住民投票条例・賛成討論
1番無所属AでもBでもない、純粋無所属・城山町居住の小林正明であります。
私は、議案第1号「相模原市が政令指定都市に移行することについて市民の意思を問う住民投票条例の制定に」賛成の立場から、総務委員会での議論・委員長報告・先程の議論を踏まえて、討論を行いますので、議員各位・傍聴者・執行部の皆さん、暫くのご清聴を宜しくお願い致します。
T はじめに
今回は、政令市そのものに関する議論は、既に討論済みであり、議論の蒸し返しを避ける意味で、敢えて可能な限り割合して住民投票条例制定に絞り込んで議論致しますが、しかし、議案に対する市長の意見書があり、この点には触れざるを得ません。
U 市長意見書
(1)市長意見書の概要
@結論と理由
市長意見書は、結論は不必要ですが、その理由として、@政令市移行が是非必要であり、A議会には既に説明し、B市民の意向把握等に努めたことを挙げています。
A住民投票に馴染まない、その理由。
市長は、政令市移行について、住民投票で決することが、住民投票に馴染まないと意見を付しましたが、その理由として、@住民投票の目的は、議会制民主主義の補完、A行政運営制度(保健所政令市・中核市移行)だから市長の責任で議会との連携で行う、B12月議会で議会の意思決定済みであることを挙げています。
(2)市長意見書に対する反論
@不必要論に対する反論
今回の住民投票は、政令市の是非、必要性、市民の意向を把握するのに、まさに最適な制度です。
今回、地方自治法に基づく住民の直接請求の提案要件である法定数が確保されました。
寧ろ、相模原市が目指す団体自治の拡充である「自立都市」政令市に不可欠な「自立した市民」の登場は、提灯行列よりもめでたい政令市移行のはじめの一歩であります。
今回の条例は、政令市移行の是非を住民投票で問い、住民の総意を判断材料にしてほしいと議会に要望するもので、議会や市長にとっても、住民投票実施により、民意が把握できれば、自信と確信をもって議会も市長も民意に沿った今後の対応が可能になり一石二鳥ではないでしょうか。
A馴染まないに対する反論
そもそも、住民投票は憲法の前文にある「主権在民の宣言」を踏まえ、第1編の総則に次ぎ、第2編普通公共団体、第1章通則の次の第2章住民の第12条に、条例の制定・改廃請求権として、地方自治法上は条文の位置からも高く位置づけられています。
そして、間接民主主義(議会制民主主義)の単なる補完ではなく、欠陥の補完です。
間接民主主義に於いても、住民の意向と乖離・住民の意思に反して、住民の代表者である「市長や議員」の恣意・独断に陥る恐れもないわけではありません。
そこで、間接民主主義に伴う欠陥を補完し住民自治の理念を実現する為に、直接民主主義の一形態として、直接民主主義を採用しているのです。
市長が理由に挙げる「行政運営制度」は、独自の見解で余りにも抽象的過ぎ、意味内容が判然としません。
議員の皆様に問いたい。
市長の「行政運営制度」の概念・内容・意味について後援会の役員や、支持者から問われた時、市民に対する説明責任が果たせるのかと。
意味不明の用語を使用し、同じことの繰り返しの説明しかしないでは、将に、「はぐらかし・ぼかし」であり、市長の説明責任が問われます。
100歩譲って、行政運営制度であるとしても、市長はすべての行政運営の場面で、住民の意向を尊重する義務があるのは当然であります。
しかも、市長は署名期間中の11月28日、新政クラブの代表質問に「執行機関の市長の責任で判断すべき行政運営制度」であると答弁しましたが、この発言は、地方自治法に基づく合法的な署名活動の拡大を恐れる意図的な妨害発言であることは、明々白々であり極めて不適切です。
B議会の意思決定(意見書)の存在
確かに、議会の意見書の決定(議決)は、12月20日未明に行われました。
市長の立場からは、理論的に言えることは、唯一議会(意思決定機関)の決定の存在です。
しかし、ご存じのとおり、先般の議決は、住民投票請求に関する法定署名確保が新聞報道されていた時期であります。
考えても見て下さい。
議場にいた市長は、議会議決の決定過程を熟知・住民投票の法定署名の収集状況も把握した上で、議会の決定を理由に挙げているのですから、どんな手段であっても、議決して欲しかった市長の心底が透けて見えます。
C執行機関の市長の責任=市長の専権事項宣言
執行機関の市長の責任とは、市長の専権事項宣言以外の何ものでもありません。
市長の責任の主張そのものが、将に専権事項の主張であります。
しかし、市長は、1月30日の議会でナント!ナント!ナント!「専権事項」と言った覚えはないと答弁しました。
確かに「専権事項」そのものとは言わずに、「市長の責任」と言っています。
しかし、市長の責任の意味するものは、専権事項の主張であり、同異議の解釈となるのは論理必然であります。
V 議会の存在価値
(1)問われる議会の存在価値
議会では、政令市移行の時期は、目安であり急ぐ必要・理由はないことが明らかになりました。
更に、住民投票の法定署名数の収集状況から、住民投票実施まで採択の延長を求めたにも拘らず、我が相模原市議会は意見書議決を強行しました。
採決を強行した市議会が、12月議会での「議会の意見書議決」を理由に、今回の条例制定の否決理由に挙げることは、許されるべきではありません。
しばしの時間的猶予で可能だったにも拘らず、意見書採択議決を急いだ議会の意図は、市長擁護以外の何ものでもなく、議会は将に江戸時代風にいえば、旗本そのものであり、2元代表制の下での、議会の存在価値が問われることは必至であります。
(2)条例論議
@第1条の修正否決=笑止千万
総務委員会では、第1条の目的が「この条例は、地方自治法の本旨に基づき」との記載があることから、修正案が提出され否決されました。
考えても見て下さい。
確かに、地方自治法第1条の目的には「地方自治の本旨に基づいて、・・・」と規定されています。
だがしかし、であります。
「地方自治法の本旨」と「地方自治の本旨」とは、いずれも同義語であり、そこにどのような不都合が存在するというのでしょうか。
地方自治法の本旨とは「住民自治と団体自治」であり、地方自治の本旨とは、これまた、「住民自治と団体自治」であり、それ以外の何ものでもないことは自明の理であります。
あろうことか、我が相模原議会の総務委員会は、枝葉末節、否、全く無用な論点であることに気付きもしない、思考停止状態の議論に陥ったと言われても仕方のない、議論をしたのではないのでしょうか。
用語の概念規定の意味するところに気づけば、無意味な修正案であり、ムキニなるほどのことでもなく、親切心から出た修正案に対し、否決すること自体の中に、議論の水準が反映していると言わざるを得ません。
最早、論理ではなく、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」としか言いようがなく、議論以前の問題ではないでしょうか。
勿論、私に対する反論は、ウエルカムです。
但し、理論的な意味ある議論を厳選して、頂戴したく存じます。
A第5条(投票資格者)18歳以上の日本国民について
条例案の第5条には、投票資格者を「18歳以上の日本国民」と規定しています。
グローバル化の時代を迎え、相模原市内の議論でさえ、常に国際水準・国際視点での議論が求められているのは、議員諸兄ご案内の通りであります。
世界の参政権の流れは如何に有りや。
神奈川新聞によれば、国立国会図書館の調査でありますが、世界の189国・地域のうち、90%近くは18歳で参政権付与され、世界の現実は20才の日本は少数派です。
B第5条(投票資格者)定住外国人について
条例案第5条には、定住外国人を投票資格者と規定しています。
地方自治法上の住民投票の請求権は、選挙権を定めた「国民たる住民」ですけれども、条例により資格要件を定めることは可能であり、初めて永住外国人の投票参加を認めたのは平成14年制定された「滋賀県米原町」の合併に伴う住民投票条例です。
合併という町政の重要事項には、今後の地域の発展のために、外国人との共生や交流は不可欠と考えたものです。
逆に、相模湖町では、条例で定住外国人を参加させなかったことにより、当該団体から抗議を受けたことは、ご記憶の通りです。
C第12条(投票及び開票)
条例の第12条に、期日前投票制度・不在者投票制度の規程が具体的記載が無いことを、まるで、鬼の首でも取ったかのように、これ見よがしに質問した議員がいました。
「君、若し疑わば、汝の目をもって視よ」であります。
第12条には、何と記載されているのでしょうか。
そうです。
「前条に定めるもののほか、・・・・開票時間その他投票及び開票に関しては、公職選挙法、公職選挙法施行令、及び公職選挙法施行規則の規定による」とあります。
我々議員の身分確保上重要な公職選挙法をご存じないのなら、致し方ありません。
公職選挙法・公職選挙法施行令・公職選挙法施行規則の規定の説明は、本来なら、選挙管理員会が行うべき筋合いですが、止むを得ず、不肖この私が担当致します。
公職選挙法の第48条の2には「期日前投票」、第49条には「不在者投票」の規定があり、同法施行令の第4章の3には「期日前投票」、第5章には「不在者投票」の規定があり、同法施行規則の第2章には「期日前投票及び不在者投票」の規定があります。
以上の通りであり、公職選挙法については、これでご理解されたものと推察いたします。
結局、条文の規定は、法律名等の列挙で、以上紹介したことを全て言い表しているのであり、何ら奇異なことではなく、法律・条例等には、常ならむことであります。
それとも、紹介した全文の規定が無いから、条文の不備とこの期に及んでも主張されるのでしょうか。
それなら、最早、如何ともし難いと言わざるを得ません。
D第7条(投票の方式)第3項について
条例案の第7条第3項には、投票の方式が規定されています。
先ほど、選択肢が賛成か反対かのみであるから、不十分であるとの議論がありました。
確かに、時期の問題の議論があることは、理解できますし、選択肢が多い方が一見住民の多様な意思に合致するかのようにも思えます。
しかし、住民投票の結果が、多様過ぎて住民の意思が判明しないということが容易に懸念されます。
結局、市長や議会にとって、判断が容易なように単純明快な結論の方が優れています。
選択肢は、司法試験の択一とは違い選別するための試験ではありませんから、複雑すぎては、尊重する側の議会や市長が困るのです。
E開票要件について
民主クラブの代表者は、この条例案に開票要件の規定が無いことと、開票要件として有権者の50%が必要である旨の主張をされています。
では、お聞きしたい。
旧相模原市の議員の近時の投票率が、50%を超えたことはあったのかと。
私が知る限り、殆どは50%を下回っているのが現実です。
ここに、相模原市選挙管理委員会発行の「第16回統一地方選挙の結果調」の本があり、市長選挙の投票率は昭和56年から全て50%未満であり、市議選挙の投票率は平成3年迄、50%を超えていましたが、平成7年以降は50%未満です。
私たち議員の投票においてさえ、50%以下の現実を目の当たりにしながら、どうやって、「イケ・シャー、シャー」とこのような思いつき発言ができる根拠を示すべきです。
仮に、50%ならば、開票の為には有権者56万人÷2=28万人の投票が必要になります。
では、しからば議会・議員・市長などの解職請求の規程の「3分の1」ではどうなるでしょうか。
計算式=(56万人−40万人)÷6+(40万人÷3)
=15万9999人≒16万人(全有権者の28.57%≒30%)
確かに、城山町では合併に関する住民投票では「50%要件」を規定しましたが、@城山町の町会議員の投票率は、常に「50%」を超えるのが現実で、実現の可能性が十分あり、事実「50%」を超えました。
しかし、現実は城山町でさえ、「50%」を超えるのは、至難のことではないでしょうか。
この点では、合併当時、積極的に運動をされた方も議場にお見えですので、議論してみたいものです。
結局、開票要件については、実現の可能性の視点が重要です。
F条例案の厳密性は不要
条例は、議会の審議に付され、議会で修正することも自由でありますから、立法技術上の多少の不備を問わずに、形式が一応整備されていれば足りると解されていますので、行政が作成するような厳密さは不要であります。
(「直接請求制度の解説」角島靖男・山本鎮夫共著・ぎょうせい)
ですから、条例に不備があれば、修正することは十分可能であり、否むしろ議会議員としては、全知全能を傾けて、自らの信念に基づき修正論を展開すべきであり、それなくして、悪戯にケチ付けの主張では、情けない限りです。
これでは、政令市を目指す市議会議員のラベルとレベルは、どう評価されるのでしょうか。
G市議会選挙における公約
先ほど紹介した選挙管理委員会発行の本には、選挙公報が掲載されています。
この本によれば、旧相模原市の市議会議員選挙では、当選者46名中政令市を公約に掲げたのは、民主党のマニュフェストを含め20名です。
旧津久井4町では、当選者6名中、1名です。
結局、政令市移行を公約して当選したのは、当選者52名中21名で、全体の40%に過ぎませんから、ことほど左様に、これをもってしても、市民の意思を問うことが必要です。
H住民自治の原点は、熟慮と議論
条例が制定され、投票が実施されれば、住民間で様々な議論が巻き起こり、議会議員はその渦中に飛び込み、自らの言葉だけで有権者と対峙する訳ですから、議員の説明責任が問われ、議員の選別淘汰が起こりえます。
住民は、程度の差はあれ多様な情報に接し、判断が求められますから、無関心ではいられなくなり、住民自治が高揚します。
I常設型住民投票条例
今ある条例論議から逃避して、常設型の条例を対置させ、一般論的論議をしてもそれは、説得力のない空疎な議論です。
W 結び
最近の派遣労働者の問題の最大の欠点の一つ、労働者間の余りにも連帯のなさは目を覆うばかりです。
長々、議論をしてきましたが、私はいつも思っています。
私は、議員の皆さんとも連帯を求めたい、だからと言って決して孤立を恐れはしません。
力が及ばないで、倒れることはあっても、力を尽くさないで挫けることを、潔しとはしない。
「連帯を求めて、孤立を恐れず。力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する。」
以上の言葉をもって、結びの言葉と致します。
ご清聴有難うございました。