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《7町》


◆檜山エリアの見どころ4コマ


◆檜山エリアの名所


 アイヌ語の「エサシ」(昆布の意)から出たもの。北海道の南西部に位置し、北海道文化発祥の地といわれる「追分流れるロマンの町・江差」。江戸期のニシン漁最盛期には、北前船交易により繁栄を極めた。江差町に、和人が住み着くようになったのは、歴史上では、1189年源義経が衣川で自刃した後、藤原泰衡の一族がこの地に上陸(渡党)したといわれており、北海道文化の発祥の地と呼ばれている。江戸時代には、日本海航路の北前船によるヒノキアスナロ、ニシンの交易により、人口も3万人を超え、いわゆる「江差の5月は江戸にもない」とうたわれ、商業の町、文化の町として発展・繁栄を極め、民謡の王様といわれる「江差追分」をはじめとする伝統芸能や生活文化など有形・無形の遺産が数多く伝承・保存されている。また、江差沖で座礁した、江戸幕府の軍艦「海陽丸」が復元され、幕末のロマンを漂わせている。
 中央部を厚沢部川が流れて2分し、東部は山岳が多く笹山、元山があって笹山が町境で分水嶺をなし、山ろくは丘陵になって海岸に迫っている。この沖合500mに浮かぶ"鴎島"は自然の良港を形づくり、市街地は、この対岸に発達していて、北部は厚沢部川流域を中心に水田耕作地として発達している。
江差観光コンベンション協会


いにしえ街道  その隆盛を極めた建造物 ( 問屋蔵・商家・町屋・社寺 ) が海岸線沿いの下町に多く、そのまま残されていた。江差町では、この歴史的建造物を後世に伝え、かつ多くの人に見てもらおうと、平成元年から「歴史を生かすまちづくり事業」としてスタート。平成16年11月に街路事業が完了。「いにしえ街道」として情緒あふれる個性的な街並みとして親しまれている。
◇住所:檜山郡江差町中歌、姥神(うばがみ)町一帯の旧国道沿い地区。
◇電話:0139-52-6716。

旧中村家住宅
 中歌町に残された旧中村家は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたもの。家屋は、当時江差と北陸を往復していた北前船で運んできた越前石を積み上げた土台に、総檜切妻造りの大きな二階建て。さらに母屋から浜側まで文庫倉、下の倉、ハネ出しまで続く通り庭様式で、当時の問屋建築の代表的な造りとなっている。
◇住所:〒043-8560 檜山郡江差町字中歌町22。
◇電話:0139-52-1617。
◇開館時間:9:00〜17:00。
◇入館料:大人200円、小中高生100円。

旧横山家住宅
 横山家は、初代から現在まで200年以上の歴史がある。初代から現在地において漁業、商業、廻船問屋を営んでいた。現在の建物は、今から約160年前に建てられた家屋で、昭和38年、北海道文化財に指定された。母屋と四番蔵にはニシン漁全盛期ころに使用されていた生活用具などが陳列され、当時の暮らしぶりを今に伝える貴重な建物の一つである。
◇住所:〒043-8560 檜山郡江差町姥神町45。
◇電話:0139-52-0018。

旧関川家別荘
 今から約300年前から明治30年代まで、松前藩第一の豪商として江差で廻船問屋を営んでいた関川家には、江差最盛期ころの様子を伝える貴重な古文書や調度品が大量に保存されている。建物は、昭和61年度ですべて修復が完了し、保存されていた古文書、調度品も建物と同時に昭和62年度から公開している。
◇住所:〒043-0033 檜山郡江差町字豊川町55。
◇電話:01395‐2-4220。
◇開館時間:9:00〜17:00。
◇入館料:大人100円、小中高生50円。

旧檜山爾志(にし)郡役所(江差郷土資料館)
 延宝6年(1678年)、江差地方に自生するヒノキアスナロの伐採取締番所として、檜山番所が上ノ国から江差に移転。その後、江差西在郷の行政経済を統括する藩府として檜山奉行所と改称された。この奉行所跡に現在も残る洋風建物は、明治20年にロシア人の設計によって建てられた開拓使時代の檜山郡役所である。
◇住所:〒043-0034 檜山郡江差町字中歌町112。
◇電話:01395‐4-2188。
◇開館時間:9:00〜17:00。
◇入館料:大人300円、小中高生100円。

  1 旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館) 2 いにしえ街道 3 旧中村家住宅
  4 江差追分会館 5 姥神大神宮 6 旧横山家住宅 7 旧関川家別荘
  8 江差をPRする国道沿いの立て看板(2020年9月撮影)

◆江差三大祭
 1. 姥神大神宮祭典
 8月9日〜11日 約360年前に生まれたこの祭は、人々がニシン漁の恵みを謳歌し、大漁を神に報告したのが始まりであった。豪華な13の山車が夜を徹して街中を練り歩く姿は、とても活気に満ちあふれ、かつての江差の繁栄を現在に伝える、北海道最古の祭である。
 2. かもめ島まつり
 7月第1金・土・日曜日 江差のシンボル「かもめ島」と青い海を会場に、北海道内でも数少ない海の祭典が豊かな自然の中でにぎやかに繰り広げられる。
 3. 江差追分全国大会
 9月第3金・土・日曜日 全国から選抜された追分の歌い手が集い、日本一ののどを競い合う、追分の本場江差ならではの大規模な大会。

江差追分会館(2020年9月撮影)
 追分節は、江戸時代のころから信州中仙道で唄われていた馬子歌が一種のはやり唄として全国各地に広まり、越後に伝わったものが舟歌となって船頭たちに唄われるようになり、やがて今から200年ほど前に北前船によって江差に運ばれてきたといわれている。さらに江差では、座頭佐之市がケンリョウ節と追分を加えて独特の音調を持つ江差追分を誕生させたといわれ、多くの唄い手によって磨かれ、唄いつがれてきた。情緒豊な江差追分の調べは、民謡を愛する人々の心を魅了する。日本を代表する民謡の王様といわれ、民謡は江差追分に始まって江差追分に終わるといわれている。
◇住所:〒043-0034 檜山郡江差町字中歌町193-3。
◇電話:0139-52-0920。
◇開館時間:9:00〜17:00 ◇料金:大人500円、小中高生250円。

◆江差山車(やま)会館
 姥神大神宮渡御祭は、今をさかのぼることおよそ370年。毎年の豊漁によりニシン景気にわく江差の人々が、その年の終漁後、神様に感謝を込めて行ったのがこの夏の大祭の起源。江差の町は毎年8月9日〜11日の間お祭り一色に染まる。猿田彦命に先導された行列に、豪華な13台の山車(くるま)が供奉し、?園囃子の流れをくむ調べにのって町内を練り歩くさまは圧巻で、北海道最古の絢爛豪華な夏祭りはいにしえの栄華を偲ばせる。館内では、2台の山車を展示しており、150インチの大型スクリーンでは祭りの賑わいをの様子を見ることができる。
◇住所:〒043-0034 檜山郡江差町字中歌町193-3。
◇電話:0139-52-0920。
◇開館時間:9:00〜17:00 ◇料金:大人500円、小中高生250円。

◆法華寺
 法華寺は1521年(大永元年)に上ノ国・勝山に創立され、1665年(寛文5年)に江差に移転、復元され、その5年後に本堂が建立された。室町時代の建築物の荘厳さを今に伝えている。山門は、300年以上前に檜山奉行所の正門として建てられたもので、これも北海道最古の建築物の一つ。本堂の7メートル四方の天井に描かれた「八方睨みの龍」は、日本文人画の第一人者、池大雅の作と伝えられている。
◇住所:〒043-0043 檜山郡江差町字本町71。
◇電話:01395-2‐0355。
◇入場料:大人300円、小中高生150円。
◇開館時間:9:00〜17:00。

法華寺(2004年11月撮影)

開陽丸
 幕末にオランダで建造された幕府軍艦。戉辰戦争中に榎本武揚らを乗せ活躍したが、暴風のために1868年(明治元年)江差沖で座礁、沈没した。同施設は、オランダに残っていた設計原図をもとに復元されたもの。内部には海底に沈んでいた開陽丸から引き揚げられた遺物のうち約1,800点が展示されている。中には大砲など当時の最新式の武器や和洋折衷の生活用品などもあり、とても興味深い。操船や武器操作のシュミレーションや、クイズなども楽しめるコーナーもある。
◇住所:〒043-0041 檜山郡江差町字姥神町1-10。
◇電話:01395-2-5522。

開陽丸(2016年4月撮影)

◆開陽丸青少年センター「えさし海の駅・開陽丸」
 開陽丸管理棟の「えさし海の駅・ 開陽丸」には、幕府軍艦開陽丸記念館や開陽丸青少年センター事務局などがある。また、軽食・休憩コーナーに加え、江差町の特産品や農家直送の農産物・海産物などを販売。江差町観光情報総合案内所も設置されている。
◇住所:檜山郡江差町姥神町1-10。
◇電話:0139-52-5522。
◇営業時間:9:00〜17:00。
◇入館料:大人500円、小人250円。

えさし海の駅・開陽丸(2013年9月撮影)

佐之市(さのいち)の碑
 佐之市のこと佐野屋市之丞は、寛政年間に盛岡から江差に渡ってきた琵琶師の座頭で、佐之市の作詞と編曲によって江差追分が完成したと伝えられ、江差追分の祖師として親しまれている。
◇住所:〒043-0034 檜山郡江差町字中歌町(真宗大谷派江差別院墓地内)。

かもめ島
 檜山道立自然公園にも指定されている江差のシンボル。周囲2.6kmのこの島には、通常のツアー等で訪れる機会が少ないが、たくさんの見所がある隠れたスポット。海と自然に恵まれた島をゆっくり散策するのも悪くはない。・主な見どころ 瓶子岩・かもめの散歩道・北前船係留跡・徳川幕府砲台跡・千畳敷・弁慶の足跡・馬岩・江差追分記念碑・厳島神社 。
◇住所:〒043-0045 檜山郡江差町字鴎島。
◇電話:0139-52-1020。

かもめ島(2020年9月撮影)

瓶子(へいし)岩
 今から500年もの昔、天変地変を予言する老姥がいた。あるとき姥はひとりの翁から瓶を渡され、教えの通り瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来するようになり、江差の人々の植えを救ったという。
◇住所:〒043-0045 檜山郡江差町字鴎島。
◇電話:0139-52-1020。

かもめ島と瓶子岩(2016年4月撮影)

江差にしん伝説


 今から500年も昔、江差では凶漁が続き、人々は貧しい生活を送っていた。この頃、天変地異などを予言する「折居(おりい)」という老婆が江差町に草庵を結んだ。 ある夜、一人の翁 ( 男の老人 ) が小さな瓶を老婆に手渡し、「この瓶の中の白い水を海に注ぐと「にしん」が押し寄せるであろう。」と告げ、老婆が教えられたと おりにすると、「にしん」が群れをなして押し寄せ、江差は大いに栄えた。老婆が海中に投げ入れた小瓶は岩となり海上に現れ、現在の「瓶子(へいし)岩」になったという。「老婆が祀っていた神像」を「姥神」とし、これを起源とする姥神大神宮は今も江差の人々の厚い信仰を集めている。当時の北海道「蝦夷地」はまだ米が穫れず、そんな松前藩の財政を支えたのが北前船による「にしん」の交易であった。江差の人々は「にしんは魚にあらず、米である」という意味から、鯡(魚にあらず) と書いて「にしん」と読み、大切なものであると考えている。


鯡(魚にあらず) と書いて「にしん」


 魚へんに「非」と書いて「ニシン」と読む。釣りラボでは、今回、そんな魚へんに「非」と書く「鯡(ニシン)」という魚について、その正しい読み方・意味・漢字の画数・学名・英語名・名前の由来などをご紹介している。ニシンは、ニシン目・ニシン科のの魚で、日本だけでなく、世界中で食用として利用されている。日本では、古くから食用として利用されてきただけでなく、江戸時代・明治時代には肥料として利用されることもあった。ただ、近年の乱獲や海水温の変化に伴い、日本近海での漁獲量が減少し、海外からの輸入量が増加している。このニシンは、回遊魚であり、春ごろに産卵のために北海道沿岸に現れることから、「春告魚」としても親しまれている。(ただし、地域によっては、鮴(メバル)が「春告魚」と呼ばれている。)また、東北地方には「カド」という呼び名もあり、ニシンの卵はカドの子という意味で「数の子」、ないし「鯑(カズノコ)」と呼ばれる。ニシンには、他にも東の魚を意味する「鰊(ニシン)」という漢字が使われることもある。(hpから) 


江差港
 波止場江差港は、江差町を始めとする檜山8町をその背後地とし、この地域の経済活動の中核地として大きな役割を果たしている。本港は、自然の良港として蝦夷地と称された藩政時代から繁栄を続け、本道第2期拓殖事業として大正14年に本格的な修築が開始され、昭和4年に完了し、現在の江差港の基礎となった(大正4年〜昭和4年修築)。現在は、砂・砂利・石材等の積出港として、また、離島奥尻とのフェリー基地として、さらに日本海漁場開発や日本海を漁場とする本州方面の外来漁船の水揚港として物資の供給上からも極めて重要な役割を果たしている。また、本町は、北海道最古の歴史を持ち、自然環境・歴史的文化財・史跡等に恵まれ、多くの観光客が訪れ従前の港湾整備事業の考え方に加え、観光・レジャー・スポーツ等の事業を満たす港湾整備にも力を入れている。(北海道開発局港湾空港部江差港HP)
 奥尻島へのアクセスは、フェリーが江差港から運航。また、函館空港から奥尻空港まで定期便が運航している。江差港ー奥尻港
江差港フェリーターミナル
◇住所:〒043-0041 檜山郡江差町姥神町 江差港北埠頭。
◇電話:0139-52-1006。

江差港のフェリー(2011年8月撮影)

道の駅 江差
 江戸時代の江差に実在したといわれる「とんち」の名人・江差の繁次郎。その繁次郎の銅像が飾られた繁次郎浜が道の駅「江差」の場所。愉快なとんちで鰊場の親方や周囲をけむに巻き、町中に笑いを振りまいていた繁次郎は庶民のアイドルでもあった。この道の駅は、「笑い」で町おこしをする江差町の中心的な場所にもなっている。江戸時代の鰊場の雰囲気を盛り上げようと、地元で採れたヒノキ材を使い、切妻屋根の建物に仕上げた駅だ。


◆繁次郎(しげじろう)
 『道の駅 江差』の横に建つ繁次郎像。「江差の5月は江戸にもない」と言われたほど、活気と華やかさに満ちていた江戸時代に実在したと伝えられる繁次郎。大変とんちに長けていて、町中に笑いを振りまいたとか。

民話「江差の繁次郎」


 昔、江差に繁次郎という“とんち”のいい男がいた。詳しいことは一切わからないが、伝えられている巷の説をつなぎ合わせてみると、文化年間の生まれで明治の初めに60歳くらいで死んだという。五尺に足りぬ小男で、頭と目玉と鼻がベラボーに大きく、40過ぎまで母と二人暮らしだったという。繁次郎の“とんち”話として伝えられているものの中には、落語のネタや諸国の“とんち”話と共通するものも少なくないが、江差地方でなければ筋道の合わないような“とんち”話も残されている。繁次郎の“とんち”話を、その昔に用いられていた江差地方独特の方言で紹介している。(hpから)


 『道の駅 江差』の横に建つ繁次郎像(2022年9月撮影)

繁次郎温泉
 炭酸泉温泉。シュワシュワの細かい泡(炭酸ガス)が皮膚に付着することで、そこから吸収された炭酸ガスが直接血管に作用し、血流を促進させる効果がある。フィンランドサウナ、ひのき露天風呂、バイブラバス、源泉掛け流し。レストラン。
◇住所:桧山郡江差町字田沢町82-7。
◇電話:0139-54-5454。
◇営業時間:平日 17:00〜21:00。土・日曜日 12:00〜22:00。
◇入浴料:大人300円、小人(6歳〜12歳未満)120円、65歳以上150円。

繁次郎温泉(2022年9月撮影)





 上ノ国の歴史は1189年(文治5年)源頼朝による奥州藤原泰衡征伐の難を逃れた、津軽・南部の人々が移り住んだのが始まりと言われている。その後、松前藩の祖・武田信廣が来道し、1457年(長禄元年)コシャマインとの戦いで、和人社会の統ーを図った 。こうして上ノ国は1678年檜山番所が江差に移るまで日本海における政治・経済・軍事の要所と して栄えた。
 応永年間からこの地を領地としていた上ノ国安東氏から生じたもの。北海道和人文化発祥の地・上ノ国は北の中世が色濃く残る町として知られている。北海道最古の建築物とされる「上国寺」や「旧笹浪家住宅」、中世のロマンあふれる「夷王山」からは、奥尻島、松前大島の雄大な日本海を一望できる。また、天の川にまつわる織姫と彦星の伝説がある。美しい自然の中でのキャンプやフィッシングなど歴史とロマンあふれる町である。
上ノ国町の観光

旧笹浪(ささなみ)家住宅及び付属土蔵(国重要文化財)
  旧笹浪良家は18 世紀初めから続いたニシン場の綱元。安政4 年(1857 年 ) に家の土台替え、翌5 年に屋根の葦替えを行ったことを記した「家督普請控」 があり、19 世紀前半の建築であることが認められている。北海道に現存している民家では最古に属し、置 き石屋根が往時のたたすまいを偲ばせている。
◇住所:檜山郡上ノ国町字上ノ国236。
◇電話:0139-55-1165。
◇開設時間:10:00〜16:00。
◇入館料:大人300円、小中高生100円。
◇休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日。

国重要文化財 旧笹浪家住宅(2013年9月撮影)

上ノ國(かみのくに)八幡宮(本殿)(町指定文化財)
 文明5(1473)年武田信広が勝山館内に館神として創建した社。本殿は元禄12 (1699)年の建立で北海道内に現存する神社建築では量古のものに属している。明治9年現在地に本殿を遷し、伝説大蔵鰊の若宮社が合記されている。松前家13代道広、14代章広の書が社宝として伝えられているほか、福井特産笏谷石製の狛犬が社殿奥深く祭神を守っている。
◇住所:〒049-0612 檜山郡上ノ国町上ノ国238。
◇電話:0139-55-2065。

上ノ國八幡宮(左)と上の國寺本堂(2013年9月撮影)

円空(えんくう)仏
 寛文6 (1666)年 頃に北海道に渡った遊行僧円空は、松前・蝦夷地を巡錫し、布教を行った。円空の刻んだ仏像は慈悲に満ちた微笑みをたたえ、人々の心を和ませ信仰に導いたと言われている。後年鉈一挺で仏像を刻むことに妙を得た木っ端仏と呼ばれる仏像をたくさん残した。上ノ国町では、現在六体の仏像が観音堂など町内各所に大 切に祀られている。
◇住所:〒049-0612 檜山郡上ノ国町字上ノ国 上ノ国観音堂など。
◇電話:0139-55-2230(上ノ国町教育委員会)。

上國寺(じょうこくじ)本堂(国重要文化財)
 開基を嘉吉3(1443)年と伝えられる 北海道有数の古利。本堂の建立は、天井裏の板に「宝暦7年に本堂庫裏一度に建立」とあること、さらに虹梁(こうりょう)の彫刻模様が18世紀に一般的に用いられているものであることなどから、宝麿7(1757)年 か宝暦8年であると 考えられている。北海道に現存する仏堂 建築では最古のものである。
◇住所:〒049-0612 檜山郡上ノ国町字上ノ国。
◇電話:0139-55-2665。

勝山館(かつやまたて)跡(国指定史跡)
 日本海に注ぐ天の川河口近く、夷王山(いおうざん)を背に「無碇」の異名をもつ天然の良港・大澗湾を望む堅牢無比の中世の山城。松前藩の祖・武田信廣が築いたされている。
 北海道南部から東北北部に存在する多くの館の中でも代表的な館。松前氏の祖である武田信広が1470年頃築いた山城で、16世紀末頃まで、蠣崎氏の日本海側における政治・軍事・北方交易の拠点であった。近年、中国製青磁や瀬戸・美濃焼など5万点余りの国内外産陶磁器の他、金属製品、木製品など合計7万点余りの出土品や、住居・井戸・空壕・橋などの跡が多数発掘され、百数十年にわたり繁栄を極めた「北の中世都市」の様子が見えてきた。また当時のアイヌの人々が使っていた骨角器も出土し、館の中にはアイヌも混住していたようである。このように、勝山館跡は日本海北方交易の様子や中世の生活様式を今に伝え、「北の中世」を語る重要な、興昧尽きない史跡である。
<勝山館跡ガイダンス施設>
◇住所:〒049-0601 檜山郡上ノ国町字勝山427。
◇電話:0139-55-2400。

勝山館跡ガイダンス施設と勝山館跡(2013年9月撮影)

夷王山墳墓群
 標高159m の夷王山の麓には勝 山館跡を取り囲むように、室町時代の噴墓600 余基が分布、白い標柱が海風の中に立っ ている。
◇住所:檜山郡上ノ国町勝山。
◇電話:0139-55-2230。

夷王山墳墓群(2013年9月撮影)

花沢館(はなざわだて)跡
 上ノ国守護職・蠣崎季繁が拠った城館。長禄元年(1457)コシャマインの攻撃に屈しなかった道南12館の一つ。花見岱の館とも呼ばれ、小山隆政が居住していたとも伝えられている。
◇住所:〒049-0601北海道上ノ国町勝山。
◇電話:0139-55-2230。

日本海情報交流館「文珠(もんじゅ)」
 日本海を中心に森や川、地域史の情報を満載した情報発信施設。四季折々に変化する日本海を眺望できるレストランやインターネットも体験できる。
◇住所:檜山郡上ノ国町原歌3。
◇電話:0139-55-2311。

◆文珠岩
 眼下の海に立つ知恵の仏・文珠菩薩に似た文珠岩。道の駅・上ノ国もんじゅ(檜山郡上ノ国町字原歌3)のある前浜一帯は、旧地名を文珠浜。この文珠浜の由来については、地元の漁師が漁に出て、船の上から前浜を眺めると、眼下の岩が文珠菩薩に似ていることや、古い記録によると、岩陰に文珠菩薩の像が奉られていたとも伝えられていることからきている。
◇住所:〒 049-0602 檜山郡上ノ国町字原歌3。
◇電話:0139-55-3955。

文珠岩(2013年9月撮影)

道立自然公園「夷王山(いおうざん)」
 上ノ国町西方2kmにあり、美しくなだらかに伸びる山容が特徴の標高159.7mの夷王山。蠣崎・武田一族が眠っているとされる墳墓群。一面に咲き乱れるエゾヤマツツジ群に彩られた環境でキャンプ場が整備されている。山頂から遠くに眺望するかもめ島・奥尻島の島々、そして眼下に見える美しい海岸線が一望できる。
◇住所:檜山郡上ノ国町勝山。
◇電話:0139-55-2311。

夷王山(夷王山神社の鳥居)からの眺望(2013年9月撮影)

北海道夜明けの塔
 ふるさとのシンボルとして昭和63(1988)年に八幡牧野内に完成した夜明けの塔。夜になると塔がロマンチックにライトアップされ上ノ国のランドマークタワーとして機能している。この塔は中世の山城を現代風にアレンジした二重の八角錘で構成され、造形化したもの。土塁に開かれた三方の道は冬至、春分、秋分の日の日の出の方角を示している。ここからは紺碧の日本海に浮かぶ大島や奥尻島やせたな町から松前町や檜山道立自然公園などが一望することができる。
◇住所:〒049-0601北海道檜山郡上ノ国町勝山。
◇電話:0139-55-2311。

道の駅 上ノ国もんじゅ
 2009年(平成21年)6月20日にオープンした物産販売コーナーがある。日本ではここ上ノ国でしか産出されないブラックシリカの製品などが販売。






 アイヌ語で「ハチャムベツ」より「アッサブ」と転訛したもので、「桜鳥川」の意。北海道の南部に位置し、道南でも古い歴史を有し、豊かな自然環境の中で、その恩恵である農林業を基幹産業として発展してきた、深く美しい森に包まれた田園の町である。馬鈴薯(メークイン)発祥の地で、種子・食用ともに全国津々浦々から名声を得ている。宅地分譲や持ち家建設奨励金等の支給により、定住を支援している。さらに都市と農村の交流にも積極的に取り組んでいる。
厚沢部町観光協会

館城跡
 戊辰戦争さなか、明治元年、松前藩が最後の砦として建設した急造の城跡。未完のうち旧幕府軍の奇襲攻撃により焼き払われた。今は桜の名所として、町民憩いの場として親しまれている。
◇住所:檜山郡厚沢部町城丘。
◇電話:01396-4-3311。

厚沢部町郷土資料館
 館内の館城復元の門をくぐると。城の復元模型や遺品が並べられており、幕末の動乱が偲ばれる。展示室には、洞穴跡の岩陰遺跡や竪穴住居のある目名尻遺跡など、先史時代の遺跡を展示している。
◇住所:〒043-1113北海道檜山郡厚沢部町新町234-1。
◇電話:01396-7-2436。

土橋自然観察教育林・森林展示館
 総ヒノキ造りで、森林に関する資料などを常設展示している。気軽に木に親しむ学習ができる。教育林は、日本の「遊歩百選」に認定。
◇住所:〒043-1112 檜山郡厚沢部町緑町18。
◇電話:0139-67-2463。

ハチャムの森・鶉ダムオートキャンプ場
 道南のアウトドアの拠点。ここには、人と自然のさわやかな出会いがある。キャンパーをサポートする最新の設備が整備されているオートキャンプ場である。
◇住所:〒043-1234 檜山郡厚沢部町字木間内60-1。
◇電話:0139-65-6886。

道の駅 あっさぶ
 国道227号沿いにある道の駅。地元のヒノキアスナロ(ヒバ)材を使って建てられた駅。2013年9月にリニューアルされあっさぶ町物産センターの売り場が大きく拡大した。メークインの発祥地ともあって、メークインを始め、新鮮な厚沢部産の野菜や加工品が数多く並んでいる。






 アイヌ語の「オトウンペ」(川尻に沼地のあるところの意)から「オトベ」に転訛したもの。海岸の造形美が映えるマリンタウンの乙部町は、三つの岬が特徴の農業と漁業の町。変化に富んでいる海外線は、訪れる人を驚嘆させる美しさである。平成2年にオープンした元和台海浜公園<海のプール>は、日本の水浴場88選にも選ばれた全国的にも珍しい海水浴場である。富岡地区の国有林には縁結びの名木<縁桂(えんかつら)>があり、近年訪れる人が急増している。
乙部町の観光・特産品

乙部町郷土資料館
 縄文時代の土器や江戸時代からの産業の歴史や文化、当時の生活用具を知ることができる貴重な資料を展示している。今では目にすることのできない漁具や農具のほか、ニシン漁の様子も展示している。
◇住所:〒043-0104 爾志郡乙部町館浦4-1。
◇電話:0139-62-3311。

貝子沢(かいこさわ)化石公園
 貝子沢化石公園は、100万年以上の昔の貝の化石を含んだ地層がそのまま保存されている。公園内からは、エゾタマキガイ、ビノスガイなど30種を超える貝の化石が算出され、北海道で初めて温暖系絶滅種3種も発見された。
◇住所:〒043-0104 爾志郡乙部町館浦。
◇電話:0139-62-3311。
鮪(しび)の岬
 岬の形がマグロの背に似ていることや、安山岩の柱状節理による独特の岩肌がマグロのウロコのように見えることから、鮪(しび)の岬と呼ばれ、北海道天然記念物に指定されている。
◇住所:〒043-0232 爾志郡乙部町字花磯。
◇電話:0139-62-2311。

鮪(しび)の岬(2022年9月撮影)

◆鮪(しび)の岬公園
 岩肌が鮪(マグロ)のうろこのように見えることや、岬の形がマグロの背に似ていることからつけられた。安山岩の柱状節理で正六角形の岩肌が重なり奇妙な地層を作り出している。
◇住所:〒043-0232 爾志郡乙部町字花磯。
◇電話:0139-62-2311。

館浦温泉公園
 公衆温泉と温泉旅館に隣接し、全天候型テニスコート、ゲートボール場、健康遊歩道素足の小道があり、スポーツ、森林浴が楽しめる。
◇住所:〒043-0104 爾志郡乙部町字館浦。
◇電話:0139-62-2311。

元和台(げんなだい)海浜公園
 遊具施設、レストラン、展望台、そして海の楽しさを兼ね備えた海のプールが広がる海浜公園である。海水が循環するように設計された海のプールは、波が荒いときでも心配なく、安心して海遊びができる。シーズン中は、ウニ、ツブ、ホタテを放流するイベントも行われる。
◇住所:〒043-0114 爾志郡乙部町元和。
◇電話:0139-62-2871。

館の岬
 白亜の断崖が「東洋のグランドキャニオン」とも呼ばれるこの一帯は、海底のいくつもの地層が堆積し、その後の地殻変動によって隆起したものである。太陽の陰影によって表情が変化し、絶妙の景観が楽しめる。
◇住所:〒043-0104 爾志郡乙部町館浦。
◇電話:0139-62-2311。

館の岬(2023年5月撮影)

滝瀬海岸(シラフラ)
 この地は、江戸時代にシラフラ(白い傾斜地)と呼ばれ、白亜の断崖が続き、美しい奇妙の海岸線を形作っている。地質は、檜山層群の最上部部分の館層に当たり、溶岩の軽石や珪藻類の化石、砂礫岩からなり、約500年前の火山噴火による噴石が海底に堆積、地上に隆起したものらしい。このシラフラの中に重さ4tの岩が発見され、猟師たちは石神様として祀り、今でも滝瀬地区の瀧之神社境内に安置されている。
◇住所:爾志郡乙部町滝瀬341。
◇電話:0139-62-2311。

滝瀬海岸(シラフラ)2022年9月撮影
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滝瀬海岸(シラフラ)2023年5月撮影

くぐり岩
 海に突き出た断崖の先にぽっかりと空いた穴。今からおよそ400年前の慶長年間にニシン漁を支えるために掘削し、こんな形の岩になった。
◇住所:〒043-0101 爾志郡乙部町字滝瀬。
◇電話:0139-62-2311。
<現地の立て看板>
 くぐり岩は滝瀬海岸を南北に分断しており、1600年頃ニシン漁を支えるため、人の手によって、薄い岩の中央に穴が開けられて、人の通行が可能になりました。この時より、この岩は「くぐり岩」と呼ばれるようになりました。

くぐり岩(2022年9月撮影)

宮の森公園
 日本海を望む高台にあり、自然木を使ったアスレチック施設が整備されている。公園内には、イタヤカエデなどの古木が茂り、町民憩いの場として親しまれている。展望台では日本海の海外線と市街地が一望できる。
◇住所:爾志郡乙部町元町。
◇電話:0139-62-2311。

縁桂(えんかつら)
 縁桂森林公園に樹齢500年と言われる桂の大木がある。「縁桂」と呼ばれ「縁結びの神が宿る」と伝えられている。地上約7mのところで2本の枝が結合していることから「連理の木」としても知られ、この木に触ると良縁に恵まれると地元で崇められている。縁桂森林公園の駐車場から、ブナやミズナラ等の天然林の中に続く渓流沿いの遊歩道があり、毎年、縁桂森林フェスティバルが開催され、多くの人々が訪れている。また、標高1,017mの乙部岳は、義経伝説から中腹に祠(ほこら)が祭られている。1965年(昭和40年)に北海道の名木、2000年(平成12年)林野庁の全国「森の巨人たち百選」に指定されている。
◇住所:〒043-0104 爾志郡乙部町館浦4-1。
◇電話:0139-62-3311。

おとべ温泉 いこいの湯
 乙部町には、3つの源泉があり、温泉天国。その中でも一番の人気は「おとべ温泉 いこいの湯」。お湯は、赤褐色で泉質は、ナトリウム−硫酸塩・塩化物温泉。源泉100%。露天風呂もある。また、館内には地元出身の作家による彫刻や絵画が飾られている。いこいの湯は、宿泊体験施設 おとべ温泉郷 光林荘に併設。国道229号線から入る。道の駅229元和台から車で10分(5.9km)。
◇住所:爾志(にし)郡乙部町館浦527-2。
◇電話:0139-62-3264。
◇定休日:月曜日。
◇日帰り入浴:12歳以上400円。ただし、シャンプー、リンス、石鹸は持参のこと。(2020.9.15現在)

おとべ温泉 いこいの湯(2020年9月撮影)

道の駅 ルート229元和台
 国道229号沿いにある。すぐ隣には全国的に珍しい海のプール「元和台海浜公園」、北海道の天然記念物の「鮪の岬」などがある。また、道の駅自体も海抜40mの高さに位置。裏手はモニュメント「潮笛」と紺碧の日本海、海岸線に沿って走る国道229号が見渡せる広場がある。




 2005年(平成17年)9月1日、旧瀬棚郡瀬棚町、旧瀬棚郡北檜山町、旧久遠郡大成町の3つの町が合併して誕生。瀬棚郡北檜山町が町役場を、瀬棚郡瀬棚町が町名を、久遠郡大成町が郡名をそれぞれ引き継ぐ形となった。
せたな観光協会


(旧瀬棚町)
 秀峰狩場山を背景に日本海を望む瀬棚町は、自然の国北海道にあって、指折りの美しい自然環境を有する町である。特に奇岩・名勝が続く海岸線は21kmにも及び、一帯は狩場茂津多道立自然公園に指定されているほか、追分ソーランラインの拠点としても知られ、毎年大勢の観光客が訪れている。また、瀬棚町は、日本海に浮かぶ美しい島・奥尻島へのフェリーの玄関口ともなっている。

(旧北檜山町)
 1955年(昭和30年)町村合併の際、新町名を公募した中から、檜山の北に位置するという理由で名付けられた。檜山北部の中央部に位置し、町の中間を東西に流れる清流後志利別川の太櫓川の流域は、肥沃な平坦地で推理に恵まれ水田地帯となっている。恵まれた自然環境と地理条件を生かし、温泉ホテル、パークゴルフ場、自然休養村キャンプ場、ふとろ海水浴場が整備され、年々入り込み客も増加している。

(旧大成町)
 久遠村と貝取澗村の合併により、将来の展望を期待し、広く住民から募集した中から選んだ。北海道最西端に位置する大成町は、前面に広がる日本海からの恵みにより、営々として築かれてきた漁業の町で、海上27kmを隔てる奥尻島と相対している。また、日本海追分ソーランラインのルートにもなっており、海外線に連なる数々の奇岩(親子熊岩など)や、海を見下ろす北海道最古の山岳霊場太田神社など数多くの歴史遺産を残すまちでもある。

道の駅 てっくいランド大成
 国道229号沿いにある。奇岩立ち並ぶ日本海の目の前にあり、夕陽の名所。目の前は海水浴場。毎年7月最後の土曜には、道の駅を会場としたお祭りが開催。駅名にちなんだこの地域の特産品「ひらめ(てっくい)のつかみ取り」が実施される。


せたな町情報センター北檜山郷土資料室
 開拓当時の農具、家財道具、土器などの民族資料のほか、明珍信家の筋兜、阿波人形浄瑠璃の頭などが展示されている。
◇住所:049-4501 久遠(くどう)郡せたな町北檜山区北檜山226。
◇電話:01378-4‐5342。

日本女医第1号・荻野吟子(おぎのぎんこ)顕彰碑
 明治30年に瀬棚に入り、荻野医院を開設。医療活動はもとより婦人活動や日曜学校等を創設するなど、地域の文化振興にも貢献された。
◇住所:〒049-4814 久遠郡せたな町瀬棚区本町9区。
◇電話:0137-87-3311。

三本杉岩
 紺碧の海のそびえ立つ鋭い形の3つの巨岩。青い海と白い海、夕日に映えるシルエット、刻々と変化する情景が絶妙である。夜間はライトアップされ、幻想的な雰囲気を漂わせている。
◇住所:〒049-4821 久遠郡せたな町瀬棚区三本杉。
◇電話:0137-87-3311。

三本杉岩(2011年8月撮影)

茂津多(もった)岬灯台
 ・せたな町北端に位置し、道南最高峰『狩場山』の荒々しい山並みの尾根が西方で一気に日本海に没している岬。奇岩の続く海岸線や奥尻島、遠くに積丹半島を一望できる。岬にそびえたつ「茂津多岬灯台」は、海面から灯台頂部まで標高290mの日本一高い灯台である。所在地としては島牧村だが、灯台へのアクセスはせたな町側「茂津多林道」のみ。林道は舗装されている。ヒグマの生息地となり注意が必要。林道は冬季間(10月末〜4月末頃)通行止めになっている。
 ・島牧郡島牧村とせたな町の境(灯台が建つのは島牧村側)、茂津多岬の高台に建つのが、茂津多岬灯台(もったみさきとうだい)。海霧を意識して白と黒のツートンカラーに着色され、ロケットを思わせる異色の外観。平均水面から灯頂部まで288mは日本一です。
 ・狩場山が日本海に落ち込むところ、280m余りの断崖をもって屹立している。岬は日本一高い茂津多岬灯台があり、栄浜に至る海岸線は荒磯の奇岩続きの景観が絶妙である。
◇住所:久遠郡せたな町瀬棚区島歌。
◇電話:0137-87-3311。

◆立象山(りっしょうざん)公園展望台
 立象山の頂上にある展望台。山にはキャンプ場とあじさい広場があり、日本海の海岸線と奥尻島が望める。
◇住所:〒049-4825 久遠郡せたな町瀬棚区西大里。
◇電話:0137-87-3311。

ロシア軍艦アレウト号遭難慰霊碑
 明治10年ロシア帝国軍艦「アレウト号」が瀬棚沖で座礁、乗組員は瀬棚の人々に救助され、大半の人が帰国したが、翌年まで残留した13人をロシア船が迎えに来た際、船に向かうボートが転覆、乗船していた12人のロシア人が死亡し、その慰霊碑として建立されたものである。
◇住所:久遠郡せたな町瀬棚区三本杉。
◇電話:0137-87-3311。

◆狩場峡谷
 馬場川沿いに続く狩場峡谷。夏は森林浴、秋は見事な紅葉を見ることができる。
◇住所:〒049-4825 久遠郡せたな町瀬棚区西大里。
◇電話:0137-87-3311。

太櫓(ふとろ)海水浴場
 太櫓川の河口付近から太櫓にかけての岩礁と岸壁の続く海岸。鷹の群生地であったという伝説の残る日本海に突き出た鷹の巣岬からははるか奥尻島が望める。
◇住所:〒049-4517 久遠郡せたな町北檜山区太櫓。
◇電話:0137-84-6205
浮島公園
 道南八景の一つに数えられる周囲3.3kmのうぐい沼は、三方を緑深い山に囲まれてひっそりとたたずんでいる。沼には、ハンの木やタモなどが生い茂る大小20個近くの浮島が点在し、風が吹くとゆらゆらと沼面を漂い変化に富んだ美しさを見せてくれる。20分ほどかけて遊歩道の散策を楽しむのもいい。
◇住所:久遠郡せたな町北檜山区愛知232-6。
◇電話:0137-84-5111。

熊戻り渓谷
 狩場山登山道にある真駒内上流の美しい渓谷である。峡谷のつり橋から眺める苔の密集した巨大な岩と岩の間を流れる清流の景色は、大自然の息吹を感じさせる。紅葉もすばらしく、道南随一の秘境と呼ばれている。
◇住所:〒049-4431 久遠郡せたな町北檜山区小倉山。
◇電話:0137-84-5111。

晩翠の森公園
 開拓時から親しまれてきた晩翠園。新たな5haを整備し、開拓以来のオンコが残る「開拓の森」のほか、冒険の森、展望の森、水辺の森などが造成され、町民の憩いの場として親しまれている。
◇住所:〒049-4433 久遠郡せたな町北檜山区丹羽。
◇電話:0137-84-5111。

玉川公園
 水田風景、遊楽部岳の展望の美しい公園。丹羽市街を見下ろす小高い丘の上、玉川神社を中心に広がっている。水仙公園とも呼ばれ、春には一面に数種の水仙が一斉に咲き、桜の開花時には見事な競演を織りなす。
◇住所:久遠郡せたな町北檜山区丹羽14-63。
◇電話:0137-84-5111。

大成町郷土館
 大成町の歴史は古く、遠く嘉吉年間(1441〜1443)まで遡る。厳しい労働条件の中で、力強く生き抜いた祖先の人々の使用した漁具、農具などの生活必需品や古文書などが展示され、当時の生活を偲ぶことができる。
◇住所:久遠郡せたな町大成区都386。
◇電話:01398-4-6161。

山岳霊場「太田神社」
 断崖絶壁にそびえる太田山(485m)に北海道最古の山岳霊場「太田神社」がある。航海の安全と霊神の加護として信仰され、道南5大霊場の一つ。山頂の本殿(大権現)までは、40度の急勾配を6本の鎖を登って本殿に着く。
◇住所:久遠郡せたな町大成区太田17。
◇電話:01398-4-5152(久遠神社)。

定燈篭(じょうとうろう)
 安政4年(1857)に建立された北海道最古の定燈篭を復元したものである。高さ1.3m、幅40cmの青銅製。太田山神社拝殿の崖に淡くともる灯が幻想的に往時を蘇らせる。また、隣接して太田展望台があり、太田山、太田神社、大成海岸が一望できる。
◇住所:久遠郡せたな町大成区太田。
◇電話:01398-4-5511。

奇岩「親子熊岩」
 飢餓に苦しむ親子の熊が海に転落して命を落とし、それを見ていた海の神様が、親子熊を哀れんで親子の深い愛情をかわす姿をそのまま岩に変身させたとの言い伝えの親子熊岩である。大成町のシンボルとなっている。
◇住所:久遠郡せたな町大成区長磯。
◇電話:01389-4-5511。

奇岩「親子熊石」と「タヌキ岩」(2007年11月撮影)





 開拓の功労者の今村藤次郎と金森石郎両氏の頭文字を組み合わせたもの。日本海の内浦湾に囲まれた檜山管内唯一の内陸地域、縦貫する国道230号線のほぼ中央部に位置している。気候は一年を通じて比較的温暖であるが、山岳部は冬の積雪が多い。内陸性気候ならではの農産品や清流後志利別川、秘湯奥美利温泉など、美しく豊かな自然を生かした観光資源に恵まれた町である。
いまCh.

デ・モーレンいまかね
 今金町のシンボル。デ・モーレンはオランダ語で「風車」を意味する。チューリップの街、オランダの風景が思い浮かぶような風車が市街地の中心部にさわやかな風を受け回っている。展望台からは、パッチワークのような街の田園風景が楽しむことができる。
◇住所:〒049-4308 瀬棚郡今金町字今金142-39。
◇電話:0137-82-3561。

デ・モーレンいまかね(2023年5月撮影)

今金インマヌエル教会
 神丘地区にあるインマヌエルの丘の林間にひっそりたたずむ小さな教会。キリスト教の新天地を求めて入植、そのリーダーの夫人である日本人初の女医・荻野吟子らがキリストの理想郷づくりに夢を向けた地に立っている。
◇住所:〒049-4327 瀬棚郡今金町神丘390。
◇電話:0137-82-2314。

インマヌエル教会(2023年5月撮影)

現地の看板から抜粋(2023年5月)

ピリカ遺跡(国指定・史跡)
 今から2万年から1万数千年前の人々が生活していた旧石器時代の遺跡。長さ30cmを超える槍先形尖頭器や日本最古とされる装身用の玉製品などが出土している。
◇住所:〒049-4151 瀬棚郡今金町字美利河228-1。
◇電話:0137-82-2477。
◇入館料:無料。

ピリカ旧石器文化館(2023年5月撮影)

ピリカカイギュウ
 今金町のカントリーサインに使われているキャラクターのピリカカイギュウは、1983年(昭和58年)、美利河ダムの工事中に発見されたもの。翌年、町民を中心とする発掘団によって発掘調査が行われ、頭骨を含む上半身33個の骨が見つかった。その後の研究で、この化石は、今から120万年前ごろに生きていた体長がおよそ8mと世界最大級のカイギョウであることが分かった。実物大の復元模型は、最初の発見から15年後の1998年(平成10年)に完成させることができた。カイギュウは、人魚伝説で知られるジュゴンの仲間で、浅瀬の海で海草を食べる草食動物。海草を牛のようにもぐもぐと食べる姿から、カイギュウ(海の牛)と呼ばれるようになった。当時の今金付近の海は、浅く冷たく、カイギュウがゆっくりと暮らしていたことがわかる。(いまかね文化財マップから)
◇住所:〒049-4151 瀬棚郡今金町字美利河228-1。
◇電話:0137-82-2477。

ピリカカイギュウの骨格復元模型(2023年5月撮影)

オオシュブンナイの滝
 国道230号線沿いの林道を7km、オオシュブンナイ川の上流にある。シュブンナイとはアイヌ語で「ウグイ川」の意味で、春のうぐいが群れをなして登ったといわれる。18mの高さから落下し、陽光を浴びて虹ができる光景は神秘的でさえある。
◇住所:〒049-4155 瀬棚郡今金町奥沢。
◇電話:0137-82-0111。





 奥尻島は、北海道の南西部(渡島半島)に位置し、檜山管内追分の町・江差町より日本海上61kmに浮かぶ、周囲84kmのやや三角状をなした漁業が主産業の離島である。別名・グルメの島と呼ばれ、うに、あわびを代表に近海で取れる新鮮な魚介類、素朴で荒削りの美しい自然景観と温泉、暖かい人々の人情と暮らし、四季折々の顔がここにはある。まちづくりののテーマ「心かよいあう幸の島 みんなの奥尻」。
奥尻島観光協会

奥尻島

◆なべつる岩
 奥尻島のシンボルとなっているなべつる岩。中心が自然侵食により空洞で、その形が鍋釜の釣るような形に似ていることから、こう呼ばれている。夜はライトアップされ、沖のイカ釣りの漁火とともに幻想的な姿を見せてくれる。
◇住所:〒043-1401 奥尻郡奥尻町字奥尻。
◇電話:01397-2-3456。

鍋釣岩

なべつる岩(2011年8月撮影)

奥尻島津波館
 1993年(平成5年)の南西沖地震にかかわる資料館。館内には災害時の写真やボランティア活動の記録などが展示。立体映像で津波を実体験できる設備を備えている。
◇住所:〒043-1521 奥尻郡奥尻町青苗36。
◇電話:01397-3-1811。

うにまるモニュメント
 21世紀のメッセージを全国から応募し、「タイムカプセル・うにまる」として保管。「うにまる」は、奥尻島名産のウニをモチーフにデザインされ、赤石岬手前のファミリーパークに隣接した高台に設置されている。
◇住所:奥尻郡奥尻町字赤石(うにまる公園内)。
◇電話:01397-2-3404。

南西沖地震慰霊碑「時空翔」
 1993年(平成5年)の南西沖地震による死亡、行方不明者の人方の慰霊碑として徳洋記念緑地公園内に建立されている。慰霊碑の指す方向には、美しくも厳しい広大な海が広がり、慰霊、鎮魂、自然、復興、未来など訪れる人にさまざまなメッセージを伝えてくれる。
◇住所:奥尻郡奥尻町青苗。
◇電話:01397-2-3404。

北追岬公園
 島の西海岸、神威脇漁港近くの高台にあり、彫刻家、流政之氏の作品が建立されている。彫刻「北追岬」は国後島を追われて神威脇地区に入植した島民の望郷の念を表現し、三体の石像は島の過去、現在、未来を表現している。そのほか「回天が原」「神威流」「サキモリ」の5点の作品とともにはるか海の彼方を見つめている。
◇住所:奥尻郡奥尻町字湯浜。
◇電話:01397-2-3404。

賽の河原
 島の北端稲穂灯台下にある道南5霊場の1つで、海難犠牲者、幼少死亡者などの慰霊地。今から500年前の松前藩祖・武田信廣一行が蝦夷地に向かう途中、暴風雨を避けるため、奥尻島に避難した際に、この賽の河原を見つけ、丁寧に法要したと伝えられる。
◇住所:奥尻郡奥尻町字稲穂。
◇電話:01397-2-3404。

1 奥尻島津波館 2 うにまるモニュメント 3 時空翔 4 北追岬公園 5 賽の河原
(2011年8月撮影)

徳洋記念碑
 1880年(明治13年)、当時のイギリス東洋艦隊旗艦「アイヨン・ヂューク」が青苗沖で座礁した際、乗艦していた有栖川宮様が先頭に立って救助されたのを記念して、徳洋記念緑地公園内建立されている。
◇住所:奥尻郡奥尻町青苗。
◇電話:01397-2-3404。



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