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《1市16町2村》


◆十勝エリアの見どころ4コマ


◆十勝エリアの名所




 帯広市は、北海道東部の十勝(とかち)地方のほぼ中央に位置する、人口約17万人。1883年(明治16年)に本格的に開拓がはじまり、アメリカのワシントン市を手本にしたとも言われている碁盤目状の道路網など計画的な市街地形成を行ってきた。また、農業を主要産業とする十勝地方(約34万人、1市16町2村)の中心地であり、農産物集積地、商業都市としての役割を担っている。面積は619.34平方kmで、南西部は日高山脈が占め、市域の1割が「日高山脈襟裳国定公園」に指定されている。また、山地から札内(さつない)川、帯広川、戸蔦別(とったべつ)川などが流れ、札内川の水は水道水の原水として利用している。一方、市域の約6割を占める中央部・北東部の平地は、その約半分が農地、全国でも有数の大規模経営の畑作・酪農地帯である。市街地は市域の北東端に位置し、全国6位の流域面積の十勝川や札内川に隣接している。1957年(昭和32年)3月、川西・大正両村と帯広市の合併が内閣告示された。2023年(令和5年)現在約16万4,000人。
帯広観光コンベンション協会

愛国駅
◇住所:〒089-1181帯広市愛国町基線39-40。
◇電話:0155-22-8600。


<愛の国から幸福へ>
 ようこそ恋人の聖地 愛国駅へ
 1929年(昭和4年)に開通し、現在は廃線となっている旧国鉄広尾線。1973年(昭和48年)3月、NHKのTV番組『新日本紀行』で『幸福への旅』が放映されたのをきっかけに、愛国駅から幸福駅行きの切符が「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズとともに4年間で1,000万枚も売れる一大ブームとなった。現在、旧愛国駅は交通記念館として整備され、当時使用していた切符や歴史を伝えるパネルなどが展示されている。
<「恋人の聖地」とは―>
 恋人の聖地プロジェクトとは、NPO法人地域活性化センターが主体となって、全国のプロポーズにふさわしいロマンチックなスポットを出会いと結婚の象徴「恋人の聖地」として選定し、さまざまなプロポーズのシチュエーションを提案するプロジェクト。2008年(平成20年)7月1日に旧国鉄広尾線愛国駅と幸福駅がこの「恋人の聖地」に選定された。


愛国駅(2020年8月撮影)

幸福駅
 幸福駅は、1929年(昭和4年)の広尾線開通から27年後の1956年(昭和31年)に設置された。広尾線の開通は、十勝南部の開拓を急速に進め、多大な功績を残すとともに、テレビで全国に紹介されてからは、「幸福行き」の切符に人気が出始め、「愛国・幸福ブーム」を呼ぶなど数々の思い出を残してきた。しかし、1987年(昭和62年)、国鉄再建策の中で広尾線が廃止となり、幸福駅の歴史も閉じられたが、夢とロマンにあふれるこの地を後世に伝えていくため、ここに交通公園を造成した。
◇住所:〒089-1246 帯広市幸福町東1線161。
◇電話:0155-22-8600。

幸福駅と周辺(2020年8月撮影)

真鍋庭園
 真鍋庭園の広さは24,000坪。日本庭園、西洋風庭園、風景式庭園がある。 植物のコレクシヨンは、数千種に及ぶ。 真鍋庭園の象徴であるコニファー、色とりどりの落葉樹、開拓以前から残る古木なども多い。珍しい花や実のなる植物、宿根草、山野草もある。紅葉もまた魅力のひとつ。さまざまな樹種が織りなす色合いは、まさに百花繚乱。1896年(明治29年)、開拓のために香川県からこの地へ移り住んだ第1世代。 真鍋庭園は第 2 世代が日本庭園と風景式庭園の基礎をつくり、第3世代が輸入樹木を使って西洋風庭園のエリアを拡張した。そして現在、第4世代が樹木の生産販売と、その見本園である庭園を運営している。真鍋庭園は、道内で唯一の見本園で、植物園としての特徴は、 マイナス25度Cでも育つあらゆる植物のコレクシヨンが見られる。
◇住所:〒080-0832 帯広市稲田町東2線6。
◇電話: 0155-48-2120。

紫竹ガーデン
 帯広市郊外、十勝平野の畑作地帯に広がる広大なお花畑。1万5,000坪のガーデンには、約2,500種の花、シラカンバ、ホオノキなど北海道の雑木が植えられている。ガーデンは、宿根ボーダーガーデン、クレマチスの小径、白い花を集めたホワイトガーデン、ロックガーデン、森の中のシェードガーデン、ハーブガーデン、野の花が咲くメドウガーデンなどから構成されている。レストランもある。
 ∇2022年の開園を迎えた。2021年5月4日、同園の創業者、紫竹昭葉(しちく・あきよ、本名・昭代)さんが亡くなって、初めての開園。
◇住所:080-2106 帯広市美栄町西4線107。
◇電話:0155-60-2377。

紫竹ガーデン(2022年8月撮影)

とかち帯広空港
 十勝平野の中心都市・帯広市の中心部から南に約25 km、内陸の畑作地帯に位置し、西には日高山脈、北には大雪山系が広がる。 滑走路は、延長2,500 mのものが設置。大型ジェット機用2バース、小型ジェット機用2バースがある。
◇住所:帯広市泉町西9線中8-41。
◇電話:0155-64-5678。

とかち帯広空港(2022年8月撮影)





 日高山脈の東、十勝平野の中西部に位置し、東西22.6km、南北35.4kの大きさで、その約42%が農地、約40%が山林。芽室町の農業は、小麦、馬鈴しょ、小豆、てん菜、スイートコーンなど畑作を中心とした大規模経営を展開。作付面積、収穫量は北海道でトップクラスに位置する。
芽室町観光物産協会

はなしょうぶ園
 芽室公園に隣接する2.7haの広大な土地に413種、1万7,000株(2018年=平成30年3月末現在)もの花菖蒲が咲き誇る。芽室町の初夏を鮮やかに彩りる。
◇住所:河西郡芽室町西2条8丁目。
◇電話:0155-66-6522(芽室町観光物産協会)。

芽室町はなしょうぶ園(2012年7月撮影)

10線防風保安林
 河西郡芽室町新生から上伏古地区におよぶ全長9,200m、幅62mの防風林で日本一の長さを誇る。


 芽室町では開墾が進むにつれて、十勝特有の日高山脈から吹き降ろす西風から農作物を守り生産性を向上させるため耕地防風林の植栽が計画的に行われていた。しかし、1960年(昭和35年)代になると農業経営の機械化・大規模化の進展や道路改良工事などに伴い支障が多いとして、その大半が伐採されてしまった。そのような状況の中で芽室町の10線防風林は、1922年(大正11年)耕地の保護・農産物の生産増強に寄与する目的で国から防風保安林の指定を受けた。防風林は、今後の環境・生態系を考えた上でも、鳥類のすみかになるのと同時にエゾリスなどの小動物の移動ルートとなり、十勝の重要な緑のネットワークの要素となっている。この壮大な防風林は十勝らしい農村風景を守り、今後の生態系を育んでいく上で重要な地域資源として再評価されている。果てしなく続くかのような素晴らしい景観と芽室町の農業に貢献していることはもちろん、山菜やキノコ、鳥類、エゾリスなど自然の宝庫であることが評価され、2006年(平成18年)3月「芽室遺産」に認定された。
◇住所:河西郡芽室町新生から上伏古地区。
◇電話:0155-66-6522(芽室町観光物産協会)。


10線防風保安林(2012年7月撮影)

芽室町発祥のゲートボール


 戦後間もない昭和22年春、芽室町で製パン業を営んでいた鈴木栄治(後に和伸と改名)さんは、戦後の物資不足の中でなんの遊び道具もない子供たちのために「なにか健全なスポーツはないものか」と考え続けていた。たまたま北海道に木材が多かったことから、これを利用して軍隊時代に知ったクロッケーをヒントに「ゲートボール」を考案した。そのゲートボールは高齢者を中心に愛好者が増え、現在では、子供から大人まで幅広い年齢層で楽しまれる生涯スポーツとして、日本はもとより30を超える世界の国々でプレーされている。



丸山(嵐山)に残るコロポックルの伝説


 はてしない草原と密林が続く十勝原野には、まだ一筋の道もなく昼夜問わず野獣の泣き叫ぶ中、十勝川支流美生川を登り魚影を追う一団がいた。それはコロポックル族であった。美生川は川幅も狭く水量も手ごろで魚の数はどの川よりも多く、さらに上流へと登っていくと山峡の中の大きな滝にたどり着いた。その場所が丸山であった。滝の下流は魚を手づかみするほど豊富な漁地であり、山々には、ブドウ・コクワ・野イチゴ、原野にはウバユリを始め、野草が群生し、この丸山を一族の安住の地と定め、早速、竪穴住居を作った。コロポックル族の生活は「雨が降ったり、日照りが強いとフキの下で休み、腹が減ると狩をし、満腹になると寝る」など平和で優雅な暮らしをしていた。ある日、大変恐ろしい話しが伝わってきた。それは身の丈6尺(約182cm)あまりある眼光鋭く、頭髪の多い猛虎かと思われる異民族が攻め登ってくるということであった。コロポックル族は、丸山の断崖を砦として異民族の襲撃を防ぐことにした。サケを追って美生川を登ってきた異民族は、コロポックル族の「安住の地を守る強固な砦」に向かって激しい攻撃を加えた。その後、このような戦いが二度繰り返された。ところが数年後、猛獣の吠える上伏古の原野を突破した異民族は、なだらかな砦の背面に回り、怒涛のように押し攻め砦を奪い取ってしまった。その後、安住の地〜丸山からコロポックル族の姿は消えてしまった。(芽室町郷土読本より)


ふるさと歴史館ねんりん
 平成11年、芽室町の開町100年を記念して作られた、先人の知恵と貴重な文化遺産を保存・公開している施設。時代の変化とともに忘れられつつある大切な暮らしの知恵を次世代に継承していこうというものでである。館内には生活に密着した道具や民具などが多く展示されているほか、情報ステーション、感動工房での体験や、スタディーステーションでのコンピュータによる学習もでき、新しいスタイルで先人の知恵を学べる。
◇住所:河西郡芽室町美生2線38-15。
◇電話:0155-61-5454。
◇開館時間:9:00〜17:00。
◇休館日:火曜、年末年始(12月30日〜1月6日)。
◇入館料:無料。

新嵐山スカイパーク展望台
 雄大な十勝平野を360度のパノラマで望むことができる展望台。パッチワークの田園風景に加え、遠くに大雪・十勝連山・日高山脈が広がる。
◇住所:河西郡芽室町中美生2線42。
◇電話:0155-65-2121。

新嵐山スカイパーク展望台(2020年8月撮影)





 北海道のどまん中。美しく雄々しい東大雪の山々と日高山脈に抱かれた新得町。素晴らしい四季の風景、旬の食材、温泉、乗馬にラフティングなど、自然と時間を贅沢に使った楽しい遊びであふれるまち。アイヌ語で肘、山の突出部分を意味する「シットク(本来は小さい ク)」に由来。新得山が佐幌川の方に肘のように張り出ている地形を言い表したものといわれている。
 新得町にある狩勝峠は、日本新八景に選ばれており、雄大で美しい景観が観光客を魅了している。峠の麓には、狩勝高原サホロリゾートがあり、スキー場、ゴルフ場、テニスコートなどが整備されている。アメリカ西部を舞台としたミニテーマパーク「ウエスタン・ビレッジ・サホロ」で本格的なウエスタンスタイルの乗馬が楽しめる。また、東大雪の秘湯として有名な国民宿舎東大雪荘は、保養、登山基地として賑わっている。
新得町観光協会


日本一の新得そば

 昼間温かく、夜涼しい新得町の気候は、そば栽培に最適。そば産地は信州が有名だったが、今は北海道が圧倒し、中でも新得町のそばの生産量は急増。その努力が実り、1989年(平成元年)第1回全国そば生産優良経営表彰式で新得のそば生産農家が選ばれた。また、1999年度(平成11年度)団体の部で最高位である農林水産大臣賞を受賞し、名実ともに日本一となった。2008年(平成20年度)の年間生産量145.6t、作付面積140ha。国道38号線沿いに広がるそば畑(そばロード)。7月下旬ころから一面に咲き乱れる白い花に目を奪われる。

ぼたんそば(2005年7月撮影)

◆狩勝峠
 国道38号の途中にある。空知郡南富良野町と上川郡新得町の間にある鉄道(国鉄根室本線)旧線または道路(国道38号)の峠である。道路の峠の標高は644m。日本新八景の一つ。1952年(昭和27年)に国道38号に指定。 国道274号石勝樹海ロードの夕張市〜日高町の区間が1991年(平成3年)に全通してからは、一般に札幌市を中心とする札幌都市圏と十勝・釧路方面とを結ぶ自動車輸送には、最短距離となる日勝峠(1965年=昭和40年開通)が用いられることが多いが、山道の険しさやそれに伴う事故の多さから、特に冬季にはこの狩勝峠を通るルートを選択するドライバーもいる。
◇住所:空知郡南富良野町・上川郡新得町。

狩勝峠(2021年6月撮影)

◆トムラウシ山
 北海道中央部、上川管内美瑛町と十勝管内新得町の境にそびえる大雪山系南部ので標高2,141 mの山。「大雪の奥座敷」と称される。日本百名山に選定されている。


 トムラウシとは、アイヌ語で「花の多いところ」を意味するとも、「水垢が多いところ」の意だともいわれる。30〜10万年前に活動した火山で、山頂に溶岩ドームがあり、麓の新得町側にはトムラウシ温泉がある。国土地理院の一等三角点の名称は、「富良牛山」と記されているが、これはアイヌ語起源の地名によく用いられる当て字である。火山であり、山頂には噴火口もあるが、現在は完全に活動を停止している。噴火口は一部が崩れていてU字型になっている。山の上部は森林限界のハイマツ帯で、池塘や沼が点在し高山植物が群生している箇所がある。山頂部の溶岩台地には大きな岩が積み重なり「ロックガーデン」と呼ばれ、ナキウサギの生息地になっている。山域は1934年(昭和5年)に大雪山国立公園の特別保護地区に指定された。(jawp)

◆十勝岳
 北海道の中央部の上川管内の美瑛町・上富良野町、十勝管内の新得町にまたがる標高2,077mの活火山。大雪山国立公園内の十勝岳連峰(十勝火山群)の主峰である。日本百名山および花の百名山に選定されている。(jawp)

(左)トムラウシ山 (右)十勝岳連峰(新得町観光協会提供)

◆トムラウシ温泉
 上川郡新得町屈足にある温泉。ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉(弱アルカリ性低張性高温泉)(旧泉質名:含重曹-食塩泉)。 源泉温度91.2度、pH8.1(弱アルカリ性)、湧出量 140L/min(自然湧出)。ユウトムラウシ川上流の谷間に、一軒宿の「国民宿舎東大雪荘」(年中無休)があり、日帰り入浴も扱っている。東大雪荘付近に温泉の湯に含まれる沈殿物が固まってできた噴泉塔があり、天然記念物に指定されている。
◇住所:〒081-0154 上川郡新得町屈足トムラウシ。
◇電話:0156-65-3021。


十勝晴れ、湯も、食も、最高のトムラウシ温泉


 ついに敢行した。一度入ってみたかったトムラウシ温泉。トムラウシ温泉の最寄り駅はJR新得駅。ここからだと北へ約58kmの地点にある。JR新得駅からの公共交通によるアクセスは、夏期に運行の拓殖バス以外にないらしい。私は7月中旬、その日は晴れ上がり、自家用車でJR新得駅前から約60kmの山道をひたすら走った。道道718号忠別清水線を山の奥の奥へ向かって走るのである。トムラウシ温泉のあるところは標高407m。近くには標高2,141mのトムラウシ山がある。途中、東大雪湖(十勝ダム)にかかる赤い橋(東大雪橋)を渡る。この赤い橋が実に美しい(写真)。ついつい車から降りて写真に収めた。次第に道は勾配、急カーブ、S字カーブ、つづら折りと険しくなり、気が抜けない。最後は砂利道となるが、道幅があり、すれ違いもできる。ついに到着。時計を見ると午前11時。2時間余かかった計算になる。さあ、入浴しようとトムラウシ温泉(国民宿舎東大雪荘)(写真)の玄関を開けて中に入った。日帰り入浴は12時(正午)からと掲示。1時間待って、待望の温泉に浸かる。最高!言うことない。秘境情緒たっぷりの露天風呂がまたいい。緊張して運転していた疲れがいっぺんに吹き飛んだ。何と言っても特筆は、人里離れた山奥なのに『年中無休』。これには驚いた。10月末になると雪が降り、2mを超える大雪となるところ。秘境で山奥。冬の間は閉鎖が普通ではないか。そうではなく、ちゃんと開いているのである。もうこれは「すごい」というほかない。冬にもう一度行きたくなった。そうそう、もう一つ、忘れられないのが、ここのレストラン・カムイで食べた山菜かき揚げそば=i写真)。かき揚げは大きく、そば自体も旨い。おそらく「新得そば」か。「トムラウシ」とは、アイヌ語で「花の多いところ」の意らしい。まだの方は、ぜひ一度足を運んでみては。


トムラウシ温泉(国民宿舎東大雪荘)(2021年7月撮影)

東大雪湖(十勝ダム)にかかる東大雪橋(トラス橋)(2021年7月撮影)

トムラウシ温泉(新得町観光協会提供)





 清水町の歴史は、1898年(明治31年)に、近代日本経済の父と呼ばれた実業家渋沢栄一によって設立された十勝開墾合資会社が熊牛農場を開設したことに始まる。本町は十勝平野の西部に位置し、国道38号と国道274号の2本の国道が交差し、さらには、道東自動車道のICを有し、道東の玄関口である。豊かな大地が育む畑作と酪農が盛んな町。
 「清水」はアイヌ語の「ペケレベツ」を和訳したもので、「明るく清らかな川」という意。1903年(明治36年)6月15日、ペケレベツに人舞村外一村戸長役場が置かれ、人舞、屈足村を直轄していた。1915年(大正4年)4月1日に屈足村が分離し、人舞村と称した。1927年(昭和2年)9月25日に清水村と改め、1936年(昭和11年)1月1日より町制が施行され「清水町」となった。2002年(平成14年)、開町100年を迎えた。
十勝清水観光協会

◆日勝峠
 沙流郡日高町と上川郡清水町の間にある峠。日高山脈北部にあり、標高1,023m。日高国と十勝国との間にあることから命名された。国道274号の途中にあり、道央と道東を結ぶ要衝。天候に恵まれると、清水町側にある展望台や頂上付近から十勝平野を一望できるが、夏季は濃霧、冬季は路面凍結、吹雪とドライバー泣かせとなる場合も多い。

日勝峠(2002年6月撮影)

十勝千年の森
 広葉樹自然林やカラ松人工林などが広がる雄大な景観。森・庭・アート・農・食とさまざまな分野で、人と自然が触れ会える。北海道ガーデン街道として点在する8つのガーデンのうちの1つが清水町字羽帯にある『十勝千年の森』。
◇住所:〒089-0356 上川郡清水町字羽帯南10線。
◇電話:0156-63-3000。
◇入場料:大人1,200円。小中学生600円。


北海道ガーデン街道(8つのガーデン)

 北海道ガーデン街道とは、北海道の代表的な美しい8つのガーデンが集中している、大雪〜富良野〜十勝を結ぶ全長約250kmの街道を指す。


 いずれのガーデンも北海道ならではの気候や景観を生かして個性にあふれ、力にあふれた庭づくり・景観を展開する現代の日本を代表する観光庭園である。日本のコッツウォルズ(イギリスのガーデンエリア)やロマンティック街道(ドイツ・観光街道の一つ)と呼ぶに相応しく、日本の新たな庭園文化を築くものである。また、自然の風景や山並みとともにアクティビティーを楽しめ、豊かな食も堪能できる観光ルートである。(hpから)
<8つのガーデン>
1 大雪 森のガーデン
◇住所:上川郡上川町菊水841-8。
2 上野ファーム
◇住所:旭川市永山町16丁目186。
3 風のガーデン
◇住所:富良野市中御料。
4 十勝千年の森
◇住所:上川郡清水町羽帯南10線。
5 真鍋庭園
◇住所:帯広市稲田町東2線6。
6 十勝ヒルズ
◇住所:中川郡幕別町字日新13-5。
7 紫竹ガーデン
◇住所:帯広市美栄町西4線107。
8 六花の森
◇住所:河西郡中札内村常盤西3線249-6。






 町名の由来は、アイヌ語の「クテクウシ」(鹿を狩るための柵がある土地)を意訳。十勝総合振興局西部に位置し、南北に長い地形。 南部は平野が広がり、畑作地帯となっている。 北部は大雪山国立公園の一部を構成する山岳地帯で然別湖(しかりべつこ)を有する。然別川が町を南北に縦断。山は、ウペペサンケ山(1,848m)、東ヌプカウシヌプリ(1,252m)、白雲山(1,187m)、天望山(別名:くちびる山)(1,173m)。河川は、 瓜幕川、然別川、ヤンベツ川。 然別湖には、北海道の天然記念物に指定されているサケ科イワナ属の淡水魚・ミヤベイワナ(オショロコマの別亜種)が生息している。東雲湖は、然別湖の東側にある小さな湖。2万5,000haの森林と無数の温泉郷を有する。

鹿追町民ホールの前庭(2021年7月撮影)

鹿追町観光協会


鹿追町の農業


 鹿追町の基幹産業である農業は、畑作・酪農・畜産を中心として重要な役割を果たしている。 畑作では、輪作体系の確立を基本に堆肥投入・緑肥栽培・交換耕作等の地力対策を行い、安心・安全な農作物を食卓に届ける取り組みをしている。酪農では、「土づくり」「 草づくり」「牛づくり」 を基本として生産性の向上を目指し、さらに哺育から初妊までの一貫預託事業やコントラクター事業を活用することにより、労働力の軽減と飼養管理の徹底を図り、ゆとりある経営を目指している。畜産では、町内で生産される乳雄子牛(交雑種を含む)を一貫肥育し、『生まれも育ちも鹿追牛の町内完結型』の体系を確立 している。
JA鹿追町(鹿追町農業協同組合)
◇住所:河東郡鹿追町新町4丁目51。
◇電話:0156-66-2131。


然別湖(しかりべつこ)
 大雪山国立公園内唯一の自然湖で、周囲を原生林に囲まれた神秘的な湖である。標高800mにあり、周囲は約12km、水深は約100m、複雑な湖岸線は9つの湾をつくり、湖北に弁天島を浮かべている。


 然別湖は、北海道十勝管内の鹿追町北部の大雪山国立公園内にある湖である。標高810mに位置し、北海道の湖では最も標高の高い場所にある。古代の火山の噴火口の陥没によって生成されたカルデラ湖とも、火山の噴火により川が堰き止められて生成された火山性堰止湖とも言われている。周囲は13.8km、最大深度は108mである。冬季間は結氷する。湖には、「弁天島」(べんてんじま)と呼ばれる小さな島があり、小さな鳥居が立っている。流入河川は北東部から流れてくるヤンベツ川。流出河川は南西部から流れ出す然別川(トウマベツ川)である。然別湖の周辺には、東雲湖(しののめこ)と駒止湖(こまどめこ)という2つの小さな湖がある。東雲湖や駒止湖付近は、ナキウサギの棲息地域である。周囲は、白雲山(1,187m)や、「くちびる山」と呼ばれている天望山(1,173m)などの東大雪山系の山々に囲まれている。サケ科イワナ属の淡水魚で、この湖に陸封されることで固有種となったオショロコマの亜種(または別亜種)であるミヤベイワナ(北海道の天然記念物に指定)が生息している。ほかに、放流され自然繁殖したニジマス、サクラマス、ワカサギ、ウグイなどが生息している。定期的にウチダザリガニの駆除を行っている。また、夏季には大気が安定していることが多い高原状の地形であるため、気球イベントが行われる。(jawp)
◇住所:河東郡鹿追町然別湖畔。
◇電話:0156-66-2311。


然別湖(2021年6月撮影)

然別湖(2002年8月撮影)

然別湖畔温泉郷(2009年7月撮影)

◆扇が原展望台
 西ヌプカウシ山の中腹にある大パノラマが満喫できる展望台。十勝の大平原や日高連山、太平洋まで一望できる。
◇住所:〒081-0344河東郡鹿追町北瓜幕。

扇が原展望台(2002年8月撮影)


◆千畳くずれ
 まるで地震の後のような岩がゴロゴロところがる観光ポイント。周囲には高山植物が生い茂り、ナキウサギが顔を出すことも。
◇住所:〒081-0344河東郡鹿追町北瓜幕。

◆然別湖畔温泉
 大雪山連邦の奥深く抱かれ、然別湖に面した温泉。然別湖の湖畔にホテル型の温泉旅館が2軒存在する。糠平ダム湖・然別湖への観光客向けに日帰り入浴が可能。一帯は大雪山国立公園の中に存在し、然別湖周辺の自然環境を保全するため、この2軒以外に宿はない。湖周辺は第2種特別地域で原則として自然を改変してはならない。冬場、然別湖が凍結した際には、湖上に露天風呂が設営される。
◇住所:〒081-0344河東郡鹿追町北瓜幕無番地 然別湖畔。
◇泉質:含食塩土類硫化水素泉で、皮膚病、婦人病に効き目あり。

◆山田温泉
 然別湖に流入しているヤンベツ川の上流にある、山間の小さな温泉。泉質は単純泉で神経痛ややけどなどに効く。2016年(平成28年)までは、一軒宿の「然別湖ホテル福原 別館 山田温泉」があった。源泉掛け流しで、夏期のみの営業となった。建物老朽化の問題で、2010年からは宿泊を休業し、日帰り入浴だけとなった。2016年夏季、施設耐久性の問題により完全休止。同年、福原が、鹿追町へ施設を無償譲渡。山田温泉の場所が、大雪山国立公園の第一種特別地域であるため、現存施設の許可を返納してしまうと、二度と再建ができなくなる特殊性から、鹿追町が町営で再建を目指すことになったようだ。
◇住所:河東郡鹿追町北瓜幕無番地。
◇電話:01566-7-2301。
◇営業期間:6月〜9月。

◆然別峡かんの温泉
 鹿追市街から北西に29kmほど入った渓谷を望む静かな温泉。含ホウ酸・食塩など7種類の泉質の湯が湧き出ていて、胃腸病や婦人病に効果あり。付近には露天風呂も点在し、温泉ファンが全国から訪れる。然別峡シイシカリベツ川の上流支流をユーヤンベツという。そこに温泉を発見したのは、宮城県出身で屈足に入植した初代本郷兵吉であった。明治40年ころに発見、明治44年、兵吉は温泉使用権の許可を受け、この人跡未踏の奥地に二間半と四間の住宅を建て、温泉宿の経営を始める。位置は現在のかんの温泉よりやや下流であった。本郷温泉は、透明な食塩鉱泉で、皮膚病・胃腸病・婦人科疾患・肋膜等に特効がある。兵吉の死、そして、二代目の出征に伴い、同郷の菅野祐喜に権利を継承する。
◇住所:〒081-0344 河東郡鹿追町字然別国有林145林班。
◇電話:050-5319-4068。

◆白蛇姫まつり
 湖の守り神である女神に1年の豊作と安全を祈願し、7月に白蛇姫まつりが行われる。アイヌの人々の夢のお告げをもとにした、幻想的な蛇踊りが伝説さながらに繰り広げられる。
◇開催日:7月第1土・日曜日。

◆しありべつ湖コタン
 氷点下30度にもなる冬の然別湖。氷が80cmにもなった湖上に、ある日イグルーのコタン(村)が出現する。イグルーとは、氷でできたエスキモーの住居。さまざまな形をしたイグルーが並ぶ。氷上露天風呂やバーも開店し、毎年コタン夜祭りが開催され、幻の村は氷が溶けるまで賑わう。
◇開催日:1月下旬〜3月下旬。

◆神田日勝(かんだにっしょう)記念美術館
 1937年(昭和12年)生まれ、洋画家。東京に生まれたが、8歳のとき、終戦直前の集団疎開に加わった一家とともに厳寒の開拓地・鹿追町へ。農業を継ぐ労働のかたわら、独学で油絵を始める。作風は、身近な題材をみつめ、生活に根ざした「新具象」風のリアリズムを基調にしていた。1970年(昭和45年)32歳で夭逝ののち、その真摯な画業は美術史的な声価を高め、北海道近代美術館「神田日勝の世界」展や、NHK「日曜美術館」でも紹介され多くの感銘を呼んだ。
◇住所:〒081-0222 河東郡鹿追町東町3丁目2。
◇電話:01566-6-1555。
◇開館時間:10:00〜17:00(展示室への入場は16:30まで)
◇休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)。
◇観覧料:一般530円、高校生320円、小・中学生210円。

神田日勝記念美術館(一部パンフレットより)

◆福原記念美術館
 大小合わせ5つの展示室には絵画をはじめとした展示総数は150点以上。主に藤井範子、斉藤斎、神田日勝らの日本人画家作品約100点、マッカポイなどの西洋画家作品約10点。谷文晁・橋本関雪・狩野探幽らの掛け軸12点、田中彰らの彫刻約20点、さらに与謝野晶子の直筆である歌短冊・歌色紙4点、今東光らの書が7点。喫茶スペースやテラスもある。
◇住所:〒081-0212 河東郡鹿追町泉町1丁目21。
◇電話:0156-66-1010。
◇開館時間:9:00〜17:00(展示室への入場は16:30まで)
◇休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始。
◇観覧料:一般600円、高校生300円、小・中学生200円。

福原記念美術館(2021年7月撮影)


然別峡野営場・鹿の湯(露天風呂)
 大雪山系の山峡、ユウヤンベツ川の清流沿いに湧き出る天然温泉。岩の割れ目から流れ出す熱めの湯も、深い湯船に注がれるうちにちょうどいい湯加減になる。
◇住所:〒081-0344 河東郡鹿追町町北瓜幕。
◇電話:0156-66-4034。

◆白蛇姫まつり
 然別湖の静寂を引き裂く「白蛇姫まつり」は、毎年7月の第1土曜日の夜に開催。遥か昔、アイヌの民を救った女神と白蛇の物語を演じたお祭りは、厳かな神々の祈り(カムイノミ)で幕を開け、13mと8mの親子2匹の白蛇の舞いで最高潮を迎える。ムックリ演奏、アイヌ民族舞踊、灯ろう流しなど、終始幻想的かつアットホームな雰囲気を昧わうことができる。

◆鹿追そばまつり
 初夏にまかれたそばの種子が、十勝の風土に磨かれながら育ち、収穫のときを迎える秋。鹿追の特産品の顔でもあるそばを心ゆくまで昧わってほしいとの思いで、毎年10月に開催されているのが「鹿追そばまつり」。町内のそば屋さんがこぞってハッスル。会場では、そば打ち体験をはじめ、 早食い大会やビンゴゲームなども開かれる。

◆然別湖ネイチャーセンター
◇住所:河東郡鹿追町然別湖畔。
◇電話:0156-69-8181。

◆道の駅 しかおい
 花で飾った町並みのフラワーロードが迎え入れ。休憩時には、隣接する神田日勝記念美術館での芸術鑑賞も楽しめる。周辺には、体験観光や地元産の農産物を提供する農村レストランやファームインがある。

道の駅 しかおい

◆道の駅 うりまく
 大雪山国立公園の神秘の湖・然別湖から車で20分、道内でも珍しい乗馬体験ができる。パークゴルフ場は、36ホールと充実。農村レストラン、ファームインが周辺に点在する。

道の駅 うりまく





 音更町は、北海道の東部、十勝平野のほぼ中央にあり、南は十勝川をへだてて帯広市と幕別町に、北は士幌町、西は鹿追町、芽室町、東は池田町に接している。東部の南北に走る長流枝内(おさるしない)丘陵を除いてはおおむね平坦で、音更川を中央に士幌川、然別川が北から南に貫流し、いずれも十勝川に注ぎ、地質もよく、各種農産物の育成に適し、道内でも屈指の穀倉地帯となっている。
 音更町は、世界でも珍しいモール(植物性)温泉の湧出する「美人の湯」十勝川温泉がある。また、十勝ケ丘展望台、すずらん公園や十勝牧場など雄大な景観が楽しめる。本道屈指の穀倉地帯であり、各種農産物の生産のほか酪農も盛ん。乗馬、熱気球、カヌーなどのアウトドアスポーツが体験できる。
十勝川温泉観光協会

十勝が丘展望台
 十勝が丘公園の裏山にある展望台。眼科には温泉街や悠々と流れる十勝川が一望できる。また、天気のいい日には十勝平野が遥か彼方に北海道の背骨ともいわれる日高山脈の山並みを見ることができる。
◇住所:〒080-0262 河東郡音更町十勝川温泉北。
◇電話:0155-32-6633。

十勝が丘公園
 美しい花々が彩る花時計「ハナック」、広い芝広場、木製の遊具が楽しい冒険広場、炊事遠足広場など、十勝の雄大な大地にふさわしい公園。美味しいソフトクリームやお土産探しにはログハウスの売り場「WELCOMハナック」がある。
◇住所:河東郡音更町十勝川温泉北14。
◇電話:0155-32-6633。

十勝が丘公園(左からログハウス・十勝川モール温泉足湯・花時計)2022年8月撮影

花時計「ハナック」(2006年7月撮影)

花時計「ハナック」(2022年8月撮影)

十勝川温泉
 1900年(明治33年)に開湯。1910年ころから十勝川沿いに旅館が建ち、温泉街をになる。植物性腐食質などの有機物が多く含まれ、モール温泉としても知られている。モールとは、ドイツ語で湿原(Moor)のこと。モール泉はかつては世界で2カ所しかないと言われていた、その一つが音更町の十勝川温泉で20世紀初頭に名付けられた。温泉の分類上では単純泉や塩化物泉であり、効能などはそれぞれに準じるが、石炭の形成途上であり炭化が進んでいない泥炭や亜炭層から源泉を汲み上げるため、植物起源の有機質を多く含み、肌に触れるとツルツルとした感触があるのが特徴。飴色〜コーラ色を呈し、透明度が極めて低い湯もある。これらのうちの一部は、源泉が地下10m前後と極めて浅い層からでも得られること、湯温も30度前後と低いことなどから、地下に封入された化石水による温泉ではなく、自由水が泥炭中の有機物から生じる熱で暖められているのではないかという説がある。(wikipedia)
◇住所:河東郡音更町十勝川温泉。
◇電話:0155-32-6633。

モール温泉(2002年1月撮影)

<北海道遺産>
モール温泉


 植物性温泉のモール温泉は、一般的な鉱物性温泉に比べて日本でも稀有な泉質で、資源が限られている貴重な温泉である。数ある道内温泉に先駆け、平成16(2004)年に北海道遺産として選定された。十勝川温泉は、日本でも珍しい“モールの湯”が湧出している。遥か太古の時代、十勝川温泉のある十勝川河川は葦などの植物が自生していた。それら植物が長い時間をかけて堆積し、できあがった亜炭層から湧き出る温泉が、植物性の有機物が多く含む“モールの湯”である。「モール」とは亜炭などを指すドイツ語に由来。亜炭、泥炭に含まれている腐食物質(フミン物質)は、肌をすべすべし、皮膚を再生する作用がある。一方、花崗斑岩は、温泉の成分を細かくする特性がある。十勝川「モール温泉」は、植物のエキスと岩石のミネラルの両方をたっぷり含んでいるので、ほかの植物性温泉にはない、化粧水のような保湿効果があり、浸透性に富み、肌に優しい温泉である。(商工観光課提供)


◆十勝川温泉モール市場
 十勝川温泉観光ガイドセンター(住所:〒080-0263 河東郡音更町十勝川温泉南12-1 。電話:0155-32-6633)横で開かれる。十勝川温泉周辺の農家が安心・安全にこだわって栽培したもぎたての減農薬新鮮野菜や音更町の特産品をお手ごろ価格で販売。

十勝川白鳥まつり彩凛華(さいりんか)1月下旬〜2月下旬
 厳しい冬がつくり出す素晴らしい自然の風景。冬の姿こそ十勝の本領といってもよいかも知れない。数多くの白鳥が飛来し、津価値側は冬にも躍動感あふれる表情を見せてくれる。夜にはハナック広場に光と音に包まれた幻想の森が出現。凛とした空気を割って踏み込むと、あなたにファンタジーを奏でてくれることだろう。
◇主催:音更町十勝川温泉観光協会
(住所:河東郡音更町十勝川温泉。電話:0155-32-6633)。
◇会場:十勝が丘公園。
◇住所:河東郡音更町十勝川温泉北14-1(十勝が丘公園)。


小豆

 広大で肥沃な十勝平野のほぼ中央に位置する音更町は、冷涼で気温差の大きい気候風土を利用して糖度の高い風味のある良質な小豆を生産している。生産量は日本屈指を誇る。

風味のある良質な音更産小豆

よつ葉乳業十勝主管工場
 よつ葉乳業の本拠地ともいえる十勝地区8農協によって設立された農民乳業工場。牛乳のほか、バター、生クリーム、チーズ、粉乳、アイスクリーム、発酵乳などを製造する総合工場となっている。生乳が製品になるまでの説明や「牛乳充填室」などの工程ラインを見学できる。
◇住所:〒080-0104 河東郡音更町新通20-3。
◇電話:0155-42-2121。

◆道の駅・おとふけ なつぞらの里
 2022年4月15日、移転オープンした。農畜産物等販売所、なつぞら市場、飲食店のほか「道の駅ピアノ」もある。普通車244台、車中泊車12台、大型車22台など広々とした駐車場を完備。

道の駅・おとふけ なつぞらの里

◆道の駅・ガーデンスパ十勝川温泉
 十勝川温泉の中心地にある、スパ、マルシェ、体験工房、4つの飲食店が集まる、湯と美味しさで心潤う、日帰りの新拠点。十勝を味わう、癒しの施設として、2020年7月22日オープン。

道の駅・ガーデンスパ十勝川温泉





 北海道十勝の北部に位置、見渡す限り広大な畑や牧場に囲まれる士幌町。東ヌプカウシヌプリの山がそびえ、北海道らしい大自然の中で、先進的な農業(畑作・酪農・畜産)が行われている。面積の半分以上が農用地、まさに<農業王国>の士幌町は、バレイショ・小麦・豆類の生産地。
 一方、十勝平野の中心にあり、道東観光の要所である。士幌高原には、宿泊もできる「ヌプカの里」があり、キャンプ、マウンテンバイクが楽しめる。高原からは十勝平野が一望でき、北海道の雄大さが実体験できる。国道241号線沿い、道の駅ピア21しほろには、士幌産牛肉のステーキを中心としたレストランがあり、物産館では地元の牛乳で作ったアイスクリームなどを販売。
士幌町観光協会

士幌高原 ヌプカの里
 士幌高原ヌプカの里は、標高600mの高原に広がるネイチャーリゾート。大雪山国立公園内にあり、長期滞在も可能。宿泊は、ロッジ、コテージ、フリーサイトから選べる。
◇住所:〒080-1200 河東郡士幌町字音更21-173。
◇電話:01564-5-4274 。


 日本有数の畑作地帯、十勝平野の北部に位置する士幌町。畑作・酪農・畜産が盛んで、十勝を代表する農業のまち。平坦な土地を活用した大規模農業が行われ、特にじゃがいも・小麦の生産地としての認知度は全国区。酪農も盛んで、人口6,135人に対し、乳牛約20,000頭を飼育。 肉牛の飼育頭数も、日本一を誇る(2016年=平成28年3月31日現在)。 士幌町は、2015年(平成27年)度から感謝特典の贈呈を始めた。ふるさと納税を通じて、農業への取り組みや生産者さんの想い、士幌の歴史を知ってもらい、少しでも身近に感じていただくのが狙い。9つの使い道から選択できる。使い道については、ふるさとチョイスや町HPから。


◆道の駅・ピア21しほろ
 農村風景にマッチした牛舎をモチーフにしたマンサード型屋根の道の駅。士幌町の「食」の発信拠点として2017年4月にリニューアルオープンした。

道の駅・ピア21しほろ

道の駅ピア21しほろ通信2021年9月号


 祝!士幌町開町100年記念
士幌町は、今年で100周年を迎えます!
 士幌町の名前は、広大な大地を意味するアイヌ語「シュウウォロー」から変化して名付けられたといわれています。
 1921年(大正10年)に音更村から分村し、中士幌に定住した岐阜県美濃市の開墾集団から開拓がはじまり、現在の町になっていったそう。この縁があって、現在でも士幌町の友好姉妹都市は岐阜県美濃市で、毎年小学生の交換留学が行われるなど深い交流が持たれています。
 士幌町の歴史を語るに外せないのが、士幌農協名誉会長の太田寛一氏。
 「農村ユートピア構想」を掲げ、農業でまちを豊かに大きく発展させるために尽力されました。技術取得のため農家の海外視察を積極的に行ったり、東洋一の巨大じゃがいもコンビナートを作ったり。よつ葉乳業の創立にも関わっています。当時、農家は貧しく厳しい生活を強いられてきましたが、「農村ユートピア構想」の下で農業はまちの基幹産業として成長し、今では全国でもトップクラスの農業生産を誇るJA士幌町へと成長していきました。
 この道の駅の名称「ピア21しほろ」の「ピア」は、この「農村ユートピア」からとられています。21世紀のユートピアへ、の意味が込められています。先人たちのこの町への思いは、今も士幌の人々の心に受け継がれているのです。


「道の駅ピア21しほろ」内の当時の開拓写真と「にじいろ食堂」のメニューの一つ
(2021年9月撮影)

◆道の駅・しほろ温泉
 植物性モールの天然温泉。無料の足湯や日帰り入浴が可能な温泉大浴場がある。パークゴルフやレンタサイクルもできる。宿泊はしほろ温泉プラザ緑風で。

道の駅・しほろ温泉



 国立公園としては日本一の広さの大雪山の東山麓に位置する上士幌町は、面積695.87km、ぶら下げた靴下のような南北に長い地形 (東西18.2km 、南北48km)をしている。町の77%を森林が占める。


 上士幌北部の山岳地帯にはニペソツ山をはじめとする1,500〜2,000m級の山が立ち並び、多くの登山者が訪れる。この独特な地形は、気候にも特色を与えている。海抜280mの上士幌町市街地は山麓気象のため、帯広市と比較して平均気温が各月1℃程度低くなっている。そして、日照時聞は全国的にみても多く、天気晴朗で夏は涼やかなとても過ごしやすい町といえる。上士幌を代表する観光スポット「ぬかびら源泉郷」は海抜540mにもなるため、平野部の気候と大きく異なった様相を呈する。
 日本の食料基地・十勝の町らしく、産業は畜産を中心とする農業が基幹。町内で一貫生産された5、4等級の肉牛「十勝ナイタイ和牛」、大豆を活用した商品などが特産品として人気を集めている。ほかにも、林産資源や昭和初期に生産実績のある金、水銀、硫黄、カオリン、ゼオライトなどの鉱物資源も豊富で、多様な潜在力を内包した町といえる。また、さまざまな観光資源にも恵まれている。全温泉施設が源泉かけ流しのぬかびら源泉郷、公共牧場として日本一広いナイタイ高原牧場、近代産業遺産であるコンクリートアーチ橋がツーリストらの人気を集めているほか、熱気球を使った競技イベントも全国的に知られている。
 東大雪の山並みの影を静かに映し出す紺碧の糠平湖は、自然美と人工美がマッチし、雄大で美しい。湖のほとりに湧出する糠平温泉は、歴史のある静かで優雅な温泉である。また、幌加温泉は、東大雪への登山基地としてもよく知られている。上士幌町は、日本における熱気球基地として有名で、8月に「熱気球フェスティバル」が行われる。産物は、馬鈴しょ、てん菜、豆類、木材。
◇電話:01564-2-2111。
上士幌町観光協会

◆源泉かけ流しのぬかびら温泉郷
 東大雪の大自然に抱かれる、上士幌町を代表する行楽地が、ぬかびら源泉郷。形ある崖を意味するアイヌ語「ヌカ・ピラ」が語源。


 1919年(大正8年)、島隆美さん(元祖湯元館創業者)が原生林の中に温泉を発見、湯治場としての開発が始まった。大雪山系エリアの国立公園指定1934年(昭和9年) 、糠平ダムの運用開始1955年(昭和30年)を経て、この地は温泉を柱とする観光拠点として地歩を固めてきた。その泉質はナトリウム‐塩化物・炭酸水素塩泉(重曹泉)。肌が滑らかとなる美肌の湯として知られている。もともと「糠平」と呼ばれていたこの地が、現在の地名に変更したのは 2009年(平成21年)6月1 日。その2年前の同じ日に記念すべき「源泉かけ流し宣言」を行った温泉街は、「良質なお湯への徹底したこだわりを、もっと多くの人に知ってもらいたい」と願い、その強い思いが実を結んだ結果だった。同宣言は十勝では初めてのことで、地域を上げて取り組むのは全国的にも珍しい事例であった。現在、営業している温泉宿は9軒。小規模な温泉街ながら、24本の源泉を有する、まさに「源泉の郷」である。良質なお湯を気軽に体感してもらおうと、手湯や足湯といった取り組みが行われているほか、コンパクトな温泉街だからこそ可能な湯巡り手形 (1,200 円で3つの外湯を利用可能)も行われている。
 「ぬかびら」とは、アイヌ語で「人の形をした岩」という意。大正8年、湯本館の初代経営者・島隆美さんが大雪山の原生林の中に温泉を発見した後、昭和9年には15軒の宿が軒を並べる湯治場として賑わった。まだ、鉄道もない時代から、ぬかびら温泉は、道東屈指の温泉場として栄え、現在の温泉街となった。
◇住所:080-1403 河東郡上士幌町ぬかびら源泉郷。

◇  ◇  ◇ ぬかびら源泉郷の温泉効能 ◇  ◇  ◇

◇泉質:ナトリウム―塩化物・炭酸水素塩泉。
◇浴用(適応症 ):神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のごわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、慢性皮膚病、病後回復期、疲労回復、健康増進、虚弱児童、慢性婦人病、冷え性、きりきず、やけど。

 上士幌町で最初のバルーンフェスティバル(当時の名称は熱気球フェスティバル)が開かれたのは、1974年7月29日。この日、国内で初めて4機以上の熱気球が集団フライトした。


 農業実習生が、上士幌を熱気球の基地に、と提案したのが端緒。73年には日本気球連盟と上士幌町の交流が始まり、その翌年に日本気球史に残るイベントが実現した。80年の第7回フェスティバルには、地元チームも初参戦。町内の盛り上がりと歩調を合わせるようにイベントは全国的に知られるようになり、90年には北海道初となる日本選手権も開催された。気球熱は町内に広がり、町民パイロット(気球操縦技能証取得者)が数多く誕生した。94年には上士幌高校に北海道唯一、全国でも2つしかない熱気球部が誕生、高校生パイロットまで出てくるようになった。いつしか、熱気球は、上士幌町にとって欠くことのできない大切な観光資源、町おこし資源として認められるようになり、ぬかびら源泉郷では早朝のアクティビティーとして、係留による熱気球試乗体験を開催、宿泊客らの人気を集めている。バルーンフェスティバルは、いまや上士幌を代表する夏の一大イベントに成長し、2011年までに38回の開催を重ねている。また、1982年からは冬にも「ウインターバルーンミーティング」(当時ウインターバルーンフェスティバル)として熱気球競技を行うようになり、こちらも2012年に30回を数える伝統イベントに成長した。全国から多数の競技チームが参戦するだけでなく、夏の緑の大地や冬の白銀の大地と熱気球が描く鮮やかなコントラストは、写真愛好家らも魅了している。
◇住所:〒080-1408 河東郡上士幌町上士幌基線。
◇電話:01564-2-2111。


第35回熱気球とバルーンフェスティバル(2008年8月撮影)

第49回北海道バルーンフェスティバル(2022年8月撮影)

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第49回北海道バルーンフェスティバル(2022年8月撮影)

ナイタイ高原牧場
 総面積約1,700haの日本一広い高原牧場。東京ドームの358個分にあたる。約3,000頭の牛が放牧されている。低いところで365m、頂上998m、レストハウスのあるところで800mの標高。ここから十勝平野が一望できる。2019年6月、「ナイタイテラス」がオープンした。ナイタイはアイヌ語で《奥の深い沢》の意。
◇住所:河東郡上士幌町字上音更128-5。
◇電話:01564-7-7777。

ナイタイ高原牧場(2008年8月撮影)

ナイタイ高原牧場(2022年8月撮影)


どこまでも続くぬかびら国道の白樺並木は絶景


 それはそれはすごい。何がすごいかというと道路(三国峠273号線・ぬかびら国道)の両脇に延々と続く白樺並木である。いや、初めは白樺かとただぼんやり眺めて車を走らせていたが、これでもかこれでもかと続くではないか。それも整然と白樺並木が続く。人間の手で植えたか、あるいは白樺の生えている山を切り開いたかに違いない。さらに車を走らせると気の遠くなるような真っすぐな道に出た。その光景はまさに絶景。車から降りてシャッターを切っていた。


三国峠273号線(ぬかびら国道)の白樺並木(2020年7月撮影)

三国峠
 国道273号線(糠平-層雲峡間)にあり、北海道の国道の中で一番標高の高い峠(標高1,139m)。


 ぬかびら源泉郷を抜け、さらに国道273号を北進すると、幌加、十勝三股、三国峠へと続く三股エリア。十勝と上川を結ぶ標高1,139mの三国峠は、北海道の国道の中で最も高い位置にある峠。かつてこの場所が、十勝圏、北見圏、石狩国の境界であったことが「三国」の名の由来。長く交通網が袋小路になっていた上士幌町にとって、十勝三股と層雲峡の間の道路開削は町のさらなる飛躍に向けた悲願であった。黎明期から訴え続けてきた思いが結実したのは1961年。工事は十勝三股側から着工し、その10年後には三国トンネルが完成、道北・道央圏への扉が開かれた。94年には通年開通となり、四季を通した三股の自然美を堪能できるようになった。
 眼前に見渡せる東大雪の広大な樹海は圧巻の一語に尽き、カメラ愛好家の格好の撮影ポイントとして知られている。特に紅葉の時期の燃えるような三股盆地の眺望は素晴らしく、見る者の心震わせる絶景である。展望台にある「三国峠茶屋」では、こだわりのコーヒーを味わうことができる。ほかにも、ぬかびら源泉郷から三国峠の間の30km余りの道中には、幌加と十勝三股の二つの地区がある。1950年代、台風による風害で大量の倒木が発生し、その処理に伴う<特需>で多数の人が入り込んでにぎわった両地区であるが、木材関連業務の減少に歩を合わせて人口も減少、現在の居住者はわずかに数軒。それでも、十勝三股にあるログハウスの喫茶店「三股山荘」や幌加では温泉宿が営業し、癒やしを求める人から愛され続けている。
◇住所:上川郡上川町と河東郡上士幌町の境 。
◇電話:01564-7-7272(上士幌町観光協会)。


三国峠(2019年10月撮影)


三国峠cafe、淹れ立てコーヒーの味は格別


 北海道にはいくつもの峠があり、「峠の茶屋」ということで、食堂、みやげ店なども立ち並び賑わいをみせていた。しかし、時代の移り変わりとともに、閉店・閉鎖されるところが目に付くようになり、寂しい限りだ。さらにいえば、トイレさえ閉鎖している峠もある。用を足せないのだから困る。三国峠は標高1,139m。まさに大自然の中の峠だ。この峠でただの一軒、今も『峠の茶屋』を構えている店がある。『三国峠cafe』である。混んでいたこともあり、テイクアウトでコーヒーを注文した。この淹れ立てのコーヒーの味が格別だった。そして、三国峠にはトイレも健在だ。
◇営業期間:4月中旬〜11月上旬(期間中無休)。
◇営業時間:8:30〜17:30(天候、季節により変わる)。
◇住所:河東郡上士幌町三股三国峠頂上。
◇電話:080-1975-0407。
◇メール:spring@eagle.ocn.ne.jp。
(コーヒー豆のご注文はメールにて承ります)。


三国峠cafe(2019年10月撮影)

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  三国峠からの山並み(2022年8月撮影)

◆三国峠の大樹海
 北海道の国道では最も高い標高1,139mの三国峠から見下ろす大樹海は、約100万年前の大噴火で形成されたカルデラである。東大雪の山々に囲まれたその地には現在、針葉樹と広葉樹の混交林が広がり、美しい景観をつくっている。かつて中心地には、旧国鉄士幌線の終着駅と集落があった。木材の積み出し基地として栄え、1960年(昭和35年)には2,000人を超える人々が暮らしていた。 

三国峠の大樹海(2019年10月、2020年7月撮影)

◆ひがし大雪と士幌線
 国鉄士幌線は、十勝北部の農産物や森林資源の開発に貢献した鉄道である。1937年(昭和12年)9月に士幌〜糠平間が、1939年(昭和14年)11月に糠平〜十勝三股間が開業した。しかし、森林資源の枯渇と車社会の到来で、1978年(昭和53年)に糠平〜十勝三股間が廃線となった。さらに87年に帯広〜糠平間が廃線となった。

アーチ橋がつくられた理由

 東大雪の森の中に残るコンクリートアーチ橋は、四半世紀前まで運行されていた旧国鉄士幌線の鉄道橋である。士幌線は1km進むと25m登るという急勾配と半径20mのカーブが続き、終着十勝三股駅は海抜661.8mと北海道の鉄道の中で最も高い位置にあるなど本格的な山岳鉄道であった。特に音更川の渓谷に沿ってつくられたため、たくさんの橋をつくる必要があった。工事費を抑えるため、現地で取れる砂利や砂を使ってつくることのできる、アーチ橋をかけることになった。また、大雪山国立公園の渓谷美に似合った橋の形にしたいということからも、アーチ橋をつくることになった。


◇ ◇ ◇ひがし大雪アーチ橋(上士幌・帯広側から順番に)◇ ◇ ◇

<勇川橋梁>(1936年、長さ4m)
第三音更川橋梁(1936年、長さ71m)
 国道273号線(ぬかびら国道)の泉翠(せんすい)橋そばにある。登録有形文化財。鉄筋コンクリートアーチ橋としては、北海道一の大きさを誇る美しい橋。桜と釣りの名所泉翠峡という景勝地にかかり、元小屋ダムの静かな湖面に影を落とす。第三音更川橋梁は、音更川をひとまたぎにする32mの大アーチを建設した、その当時の高い技術と国立公園内の景観を配慮したデザインなどから、専門家から高い評価を受けていた。しかし、建設から70年以上が経過し、劣化が目立つようになった。そこで内閣府主管『官民パートナーシップ確立のための支援事業』の採択を受け、募金を開始。2018年(平成30年)3月30日までに1億874万4,805円の募金が集まり、それをもとに2019年(令和元年)、再生工事に着手し、2020年(令和2年)11月26日に完成した。
◇住所:〒080-1404 河東郡上士幌町黒石平(泉翠橋そば)。
◇電話:01564-2-2111。

第三音更川橋梁(2022年7月撮影)

第三音更川橋梁とSL(上士幌町鉄道資料館の入場券)(2019年10月)

<糠平第一陸橋>(1955年、長さ47m)
<第二音更川橋梁>(1936年、長さ73m)
 音更川の断崖絶壁に沿った川を渡らない陸橋。とてもきれいな石積み護岸が続き、天然素材とコンクリートが自然と調和している美しい景観を見ることができる。
<下の沢陸橋>(1955年、長さ47m)
<第四音更川橋梁>(1936年、長さ91m)
 音更川にかかるところは36mの鉄の桁橋であったが、今は撤去されている。残ったアーチの上には木が茂り、歳月を感じさせる。国道273号線・鱒見トンネルの北西側に位置する。
<中の沢陸橋>(1955年、長さ50m)
<糠平川橋梁>(1955年、長さ63m)
<三の沢橋梁>(1955年、長さ40.4m)
 1955年完成の長さ40.4mのアーチ橋。糠平湖沿いの遊歩道と繋がっており、橋の上を歩くことができる。また、近くに50台ほどの駐車場が整備されている。

三の沢橋梁(2022年7月撮影)

<五の沢橋梁>(1955年、長さ7m)
タウシュベツ川橋梁(1937年、長さ130m)
 ダムの水が少ない1月頃から凍結した湖面に姿を現し、水位が上昇する6月頃から沈み始め、8〜10月頃には湖底に沈む(その年の雨量など、複数の要因により時期は毎年変動する)。このように、季節によってその姿が見え隠れするアーチ橋はここだけで、幻の橋といわれる所以である。
◇住所:〒080-1403 河東郡上士幌町ぬかびら源泉郷。
◇電話:01564-2-3355 。

タウシュベツ川橋梁(旧国鉄士幌線跡)2008年8月撮影


崩壊進むタウシュベツ川橋梁

 東大雪(たいせつ)の森の中に残るコンクリートアーチ橋の一つがタウシュベツ川橋梁(1937年完成。長さ130m)。ダムの水が少ない1月ころから凍結した湖面に姿を現わし、水位が上昇する6月ころから沈み始め、8〜10月ころには完全に湖底に沈む。季節によってその姿が見え隠れするアーチ橋は、幻の橋≠ニもいわれている。このフレーズに、いても立ってもいられず、車を走らせたのは2008年8月のこと。あれから早いもので14年の歳月が流れていた。全体としてその姿は変わっていなかったが、よく見ると崩壊が進んでいるのは明らか。しかし、全く補修された痕跡はない。これからも放置されるのだろうか。そうなれば、いずれ橋梁のすべてが正真正銘、湖面の中に崩れ落ちてしまう。それでいいわけがない。多くの観光客が見に来ている。何とか保存する手立てを考えてほしい。
                             (2022年7月記)

タウシュベツ川橋梁(旧国鉄士幌線跡)2022年7月撮影

タウシュベツ川橋梁を身近で見るのは『有料』


 タイシュベツ川橋梁を見るには、いくつかの方法がある。ただ、やはりタウシュベツ川橋梁を間近で見たい。そうなると『有料』であることが分かった。私のホームページ(http://www7b.biglobe.ne.jp/~hokkaido-shizen/)にタウシュベツ川橋梁の画像を掲載しようと、2008年8月に訪れたときは何の手続きもなく、容易に橋の間近まで行き撮影することができた。それから14年の歳月が流れた2022年7月、タウシュベツ川橋梁の画像を更新しようと、タウシュベツ川橋梁行きの計画を立てた。ところが、簡単には間近で見られないことが判明。何が起きたかというと、国道273号から折れてタウシュベツ川橋梁まで続く道・糠平三股林道(約4kmの道のり)の通行にはゲートがあり、車が通ることができないように鍵がかかっている。鍵をかけた理由は、「交通事故等の安全確保のため」とある。このゲートの鍵は、これまで上士幌町内にある十勝西部森林管理署東大雪支署に行けば無料で借りることができたらしい。しかし、それは昨年までの話で、「今年(2022年)4月から、協力金一人1,000円を支払ってもらうことになった」と、2020年6月11日にオープンした道の駅かみしほろインフォメーションの男の係員はけんもほろろな顔で話す。「その協力金はどうしても払わなければならないのですか」と聞いた。「そうです」と答えた。「ということは有料ということですか」。その係員はうなずいた。私の車にもう一人乗っていたので2,000円支払うことになった。もらったレシートを見ると、道の駅かみしほろとあり、協力金という項目はどこにもなく、部門17¥2,000とある。この部門17とは何なのか。ホームページを見ると、協力金は、「タウシュベツ展望台の周辺整備、鍵の管理経費等に充当する」とある。タウシュベツ展望台に行く人から協力金を徴収するのなら分かるが、糠平三股林道を車で通る人から何で徴収するのか理解できない。つまり糠平三股林道を有料道路にしたということだ。付け加えれば、一人1,000円と言うことだが、今の時点では大人、子供、赤ん坊も一人に入るらしいこともその係員は言っていた。この協力金は、どこに入るのか。上士幌町なのか、道の駅かみしほろなのか、上士幌観光協会なのか、十勝西部森林管理署東大雪支署なのか。年間、何人に鍵を貸し出したのか、会計報告はあるのか。
 次に何で道の駅かみしほろなのか。鍵の貸し出し場所が、十勝西部森林管理署東大雪支署から道の駅かみしほろに代わったためだ。鍵を借りるには、webから事前予約が必要で、鍵の貸し出し本数は、一日10本と決められている。季節、祝祭日、曜日によって、貸し出す本数の変動があってもいい。いずれにせよ、観光地を有料化することには、もっと慎重さが必要ではなかろうか。 web予約。 
                              (2022.7.30記)

 

左から道の駅かみしほろ 通行証とゲートの鍵 ゲート(2022年7月撮影)

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  タウシュベツ川橋梁(2008年8月撮影)
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  タウシュベツ川橋梁(2022年7月撮影)

<第五音更川橋梁>(1936年、長さ109m)
 登録有形文化財。国道273号線からよく見える大きなアーチ橋。10mの無筋コンクリートアーチが連続し、音更川をまたぐところには23mのコンクリートアーチがつくられている。国道273号線・滝の沢橋の東側に位置する。また、幌加駅跡から糠平方向に15〜20分ほど歩くと永久凍土を貫く音更トンネルがある。

第五音更川橋梁(2019年10月撮影)

<第六音更川橋梁>(1936年、長さ96m)
 国道273号線から少し入ったところにかかる大きな橋。橋の下に降りることもでき、見上げる眺めは迫力があり、周囲の緑や険しい崖とのコントラスト、音更川の流れが心地よい。幌加温泉の手前東に入る。
◇十三の沢橋梁(1938年、長さ58m)。


◆糠平湖
 昭和30年にできた発電用のダム湖で、人造湖としては北海道で2番目の広さ。糠平温泉街からダムまでは約3km。周囲は32km。車や自転車で一周することができる。所要時間は、車で1時間強、自転車で3時間が目安。ただし、湖の東側15kmは砂利道。 夏はカヌーやルアー、フライフィッシングが楽しめる。また冬は、氷上でのワカサギ釣りでにぎわう。 水位の低いときだけ現れるタウシュベツ川橋梁(めがね橋)は一見の価値がある。

糠平湖(2004年9月撮影)


上士幌町のふるさとチョイス

道の駅 かみしほろ
 2020年6月11日ニューオープン。標高800mの頂上に、ナイタイテラスが誕生。足元から天井までのワイドな窓からは、ナイタイ高原牧場と十勝平野を見渡すことができる。

道の駅・かみしほろ

ふれあいプラザ(町立温泉浴場)
 ふれあいプラザは、上士幌町が運営する健康増進センター、地域包括支援センター、温泉浴場を兼ねる公共施設。浴場の泉質はアルカリ性単純温泉、サウナ付きの洋風と和風の大浴場は週単位で男女が交替する。浴室内には石鹸及びシャンプー等は備えていない。
◇住所:〒080-1408 河東郡上士幌町字上士幌東3線236。
◇電話:01564-2-4126。

ふれあいプラザ(町立温泉浴場)



 日高山脈は標高1,500〜2,000m級の山々が約140kmも連なり、北海道の南を縦断する、まさに「北海道の背骨」といわれる山脈である。氷河によって削られてできた独特のカールは、山々を厳しく鋭く見せるが、一方で札内川の清らかな水を、私たちに分け与えてくれる。中札内村は、そんな日高山脈の山すその、その中央部を源とする札内川の流域に発展した小さな村である。


 札内川は、「清流日本一」に選ばれている。サツナイとは、アイヌ語で「乾いた川」を意味し、その名の通り、川の水は少なく見えるが、地下に伏流水が豊かに流れている。河畔林のケショウヤナギは、氷河時代から生き延びてきた残存植物。群生するには、ほかの雑草が生えにくい広い河原が必要で、日当たりがよく、砂礫層、伏流水が流れているところを好む。冬の気温がマイナス15度Cになる場所でしか群生しない。札内川上流の自生地は国内最大級の規模である。
 URL:http://www.vill.nakasatsunai.hokkaido.jp/「花と緑の村中札内より」
中札内村観光協会

中札内美術村
 小柏(かしわ)の林に囲まれた緑豊かな空間に、美術館、レストラン、売店があるアートの森「中札内美術村」。歴史を感じさせる古建築の美術館や点在する彫刻群が自然の中に溶け込み、ゆったりと芸術を鑑賞する時間を提供してくれる。
◇住所:〒089-1366 河西郡中札内村栄東5線172-1。
◇電話:0155-68-3003。

中札内美術村 窓越しに見えるのは柏の林(2003年7月撮影)

◆北の大地美術館
 開拓農民として酪農を営みながら、十勝の自然や山、草花をこよなく愛し、描き続けた坂本直行画伯の油彩、水彩画が展示されている。北の大地ビエンナーレの作品も展示する。
◇住所:〒089-1366 河西郡中札内村栄東5線172-1。

小泉淳作美術館
 2002年(平成21年)9月1日開館。京都・建仁寺の天井画「「双龍図」の下絵となった小下図や「蕪」のほか、約20点の作品を展示。日本画の世界を堪能できる。
◇住所:〒089-1366 河西郡中札内村栄東5線172-1。
◇電話:0155-68-3002。

◆相原求一朗美術館
 北海道の名峰を描いた「北の十名山」をはじめとする相原求一朗画伯の油彩画が、かつては銭湯として使われていた歴史ある建物に展示されている。
◇住所:〒089-1366 河西郡中札内村栄東5線173-1。
◇電話:0155-68-3001。

左から相原求一朗美術館 小泉淳作美術館 北の大地美術館(2003年7月撮影)


◆関口哲也写真ギャラリー
 雄大な自然が見せる「一瞬の表情を捕らえた関口哲也氏の写真ギャラリー。厳しくも美しい大自然の姿が広がる。

レストラン「ポロシリ」
 六花亭アートヴィレッジ中札内美術村内にあるレストラン。地元中札内の農産物を使用した四季折々の家庭料理やソフトクリームなどデザートもある。
◇住所:河西郡中札内村栄東5線172-1。
◇電話:0155-68-3003。

◆うどん・甘味処「花六花」
 コシが強くのどこしの良いうどん各種とソフトクリームが自慢。(土日・祝日のみ)

◆売店「柏林」
 菓子、オリジナルミュージアムグッズや「ポロシリ」「花六花」で使用の無添加の食材、また窯元で買い付けた和食器などを販売。

六花の森ー坂本直行記念館
 坂本直行記念館の外壁には、120年ほど前に建てられたクロアチア古民家のオーク材を再使用している。建物角に見られる木組の納めが特徴で、一度組む と全く動かぬ堅牢な仕掛け。金物を一切使わない究極の木組工法で構成されている。3つの展示棟では、昭和17年に出版された画伯の代表作「開墾の記」の内容を紹介しているほか、草花の水彩画やスケッチ、日高の山々を描いた水彩画、油彩画を展示している。天井の低い空間に、坂本作品がほどよく収まっている。
◇住所:〒089-1300 河西郡中札内村常盤西3線249-6。
◇電話:0155-63-1000。

六花の森―坂本直行記念館(右下ははまなす絵の絵葉書)

中札内村のふるさとチョイス

◆道の駅 なかさつない
 国道236号と道道清水大樹線の分岐点に位置する。中札内の農業や観光を紹介するインフォメーション施設、カントリープラザが隣接。豆資料館も併設。

道の駅・なかさつない

ピョウタンの滝
 札内川上流域にある滝。地図上では滝として記されているが、本来は人の手により建設されたダム。ピョウタンの滝の元となったダムは、小水力発電の取水施設として建設され、1954年6月に竣工式が行われ農協ダムと呼ばれた。しかし、1年後の1955年7月、豪雨により流された土砂で埋没し、発電施設も壊滅的打撃を受けて再建は断念された。残された堰堤は、いつしか「ピョウタンの滝」と呼ばれるようになり、周辺一帯が「南札内渓谷札内川園地」として整備され、札内川を代表する観光名所となった。堰堤の全高18m、長さ84.5m。自然の大岩をいくつも抱き込むようにコンクリート堤体が建設され、自然の滝のように落水している。「ピョウタン」とは、アイヌ語で「小さな砂利の多いところ」という意味。
◇住所:〒089-1374 河西郡中札内村南札内713。
◇電話:0155-69-4378。

ピョウタンの滝(2022年8月撮影)

花畑牧場
 1992年(平成4年)設立。河西郡中札内村元札内東4線311-6に本社を置く。牧場経営・食品の製造販売などをする企業。田中義剛が代表取締役社長並びに牧場長を務める。親会社は田中が所属する芸能プロダクション・アップフロントグループ。
◇住所:〒089-1372 河西郡中札内村元札内東4線311-6。
◇電話:0120-929-187。

花畑牧場(2022年7月撮影)



 「さらべつ」は、その昔サラベツ川、サッチャルベツ川流域が葦や茅に覆われた平原であったことを意味するアイヌ語の「サラ・ペツ」(葦や茅が生い茂る地)に漢字を当てはめたことからきている。1926年(大正15年)4月に大正村(現 帯広市)に属する。


 1947年(昭和22年)9月に大正村から分村、村名を更別村とした。1948年(昭和23年)4月に幕別町の一部(協和区)を編入。北海道、十勝地方の南部にある。東は幕別町、西は中札内村、南は大樹町、忠類村、北は帯広市とそれぞれ接し、十勝の母都市である帯広市から南へ35kmの地点にある。畑作と酪農の大規模農業を展開している。村の総面積は1万7,645ha、その約70%が農耕地面積である。
更別村の観光情報

十勝スピードウエイ
 広大は十勝平野を一望する丘に総工費100億円をかけ、平成5年に完成した。北海道の自然が持つ魅力を最大限に生かしたF1レースも可能なFIA公認サーキットである。1万人収容のメインスタンド、ハイテク機能を備えたコントロールタワーなどを有し、全国有数のモータースポーツのメッカとして、「十勝24時間レース」や「全日本ママチャリ12時間耐久レース」などさまざまなイベントが開催されている。
◇住所:更別村字弘和477。
◇電話:0155-52-3910( 十勝スピードウェイ) 。
◇営業時間: 9:00〜17:00。

更別カントリーパーク
 30haもの広大な敷地を有する「さらべつカントリーパーク」は、キャンパーたちのより充実したアウトドアライフをしっかりバックアップ。見渡す限りの緑の芝生、トレーラーハウスにヨーロッパ風のコテージ、充実したテントサイト。センターハウスにはフロント、団らん室、売店があり、パーク内には野外ステージやマウンテンバイクコース、パークゴルフ場なども完備されている。それぞれのスタイルに合わせた時間の楽しみ方が可能。施設は一部を除いて通年営業。予約は6カ月前から受け付けている。
◇住所:河西郡更別村字弘和541-62。
◇電話:0155-52-5656。


 更別村の約70%は耕地。この大地で行われている畑作は、馬鈴薯(ばれいしょ、じゃがいも)、甜菜(てんさい、ビート)、小麦、豆類などを中心に、機械化された大規模農業を展開している。畜産も盛んで、広大な草地が広がっている。日高の山並みを一望する肥沃な大地「さらべつ」。トラクターなくして農業は成立しない。2003年7月、なかば必然的に生まれたのがトラクターによる新・スポーツイベント「BAMBA競技」であった。BAMBAは、馬場(ばんば)。国際トラクターBAMBAでは、農業用トラクターのことを「メカ馬」と名づけた。初のトラクターによるBAMBAレースは白熱した。そして、14回目を迎えた2016年、ついに男性に加え女性によるレース「メカジョ・スズランカップ」が加わったことにより、一段の盛り上がりを見せている。
◇電話:0155-52-2010(国際トラクターBAMBA実行委員会)。


第1回国際トラクターBANBA村内パレード(2003年7月撮影)

◆道の駅 さらべつ
 道道更別幕別線と尾田豊頃線の交差点、十勝スピードウェイの入口にある。 情報の発信基地の観光と物産の館「ピポパ」がメイン施設。周辺には、福祉の里温泉、霧氷のビュースポットなどがある。

道の駅 さらべつ





 北海道の東部、十勝の南に位置し、東は太平洋、西は日高山脈に接し、中央部は広大な十勝平野が広がり、農業を中心に漁業、林業を基幹産業として発展してきた。日高山脈より日本一の清流「歴舟川」が流れ、海岸には原生花園が広がる。「豊かさ実感活社会―コスモスのまち大樹」をまちづくりのテーマにしている。アイヌ語で「大木が群生するところ」を意味する「タイキウシ」からついた。
大樹町観光案内

◆砂金
 大樹町の砂金の歴史は、江戸時代初期の1635年(寛永12年)から、アイボシマ付近の海岸で行われたのが最初といわれている。アイボシマは歴舟川から流れ出た砂金が長い間に堆積したもので「浜砂金」といい、川で採れる「川砂金」とは分けていた。


 川砂金採りが本格化するのは明治期に入ってからである。明治に入ると、全国から一攫千金を夢見た人々が大樹町の押し寄せてきた。1897年(明治30年)ころは、100人近くの砂金掘り師たちが歴舟川、当縁川、紋別川、アイボシマ川流域で生活をしながら砂金を掘っていた。時には1粒5gという大きい砂金も採れ多いときは100gにもなったという。産業としての砂金採取の歴史はピリオドを告げ、今は砂金堀探訪会(電話01558-6-2111)が歴舟川上流で行われている。


晩成社史跡
 「十勝開拓の祖」とよばれる依田勉三率いる晩成社は、1883年(明治16年)に現在の帯広市へ入植し、3年後の1886年(明治19年)に大樹町生花晩成地区で晩成社当縁牧場を開設し、牧畜業を始めた。晩成社は、原生林を切り開き、不毛と思われた土地に鍬を下ろし、畑作と酪農を試みた。また、半地下式のサイロを作り、バターの製造やチーズの試作など時代を先取りした酪農経営を展開し、今日の大樹農業の基礎を築き上げた。現在の生花地区には復元された住居やサイロ跡、勉三が詠んだ『もみじひら歌碑』などが残されている。
◇住所:〒089-2132 広尾郡大樹町双葉町6-1(大樹町教育委員会社会教育課社会教育係) ◇電話:01558-6-2133。

晩成温泉
 十勝で唯一海が見える温泉。成分にはヨウ化物イオンも多く含まれ肌にやさしいヨード泉として注目されている。
◇住所:広尾郡大樹町晩成2。
◇電話:01558-7-8161。

晩成温泉(2017年7月撮影)


ホロカヤントー
 晩成地区にある周囲5kmの海岸湖です。周辺には原生花園(ハマナスの群落・エゾキスゲ・ガンコウランなど)が広がり、6月〜9月には色とりどりの花が咲き誇る。冬期間はワカサギ釣りができる。また、湖岸南北2kmには、北海道指定文化財指定(昭和41年7月7日)の「十勝ホロカンヤントー竪穴群遺跡」がある。およそ千年前の擦文文化期を主体とする竪穴住居跡の群落で、出土品は擦文式土器が中心である。
◇住所:広尾郡大樹町晩成。
◇電話:01558-6-2111。

オイカマナイトー(生花苗沼)
 晩成地区にある生花湖は、オイカマナイトー(生花苗沼)とも呼ばれる周囲12kmの海跡湖で、原生花園に囲まれた緑豊かな湖。夏はカヌー、ローボート、マリンジェットなどのマリンスポーツが楽しめる。
◇住所:〒089-1882 広尾郡大樹町晩成。

歴舟川
 日高山脈に源をもつ歴舟川は、1987年(昭和62年)以降7回(1987年=昭和62年・1988年=昭和63年・1989年=平成元年・1991年=平成3年・1993年=平成5年・2000年=平成12年・2009年=平成21年)、環境省の水質調査により「日本一の清流」と認められ、平成8年には国土省から水の郷百選にも選ばれた。


 日方川とも呼ばれ、昔から砂金掘りが行われていることから『宝の川』と称されることもある。延長64.7km、中流域で中の川、ヌビナイ川などの支流を集め、太平洋へと流れ込む。これほどの規模の河川全域が一つの町だけを流れる、全道でも珍しい川。上流はニジマス・ヤマベ・イワナなど川魚の宝庫でもあり、釣りはもちろん、カヌーやキャンプなど、アウトドアを満喫できる。また、清流鯉のぼり、清流まつりといった「清流歴舟川」に関したイベントも開催され、まさに大樹町の『母なる川』といえる。

大樹町宇宙交流センター SORA
 1980年代に航空宇宙産業基地の候補地とされて以来、官民一体となって「宇宙のまちづくり」を進めている。美成地区の大樹町多目的航空公園では、JAXAをはじめとして、民間企業や大学等で実験が行われている。2017年(平成29年)7月30日、大樹町内のベンチャー企業が単独で開発・製造した民間宇宙ロケット「MOMO初号機」発射場から打ち上げられた。目標の宇宙空間には到達しなかったが、燃焼実験は成功した。
 2014年(平成26年)5月、大樹町多目的航空公園内に、航空宇宙関連の展示施設「大樹町宇宙交流センター SORA」(SORA内部)がオープンした。SORAは無人の施設で、以下の日程で開館している。
◇住所:広尾郡大樹町美成169-1(大樹町多目的航空公園内)。
◇電話:01558-6-2113(大樹町役場企画商工課航空宇宙推進室)。
◇開館期間:2017年(平成29年)4月29日〜11月5日(土日祝無休)。
◇開館時間:10:00 〜16:00。

多目的航空公園(2017年7月撮影)

◆道の駅 コスモール大樹
 特産品展示や観光情報コーナーのほか、ショッピングセンターを併設。また、大樹町が取り組んでいる航空宇宙産業基地構想にちなんだ宇宙関連グッズコーナーもある。施設内は無線LANが無料で接続できる。

道の駅 コスモール大樹



 北海道十勝管内の最南端にある町。町の名前の由来はアイヌ語の「ピルイ」で、「転がるトイシ」を意味している。町の東側には太平洋が、西側には日高山脈がそびえ、豊かな海や森など雄大な自然に恵まれている。広尾町は、十勝で最も古い歴史を持ち、北海道が蝦夷地と呼ばれていた時代、慶長年間に商場(場所)が開設され、次いで寛文年間に場所請負制度発足。


 長くトカチ場所の中心として栄え、明治期まで十勝の政治・経済・文化の拠点となっていた。北海道の古社のひとつに数えられている十勝神社の「蝦夷新道記彫字板」や禅林寺の「円空作・観音像」は北海道、十勝の歴史を物語る文化財となっている。1980年に広尾町にオープンした広尾海洋水族科学館とノルウェー国立ベルゲン水族館が姉妹提携したことからサンタの国ノルウェーとの交流が始まり、広尾町は1984年にノルウェーのオスロ市からサンタランドとして認定され、ノルウェー国外初のサンタランドとなった。サンタランドの認定を受けて以来、「愛と平和、感謝と奉仕」を基本理念としたサンタランドにふさわしい町づくりやイベントなどを行っている。
◆広尾町の観光・イベント>

◇  ◇  ◇ 広尾町の四季 ◇  ◇  ◇


 やわらかな陽ざしに誘われるように、ゆっくりと目覚める広尾サンタランドの春。 森の木々や公園の草花も美しく輝き、躍動感に満ちあふれる。十勝最古、300年以上の歴史を誇る十勝神社の桜、清楚なクリスマスローズや1万2,000本以上のつつじがいっせいに花開く大丸山森林公園、日本最大規模のオオバナノエンレイソウの群落など、見どころがいっぱい。

 夏の広尾サンタランドは、サマーパラダイス。パークゴルフ場や海辺のふれあい広場、キャンプ場があるシーサイドパーク。サーフィンスポットとして人気のビタタヌンケの浜など、短い夏を思いっきり楽しめるスポットが目白押し。また、大丸山森林公園にあるサンタの家には、クリスマスにちなんだグッズや小物が勢ぞろい。オリジナルのグッズの販売もあり、毎日がクリスマス気分。真夏のサンタランドならではの思い出づくりをー。

 海や山から、どっさりどおいしい便りが届く豊穣の秋。広尾サンタランドは、太平洋と十勝の大地で育まれた水産物や農産物の宝庫。北海道の限られた地域でしか水揚げされない「ししゃも」をはじめ、鮭やいくら、昆布などサンタランドの秋はおいしさがいっぱい。毎年12月中旬には、広尾の特産品が昧わえる「広尾毛がにまつり」が開催される。

 遠くの山々から初雪の便りが届くころ、広尾サンタランドは特別な季節を迎える。サンタの山大丸山森林公園に立つサンタランドシンボルツリーに灯がともると、町はイルミネーションがファンタジックに輝く光の森に変わり、いよいよクリスマスへのカウントダウンが始まる。サンタクロースが語りかける愛と夢が息づくこの町で、あなたも素敵なクリスマスの思い出をみつけてみてください。


広尾サンタランドの誕生


 広尾町は、1980年(昭和55年)9月にノルウェー第2の都市ベルゲン市にある国立水族館とシーサイドパーク広尾・海洋水族科学館が姉妹提携をしたことが縁で、ノルウェーとの交流が始まった。ノルウェーの首都オスロ市が、ノルウェー・サンタランドとして世界中の子供たちから届くサンタクロースあての手紙に対し、返事のクリスマスカードを送っていることに注目した広尾町は、これを日本の子供たちにもぜひ伝えたいとオスロ市に相談。当時の市長のアルバート・ノーデンゲン氏から広尾町を国外初、日本で唯一の「サンタランド」とする旨の認定書が1984年(昭和59年)11月に贈られた。市長の署名が入った認定書には、「愛と平和、感謝と奉仕」のサンタランドの基本理念に基づく活動を通じて、若い世代を中心とした交流と相互理解が促進されることを希望するとともに、相互協力の必要性が綴られていた。サンタランドの認定を受けた広尾町は、1985年(昭和60年)から活動を開始。平和のシンボルであるツリーを全国各地に贈り、平和の灯をともすリレー点灯式をはじめサンタメール事業にも着手した。1987年(昭和62年)からは郵政省の後援を得て広尾サンタランド独自のカードによる事業展開を行い、この19年間で183万通あまりの実績を残している。また、両国の交流も活発化して絵画や工芸品の交換や訪問団の相互派遣などが行われてきた。友好交流提携調印式ノルウェー・サンタランドの事務局がオスロ市から近郊のフログン市に移管された平成元年(1989年)からは、広尾町とフログン市との交流が始まり、1991年(平成3年)から5ヵ年にわたり、本町の各産業団体、一般の青年ら約50人がフログン市を視察訪問するなど交流機運が高まった。。そこで、広尾町とフログン市が新たな友好関係を築き、サンタランドの基本理念による世界平和の実現について協議を続けてきた結果、ビョルン・ローゲ市長とヨールン・ブールム副市長を本町に招き、1996年(平成8年)10月22日に友好交流提携調印式を行った。


広尾サンタランド
 日本一早いクリスマス点灯式の「サンタランドツリー点灯式」、15万球のイルミネーションで彩る「サンタランドイルミネーション」など、サンタランドのシンボル地である大丸山森林公園の整備と管理を行っている。2020年にはシンボルツリーとなるクリスマスツリーが植樹された。大丸山森林公園内にある「サンタの家」では一年中クリスマスグッズを販売。特にクリスマスシーズンには多くの人でにぎわう。
◇住所:〒089-2614 広尾郡広尾町西4条7-1。
◇電話:01558-2-0177。

HIROO SANTALAND(2022年10月撮影)

黄金道路

 襟裳岬から帯広方面に向かう国道336号線のえりも町庶野から広尾町広尾までの約33Kmの区間を一般的に黄金道路という。莫大な費用をかけて建設したことからこの名前がついた。


 開通は1934年(昭和9年)11月。それまでこの区間は道路が全くなく、生活の交流もほとんどなかった。人々は海岸線を歩いたりしたが、断崖絶壁が多く波の静かな日でさえも歩行は困難を要した。そこで、当時の北海道庁が地元の請願を受ける形で、1927年(昭和2年)に工事を開始した。約7年の工期と当時で約95万円ほどの金額を投入して1934年(昭和9年)11月に開通した。現在の貨幣価値に直すと60億円くらいか。しかし、開通したとはいえ荒天等の荒波などで、通行止めは年間でかなりの数にのぼっていた。1997年(平成9年)に国道236号線、通称天馬街道が開通し、十勝日高のアクセスが確保された。現在では大規模な道路改修工事が行われ、長大トンネルや防護壁が多数できている。

<黄金道路展望台(望洋台)>
 国道336号のえりも町の庶野から広尾までの31.7kmが黄金道路。道路の起源は、寛政10年(1798年)ともいわれ、その建設費の多さに「黄金を敷き詰めるくらいに資金がかかった」ということから黄金道路と呼ばれている。日高山脈襟裳国定公園内の断崖絶壁の海岸線を走る道で、絶景の黄金道路途中に展望台(望洋台)が設けられている。
◇住所:幌泉郡えりも町庶路。

<えりも黄金トンネル>
 えりも黄金トンネルは、幌泉郡えりも町の国道336号(黄金道路)上にある国道トンネル。全長は4,941 mで、北海道内の道路トンネルで最も長い。国道336号の落石、土砂崩落、波浪、雪崩等の災害対策である「襟広防災」事業の一環として、北海道開発局室蘭開発建設部により、既設の宇遠別トンネル(3,215m)の途中から仮称:第2宇遠別トンネル(1,927m)を接続させる形で2006年に着工、掘削が進められてきた。新トンネルの名称を「えりも黄金トンネル」と決定し、当初は2011年2月中旬の完成供用を予定していたが、2010年12月3日に海側の現道が高波により被災し、通行止めとなったことから、12月5日から工事中のトンネルを緊急車両に限って通行可能とする措置を取り、その後、12月7日から10日にかけて、スクールバス、路線バス、自治体関係車両、地域住民車両と順次通行可能な対象車両を広げ、2011年1月17日より一般車両も片側交互通行で暫定供用させた。2011年2月2日に完成供用。 それまで道内の道路トンネルで最長だった国道236号 (天馬街道)の野塚トンネル(4,232m)を抜き道内最長の道路トンネルとなった。2017年総務省の電波遮へい対策事業によりトンネル内において携帯電話が使用可能となった。(jawp)
◇住所:幌泉郡えりも町目黒−庶野。


黄金道路(2022年10月撮影)

◆国道336号
 起点は浦河郡浦河町。終点は釧路市。経過地は、幌泉郡えりも町、広尾郡広尾町、十勝郡浦幌町、白糠郡白糠町。

フンベの滝
 フンベとはアイヌ語で鯨。昔、このあたりで鯨がとれたのであろう。黄金道路沿いにある滝は、地下水が直接岩盤から噴出す珍しいもの。冬は凍結して氷のオブジェとなる。
◇住所:〒089-2634 広尾郡広尾町フンベ。
◇電話:01558-2-2111。

フンベの滝(2022年10月撮影)

◆天馬街道
 国道236号線の通称。野塚トンネル(全長4,232m)が日高山脈を貫いている。樹木に覆われた国道で、初春の山並み、紅葉の時期の景色は見事。

天馬街道(上杵臼大橋付近)2009年4月撮影

中川一郎記念館
 衆議院議員、農林水産大臣、科学技術庁長官。昭和48年7月、青嵐会結成、代表世話人。昭和58年1月死去。信念の人であり、剛直な政治家。
◇住所:〒089-2446 広尾郡広尾町紋別19線。
◇電話: 01558-2-0175(広尾町役場総務課総務係)。

中川一郎記念館(2009年5月撮影)



 アイヌ語「マクンベツ」(山ぎわを流れる川)から出たもの。十勝平野のほぼ中央部に位置し、全国に普及しているパークゴルフ発祥の地である。


 2006年(平成18年)2月6日、忠類村を編入合併。畜産が盛ん。てん菜、小麦、馬鈴薯、豆などを生産。近年は野菜栽培も盛んで、ナガイモ、レタス、ニラ、ゆり根が有名。なお、2004年(平成16年)に品種登録されたヒゲ根や毛穴がほとんどないナガイモの新品種「和稔じょ幕別 1号」は幕別町が唯一無二の産地で、近年、見た目のきれいさや料理時の扱いやすさ、また、食味などから注目されている。 帯広市に隣接しているため、ベッドタウンとしても発展している。

(旧忠類村)
 村名の由来は、アイヌ語の「チュウルイベツ」(急流の意)より。 1969年(昭和44年)に日本で初めてナウマン象の化石が発掘され、ナウマン象が村のシンボルとなっている。村に開拓のクワがおろされたのは1894年(明治27年)のことで、群馬県人の岡田新三郎が丸山の麓に単身で入地した。そのころの忠類は、今の広尾町の一部だった。後に大樹村となり、独立開村したのは戦後昭和24年。鉄道がついたのは1930年(昭和5年)10月のことで、当時の集落から数キロも離れた原野の中に駅が設けられ、他の町と同じように、駅を中心に新しい市街地が形成され、大きく発展していった。現在は鉄道が廃止され、駅周辺は交通公園となっている。
幕別町観光物産協会


パークゴルフ発祥の地・幕別町内の主なパークゴルフ場

 1983年(昭和58年)に幕別町で生まれたパークゴルフは、1本のクラブと1個のボールで18ホールのスコアを競うゴルフに似たスポーツ。公園で遊ぶから「パークゴルフ」と名付け、ルールも簡単。今では日本全国に約800コース、オーストラリア、ブラジル、中国にまで愛好者が広がっている。

パークゴルフ発祥の地つつじコース(2021年9月撮影)


「つつじコース」(18ホール/パー66、無料、休・木)
◇住所:錦町135。
◇電話:0155-54-2289。
サーモンコース(18ホール/パー66、無料、休・木)
◇住所:猿別川河川敷。
◇電話:0155-54-2289。
さくらコース(18ホール/パー66、無料、休・水)
◇住所:明野496。
◇電話:0155-54-2289。
新田の森コース(18ホール/パー66、無料、休・月)
◇住所:新町99。
◇電話:0155-54-2289。
こんぴら公園パークゴルフ場(18ホール/パー66、無料、休・無)
◇住所:猿別153。
◇電話:0155-54-2683。
はらっぱ36コース(36ホール/パー132、無料、休・火)
◇住所:札内川河川敷。
◇電話:0155-56-4083。
ちろっとの森コース(36ホール/パー132、無料、休・水)
◇住所:千住180。
◇電話:0155-56-4083。
エルムコース(18ホール/パー66、無料、休・月)
◇住所:札内青葉町184。
◇電話:0155-56-4083。
俳句村コース(18ホール/パー66、無料、休・火)
◇住所:依田385。
◇電話:0155-56-2125。
牧水の森コース(18ホール/パー66、無料、休・火)
◇住所:依田136。
◇電話:0155-56-2125。
札内ガーデン温泉パークゴルフ場(27ホール/パー99、300円、休・無)
◇住所:札内北町55。
◇電話:0155-55-4000。
糠内やまびこコース(36ホール/パー132、無料、休・木)
◇住所:糠内251。
◇電話:0155-57-2140。
チャンピオンコース(18ホール/パー66、無料、休・木)
◇住所:忠類白銀町383。
◇電話:01558-8-2111。
ファミリーコース(18ホール/パー66、無料、休・水)
◇住所:忠類白銀町383。
◇電話:01558-8-2111。


忠類ナウマン象記念館
 1969年(昭和44年)7月、農道工事現場で偶然発見された化石の一部。翌年にはほぼ1頭分のナウマン象の化石が発掘された。その後の大規模な発掘・調査の結果、13〜11万年前に生息していたものが、氷河期に中国北部から渡ってきたことが分かり、これまでの研究を書きかえるほどの貴重な発見となった。忠類ナウマン象記念館は、復元骨格標本や化石標本、パネル資料の展示で、古代からのメッセージを現在に伝えている。貴重な資料や文献も収蔵しており、子供たちの学習から専門家の研究まで、多くの人に利用されている。
◇住所:〒089-1701 中川郡幕別町忠類白銀町383-1。
◇電話:01558-8-2826。
◇開館時館:9:00〜17:00。
◇休館日:火曜日。
◇入館料:大人300円、小中学生200円。

忠類ナウマン象記念館(後方)2021年9月撮影

◆道の駅 忠類
 国道236号に面している。南十勝の観光情報や天馬街道・日勝峠の道路情報を発信。ナウマン象記念館、ナウマン公園が併設。パークゴルフ場(初級・上級コース)がある。ナウマン温泉アルコ236の源泉100%のアルカリ性単純泉が隣接。

道の駅・忠類

十勝ヒルズ
 小高い丘の上にある十勝ヒルズ。晴れた日は十勝平野、日高山系を一望できる。農と食に関するテーマパークである。園内には6つの庭園、ハンガリー料理や和食レストラン、自然栽培の畑やそば畑、果樹園、ショップ・カフェなどがあるほか、チャペルや多目的ホールなどもある。
◇住所:中川郡幕別町字日新13番地5。
◇電話:0155-56-1111。
◇入園料:大人1,000円、中学生400円、小学生以下無料。

十勝ヒルズ(2022年8月撮影)





 町営でブドウ栽培・ワイン醸造を行っており、「ワインの町」として知られている。町名の由来は、町内にある池田農場内池田停車場から。十勝総合振興局管内東部に位置。十勝平野の東縁にあたり、平坦な土地が多く目立った山はない。南西の幕別町との境界を十勝川が流れ、その支流である利別川が町域中央を南北に貫流する。十勝川の河道が切り替えられるまでは池田町の中心市街付近で利別川と合流しており、明治時代には河港として栄えていた。
池田町観光協会

池田ワイン城
 正式名は「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」。地下にはワイン樽の貯蔵庫、1階はビン詰め工場、3階には町営レストラン十勝などがあり、総事業費6億3,600万円で昭和49年7月に完成。外観はヨーロッパ中世紀の古城に似ているところから「ワイン城」の愛称で呼ばれ親しまれている。


 十勝ワインは、昭和38年に試験醸造の免許がおり、41年から本免許を受けてワイン醸造に取り組み、十勝ワイン、十勝シルフィー、十勝ブランデーの市販を始めた。また、昭和39年にハンガリー国ブタペスト市で開かれた国際ワイン品評会で初めて銅賞を受けて以来、銀・金賞・大名誉賞大会金メダル・銀メダルと数々の世界コンテストで受賞し、国際的な評価を不動のものにした。工場内には見学者コースがあり、9時から17時まで自由に見学ができる。また、見学通路には無料の試飲コーナーを設置している。
◇住所:中川郡池田町清見83。
◇電話:015-578-7850。


池田ワイン城(2007年4月撮影)


 池田ワイン城は、北海道中川郡池田町にある自治体が運営するワイナリー。正式名称は「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」。建物が古城のような特徴であることから、いつしか『ワイン城』と呼ばれるようになった。
 そんな日本初の自治体経営ワイナリーとして、1974年に誕生した池田ワイン城は、2020年6月にリニューアルオープン。リニューアル後の城内にはワインショップが設けられ、十勝ワインの試飲もスタート。数多くの賞を受賞した十勝ワインが楽しめるようになった。池田ワイン城で作られているワインは、総称して『十勝ワイ『』と呼ばれている。近年、各ワインコンクールでも高い評価を得ている。
 十勝ワインの誕生のきっかけは、地震と凶作。池田町は1952年に十勝沖地震に見舞われ、その翌年には冷害による大きな凶作に遭遇。当時の町長である丸谷金保氏は、打開策として野山に実るヤマブドウに着目、1960年に「ブドウ愛好会」を結成し、ブドウ栽培を開始。1963年に自治体として初となる「酒類試験製造免許」を取得し、ワイン醸造に乗り出した。
 池田町がある十勝地方は、元々ブドウ栽培に適している地域ではなかった。池田町の低気温や乾燥などの環境は、ブドウにとって大きなダメージ。その一方で、日照時間が長いことや寒暖差が大きい環境は、ブドウの糖度・酸味のバランスに良い影響を与える。その環境を生かし、寒冷地でも栽培しやすいブドウを育成するために品種改良を重ね、ついに「清見(きよみ)」を誕生させた。品種改良を重ね、これまでに育てた交配種は21,000種を超える。
1964年 第4回 国際ブドウ酒コンクール 銅賞。
1968年 国際コンクール 金賞。
1984年 第4回ワイン・コニャック国際コンクール 大賞。
2021年 北海道加工食品コンクール 会長賞。
 また、十勝ワインを広く知ってもらう目的で2004年に「十勝ワインバイザー」を創設し、認証制度を開始した。合格者には認定バッジ・認定証を配布し、十勝ワインの知識を広める活動を行ってもらうことでより多くのファンを獲得、人材育成にも力を入れている。(hpから抜粋)


十勝まきばの家
 豊かな自然に囲まれた「まきばの家」は1975年(昭和50年)7月にオープン。自慢の十勝ワインと牛肉のバーベキュー料理を味わえるほか、宿泊もできる。


 本館は北海道開拓時代の拝み小屋風三角屋根で、北海道特産のカラ松の丸太材や白樺材をふんだんに使った特色のある建物。中心に大きな炉があり、炉を囲んでお食事やお話が楽しめる。隣接する研修室もカラ松材や丸太材を利用し、まきばの風景にマッチしたユニークな造りになっている。1991年(平成3年)4月からは、コテージ村もオープン。外観は丸太小屋のログハウス風で、テラスから望む日高山脈は格別。コテージハウスは7棟ある。「まきばの家」は、1999年(平成11年)度から民間の経営に変わり、新しいスタートを切った。
◇住所:〒083-0002 中川郡池田町清見144。
◇ 電話:015-572-6000。
◇営業時間:11:00〜17:00。
◇定休日:火曜日。


◆秋のワイン祭り・十勝ワインわいわい祭り
 ぶどうの収穫とワインの仕込みを祝い、毎年10月に行われている秋のワイン祭りは、十勝ワインと牛肉の「飲み放題・食べ放題」がメーン。


 牛の丸焼きなど雄大な北海道を代表する秋の祭りとして人気を呼んでいます。また、商品にワインが当たる各種ワインの飲み当てコンテストやワイン城の一日城主の選出、軽音楽グループの音楽会などのほか、ヨーロッパ古来から伝わるぶどうの仕込みコンテストも観光客のみなさんを楽しませています。また、夏のイベントとして町民や近隣市町村のみなさんにも、わいわい騒ぎながら気軽に参加してもらえるように「十勝ワインわいわい祭り」もイベント広場で開催しています。9月には物産協会主催による「セプテンバーワインのつどい」も開かれ、グルメを自認するみなさんがビンデージワインやいけだ牛に舌鼓を打っています。


◆熱気球青空教室
 新しい観光資源やスカイスポーツ、青少年の健全育成を目的に町が昭和62年に取り入れたのが熱気球。日本最大の10人乗りをはじめ町内には4機の熱気球があり、パイロットの免許を取得した若者たちが、各種イベントなどで大空に舞い上がっている。

千代田えん提
 十勝川をせき止める千代田えん提は、1935年(昭和10年)に池田町千代田の水田灌漑施設としてつくられたもので、その規模は北海道一と言われている。


   9月から12月にかけて産卵のため、回帰してきた無数のあきあじ(サケ)が群雄乱舞して遡上する光景は、見事なもの。また、9月中旬から10月下旬ころまでは「あきあじのふる里シーズン」でにぎわい、池田町の秋の風物詩として人気を呼んでいます。北海道池田町ミニ要覧から
◇住所:〒083-0042 中川郡池田町千代田。
◇電話:015-572-3218(池田町商工観光係)。


全国池田サミット


 全国池田サミットは、1985年(昭和60年)に北海道と福井、長野、岐阜、香川、徳島各県の「池田町」で発足。3年後に大阪の池田市が加わり、会場持ち回りで地域活性化を話し合い、交流を続けてきた。北海道池田町では、1987年(昭和62年)第3回と1994年(平成6年)第10回を開催。
 しかし、2015年10月8日、「さよならサミット」が大阪府池田市文化会館で行われ、21年間続いた「全国池田サミット」に幕を下ろした。自治体の合併が進み、徳島県池田町が三好市に、香川県池田町が小豆島町に名を変え、「池田」が2つ減るのが最大の理由だった。




 アイヌ語の『ポン・ベツ(小さい・川)』を語源とし、本別市街地で利別川と合流する本別川から名付けられた。道東・十勝の東北部に位置し、町の面積の半分以上が山林である。晴天日数が多く、積雪量が少ない恵まれた環境で、良質な豆類の生産を中心とした農業が盛ん。面積391.99平方km。


 本別町を一躍有名にした「とうもろこし3万坪迷路」。高さが2m以上にもなるデントコーン(飼料用のとうもろこし)畑の中に作られた緑の巨大迷路で ある。十勝管内のチームで玉入れの速さを競う「オールとかち玉入れ選手権」、夏の夜を楽しむ「樽生ビアー彩」、美しく咲いたエゾムラサキツツジの中での「本別山渓つつじ祭り」などが町民の手によって企画・運営されている。「本別きらめきタウンフェスティバル」が開催され、北海道でも指折りの大規模な花火大会がある。
本別町の観光情報

◆本別山渓つつじ祭り
 エゾムラサキツツジの名所として知られる本別公園。園内に群生する15,000本ものつつじの花盛りのとき(5月上旬)に行われるのがつつじ祭り。義経太鼓の演奏やゲーム大会が行われる。
◇住所:中川郡本別町東町(本別公園)。
◇電話:0156-22-2141(役場企画振興課内)。

◆道の駅 ステラ★ほんべつ
 1909年(明治42年)に本別町に鉄道が開通して以来、約100年の間地域交通として重要な役割りを果たした旧本別駅であり、2006年(平成18年)4月に「ふるさと銀河線」が廃止された後も、地域の拠点施設として、簡易郵便局や町の観光案内、農産物・豆加工品、特産品の販売などを行っている。道の駅となってからレストラン・パン屋も加わった。駅名のステラとは、ラテン語で「恒星」のことをいう。

道の駅・ステラ★ほんべつ



 十勝地方の東南端に位置する。農業と漁業が基幹産業。町名の由来はアイヌ語の「トエコロ」で、「大きなフキが生えていたところ」といわれている。1880年(明治13年)に大津外4郡戸長役場が置かれたのを開町とし、2020年(令和2年)に140年を迎えている。


 豊頃に、本格的な開拓の鍬が入れられたのは明治中期で、1897年(明治30年)には本町の開拓に大きな役割を果たした二宮尊親(二宮尊徳の孫)が福島県から興復社一行を率いて二宮地区に入植している。時を前後して、町内各地に移民が入植し、1906年(明治39年)には豊頃は戸数700戸あまり、人口3,500人を数える村に成長した。その後、昭和30年には、豊頃村と大津村中部地区が合併し、戸数2,000戸、人口1万180人となり、開町85年にあたる1965年(昭和40年)1月1日から町制が施行されている。
とよころ観光ガイド

はるにれの木
 豊頃町指定文化財。北海道がまだ蝦夷と呼ばれていたときから豊頃町の大地に根をおろし、十勝川の流れとともに幾多の水害や風雪に耐えて開発のすべてを年輪に刻んできた「はるにれ」の木である。


 「はるにれ」の木は、豊頃町の町木に指定されており、雄大な自然の中にそびえ立つ樹齢約140年のこの木は、写真集やテレビなどで全国に紹介され、鈴かなブームとなっている。
◇住所:中川郡豊頃町幌岡南9号地先。
◇指定年月日:昭和61年2月21日。
◇概要説明:このはるにれは、十勝川左岸河川敷に位置し、2本の木が1本化したもので、扇形の枝ぶりが見事であり、また周囲の環境と調和して素晴らしい景観をつくっている。推定樹齢140年、樹高17m、胸高直径1.15m、胸高周囲3.6m(2005年=平成17年4月現在)。

はるにれの木とはるにれの館(2021年9月撮影)

長節湖(ちょうぶしこ)
 豊頃町大津市街から南西約4kmにある周囲約5kmの鹹水(かんすい)湖で、太平洋と幅の狭い砂丘で隔てられている。湖の砂丘一帯の植物群は、北海道の天然記念物に指定されており、春から初秋にかけてハマナス、エゾカンゾウ、ムシャリンドウ、センダイハギなどの美しい花が次から次へと咲き競う。また、湖畔にはキャンプ場(バンガロー、炊事場、トイレ、駐車場、売店等)が整備されており、毎年7月下旬から8月中旬は、大勢の観光客でにぎわう。
◇住所:中川郡豊頃町長節。

勇洞湖(ゆうどうこ)
 茂岩市街から、南に約20km離れた太平洋岸に位置する周囲約12kmの湖で、長節湖と同様に周辺には美しい原生花園が広がっており、町の文化財(記念物)に指定されている。
◇住所:〒089-5308 中川郡豊頃町湧洞。

◆十弗駅(とおふつえき)
 別名「10弗(10ドル)駅」とも言われ、特に鉄道ファンに人気のスポット。
◇住所:中川郡豊頃町十弗宝町。

◆大津港
 サケの定置網漁を主体として、シシャモ、ホッキ、毛ガニなども捕れる。
◇住所:〒089-5465 中川郡豊頃町大津。

ジュエリーアイス
 豊頃町にある大津海岸で冬期間に見られる氷塊。透明度が高く、光を浴びると宝石(ジュエリー)のように輝いて見えることからこの名が付いた。見ごろは、おおむね1月中旬から2月下旬頃。最盛期には海岸を埋めつくすほどの氷塊が見られることもある。
◇住所:中川郡豊頃町大津元町。



 浦幌町とは、アイヌ語の「オーラポロ」が転訛して浦幌となり「オー」は草の葉、「ポーロ」は大きいので「川尻に大きな葉が生育するところ」といわれている。
 十勝支庁管内の最東端にある。地形はゆるやかな丘陵地と河岸段丘からなり、東は丘陵山脈、南は太平洋に面した南北に長い町で、山林が65%を占める。


 行政面積は全国市町村で37番目の729.64平方km。町の中央部を延長87kmの浦幌川が流れ、下頃辺川、静内川、浦幌十勝川と合流、地味良好な耕地をつくって太平洋に注いでいる。1869年(明治2年)、十勝国十勝郡に属し、同年静岡藩の支配を経て、1871年(同4年)開拓使の直轄となった。
 このころ、当地域にはベッチャロ、トカチ、オヘコハシ、アイニウシ、オホツ、ヲサウスの6カ村が置かれ、1880年(同13年)十勝外四郡戸長役場を独立させ、生剛の地に戸長役場を設置した。この間岐阜農場などの農場と団体、単独入植が相次ぎ本格的な開墾が始まった。1903年(明治36年)、浦幌〜釧路間の鉄道が開通し、浦幌駅も開業したことから役場を浦幌に移転、本格的な村づくりが始まり、1906年(同39年)4月1日には二級町村に指定され、生剛村、愛牛村をもって生剛村となり、1912年(同45年)には浦幌村と改称した。1954年(昭和29年)町制を施行して浦幌町が成立、翌30年大津村の東部を編入し現在に至っている。
浦幌町の観光・名所・特産品案内。

◆昆布刈石展望台
 十勝太から厚内方面へ6km広大な太平洋を見下ろす展望台。水平線が、地球は球体だということを、あらためて感じさせてくれる。
◇住所:〒089-5868 十勝郡浦幌町昆布刈石。

昆布刈石展望台(2021年9月撮影)

◆黄金の滝
 十勝太から厚内方面へ5km滝の沢川の高さ30mの草原から、幅約3〜4mに拡がり、黄金色の岩層を太平洋に流れ落ちる渓流である。滝名は岩層の黄金色にちなんでつけられた。
◇住所:十勝郡浦幌町字チプネオコツペ。

十勝太遺跡展望台
 十勝川流域を一望し、牧歌的な風景が広がる。約1,000年前の竪穴式住宅跡もここにある。
◇住所:十勝郡浦幌町十勝太。

うらほろ留真(るしん)温泉
 2011年(平成23年)3月14日、町営温泉としてリニューアルオープン!!道内トップクラスのPH9.8という高いアルカリ性の泉質を持ち、美肌に良い良質な温泉として評判。


 温泉は日帰り温泉。食堂もある。敷地内には宿泊のできるコテージがある。道東自動車道より、浦幌ICを下車。国道274号線を5km、道道56号線(本別浦幌線)を23km、温泉の看板を左折し4km。国道38号線より、浦幌町内から道道56号線(本別浦幌線)12km、温泉の看板を右折し4km。
◇住所:〒089-5632十勝郡浦幌町字留真177。
◇電話:015-576-4410。
◇営業時間:11:00〜21:00。
◇休館日:第3月曜日。
◇日帰り入浴:大人500円、小学生300円。


うらほろ留真温泉(2021年9月撮影)

◆うらほろ留真温泉コテージ
 温泉の敷地内に建つ一軒家のコテージは、木をふんだんに使用。キッチン、食器、洗濯機など完備、別荘のような感覚で宿泊できる。
◇宿泊:16,000円。
◇日帰り:10,000円(5月〜10月)。
◇電話:015-576-4410。

◆道の駅 うらほろ
 国道38号線沿い。道東の中核都市である帯広市と釧路市の中間地点。町の中心市街地から約1kmの丘陵地の樹林に囲まれ、隣接地には緑豊かな広大な広場などが整備された森林公園がある。館内はカラマツ材を使用し、木のぬくもりが感じられる。

道の駅・うらほろ



 十勝の東北部に位置し、東は雌阿寒岳を経て釧路市および白糠町に接し、 南は本別町に、西は上士幌町に、北は置戸町、陸別町および津別町に接している。北海道東部にある阿寒摩周国立公園は1934年に設立された、日本で最も古い国立公園の1つ。 阿寒摩周国立公園の南西部に位置する雌阿寒岳とオンネトーは、度重なる火山噴火によって築かれ、その火山と湖が織りなす自然豊かな風景は多くの人々を惹きつける。


 オンネトーの水の色は、天候や風、時間帯によって変化することから神秘の湖とも呼ばれている。湖の南側にあるオンネトー国設野営場は、周辺探索に出かける便利な基地である。雌阿寒温泉は、雌阿寒岳の麓の南西部にある。オンネトー国設野営場の近くの駐車場と公共トイレから始まる散策路から約1.4km奥にあるオンネトー湯の滝は、世界でも珍しい温泉の滝で、マンガンが地上で堆積する貴重な場所で、国の天然記念物に指定されている。フォーク歌手松山千春は、日本一広い町の足寄町出身である。
◇電話:01562-5-2141。
あしょろ観光協会

オンネトー
 雌阿寒岳の西山麓にある周囲2.5kmの小さな湖。 季節や天候、見る角度によって澄んだ青、エメラルドグリーン、ダークブルーと湖面の色が変わることから別名「五色沼」と呼ばれている。神秘的な自然に心を奪われ、きっと夢のような体験ができるはず。
◇住所:〒089-3700 足寄町阿寒国立公園内

オンネトー 後方は雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)(2021年6月撮影)

オンネトー(2006年7月撮影)

◆雌阿寒岳・阿寒富士・雄阿寒岳
<雌阿寒岳(めあかんだけ)>
 北海道東部にある阿寒カルデラの南西部にある8つの火山で構成される成層火山群の総称。主峰はポンマチネシリ(標高1,499m)。日本百名山に選定されている。釧路市と足寄町にまたがっている。国土地理院による正式名称は雌阿寒岳だが、深田久弥の百名山をはじめ一般に阿寒岳というと、この雌阿寒岳を指すことが多い。古くはアイヌ語でマチネシリ。
<阿寒富士(あかんふじ)>
 美しい円錐状の山容を持つ北海道東部に位置する活火山。標高1,476m。雌阿寒岳を構成する一火山である。白糠郡白糠町と足寄郡足寄町の境界に位置し、山腹の北東部が釧路市(旧阿寒町)に属する。
<雄阿寒岳(おあかんだけ)>
 釧路市阿寒町にある第四紀火山。麓にはマリモの生育する阿寒湖と阿寒湖畔温泉街が広がる。西方向にそびえる雌阿寒岳は、現在も活発に活動している活火山である。標高1,370.5 m。
 

雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)(2006年7月撮影)

◆湯の滝
 阿寒富士山麓、高山植物の群生する岩山に二乗の温泉の滝が流れ落ちている。高さ50mから岩を伝い、湯けむりをあげているところから湯の滝と呼ばれている。


<オンネトー湯の滝マンガン酸化物生成地>(現地の立て看板から)
指定年月日 2000年(平成12年)9月6日(文部省告示 第144号)
<指定理由>
 オンネトー湯の滝は、活火山である雌阿寒岳の麓の原生林内に存在し、高さ20数mの滝を流れ下る温泉水からは、微生物の作用によりマンガン酸化物が沈殿を続けており、陸上で観察できる最大のマンガン酸化物の生成場所として世界的にも注目されている。微生物によるマンガン酸化物の生成は、35億年前の地球上で始まった海洋や大気の中の酸素の形成過程を示唆していて、地球や生命の歴史を解明する上でも大変貴重の現象といえる。現代文明においても、マンガンは製鉄の際の添加物や電池の材料として私たちの生活に役立っている。
注意事項…大変貴重な現象であり、岩石等に触れないでください。


湯の滝(2004年8月撮影)

◆螺湾(らわん)ブキ
 足寄町の東に位置する螺湾地区には、「日本一大きなフキ」として全国的にも有名な「螺湾ブキ」が自生している。


 世界には約20種ほどフキの仲間があるが、日本で育っているのは、フキとアキタブキ(オオブキ)のみ。普通、食用として利用されるワセブキやミズブキは前者のフキ、足寄町螺湾地区で育つ大きな螺湾ブキは、後者のアキタブキと同じものとみられているが、この螺湾地区の沢沿いに群生するフキは、草丈2〜3m、茎の直径が10cmにもなり(かつては草丈4m、葉の最大径が2mにも達していた)。アキタブキよりもずっと大型のものばかりなので、もしかしたら別のものなのかもしれない。砂質の土壌と豊富な螺湾川の水資源、周辺の樹林によって、これほど大きく育つと考えられている。北海道遺産。


螺湾(らわん)ブキ(2012年7月撮影)

◆道の駅 あしょろ銀河ホール21
 道東自動車道足寄ICから5q、北見・網走圏と釧路圏、十勝圏を結ぶ国道241号と242号の交差点にある。平成18年4月にふるさと銀河線が廃線となるまで、鉄路の駅「足寄駅」でもあった。周辺には、鉄道の面影が残されている。

道の駅・あしょろ銀河ホール21

◆道の駅 足寄湖
 足寄湖が見渡せ、自然を満喫できる絶好のロケーション。運転の疲れをリフレッシュするふれあい公園や、愛犬を走り回らせることができる1.6haの広大な自然芝のドッグランがある。

道の駅・足寄湖

◆両国食堂
 できてくるのが早い。うまい。値段も手ごろ。駐車場完備。道の駅あしょろ銀河ホール21から近い。いうことなし。カードは使えないよう。
◇住所:足寄郡足寄町北1-3-8。
◇電話:0156-25-3755。
◇営業時間:10:30〜19:00。

両国食堂(2023年7月撮影)





 北海道東部のほぼ中央に位置し、女満別、釧路、帯広の各空港からもほど近く、道東の各観光地へ至る道路網も整備され、移動はスムーズ。十勝川温泉、温根湯、美幌峠、摩周湖の各観光地と阿寒・大雪の国立公園への観光ルートもほど近く、道東観光の拠点として最適な地。
 アイヌ語「リクンベツ」に「驪群別」の漢字を当てたのが文献に残る最初のもの。1902年(明治35年)、陸別開拓の第一歩を記す。1919年(大正8年)、足寄ほか3村戸長役場から分離して陸別村が誕生した。
陸別町のイベント・観光

◆日本一寒い町から 「星空の街」
 東経143度45分、北緯43度27分。東北海道のほぼ中央に位置し、女満別、釧路、帯広の各空港からも近く、観光地へ至る動労網も整備され、移動はスムーズ。十勝川温泉、温根湯、美幌峠、摩周湖の各観光地と、阿寒・大雪の国立公園への観光ルートもほど近く、道東観光の拠点としては最適な地にある。

◆しばれフェスティバル
 ダイヤモンドダストがきらめく陸別の冬、日本一寒い町で誕生した北の奇祭。


 「寒さは財産」「寒さこそ楽しい」をモットーにメルヘンチックな雪像や氷像のほか、ユニークな手づくりの体験型イベントを演出。特に氷でできたかまくらで一夜を過ごす「人間耐寒テスト」には、全国から多くの人が挑戦、寝袋一つで北海道の大自然をチャレンジします。無事朝を迎えると認定証が授与され、年々「しばれファン」が増加しています。「しばれフェスティバル」は、北海道の大自然と人間の接点を感じさせる心に残るイベントです。毎年2月第1土曜・日曜日。会場・陸別町イベント広場。

◆全日本オフロードレーシング選手権大会
 毎年5月第3日曜日に開かれる4WD車とオートクロス車によるオフロードレーシング大会。全国各地から強豪が押しかけ、参加台数約90台、観衆約5,000人が一般道路では味わえないオフロードコースで迫力満点のレースを楽しむことができます。特に4WD車のホームストレートでのジャンプ。最大傾斜30度の上り坂は見ごたえ十分。オートクロス車は、改造車ならではのパワーが魅力でチェッカーフラッグを受けるまでスリルあふれるレースが展開されます。

◆オフロードレース全日本選手権大会
 轟々と地面を揺るがすエンジン音、砂煙を上げて疾走するバギーカー。毎年9月の第2日曜日に、耐久方式の全国大会が行われ、各地より約100名のドライバーが自慢の手づくりマシーンとともに集結、熱い戦いを繰り広げられます。排気量別にスピードを競うこのレース、横一列スクランブルスタート。第一コーナーにトップスピードで侵入する各マシーン、激突して横転とスリリングなレースに6,000人の観衆から、ため息と歓声がわき上がります。

りくべつ宇宙地球科学館 銀河の森天文台
 陸別町は、環境庁より1987年(昭和62年)度に「星空の街」に選定され、平成9年度には、「星空にやさしい街10選」に認定されました。この自然環境豊かな特性を生かし「りくべつ宇宙地球科学館」(愛称・銀河の森天文台)を建設し、平成10年にオープンしました。当天文台は一般公開型天文台としては、日本最大の115?反射望遠鏡をはじめ、30?クラスの小型望遠鏡4基、4連太陽望遠鏡等を備える公開天文台です。
◇住所:足寄郡陸別町ウエンベツ345。
◇電話:0156-27-8100。

銀河の森天文台(2000年9月撮影)

◆ふるさと銀河線
 日本で一番星に近い鉄路、1989年(平成元年)6月4日、第3セクターにより北網北見と十勝池田を結ぶふるさとのロマンと香りを運ぶ鉄道が誕生しました。平成3年11月には、帯広駅乗り入れが実現。

ふるさと銀河線(2020年8月撮影)

◆道の駅・オーロラタウン93りくべつ
 旧ふるさと銀河線の駅と道の駅を兼ねた「道と鉄道の駅」だった。現在は、廃線になった線路や車両を保存し、車両の運転体験や乗車体験もできる道の駅となっている。陸別の特産品をそろえた観光物産館や陸別開拓者である関寛斎資料館があり、十勝バス・北見バスの案内所も備えている。2階は宿泊施設「オーロラハウス」になっている。

道の駅・オーロラタウン93りくべつ



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