。榊、困ったように、メモを上下左右、回転させて。
榊 なんだか、丸い文字だな。この、緊迫感ってものに欠ける。もっと、おどろおどろしいものが欲しいもんだな、ひきつったような、さも恨みますって感じのが。あぁ、ええっと、これが・・・、なんて読むんだ。つ・・・、つう、ああ、TO、孝男へ
千尋1 もういい
千尋1、取り返そうとするが、素早く、榊、メモをポケットに突っ込んで。
千尋2 返して
千尋1 そうはいかない。確かに預かってあげたよ。ただし、一つだけ忠告しておこう。TOは『〜へ』って意味だから、訳すると、孝男へ、へ、になってしまうな。笑っているみたいだ
千尋1 嫌味な大人。大嫌い、こういう大人って
榊 はは、可愛い女性に大嫌いと言われたら、ショックだが、君等なら仕方ない、まっいいやの一言だな
千尋1、むっとして。千尋2、おかしそうに笑う。
吉田 あ、あの、千尋ちゃん。あのね
千尋1、くっと吉田をにらむと、教科書を吉田から取って。
千尋1 あんたには関係ない。千尋、おいで
千尋2 うん
千尋二人、教科書を見つめて。少しため息をついて、吉田に教科書を返す。そして、教科書の写真を指差す。
吉田 あ・・・。古びた工場にきれいなセントラル・ヒーティングが
千尋1 四人、五人、作業員が寒そうに手をかざしている
榊 探せば、この教科書に時計も出て来るでしょうな
榊、時計を指差して。
榊 あれのかわりにね
吉田 教室の中が教科書の中と入れ換わり始めた
榊 いや、それは正確じゃない。正確には、現実という枠組みが崩れ、現実と教科書という虚構が混乱しだしたんだ
千尋1 これからも変わって行くの
榊 さあね。どちらにしろこんなことはたいしたことじゃない
吉田 もっと大変なことが起こるんですか
榊 いや・・・。起こっているんだ、既にね

中村 なんて堅いんだ
田中 堅いなんてものじゃない。傷一つ、つかない
林、吉田に向かって。
林 吉田さん
吉田 は、はい
林 あら、いったいどうしたの
吉田、慌てて、教科書を閉じて。
吉田 別に何も
林、吉田に近寄って。
林 全然、傷もつかないのよ。この窓枠のゴム、まるで鉄みたいに堅くって
吉田 そ、そう。じゃあ
林 ええ。待つしかないようね
吉田 先生が見回りに来られるのを
千尋1、榊に向かって。
千尋1 ね、本当に誰か見回りに来るの
榊 どう思う
千尋1 なんだか期待できない、そんな気がする
榊 異変がこの教室だけだなんて保証は何処にもない
千尋2 なんだか映画の中みたい。ちょっとどきどき
榊 しかし、お前達、面白い別れかたしたもんだな
千尋1 お前じゃない。あたし達の名前は千尋。お前なんて言わないでよね
榊 これは失礼。陰気な千尋さんと陽気な千尋さん
千尋1 なんか、それ褒められている気がしない
千尋2 なんかそれ、あたしのこと陽気なだけって言っているみたい
榊、気楽に笑って。
榊 俺も褒めたつもりはない
林、吉田の脇を肘で小さくつつき、ささやくように。
林 妙な人よね、この人。さっきから独り言ばっかり
吉田 そ、そうよ・・・、ね。で、でも、いいんじゃない・・・、かな。人それぞれだし、はは
林 どうしたの、吉田さん。汗、かいて
吉田 いいえ、別に・・・
林と吉田、椅子に腰掛けて。
林 ああ、もう、早く帰りたい。いったい、何がどうなってんだか。ね、さっきの竹の話だって本当かどうか
林、榊に向かって。
林 本当なんですか、竹が根付いたって云うのは
榊 はぁ、私に聞いていらっしゃる
林 はい、その通りです
榊 嘘をついていないという限りでは本当のことですな
林 どういうことです
榊 つまりは真か否かの基準が、ここではあいまいになっている、ということです。わかりますかな
林 いいえ
吉田 こういうことなの。ここは・・・、この部屋は普通の世界じゃ、日常の私達が普通に暮らしている世界じゃないの。だから、私達の価値観や常識が成り立たないという
林 吉田さん、あなたまで、そんなことを
千尋2 本当にあの人は・・・
千尋1 仕方・・・、ないよ
林 とにかくドアが開かないし、窓もしっかりと閉まったまま。これが今の現実。原因はともかく、それだけは認めるわ。もう、早く見回りに来ないかしら
吉田 そ・・・、そうよね
林 外から電動鋸を使えばなんとかなるわよ、それまでの辛抱ね
千尋1、榊に向かって。
千尋1 ね、おじさん
榊 うん
千尋1 あたし達、学校から出ようとしたんだけど、出られなかった
千尋2 そうなの。門が開いていたから、思いっきり飛びだしたら、何かに弾きとばされるし、塀を跳び越えようとしたら、何かに顔ぶつけるし
榊 そうか。なら、他の所もここと同じようなもんだな
千尋1 ということは
榊 そういうこと・・・、だろうな
千尋2 そういうことって
千尋1 思っていた以上に大変なことになっているっていうこと
千尋2 そっか、大変なんだ
千尋1 本当にわかっているんでしょうね
千尋2、大きくうなずいて。
千尋2 あたし達全員、二十世紀最大の事件に遭遇しているのね
榊 二十世紀とは大きく出たな
田中、諦めて鋏を放りだしす。
田中 ああ、もう、こんなことやっても意味ありませんよ
林 どうですか。やっぱり、無理・・・
田中、近づいて。
田中 線傷一本つきません。普通、こんなには堅くないんですけどね
田中、中村に向かって。
田中 先生、どうです。すこしは削れましたか
中村、溜め息ついて。
中村 おかしいんです、これ。この窓のゴム。思いっきり、カッターナイフ突き立ててやると、うっすら線ができるんですが・・・。でも、その線がすぐに消えてしまう
田中、少し嗜虐的に笑いながら。
田中 形状記憶ゴムでも使ってあるんですかね。さすが新設校だ
千尋1、榊にささやくように。
千尋1 ね、どうしてだろう
榊 竹は成長が早いからな、少々の傷なら、すぐに直ってしまう
千尋1 なるほど
中村も近寄って来る、ここで舞台上の全員が一つに集まることになる。
林 とにかく、もう待つしかないようですわね
田中 仕方ないですな
中村 しかしどうしてこんなことになったんだろう。こんなことなら、メモなんか見つけなければ良かった
林 本当にいったいどうして、こんな・・・、そういえば
林、吉田に向かって。
林 吉田さんの所にも昨晩電話があったんでしたよね
吉田 ええ、そうです
林 どなたからの電話でした
吉田 あ、いえ。名前は聞いてなかったんです
林 そう。私の電話も一方的に電話から、そう・・・、ただただ、声が流れてくるって感じだった。そういえば
林、田中に向かって。
田中 ええ、家内が電話を取ったのですが
林 先ほど、声が不気味だったとか・・・
田中 そうです。家内が嫌がって、それで、私が家内のかわりに来たのですが
林 そういえば、確かに妙な声だった。何か、くぐもったような、押し殺したような声で、男か女かもわからなかった。ね、先生はメモを見つけたって
林、中村に向かって。
中村 私の机は書類が山積みになっているのですが、ちょっとそれをどかしたら、机にメモが張ってあったんですよ
林 メモはどなたから
中村 いえ、そのメモには『必ず出席のこと』と書いてあっただけで、そういえば誰からのメモだったんだろう
千尋1 なんだかミステリーっぽくなって来た
千尋2 あたし、複雑なの苦手なのよ。頭、混乱して来た
千尋1 まさか、おじさんじゃないでしょうね、これ、仕組んだの
榊 ああ、俺じゃない。俺はこの学校に異様な竹の気配を感じて、慌てやって来た、それだけだからな
千尋1 慌てて・・・って
榊 竹の中に思いがこもり過ぎると、思いが溢れだしてしまって、難儀なことになってしまう。まぁ、結局は難儀なことになってしまったが
千尋1 そっか・・・。だとしたら誰が何の為に呼びだしたんだろう。電話をした人間、はり紙をした人間。メモを書いた・・・、人間
榊 そして呼びだされたのが四人
千尋2 ね、千尋。あたし達も呼びだされたのかな
千尋1 ん・・・、どうだろう、かもしれないし、ただの偶然かもしれない・・・

中村 きっとあいつらのいたずらだ
林 あいつらって・・・
中村 この教室にも何かというと、すぐいたずらや悪ふざけをする連中がいるんですよ。他人の鞄を隠したりだとか、ロッカーの中のものぶちまけたりとか
田中 しかし、時計は軽いから良いとして、このストーブはどう説明するんです。こんなの重いし、第一、いまどき何処にも置いていませんよ
中村 確かに・・・、セントラルヒーティングを取り外して、だるまストーブを置くなんてことは・・・
林 でも、実際にこの教室にあるんですから、誰かが運んだのには違いありませんわ
田中 しかし・・・、こんな手の込んだことを・・・
林 それにこのはり紙だってですよ、達筆じゃないですか、こんな字は子供には書けないでしょう
林、吉田に向かって。
林 ね、吉田さんはどう思う
吉田 え、私ですか・・・
林 ええ、窓は開かない、ドアも開かない、机には竹が生えていたし、時計にだるまストーブ。それにはり紙も。もう、なんだか、わからないことばっかり
吉田 私にも、全然・・・
林 そうよね・・・。こんな異常なこと。考えたって普通の人間にはわからないのよ。ね、榊さんだっけ、あなたはどう
林、榊に向かって。
榊 俺も普通の人間だからな
林 普通の人間には見えない。さっきから、一人でぶつぶつ言ったり、急に笑いだしたり
榊 ひとりやもめが長くて、独り言がすぐに口をついて出てしまうんです・・・、あぁ、ばぁさん、俺もすぐ、そっちへ行くよ。待っててくれ
林 そうやって、すぐはぐらかす
榊 人生は退屈そのもの、ならば、積極的に楽しみませんとな
田中 そういえば、あんた、いったい、何者なんだ
中村 そうだ、生徒の保護者でもないのにどうして、ここにいるんだ
榊 私ですか、そういえば・・・、まだ、自己紹介はしておりませんでしたな
田中 まずは名乗ってもらおう
榊 木へんに神と書きまして、榊と申します。まっ、植物の神さんですかな
中村 それで
榊 ふむ。一定の場所を定めず、路上、地下街に居を求めると申しましょうか。いわゆる、遊牧民。もしくはジプシーとでも申しましょう。おおっ、そう、私こそは自由の民です
中村 それを言うのなら、ホームレスというんですよ
榊 なるほど、ホームレス、家、あるいは家庭がないということですな。ふむ、しかし、どうも否定的な表現ですな。もっと、こう積極的に、路上が、いえ、この大地が俺の家なんだというのは、どうでしょう、なかなかいい表現なのではないかと
林 気楽な人・・・。もう、いいです。それより、さっき、あなた、言ってましたよね
榊 はぁ・・・
林 原因があるとすれは、それはあんた達だって。それ、いったい、どういうことなんです
千尋1 すぐに根に持つんだから
榊、千尋1に。
榊 性格、悪そうだな
千尋1 おじさん、人のこと言えないよ
千尋2 そう、そう
榊 なんだ、俺の廻りは敵だらけか
榊、林に向かって。
榊 確かに・・・、そのようなこと、言ったかも知れませんな
林 もう、お忘れになったんですか
榊 最近、物忘れがひどくて
千尋2 齢の所為だね
千尋1 生き過ぎたよ、一千年も
榊、千尋1の頭をこつんと叩き。
千尋1 痛っ
榊、気楽そうに。
榊 ああ、ああ。思い出しました。そうそう、そうですよ、無関係の私まで道連れにして、いったいどうしてくれるんですか
林 無関係のようには到底見えませんわ
榊 どうやら、お互いについての認識に少し距離があるようですな
田中 ひょっとして、何もかもお前が仕組んだんじゃないか
榊 何の為に
田中 それは・・・
榊 感情的発言は避けていただかないと困りますな
中村 とにかく、俺達は教室という密室に閉じ込められている。そして、あんたの竹の話。何かあると思っても不思議じゃない
榊 あなたの頭の程度ならね、これは失礼
中村 なんだ、やる気か
榊 いや、滅相もない。そのようなことは
千尋1 中村、得意の『なんだ、やる気か』が出た、あきもせすによく言えたもんだ
千尋2 きっと、背中に押しボタンがあるんだよ、それ押したら、『なんだ、やる気か』、『なんだやる気か』って、中村の奴言うんだ
榊、千尋の言葉に笑いをこらえる。
中村 おい、その態度。なんだ、やる気か
榊、吹き出す。中村、怒って榊に殴りかかろうとするのを、間一髪、吉田が割って入る。
吉田 とにかく、先生、落ち着いて。榊さんも、失礼ですわよ
榊 これは申し訳ない。こいつらが妙なことを
中村 こいつらって・・・
榊、呟くように。
榊 鈍感だな、まだ、見えていないのか
中村 なにー
榊 申し訳ない。謝ります、すいません。そう、お怒りになりませんと
不満を持ちつつも、中村、引き下がる。
榊、まるてズボンに付いた土ぼこりを払うように、手を動かし、すっくと立ち上がる。中村との言い合いなど、なんとも思っていなかったように。
榊 さて、それでは私の知る限りを御説明いたしましょう。最初から話したほうがよろしいですかな
林 ええ、できるだけ始めから順序たてて、お願いします
榊 では。そのように申しあげることに致しましょう
榊、講義調に。
榊 地球が生まれたのは四十六億年前だと云われております。その頃、生物と呼べるものは、全く存在せず
林 最初、過ぎます
榊 これは失礼。それではもう少し、現代に近づきまして。あれは、そう・・・。忘れもしません。あれ、どうだったかな、ああ。そうそう。それは鎮守の森での、祭りの夜のことでした。ふっと擦れ違った妙齢の御婦人の草履の鼻緒がぷつんと切れ、『あ、大丈夫ですか、そうだ、私にお任せなさい』
林 それ、竹の話と関係あるんてすか
榊 いえ、まぁ、ちょっと賑やかしに、ばぁさんとのなれそめでもと思いまして
林、大げさにため息をついて。
林 あなたの人となりはよくわかりました。好きに続けてください
榊 申し訳ない、ちゃんと申します、そう、見捨てないでくださいよ
榊、こほんと一つ、咳払いをして。
榊 竹の中には、そして地中の根には、人の忘れ去られた記憶が蓄えられております
中村 なんだ、今度はファンタジーか
榊 いいえ。日常、何処にでも転がっているリアリティーというものでございます
榊、林に向かって。
榊 あなたは楽しい思い出と嫌な思い出、どちらを忘れたいと思いますか
林 そうね・・・
榊 素直に答えてくださいよ。そうじゃないと話が続かなくなる
林 楽しいって言ったら、どんな反応があるか興味あるけど、正直に言うなら嫌な思い出を忘れたい、そう思っている
榊 人間、素直が一番です。で、そちらの方は
榊、田中に向かって。
田中 俺もそうだな。子供の頃の思い出なんか、もう、ずいぶん思いだせなくなったけど、それでも、夏の日、山に昆虫を取りに行った日のこと、いまでも、はっきり覚えている。あのときは本当に楽しかった
榊 そうです、記憶とはそんなものです
中村 俺は、特に楽しいも嫌もないな
榊、千尋二人に向かって、内緒話をするように。
榊 記憶力、そのものが弱いタイプだな、こいつは
千尋2 普通は脳って神経のかたまりだけど、あいつの場合、筋肉同志が脳の中で手旗信号しているんだ
榊 なるほど、じゃ、脳の中で、筋肉が赤や白の旗を振っているのか
千尋1 それ、一度、見てみたい
中村 で、どうなんだ
榊 つまり竹の中には、忘れたいと捨てられてしまった、嫌な記憶、悲しい記憶、辛い記憶がつまっているのです
林 とりあえずは、話の腰を折らないように致しますわ、どうぞ、続けてください
榊 思いやりのお言葉、いたみいります
榊 そういう意味では竹の栄養分、あるいは肥料とでもいいますのは、他の植物のように窒素でもなければ、カリでもありません。捨てられた記憶、それこそが竹の一番の栄養なんです
吉田 それで・・・。ここの養分は良いって、おっしゃったんですね
榊、吉田の手を握って。
榊 おお、そうです。理解していただけるとは、ありがたい、感謝いたしますよ
千尋1 大げさな奴
榊 表現は少々、大げさなくらいが、ちょうど良い
千尋1 どうして
榊 増えるからさ、嬉しさが。躯全体で表現すると嬉しさが少なくとも倍にはなる
千尋1 そんなものかな
榊 一度試してみたら良い、そうしたらわかる
林 榊さんでしたっけ。いったい、誰とお話なさっているんです
榊 それは・・・
急に、吉田、千尋1の手を取って、林の前に連れて行く。
千尋1 幽霊の手を引っ張るなんて、非常識なことしないでよ
千尋2 何処に連れて行くつもり
吉田 林さん。お願い、ちょっと目をつぶって
林 目をつぶるって
吉田 いいから、お願い
林 まぁ、いいけど・・・
林、戸惑いながらも目をつぶる。
吉田 深呼吸して
林、二、三度深呼吸をする。
吉田 気持ち、楽になった
林 ええ、なんとなく、落ち着いたような気がする
吉田 じゃ、そのまま、ゆっくりと、ゆっくりと目を開けてみて
林、ゆっくりと目を開ける。あれっと首をかしげる。そして、おそるおそる手を延ばし、そっと千尋1に手を触れる。
林 吉田さん、私、ちょっと変。何か、何か・・・、ここに何かがあるような気がして。硝子・・・、ううん、違う。空気の塊・・・
吉田 何かを感じるの、何かあるような
林 ん・・・、あ・・・、人のような、そう、誰かがいるような
吉田 そう、背の高さはどれくらい
林 私より、少し低いかなって・・・
林 ・・・女の子・・・。千尋・・・
千尋1、急に脅えたように、小さく身を引く。
榊 どうして逃げる
千尋1 だ・・・、だって・・・。母さんが
榊 お前の母親なのか
千尋1、ためらいがちにうなずく。
榊 子供はできるだけ早く、親と対決したほうがいい
千尋1 でも、そんなの
千尋2 そんなの、嫌だよ
榊 怖いんだな
千尋二人、うなずく。
榊、千尋2に向かって。
榊 引き返せないぞ。さぁ、どうする
千尋2、緊張しながら、林の後へ行く。千尋二人が、前後に林をはさむ。
林、驚いて、ぺたんと座り込んでしまう。
林 千尋ちゃんじゃないの、どうしたの
千尋2 どうもしてないよ、手首を切っただけだから
林、振り返って。
林 千尋ちゃん・・・、二人・・・
千尋1 死んで二人になったんだ
林 死んでって、まさか、千尋ちゃん
千尋1、林に手を差しだす。
林 どうして千尋ちゃん、そんなことを
千尋1 どうしてって。わからないの
林 ま、まさか、いじめに、いじめにあっていたのね
千尋1 あってたよ、ずっと
林 どうして母さんに言ってくれないの
千尋2 母さんが気づかなかっただけさ
千尋1 でも、母さん。あたしはいじめられていたけど、それだけなら、手首までは切っていなかったと思うよ
千尋二人 切ったのは・・・、自分がこの世で独りっきりって感じたからなんだ
林 どうして。母さんもいるし、父さんだっているでしょう。お兄ちゃんのトシ君だっていつもいるじゃない
千尋1 恋人達は小指を赤い絃で結ばれているという、でも、あたし、こう考えたんだ
千尋2 家族は血の繋がりという、赤い血の絃で小指を繋がれ合っているんじゃないか
千尋1 選ぶことのできない、宿命的な赤い血の絃で
千尋2 そして、あたし、いじめにあう中で、あたし自身を冷静に見つめるようになった
千尋1 そして、小指につながる血の絃を、自分で、自分の手で引き千切りたくなったんだ
林 どうして。どうして、母さんが不満なの、私が母さんじゃいけないの
千尋1 母さんは悪くないよ、父さんも兄さんもね。でも、嫌なんだ
千尋2 母さん・・・。あたしは生んでくれたこと、育ててくれたこと、本当に感謝しているよ、でも
千尋1 あたしは一人の人間なんだ。母さん達のおもちゃでもなければ、かわりに母さん達の夢を叶える天使でもないんだよ
林 わかっているわよ。ちゃんとわかっている。そりゃ、自分の子供がこんなふうになってくれたら、あんなふうに成長してくれたらって願うけど、それを押しつける気なんて全然ないわよ。ただ、千尋ちゃんやトシ君が幸せになってくれたら、母さんも父さんもそれだけで幸せなんだから
千尋2 わかってないよ、それが重くて重くて
千尋1 仕方がないんだ。それに、ね、母さん、兄貴、あたしより二つ上だよ、トシ君って呼ぶの、もうやめなよ。じゃないと兄貴もどっか行ってしまうよ
田中 林さん。いったい、何をおっしゃっているんです
吉田 それは・・・
田中 そこになにか、あるんですか
中村 どうやら、みんな、気が高ぶっているようですね。ふむ、今、何時だ。時計・・・、机に忘れてきたか
中村、田中に向かって。
中村 今、何時でしょう。もう・・・、七時でしょうか
田中 先生が見回りに来られるんでしたな、えっと・・・
田中、腕時計を見つめ、首を傾げる。
田中 いや、申し訳ない。電池が切れたのか、それとも寿命かな。これも買って、随分経つから
中村 はぁ
田中 いや、針が止まってしまっているんですよ。六時半で
林、悲鳴。
林 もう、いやよ。出てやる、私、帰る
林、立ち上がる。そして、窓を叩く。
林 トシ君、今、帰るからね。母さん、すぐに帰るからね。そうだ、本屋のバイトは九時までだよね、母さん、本屋さんの外で待っててあげる。雪、なんか降ってても母さん、寒くないんだ。だって、トシ君と一緒に帰れるんだもの。父さん、どうせ、会社の人達と晩ご飯食べて帰って来るに決まってるんだから。そうだ、そうだ。トシ君、ハンバーガ好きだよね、駅前で、一緒、食べて帰ろう。いっぱい、いっぱい、ハンバーガ食べていいよ、ポテトも頼もう、それから、アイスも食べよう、冬に暖かい部屋でアイス食べるの、最高なんだ。母さん、楽しみだな、だって、母さん、トシ君の笑顔、大好きだもの
林、うめく。中村と田中、慌てて林に近寄って、窓から引き離す。
中村 落ち着いてください
田中 そうですよ、この時計、古いんです。だから、たまに止まったりもするんですよ
中村と田中、林を椅子に座らせ落ちかせる。
田中 大丈夫ですよ。もう少ししたら、きっとなんでこんなことでおろおろしていたんだろうって、笑い話になりますよ
林、疲れたように。
林 ・・・ありがとうございます、本当にお恥ずかしいところを・・・
千尋1 あたし、もう嫌だよ、こんなの
千尋2 自分の夢を子供に託す
千尋1 聞こえはいいけど、そんなの迷惑だよ、子供には子供の人生があるんだ
千尋2 母さん、他に楽しみがないから
千尋1 楽しみってのは、人に作ってもらうもんじゃない、自分で作るものなんだ
田中、落ち着いた千尋二人に突然気がつく。
田中 なんだ、お前達は。いつの間に、教室に入ってきたんだ
榊 やっぱり、あの先生が最後だな
千尋1 最初からいたよ。あんた達が来る前から
田中 なに、じゃ、お前達が仕組んだんだな
千尋1 同じこというようだけど。子供にそんなことができるかどうか
千尋2 頭の中でちょーっと、考えてから言ってよね
榊、くすぐったそうに笑う。
中村、田中に向かって。
中村 いったい、誰と話しておられるんです
田中、驚いて中村と千尋二人を交互に見比べる。
千尋1 やっぱり、中村が一番鈍いや
千尋2 仕方ないよ、頭の中で、赤上げて、白上げないで赤上げてってやっている人だから
田中 ・・・先生、見えないんですか
中村 だから、何を
千尋1 声も聞こえないと思うよ
千尋二人、中村の前に行き、中村の目の前で手を振って見せる。
田中 せ、先生の目の前に
中村 前といわれても、別に何も。あ、ひょっとしてさきほどの幽霊話の続きじゃないでしょうね。それはちょっと不謹慎というものですよ
千尋1、そっと片手を中村の頬に触れる。
中村 あ、冷て、なんだなんた
千尋2、中村の耳に息を吹き込む。中村、飛び上がって、その場を離れる。
中村 うぉぉっ。耳に、耳に生温かい風が
田中 どういうことなんだ
榊 簡単なことですよ、まぁ、醤油の小瓶と同じようなものです
田中 はぁ
榊 料理は得意ですか
田中 勤めていたころ、単身赴任をしていたから、少しは
榊 そう、なら、おわかりになるでしょう。そうだ、今夜はチャーハンを作ろう。フライパンに油を敷いて、肉や人参のかけら、冷蔵庫の中のもの、適当に炒めて、とじた卵を入れる。よし、昨日の冷や御飯を入れて、そうだ、和風にしよう。ええっと醤油はと
榊、どこだどこだと探し回る。
榊 流しに置いといたはずなんだが、そう言えば昨日はコンビにで弁当買って、あ、てことは、この冷やご飯、一昨日のか・・・、大丈夫たろうな。ええと、醤油、醤油はと。おおっと焦げてしまう、いいや、ソースかけて焼きご飯にしてしまおう。皿に盛って、わびしいテーブルに置く、あ・・・。テーブルの上に醤油の小瓶が・・・。いくら目の前にあっても見えていないときには見えないものなんです
田中 そんなものなのかな。あ、とすると、さっき首が締まったように苦しかったのは
榊 なるほど、もう少しで、チーン、御臨終・・・、でした
中村 だ、誰かいるのか。す、姿を現わせ。卑怯だぞ
千尋1 あんたに卑怯なんて言われたくないね
千尋2 目の前であたしがいじめられていても、にやけていたくせに
千尋1 そんなの、いじめの内に入らないって・・・
千尋2 クラスの皆から無視されるの、どんなに辛いか
千尋1 それに無視されないときは、クラス中から、殴られて、蹴られて、本当に辛かったんだ、痛かったんだ。
千尋2 だけど、あんた、いつも急に用事を思い出したって、教室を出て行くんだ
千尋二人 いつもあんた、逃げるんだ
千尋1、両手でゆっくりと中村の首を締める。
中村 く、苦しい。助けてくれ
中村の声が小さくなりだしたとき。
中村 あ、お前。このクラスの、いつもいじめられている
千尋1、ふっと手を離して、くすぐったそうに笑みを浮かべる。
千尋1 死にかけなきゃ、あたし達が見えないなんて、ほんと、鈍感
千尋2 感性ってものに欠ていけるわけだ
中村 お、お前達、ふ、二人・・・
千尋1 そうだよ、一人っきりで仕返しするのは大変だもの。二人、いると便利だもの。ねー
千尋2 ねー
中村 いったい、どうなっているんだ
千尋1 自殺したの、だから、あたし達、うかばれない幽霊、ほら
千尋1、中村に手首を見せる。
千尋1 切ったの、剃刀で。でも、安心して、痛くなかったから
千尋二人 だって、嬉しかったんだ、これでやっと開放される、辛い日々から逃げられる、そして・・・。仕返し、できる。そう、思うと
千尋1 嬉しくて・・・
千尋2 最初に中村先生から苦しめてあげる。ちょっと痛いけど我慢してね
中村 た、助けてくれ
中村、榊の後に慌てふためいて逃げ込む。
千尋1 無駄だよ、何処までも追いかけてあげる
千尋2 女の子に追いかけてもらえるなんて、よ、うらやましいね
中村 お、俺は怖かったんだ
榊 誰が怖かったんだ
中村 え・・・
榊 だから、誰が怖かったんだ
中村 それは・・・
千尋1 素直に
千尋2 言ったほうがいいよ
中村 俺は、俺は・・・
千尋1 さぁ
中村 俺は自分の生徒が怖かったんだ。俺の目の前でいじめが繰り返される。やつらは俺の存在なんかかまっちゃいないんだ
千尋2 学校一の暴力教師のあんたが、怖いわけ
中村 ああ、そうだ。俺は体罰、いや、暴力を振るう。でも、それでしか、俺は暴力教師のレッテルを自分自身に貼ることでしか、自分を守ることができないんだ
林 あなた、それでも先生なの。情けない、うちの子がこんな先生のところにいるなんて
中村、少し開き直り気味に。
中村 そうか、彼女達は林さんのお子さんでしたね
林 ええ、千尋は私の子供です
中村 なら、彼女達に言っておいてください。もう少し、上手く立ち回れってね。ああ、そうか、もう、遅いや
林 なんて人なの
中村 おや、いま気がつきましたけど、吉田さんの孝男君でしたか、彼はいじめる側ですから安心してください。彼のパンチ、結構、効くんですよ
中村、田中へ。
中村 おくればせながら、そちらの方、お子さんの名前は
田中 京子、田中京子ですが
中村 なるほど、なるほど。田中京子ですか。職員室でよくあがる名前ですよ
田中 うちの娘がどうしたっていうんです
中村 表の顔は真面目な学級委員長。しかしてその実体は
千尋1 そっか。三人とも、いじめに関係あるんだ
中村 そして暴力教師の無責任男の俺。はは、これは何かの意味があって呼び出されたと考えてもよさそうだな。そろって懺悔でもするか
千尋2 中村の奴、急に元気になりだした
千尋1 でも、幾らかは的を得ていると思うよ。あたし達も立場は違っても当事者なんだし
榊 つまりいじめという共通項で俺をのぞいた六人が呼び出された
千尋1 でも、いったい誰が何の為に
中村 これだけ、妙なことが起こっているんだ。俺はもう何が起きても驚かないぞ
田中 ちょっと待ってくれ。うちの娘がどうしたっていうんだ
中村 ああ、そのことですか。なに、いまの私にとってはつまらないことですよ。田中京子が、あんたのお嬢様がこの学校のいじめのリーダだ、それだけのことですよ
田中 俺の娘が、あんないい子が
中村 言ったでしょう、俺が。今と昔とでは全く違うんですよって。昔はいじめっ子はいじめっ子の顔をしてましたけどね、今は違うんですよ、羊の皮をはぎ取って、被り込んでいる狼が、そこら中にいるんですよ
田中 俺は、俺は。うちの娘に限って、限ってそんなことは絶対ない
千尋1 限って・・・、か
千尋2 限ってだね・・・
中村 親なんてそんなものさ
田中 ・・・もしも、もしもだ。うちの娘が不良になったというのなら、それはあんた達、教師の責任だ
林 そうよ、あなたみたいな教師がいるから、私の千尋ちゃんが悪い不良達にいじめられるのよ。それでも、あなた、教師なの
千尋二人、呟くように。
千尋2 君も嫌だけど
千尋1 ちゃんもやめて欲しい
中村 その言葉、そっくりお返ししましょう。それでもあなた方は親ですか、親であるといえるのですか。自分の子供のこと、ほんの表面しか見ていないくせに
千尋1 なんだか、雲行きあやしくなってきた。大人達、思いっきりもめそう
榊 まずいな。興奮すると竹の成長が早まってしまう
吉田 竹の成長・・・
榊 ああ、竹の中に詰まった記憶の化石が、人の思いに目覚めようとしているんだ
榊 まずいな。かなりまずい
千尋2 これ以上、状況がまずくなるの
榊 ああ、奴が、奴が生まれて来る
中村 俺だって憧れて教師になったんだ。あんた達も宮澤賢治は知っているだろう
田中 宮澤賢治・・・
中村 賢治は四年間、農学校で教鞭をとった。本当に子供と一つになれる、そんな素晴らしい教師だった。生徒は賢治の授業を愛した、そして賢治を愛したんだ。俺も・・・。俺もそうなりたかった。でも、今の教師にはそんなこと無理なんだ。学校はもう、テストで良い点を取る子供を生産する工場になってしまっているんだ。そうさ、俺達は教師じゃない。工場で品質の良い生徒を作る技術者なんだ
榊、大声で。
榊 静かに。落ち着きなさい
榊に全員、注目する。
榊 ドアを開ける方法がある。どなたかマッチかライター、お持ちではないですかな
田中 ここに
田中、榊にライターを手渡す。榊、ライターがつくことを確認する。
榊 たとえ電動鋸でも、ドアを切ることは不可能です、竹は成長が早いですからな、切っても、切っても伸びてきます。ただ、竹は松の木と同じように油をかなり含んでいますからな
田中 ということは
榊 ドアを・・・、燃やします
全員がドアに注目したところで、ドアがするすると開く。
榊 な、なんだ・・・
ドアからPTA会長の三島と吉岡先生が入って来る。
中村 よ、吉岡先生・・・、どうして・・・
吉岡先生ドアを締めると同時に。
中村 ド、ドアを
吉岡 あら、中村先生、ドアがどうかしましたの
中村 やっと開いたのに・・・
三島 ごめんなさいね。ちょっと遅れたみたい。吉岡先生とつい職員室で話し込んでしまって
吉田 三島さん・・・。いったい、これって
吉岡 さぁ、皆さん座ってくださいな。そうですね、寒いですし、ほら、ストーブを囲むようにして座りましょうか
三島 本当におよび出しして申し訳ありませんわね、でも、いじめについては、一度しっかりとPTAとして考えなければならない、そう思うのよ
三島、見回して、そしてふっと気づいたように榊に目をとめる。
三島 あらあら。いつまでも昔のまま。あ、そうか。不老長寿のお酒、ひとりでお飲みになったのね。今も昔も意地汚ない人だから
榊 誰だ、お前は・・・
吉岡 いやですよ。そんな怖い顔なさって
榊、三島と吉岡を交互に見比べる。
榊 まさか・・・。お前か・・・
三島 もう一千年、経つんですわね
吉岡 でも元気そうで何より
千尋1 どうしたの。吉岡先生、知っているの
榊 いや・・・。二人はとりつかれているんだ
千尋2 とりつくって、誰が
榊 一千年前、俺の妻だった女だ
千尋1 竹取物語の媼、おばあさんか
中村 何がどうしたっていうんだ
榊 わからないのか。この騒動の仕掛人がやっとお出ましになったのさ
中村 吉岡先生と三島さんが
三島と吉岡、二人の世界を作ってしまう。
三島 やはり冬はストーブに限りますわ。なんだか、セントラルヒーティングって温かくなった気がしないんですもの
吉岡 ええ、そうですとも。やはり石炭をくべる、このストーブが一番ですわ。それに、時計も
三島 ええ、私つねづね思うのですけど、時計にはやっぱり振り子がありませんとね
吉岡 ええ、そうですわね
三島 ええ、でないと時計は何で時を刻めばいいのでしょう、やはり振り子ですわよね
吉岡 そうそう、振り子ですわよ
吉岡 ね、もういいんじゃないかしら
三島 いえ、もう少しですよ
吉岡と三島、時計を見つめて。
吉岡 ちっくたっく
三島 ちっくたっく
吉岡 随分時が刻まれてきましたわ
三島 もう、いいんじゃないかしら
吉岡 そうね。もう、いいと思うわ
榊、声を絞り出すように。
榊 わかったぞ。お前、あいつを、あいつをよみがえらそうとしているんだな。それで学校をこんなふうにし
三島 ま、なんて人。目に入れても痛くない、自分達のかわいい我が子をあいつよばわりするなんて
吉岡 本当、信じられないわ
三島 ああ、一千年ぶりに見る私のかわいい赤ちゃん
吉岡 このいとおしさは誰にもわかりませんわ。もちろん、あなたにもね
榊 お前が何度、あいつをよみがえらそうと、俺は、あいつを斬る
三島 まぁ、怖い御方
吉岡 そうしたら、私、何度でもよみがえらせますわ。なんたって愛しい我が子なんですもの
千尋2 あー、頭、混乱してきた
千尋1 ね、どういうことなのよ。何が起ころうとしているの、いったい、我が子ってどういうこと
あぶくが噴きだす音が響きだす。世界が緑色に変わりだす。
三島 始まりましたわ
林、悲鳴をあげる。
林 竹が、竹が生えてきた
吉岡と三島と榊を除いて、下から生えて来る竹を避けるようにして動き廻る。
中村 うわぁっ、なんだ、竹が
吉田 林さん、こっちです。ここの方が竹が少ないわ
田中 うおおっ。ズボンの裾に竹が入って来る
千尋1 学校の、それも、二年前にできた新設校が
千尋2 今、竹の密生する竹林に変わる。全てが緑の世界に変わる

三島 育てるのには苦労しましたけど、皆様のおかげでやっと
吉岡 あなた達がいらっしゃると竹の中の化石が刺激されるんです、本当に感謝しますわ
榊 お前にはあいつが、かわいい赤ん坊に見えるのだろう。しかし、奴は鬼だ。修羅と呼ばれる破壊の鬼だ
三島 たとえ、あの子が鬼と呼ばれようとも、私にとってはかわいい我が子ですわ
榊 そうか・・・。お前自身が、いつの間にか鬼にと変わり果てていたのか
榊、叫ぶ。
榊 あの二人を動けないように押さえつけるんだ
中村 で、でも
榊 早く。出られなくなってもいいのか
中村と田中、慌てて吉岡と三島を机から離れられないように押さえつける。
吉田 榊さん。いったい、これからどうなるんです
榊 どうなるんじゃない。どうにかするんだ。絶対にあいつをよみがえらせてはいけない
吉田 あいつって・・・
榊 かぐや姫が生まれて来る
千尋2、指差して。
千尋2 竹が光ってる
榊 まずい、かぐや姫が生まれるぞ、二人とも光る竹を押さえつけるんだ
千尋2 どうして。見てみたい
榊、怒鳴って。
榊 押さえるんだ
千尋二人、思わず、見えない光る竹を両端から押さえつける。
榊 かぐや姫は人の怒りや哀しみ、苦しみの結晶体だ
千尋1 じゃあ、可愛い赤ちゃんは
榊 考えても見ろ、人が竹なんぞから生まれて来るか。炭は地中深く圧力と高温で金剛石という結晶体に生まれ変わる、だが、捨てられた思いは竹の中で修羅に結実する。全てを破壊する修羅という鬼に生まれ変わるんだ
三島 さぁ、私のかわいい赤ちゃん
吉岡 私に笑顔を見せておくれ
榊 しっかり、押さえていろ
千尋2 でも。でも、もたないよ、弾きとばされそうだ
三島 あなたは私のもの、あぁ、かわいくて仕方がない
吉岡 その、鋭い眼、唇をえぐる牙
三島 あぁ、何から何までいとおしい
千尋1 いとおしいのは親の勝手、それを子供に押しつけるな
三島 まぁ、折角、あなたの願いどおりに二人に分けてあげたというのに
吉岡 恩を仇で返すなんてなんて子でしょう、
林 いやな子ね。親のこの大きな愛がわからないなんて
吉田 ほんと、信じられないわ
千尋2 どういうこと。竹取りのおばぁさん、四人になった
榊 奴の思いがどんどん増殖しているんだ。もっと、意志を強くもて
千尋1 手のひらから入り込もうとするよ、黒いものが、重いものが
榊 全てはひとりの女の愛という名の思いが核になって始まった。対抗するには、その思いを越える思いが必要だ
三島 さぁ、お嬢さん達。その手を放しなさいな
吉岡 じゃないと、竹から手が離れなくなってしまいますわよ
林 さあ、早く手を放しなさい
吉田 さあ、手をおどけなさいな
千尋1 嫌だ、手は放さない。何もかもがあんたの手のひらの上で起こった出来事だというなら
千尋2 その手、踏み台にして飛びだしてやる
榊 よし。俺が斬る
榊、腰に手を当て、見えないなたを抜き、振り上げる。そして斬る、しかし、弾きとばされる。
千尋2 おじさん。もう、無理だよ
榊、大声を出して笑い。
榊 では、この村正、三百有余年、徳川幕府を脅かしたという、妖刀村正にてその竹、たたっ斬ってくれるわ
榊、見えない刀を上段に構える。
千尋1 なんか、おじさん、楽しんでいない
榊 思いっきり楽しめ、笑え、竹の中の黒い思いを吹っ飛ばせ
千尋二人、早口で、そしてだんだんゆっくりと。
千尋1 一昨年の夏、みんなで海に行ったよね
千尋2 覚えている、浜茶家で焼きそば食べたんだっけ
千尋1 その後、すぐにたこ焼き食べたんだ
千尋2 うん。それからそうだ、ラムネを飲んだ
千尋1 ビー玉が入っていたよね、へー、こんなのがあるのかって思った
千尋2 それから波打ち際で
千尋1 うん。海の水を空に跳ね上げたんだ
千尋2 そう、体一杯、跳ね上げた
千尋1 水玉がきらきら光ってた。綺麗だったよね
千尋2 太陽の光一杯浴びていたよね
千尋1 楽しかったよね
千尋2 嬉しかったよね
千尋二人 幸せだったよね
千尋1 楽しかった、生まれて初めての、そして最後の楽しかった夏の日
千尋二人 でも、でも、でも。本当に楽しかった、嬉しかった、幸せだった
榊、叫ぶ。
榊 斬る。てやぁっ
竹が斬れる音、間、鈴の音、一つ、二つ、三つ、次第に鈴の音が増え、そして鈴が無数になりだす。
無数の鈴の音が波打ちながら響いている。
榊 どうやら月が顔をのぞかせたらしい
千尋2 きれいな鈴の音
千尋1 これが・・・、化石の歌・・・
榊 様々な思いが悠久ともいえる時間をかけ、化石に生まれ変わる。いつか、天へとのぼるために
三島 人の心に怒りや哀しみ、苦しみが渦巻く限り、私の子はいつでもよみがえります
吉岡 今度はあなたのいらっしゃらないところで、あの子をよみがえらせてあげますわ
三島 あの子は私の大切な、大切な命ですもの
三島と吉岡、茫然としたように。
三島 ここは、いったい・・・
吉岡 そういえば、私、今まで何をやっていたのかしら
榊 長い夢が今、終わったんです
鈴の音が止まる。
田中 どうしてだ、まだ、ドアが開かない
榊 中心を切っただけですよ。根はまたまだ残っています
吉岡 いったい、何がどうしたの。ここは何処。職員室にいたはずなのに、ここ、竹薮の中・・・
榊、ドアに近づき、ライターをつける。火のはぜる音。教室(竹林)が燃えだす。
榊 ドアを動かしてごらんなさい
中村、おそるおそるドアを開ける。
中村 開いた・・・
三島 何をしているの、火なんかつけて
田中 黙っててください。この状況がわからんのですか
榊、中村にライターを渡して。
榊 この後はお任せしますよ
中村 どういうことです。榊さん、あなたは逃げないんですか
榊 初めて・・・、名前を呼んでくださいましたな
中村 いや・・・、それは
田中 まさか残るんじゃないでしょうね
榊 もちろん、逃げますよ。ただ、まだ、少し用事が残っておりましてね
吉田 じゃ、その用事、お済みになるまで待っていますわ
榊 冗談をいうもんじゃない。早く逃げなければ、結局火に巻き込まれますよ
林 でも、それじゃ、あまり・・・
榊 私は死ぬことのない人間です。大丈夫ですよ
榊、大声で。
榊 さぁ、行きなさい。そして・・・、全ての生命を大切にしなさい、それがこんな事件を繰り返させない唯一の方法です
榊 さぁ、早く
中村 外で待ってます。必ず
田中 必ず戻って来てくださいよ
林 さぁ、千尋ちゃんも
千尋1 母さん・・・
林 早くしないと
千尋二人、笑みを浮かべ、ゆっくりと片手を上げ。
千尋二人 さよなら、母さん
林 なに言ってるのよ、千尋ちゃん
千尋1 あたし達、本当に生きるって、どういうことなのか
千尋2 それを探しに行きます
林 なに言ってるのよ。幽霊でもいい、お父さんにも母さんから説明するから
千尋1 さよなら、母さん
千尋2 父さんや兄貴によろしくね
轟音。教室が崩れていく音。
田中 さぁ、早く
林 ち、千尋ちゃんー
林、田中と中村に引きずられていく。四人、名残惜しそうに、三島と吉岡は何かよくわかっていないように、ドアをとびだし消えて行く。
炎の逆巻く音。響き渡る。
榊 千尋ちゃんだったな。君達も帰りなさい
千尋1 何処へ帰れって言うの。もう、私達、死んでいるんだよ
榊 まだ、大丈夫、君達の躯は完全に死んでいない。肉体と結ぶ銀の糸がまだつながっているんだ。西の方向、耳を澄ませてごらん、自分の心臓の鼓動が微かに聞こえて来るはずだ
千尋1 いいよ、あたし達は
全ての音が消える。
榊 どうして
千尋2 中村の奴、言ってたよね
千尋1 おじさんのこと、ホームレスって
榊 ああ
千尋1 あたし達もホームレスなんだ。父さんもいる、母さんもいる、兄貴もいる。家族はいるよ、でも・・・。ホームレス、家庭はないんだ
千尋2 親から好かれていないから。だから、一緒にいると辛い・・・
榊 自分の子供が好きじゃない親が何処にいる
千尋2 何処にでもいるよ。ううん、好きな親を探すほうが難しい、みんな、勘違いしているのさ、信じ込んでしまっているんだ
千尋1 親は子供が大切なものってね
千尋2 ね、目を見ればわかるんだよ。ああ、この人は私が死んだらきっと泣いてくれるだろう、ひょっとしたら半狂乱になってくれるかもしれない、雨降る中、裸足で走ってくれるかもしれない
千尋1 でも・・・。飼っていた小鳥が死んだとか、十年生きた飼い犬が死んだってのと同じ目をして泣くんだ
千尋2 いずれ。立ち直ってくれるよ
千尋1 もし、立ち直らなくても、それは私が死んだためじゃない、私がいなくなったからなんだ、家族という幻想の中からね
千尋2 多分・・・、そこんとこ・・・。おじさんにもわからないだろうな
榊 そうか・・・。ほんの少しだけ、わかるような気がする。だが、俺はもう疲れたんだ。死ぬことのないこの自分が。それに、一千年の間、俺のやって来たことは、全てが間違いだった
千尋1 どう言うこと
榊 俺は竹の中の化石を煙にして天に帰す。しかし、大切なことは化石にしないことなんだ。辛いこと、哀しいことから、逃げるんじゃない。立ち向かうことなんだ。俺は化石を天に帰すことで、人が苦しみと立ち向かうことを妨げて来たんだ
千尋2 おじさん・・・
榊 俺は死ぬことができない、だが、俺自身が竹の中の化石になって、この炎に煙となり、そのまま消え去ることくらいならできるかもしれない
千尋1 おじさん、そんなのだめだよ
千尋2 一緒に生きよう
千尋1 おじさん。あたし達三人で、家庭を創ろう。うまくいくかどうか、わからないけど、でも
千尋2 新しい家庭を、ホームを創ろう
千尋1 血の繋がりなんか、意味無いよ。おじさん得意の思いで、思うことで家庭を、家族を創るんだ
榊 いや・・・。これからは若い君達の時代だ。世界には君達と同じ思いの若者が、まだまだたくさんいる、そんな彼や彼女達と新しい家族を創って行くんだ。君達の築く未来が楽しみだ。さぁ、君達も行きなさい
千尋1、思いつめたように。
千尋1 おじさん、ありがとう。あたし達、おじさんのこと、絶対に忘れない
千尋2 千尋。なんで、どうして諦めるのよ
千尋1 行くよ
千尋2 おじさんー
千尋1、千尋2を引っ張るようにしてドアから出て行く。
榊、あたりを見回し、また、ドアから首をつきだして、あたりを伺う。戻って。
榊 行ったな・・・。ちょっと残念だが、俺は荒野のロンリー・ウルフ。一人が丁度いい。さてと、面倒な大人も、ひねくれたガキもいなくなったことだし、よし、もう一千年生きてやる。なに、間違えたのならやり直せばいいだけのこと。この混沌とした時代、もうすぐ、爆発するような波瀾万丈の時代がやって来る。まだまだ、年貢なんか収められるか。一千年分の住民税の催促なんて、のしつけて送り返してやる
榊、気取って。
榊 では、この燃える教室と俺の今までの一千年に
千尋1 だから、大人は信用できないんだ
千尋二人、ドアから顔をつきだして。
榊 あ、お前ら
千尋1 お前じゃない、何度言ったらわかるの、あたし達の名前は、ち、ひ、ろ。千尋、これから長いお付き合いになるんだから名前ぐらい覚えておいてよね
榊 長いって・・・
千尋2 一人だけ、良い格好はさせないよ
千尋1 言ったでしょう、手のひらから飛びだすんだって
千尋2 なんか、あたし達、孫悟空みたい
千尋1 でも、違うのは、孫悟空は釈迦の手のひらから飛びだせなかったけど、あたし達は飛びだしてみせるってこと
千尋2 おじさん、銀の糸はいま
千尋1 切って来た
榊 俺の上手がいたとはな。あぁあー、仕方ない。がき連れて家族の真似事でもするか
千尋二人 がきじゃない
榊 なるほど、千尋さん達
千尋2 よし、よくできました
千尋1、榊の小指に絃を捲きつけるようにして。くっくっと、絃を引っ張る。つられて榊の手が動く。
榊を間に、三人、並んで。
榊 では・・・。この燃え盛る教室と
千尋二人 いままでの。あたし達の全てに
三人 せぇのぉで
3人で気取った感じで。
三人 さらば
榊 そら、逃げろー
轟音、学校が崩れ落ちる音。三人退場。終
 

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幻影悠華譚 15分版

幻影悠華譚 15分版


付記
数年前に1時間半ものとして作る。当時、お世話になっていた劇団に渡すが出来が良くないとのことで、お蔵入り。その後、縁があり、昨年(2003年)、15分ものとして作り直す。

 

夕暮れ時の静かな公園。
特に舞台に大道具は必要なし。
中央に男が一人。郵便屋、郵便マークの大きく書かれた黒い鞄を肩から下げている。
郵便屋、一枚ものの大きな地図を広げている、そして道に迷ったのか、時々、うなったり首を傾げている。
もう一人の登場人物、ボーイッシュな女が脚立の上に座り、美しい茜色の空、うっとりと眺めている。女、ふと思い出したように、鞄から地図帳を取り出し棒状に丸める。そして望遠鏡のようにして、眼にあてがい、空や風景を眺め出す。時々、肩を揺らしたり、鼻歌を歌ったり、気持ちよさそうに。
それぞれ、二人、お互いに気づいていない。
郵便屋 うーん、日が暮れだして、よく見えん。えーっと、山田さん、山田さんちはっと。どうも、この地図は見にくくていかんな
 郵便屋、地図を縦にしたり、横にしたり。あたりを見回したり。
郵便屋 色分けしてあって、これはわかりやすいと思ったんだが・・・、どうしてだか、この辺りの色と合わない
 郵便屋、鞄をさぐって。
郵便屋 確か・・・、虫眼鏡を
 虫眼鏡を取りだして。
郵便屋、地図をにらみつけるが、溜め息まじりに。
郵便屋 齢かな。にらみ過ぎて、目が霞んで来たぞ
 脚立の上から、女、郵便屋の声に気づいて。
女 ね、おじさん。その鞄はひょっとして郵便屋さん
 郵便屋、女に背を向けたまま、地図を見入るようにして、独り言のように返事。
郵便屋 現役ばりばりの郵便配達さ
女 じゃ、その郵便屋さんが道に迷ったわけだ
郵便屋 ん・・・、弘法も筆の誤り、河童の川流れ、俺みたいな大ベテランでもたまには道に迷うのさ
 郵便屋、地図から顔をあげて。
郵便屋 そうだ、この辺に『茜色の山田さん』ってお宅、知らないかい
女 『茜色の山田さん』・・・、茜色って、この空の色のこと
郵便屋 いや、もっと透き通る炎の茜色だ
女 なんか話が見えてこない。ね、その何とかの山田さんの住所ってどこ、何番地
郵便屋 あぁ、ちょうど地図を持っているんだが
 女、脚立を降りて、郵便屋の地図をのぞき込み。
女 これって・・・。ね、これ世界地図だよ
郵便屋 だから、困っているんだ。日本なんか、赤色一色で俺の小指ほどもない。だから、山田さんちを、ほら、この大きな虫眼鏡で探しているんだが。どうも、赤色の点々しか見えてこなくてな
 女、くすぐったそうに笑って。
女 ね、ちょっと、頭、揺すってあげようか。からから、音がするかもしんない
女 あのね、虫眼鏡なんかで世界地図見つめたってなにも見えてこないんだよ。わかる、っかな
 郵便屋、少しむっとしたように。
郵便屋 うっうん
女 ね、よく聴いて。世界地図の中の日本ってのは、遠く、遠くから日本を眺めたものなんだ。・・・いい
郵便屋 ああ、そうだろうな。宇宙のずっと遠くからじゃないと、こんなふうには見えてこない
女 なんだ。わかってんじゃない
郵便屋 え・・・
女 さて、それでは問題です。遠いところを眺めるのには、どんな道具を使いますか
郵便屋 ・・・望遠鏡だろう
 女、郵便屋から地図をひったくって、くるくると丸めだす。
女 だから、こうやってさ、おじさんの世界地図を丸めて望遠鏡を作ればいいのさ。さぁ、できた。覗いてごらんよ
郵便屋 おいおい、そんなもので見えるわけないだろう
女 あぁあ、ものの道理がわかんないとうしろうには困ったもんだね。しょうがない、あたしが手伝ってやるよ
 女、脚立を郵便屋の後ろに運び、脚立の一段目に足を乗せ、両手は郵便屋の肩に。つまり、郵便屋の頭の上から喋ることになる。
女 おじさん、深呼吸をして。
 二人でふぅぅっと深呼吸。
女、次第にあやしく語りだす。
女 この望遠鏡の倍率は、どこぞの天文台の望遠鏡ですら裸足で逃げ出すって代物だ。見えすぎて人の心の中まで見えてしまうんだよ。
女 さぁ、おじさん、肩の力を抜いてさ、頭をやわらかくするんだ。
 女、郵便屋の肩をもみ出す。
郵便屋 うまいもんだ、60年の肩こりが消えていく
 女、郵便屋の頭を指圧する。
女 頭もなんだか軽くなったろう
郵便屋 頭の後ろ辺りがすうぅっとしてきた
女 ちょっとの間でいい、心閉じこめる言葉ってやつを忘れるのさ、あんたには無理なのよ、そんなことできるはずないだろう、ほら、やっぱり無駄だった。そんな言葉は忘れるんだ。大丈夫だよ、きっとうまくいくもの、安心して。
郵便屋 なんだ・・・、何十年ぶりだ、こんなに気分がいいのは。
女 それでいいのさ、さぁ、目をつぶって。そして望遠鏡を覗き込むようにさ。
 郵便屋、望遠鏡を目元に当てる。
女 いい感じだ。
 女、郵便屋の顔に自分の顔を寄せる。
女 さぁ、しっかり目を開けて、望遠鏡、覗き込むんだ
 郵便屋、望遠鏡を左右に振りながら。
郵便屋 おおっ、これはいい。よく見える
 女、話口調、元に戻って。
女 こんな即席望遠鏡でも、世界地図で創ってあるからね、性能は最高さ。おじさん、よく見えるだろう。ね、いま、何見てる
郵便屋 これは何処の家だろう。女の子がピアノを弾いている。気持ち良さそうに躯をゆらしながら。まるで、妙なる調べが聞こえて来るようだ
 郵便屋、鼻歌混じり、少し望遠鏡を動かして。
郵便屋 おぉっと、これは凄い
女 なになに
郵便屋 夫婦喧嘩だ。おっ、亭主が女房にストレートパンチ
郵便屋 あ、よけた
女 ね、見せて、見せて
 郵便屋、躯をくねらせながら。
郵便屋 おっ、あ、うっ
女 ねっ、ね。続きどうなったんだよ
 郵便屋、大げさによけて。天体望遠鏡を降ろす。
郵便屋 危ない!丼茶碗が飛んで来た
女 はい、はい、次はあたし、あたしの番
郵便屋 ちょ、ちょっと、待ってくれ。山田さんちを探さなきゃならないんだ
女 もう、大人って奴は。ね、あたしが教えてあげたんだよ
郵便屋 ええっと、山田さん、山田さんはっと
 そして、唐突に。
郵便屋 あぁっ、腹減ったなぁ
女 いきなりなんだよ
郵便屋 晩飯・・・、食っている。家族、若い夫婦、小さな子供が一人、テーブルについて、はは、いいなぁ。おっ、子供がお箸を落としたぞ
女 きゃはははっ
郵便屋 ど、どうした
女 箸が転げただけでも可笑しい年頃
郵便屋 ん・・・。お前さん、女だったのか
 郵便屋、望遠鏡で、まじまじと女をながめる。
女、帽子を取り。
女 ああん、ほらほら、長い髪
 望遠鏡を降ろして。
郵便屋 いまどき、男でも髪の毛伸ばしているぞ。昨日なんか、よっ、お茶しないなんて声かけたら、髭、生やしてんだ、そいつ
 郵便屋、泣き真似。
女 あー、あたし、思いっきり傷ついた。折角・・・。いいや、あたし、おじさん、嫌いだから教えてやらない
郵便屋 え、何をだ。山田さんち、知ってるのか
女 ううん、もっといいこと。レンズの話さ
郵便屋 レンズ・・・、なんだそれ
女 あれ、あたし、いま、何か言ったっけ。さて、帰ろうかな。帰って晩御飯の用意をしよっと
郵便屋 おいおい、レンズって何なんだ。教えてくれよ
女 えっ・・・、まさか、知らないの。レンズだよ、レンズ。ひょっとしておじさん、実はレンズのない星からやってきた宇宙人
 郵便屋、女に押され気味で。
郵便屋 いや、あっ、あぁ、レ、レンズね
女 そう、レンズ
郵便屋 そっそうだ。眼鏡のレンズ
女 そ、れ、か、ら
郵便屋 これこれ
 郵便屋、虫眼鏡を差しだす、女、受け取って。
女 まだまだ
郵便屋 そっ、それに・・・
女 それに
郵便屋 コンビニの監視ビデオのレンズ。そうだ、ドアの真ん中についている、ぴんぽん、ドアの内側から誰だ誰だと覗く奴
女 あぁあ、おじさん、レンズにろくな知り合いがないんだな。日ごろの行いが悪いって証拠だよ。あたしが言いたいのは、その望遠鏡の根元に取り付ける、ほら接眼レンズのことさ
郵便屋 この望遠鏡にか・・・
女 そう。ね、おじさんはその望遠鏡で山田さんち、探すんだろう
郵便屋 ああ、そうだが
女 だから、これをあげるよ。人探しには便利だからさ
 女、鞄を降ろし、中から数冊、歴史の本を取りだす。
女 古代に中世。こいつは時が経ちすぎて、つちくれしか見えてこない、まっ、近代でってとこかな
 女、本を一枚破り、郵便屋に渡す。
郵便屋 これが、どうしたんだ
女 わかんないかなぁ。歴史の本、一枚破り捨て、ほら、こう、この望遠鏡にはめ込むんだ
 女、郵便屋から望遠鏡と紙切れをひったくると、丸めて、望遠鏡の目をあてる部分に紙切れを被せる。鞄からテープを取り出し、しっかりと貼り付ける。
女 覗いてごらん。歴史レンズの力が他人の生きて来た時間をさ、まとめて見せてくれるから
 郵便屋、受け取り、望遠鏡を覗き込む。
郵便屋 うーん
 郵便屋を説得するように。
女 人は誰もが自分の過ごして来た時間を背負って歩いている。だから、この歴史レンズで、ほら、他人が背負っている時間って奴をひとまとめにしてのぞきこむのさ
女 おじさんの云う「透き通る炎のような茜色」、見えてきやしないかい
郵便屋 茜色、燃える炎の茜色・・・、俺も、俺自身もあの光の中にいた
女 それってどういうこと
郵便屋 怖くて恐ろしくて、自分がひたすら無力なものでしかない、そう思い知らされたんだ
女 いったい、それはいつの時代のものなんだ
郵便屋 俺の体が燃えていくんだ、熱い・・・、息が、息ができない
 郵便屋、望遠鏡を降ろす、体がふるえ出す。
女 どうしたんだよ。おじさんの体、燃えるように熱いよ
 郵便屋、苦しい息で。
郵便屋 これだ・・・。見つけたぞ、この色なんだ
 女、子供をあやすように、郵便屋の頭をなでる。
女、大人びた感じで、いたわるように。
女 大丈夫、大丈夫だからね
 体の震えがとまり、郵便屋、夢見るように。
女 望遠鏡はおじさんを、何処に連れていったんだい
郵便屋 茜色に風すらも染まる風景が,そうだ、ひたすらに続く夢幻の世界
女 それがおじさんの云う山田さんの色なんだね
郵便屋 視線を落とせば赤銅色の大地だ、土までもが赤く赤く燃えつきた大地だ、その大地が何処までも、何処までも続いている
女 いったい、何処の風景なの、それは
郵便屋 地上にある筈の家や橋や電信柱、人が生きていたという、それら証の全ては
女 全ては
郵便屋 空襲、嵐のように降り頻った焼夷弾に全て消されていった。生命と呼べるもの、一つだにこの大地には見当たらない
 女、元に戻って。
女 空襲・・・、戦争なのか
郵便屋 黒い陰だ・・・、よく見つめれば、人の形をした消し炭と煙りたちのぼるいくばくかの瓦礫がそこかしこと、息をひそめ取り残されている
女 人型の消し炭って・・・
郵便屋 彼らは恐れている
女 いったい、何に恐れている
郵便屋 ひたすらに、ひたすらに恐れているんだ。そして・・・、嘆いている
女 恐れ、嘆き、痛み、苦しみ。悔い・・・
郵便屋 焼け焦げた柱が、一本、二本・・・、骸を貫く卒塔婆の様に立ち尽くしている
 郵便屋、夢の中、惚けたようにして呟く。
郵便屋 ・・・もう静かにしていよう、茜色に染めつけたホルマリンを世界に注ぎ込んで。過去は思い出したくない、未来にも目をつぶろう、俯いて、時の流れをやり過ごそう・・・。もう、もう、いいんだ
 郵便屋、低くうめいて。いきなり、自分の頬を平手で叩き、目を見開いて、望遠鏡を覗き込む。
郵便屋 見つけた。瓦礫の中、焼け残った表札が表を向いて落ちている
女 表札にはなんて書いてある
郵便屋 漢字二文字・・・。山・・・、田・・・
郵便屋 一九四五年、日本は負けた。大東亜戦争。後年、太平洋戦争と呼ばれし戦だ
女 おじさんはこれからいったい、何をしようというんだ
郵便屋 そうだ、俺は一体何をしようとしていたんだ
女 おじさんは郵便屋さんだろう
郵便屋 そうだ、そうなんだ、俺は届けなきゃならない
女 紅蓮に燃える茜色の山田さんに手紙を届けるのか
郵便屋 そうだ、届けるんだ。軍事郵便、戦地から内地へ送られた兵士の言葉を、故郷に残した家族へのせつなる思いを俺は伝えなきゃならない
女 それがおじさんの仕事なのか
郵便屋 そうだ。俺は郵便屋だからな。
 郵便屋、鞄を軽く叩いて。
郵便屋 俺はあまり出来が良くないらしい、こいつの中には配らなきゃならん手紙で一杯だ。じゃあな、ありがとよ
女 あぁ、しっかりね
 郵便屋、女の手をぎゅっと握り、離して、駆け出す、2,3歩、不意に立ち止まり会釈、そして退場。
 女、静かに。そして、去っていった郵便屋に語りかけるように。
女 夕暮れ時は、逢魔の時刻、明るい光の中では生きてけない、そんな思い達が渦巻いている。ね、おじさん、鞄の中の手紙、いつ、配り終えるんだい・・・、ね、おじさん・・・
 女、ふと思い当たったように腕時計を見る。
女 変だ、この時間、もう夜のはずだよ。それなのにまだ、空は茜色だ、どうして・・・。ひょっとしてあたし、おじさんの世界に紛れ込んでしまったのか
 女、手に持っていた虫眼鏡に気づく。溜息ついて。
女 なんだよ、もぉ。せっかく、人がいいふいんきだしていたのにさ
 女、脚立に乗り、左手は目の前で筒、右手は虫眼鏡を持って、その腕を伸ばす、望遠鏡を覗き込むようにして。
女 あれだな
 女、郵便屋に呼びかけるように。
女 おおーい、おじさーん。待ってよー、あたしもつきあうからさぁー
女 ・・・なんだよ、振り返って、手振ってる。はは、それじゃ、あたしも行くか。
 女、派手に脚立を飛び降りる。
 完

 

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幻影悠華譚

『幻影悠華譚』

 

あらすじ
夜の公園を舞台に始まる根無し草の話。
砂場で家族を演じる男と女。何かの思いに引き寄せられてやってくる自称郵便屋と若い女。
彼らが出会うことで、それぞれの何かが欲しい、何かが足りない、そんな思いが発動し、彼らは現実世界から、虚構の世界、ひたすら太平洋戦争が続く虚構の世界に入り込んでいく。

 

登場人物
郵便屋(自称)男
蒼瀬 女
斎藤 女
木村 男
吉田 男
田中 女

 

 


舞台は夕暮れ時から夜にと変わりつつある公園。
砂場と滑り台とぶらんこがある。
中央に男が一人。郵便屋、郵便マークの大きく書かれた黒い鞄を肩から下げている。
郵便屋、一枚ものの大きな地図を広げている、そして道に迷ったのか、時々、首を傾げている。
もう一人の登場人物、女(蒼瀬)が滑り台の上に座っている。美しい茜色の空、うっとりと眺めている。蒼瀬、ふと思い付いたように、鞄から地図帳を取り出し棒状に丸める。そして望遠鏡のようにして、眼にあてがい空や風景を眺め出す。たまに二つ作って双眼鏡にしたり。
時々、肩を揺らしたり、リズムを取ったり、鼻歌を歌ったり、気持ちよさそうに。
それぞれ、二人、お互いに気づいていない。

郵便屋 うーん、よくわからん。えーっと、山田さんち、山田さんちはっと。どうも、この地図は見にくくていかんな
郵便屋、地図を縦にしたり、横にしたり。あたりを見回したり。
郵便屋 色分けしてあって、これはわかりやすいと思ったんだが・・・、どうもこの辺りの色と合わない
郵便屋、ポケットをさぐって虫眼鏡を取りだして。
郵便屋、溜め息まじりに。
郵便屋 齢かな。にらみ過ぎて、目が霞んで来たぞ
滑り台の上から、蒼瀬、ふっと郵便屋の声に気づいて。
蒼瀬 ね、おじさん。その鞄はひょっとして郵便屋さん
郵便屋、蒼瀬に背を向けたまま、地図に見入るようにして、独り言のように。
郵便屋 現役ばりばりの郵便配達さ
蒼瀬 じゃ、その郵便屋さんが道に迷ったわけだ
郵便屋 ん・・・、弘法も筆の誤り、河童の川流れ、俺みたいな大ベテランでもたまには道に迷うのさ
郵便屋、地図から顔をあげて。
郵便屋 そうだ、この辺に『茜色の山田さん』ってお宅、知らないかい
蒼瀬 『茜色の山田さん』・・・、茜色って、この空の色のこと
郵便屋 いや、もっと透き通る炎の茜色だ
蒼瀬 なんか話が見えてこない。ね、その何とかの山田さんの住所ってどこ、何番地
郵便屋 あぁ、ちょうど地図を持っているんだが。うーん、わからん
蒼瀬、滑り台を降りて、郵便屋の地図をのぞき込み。
蒼瀬 これって・・・。ね、これ世界地図だよ
郵便屋 だから、困っているんだ。ほら、日本なんか、赤色一色で俺の小指ほどもない。だから、山田さんちを、ほら、この大きな虫眼鏡で探しているんだが。どうも、赤色しか見えてこなくてな
蒼瀬、くすぐったそうに笑って。
蒼瀬 ね、ちょっと、頭、揺すってあげようか。からから、音がするかもしんない
蒼瀬 あのね、虫眼鏡なんかで世界地図見つめたってなにも見えてこないんだよ。わかる、っかな
郵便屋、少しむっとしたように。
蒼瀬 ね、よく聴いて。世界地図の中の日本ってのは、遠く、遠くから日本を眺めたものなんだ。・・・いい
郵便屋 ああ、そうだろうな。宇宙のずっと遠くからじゃないと、こんなふうには見えてこない
蒼瀬 なんだ。わかってんじゃない
郵便屋 え・・・
蒼瀬 さて、それでは問題です。遠い星を眺めるのには、どんな道具を使いますか
郵便屋 ・・・天体望遠鏡だろう。・・・ああ、そうか
郵便屋、地図を丸めて、望遠鏡のようにして覗く。そして、望遠鏡を左右に振りながら。
郵便屋 おおっ、これはいい。よく見える
蒼瀬 こんな即席望遠鏡でも、世界地図で創ってあるからね、性能は最高さ。おじさん、よく見えるだろう。ね、いま、何見てる
郵便屋 うーん、これは何処の家だろう。女の子がピアノを弾いている。気持ち良さそうに躯をゆらしながら。まるで、妙なる調べが聞こえて来るようだ
郵便屋、鼻歌混じり、少し望遠鏡を動かして。
郵便屋 おぉっと、これは凄い
蒼瀬 なになに
郵便屋 夫婦喧嘩だ。おっ、亭主が女房にストレートパンチ
郵便屋 あ、よけた
蒼瀬 ね、見せて、見せて
郵便屋、躯をくねらせながら。
郵便屋 おっ、あ、うっ
蒼瀬 ねっ、ね。続きどうなったんだよ
郵便屋、大げさによけて。天体望遠鏡を降ろす。
郵便屋 危ない・・・。丼茶碗が飛んで来た
蒼瀬 はい、はい、次はあたし、あたしの番
郵便屋 ちょ、ちょっと、待ってくれ。山田さんちを探さなきゃならない
蒼瀬 もう、大人って奴は。ね、あたしが教えてあげたんだよ
郵便屋 ええっと、山田さん、山田さんはっと
そして、唐突に。
郵便屋 あぁっ、腹減ったなぁ
蒼瀬 今度はどうしたの
郵便屋 晩飯・・・、食っている。家族、若い父親と母親、小さな子供が一人、テーブルについて、はは、いいなぁ。おっ、子供がお箸を落としたぞ
蒼瀬 きゃはははっ
郵便屋 ど、どうした
蒼瀬 箸が転げただけでも可笑しい年頃
郵便屋 ん・・・。お前さん、女だったのか
郵便屋、望遠鏡で、まじまじと蒼瀬をながめる。そして、望遠鏡を降ろして。
蒼瀬、帽子を取り、少し郵便屋に挨拶するように。
蒼瀬 ほらほら、長い髪
郵便屋 いまどき、男でも髪の毛ぐらい伸ばしているぞ。昨日なんか、よっ、お茶しないなんて声かけて、そいつが振り返ったら、髭、生やしてんだ、そいつ
郵便屋、泣き真似。
蒼瀬 あー、あたし、思いっきり傷ついた。折角・・・。いいや、あたし、おじさん、嫌いだから教えてやらない
郵便屋 え、何をだ。山田さんち、知ってるのか
蒼瀬 ううん、もっといいこと。レンズのことさ
郵便屋 レンズ・・・、なんだそれ
蒼瀬 あれ、あたし、いま、何か言ったっけ。さて、帰ろうかな。かえって晩御飯の用意をしよっと
郵便屋 おいおい、レンズって何なんだ。教えてくれよ
蒼瀬 えっ・・・、まさか、知らないの。レンズだよ、レンズ。ひょっとしておじさん、実はレンズのない星からやってきた宇宙人
郵便屋、蒼瀬に押され気味で。
郵便屋 いや、あっ、あぁ、レ、レンズね
蒼瀬 そう、レンズ
郵便屋 そっそうだ。眼鏡のレンズ
蒼瀬 そ、れ、か、ら
郵便屋 これこれ
郵便屋、虫眼鏡を差しだす、蒼瀬、受け取って。
蒼瀬 まだまだ
郵便屋 そっ、それに・・・
蒼瀬 それに
郵便屋 カメラのレンズ。それにコンビニの監視ビデオのレンズ。そうだ、ドアの真ん中についている、ぴんぽんって鳴って、ドアの内側から誰だ誰だと覗く奴
蒼瀬 あぁあ、おじさん、レンズにろくな知り合いがないんだな。日ごろの行いが悪い。あたしが言いたいのは、その天体望遠鏡の根元に取り付ける、ほら接眼レンズのことさ
郵便屋 この天体望遠鏡にか・・・
蒼瀬 そう。ね、おじさん、その天体望遠鏡で山田さんち、探すんだろう
郵便屋 ああ、そうだが
蒼瀬 なら、これをあげるよ。人探しには便利だから
蒼瀬、鞄を降ろし、中から数冊、歴史の本を取りだす。
蒼瀬 古代に中世。まっ、近代でいいかな
蒼瀬、適当なところを一枚破り、郵便屋に渡す。
郵便屋 これが、どうしたんだ
蒼瀬 わかんないかなぁ。歴史の本、一枚破り捨て、ほら、こう、この天体望遠鏡にはめ込むんだ
蒼瀬、郵便屋から天体望遠鏡と紙切れをひったくると、丸めて、望遠鏡の目をあてる部分に紙切れを被せる。
蒼瀬 覗いてごらん。おじさんの思いが、歴史レンズの力で他人の生きて来た時間軸を遡って行くから
郵便屋、受け取り、天体望遠鏡を覗き込む。
郵便屋 うーん
郵便屋を説得するように。
蒼瀬 人は誰もが自分の過ごして来た時間を背負って歩いている。だから、この歴史レンズで、ほら、他人が背負っている時間って奴をひとまとめにしてのぞきこむのさ
郵便屋 おおっ、これだ・・・。この色なんだ
蒼瀬、少し大人びた感じで。郵便屋、夢見る様に。
蒼瀬 どんな色を見ている
郵便屋 夕暮れ時の色だ。茜色に風すらも染まる風景が,そうだ、ひたすらに続く夢幻の世界
蒼瀬 それがおじさんの云う山田さんの色なのか
郵便屋 視線を落とせば赤銅色の大地だ、土までもが赤く赤く燃えつきた大地だ、その大地が何処までも、何処までも続いている
蒼瀬 いったい、何処の風景なんだ、それ
郵便屋 地上にある筈の家や橋や電信柱、人が生きていたという、それら証の全ては
蒼瀬 全ては
郵便屋 空襲、嵐のように降り頻った焼夷弾に全て消されていった。生命と呼べるもの、一つだにこの大地には見当たらない
蒼瀬 空襲・・・、戦争・・・、なのか
郵便屋 黒い陰だ・・・、よく見つめれば、人の形をした消し炭と煙りたちのぼるいくばくかの瓦礫がそこかしこと、息をひそめ取り残されている
蒼瀬 人型の消し炭って・・・
郵便屋 彼らは恐れている
蒼瀬 いったい、何に恐れている
郵便屋 ひたすらに、ひたすらに恐れているんだ。そして・・・、嘆いている
蒼瀬 恐れ、嘆き、痛み、苦しみ。悔い・・・
郵便屋 焼け焦げた柱が、一本、二本・・・、骸を貫く卒塔婆の様に立ち尽くしている
郵便屋、夢の中、惚けたようにして呟く。
郵便屋 ・・・もう静かにしていよう、茜色に染めつけたホルマリンを世界に注ぎ込んで。過去は思い出したくない、未来にも目をつぶろう、俯いて、時の流れをやり過ごそう・・・。もう、もう、いいんだ
郵便屋、低くうめいて、天体望遠鏡を降ろし、目を見開いて。
郵便屋 見つけた。瓦礫の中、焼け残った表札が表を向いて落ちていた
蒼瀬 表札にはなんて書いてある
郵便屋 漢字二文字・・・。山・・・、田・・・
郵便屋 一九四五年、日本は負けた。大東亜戦争。後年、太平洋戦争と呼ばれし戦だ
蒼瀬 おじさんはこれからいったい、何をしようというんだ
郵便屋 届けるのさ。軍事郵便、戦地から内地へ送られた一人の兵士の言葉を、故郷に残した家族へのせつなる思いを
郵便屋と蒼瀬退場。

今までの舞台と同じ。夜の児童公園。中央に街灯、その下に砂場がある。その他、滑り台にブランコ。とりあえずは、公園っぽい零囲気。
会社帰りの男(吉田)疲れ切ったようにして舞台に登場。滑り台の支柱に凭れて座り込む。鞄、抱き抱えて。
学生(大学生くらい:田中(女))俯きながら登場。男から遠からず、近からずに座り込む、丸く両手で両足を抱えこんで。
老人(木村)、寒そうに舞台に登場、木箱でできた林檎の箱を抱えている。そして、くたびれた背広を着ている。ぶらんこに乗る。ちょっと黒沢明監督の『生きる』をイメージして。 ゴンドラの唄 まで歌う必要はないけれど。
三人三様に俯きながら、街灯の明りを避けるように。
会社帰りの女(斎藤)、両手にコンビニの袋を持って、息堰切って駆けこんでくる。そして、砂場に入ると中の砂を掻き分け一枚の木切れを取り出す。木切れには大きく 山田 と書いてある。
斎藤はほっと一息つくと、立ち上がり街灯に掘り出した 山田 という表札を掲げる。
斎藤、腕時計を見て。
斎藤 なんとか間に合ったようね。いくらお国のためだからってさ、こんな残業までやらされるなんて。あぁ、もう、やってらんないよ
老人、ゆっくりと顔を上げる。斎藤に気づく。やわらかに笑みを浮べて。
ぶらんこを離れ、斎藤に向かって歩く。
斎藤 父さん、お帰り
木村 涼子もご苦労さんだな。仕事で疲れて帰って来たと思ったら、すぐに晩飯の用意なんだから
斎藤 いいよ。今は大変な時代なんだから
木村、砂場に入り、木箱をテーブルがわりに中央に置く。
木村 早く、戦争が終わってくれんとかなわんよ
斎藤、木村に顔を寄せ、人差し指で大声を出すなとジェスチャー。あたりを見回して。
斎藤 そういう事は俯いてつぶやきながら言うの。何処に特高警察の眼があるかわかんないよ
木村 嫌な時代が続くなぁ。もう何年になるんだ
斎藤、仕方なさそうに笑みを浮べて。
斎藤 仕方ないよ、どうしようもないんだから。当分、このままだね
ゆっくりと田中、顔を上げる。ぼおっとした顔。ゆっくりと意識を取り戻し、斎藤を見つける。立ち上がり。
田中 お姉ちゃん、ただいま
斎藤 お帰り
田中、快活に駆寄り、砂場に入る。
三人、木箱のテーブルを囲むようにして座る。
斎藤 陽子。学校の方はどう。授業は再開しそう
田中 当分無理だね。今日なんか、本当なら数学の時間なのに、校庭耕して薩摩芋の苗を植えるんだってね。まぁ、勉強苦手の私めにとりましては、授業のない方が何かと好都合ではありますが
斎藤 何言ってのよ。陽子は気楽なことばっかり言っているんだから。ね、父さん、陽子のこと、叱ってやってよ
木村 お姉ちゃんの言う通りだぞ。学生は未来の担い手なんだ、だから平時であろうと、今のような戦争している時代であろうと、最低限の学問はしなければならん
田中 へへーっ、御意にございまするぅってさ。ね、涼子姉さん、お腹減ったよ、晩御飯まだ
斎藤 明がまだでしょう
田中 そっか・・・。兄貴、遅いなぁ。何やってんだろう
木村 明はまだなのか
斎藤、うなずいて。
斎藤 最近、明、帰りが遅いのよ
田中、はっと気が付いて。
田中 恵子さんとデートだ
斎藤 それを言うなら、逢い引き。デートなんて敵国語使ったら、言われてしまうわよ、お前、スパイだろうとか、非国民だなとか
田中 あぁ、姉さんも使った、スパイって。それも言うなら諜報員、諜報員だよ
木村 嫌な時代になったもんだ
斎藤 ほんと嫌な時代、これからどうなるんだろう
木村 まだまだ、戦争は続くだろうな
斎藤 続くどころかどんどんひどくなってるよ。野菜なんか、ほら、例えばキャベツ、昨日の二倍の値段だよ。牛肉だって、ほとんどお店に並んでいないし。かしわが少しあるくらいかな
木村 まぁ、俺は肉よりも魚が好きだから、まぁ、いいが
斎藤 魚だって同じ。お店にもほとんど並んでないんだから
木村 日本は島国だろう。なら、魚や貝や
斎藤 捕りに行くはずの人が戦争で死んでんだよ
田中 なんだか難しい話。あぁあ、兄貴、早く帰ってこないかなぁ。お腹減ったよう

郵便屋と蒼瀬登場。郵便屋、地図で作った望遠鏡を目にあてながら、好奇心一杯の子供のようにあちらへこちらへと。蒼瀬、疲れ果てながらも郵便屋の鞄を引きずって、後をついて歩く。
郵便屋 なるほど、わかった
蒼瀬、もうこりごりといったふうで。
蒼瀬 やっと・・・、見つかったの。山田さんち。本当におじさん、郵便屋さんなの、方向感覚まるでなしじゃない
郵便屋 いや・・・。片目で望遠鏡を覗きながら歩いているだろう。この歩きにくさ、ピーターパンに出て来る片目の海賊の気持ちがやっとわかったと思ってな。うん、子供の頃からの謎がやっと解けた
蒼瀬 なに言ってんだよ。さんざん歩かせといて。もういやだからね、あたし。もう一歩も歩けない
蒼瀬、鞄を降ろして座り込む。
郵便屋、それに気づいて、蒼瀬の隣りに座る。郵便屋は疲れた様子は全くなし。
郵便屋 どうしたんだ
蒼瀬 自己嫌悪に浸っているんだよ。自分のお人好し加減にさ
郵便屋 世の中は持ちつ持たれつといってだな。そうだろう、人という字は人と人が支えあってだな
蒼瀬 それ以上は言わないように。あたし、怒るよ
郵便屋 なにへばってんだ。まだ、二時間しか歩いてないじゃないか
蒼瀬 二時間もだよ。本当に
郵便屋 たかだか二時間。それも歩いているだけでばてるとは。最近の若者はだらしないな
蒼瀬 だらしなくって結構。そいじゃ、あたし、帰るから
郵便屋 おいおい。この憐れな年寄りを一人置いてく気か
蒼瀬 なにが年寄りだよ。どう見ても四十そこそこ、働き盛り。これからもしっかり働きなよ。今の日本はおじさん達が支えているんだから
郵便屋 ごほげほ。お、俺は若く見えるかもしれんが、もうすぐ九十にも手が届く年寄りなんだ。あぁ、俺にも、ごほげほ、あんたのような孫娘がおったのだが、病気で死なせてしまってのう。おおい、千尋、天国でこの憐れな年寄りを見守っておくれよ
蒼瀬 え、なんで、あたしの名前知ってんだ
郵便屋 はは、お前さんの鞄に名前が書いてあったぞ。鞄にマジックで名前を書くなんて、子供みたいだな
蒼瀬 うるさいね、これは子供の時の鞄なの。あたし、物持ちがいいのよ
蒼瀬、土を払って、大きく伸びをする。
蒼瀬 変なおじさんに関わって・・・、やっぱり、人には声をかけるもんじゅないな
蒼瀬、街灯の 山田 という表札に気がつく。
蒼瀬 あ、あれ。おじさん、ちょっと
蒼瀬、郵便屋を引っ張る。
郵便屋 どうした。腹でも空いたか。ラーメンぐらいなら
蒼瀬 違うよ、あれ。見てごらんよ
蒼瀬、山田の表札を指差す。
郵便屋 おおっ、あれは
郵便屋、慌てて望遠鏡を向けて覗く。
蒼瀬 そこにあるのに、どうして天体望遠鏡で覗くんだよ
郵便屋 へ・・・。あ、あ、そうか
郵便屋、表札に駆け寄る。
郵便屋 そうだ、これだ、これ
蒼瀬、疲れていたのも忘れて、郵便屋とまじまじと表札をのぞき込む。
蒼瀬 ね、この表札・・・
郵便屋、茫然としたように。
郵便屋 あぁ
蒼瀬 付いてるの、これ、街灯にだよね
郵便屋 確かに・・・。街灯だ
蒼瀬、砂場に座っている三人、家族団欒中の姿に驚いて、声を上げそうになるのを自分の手で口を押さえる。
郵便屋、街灯の下に男が俯いてうずくまっているのを見つける。
蒼瀬、郵便屋に知らせようとして、郵便屋が擬視している男に気づく。
蒼瀬 ね、これってホームレスの人達・・・
郵便屋 だと思うか・・・
蒼瀬 よく地下街の隅や柱に寝そべっている人達、には・・・、見えない
郵便屋 俺も同感だ
蒼瀬 じゃ、意見の一致を見たところで
郵便屋 退散、といきたいところなんだが
郵便屋、 山田 という表札を見て。
蒼瀬 じゃあ、できるだけ刺激しないように・・・
郵便屋 そ、そうだな。よし、ちょっと練習しよう
蒼瀬うなずいて、二人少し場所を移動し。
郵便屋、とんとんとドアをノックするように手を動かして。
郵便屋 夜分、失礼しますが
蒼瀬 はぁい、どなた
郵便屋 郵便の配達なんですが、この辺りに山田さんというお宅はありませんでしょうか
蒼瀬 はーい、あたしんちでーす。・・・ちゃんちゃん
蒼瀬 おじさん、それって思いっきりストレートだよ
郵便屋 俺は回りくどいことは苦手なんだ
蒼瀬 交代、交代。今度はあたしがおじさんの役やるから
郵便屋 そ、そうか。すまんな
蒼瀬、すうっと深呼吸して。
蒼瀬 夜分、失礼します
まるで、蒼瀬の言葉に答えるようなタイミングで。
斎藤 お帰り
郵便屋と蒼瀬、驚いて振り返る。
吉田、起き上がり、なんかいい事でもあったのかといった感じでうきうきと砂場へ。
吉田 ただいまー
田中 兄貴、その顔。デート大成功って顔じゃない
吉田 えっ・・・。陽子、お前どうして・・・
田中、吉田の顔を指差して。
田中 ほれほれ、そこ、頬のとこ。右の。赤色でデート大成功って書いてある
吉田、慌てて頬を手で擦る。
田中 すごいリアクション。兄貴、かなり舞い上がっているな
田中、焦りにながらも少し憮然とした表情になって、座る。
斎藤 明はもう晩御飯食べたの
吉田 た、食べるよ。まだ、食べてないから
田中 あれ。じゃあ、恵子さんと何をしてたのよ
吉田の真似をして。
田中 ね、こんな時間だよ、何か食べて行こうか、恵子。ん、何が食べたい
斎藤 じゃ、あたし、フランス料理がいいな
田中 そうね、フランス料理の後は中華がいいかな。それにそれに、あたし
木村 お寿司が食べたいわ
吉田 あのな、父さんまで。はっきり言っておくけど、俺と恵子はまだそんな仲じゃないんだからな
田中 恵子だって・・・。呼び捨てだよ。これは相当進んでいるね
斎藤 そうか、明は姉さんの目を盗んで、そこまで親しくなっていたのか
木村 明、一度恵子さんを家にお連れしなさい。それにご両親にもご挨拶を
吉田 待ってくれよ。俺はそんな
斎藤、少し間を置いてから、溜め息をつき。
斎藤 わかっているわよ、明のことぐらい。早く告白しなさいよ。女だっていつまでも待って居られないんだから
田中 そうだよ。向こうから振り向いてくれるなんて考えてたら大間違いなんだからね
木村、防波堤で釣りをするような感じで。
木村 そうだぞ。タイミングを見計らってだな。ぱっと餌に食い付いて来たところをひょいっと
斎藤 父さんは、なるほど。そうやって母さんの心を射止めたのか。娘としてあたし、なんだか悩むな。ね、素敵なロマンスとか全然なかったの
田中 はは、でもそれって、釣りみたい。父さん、こうひょいっとだね
木村 そうだ
木村、釣竿を持つようにして。
木村 この微妙な振動を、竿の先から貴方が好き貴方が好きという信号を感じてだな、ここだってとこで、おい、明、腰が肝心だぞ、ひょい、ひょいとだな
吉田 お・・・、お前らなぁ
家族の笑い。

郵便屋と蒼瀬、唖然としながらも公園家族を見て。
蒼瀬 なんだか・・・。賑やかだね
郵便屋 ああ
蒼瀬 楽しそうにしているね
郵便屋 ああ
蒼瀬 でも、ここって・・・。公園だよね
郵便屋 そうだ、公園。そして砂場だ、小さな子供が遊ぶなんのへんてつもない砂場だ
蒼瀬 砂場の家族。その場の家族、その場限りの、砂上の楼閣
郵便屋、えっと蒼瀬に振り向く。
蒼瀬 ね、これが本当におじさんの捜す山田さんちなの
郵便屋 俺の一度として外れたことのない郵便屋としての勘が間違いをおこすなどありえん
蒼瀬 なに、言い切っているんだよ。おじさん、道に迷って地図見てたじゃない、こんな大きな世界地図、広げてさ
郵便屋 そ・・・、それはそうだが・・・。よしっ
蒼瀬 いいアイディア思いついたの
郵便屋 あたって砕けろ
蒼瀬 砕け散ってはもともこうもない。でも、いいアイデアもないし、仕方ないかな
蒼瀬、屈んで靴の紐を締め直す。
郵便屋 なにしてんだ
蒼瀬 準備だよ。ひょっとしたら走って逃げなきゃならなくなるかもしれない
郵便屋 なるほど
郵便屋も靴の紐を締め直し、アキレス腱を伸ばしたりと準備体操。二人で準備体操を始める。
蒼瀬 おじさんだけ先に逃げたら嫌だよ
郵便屋 任してくれ。お前さんが危ないっ、て時には我が身を投げ出して
蒼瀬 口のうまい男は信用できない
郵便屋 なるほど、お前さん、俺のようないい男に出会わなかったんだな。それでこんなにひねくれて・・・。ううっ、かわいそうに
蒼瀬 もう、いいから。泣きまねは
郵便屋 さてと、では、行こうか
蒼瀬 ほら、やっぱり。まっ、いいや。あ、おじさん
郵便屋 なんだ
蒼瀬 ラーメン奢ってくれるって云うの、あたし、ちゃんと覚えているからね
郵便屋、少し面白そうに。
郵便屋 飯大盛りも付けてやるさ、世話になったからな
蒼瀬 やった。これで一食分浮いた
郵便屋 貧乏な奴だな。貢いでくれる男の一人ぐらいいないのか
蒼瀬 あいにく。誰かさんに男と間違われてしまうほどでございますから
郵便屋 それもそうだな
蒼瀬、少し笑って。
蒼瀬 おじさんって、妙な人だな。ほんとはとてつもなくいい人なのかもしれない
郵便屋 ようやく俺の本質に気がついたか。お前さんも大人になったな。よし、よし、では
蒼瀬、くすぐったそうに笑って。
蒼瀬 では、参りますか
郵便屋と蒼瀬、二人一緒に砂場の家族に近づいて。
郵便屋 ごめんください。こちら山田さんのお宅でしょうか
斎藤、ごく自然に。
斎藤は、あくまでもここは一軒の家なのだという意識で郵便屋に応対する。
斎藤 はぁい
斎藤、家族と相談するように。
斎藤 今頃、誰だろ
木村 まさか、特高警察・・・
斎藤 拷問したりして、何も悪いことしていないのに無理矢理、自白させたりする
田中 でも、あたし達、特高警察なんかに捕まるようなことしてないよ
木村 特高警察なんてのは、何もしてなくても捕まえに来るんだ。ああ云うところはな、犯罪者を捕まえるんじゃない、犯罪者を造りだすところなんだ
田中 まさか。あ、そうだ。ひょっとして、さっきのデートだとか、スパイだとかの敵国語を使ったのがばれたのかも
斎藤 まさか。そんなはずないわよ
木村 わからんぞ。今日、仕事場で聞いたんだが、あいつら特高警察は特別な望遠鏡を持っているらしいんだ、詳しくは聞けなかったんだが、それを、こう、耳に当てると十キロ先の箸の落ちる音も聞き分けることができるらしいんだ
斎藤 まさか、そんなこと

蒼瀬 目の前で相談されるって云うの・・・、ね、なんだか逃げだしたい気分

沈黙を守っていた吉田、思いつめたように。
吉田 よし。俺が行って来る
田中 危ないよ
吉田 大丈夫、俺にまかしとけ
斎藤、すっと缶珈琲を取り出して吉田に差しだす。
斎藤 せめて、お茶でも飲んで少し落ち着いて
吉田 ありがとう、姉さん
吉田、派手に珈琲を飲み干すと、蜜柑箱に缶を置いて。
吉田、一代決心をして立ち上がる。
吉田 行って来る
斎藤も立ち上がり、見えない襖の陰から心配そうに吉田を見つめて。
吉田、見えないドアを開け、郵便屋と蒼瀬の前に。
郵便屋 夜分申しわけありません、このあたりに
吉田、蒼瀬の姿を見て。
吉田 け、恵子さん・・・、いったいどうして
蒼瀬 ほら・・・、なんか変なことになって来た
郵便屋 いや、彼女は決して君の恋人の恵子さんとやらではなくてだな
吉田、聞く耳持たず。
吉田 恵子さん、どうして・・・。あ、こちら恵子さんのお父さん・・・
郵便屋 ちょっと待ってくれ、まぁ、落ち着いて
吉田 初めまして。俺・・・、いえ、私、山田明と申します。恵子さんにはいつも親切にしていただきまして
斎藤、吉田に駆け寄り。
斎藤 どうぞ、お入りください、汚ないところですけど
郵便屋 いや、ちょっと落ち着いて
斎藤 あ、申し遅れました。私、明の姉で涼子と申します。いえ、つい先ほど、明からお話を聴きまして、なんだか素敵なお嬢さんとお付き合いさせていただいているとか
斎藤 あら、こんな玄関口で・・・。さぁ、どうぞ、お入りください。汚ないところですけど
田中、立ち上がり、廊下から玄関口を覗くように。
木村、田中に。
木村 誰が来たんだ
田中 噂をすればってやつ。恵子さんが来たんだ、お父さんと一緒に
木村 な、な、なに、そうか
斎藤、田中に振り向いて。
斎藤 陽子、そんなとこから覗いてないで、こっちに来てご挨拶なさい
田中 はぁい
田中、木村に向かって。
田中 父さんも早く早く
木村 そっ、そうだな
蒼瀬 ああもう、何がどうなってんだか。どうしよう、おじさん
郵便屋 俺が何とか
木村と田中、見えない玄関口へ。
木村 初めまして。私、明の父親で定雄と申します。ちょうど、今しがたお嬢様のお噂をさせていただいていたところでして
田中 ひょい、ひょいって奴だね
木村 これっ
木村、田中の頭をこつんと打って。
郵便屋 ちょっと落ち着いてもらえませんか
木村 まぁ、立ち話も何ですから
斎藤 どうぞ。こんなご時世ですし何もお構いできませんけど
蒼瀬 こんなご時世って・・・。さっき、戦争だとかなんとか言っていたよね
郵便屋 彼らのいう戦争が第二次世界大戦なら五十年ほど、ずれ込んでいることになるぞ
蒼瀬 五十年も前なら、あたし、影も形もないよ
郵便屋 俺はちょうど四十になったところだった
蒼瀬 えっ・・・。それって
斎藤 さぁ、どうぞ。汚ないところですけど
郵便屋、蒼瀬と顔を寄せて相談するように。郵便屋、深刻な顔をして。
郵便屋 悪いが付き合ってくれんか。俺の捜す山田さんに違いないんだが、これでは手紙が渡せない
蒼瀬、溜め息をついて。
蒼瀬 あたしの知ったことじゃない、って言いたいけど・・・。いいよ、付き合うよ。そのかわり餃子追加だよ
郵便屋 すまない、助かる
郵便屋、木村に向き直り。改まって。
郵便屋 それではちょっとだけおじゃまいたしまして。申しわけございませんな、いや、ちょっと近くまで寄ったものですから
斎藤 そんな、どうぞどうぞ
木村 さぁ、どうぞ。お気遣いなく
斎藤 汚ないところですけれど、ゆっくりなさってください
郵便屋と蒼瀬、うながされるままに。
蒼瀬、郵便屋に相談するように。
蒼瀬 靴、ね、靴脱ぐのかな
郵便屋 斎藤の足元を見て。
郵便屋 かまわない、ようだな
蒼瀬、うなずいて郵便屋の後をついて歩く。見えない廊下を歩き、蜜柑箱の居間へ。蜜柑箱を囲み家族と郵便屋と蒼瀬が座る。
木村、緊張しながらも、あらたまって。ちょっと演説する感じ。
木村 えー、改めまして、私、この家の主定雄でございます。なにか、息子の方からこちらさまのお嬢さまと親しくさせていただいていると、で、あの、あ・・・、これは一度ご挨拶にあがらなければと考えて、あの、考えていた、いえ、居りました、のですが、あぁ、わざわざおこしくださり恐縮しております
郵便屋 いえ、ちょっと近くまで用事がありまして、それで娘が言うにはこちらの明さんとお付き合いさせていただいているとか。それで一度、ご挨拶だけでもと
郵便屋、少し砕けたように。
郵便屋 しかし、いつまでも子供だ子供だと思っていたのですが。いつのまにか、こんな真面目な青年に見初められるとは、恵子も果報者です
明、緊張した面持ちでかぶりを振る。
木村 しかし、どんな時代でも色恋は変わりませんですな
郵便屋 そうですな、こんな時代でも
木村 ええ、軍が主権を取って、五十有余年。果たしていつまでこんな時代が続くのか。平和な時代が懐かしいですな
郵便屋 そうですな。我々は特に明君や恵子のように生まれたときから戦争ではありませんでしたから
木村 そうです。子供の頃は平和でしたなぁ。もう、負けてもいいから終わってくれませんかな、この戦争
明、一瞬、ぴくんと顔を強張らせて。
斎藤、少しとがめるように。
斎藤 父さん。めったなこというものじゃないわよ
木村 まぁ、いいじゃないか。ゆくゆくは親戚になる方達なんだから
郵便屋 いや、私もお父さんと同じ考えなんですよ。生活は苦しくなる、給料の替わりに、使い回しの配給切符が配られる、いったいどうなるんでしょうね
木村 まったくですよ。この娘も(陽子)高校生なんですが、授業がどんどんなくなりましてね、いまあるのは道徳の時間だとか、歴史の授業くらいで、いったいこれからどうなることだか
蒼瀬、郵便屋をつついて。
蒼瀬 ね、何がどうなっているんだよ
郵便屋 彼らはいま戦時中を生きているんだ。物資欠乏のな
蒼瀬 戦争・・・
郵便屋 ああ、どうやら太平洋戦争、第二次世界大戦がまだ続いているらしい
蒼瀬 まさか、ずっとそうやって生きているわけ
郵便屋 いや、何かのきっかけがあったんだろうが、よくわからん
蒼瀬 おじさん、本当は何か知っているんだろう。ラーメン、喰いながらそこのとこ、じっくり聴かせてもらうからね
蒼瀬、気持ちを切り替えて、木村に。
蒼瀬 始めまして、おじさま。私、明さんとお付き合いさせていただいています恵子と申します
木村 ほう、素敵なお嬢さんだ。明にはもったいないくらいですな。私がもう四十年若ければ
蒼瀬 あら、そんなこと
吉田 父さん、何言ってんだ。歳を考えろよな
田中 兄貴。恵子さんのことになると見境なくなる
斎藤 すっかり恵子さんに夢中なんだから
郵便屋 いや、娘もこんな良い青年に愛されて果報ものです。なぁ、恵子
蒼瀬 そんな・・・、父さんってば
蒼瀬、郵便屋に向かって。
蒼瀬 ・・・あまり調子にのらないように
郵便屋 そ、そうだな。あぁ、ところで、明君のことを教えてもらいたいんだが。娘からは、まだ、君のことを詳しく聞いていなくてね
吉田 はいっ
吉田、座り直して。
吉田 現在二十三歳。昼間は兵器工場にて零戦のエンジン部分の組み立てを担当しております。そして夜は夜間学校にて動力学、水力学を学んでおります。恵子さんとはその夜間学校で知り合いました
蒼瀬、郵便屋に。
蒼瀬 なんなの。動力学だとか水力学とか云うの。あたし、文系なのよ
郵便屋 機械を動かすための、ごくごく基本的な学問だ
蒼瀬 ひょっとしてあたしもその学校に通っているて云うことになるの
吉田 恵子さんは夜間学校でも一、二位を争う秀才で、本来なら私のような凡才に振り向いてくださるような方ではないんです
蒼瀬、郵便屋に。
蒼瀬 どうすんだよ
蒼瀬、郵便屋の脚を思いっきりつねる。
郵便屋 おおっ、痛てて。いや、あの、娘はそんな・・・。と、ところで明君の趣味は
吉田 趣味ですか。そうですね、読書が好きです
郵便屋 そうですか、よろしいですな。読書は人生を豊かにしますからな
斎藤 程度ものですわ。すっかり目がそれで悪くなって
田中 昨日だってさ
田中、本を目の前に付けるような振りして。
田中 これで焦点があってんだから、不思議だよね。そのうち
田中、両手をゆらゆらと揺らしながら。
田中 陽子。俺の眼鏡知らないかなあ
吉田 お、俺は、いや、私はそんなみっともないことしません
蒼瀬、くすぐったそうに笑って。
郵便屋 まっ、勉学にいそしむことはいい事だ
木村 明は、その点、私に似て根が真面目ですから
田中 父さん、真面目だったの、知らなかった
斎藤 あたしも気がつかなかったな。物心ついて以来、ずっといい加減な人だと思ってた
木村、わざとらしくため息を吐いて。
木村 理解のない家族で困ります
郵便屋 いいえ、楽しそうなご家族で羨ましい
郵便屋 ところで・・・。そうだ、明君の愛読書を教えていただけませんかな
吉田 はいっ。一番の愛読書は我が同盟国独国はアドルフ・ヒットラー元帥の 我が闘争 です
光、茜色の世界に舞台が染まる。
音、遠くから戦闘機の音。銃撃戦。ただし、淡く静かに。
吉田 僕達は戦争の中で生まれ、戦争の中で育ちました。そして今も戦争のさなかです。聞こえますか、猛り狂う敵機のプロペラ音、弾ける炎の音、響く悲鳴、怒号、阿鼻叫喚の地獄絵。いいえ。祖国を、我が愛する祖国をそんな地獄にするわけには参りません
田中 戦います、愛するものを護るため、愛する祖国を護るため、我が生命、潰えても、必ず戦います
木村 彼らは戦中に生まれ、戦中に育ち、戦中の教育を受けてきました。祖国を護るのだ、その思いだけで彼らは銃を担います。私たち、年寄りはいったい何処で間違えてしまったのでしょう。彼らの言うところの祖国とはいったい何なんでしょう。何をさして祖国というのでしょうか
蒼瀬 おじさん。なんか、目つきが違うよ

郵便屋 思いが発動しかけているんだ
田中、いきなり箒を構えて。
田中 戦います。なんとしても戦います。あたしのこの竹槍でなんとしても、あのにっくき、B21を打ち落として見せます
田中、勢いよく、箒で突く。
田中 てゃああっっ
吉田 よぉし、にっくきB21が黒煙を上げて墜落していくぞ。うおおっ、あれは
田中 敵国の戦車だ
吉田 ついに本土決戦か。いざよし。神国武士の意地、見せ付けてくれるわ
田中 はい、兄さん
吉田 陽子、我が妹ながらあっぱれな奴・・・
木村 ま、待ちなさい。どうして、どうして、そんなに死に急ぐんだ
吉田 親父、いつかこの戦争が終わったとき、俺の息子と娘は立派でございましたと 吉田、片腕でで涙をぬぐうように。
吉田 先立つ不孝をお許しください
蒼瀬 あ、あの・・・
吉田 恵子さん、君を幸せにできなくて申し訳ありません。しかし、しかし。私は男として、そして一人の戦士として
場違いなくらい気楽な感じで。
斎藤 あらあら、お話が過ぎてしまって。晩御飯がすっかり遅くなってごめんなさいね
木村、田中、吉田三人はっと気がついたようにして、元に戻る。但し、プロペラ音は消えない。
郵便屋、少し残念そうに、蒼瀬、何がなんだかわからないように。
木村 いかがです、たいした物はありませんが晩御飯を一緒に。時間はよろしいんでしょう
田中 ね、お姉ちゃん、いいでしょう
蒼瀬 お姉ちゃんって・・・
斎藤 そうですわ。せっかくおいでくださったのですし、ね、かまいませんでしょう
蒼瀬、郵便屋に。
蒼瀬 ね、どうしよう。なんだか恐いよ
郵便屋 確かに恐いな。ほら、俺なんか鳥肌たっている
蒼瀬 ね、走って逃げよう。思いっきり走って逃げよう
郵便屋 悪いな。少し遅すぎた
蒼瀬 へ・・・
郵便屋 聞こえるだろう、あの音が
蒼瀬 これって飛行機の音
郵便屋 ああ、これはB21爆撃機の音だ
蒼瀬 違うよ、きっとヘリコプターだよ、そんな、爆撃機なんて
郵便屋 耳を澄ましてみろ。聞こえてくるだろう、爆撃の音、逃げ惑う人達の叫び声・・・、大地の雄たけびが
蒼瀬、力なく。
蒼瀬 なんでだよう。戦争なんかとっくに終わっているのに。あたし、生まれてもいなかったんだよ
斎藤、蜜柑箱にコンビニで買った弁当や惣菜をならべて。
斎藤 さぁ、さぁ。ご遠慮なさらずに召し上がってくださいな
蒼瀬、ぴくんと跳び上がりながら。
蒼瀬 は、はい
郵便屋 白黒はっきり付けるまでは帰れない、そういうことだ
蒼瀬、郵便屋に。
蒼瀬 シュウマイに春巻き、追加してやる
家族と郵便屋と蒼瀬、食事を始める。
斎藤 ごめんなさいね、有り合わせのものしかなくて
蒼瀬 いえ、そんな・・・。こちらこそ急にお邪魔してしまいまして
郵便屋 お前さん、なかなか、順応性があるじゃないか
蒼瀬 そうかな。だってあたし、恵子だもの
蒼瀬、思いっきり郵便屋の脚をつねる。郵便屋、痛そうに。
蒼瀬 白黒はっきり付けるってどうしたらいいんだよ
郵便屋 白黒はっきりさせるのは俺がする。ただ
蒼瀬 ただ、なんだよ
郵便屋 あいまいなんだ。ここはお前さんのいた本来の時間の流れの世界と山田さんの思いで、多分、戦争で死んだ者達の思いで、違う時の流れになってしまった世界との交差点なんだ
木村 どうぞ、ご遠慮なさらずお食べください
蒼瀬 は、はい。ありがとうございます
蒼瀬、一口食べ。
蒼瀬 まるっきりSFじゃないの。あたし、科学系は苦手なんだよ
田中 お姉ちゃん、どうしたの。難しい顔してるよ
蒼瀬 えっ。はは、ううん、何でもないんだ
田中 そっか。ね、これ、おいしいよ
田中、蒼瀬の皿におかずを載せる。
蒼瀬 ありがとう。えっと・・・
田中 あたしは陽子。自己紹介、まだだったよね
蒼瀬 うん。あたしは恵子
蒼瀬、郵便屋に。
蒼瀬 ね、名字どうしよう
郵便屋、食べながら。
郵便屋 適当でいいんじゃないか。おっ、これはなかなかいけますな
蒼瀬 こいつは・・・
田中 ね、正直なこと教えて欲しいんだけど
蒼瀬 え、あっ、うん
田中 兄貴の何処が良かったの。あたしなら、兄貴なんか好みじゃないな
吉田、ぴくんっと、そして蒼瀬の返事に耳を傾ける。
蒼瀬 あの・・・
蒼瀬、吉田を見て、そして郵便屋を見て。
蒼瀬 どういったらいいんだろう。なんていうのかな、ん・・・。そう・・・、なんだか、恥ずかしいな。言わなきゃだめ
田中 うん。知りたい
吉田 陽子。恵子さんが困っているじゃないか
田中 だって
吉田 恵子さん、すいません。陽子の奴、失礼なことを
田中 興味あるんだから仕方ないじゃない。まっ、本人が自分が好かれることを失礼なことって言うのなら仕方ないけど
吉田 なんだと
吉田と田中、兄妹喧嘩になりそうなところを。
蒼瀬 あたし。優しくて思いやりのある人が好きなんだ。だから、あたし、明君のこと・・・
田中 ん・・・。優しいのか、単純で難しいことが考えられないだけなのか、妹としては悩むところだけど。そうだな、外見はこんなだし、それくらいしかないよね。兄貴、ほんと、良かったね、単純な頭で
斎藤 いつもこんなふうで、二人とも仲がいいのか悪いのか
郵便屋 いや、喧嘩するほど仲が良いといいましてね、羨ましい、羨ましいことです。実は恵子は一人っ子でしてね、こういう仲の良い兄妹がいないんですよ。よかったな、恵子。兄妹ができて
蒼瀬 はは、そうだよね
蒼瀬、郵便屋に。
蒼瀬 あんまり、調子に乗らないように。あたし、頭の線が切れかけてんだから
蒼瀬 それで、どうすりゃいいんだよ
郵便屋 そうだ、それなんだ
蒼瀬 まさか忘れてたんじゃなないだろうね。すっかり、お客さん気分でさ。恵子、ぐれちゃうよ
郵便屋 おおっ、大事な娘が不良になっては大変だ
蒼瀬 こいつ、遊んでる・・・
郵便屋、笑ってごまかすようにして。
郵便屋、斎藤に内緒話をするように。斎藤、笑顔で舞台の端を指差す(お手洗いは何処かと)。
郵便屋 どうも、歳を取ると近くなってしまいまして
蒼瀬 あ、あたしも。年取ってないけどっ
郵便屋と蒼瀬、舞台の端にて。
郵便屋、身振り手振りを交えながら。
郵便屋 今、俺達は現実の世界と彼らの作り出した虚構の世界の端境にいるわけだ
蒼瀬 つまり、空襲の音も聞こえるけど、公園の、ほら、ぶらんこもあるってことだよね
郵便屋 そうだ。完全に彼らの世界に入ってしまったら、ぶらんこも滑り台も消えてしまうだろう
蒼瀬 じゃあさ。こうやって滑り台抱きかかえていよう。滑り台が消えると同時にあたし達も消えて、元の世界へ
郵便屋 いや、滑り台だけが消えてしまうだろう。俺達はもうこの世界に組み込まれてしまっているんだから
蒼瀬 あのね、自分も被害者って顔して言わないでよね。追加注文したくなるから
郵便屋、少し慌てて。
郵便屋 いや、まぁ・・・。お前さんには申し訳ないことをしたと、反省の念深く
蒼瀬 いいよ
蒼瀬、ふっと笑みを浮べて。
蒼瀬 あたしさ、本当はちょっと楽しんでいるんだ。あたし・・・、もう何日も誰とも話してなかったんだ。だから・・・、なんだか楽しいんだ、本当のところ
郵便屋 お前さんも孤独な奴だったんだな
蒼瀬 おじさんのように年季は入ってないけどね。(溜め息)それで、あたしの仕事は
郵便屋 この世界はあいまいだ。だから
蒼瀬 だから
郵便屋 完全に彼らの創りだそうとしている世界にしてやるのさ。茜色の山田さんにな
蒼瀬 それって・・・。ぶらんこや滑り台のない、戦争の世界にしろってこと
郵便屋 ああ、彼らが願う世界にしてやるんだ

吉田 どうしたんだろう、二人とも
田中 簡単じゃない、やっぱ、兄貴が嫌になって逃げだしたんだよ。かわいそ、兄貴。まっ、人生山あり谷あり、いつかむくわれる時もあるよ。うんうん
吉田 こいつ
吉田が田中を殴りかかろうとするのを斎藤が何とか押しとどめて。
斎藤 明、やめなさい

蒼瀬 ね・・・
蒼瀬、家族を見やりながら。
蒼瀬 早く戻ったほうが良いみたいだよ
郵便屋 なにか・・・、そのようだな。戻るか
蒼瀬 そうだね
郵便屋、家族のところに戻る。蒼瀬、一瞬、背を向けるが、仕方なさそうに、吐息を漏らすと家族のところに戻る。
田中と吉田、喧嘩したように背を向けあって。
郵便屋、田中と吉田を見て。
郵便屋 おや、どうかされましたか
斎藤 はは、いつものことなんです
木村 難しい年頃で苦労しますよ
田中、ふっと蒼瀬に振り返り。
田中 お姉ちゃん、あたしの部屋に行こ
田中、蒼瀬をうながして立ち上がる。
吉田 陽子
田中、吉田を無視して、蒼瀬の手を引っ張り、見えない廊下を通り抜け、ぶらんこの下に陣取る。二人、座って。
田中 兄貴って怒ってばっかりなんだから
吉田 陽子は本当にわがままで困ります
木村 どんな時代でも女の子はそんなものなんだよ
蒼瀬 陽子ちゃん・・・
郵便屋 まあね、実は恵子もわがままで困っているんですよ
蒼瀬、郵便屋に振り向いて。
蒼瀬 あのね!
田中 え、どうしたの
蒼瀬 あ、ああ、ううん。何でもないんだ
蒼瀬 それよりさ、なんて言ったらいいのかわからないんだけどさ
木村 実は涼子も陽子ぐらいの年頃には
斎藤 私がどうしたっていうつもり
木村、いたずらっぽく。
木村 しっかりしたいい娘だなぁってな
斎藤 それはどうも。ね、明。陽子は明のこと大切に思っているんだよ
蒼瀬 陽子ちゃん、お兄さんのこと好きなんでしょ。もちろん、兄妹としてだけどさ
田中 ・・・嫌いだよ。大嫌い。あたしの顔を見ると怒るんだよ。いつも、いっつも
吉田 あいつはもう生意気でいい加減で仕方のない奴なんです。本当に何を考えているのか。情けない限りです
郵便屋、楽しそうに。
郵便屋 なるほど、それだけわかっていれば仲がいいのも肯ける。なぁ、明君。怒る、これが一番簡単な表現方法なんだ、自分の思いを伝えるにはね。実は明君、恥ずかしいんだろう、戸惑っているんだろう
蒼瀬 陽子ちゃん。明君、戸惑っているんだよ。陽子ちゃんの妹としての存在。そして一人の女性としての存在。この二つが目の前にあってさ。そう・・・、怖がっているのかもしれない
郵便屋 人はね、明君。おびえた場合、必ずしも逃げ出すとは限らない。大声を出して威嚇しようとすることもあるんだ
吉田 それは僕が陽子を恐れているということですか。いくら、恵子さんのお父様でもその言葉は許せません
田中 どうして兄貴があたしを怖がるっていうの
蒼瀬 陽子ちゃんのことが大切だからさ
田中 お姉ちゃんの言うことわからないよ
蒼瀬 難しいかな。難しいかもしれないね
郵便屋、ひたすら嬉しそうに。
郵便屋 許してもらおうとは思わないよ
蒼瀬、郵便屋の言葉に驚いて振り返るが、郵便屋の落ち着いたいわくありげな顔を見て、駆け寄りかけたのを止める。
蒼瀬 ね、陽子ちゃん。人はその目の前にいる人を見ているんじゃない。人は自分の中に居るその人を見ているんだ。そのうち、わかるよ
吉田 男が侮辱されたとあっては、そのままにはいたせません
木村 明、落ち着きなさい
吉田 いいえ。たとえ、恵子さんのお父様であろうと
蒼瀬、郵便屋へ向き直り。
田中 どうしたの。お姉ちゃん、恐い顔してるよ。壁に何かあるの
郵便屋 どうします。私を殴って気を紛らわせますか
木村 ま、お父さんも落ち着かれて、さぁ、明。謝りなさい
田中 どうして、俺が謝らなければならないんだ。俺は間違っていない、臆病者でもない。明日の神国日本を護り支える男、武士の一人として、そのような暴言、決して許せない
爆撃機の音が次第に大きくなる。
郵便屋 許さないのならどうなさいます。どうします。さあ
蒼瀬 ・・・おじさん
空襲の音、激しく。
吉田 男にとって唯一大切なものは男の誇り。それを蔑ろにしようという輩は決して許せない。なおれ、成敗してくれる
蒼瀬 危ない
田中 どうしたの、お姉ちゃん
斎藤、あまりにも気楽な感じで。
斎藤 さあさあ、晩御飯、冷めてしまうわよ
吉田 あ・・・。うん・・・
音が止む。
元の和やかな食卓に戻る。
蒼瀬 いったいどうなっているんだ。せっかく・・・
田中くすぐったそうに笑いながら。
田中 どうしたの。お姉ちゃん、壁とにらめっこして
蒼瀬 え・・・
田中 あれっ。あたし・・・
斎藤、田中の方向に向かずに、田中に呼びかけるようにして。
斎藤 陽子、早くなさいな。晩御飯、冷めてしまうわよ
田中 はぁい、今、行くよ
田中 行こう、お姉ちゃん
蒼瀬と田中、家族のいる砂場に戻る。
木村、田中、吉田、何事もなかったかのように。
木村、田中に向かって。
木村 恵子さんと何を話していたんだ
田中 何だったんだろう、兄貴の悪口かな
吉田 陽子。俺は悪口を言われるようなことはしたことないぞ
田中 と、本人は思っているけど。ね、恵子お姉ちゃん
蒼瀬、困ったように笑ってごまかす。
吉田、蒼瀬に向かって。
吉田 陽子の言うこと気になさらないでください。こいつは本当に
田中 本当になんだっていうのよ
木村 兄弟喧嘩はその辺にして。早く食べないと灯火管制の時間になるぞ
田中 大変。早く食べてしまおう
蒼瀬、郵便屋に。
蒼瀬 灯火管制って何なの
郵便屋 懐かしい言葉だな。例えば爆撃機が飛んでくるだろう
蒼瀬 うん
郵便屋 その時、家の灯かりが漏れていると攻撃目標になってしまうからってな、灯かりを消して、息を潜めて、やり過ごそうってことさ、爆撃機をな
蒼瀬 真っ暗にするってことか・・・
斎藤 お二人とも、どうぞ、ご遠慮なさらず食べてくださいな
蒼瀬 は、はい。ありがとうございます
郵便屋 これだけ食えばラーメンは食えないだろう
蒼瀬 お会いにくさま。あたし、ラーメン用の胃袋持ってんだ
田中 え、何・・・
蒼瀬 ううん、何でもない
遠く微かにサイレンの音。
斎藤 あ・・・
木村 どうした
木村、耳を澄ますようにして。
サイレンの音がはっきりと聞こえる。
郵便屋 まずいな、灯火管制の合図だ
木村、郵便屋と蒼瀬に。
木村 申しわけありませんが
郵便屋 ええ、仕方ないことですから
木村 では、失礼して
木村、灯りを消す。合わせて、すべてが闇になる。
闇の中で。家族と蒼瀬達、二つに別れて。ひそひそとそれぞれ内緒話をするように。
蒼瀬 何も見えないよ
郵便屋 しばらくの辛抱だ。爆撃機が帰って行ったら、また、サイレンが鳴るから
蒼瀬 おじさん、あたし、こういうの苦手なんだ。なんだか、狭いところに閉じ込められたみたいで。なんだか不安で息が苦しくなってきた
郵便屋 仕方ない。色気のない奴だが俺がしっかりと抱いててやろう
蒼瀬 それ、遠慮しとく。タイプじゃないから
郵便屋 なかなか言うじゃないか

斎藤 私、思うんだけど
木村 ん・・・、何が
斎藤 恵子さん達、どうも・・・、変なのよね
吉田 姉さん、俺の恵子さんの何処が変だっていうんだ。まさか俺の恵子さんを侮辱する気じゃ
斎藤 明は落ち付きがないんだから。どう言うんだろう、勘・・・、っていうのかな、なんか変なのよね
吉田 勘・・・
田中 女の勘ってやつ・・・
斎藤 別にそういうわけじゃないんだけど、なんとなくね
田中 でも変なのは確かだな。だって兄貴と付き合っているんだからね
吉田 なんだと
木村 とにかく、落ちつかんか

蒼瀬 ね、ちょっと、雲行きがあやしそうだ
郵便屋 うむ、俺はまともなんだが。お前さんがな
蒼瀬 変だって言うわけ。おじさんにそんなの言われたら最低だな

斎藤 明。確かに恵子さんよね、あの娘。あたし達は初対面なんだけど、間違いないわね
吉田 そんな急にあらたまって・・・
田中 兄貴、なに、自信ないこと言ってんだよ
木村 明。お前の一生の問題なんだからな、良く考えるんだぞ。あとでこんなはずじゃなかったって後悔したって始まらないんだからな。女ってのは本当に結婚すると変わるからな。あんなに可愛くて優しかったあいつが、結婚したらころっと変わってしまいやがった。いや、まだ、新婚時分は
田中 あのね、父さん。母さんの愚痴はいいから。それに、ちょっと、方向が違うと思うよ。今、話しているのはそう言うことじゃなくて
斎藤 ま・・・。明のことなんだから、あたし達がどう言ったって仕方ないんだけど
田中 兄貴。男ならはっきりしてよ。男の優柔不断が女を不幸せにするんだからね。わかってる

蒼瀬 そうだ、そうだ
郵便屋 なんだ、お前さん、えらく納得しているじゃないか
蒼瀬 あたしは・・・

吉田 俺・・・、恵子さんが好きだ。だけど・・・、恵子さんって、いったい誰なんだ
田中 へっ・・・
吉田 俺の恋人は恵子という名前。それは間違いない。でも、それ以外のことは何も浮かんで来ないんだ。いったい、恵子さんってどんな顔をしていたんだろう、何処で出会い、何処で未来を語り合ったんだろう。闇の中、だんだんと恵子さんの顔が、姿が遠くになっていくんだ。あぁ、どんな顔をしていたんだろう、どんな声をしていたんだろう。あ、陽子、お前も恵子さんのこと知ってるだろう
田中 急に振らないでよ。あたしだって・・・

蒼瀬 なんだ、なんだ。どういうことよ、これ
郵便屋 まずいな。こんな状況で不発になっては
蒼瀬 不発ってどういうこと

 

 

 

 

郵便屋 思いがこのままでは途切れてしまう。中途半端な形でこの世界が消えてしまうぞ
蒼瀬 それって、元の世界に戻れるってこと
郵便屋 この辺いったいは元の世界に戻るだろう。だが
蒼瀬 だか・・・
郵便屋 俺達が元の世界に五体満足で居るかどうかはわからない
蒼瀬 どうすればいいのよ。五体満足で元の世界に帰るのに
郵便屋 今は彼らの思いを紡がなければならない。恵子役のお前さんだけが頼りだ
蒼瀬 頼りだって言ったってどうすりゃいいのよ
郵便屋 なに、たいしたことじゃない。切れた思いを、繋げてやればいいのさ。思いという記憶でな
蒼瀬 あたし文系は文系でも経済の人だから、そういう、感性だとか、文学的なふいんきの話も苦手なのよ。どうしたらいいのかわからないよ
郵便屋 なに、二人の思い出を作ってやるのさ。甘く切ない恋人達の記憶を
蒼瀬、頭を抱えていたが。
蒼瀬 わかったよ。なんとかするよ。ああ、もう

蒼瀬、深呼吸して、立ち上がる。
蒼瀬 あれはそう半年前のことでした
蒼瀬をゆっくりと灯かりが照らしだす。
蒼瀬 春というにはまだ寒さの残る季節。私は夜間学校の廊下、プリントを両手いっぱいに抱えて教室へと急いでおりました
郵便屋 ふと、歩きながら窓に目をやりますと
蒼瀬 春にはまだ早い季節と申しますのに、校庭の向こう、一本の桜の老木が満開にその花を咲かせておりました
郵便屋 夜空には
蒼瀬 真っ白な月が虚空を漂うておりました。その遥かな輝きは玲瓏として、本来あるはずの星のすべての輝きを、その身に貯えたようでありました
ゆっくりと辺りが白くなり出す。
郵便屋 よし、そこで明君登場
蒼瀬 あんたは映画監督か
吉田 重いでしょう。僕が持つよ
蒼瀬 ううん、いいよ。男の人は昼間の労働でくたくたなの、知っているもの
吉田 心配無用さ。こう見えても俺は力持ちなんだぜ
蒼瀬 こいつ、日活の無国籍アクション志向だ
郵便屋 ちゃちゃを入れない
郵便屋 二人、見つめ会い、そっと笑みを交わす。恥じらう恵子
田中、唐突に。演歌調で。
田中 ああ、あたしのお兄ちゃんが他の女に取られてしまうよ。でも、でも・・・、それがお兄ちゃんの幸福なら、あたし、耐える、耐えてみせます。あぁ、耐える女は美しゅございます
郵便屋、田中を見て。
郵便屋 なんてノリの良い奴なんだ
吉田 さぁ、恵子。僕達の新しい世界を築こう。甘く素敵な愛の世界を創るんだ。さぁ、プリントをお渡し。君に重いものは似合わないよ
蒼瀬 プリント持ったら愛の世界が始まるってか
郵便屋、蒼瀬に向かって。
郵便屋 そこ、素に戻らない
蒼瀬 はい、はい
蒼瀬 いいよ、あたし・・・、明さんがそう言ってくれるだけで幸せだから。だから、いい
吉田 恵子さん・・・。君はなんてしおらしくて優しい心の持ち主なんだ。さぁ、気にせずにそのプリント、僕にお渡し
蒼瀬 じゃぁ、明さん、半分だけ。・・・お願い
蒼瀬と吉田、位置的には離れているが、プリントを受け渡すように。
郵便屋 なんだか、頭が痛くなって来た
二人、その場でリズムを取って歩くように。蒼瀬はいくらか素が入っているが、吉田はひたすら幸せそうに。
舞台が次第に白くなっていく。
吉田 恵子さん、今、君は幸せかい
蒼瀬 え・・・、ええ。あたし、幸せ
吉田 僕も幸せだよ。あ、あれをご覧よ。冬桜だね。あぁ、桜が月の明かりにまるで白く輝いているようだ。なんて綺麗なんだ。まるで恵子さん、君のようだよ
蒼瀬、照れて。
蒼瀬 はは、そ、そうかなぁ
田中、木の陰から二人を覗き見するような感じで。
田中 ほんとはあたし、お兄ちゃんのこと大好きなんだ。そりゃぁ、あたし達いっつも喧嘩ばかりだけと、あたし、お兄ちゃんがあたしのこと大切に思ってくれているのわかっているし、あたしだってそうだもん。だから、だから、あたし、お兄ちゃんが幸せなら、それでいいんだ。こうして木の陰からお兄ちゃんの幸せを見ているだけで、あたし、あたし・・・。あたし、泣かないもん
田中、こぶしを握り、演歌っぽく。
田中 あたし、耐えて、耐えて・・・、みせますうっっ
郵便屋 こいつらいったい・・・

遠くから風を切って一発の焼夷弾が落ちて来る。爆発。一瞬にして世界は赤く変わり家族が逃げ惑う。その後、雨のように焼夷弾が降り頻る。斎藤、呆然として突っ立っている。その周りを木村、吉田、田中、慌てふためいて駆け回る。
田中、倒れる。
木村 うおおっ。は、早く、荷物を集めて防空壕に駆け込むんだ
蒼瀬 ど、どうして
郵便屋 灯火管制の最中に灯りを点けたからな、いい目標になったんだろう
吉田 陽子、早く、早く逃げるんだ
田中 あ、脚が動かないよ
吉田 よし、つかまるんだ
吉田、田中に肩をかして立たせる。
田中 痛い
吉田 陽子、しっかり
田中 あ・・・、あたし、いいよ。ここに居るから
吉田 何言っているんだ、お前
田中 いいから、先に逃げて。そうじゃないと、お兄ちゃんまで
吉田 しっかりしろ。俺達は兄妹なんだ、家族なんだ
吉田、田中を背負う。
吉田 大丈夫か
田中 う、うん
既に蒼瀬と郵便屋の存在は忘れ去られている。
木村 涼子、陽子、明、みんな大丈夫か
吉田 大丈夫だ
木村 よし、早く逃げるんだ
爆音、一つ、特に大きく。
木村、倒れる。吉田、倒れそうになるが、何とか踏みとどまる。
木村 うわっ
吉田 大丈夫か、親父
木村 ああ、俺は大丈夫だ
木村、立ち上がる。
木村 それより、陽子は大丈夫か
陽子 う、うん
木村 さすが、俺の娘
陽子 だって、あたし達
吉田 そうさ、俺達、家族だからな
木村、ふと、呆然と立ち尽くしている斎藤に気がつく。
木村 涼子、どうしたんだ
斎藤 こんな、こんな・・・
吉田 姉さん、どうしたんだよ
田中 お姉ちゃん、早く逃げよう。このままだとみんな死んじゃうよ
斎藤 こんなことって・・・
斎藤、大声で。
斎藤 もう、いやぁっー
斎藤の声にまるであわせたようにひときわ大きく爆発音。
木村 今のは近いぞ

蒼瀬 ね、どうするつもりなんだよ
郵便屋 初めに言ったろう。手紙を届けるのさ。紅蓮に燃える茜色の山田さんにな
やおら鞄に手を突っ込み、勢いよく一通の手紙を取り出す。
郵便屋、周りの音に負けないくらい大声で。
郵便屋 山田さん、郵便です。いらっしゃいますか。戦地からの便り。長男、一郎さんからの最後の手紙ですよ
斎藤 一郎・・・、兄さん・・・
すべての音が消える。
郵便屋、少しかっこいいポーズで決めて、そのまま、手紙の主の言葉で。

郵便屋 遠い異国の地にて、私は私の大切な、大切な家族のことを思っています。涼子、君は元気ですか。責任感の強い君はいつも涙を隠して笑顔でいましたね。私の居ない間、家族のことは君に任せます。明、君は元気ですか。君は少し不器用だけど優しさのある男です。涼子を支えてやってください。しっかりと家族を守ってやってください。陽子、君は元気ですか。君は少しおっちょこちょいだけれど、家族のみんなが沈んでいるとき、君の笑顔でみんなを救ってやってください。最後に父さん・・・、いえ、いつものように言います、親父・・・、俺という息子が居たことを・・・、お願いです、忘れてください
斎藤、郵便屋の言葉を紡ぐように。
斎藤 私は日本を、神であらせられる天皇をお守りする一人の兵士として、あの鬼畜米英と戦います。君達も内地で・・・、内地で・・・
斎藤、うずくまる。
郵便屋、思いっきり、両手で葉書を裂く。
吉田 嫌だ。どうして戦わなきゃならない。天皇がなんだってんだ。日本を守る、その日本って一体なんなんだ、国がどれほどのものなんだ。俺の、俺のたった一つしかない、この、この生命をかけて守るほどのものなのか。俺の大切な、大切な家族をばらばらにしてまで戦うものなのか。鬼畜米英、何言ってるんだ、こんなのただの言葉遊びじゃないか
田中、恐くておびえたように。
田中 そうだ、みんなわかっている、誰もがわかっているんだ、でも、言えない、でも、言えない。どうして、どうして。戦争で死ぬくらいなら、出会うこともないはずだった生命を奪って・・・、殺して、死んでいくなら、どうして、俺は兵隊に入るのを嫌だと言わなかったんだ。どうして、どうして
一発の銃声、鋭く。
斎藤、ふっと、意識を取り戻したように。
斎藤 頑張ってください。私は戦地で、君達は内地でこの神国日本を守るのです
木村、振り絞るように。
木村 ・・・一郎・・・
斎藤、吉田、田中、木村、そのままの状態で硬直して。すべての音が止む。
蒼瀬、斎藤たちを見つめていたが。
蒼瀬 おじさん・・・
郵便屋、疲れたように。
郵便屋 ああ
遠くに車の走る音。遠くに電車の行く音。
蒼瀬 済んだの・・・
郵便屋 もう爆撃の音は聞こえないだろう。遠くに車の音・・・、元の世界だ
蒼瀬 あたし、なにがどうなったのか。ぜんぜん、わからない
郵便屋 彼らの思いが弾けて飛んでいったのさ
蒼瀬 それはあの人達が救われたってことなの
郵便屋 救われるってか・・・。いや、粉微塵になって消えた、それだけのことだ
田中、今までのふいんきだとか流れをまったく無視した感じで。すとんと吉田の背中から降りて。
田中 あれっ、あたし何やってんだろう
田中、辺りを見回して。首を傾げて、まだ硬直している人間をのぞき込んで。
蒼瀬 陽子ちゃん、・・・大丈夫。脚、大丈夫
田中 え、私のことですか

蒼瀬、うなずく。
田中 人違いじゃ・・・、私、田中恵子と言います
田中 一体、これって
吉田 痛て、腰が痛い。何か重い物でも持ったのかな。あれ、ここは。ん、俺、何してんだ、こんなところで
吉田も意識を取り戻す。
蒼瀬 明さんも気がついたんだ
吉田 え、俺・・・。俺は吉田・・・、忠志っていんだけど、人違いじゃありませんか
田中、いきなり大声で。
田中 あ、そうだ。私、彼氏と一緒に映画を観る約束していたんだ
田中 なんだか知らないけど、じゃあ
田中、何の抵抗もなく退場。
吉田 なんなんだ、あの女。痛て、まっいいや。俺も帰ろう
吉田、田中と反対方向へ退場。
木村、すっと背を伸ばし、少し腰を叩いて。大きく溜め息をついて。
木村 さて、私も帰りますか。家族が帰りを待っておりますのでね。涼子さん、いや、本当の名前は知らないが、楽しませていただきました、家族というものを。・・・それでは
木村、少し淋しそうに笑みを浮べると、斎藤に頭を下げ、郵便屋と蒼瀬に少し会釈をして退場。
斎藤、気が抜けたように座り込んで。
斎藤 そっか・・・。あのおじさんだけはわかっていたんだ
蒼瀬 あたしにはなにがなんだか、ぜんぜんわからないよ
斎藤、蒼瀬に。
斎藤 ね、名前は
蒼瀬 蒼瀬・・・、千尋
斎藤 はは、そっか・・・。遅れ馳せながら、私、斎藤、斎藤玲子。よろしく
郵便屋 俺は・・・
斎藤 郵便屋さんでしょう
斎藤、疲れたように立ち上がって表札を取り、郵便屋に渡す。
斎藤 正確には郵便屋兼回収屋さん
郵便屋、うなずいて、表札を鞄に仕舞い込む。
蒼瀬 あの・・・、あたしは何がなんだかわからないんだけど
斎藤、少し笑みを浮べて。
斎藤 重なったんだ。私の思いと山田って表札に篭もった思いとがさ
蒼瀬 それって
斎藤 私は心を許しあえる本当の家族ってやつが欲しかった。そして、あの山田って表札は家族って奴をどうしても護りたかったんだ。だから・・・、同じ家族という共通するものが、うまく重なったんだ
斎藤、座り込んで、両膝に顔を埋める。すすり泣くように。
郵便屋、蒼瀬に向かって。
郵便屋 お前さんには、本当に心を許しあえる人間が何人居る
蒼瀬、返事に戸惑う。
郵便屋 親や姉妹は居るのか
蒼瀬 居るけれど・・・
郵便屋、少し笑みを浮べて。
郵便屋 けれど、か・・・
蒼瀬、焦るように。
蒼瀬 だって、みんな考え方が違うしさ。無理だよ、いくら家族っていったって、本当に心を開き合うなんてこと、とてもじゃないけどできないよ
郵便屋 なら友達は居るのか
蒼瀬 そういう郵便屋はいるの、友達なんてもの
郵便屋、溜め息ついて。
郵便屋 みんな死んでしまった。戦争でな
微かに雨音。次第に強くなっていく。
郵便屋 この国には清算されなかった戦争の傷痕が逆巻いている。それは地雷みたいなものでな、うっかり踏むと
斎藤 私はそれでもよかったんだ。ちょっと幸福な気分に浸れるしさ
斎藤、ゆっくりと顔を上げ。
斎藤 大変だったんだよ。現実と虚構のバランスを取るのって
郵便屋 そうか・・・。続けようとしていたのか
蒼瀬 現実にも戻りきらず、そして虚構にも入り込みすぎないように砂場の家族を続ける
斎藤 そう、良く分かっているじゃない、あれがもっと幸福な虚構の世界なら入り込んで、現実、日常って言った方がいいのかな、そんなのとはおさらばしてさ。亭主も子供も知ったもんじゃないってさ
郵便屋、斎藤に向かって。
郵便屋 それじゃ、また、あんたは思いのくすぶっている奴を探してまわるつもりなのか
斎藤 どうだろう。でもね、いまは、まだ、余韻に浸っていたいからさ。父さんに陽子に明、仲のいい家族って奴にさ
斎藤、少し笑って。
斎藤 それに、いまだお会いしたことのない一郎兄さんのことも思っていたいからね
斎藤、蒼瀬に向かって。
斎藤 ね、千尋さん、あんたも気をつけなよ
蒼瀬 え・・・
斎藤 いや、あんたって、私と同じ目をしているからさ
蒼瀬、少し寂しそうに。
蒼瀬 そうだね、気を付けるよ。うん・・・
雨が強くなってくる。
郵便屋 雨がひどくなってきた。こんな晩は外に居るべきじゃない
斎藤 ああ、それに、街灯の下なんかで空を見上げたら大変なことになる
蒼瀬 雨降る晩の街灯の下
斎藤、うなずいて。
斎藤 街灯を下から見上げるとさ、闇の中から光の粒が無数に生まれては消えていく。この一粒が私なんだなぁ、なんて哲学しだしたら、また、同じ事の繰り返しだ
蒼瀬、斎藤をじっと見つめる。
斎藤 気づくと街灯の下、空を見上げる人間達が集まってしまうんだよ
郵便屋 さて、心がひかれてしまわぬうちに、退散するか
蒼瀬一大決心をして、斎藤に向かって。
蒼瀬 一緒に行こう

蒼瀬、斎藤を無理に立たせる。
郵便屋 なるほど三人で飯でも食うか
蒼瀬 思いっきり食って、思いっきり飲もう。開き直って、のっしのっし、歩こう
郵便屋、笑って。
郵便屋 そうだ、遮るものには体当たり食らわして、これでもどうだってな
斎藤、少し笑って。
斎藤 食って・・・、思いっきり飲むか
蒼瀬 やった。ね、おじさん、この手前の角に中華屋さんあったでしょう、そこでいい
郵便屋 ああ、何処でもいいさ。どうせ、今夜は俺のおごりだ
蒼瀬 らっきっ。じゃ、先に行って注文してるからね
郵便屋 ああ
斎藤と蒼瀬、退場。
郵便屋、溜め息を吐き、一枚物の地図を広げ、それを望遠鏡のようにして丸める、そして辺りを眺だす。
郵便屋 酒を飲んだからどうなるってわけでもない、問題はまだまだ山積みだ。それにこの鞄にはまだまだ配達しなきゃならない葉書が詰まっている。そして、俺には時間がない、くすぶった思いって奴を一つ一つ潰して行かなきゃならない
郵便屋、ふっと望遠鏡をおろして。
郵便屋 そう、救いか・・・。自分を救えるのは自分だけだ。だから、自分が自分自身を救おうと思わないのなら・・・
郵便屋、鞄から葉書を一枚取り出して、あっと気づいたように、ポケットや鞄の中をさぐっては首を傾げる。
郵便屋 そうか、俺の虫眼鏡・・・
郵便屋、葉書を鞄に仕舞い込み、ポケットから財布を取り出して中を検める。
郵便屋 足、り、る、な
郵便屋、にっと笑って。
郵便屋 では

終わり

 

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朗読劇 堰守物語

2013年2月17日、京都放送劇団様が「天の川 堰守物語」を演じてくださいました。左記リンクのページ左の公演記録より、お聴きいただけると思います。

 

囁くように。
涼子「こんにちは」
涼子「はじめまして」
静かな音楽
涼子 いつだったろう、黒い傘の、あの女の子を見かけるようになったのは。冷たい雨の降る夕暮れ時だったろうか、それとも雪の降りしきる吹雪の朝、そうだ、夜に降り続いていた雪がやんだ朝、久しぶりの青い空、でも、地上は雪に覆われた真っ白な世界、新聞を取ろうと玄関を出た時、その真っ白な世界の中に黒い傘を差したあの女の子がいたんだ。黒い傘のあの子だけが白を拒絶するかのように道の向こう側に立っていた。誰もいない二人っきりだった、急いで道の向こう側へ渡らなきゃと思ったのに、手を伸ばしてしっかり抱きしめてあげなきゃと思ったのに、私は怯えて立ちすくんでしまった。どうして私は怯えたんだ、どうして。
どうしてだかわからないのに、私、怖くなってドアを閉ざしてしまった。
それから何度も、傘をさしたあの女の子を見かけた。陽だまりの、公園のフェンスの向こう、夕日に伸びる私の影の下。
小さな黒い染みが、私の心の中で見る間に広がって、いつのまにか、黒い傘をさす小さなあの女の子が、心の中を、大きく占める存在になっていったんだ。
名前も知らない、話をしたこともない、ううん、顔すら、黒い傘が邪魔をして、見たことがないんだ。それでも、なんだか、そわそわと気掛かりでしょうがない。思い切って声をかけてみようかと思う、思ったことはあるのだ、でも、なんだか怖いんだ。円満とは程遠いけれど、夫との安定した生活。近所の人達との、天気がいいだとか、悪いだとかのつまらないお喋りをする日常。それが、黒い傘に隠れた小さな女の子に話しかけた途端、一瞬にして消え去ってしまいそうな気がして怖いんだ。
どうして、そんなふうに思ってしまうのだろう、わからないくせに、いつも、こうしてためらってしまう。怯えてしまうんだ。

(一部抜粋)

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