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◆空知エリアの見どころ4コマ


◆空知エリアの名所


 北村、栗沢町は、明治中期まで岩見澤村として発展。両町村それぞれが分村の歴史を経て、平成18年(2006年)3月27日再び新しい岩見沢市となった。
岩見沢市観光協会


<旧岩見沢市>
 アイヌ語の地名が多い北海道において、岩見沢は数少ない和名の都市である。1878年(明治11年)に幌内煤田を開採のため、開拓使は札幌〜幌内間の道路の開削に当たり、工事に従事する人たちのため、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれている。当時の人々にとって、この地は唯一の憩いの場所として、「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになったといわれている。

<旧北村>
 1900年(明治33年)7月1日に当時の岩見沢村から分村独立した。道内有数の穀倉地帯。北海道の中央、空知支庁管内の南西部にあたり、石狩平野のほぼ中央に位置し、札幌市まで約50kmの距離、東南にわたって一直線に岩見沢市と接し、北東は道道峰延月形線を境に美唄市と隣接している。石狩川を境に北は月形町、西は新篠津村、南は江別市に隣接している。石狩川を斜辺、岩見沢市との境界線を底辺とする3.6定規形に近い三角形をなしている。石狩川流域の平坦な沃野で、海抜最高地点で14.5m、最低地点は6.4mで、その差わずか8.1mにすぎない。

<旧栗沢町>
 町名の由来はアイヌ語の「ヤムオナイ」(栗の多い沢の意)の意訳による。かつては万字炭山があったが、 現在は炭鉱の衰退により、基幹産業は農業へ転換した。道央栗沢工業団地がある。


◆いわみざわ公園
 いわみざわ公園は、岩見沢市の南東部の丘陵地帯にあり、約183haの広さを持つ大規模都市公園である。公園内には、北海道グリーンランドのほか、バラ園(色彩館)や野外音楽堂キタオン、岩見沢郷土科学館などの施設、キャンプ場やパークゴルフ場などがある。
<バラ園>
 約630品種8,800株のバラとハマナスが植えられている。入園無料、無料駐車場完備。
◇住所:〒068-0833 岩見沢市志文町794。
◇電話:0126-25-6111。

岩見沢公園のバラ園(2022年6月撮影)






























◆ジンギスカン鍋アートミュージアム◆ジン鍋博物館◆ジンギスカン博物館
 ジンギスカン鍋のコレクション、400枚。ジンギスカン鍋とジンギスカン学術研究の殿堂を目指す日本で唯一の博物館。館長は溝口雅明。元北星学園短大部教員。YOKO-NET (北海道横断異人種交流ネットワーク)代表。NPO法人炭鉱の記憶推進事業団・運営会員・ガイド人。
◇住所:岩見沢市栗沢町万字仲町8番地。
◇電話:090-7054-0971(溝口館長の携帯電話)。
◇開館日:原則として土日(4月〜10月末)。
facebook公式ホームページ


<溝口館長から>
 北海道遺産「ジンギスカン」の鍋コレクションと学術研究の殿堂を目指す。炭鉱閉山の限界集落にB級博物館を作り、人々の記憶に残してもらう。
 北海道民の食文化として定着し、北海道遺産にも指定されているジンギスカンはいわば無形文化財である。この博物館では、有形資料としてのジンギスカン鍋を蒐集し、その起源と変遷を実物展示により広く一般市民に啓発し、ジンギスカンの歴史や文化により一層の親しみを持ってもらうことを目的とする。さらに、鍋の形状、紋様、デザイン、意匠などをアートとして捉え直し、食と学びとアートを融合する博物館を目指す。併せて、ジンギスカン関連資料・文献・ビデオ等の展示も行い、ジンパ学/ジンギスカン学術研究の殿堂となれるよう高い志をもって運営にあたる。


ジンギスカン鍋アートミュージアムと溝口館長(2021年8月撮影)

玉泉館跡地公園
 玉泉館跡地公園は、1904年(明治37年)から1979年(昭和54年)まで温泉旅館「玉泉館」の庭園として親しまれていた跡地を市民の憩いの場として利用できるように改修・整備された日本庭園。古からの名所として知られ、秋には紅葉が楽しめるなど四季を通して趣を変えるその風情は、貴重な財産となっている。池を中心に、季節のよって彩りを変える木々が適所に配置され、公園内を周回できる散策路や、あずまやも設けられている。また、太鼓橋で結ばれた中島には本格的な茶室も建てられ、静かな庭園の中で茶の湯を楽しむことができるようになっている。
◇住所:岩見沢市東山3丁目3-1。
◇開園期間:4月29日〜11月3日。
◇電話:0126-24-4255。


紅葉の玉泉館跡地公園(2015年10月撮影)

利根別原生林(利根別自然公園)
 市内中心部にほど近いところの利根別原生林は、原始の姿をそのまま残している。休養林に指定された大自然には、さまざまな動植物が生息している。毎年、休憩施設のウォーキングセンターを拠点に、自然にやさしい遊歩道を散策しながら、野鳥や野草の観察を楽しめる。
◇住所: 岩見沢市緑が丘。
◇電話:0126-32-2488。

◆ばんえい競馬岩見沢
 白熱したレースと馬とのふれあいが楽しめる。

北海道グリーンランド遊園地
 人気の高い遊具など52機種が配備され、毎年いろいろなイベントが行われる。
◇住所:岩見沢市志文町1015番地いわみざわ公園。
◇電話:0126-22-2121。

北海道グリーンランド遊園地(2021年8月撮影)

スパ・イン・メープルロッジ
 本格的なログハウスで、天然温泉と北欧風のサウナ、さらに、地元の新鮮な食材を使った自慢の料理が楽しめる。
◇住所:岩見沢市毛陽町183-2。
◇電話:0126-46-2222。
 
◆ドカ雪まつり(2月)
 ドカドカ降る雪を吹き飛ばす「ドカ雪まつり」が駅東市民広場公園で毎年行われる。
 
◆彩花まつり(7月)
 あやめとバラが満開の7月に行われるあやめとバラのサマーフェステイバル「彩花まつり」。あやめ公園やバラ園、駅東市民広場公園などで多彩な催しが行われる。
 
◆ふるさと百餅祭り(9月)
 直径2.7m、重さ3.5tの世界一大きな臼で重さ200kgの杵を見物客が掛け声合わせて綱を引き1俵の米をつき上げる餅つきである。つき上がった餅は、見物客に配られる。
 (2003市勢要覧から)


栗沢クラインガルテン
 栗沢クラインガルテンは、野菜づくり、花づくりを通して自然と人とのふれあいを深めていくアグリプレーイングゾーンである。滞在型や日帰り型の市民農園をはじめ、花やハーブなどの栽培ゾーン、自然観察の森、いも掘りなどができる体験農園、米づくりを知るための学習田などを備えた道内初の画期的な農業体験施設である。
◇住所:〒068-0111 岩見沢市栗沢町由良563-5。
◇電話:0126-34-2150。


<滞在型貸農園>
◇使用基準:1区画(ラウベ・農園)全27区画。
◇賃貸料(年間):24万円。
◇使用期間:毎年4月1日〜翌年3月31日まで。
◇備考:ラウベ使用にかかわる光熱水費および電話料は実費を徴収。

<日帰り型市民農園>
◇使用基準:1区画(農園)全100区画。
◇賃貸料(年間):1平方m200円。
◇使用期間:毎年4月1日〜11月30日まで。

<体験農園>
◇使用基準:1家族。
◇賃貸料(年間):1作物1,500円。
◇使用期間:毎年5月1日〜10月31日まで。


(左)クラインガルテン (右)クラインガルテン管理棟(土里夢館)(2015年10月撮影)



 空知地方の南部、北海道のほぼ中央に位置。北海道の石炭と鉄道の発祥の地として栄えたまち。エゾミカサリュウやアンモナイトなど多くの化石を産出。


  1868年(明治元年)に、幌内で石炭の炭層の露出面 が発見され、1879年( 明治12年)幌内炭鉱が開坑される。1882年( 明治15年)6月に市来知(いちきしり)村が開村。同年6月、北海道開拓を目的として空知集治監(現在の刑務所)が、市来知に設置。11月には幌内炭坑から掘り出された石炭を 輸送するための鉄道が幌内と手宮(小樽)間に北海道で最初(全国で3番目)に開通 した。1886年(明治19年)には、幾春別炭坑が開坑し、以後石炭のまちとして栄えてきた。 1957年(昭和32年)、桂沢ダムが完成し、桂沢湖が誕生。桂沢湖周辺からはアンモナイト化石や エゾミカサリュウ(国の天然記念物に指定)などの化石が発見され、アンモナイト化石のまち としても注目を集めている。
 空知集治監にあった裏山が奈良の三笠山に似ているという、囚人が望郷の念をこめて当時から三笠山と呼んでいた。1906年(明治39年)、市来知・幌内・幾春別の三村合併のときにこの山の名を取って三笠山村とした。1942年(昭和17年)に三笠町が誕生し、1957年(昭和32年)に三笠市(北海道内で22番目の市)となった。
三笠市の観光

桂沢湖
 桂沢湖は、桂沢ダムの完成によりできた大人造湖。湖の周囲は62kmあり、原始林にかこまれた自然景観の美しいところで、道立自然公園に指定されている。湖畔に宿泊施設・公園・キャンプ場が整備。また、桂沢湖周辺は太古のロマンを秘めた化石の宝庫として有名、アンモナイトやそのころの生物の化石がこの地で多数発見され、三笠市立博物館に展示されている。
◇住所:三笠市桂沢。
◇電話:01267-2-3997。
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桂沢湖(2005年6月撮影)

◆旧住友奔別(ぽんべつ)炭礦立坑
 北海道開拓史の調査によって、1880年(明治13年)に発見された奔別炭山は、1902年(明治35年)、民間により開坑に着手した。1928年(昭和3年)に住友炭礦株式会社の経営となった。


 1960年(昭和35年)、奔別・弥生両鉱の深部開発を図るためにこの立坑を建設し、同年弥生炭礦は奔別炭礦に統合された。立坑の高さは50.52mで規模、設備とも当時では東洋一と言われた。一つの立坑で人間、石炭、資材を並行して昇降させるこのシステムは国内初の試みであった。1971年(昭和46年)9月、奔別炭礦は住友石炭鉱業株式会社の合理化で同社より分離の上、奔別炭礦株式会社として新発足したが、直後の10月に閉山、69年の歴史を閉じた。閉山が決まり、坑口の密閉作業が終えたばかりの立坑で、大音響とともに外壁が吹き飛ぶほどのガス爆発が起こり、立坑付近で機械撤去をしていた作業員に死傷者を出す事故が発生した。
◇住所:三笠市奔別町260。
◇櫓の高さ:50.52m
◇立坑構造:深さ750m、内径6.4m
◇昇降機:搭乗人員64人
◇工事期間:昭和31年1月〜昭和35年9月


旧住友奔別炭礦立坑(2005年6月撮影)

◆旧幌内炭鉱変電所(電力の先駆けと長距離送電網)
 炭鉱の機械を運転する動力源として最初に実用化されたのは蒸気だった。その後、明治後半から大正にかけて電化が行われ、幌内変電所の建設によって、幌内炭鉱でより多くの石炭をとることができるようになった。電気は夕張の発電所から送られ、幌内や幾春別を経由して歌志内市まで約100km余りに及ぶ長距離自家発電網となり、幌内変電所はその中間に位置した変電所だった。夕張〜幌内間の送電線の鉄塔は今でも数多く残っている。この変電所は、2003年(平成15年)から市民団体によって、散策路などの周辺整備を行っている。
◇住所:三笠市幌内本沢町。


<付記>
 音羽抗の開坑以来、着々と機械化は進められたが、坑内・外の最初の電力源は蒸気であった。1898年(明治31年)、幌内滝の沢発電所で電力による扇風機運転。北炭で初めて電力の使用が始まった。1913年(大正2年)、夕張に中央発電所建設(3年後、清水沢発電所も新設)。1919年(大正8年)、夕張〜幌内間20km、1924年(大正13年)、幌内〜幾春別間8km、神威(歌志内市)間47kmに送電線が設置され、電力量の増大により、炭鉱の機械化は進み、採炭の能率も大きく上がった。この変電所は、レンガ張りコンクリート2階建て。このころ、大正中期以降に建設されたものである。
・1896年(明治29年)、北海道で最初の幌内養老竪坑が開削され、深部の採炭が始まった。
・1914年(大正3年)から炭鉱施設に電灯がつき、2年後ころから炭鉱住宅にも点灯された。


旧幌内炭鉱変電所外観(2020年7月撮影)

◆幌内神社本殿跡(炭鉱の安全祈願)
 古くから多くの鉱山では山神を鎮守の神として祀ることから、北海道の炭鉱でも山神が祀られ、炭山と地域守護の山神信仰が行われていた。幌内神社は、北海道の近代炭鉱発祥の地である音羽坑の上部に位置し、1880年(明治13年)に建立され、1902年(明治35年)に本殿・拝殿・社務所が新築された。1918年(大正7年)に本殿・拝殿が改築され、長く使用してきたが、1989年(平成元年)に幌内炭鉱が閉山となり、現在では建物は残っておらず、鳥居や狛犬(こまいぬ)、灯篭(とうろう)だけが残っている。1882年(明治15年)に榎本武揚(えのもとたけあき)が来訪した際に、「幌内神社」と筆で描いた社号額が残されており、この社号額は三笠市文化財として登録されている。

三笠鉄道村
 北海道の鉄道発祥の地。ここには鉄道の歴史を収めた記念館と当時大活躍の蒸気機関車や各車輌を展示している鉄道村がある。本物のSL、S304号が運行されている。
◇住所:三笠市幌内町2-287。
◇電話:01267-3-1123。

三笠鉄道村(2020年7月撮影)

道の駅 三笠
 国道12号沿いにあり、道の駅として北海道で第1号に認定されたのが道の駅笠です。直径10mの巨大水車の「農の館」が目印で、三笠の農業開拓の歴史を紹介している。他にも市観光協会(特産品販売)やパークゴルフ場、温浴施設がある。

◆天然温泉「太古の湯」
 道の駅・三笠横にある天然温泉「太古の湯」は、樹齢600〜1000年の翌檜(ひば)の主梁と漆喰の壁に囲まれた湯殿が、風情をかもし出す。
◇住所:三笠市岡山1042-20。
◇電話:01267-2-8700。
◇営業時間:10:00〜21:00。

太古の湯(2021年9月撮影)





 道央空知の中心部、石狩平野のやや北部に位置する。総面積は88.5平方km。そのうち約55%が豊な森林におおわれている。気候は比較的内陸型で、夏の最高気温は、30度C・平均で20度C前後、冬は最低で-15度C・平均-5度C前後、積雪は例年11月下旬から見られ、1m前後を記録している。町名 「奈井江」 の語源は、アイヌ語の 「ナヱ」 より転化したもので、砂多き川という意味で、町を奈井江川が東西に横切る。
奈井江町観光協会

◆不老の滝
 市街地から18kmの地点、高さ45m、幅10m。これに通じる林道は、道々奈井江停車場を経由して整備されているが、ヒグマの生息地でもあるため、入林には注意が必要。
◇住所:〒079-0300 空知郡奈井江町東奈井江328番地。
◇問い合わせ:0125-65-2151。

◆新ないえ温泉 ホテル北乃湯
◇住所:〒079-0302 空知郡奈井江町字東奈井江162番地。
◇電話:0125-65-3232。
◇泉質:含硫黄−ナトリウム−炭酸水素塩泉。
◇効能:慢性皮膚病・冷え性・高血圧症・動脈硬化症・糖尿病・痔疾・神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・慢性婦人病・きりきず…。

道の駅 ハウスヤルビ奈井江
 国道12号沿い。日本一長い直線道路29.2kmのほぼ中間地点に位置する道の駅。ログハウス調の落ち着いた雰囲気の建物である。




 母町の砂川は、アイヌ語で「オタウシナイ」で「オタ」は砂、「ウシ」は多い、「ナイ」は川という意味から砂川と命名され、砂川の上流にあることから_  道央空知支庁管内のほぼ中央に位置し、歌志内市、砂川市、奈井江町、芦別市と境を接している。


 東部は重畳たる夕張山脈が南北に走り、次第に西方に傾斜しながら、石狩平野に連なっている。辺毛山に源を発し、西流して石狩川にそそぐパンケウタシナイ川が町の北部を貫流して大きな沢をつくり、本町はその沢沿いにある集落と、南東の山岳地帯で形成されている。気候は南北の山が強風をさえぎり、温暖で降雪量も比較的少なく、住み良い恵まれた自然環境にあるといえる。
 1887年(明治20年)に上砂川炭田が発見され、その後1899年(明治32年)に福井県鶉村からの開拓者山内甚之助氏ほか8人によりこの地に鍬が入れられたのが発祥で、1928年(大正3年)には石炭社である三井鉱山株式会社が起業した。以来炭鉱の町として発展し、1949年(昭和24年)には当時の砂川町、歌志内町の一部を分割して「上砂川町」誕生した。その後、出炭量も増加し、1952年(昭和27年)には最大人口の3万2,103人を数えたが、1987年(昭和62年)7月に閉山となり、73年の炭鉱の歴史に幕を閉じた。
上砂川町の観光情報


旧三井砂川中央竪坑(旧地下無重力実験センター)
 上砂川町の発展に欠かすことのできない「炭鉱」が存在した証。炭鉱の閉山後、地下無重力実験センターの実験棟として転用され、その後実験センターも廃止となったが、空高くそびえる塔の姿は、現在も上砂川のシンボル的存在となっている。
◇住所:〒073-0200 上砂川町上砂川7。

旧三井砂川中央竪坑と上砂川町無重力科学館(左)(2023年3月撮影)

旧上砂川駅(悲別駅)
 上砂川の輸送拠点の中心を担い、上砂川発展の礎となった上砂川駅。現在はドラマ「昨日、悲別で」の悲別駅となったことにちなんだ資料館になっている。空知郡上砂川町上砂川中央。
◇住所:空知郡上砂川町中央北1-1。

悲別駅(旧上砂川駅)と悲別〜かなしべつ〜(歌手・川野夏美)ポスター(2014年6月撮影)

◆上砂川岳温泉パンケの湯
 豊かな自然と大地からわき出る温泉で、宿泊ができる。
◇泉質:ナトリウム一炭酸水素塩冷鉱泉。
◇住所:〒073-0200 空知郡上砂川町字上砂川65番地106。
◇電話:0125-62-2526。
◇日帰り入浴:平日:10:00?22:00。土日祝日:9:00?22:00。
◇料金:大人500円、小人300円。

上砂川岳温泉パンケの湯(2014年6月撮影)



 市内を西に向かって二分して流れるペンケウタシュナイ川の名に由来し、アイヌ語で「砂のたくさんある沢」という意味である。明治24年(1891年)に北海道炭鉱鉄道株式会社の鉄道開通の際、その意をとって「歌志内」と称し、これを地名とした。歌志内市は、北海道のほぼ中央、石狩平野の東北端の山ろく地帯に位置している。


 狭い山あいを東西に貫流するペンケウタシュナイ川の西岸に続く平坦地に、河川と並行して道道(赤平・奈井江線)が縦断し、市街地はこれに沿って帯状に形成されている。
 面積55.99平方km(東西10.3km、南北10.8km)の歌志内市は、その75%を森林が占め、ペンケ山を主峰とする東部と南部は、ほかの600m前後の山々を境として芦別市に接し、北部は赤平山、かもい岳を境として赤平市に接している。また、西南部から西部は、次第に開けて砂川市と上砂川町に接している。 気候は内陸性で、四季の変化に富み、美しい自然を織りなしている。過去10年間の年間積雪量は、約8.5mで、その雪質には定評がある。風水害が少なく、安定した生活しやすい気候である。 平成7年(1995年)3月、このまちから最後の炭鉱が消えた。歌志内市は、「炭鉱のまち」から「健康と福祉の里」へと少しずつ生まれ変わっている。坑口から湧き出る鉱泉を利用した温泉施設中心に、多目的トレーニングセンター、デイサービスセンター、いきがいセンター、養護老人ホーム等が立ち並び、健康の村施設ゾーンを形成している。
 産業の大部分を石炭によって占められてきた歌志内市は、産業構造の転換は容易なことではなく、現在も地域経済の立て直しが最重要課題である。なかでも企業誘致は、地場産業の創出、雇用の場の確保など地域経済の活性化に欠かせない。平成7年より分譲を開始した文珠団地は、道央・道北・道東を展開の視野に入れた中小企業事業者に最適の工業団地として注目を集めている。日立グループと国、道、市により設立した株式会社エコバレー歌志内、国内でも先駆的なリサイクル発電施設として平成14年(2002年)10月から操業を開始。あわせて廃熱を利用する新たな事業の進出に、地域の大きな期待が寄せられている。石炭に代わる新たな産業の創出に向け、既存企業や進出企業への助成や人材育成を図り、確かな明日を開くために積極的なアプローチが展開されている。市勢要覧から
歌志内市の観光案内


◆しょってけ祭り
 歌志内の夏を彩る市民まつり。「しょってけ」という名前には、まちの振興と発展を願い、歌志内をみんなで「背負っていこう」という意味がこめられている。手作り露店が並ぶワイワイ広場は、子供たちの笑い声でいっぱい。お祭り広場では、ユニークなゲームがもりだくさん。そして、市民踊りやYOSAKOIIソーラン踊りにたくさんの人が集い、石炭塊を御神体とする勇壮な「石炭みこし」が祭りを最高潮に盛り上げる。

かもい岳国際スキー場
 東ゲレンデ6コース、西ゲレンデ4コースと空知管内最大級を誇るスキー場。斜度7〜31度まで変化に富んだゲレンデは、ビギナーからベテランまで十分満喫できる。施設も充実し、3基のペアリフト、高速Tバーリフトをはじめナイター照明などを設置。チロル風のロッジには、プロショップやレストランなどを完備している。
◇住所:〒073-0404 歌志内市字歌神95-9 。
◇電話:0125-42-2667。

旧空知炭鉱倶楽部「こもれびの杜記念館」
 1897年(明治30年)の建設以来、数多くの来賓の接待に使用され、石炭産業最盛期の栄華を伝え残す建物である。西洋風の本館と数寄屋造りの別館が組み合わさり、和洋折衷の様相を呈しているのが特徴である。
◇住所:〒073-0403 歌志内市本町。
◇電話:0125-42-4223。

◆かもい岳温泉
 エレガントな西洋風ホテルのイメージどおり、リゾート感を満喫できる休養宿泊施設である。娯楽室、研修室、アスレチックルームなど、リラクゼーションに欠かせない要素が完備され、1年を通して多くの人々に利用されている。スキー場のゲレンデまで徒歩3分という近さ。冬は湯治などの保養や休養はもちろん、全国からスキー合宿のため多くの学生が集まる。
◇住所:〒073-0404 歌志内市歌神95-10。
◇電話:0125-42-2717。

悲別ロマン座
1984年(昭和59年)に放映されたTVドラマ『昨日、悲別で』。その舞台となった悲別ロマン座は架空のものであるが、ロケの行われた旧住友上鉱歌会館は、その後まちの若者たちの手によって保存・修復され、今もここを訪れる若者が少なくない。
◇住所:〒073-0401 歌志内市1-1。
◇電話:090-5408-3952。

悲別ロマン座(2014年6月撮影)

道の駅 うたしないチロルの湯
 道道赤平奈井江線の中間に位置し、湯けむりとロマンの里「チロルの湯」の表玄関に建つ。道の駅「チロルの湯」は、冬期間降雪時でも使用できる障害者の方専用の屋根付駐車場、ロードヒーティング舗道が完備。

うたしないチロルの湯
 若返りの湯、美肌の湯として人気の高い「チロルの湯」。野趣たっぷりの露天風呂も完備し、市民はもとより、全道各地からその効能と心の安らぎを求めてやってくる人々でいつも賑わっている。ロマンの里「チロルの湯」は、緑と風の自然の山懐に抱かれた名湯である。
◇泉質:ナトリウムー炭酸水素塩泉。旧炭鉱の採掘坑より毎分650リットル湧出している天然温泉。露天風呂が楽しめるほか、寝湯、サウナ、バブル湯、壺湯などがある。
◇住所:歌志内市字中村78番地3。
◇電話:0125-42-5588。
◇日帰り入浴:06:00〜08:00(朝風呂)。10:00〜22:00。
◇入館料:大人500円 、小人(小学生)以下300円。

うたしないチロルの湯(2012年7月撮影)



 

 札幌圏にあり、大規模ベットタウン造成による田園文化都市を目指す。道内有数の稲作地帯。南幌とは、アイヌ語「ポロモイ」(湾曲してゆるやかに流れる所の意)に由来。夕張鉄道の駅名南幌向(みなみほろむい)より南幌(みなみほろ)とするが、読みにくいため南幌(なんぽろ)と改める。
南幌町観光協会

◆北海幹線用水路
 赤平市から南幌町(7市町)まで延長約80kmにおよぶ北海幹線用水路は、農業専用では日本で最も長い。空知平野の農地に水を供給するために造られ、北海道の穀倉を支える役割を果たしている。1924(大正13)年から4年で完成し、空知川から最大毎秒44tを取水。北海頭首工を起点に、美唄市には調整池が、砂川、美唄、岩見沢市市街地では親水公園が整備されている。2004年(平成16年)、北海道遺産に選定。

南幌町の北海幹線用水路(2022年6月撮影)

◆なんぽろ温泉ハート&ハート
 源泉かけ流し温泉の温浴施設。宿泊もできる。日帰り入浴の方は、無料休憩室がある。
◇日帰り入浴:10:00〜22:00。
◇入浴料:大人650円、小人300円。
◇住所:空知郡南幌町南9線西15番地。
◇電話:011-378-1126。

なんぽろ温泉ハート&ハート(2021年8月撮影)





 「びばい」はアイヌ語では「ピパオイ」といい、「カラス貝の多い所」という意味。北海道の石狩平野のほぼ中心に位置する。面積は277.61平方キロメートル。西側を石狩川が流れ、中央をJR函館本線と国道12号線が通る交通の要衝。
美唄観光物産協会

宮島沼
 北海道のほぼ中央に位置する石狩川の河跡湖沼群の一部。札幌から北東に約45km、美唄市の西端に位置する。見通しの良い浅い淡水湖沼で、周辺には水田地帯が広がる。平成14年(2002年)11月にラムサール条約の「国際的に重要な湿地に係る登録簿」へ登録される。面積は41ha(ラムサール条約登録湿地)。シベリアなど北半球の繁殖地と日本国内の越冬地を往復するガンカモ類、ハクチョウ類の中継地として国際的に重要である。特にマガンの渡来数は5万羽を超え、わが国で越冬するマガンのほとんどが宮島沼を中継地として利用している。
◇住所:〒072-0057 美唄市西美唄町大曲。
◇電話:0126-62-3131。


早春、早朝の宮島沼の渡り鳥(2006年4月撮影)


晩秋の宮島沼の渡り鳥(2019年10月撮影)

◆炭鉱関連施設
 かつて空知地域は、国内最大の産炭地として日本の産業を支えてきたが、美唄では三菱・三井の2大財閥によって炭鉱が栄えた。炭鉱メモリアル森林公園、美唄鉄道東明駅及びSLタンク機関車などによって、現在もなお、こうした炭都の記憶は語り継がれている。また、2007年(平成19年)11月、三菱美唄炭鉱竪抗櫓、三菱美唄炭鉱原炭ポケット、三井美唄炭鉱事務所は、経済産業省の近代化産業遺産に認定された。

◆三菱美唄炭鉱施設跡地
 現在は、竪坑巻揚櫓、電源を管理していた開閉所、原炭ポケットが残るのみ(写真)。出炭量は、昭和初期には年間100万tを越え、三菱鉱業炭鉱の中でも第一位となる大炭鉱であった。その後も、第二次世界大戦をはさみ、発展を続けたが、1955年(昭和30年)代からエネルギー政策の転換により、1972年(昭和47年)7月に三菱美唄炭鉱は閉山した。閉山とともに、美唄駅からここ常盤台まで続いていた美唄鉄道は、60年の歴史の幕を閉じた。2001年(平成13年)10月、空知に残る炭鉱関連施設と生活文化を、次の世代へ引き継ぎたい北海道民全体の宝物として、北海道遺産に選定された。
◇住所:〒072-0000 美唄市東美唄町一ノ沢。
◇問い合わせ:0126-62-3137(美唄市総務部地域経営室)。

旧三菱美唄炭鉱施設(1.竪坑巻揚櫓 2.電源を管理していた開閉所 3.原炭ポケット)
(2020年7月撮影)

安田侃彫刻美術館 アルテピッツァ美唄
 芸術文化交流施設。アルテピアッツァとは、イタリア語で「芸術広場」を意。廃校となった美唄市立栄小学校跡地を中心に、同市出身の彫刻家である安田侃(やすだかん)の作品を配置している。70,000平方mを超す敷地に重さ10数tの大作から、旧校舎に置かれた小品まで40点以上の彫刻がある。旧校舎1階は美唄市立栄幼稚園として使用して2階の教室はギャラリーに、旧体育館はアートホールに再生してコンサートなどに活用している。2016年(平成28年)に博物館法に基づく登録博物館(美術館)になった。
◇住所:〒072-0831 美唄市落合町栄町 。
◇電話:0126-63-3137。
◇開館時間:9:00-17:00。
◇休館日:毎週火曜日、祝日の翌日、年末年始。
◇入館料:無料。

安田侃彫刻美術館 アルテピッツァ美唄(2020年7月撮影)

◆日本一長い直線道路(国道12号線)
 国道12号線は、一直線道路が美唄市光珠内町から滝川市新町まで、計29.2km続いている日本一長い直線道路である。

日本一長い29.2kmの直線道路(国道12号線)2012年8月撮影

◆中村のとりめし
 美唄名物「中村のとりめし」は、明治期に開拓された美唄市中村町に伝わる郷土の味。鶏肉と内臓を醤油で味付けした炊き込みご飯。開拓時代、家で飼っていた鶏をつぶして振る舞った当時の最高のもてなし料理であった。美唄市内Aコープ各店で販売。
◇住所: 〒079-0272 美唄市中村町中央 。
◇電話:0126-69-2562(郷里の味なかむらえぷろん倶楽部)。
<とりめし/美唄観光物産協会>

中村のとりめし(2014年6月撮影)



 「樺戸集治監」が開庁された1881年(明治14年)に空知支庁管内第1号の村として誕生した。月形町はその集治監の初代典獄となった月形潔氏の姓によるもの。


 月形町は、内務省御用掛権少書記官から樺戸集治監(1881年=明治14年〜1919年=大正8年)の初代典獄に任ぜられた月形潔氏の姓を取り、1881年(明治14年)7月1日、空知支庁管内第1号の村として誕生した。樺戸集治監は、明治維新後の新政府が全国多数の国事犯や重罪犯を収容するために、全国で3番目、北海道では最初にシベツブト(現在の月形町)に設置された。この集治監の囚人による農地開墾や道路開削などが礎となり、今日の月形町がある。
◇1882年(明治15年):樺戸、雨竜、上川の3郡役所を月形村に設置。
◇1891年(明治24年):月形村戸長役場設置。
◇1899年(明治32年):浦臼村(現浦臼町)を分離。
◇1906年(明治39年):二級町村制施行。
◇1953年(昭和28年):町制施行。
 月形町は樺戸集治監の設置とともに誕生し、石狩川を母なる川として、肥沃な耕地と自然環境に恵まれた静かな農村として発展してきた。基幹産業は農業で、昭和40年代半ばには、それまで稲作中心であった農業に花き栽培が導入され、現在ではメロンやスイカ、トマト、カボチャなどの果菜や野菜の栽培も盛んに行われている。昭和48年に月形少年院が開院、同58年には月形刑務所が開庁するなど、町民の間には「矯正の町」としての意識も定着している。
◇自然 札幌市の北東約50kmに位置し、母なる川「石狩川」が流れ、約150平方キロメートルの面積を有し、森林が6割、農地2割。と夏は緑豊かで、冬は雪が多い。
◇産業 基幹産業は農業であり、米、切り花、果菜(メロン、スイカ)が主。
◇特産品 切り花、メロン、トマトジュース「おはようトマト」など。
◇観光 旧石狩川(三日月湖)を利用した皆楽公園があり、その一帯に月形温泉ゆりかご、宿泊研修センター「はな工房」、農村体験施設「つち工房」等の観光複合施設がある。

 明治初年からの刑法改定で、徒刑(とけい)・流刑(るけい)囚を北海道に送ることを定めてはいたが、しばらくは旧藩の米蔵やそれまでの囚獄(牢)をその代用としていた。1879年(明治12年)、フランスの中央監獄(メーゾン・セントラル)にならって東京と宮城に集治監を建設し、1880年(明治13年)制定の旧刑法で徒刑・流刑囚を北海道に送ることを明確に規定した。北海道に集治監を建設する目的は、本州から極悪犯や国事犯を遠ざけ、北海道の道路建設や石炭採掘、鉱物採取など開拓の基礎条件を囚人の使役によって整備し、あわせて地域開拓の拠点を集治監に担わせるものだった。そして、1881年(明治14年)樺戸(現月形町)に北海道で最初の集治監が建設され、1882年(明治15年)に空知(現三笠市)、1885年(明治18年)には釧路(現標茶町)に集治監が建設された。
月形町観光情報


樺戸集治監
 樺戸集治監は、明治14年(1881)9月3日に開庁した。旧刑法や改正監獄即に即した本格的な集治監で、未開の北海道の地に国事犯などの重罪人を隔離して開拓に当たらせ、あわせて新天地で囚徒の自力更生を進めようとした。集治監の建設によって初代典獄・月形潔の姓をとって命名された月形村が誕生し、村は集治監を拠点として発展した。
◇住所:樺戸郡月形町1219番地。
◇電話:0126-53-2399。

月形樺戸博物館(2006年6月撮影)

◆囚人棟梁建築の寺(北漸寺)
 1884年(明治17年)月形潔の援助のもと囚人の労役によって仮御堂を建築。明治42年には、高岸石次郎の設計により、毎日70〜80人囚徒が出役して本堂が建築された。曹洞宗永平寺派にして、札幌の中央寺と同格の寺である。
◇住所:〒061-0512 樺戸郡月形町字市南4 。
◇電話:0126-53-2474。

◆囚人棟梁建築の寺(円福寺)
 明治20年に現在地に中嶋布教所を創設。本堂は明治29年に囚徒の手により建築されたものでこの寺は真宗大谷派に属する。庫裡には4代典獄・石沢謹吾揮毫の「速満足」扁額がある。
◇住所:〒061-0511 樺戸郡月形町市北5。
◇電話:0126-53-2504。

皆楽公園
 キャンプやボート遊び、サイクリング、釣りなどさまざまな屋外の遊びができる場所。町民にはイベント会場や憩いの場所として利用されている。へら鮒釣りでも有名な場所である。
◇住所:〒061-0502 樺戸郡月形町北農場1。
◇電話:0126-53-2577。

月形温泉ゆりかごと月形温泉ホテル
 泉質は、塩化物泉(低張性弱アルカリ性温泉)、神経痛・関節痛・冷え症などの効用と美肌作用があるとされている。横に月形温泉ホテルがあり、宿泊客は、宿泊者専用浴場のほかに、月形温泉ゆりかごを無料で利用できる。毎月第3火曜日は月形温泉ゆりかごは休館日。
◇住所:〒061-0502 樺戸郡月形町81-10。
◇電話:0126-37-2188。

月形温泉ゆりかごと(右)月形温泉ホテル(2022年3月撮影)





 アイヌ語の「ユウンニ」(温泉があるところの意味)がなまったものといわれている。明治25年、戸長役場がおかれ由仁村が誕生した。昭和25年、町制施行。平成14年110年を迎えた。空知管内の最南端に位置するひょうたん型の由仁町は、東西に8km、南北に32km総面積133.86平方km、南北に夕張川が流れ、南東部の森林地帯は夕張山地に属し、西部・南部には、馬追丘陵が広がっている。
由仁町観光協会

ゆにガーデン
 四季折々のカラフルな花やハーブが咲き誇る英国風庭園。レストランも併設。
◇営業時間:4月・5月・10月10:00〜16:00。6月〜9月10:00〜17:00。
◇入園料:大人700円(4月〜9月17日)、850円(9月18日〜クローズまで)。
◇住所:〒069-1218夕張郡由仁町伏見134-2。
◇電話:0123-82-2001。


◇ノットガーデン 小さなツゲの生垣がまるで「ゆびきりげんまん」をしているみたい。
◇スペシャルハーブガーデン 料理用や薬用など、いろいろなハーブの効果や利用法がわかる。
◇ホワイトガーデン 清楚な白い花たち、吹きぬける爽やかな風。恋愛小説でも読みながら、ウトウトとまどろんでみたい。
◇ウォーターガーデン 池のほとりには、?ひめりんご?のような木や湿性植物お花畑に囲まれている。
◇フレグランスガーデン ハーブの鉢植えに触れて、ひとつひとつ香りを楽しめる。
◇ローズガーデン モダンローズとハマナスが色とりどりに北海道らしさを演出している。
◇ベジタブルガーデン コンパニオンプランツという方法で、健康な野菜づくり、野菜とハーブが助け合っているなんて…感じ。
◇ブロードウオーク・花道 園路の両端160mにわたって続く宿根草のボーダーガーデン。すれちがった老夫婦がとっても素敵でした。
◇コテージ バルコニーからガーデン全体が見わたせる。
◇ヒースガーデン 季節ごとに楽しめる、色とりどりのヒース。「嵐が丘」の物語の世界…。
◇芝生広場 雪どけとともに22万株ものクロッカスが見事に咲く。こんなに緑がきれいだとしばらくボーッとしていたくなる。
◇インナーガーデン 広い室内には、外では生育がむずかしい植物が、まるでイギリスのコッツウォルズ地方の小さな広場に迷い込んだみたい。


ゆにガーデン(20013年7月撮影)

















◇  ◇  ◇ 主な花の咲く時期 ◇  ◇  ◇

◇4月 クロッカス、スイセン
◇5月 チューリップ、ムスカリ、ピンクパンダ(イチゴ)
◇6月 クラブアップル、ハマナス、キャットミント、レディースマントル、ワイルドストロベリー、ビオラ、アッツザクラ、ルピナス
◇7月 モナルダ、ローズ、アルストロメリア、アルメリア、ヤロー、ジャーマンカモマイル、ルピナス、ジャーマンアイリス
◇8月 エゾミソハギ、ブットレア、カサブランカ、ヒソップ、フロックス
◇9月 宿根アスター、リンドウ、キキョウ、シュウメイギク、キバナコスモス、コスモス
(ゆにガーデン園内マップから)

ゆにガーデンのクロッカス(2004年4月撮影)

◆ゆにガーデンのコキア
 コキアは、1年草で春に種をまき、秋には枯れてしまう。別名は「ほうきぐさ」。モコモコとした丸いまりものような形をしている。コキアは季節によって見どころが変わり、夏から秋にかけて若草色の緑の葉をつけ、秋から冬にかけて赤く紅葉する。ゆにガーデンでは、2021年にエリアを拡大し、32,000株のコキアを植栽中。

ゆにガーデンのコキア(2021年10月撮影)

古山ため池
 約160本の梅の木が植えてあり、ため池を眺めながら大自然を満喫できる。池には約70種の野鳥も生息し、野鳥観察や花見などができる。明治30年代、水田づくりを行う人が増えたため、由仁村は角田村とともに夕張川をせき止めて造田計画を進めようとしたが、土地が高台で困難であった。このため明治37年、由仁村用水土功組合は古山に大きなため池を造り、水田開発に努めた。この古山ため池は、北海道第1号のかんがい用大貯水池である。
◇住所:〒069-1216 夕張軍由仁町古山430。
◇電話:0123-83-3979。

ユンニの湯
 泉質はナトリウム塩化物・炭酸水素塩鉱泉(アルカリ性低張性冷鉱泉)。地下1,300mより湧き出る温泉は、炭酸水素イオンが多く含まれ、ぬめりがあり、肌がすべすべになり、俗に美人の湯(美肌の湯)といわれている。宿泊もできる。
◇日帰り入浴料金:大人650円、子供350円。(朝風呂5:30〜8:00)。
◇通常営業:夏期(4〜10月)10:00〜22:00・冬期10:00〜21:00。
◇住所:〒069-1218 夕張郡由仁町伏見122番地。
◇電話:0123-83-3800。

ユンニの湯(2012年8月撮影)

◆薫りの里パークゴルフ場ゆにっPA
 ユンニの湯に併設されたパークゴルフ場で戦略性に富んだ36ホール。120mのロングホールと74mの爽快打ち下ろしホールが名物で。アップダウンが多い上級者向けA・Bコースと初心者向けで比較的平坦なC・Dコースがある。軽食・入浴セット券や団体送迎プラン等、各種取りそろえている。
◇住所:〒069-1218 夕張郡由仁町伏見138番地。
◇電話:0123-82-5500。
◇営業時間:4月〜11月 定休日なし(悪天候時は除く)。5月〜10月8:00〜17:00 4月・11月9:00〜16:00。

薫りの里パークゴルフ場ゆにっPA 後方はゆにガーデン 囲み写真は薫りの里パークゴルフ場ゆにっPAクラブハウス横に工夫を凝らした コキアの鉢
(2020年10月撮影)

牛小屋のアイス
 由仁町の細田牧場直営のアイス屋。三川の国道274号沿い。まぜまぜアイスが人気。
◇住所:〒069-1143 夕張郡由仁町中三川219 細田牧場内。
◇電話:0123-86-2848。

牛小屋のアイス(2016年10月撮影)





 本町の西1線北15番地付近に、アイヌ語で「タンネト−」という沼があった。タンネト−とは和名で“細長き沼”という意味で、ここから「長沼」という地名が生まれ、現在はこのタンネト−の碑が残されている。明治20年に一望未開であったこの地に、先人たちが開拓の鍬を入れ、幾多の水害と冷害に見舞われ、苦闘を繰り返しながらも、着実に発展を続けてきた。道内でも有数の米どころ。
長沼町観光協会

ながぬま温泉
 毎分1,865リットルと全道一の豊富な湯量を誇る「ながぬま温泉」には、御影石づくりの贅沢な露天風呂、ジャグジーバス、うたせ湯、サウナなど完備。300人を収容できる広々とした無料休憩室もある。
◇電話:0123-88-3737。
◇住所:夕張郡長沼町フシコ番外地。

ファームレストランハーベスト
 ハーベストは長沼町で5世代に渡りリンゴを作り続ける仲野農園の農園直営レストラン。「ログハウスを建ててみたい」 「それがレストランだったら・・・」 私たちの無謀な夢は、レストラン営業のノウハウも全くないところから始まり、たくさんの方々のご協力をいただきながらファームレストラン ハーベストとして1995年に誕生しました。4年の歳月をかけて自ら手作りしたログハウスで、私たちの農園や仲間たちの農場で採れた新鮮な農作物を使ったお料理を一品一品手作りして、みなさまにご提供しています。ハーベストという名前の由来は英語の収穫(harvest)という意味から。収穫の喜びを私たちとお客様が一緒に味わえたらという思いから名付けました。(ホームページから)
◇住所:〒169-1317 夕張郡長沼町東4線北13。
◇電話:0123-89-2822。

ファームレストランハーベスト(2012年7月、2014年8月撮影)

ハーブガーデン リストランテ クレス長沼店
 「野菜&デザートのビュッフェ」とできたてパスタ、コーヒーやジュースも飲み放題。入店時に支払うシステム。農産物直売所もある。
◇住所:夕張郡長沼町東3線北10号。
◇電話:0123-82-5500。

ハーブガーデン
リストランテ クレス長沼店(2014年8月撮影)

道の駅 マオイの丘公園
 国道274号を車で走り、サイロのようなレンガづくりの素敵な建物が道の駅。室内もレンガで統一されており、サイロの丸みを生かした、明るく開放的。また、全8店舗の直売所を併設し、新鮮野菜を販売している。




 道都札幌市、空港千歳市、港湾苫小牧市に1時間の道央圏に位置し、北は屈足山系と東は夕張山系につづく緩やかな丘陵地帯で、夕張市と接している。南西を蛇行しながら流れる夕張川は、由仁町、長沼町との境界となり、やや南北に細長い町である。昭和24年(1949年)、町制施行。栗山町と改称。昭和63年(1988年)、栗山町開基100年町制施行40年記念式典挙行。


 「栗山」という語源は、アイヌ語の「ヤム_を踏み出した。二級町村制を5年経験した角田村は、1907年(明治40年)に一級町村に昇格しました。昭和に入り、角田炭礦の発展とともに人口は2万人を突破し、1949年(昭和24年)に町制が施行され「栗山町」と改称、1963年(昭和38年)には役場庁舎を角田から栗山へ移行している。
栗山町の観光・魅力


栗山天満宮秋季例大祭
 9月24日〜26日の3日間行われる秋祭り。 毎年300を超える露店が並び、道内屈指の規模を誇る。期間中には、栗山の特産品が味わえる「くりやま味覚まつり」も同時開催される。町内、近隣市町村から多くの人が訪れる。獅子舞や御神輿が町内一円を練り歩く。また、栗山天満宮氏子神輿会 「東風梅(こちうめ)」 も神輿を担ぎ、盛大に執り行われる。


栗山天満宮秋季例大祭で賑わう300を超える露店(2019年9月撮影)

小林酒造株式会社
 のどかに広がる田園、なだらかに連なる丘陵、そして清らかな夕張川。この美しく穏やかな町・栗山に蔵を構える小林酒造は百十余年の伝統を慈しみながら、生命の水を育み続けている。小林酒造は創業明治11年。


 『北海道でしか醸せない、味わえない酒とは?』という答えを長い間一貫して追及してきた。商標の『北の錦』は初代、小林米三郎が北海道のこの地で錦を飾ってやろうという意気込みを表したもの。北の錦のある栗山町は夕張をはじめ旧産炭地に囲まれている。昭和20〜30年に多くの炭坑員に愛されて出荷数をぐんぐん伸ばしていった時代があった。北の錦が東映の大ヒット映画『鉄道員(ぽっぽや)』の本編の印象的なシーンに登場するのも、そういった背景があるからだろう。
 当社の特徴は造り酒屋では極めて珍しい西洋建築のレンガ蔵・札幌軟石の石蔵。一万坪の敷地内には18棟もの蔵が点在し、築100年蔵としては全国でも有数の規模を誇っている。また、地元の方々の力で96年に旧事務所に『蔵元 北の錦記念館』。それに引き続き100年蔵を活用した夕張川眺望テラス付きの『酒の郷なつかしホール・広場』なる屋内外のコンサートホールが誕生。99年の加藤登紀子さんの『ほろ酔コンサート』をこけら落としにさまざまな演奏会が活発に行われている。
 当社の核をなす明治の石蔵とレンガ蔵は夏場にあっても冷房装置なしに室温15度以下を持続できる特殊な蔵である。私たちは、この環境こそが私たち(北の錦)の酒造りの基盤だと認識して酒造りを営んでいる。当社の主流は古酒製品で純米酒は5年、原酒で1〜2年、大吟醸は3年という商品が看板になっている。長く酒を寝かせても着色がほとんどなく、そのかけがえない上品な香りとコクが北の錦の命だと考えている。
 北の錦は、2008年(平成20年)に130周年を迎えた。そして、2008年からは、糖類などの添加物を完全廃止。北海道唯一の100%全商品、本醸造以上の酒造りを実現した。2010年(平成22年)からは100%北海道産米への切替にチャレンジする。地元栗山町は、全国一の米どころ空知の南にある町。お米のお酒の味を、過度のアルコール添加や糖分で、伸ばしていく方法は本意ではない。白米を使う比率を、さらに高めて_  うちの南杜氏は道産米を操る名人、脇田前杜氏に長年にわたり技術を叩き込まれた生粋の道産子。先代の米三郎からの至上命令だった『内地米(山田錦)に負けない道産米酒』。30年間努力してきて、ようやくお客さんに認められようとしている。ここ数年発売している道産米の限定純米酒は全部完売している。道産のお米をつかって良い酒だと褒められるのが一番うれしい。私たちには『北海道の造り酒屋が北海道米を使わないで北海道がよくなるはずはない』って気概がいつもある。農家とのより深いつながりを持って、ずっと頑固で大地にしっかり根を張った酒を造っていきたい。(小林酒造株式会社HPから)
◇住所:〒069-1521 夕張郡栗山町錦3-109。
◇電話:0123-72-1001。



小林酒造(2012年5月撮影)

◆栗山染まりマップ



 北海道のほぼ中央、空知地方の南部に位置し、東西24.9km、南北34.7km、面積763.20平方km。夕張市一帯は夕張山地の豊かな森林や清流に育まれた丘陵で、夕張岳(1,668m)から流れる夕張川とその支流が市内のほぼ中央を貫き、流域に沿って帯状に街が形成されている。


 1874年(明治7年)、アメリカ人鉱山地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンの探検隊が夕張川上流の炭鉱地質を調査、その後1888年(明治21年)、道庁の技師坂市太郎が志幌加別川の上流で石炭の大露頭を発見したことから「炭鉱の街夕張」の歴史が始まった。
 1891年(明治24年)の炭鉱開始以来、炭鉱の街として栄え、1943年(昭和18年)には市制が施行された。一時は大小24の鉱山、人口12万人を数えたが、1965年(昭和40年)代に入って次々に閉山。「炭鉱の街夕張」としての歴史に幕を閉じた。現在、石炭の歴史村にある「石炭博物館」「炭鉱生活館」「模擬鉱」などに、炭鉱の街夕張の歴史や生活が再現されている。
 炭鉱に替わって、夕張の顔となったのが「観光」。かつての炭鉱跡地を利用し、1983年(昭和58年)にオープンした「石炭の歴史村」をはじめ、北海道屈指のスキー場マウントレースイ、ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭をはじめとする多彩なイベント、全国的にその名を知られる銘産夕張メロンを原料とした特産品開発、雄大な自然環境の利用など、いち早く新たな街づくりに着手、北海道に数ある元・炭鉱の街の中で、最も活性化された街として注目されている。(夕張市HPから)
ゆうばり観光協会


 北海道中央部よりやや南西に位置し、三方を夕張山系の山々に囲まれた夕張市。1888年(明治21年)、夕張炭田が発見されてからこの街の発展は始まった。当時エネルギーの主流であった石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれていた。多くの労働者が全国から集まり、最盛期には10万を超える人々で街はにぎわっていた。しかし、農業という面から見たときには、夕張は苦労の多い土地であった。火山灰質の夕張の大地に適した作物は限られている。山間地のため、北海道ならではの大規模農業も行えない。雑穀・豆類・アスパラ、長いもなどの野菜を細々と作るだけでは、生活は成り立たなかった。どうにか農業で生計が立つようにならないか。
 1957年(昭和32年)のある日のこと、地区を回っていた、当時の夕張市の農業改良普及員がひとつの果物に出会った。農家が自宅用に細々と作っていた、「スパイシー」という名のメロンだった。元々夕張では、水はけの良い土地に適するメロンの栽培に取り組んでいた。1923年(大正12年)ころから、数種の栽培を試みていたが、十分な糖度が得られず開発はやがて立ち消えとなっていた。スパイシーは、その中の一種であった。農業改良普及員は、そのメロンに可能性を託した。スパイシーはどのメロンにも負けない、甘く芳醇な香りを持っていた。赤い果肉も、見方を変えれば強い個性になる。あとは甘さだ。十分夕張の特産品になる。夕張の農業に、一筋の希望の光が差した瞬間だった。

「夕張ギング」の誕生

 1959年(昭和34年)、有志が集い、メロンの交配試験が始まった。一番のポイントとなる、交配に使うメロンの種探しは難航した。当時日本にあった42種類のメロンの中から候補に選んだのは、抜群の甘さを持つ高級メロン「アールス」であった。ただ、原種しか交配には使用できないことを知った。ようやくいくばくかの種を手に入れることができた。1960年(昭和35年)6月、交配を行い、10個の実を収穫。翌年春から、初の栽培に取り組んだ。4月でも氷点下を記録する夕張の地では発芽さえも一苦労。ようやく芽の出た苗はビニールで二重にも三重にも覆い、北の地の厳しい寒さから守り抜いた。必死の思いで育てた新品種のメロンは、夏に立派な実をつけた。ジューシーな赤い果肉、うっとりするような豊潤な香り。そしてとろけるような甘み。、という作り手の予想を遥かに超えるメロンに農家は酔いした。「最高のメロンができた。苦労が報われた」。自信満々で夕張メロンを集荷場に持ち寄った。ところが、品質管理の厳しさにたじろいだ。

品質管理こそが「産地の命」

 すべては、農業改良普及員が作っていた、厳しい出荷規格によって、重さ、ネットの張りだけでなく、当時どこの産地もやっていなかった「甘さ」をも加えた革新的な規格の前に、捨てられた夕張メロンの山ができた。厳しい規格は、すべては夕張の農家を、夕張の未来を思うがゆえの決断であった。「品質管理こそが、産地の命」。その言葉に、悔しさに震えていた農家は立ち上がった。美しいネットを出すには、光量の調節がものをいう。甘さを決めるのは温度管理。昼夜問わず、ビニールを開け閉めして温度の調整を行った。畑に寝泊りすることさえあった。姿、香り、味。どれをとっても他に類を見ない、完璧な夕張メロンが実ったのは、その年の8月の終わりのことであった。

カボチャメロンと呼ばれる

 生産組合と農協が一体となり、夕張メロンを作り続けていた1963年(昭和38年)、夕張に大きな地殻変動が訪れた。炭鉱の閉山。夕張の農家は生き残りをかけ、東京への出荷に乗り出した。そのためには輸送問題をクリアする必要があった。夕張メロンは、すばらしい味わいを持つ。しかし、、熟してからの可食期間が極端に短い。当時は東京まで連絡船と鉄道で1週間もかかる時代。どうやって運ぶのか。トラック便,そして冷蔵コンテナを試したが、どれも不可。残された手段は空輸しかない。空輸にかかるコストをどうする。加えて夕張メロンの大きな特長である赤い果肉。まだ知名度は低く、カボチャメロンと呼ばれる始末。

品質への絶対的な自信

 それでも、品質への絶対的な自信があった。「いつか認められるはず」。その一心で、厳しい出荷規格を農家は守り続けた。もちろん宣伝にも力を入れた。ついに東京の有名デパートがギフト商品として取り扱ってくれるまでになった。そして、当時としては前代未聞の流通方法である“産地直送”を敢行した。これによって鮮度・品質保持に道を開いた。こうして1979年(昭和54年)、日本初の産地直送がスタートし、夕張メロンは、北海道の名産品のみならず、日本の夏の風物詩として全国に広く認知されるまでになった。

輝き続ける「赤いダイヤ」

 石炭なき後の夕張の街を支え、「赤いダイヤ」とまで呼ばれるようになった夕張メロン。品種名「夕張キング」。品種の研究はいまだに続いている。ただ、残念ながら「夕張キング」を超える新品種は現在も誕生していない。夕張メロンは、まさに天の恵みといえる産物だった。そして、「日本一厳しい」品質検査は、今も徹底されている。それと忘れてならないのは、生産者の姿勢。夕張メロン組合の発足から50年を経て、農家の世代交代は進みつつあるが、あくまでも生産農家の目標は、「消費者がよろこぶ夕張メロンを作ること」。その努力は誕生から今日まで微動だにしていない。(hpから抜粋)


夕張メロン

◆石炭博物館
 石炭の生成から模擬坑道の入坑体験など、石炭の全てがわかる国内最大の石炭博物館。
◇住所:夕張市高松7番地。
◇電話:0123-52-3456。

◆幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば
 名作「幸福の黄色いハンカチ」のラストシーンの場所に貴重なロケセットを保存し、炭鉱住宅の壁一面には訪れた人達の黄色いメッセージカードが貼られている。
◇住所:夕張市日吉5番地。
◇電話:0123-52-3456。

◆マウントレースイスキー場
 新千歳空港から90分でゲレンデに到着。19のコースバリエーションは初心者から上級者まで楽しめ、アフタースキーには隣接するホテルの温泉でゆっくりくつろぐことができる。
◇住所:夕張市末広2丁目4番地。
◇電話:0123-52-3456。

◆夕張メロンドーム
 夕張メロンとメロン製品の販売及び地方発送をしている。
◇住所:夕張市沼の沢213番地。
◇電話:0123-57-2020。

◆滝の上公園
 滝の上公園は、ポンソウカムイコタン(北方にある神が住んでいるところ、小さな滝のあるところ)と呼ばれ、紅葉の季節は、木々の葉が黄色に色づき水鏡と渓谷の美しさ、澄みわたる空と調和し、素晴らしい景観が描かれる。
◇住所:夕張市滝ノ上5番地。


滝の上公園(2016年10月撮影)

◆滝の上発電所
 滝の上発電所は、大正14年、北炭「北海道炭鉱汽船梶vが社内電力を自家発電で供給するという、当時としては画期的な計画のもとに建設されたもの。夕張川・千鳥ケ滝上流500mの位置に取水えん堤を築いて導水し、滝の落差を利用してタービンを回すシステム。現在でも、出力2,340kwの電力を供給する水力発電所として稼働している。赤レンガ造りの発電所は、当時の代表的な洋風建造物で、全盛期にあった炭鉱の姿を象徴している。
◇住所:夕張市滝ノ上5番地。

滝の上発電所(2016年10月撮影)

シューパロ湖と三弦橋
 2014年(平成26年))に試験貯水が始まる予定の大型多目的ダム「夕張シューパロダム」によってダム湖に沈むことになる旧森林鉄道の「三弦橋」(長さ381m)を、産業遺産として保存するよう学会と市民団体が共同で2011年(平成23年)12月22日、夕張市や道、北海道開発局に申し入れた。


 三角形の骨組みを組み合わせたトラスト構造の鋼鉄橋で、北海道産業考古学会の山田大隆会長らは「独特の構造と造形美は世界的に希少で、景観的にも貴重だ」と、まずは国の登録文化財に申請するよう求めた。三弦橋は夕張市南部の大夕張ダム(1961年=昭和36年完成)のせき止め湖・シューパロ湖をまたぐ橋で、夕張のランドマーク的存在だ。石炭とともに森林資源も豊かだった一帯で、伐採された木の輸送を担った森林鉄道の線路が、大夕張ダムの建設で湖底に沈むことになり、58年(昭和33年)、同鉄道を維持するために造られたのが三弦橋だ。しかし、輸送の担い手がトラックに代わる中、同鉄道は63年(昭和38年)に廃止。橋は足かけ6年しか使われなかったが、二等辺三角形の正面姿やあかね色の7連のデザインがダム湖に映える様子は地元市民に愛されてきた。95年度からは大夕張ダムのすぐ下流でさらに大規模な夕張シューパロダムの建設が始まり、完成後は大夕張ダム、三弦橋ともに水没することが明らかになった。山田会長らとともに市を訪れ、三弦橋と周辺遺産を登録文化財として申請するよう求めた土木学会北海道支部顧問の進藤義郎氏は「鉄道の三弦橋は世界に3例しかなく、ほかの2例はいずれもドイツ。市が財政難の中でも歴史遺産に配慮すれば市のPRになる」と説得。地元の三菱大夕張鉄道保存会の奥山道紀会長は「ほかの鉄道遺産維持とともに市民団体も保存には協力する。補強による水中保存や一部移設などさまざまな方法がある」と話した。鈴木直道市長は「市民に愛されてきた建造物をいかに保存していくかは私の公約でもある。現状を確認して適切な対応を検討する」と答えた。(本田雅和)(朝日新聞2011.12.23付)
◇問い合わせ先:夕張川ダム総合管理事務所。
◇住所:夕張市南部青葉町573。
◇電話:0123-55-5151。


シューパロ湖と三弦橋(2010年10月撮影)

道の駅 夕張メロード
 国道274号沿いの夕張市の南、夕張ICから約1.5kmに位置し、JR新夕張駅とも隣接している。夏の夕張メロンなどを販売。




 北海道のほぼ中央に位置し、東は夕張山系を境に赤平市、歌志内市、上砂川町に隣接した丘陵地帯が続き、西は石狩川を挟んで新十津川町、浦臼町に、北は空知川を挟んで滝川市、そして南は奈井江町に隣接した平地地帯が広がっている。東西に約10.5km、南北に約12.7km、総面積は78.69平方kmあり、市街中心部は平地地帯で南北に細長く展開し、中央には基幹道ともいうべき国道12号のほか、JR函館本線や道央自動車道がそれぞれ南北に伸びている。最も多かったときには4万人を超えていたが、昭和24年(1949年)に上砂川が分町し、直後は2万3,000人台となった。その後、工業の進展に伴い人口が増加。昭和33年(1958年)に市制が施行され、翌34年(1959年)には32,495人と市制開始後のピークに達した。


 砂川の語源は、アイヌ語のオタ・ウシ・ナイを意訳したもの。「オタ」は砂、「ウシ」は多い、「ナイ」は川を意味。石狩川と空知川に抱かれるような地形の砂川には、上流に歌志内を源とする「ペンケオタウシナイ川」と、下流に市街の中央を流れる「パンケオタウシナイ川」があり、アイヌ語の地名「オタウシナイ」が生まれたものと考えられる。昭和49年(1974年)に緑化都市宣言を行い、さらに同59年(1984年)には環境庁から道内初のアメニティ・タウン(快適環境都市)の指定を受けた。 以降、アメニテイ・タウン構想を軸に「公園の中に都市がある、美しいまちづくり」を推進し、市民一人当たりの都市公園面積は163平方m(平成13年3月現在)と日本一を誇っている。 
砂川観光協会


北海道子どもの国
 北海道子どもの国は、昭和49年自然に親しみながら児童の夢と希望を育む場として設置され、面積232.5haという広大な面積を有し、約80科255種の樹木や野草があり、エゾリス、ウサギ、タヌキ、キツネなどの野生小動物もいる自然豊かな道立都市公園である。平成元年7月には、財団法人日本緑地協会と緑の文明学会より「日本の都市公園100選」に選定された。施設の特徴としては、世界の七不思議を縮尺再現した「ふしぎの森」、宿泊研修施設の「北海道立砂川少年自然の家」、全国初めて高速道路でUターンが可能となった「砂川ハイウェイオアシス」などの施設がある。
◇住所:砂川市北光401-1。
◇電話:0125-53-3319。

北菓楼(KITAKARO)砂川本店
 最初は、砂川パーキングエリア「ハイウェイオアシス」への出店。そこは単なるショップの粋を越え、実演コーナーも店舗内に併設した。砂川を原点とした北菓楼が、地元のお客様をはじめ多くの人たちとお菓子づくりを通じてふれあえる場を提供した。そして、札幌市内の有名百貨店や新千歳空港への出店を開始。北菓楼砂川本店には、ショップのほか、喫茶フロアを併設している。
◇住所:〒073-0197 砂川市西1-北19-2-1。
◇電話:0125-53-1515。

北菓楼砂川本店(2015年5月撮影)



 滝川市の語源は、アイヌ語の「ソーラプチ」=「滝下る所」を意。また、空知川の中流には滝のような段差がありアイヌの人々から「ソーラプチペツ」=「滝のかかる川・滝の川」と呼ばれ、滝川という地名がつけられた。1890年(明治23年)北海道庁令第1号によって滝川村戸長役場が置かれたことに始まる。


  この年、北方の警備と開拓のため屯田兵440戸が入植し、同27年には江部乙に400戸の屯田兵が入植して開拓が進められ、これら屯田兵の往来と生活物資の供給、上川道路の開削に伴う資財の供給で滝川は大いに栄えた。1898年(明治31年)上川鉄道の開通、水害の発生で、交通の要衝としての地位を失うとともに水害の被害で大きな打撃を受けたが、1913年(大正2年)滝川と道東を結ぶ上富良野線(現根室本線)の開通によって再びその地位を回復。昭和に入ってから石炭産業の隆盛によって赤平・芦別など産炭地からの石炭をはじめとする物資の輸送が活発になり、滝川市発展の礎となった。
 北海道のほぼ中央部、石狩川と空知川に挟まれた平野部に広がっている。土地はおおむね平坦で、ゆるやかな丘陵地帯。気候は夏と冬の気温の差の激しい内陸性気候で、年平均気温は7度C前後。雪は11月下旬から降り始め、4月上旬まで続く。
たきかわ観光

◆あんどんしぶき祭り
 海道を代表する三大あんどん祭りのひとつ、滝川の夏の風物詩としても親しまれている "しぶき祭" 。迫力ある色鮮やかな山車が13基も練り歩き、「ソーラッチャ、ヨーイヤ、ヨイヤ」の掛け声で踊り子達が乱舞する。

◆全道雪中綱引大会
 全道各地から力自慢の参加者が大集合し、ツルツルの雪上で熱い戦いを繰り広げる。愉快な衣装で登場するチームには「コスチューム賞」、「パフォーマンス賞」もある。 冬の屋外で行われる綱引としては道内最大のイベントで、見ているほうも力が入る。

たきかわ菜の花まつり
 毎年開かれる「たきかわ菜の花まつり」は、ナタネ生産者が手塩にかけて育てた菜の花を間近で観賞できるように、菜の花畑に会場を設け、その周辺には遊歩道を用意。ナタネ油や菜の花オニオンソース、ハルユタカ小麦のラーメンやパン、地元産のアスパラなどを販売するほか、一日限りの催しとして、菜の花天ぷら試食や菜の花餅つき体験、切り花販売なども行われる。
◇住所:滝川市江部乙町3949?14。
◇電話:0125-23-0030(たきかわ菜の花まつり実行委員会事務局)。

丸加高原・菜の花(2010年6月撮影)

滝川・菜の花(2021年5月撮影)

◆丸加高原健康の郷
 丸加高原健康の郷には、丸加高原伝習館(宿泊施設・レストラン「緑風」及び各種体験施設)、グリーンヒル丸加(焼肉レストラン)、オートキャンプ場がある。
◇住所:滝川市江部乙町3949番地14。

丸加高原伝習館(2010年5月撮影)

道の駅 たきかわ
 札幌と旭川を結ぶ国道12号のほぼ中間に位置。国道12号と交差する道道が東西に伸びて、西は国道275号を経由して増毛・留萌の日本海地域に、東は国道38号に接続し、富良野・帯広の十勝方面に通じるなど広域観光の拠点性をも兼ね備えている。






 空知地方の中部に位置。市の中央部に空知川が流れ、国道38号線がほぼ並行して帯状に走る。エルムケップ山(864.5m)の裾野に細長く広がるまち。ピークは昭和34年(1959年)の5万8,713人。昭和28年(1953年)炭坑従事者が1万1,248人を数えた。炭坑が閉山したのは平成6年(1994年)。(赤平観光協会パンフレットほか)
赤平観光協会

◆あかびら火祭り
 夏の宵、市内三方から集められた松明の火によってズリ山に点火。暗闇の中に炎で描かれた「火」の文字がくっきり浮かび上がり、まち全体が熱気に包まれる。火太鼓が打ち鳴らされ、赤フンの若者たちによって火みこしがかつがれ、火よっとこ踊りで盛り上がる。「火噸節」にのって市民踊りがまちを埋め、さらに武者行列、花火大会、川下り、そのほか多彩な催しで3日間が過ぎる、短い北の夏を飾る一大イベント。7月第3金・土・日曜日。 

旧住友赤平炭鉱立坑
 1895年(明治28年)に空知炭礦(歌志内市)の疎水坑が空知川に向けて開設されたのが、赤平最初の炭鉱着工と考えられている。


 その後、1913年(大正2年)に下富良野線が開通し、沿線の炭鉱開発が急速に進んだ。1918年(大正7年)に茂尻炭礦、1937年(手話12年)には豊里炭鉱、1938年(昭和13年)に住友赤平炭鉱、赤間炭鉱と大手4炭鉱が開坑。赤平は石炭産業とともに発展し、1950年(昭和5年)代には鉱業都市としてその最盛期を迎えた。しかし、その後のエネルギー革命により炭鉱の合理化が進み、1994年(平成6年)の住友赤平炭鉱の閉山により約100年に及ぶ炭鉱の歴史に幕が下ろされた。市内には多くの炭鉱遺産が残っており、これらに触れることで、北海道そして日本の近代化を支えてきた石炭産業の歴史や当時の生活を実感することができる。(赤平市HPから)
◇櫓の高さ:43.8m
◇立坑構造:深さ650m、内径6.6m
◇年間揚炭能力:140万t
◇工事期間:1959年(昭和34年)9月〜1963年(昭和38年)2月

 米国地質学者スミス・ライマンは、明治5年から3年間にわたって、北海道の地質調査にあたったが、同行した助手の一人である板(ばん)市太郎は、1886年(明治19年)から20年にかけて空知炭田を調査した。この調査により、上赤平・上神歌志内地区の優良な炭層を知り、1898年(明治31年)に試掘鉱区を取得した。後に坂上赤平炭礦を経営し、炭鉱開発を進めた。しかし、志半ばの1920年(大正9年)に病没。やがて、この優良鉱区は大正13年に坂炭礦が住友合資会社との共同経営を経て、住友坂炭鉱鰍フ主要な鉱区となった。さらに1938年(昭和13年)8月には、住友鉱業叶ヤ平礦業所が設置され、大規模な石炭採掘を開始し、戦時下の重要物資、戦後は日本経済復興の原動力として、石炭は大増産され、赤平一の大型炭鉱へと成長した。住友石炭赤平炭砿の成長とともに、赤平村は農村地域から炭鉱都市へと変貌していった。1955年(昭和30年)代に入り、マイナス(地下)350mから上の炭量は20年間の稼行で枯渇し、さらに深部の開発が必要になった。深部開発により生産規模の開発を図るため、出炭と従業員の搬送のスピード化が望まれ、住友石炭赤平炭砿はビルド鉱として大規模投資に踏み切り、完成以降1994年(平成6年)2月の閉山まで、立坑は31年間、炭鉱都市赤平のシンボルとして稼動してきた。
◇住所:〒079-1143 赤平市赤平485。
◇電話:0125-32-1822。


旧住友赤平炭鉱立坑(2019年10月撮影)

「777段」ズリ山階段
 炭坑のまち赤平の象徴として市内中央に腰を据え、火祭りの火文字の点火の舞台ともなるズリ山。そのズリ山に777段の階段がつくられ、ズリ山階段としては日本一を誇る。頂上の展望広場からは、市内全域はもとより十勝岳、暑寒別岳など、雄大な景色が一望できる。
◇住所:赤平市赤平693-1。
◇電話:0125-32-1821。

ずり山看板とずり山の頂上から赤平市街を望む(2019年10月撮影)

◆日本遺産「炭鉄港」の構成文化財の空知川露頭炭
 2021年(令和3年)、日本遺産「炭鉄港」の構成文化財の空知川露頭炭を直で見ることができる展望デッキ(写真)が完成した。この完成によって、大きく蛇行する空知川の下流左岸に露頭炭層を見ることができる。
◇住所:芦別市滝里町683。
◇電話:0124-24-4111(札幌開発建設部空知川河川事務所)。


 赤平は石狩炭田の北東部に位置するところ。その歴史は、1857年(安政4年)、松浦武四郎が空知川沿いに石炭を発見したことに始まるといわれている。明治の早い時期から炭層調査が行われていたが、実際に採掘されたのは大正になってから。次々に炭鉱が開鉱し、昭和に入ってますます活気づき、1952年(昭和27年)ころ、まちは繁栄を極めた。しかし、その後、石炭政策により、工業のまちへと変革。花づくりやアウトドアスポーツも盛んで、観光のまちとしても知られている。空知川の川岸にしばしば見られる露出した石炭層は、炭都・赤平の素顔と歴史を静かに物語る。(現地の立て看板から)
 日本遺産「炭鉄港」の構成文化財になっている空知川露頭炭。炭層が崖になっているため昨年まではカヌー等での川からのアプローチだったが、2021年からは展望デッキが完成し、大きく蛇行する空知川の下流左岸に露頭炭層を見ることができるようになった(写真)。


空知川の川岸にある露頭炭と看板(2021年7月撮影)

エルム高原家族旅行村
 道央自動車道滝川インターを降り、国道38号線で赤平へ。左に《徳川城(人形工房)》が見えてきたら、《エルム高原家族村》ももうすぐ。カスケードを中心にスポーツ・イベント広場・トリム広場、そして森林浴の森などがあり、ファミリーで仲間同士で思い切りアウトドアを満喫できる。桜満開の春には、ステージで華やかに《春フェスタ》が開かれる。
◇住所:赤平市幌岡町375-1。
◇電話:0125-32-6160。

虹の山荘
 木の温もりを生かしたキャビン6棟には、それぞれテレビや冷蔵庫、電子レンジ、バス・トイレを完備。屋外にはバーベキューが、テーブル・ベンチも備えてある。暖房設備も整っているので、四季折々にエルム高原のすばらしい自然を堪能できる。要予約。
◇住所:赤平市幌岡町377-1。
◇電話:0125-34-2177。

エルム高原温泉・日帰り入浴「ゆったり」
 炭酸ナトリウムとメタ硼酸が、体の芯まで心地よく温めてくれる。野趣たっぷりの露天風呂から泡風呂、打たせ湯、高温風呂、サウナなど大浴場も多彩に。アフターバスは、大広間やラウンジで。また、レストランでは地元の特産物を生かした料理も楽しめる。
◇泉質:冷鉱泉(弱アルカリ性低張性冷鉱泉)、炭酸、水素ナトリウム、メタ硼酸。
◇効能:疲労回復、美肌効果、健康増進。
◇浴室:露天風呂、サウナ、泡風呂、高温風呂、圧中浴付大型風呂。
◇住所:赤平市幌岡町377-1。
◇電話:0125-34-2155。

エルム森林公園
 エルム高原家族旅行村から約12kmほど先のエルム山麓へ。イタヤカエデ、ミズナラ、椎木など直径1mにも達する巨木や、地面をおおうネマガリ竹が原生林の息吹を漂わせるエルム森林公園。小動物や野鳥も数多く生息し、バードウォッチングなどの自然観察に最適。園内には4つの森と散策路、ログ造りのキャビン、研修室などを完備。木製の遊具や自然観察塔(高さ15m)などもあり、遊び感覚にも、本格的な学習研究にもこたえてくれる。また、キャンプに欠かせないテントサイト、照明、給水施設、炊事場などの施設も充実。
◇住所:赤平市幌岡町507番地。
◇電話:0125-32-6160。





 芦別市の人口は、平成7年(1995年)2万2,931人。ピークは昭和30年(1955年)の6万8,091人。1950年代、炭坑従事者が7,500人を超えた。出炭量は昭和41年(1966年)に最高を記録。炭坑が閉山したのは平成4年(1992年)。昭和36年(1961年)に施行された産炭地域振興臨時措置法は、旧産炭地に税制、金融などの優遇措置を設けている。
芦別市観光総合ガイド

◆芦別温泉
 国道452号からちょっと入ったところにスターライトホテル 星遊館(臨時休館)と日帰り入浴専門の公共浴場の芦別温泉がある。緑に囲まれた温泉地。1971年(昭和46年)に閉校した油谷小学校の体育館の下から温泉が湧出していたものを利用、健民センター芦別温泉が1972年(昭和47年)に開業したのが芦別温泉のはじまり。
◇住所:芦別市旭町油谷1番地。
◇電話:0124-23-1155。

◆北の京芦別
 京都の古寺を模したホテル三十三間堂五重の塔としては世界一の高さと広さのホテル五重の塔。2,000人ものお客様を収容できるお祭り広場ではレギュラーショー(毎日開催)のほか、特別歌謡ショー、ものまねライブショーなどの楽しい企画が目白押し。高さ88mの北海道大観音の体内には6階から20階まで各階に8カ所の参詣所がある。この他、日本庭園大浴場、露天風呂「観音の湯」、ギリシャ神殿大浴場、パークゴルフ場、ゲートボール場もある。
◇住所:〒075-0036 芦別市旭町2 。
◇電話:0124-22-3661。

北の京芦別(2007年10月撮影)

道の駅 スタープラザ芦別
 国道452号(国道38号バイパス)沿いに位置。1階は芦別市観光物産センター、2階はレストラン。トイレは「星の降る里」らしく星をかたどったユニークな形をしている。






 明治20年(1887年)樺戸集治監の囚人によって、月形〜晩生内間道路を開削したことにより、未墾の地に開墾の鍬が入り、明治32年に月形村より分村、平成16年(2004年)に開町105年の年を迎えた。本町は、北海道の中西部、空知支庁管内のほぼ中央に位置し、面積101.08平方kmで、樺戸連山と雄大な石狩川に挟まれ、いくつもの川や沼が点在するほぼ平坦な地形で、気候も高温適雨で農業に最適な環境にあるが、冬は雪が多く平年降雪量は13〜14mに達する。
浦臼町観光ガイド

鶴沼公園
 キャンプにボート、テニスコートや遊具と、家族連れからカップルまで幅広くお楽しめる公園。キャンプ場は、オートキャンプ場24区画、バンガロー6棟とフリーテントサイト約80張、さらにコインランドリーや温水シャワーもあり、近くには温泉やレストランもある。道路をはさんで向かいには「道の駅つるぬま」がある。
◇住所:樺戸郡浦臼町鶴沼第2。
◇電話:0125-67-3109(鶴沼公園管理棟)。

鶴沼公園(2006年7月撮影)

鶴沼ワイナリー
 札幌から北北東に62km。石狩川を眺める樺戸郡浦臼町「鶴沼」の南西向きの斜面に広がる、日本でもっとも大きな447haの垣根式の葡萄畑は、まるで海外のワイン産地を思わせる。ここが北海道ワイン株式会社の誇る自社農場「鶴沼ワイナリー」である。
◇住所:〒061-0600 樺戸郡浦臼町於札内428-17。
◇電話:0125-68-2646。

鶴沼ワイナリー(2013年5月撮影)

道の駅 つるぬま
 札幌から北に向かって約65km、国道275号沿いに建つ道の駅。鶴沼公園や温泉があり、道の駅の周辺がレジャー施設となっている。




 植民区画の第1号として、トック原野に奈良県吉野郡十津川村からの集団移住者たちが入植したのは1899年(明治23年)6月のことであった。移住者たちはこの土地を「新十津川」と名付ける。1893年(明治26年)ごろからは自家食用作物以外の換金作物も増え、1897年(明治30年)代に入ると北陸地方などからの移住者により、水稲の作付けも本格化する。夜盗虫の大発生、石狩川の氾濫などの災害に見舞われながらも、着実に農業基盤を固めていった。こうした歩みが明治35年(1902年)の二級町村制施行、1907年(明治40年)の一級町村制施行へと結び付いていく。


 1889年(明治22年)6月、奈良県吉野郡十津川郷一帯を襲った豪雨は死者168人、負傷者20人、流失・全半壊家屋610戸と村が壊滅するほどの大惨事を引き起こした。人家や田畑を押し流され、生活の場を失った600戸2,489人は、新天地を求めて北海道の移住を決意した。
 十津川村は、和歌山・三重両県に接する奈良県最南端に位置する森林と水資源に恵まれた村。面積は672.35平方kmで、奈良県の5分の1の広さを占め、村としては日本一の広さを持ち、林業、観光を主産業としている人口約4,900人の村。本町の開拓の歴史から、私たちは十津川村を「母村」と呼び、児童・生徒の交流や剣道、踊りなどを通じて親交を深めている。十津川村の伝統や文化を受け継ぎ、発展してきたことを大切に、ふるさとの心を共有しながら交流を重ねている。(観光ガイド・新十津川)
新十津川町観光・イベント情報


◆陶芸まつり
 道内各地の陶芸家が集まり、自慢の陶芸作品を展示即売!暮らしに華を添える品をぜひ、新十津川陶芸まつりの会場で探してください。また、見て楽しむだけでなく、つくって楽しむ「陶芸創作体験コーナー」を設置。手びねりで、実際に土に触れて自分だけのオリジナル作品をつくってみませんか。開催中、出展している陶芸家さんがろくろを使って創作実演。この匠の技は必見。会場で陶器を購入した方は、1,000円分で1枚の抽選補助券がもらえ、3枚そろうと町の特産品や陶芸家の作品などが当たるお楽しみ抽選に参加できます。さらに会場では、町内の商店や団体が飲食物・町特産品の模擬店を出店したり、会場横改善センター内ギャラリーでは、陶芸家によるランプシェード展示も行っている。

金滴酒造
 金滴酒造株式会社(きんてきしゅぞう)は北海道樺戸郡新十津川町(中央71-7)の酒造メーカーである。1906年(明治39年)9月10日90人(内発起人9人)で「新十津川酒造株式会社」創立。当時の酒銘は「徳富川」「花の雫」。1917年(大正7年)10月、資本金を3万円に増資、酒銘を「金滴」「銀滴」「花の雫」とし、「徳富川」を廃銘。ピンネシリ山から流れる砂金川の流れから名銘する。1944年(昭和19年)、戦時統制下において広部酒造、今酒造、五十嵐酒造の3社を吸収合併。1951年(昭和26年)11月、社名を「金滴酒造株式会社」へ改称。2008年(平成20年)4月15日札幌地裁に民事再生法の適用申請。
◇住所:樺戸郡新十津川町中央71-1。
◇電話: 0125-76-2341。

金滴酒造(2013年8月撮影)

新十津川温泉(ホテルグリーンパークしんとつかわ)
 「ふるさと公園」内にある源泉掛け流しの湯。宿泊と日帰り温泉。その他にキャンプ場、パークゴルフ場、野球場、テニスコート、サッカー場、温水プール、スポーツセンターなどの施設がそろっている。また、しんとつかわ物語記念館や文化伝習館、登り窯「屯田陶房」などもある。
◇住所:〒073-1106 樺戸郡新十津川町字総進。
◇電話:0125-76-4000。
 

新十津川温泉(ホテルグリーンパークしんとつかわ)(2006年3月撮影)



 深川市は北海道のほぼ中央に位置し、面積約530平方km、東西22km、南北47kmである。本市の北部から南に雨竜川が、南部には、北海道第一の長流石狩川が貫流し、この両河川を中心に両翼に開ける平地に市街地と水田、畑が形成されている。1889年(明治22年)、上川道路(現国道12号(札幌-旭川間))が開通し、同年、華族組合雨竜農場が設立されるなどにより本市の開拓が始まった。1918年(大正7年)、深川村が町制施行。1963年(昭和38年)、隣接4町村が合併し深川市となった。


 また、1970年(昭和45年)多度志町を合併し現在に至っている。JR函館本線・留萌線。国道12号・233号・275号のほか13路線の道道を幹線として市道が縦横に結び、碁盤の目のように形成された道路網は札幌を中心とする道央と旭川を中心とする道北とを結ぶ交通の要衡となっている。深川市の基幹産業は、農業であり石狩川と雨竜川の流域に広がる肥沃な土壌と恵まれた気象条件のもと道内有数の稲作地帯。「ふっくりんこ」、「ななつぼし」などを中心に消費者ニーズに即した生産流通に努め、道内における良質良食味米の主産地として高い評価を受けている。
深川観光協会


セント・マーガレット教会
 1998年(平成10年)9月、深川を一望できるイルムの丘にオープンしたブリティッシュスタイルの教会。建物は、英国の建築家ジョン・ボニントン氏が設計し、ステンドグラスやパイプオルガン、ベンチなどの調度品は、すべて英国から取り寄せたものを使用するなど、本格的な造りになっている。レストランが併設されており、テラスや芝生でパーティーを楽しめる。
◇住所:〒074-1273 深川市音江町777。
◇電話: 0164-25-1022。
◇礼拝堂:100人収容。
◇開館時間:礼拝堂10:00〜17:00。レストラン11:30〜21:00。
◇休館日:毎週火曜日、年末年始(12月30日〜1月1日)。

セント・マーガレット教会(2023年3月撮影)
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セント・マーガレット教会(2023年3月撮影)


◆まあぶオートキャンプ場
 2000年(平成12年)7月、緑豊かな音江山ろくの自然を満喫できる野辺地キャンプ場跡地にオープンした。道央自動車道の深川ICから車で1分、アグリ工房まあぶから専用通路で徒歩5分の距離にあり、約6haの敷地に56台分のカーサイトや6棟のコテージ、センターハウスなど充実した設備がある。キャンプ場の近くには、水遊びが楽しめる「イルムの滝」がある。
◇住所:深川市音江町音江459-1。
◇電話: 0164-26-3000。

グリーンパーク21
 みどり館・じゃぶじゃぶ池 ・せせらぎ水路 ・修景池 ・散策の森見晴らし台・さわやかトイレ・駐車場・バリアフリー設備。
◇住所:深川市緑町17番。
◇電話:0164-22-1123(みどり館)。

◆元気村ライスターミナル
 北育ち元気村ライスターミナルを核に「売れる米づくり」を目指し、食味・品質の向上と広域による有利販売に取り組んでいる。深川市メム10号山3線。

大國神社(猩々獅子五段くずし舞)
 例年9月に大國神社例大祭で、市指定無形文化財の猩々獅子五段くずし舞いが行われる。
◇住所:深川市一己町字一己2400番地。
◇電話: 0164-23-4654。

道の駅 ライスランドふかがわ
 札幌と旭川を結ぶ国道12号と留萌・増毛方面への基点となる国道233号が交差する地点に位置する。温泉施設を併設した都市農村交流センター「アグリ工房まあぶ」やオートキャンプ場等の施設への入口になっている。

深川名物・ウロコダンゴ
 国鉄留萌線開通記念として記念団子を製造したのが始まり。名称を「椿団子」として販売したが、当時の駅長が椿修三という方で、「どうも僕の苗字の下に団子をつけて大声で“椿団子”と売られるのは変だから」と言われので名称をいろいろ考えた。当時、留萌沿線は、鰊の大豊漁で深川に到着する列車はウロコだらけの状態。それで団子の形も三角形のウロコ型であり、いっそうのこと“ウロコダンゴ”にしたらということで、椿駅長から頂戴したありがたい名称となった。独特の高圧蒸気により製造しているウロコダンゴを末永くご愛顧のほどお願いします。(しおりより)
◇創業:1913年(大正2年)。
◇住所:深川市5条8番5号(ウロコダンゴ本舗)
◇電話:0164-23-2660。

ウロコダンゴ(2021年9月撮影)





 総面積48.55平方kmと北海道では4番目に小さな山のないまち。すべてが平坦で、南には石狩川、西に雨竜川、北に大鳳川が流れ、耕地には概ね沖積土壌で農地に適している。 裏日本型の内陸気候を示し、気温も夏は30度C、冬は氷点下20度C以下になることがしばしばあり、年間平均気温は6.7度Cほどで、平年の初雪は11月上旬ころ、融雪は4月と約半年間は雪の中の生活となる。
妹背牛町観光情報

妹背牛温泉ペペル
 ペペルとはアイヌ語の“PE”(ぺ)「水」と“PERU”(ペル)「泉」を表す。温泉ペペルは豊富で良質な純天然温泉が湧き出しており、1993年(平成5年)の開業以来多くのみなさまに愛され親しまれている。庭園を眺めながらの露天風呂は、疲れた心と身体が癒される。
◇泉質:ナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉。
◇適応症:浴用:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、うちみ、関節のこわばり、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、慢性疲労、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病。飲用:慢性消化器病、慢性便秘、糖尿病、痛風、肝臓病。
◇住所:〒079-0501雨竜郡妹背牛町字妹背牛5208番地の1。
◇電話:0164-32-4141。

妹背牛温泉ペペル(2023年3月撮影)

◆遊水公園うらら
 休日の予定が決まっていないなら、迷わずここ。ウォータースライダー、スリーオンスリーコート、そして18ホールのパークゴルフ場。
◇住所:雨竜郡妹背牛町字妹背牛5189番地。
◇電話:0164-32-2063。

◆ミックスカーリング大会
 全道各地からカーリング愛好者が集まり開催されるミックスカーリング妹背牛大会。男女混合で構成されたチームによるカーリング大会で、遠くは稚内市、常呂町、苫小牧市などからも参加者が集まる。男女混合での大会は全道では唯一妹背牛町だけ。2日間レベルの高い熱戦が繰り広げられる。



 明治28、29年(1895年、1896年)に計400戸の屯田兵とその家族による入植によって築かれた町。開拓以来、先祖先人の弛まぬ努力によって、着実な発展を遂げ、道内有数の良質米産地として現在に至る。秩父別の名は、アイヌ語の「チックシベツ」に由来し、「通路のある川」を意。


 本町は、面積47.26平方km、東部に標高120m程度の丘陵地帯があるほかは概ね平坦な地形。北部・西部は、雨竜川に囲まれた稲作を中心とした農業の町。 開拓時に鐘を使って時刻を知らせていた由来もあって、「鐘のなるまち」としてまちづくりを進めており、平成5年(1993年)には開基百年記念塔が建立され、その最上部には国内最大級のスイングベルを設置。 また、近年では「みどりと活力に満ちた未来が見える町」をテーマに都市と農村の交流を積極的に推進している。秩父別温泉「ちっぷゆう&ゆ」をはじめ、パラ圏「ローズガーデンちっぷべつ」や交流体験農園「なつみの里」などの各種交流施設が整備されている。
秩父別町の観光・あそび


開基百年記念塔と秩父別町市街(2013年5月撮影)

◆めぇ〜めぇランド
 めぇーめぇーランドは、動物(羊)とのふれあい型の観光施設。また、施設では羊毛を使った体験メニュー(有料)もある。
◇住所:〒078-2103 雨竜郡秩父別町3条東2丁目。
◇電話: 0164-33-3833。

秩父別温泉 ちっぷ・ゆう&ゆ
 サウナやジェットバス、露天風呂などがある。露天湯殿では陶器風呂、檜風呂などもある。
◇泉質:単純温泉。ナトリウム塩化物泉。
◇効能:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺/間接のこわばり、打ち身・くじき、痔疾、慢性消化器病、慢性皮膚病、病後回復期、疲労回復、健康増進、虚弱児童、慢性婦人病、冷え性、切り傷、やけど。
◇住所:雨竜郡秩父別町2085番地。
◇電話:0164-33-2116。

道の駅 鐘のなるまち・ちっぷべつ
 深川市と留萌市をむすぶ国道233号線を深川市より約10kmの地点。構内には町内を一望できる開基百年記念塔があり、その最上部には国内最大級のスイングベルが設置。隣接する秩父別温泉ちっぷゆう&ゆでは、日帰り入浴や宿泊もできる。




 1889年(明治22年)の華族組合農場による開拓に端を発し、平成元年に開基100年を迎え現在に至る本町の歴史は、まさに農業の歴史でもあった。


 一方、本町のみならず我が国にとっても貴重な自然である雨竜沼湿原を含む一帯が平成2年に暑寒別天売焼尻国定公園に指定され、大勢の観光客が訪れる雨竜沼への玄関口としての顔を見せている。本町は、空知支庁管内の北西、雨竜郡の南端に位置し東は石狩川をへだてて滝川市、南は尾白利加川に沿って新十津川町、東北は雨竜川をへだてて妹背牛町、北は恵岱別(えたいべつ)川を経て北竜町、北西は国定公園暑寒別岳を経て増毛町にそれぞれ接している。本町の周囲を流れる石狩・雨竜・尾白利加・恵岱別の各川の流域は概ね平坦で、肥沃な農耕地3,000haは、本町の富源とのどかな農郷を形成している。気候は大陸性気候で寒暖の差が比較的大きいのが特徴。
雨竜町観光協会

雨竜沼湿原

 道内5番目の国定公園として1990年(平成2年)8月に誕生した暑寒別天売焼尻国定公園。雨竜沼湿原は、その南端に位置します。標高850mの台地に東西4km、南北2kmにわたって広がる雨竜沼。間近に標高1,296mの南暑寒岳をのぞみ、四季折々にすばらしい表情を見せる「雨竜沼高層湿原地帯」は、日光の尾瀬にも匹敵する大スケールの湿原帯です。登山シーズンは、6月中旬から10月上旬。登山口から約4kmの山並みを登りつめると、ゆるく傾斜した湿原に広がる池塘(ちとう)群と高山植物が見られる。


 標高850mの湿原泥炭層にさまざまな形状の大小100余りの沼が点在し、7月上旬〜8月上旬までの短い夏の間には、ミズバショウ、ヒメシャクナゲ、エゾカンゾウ、ワタスゲ、エゾノヒツジグサ、ヒオウギアヤメなど、数多くの高山性または湿原性の植物が咲き誇る。湿原の中には1周約3.5kmほどの木の遊歩道があり、観光ルートのキーポイントになっている。道内外から訪れる観光客は多い。

雪どけのせせらぎに始まる春

一斉に花が咲き乱れる短い夏

寂しげな表情を見せる秋

すべてが白く変わってしまう冬

 その四季を通じて学術的にも貴重な動植物たちの生態が見られる雨竜沼湿原には、本当の大自然が息づいている。雨竜開拓期の面影を偲ぶ史跡公園は、開拓の基礎となった旧蜂須賀農場の跡地を利用したもので、全2.9haの敷地には、開拓の象徴・アカマツの並木をはじめ、緑地が広がっている。
◇住所: 〒078-2600 北海道雨竜郡雨竜町338-2。
◇電話: 0125-77-2211。

雨竜沼湿原ゲートパーク
 町民が自由に植樹できる「記念樹の森庭園」や鑑賞池、町の文化財に指定されている明治27年建築の旧蜂須賀農場事務所を利用した開拓記念館などがあり、町民の憩いの場として広く利用されている。寒別天売焼尻国定公園雨竜沼湿原への登山道入口にある公園。キャンプ場・山小屋(南暑寒荘)・管理棟・駐車場があり、雨竜沼・南暑寒岳への登山はここから始まる。
◇住所: 〒078-2600 北海道雨竜郡雨竜町338-2。
◇電話: 0125-77-2248。

登山道入口ゲートパーク(2013年6月撮影)

雨竜町史跡公園
 本町の開拓の拠点となった、蜂須賀(はちすか)農場の事務所跡をいこいの広場として整備。敷地面積約3ha。芝生広場・運動広場・記念樹の森が、農場事務所跡の建物を囲むように広がる。公園のシンボル「アカマツ並木」は、昭和50年6月に北海道開拓記念保護樹木に指定されている。明治26年、当時雨竜原野開拓に燃える蜂須賀茂韶(はちすかもちあき)氏が、農場創設に必要な用具とともに侯爵家の菩提寺に自生する赤松の苗木を持ち込んで、事務所の通路に植えたものとされている。雨竜市街より約2km道道暑寒別雨竜停車場線沿い。
◇住所:〒078-2600 雨竜郡雨竜町満寿。

道の駅 田園の里うりゅう
 国道275号に面し、雨竜沼湿原への入り口に位置する道の駅。正面玄関までの通路の右側には「雨竜沼自然館」、左側には「特産品直売施設」がある。




 北竜町は北海道のやや中央にあり、空知管内の北部に位置している。国道275号線が南北に、国道233号線と道道94号線が東西に通っており、車で札幌まで2時間、旭川まで1時間です。広さは東西に28km、南北に14kmで、総面積158.82平方kmとなり、暑寒別岳を主峰とする増毛山脈と、その支脈が町内を走り、全面積の70%が山林となっている。海洋性と内陸性の中間型気候で、冬は積雪寒冷で積雪1.5〜1.8m程度であり、道内でも多い方に属するが、夏季は自然温暖な条件に恵まれ南西風が多く、水稲、畑作に適している。


 1893年(明治26年)5月、千葉県の団体入植に源を発し、1899年(明治32年)7月、雨竜町から行政区を分離し、戸長役場を置き、雨竜町の北に位置することから北竜町と称し、その発足をみた。その後、1915年(大正4年)2級町村制施行、さらに1961年(昭和36年)9月に町制が施行され、2001年(平成13年)に開基110年を迎え、現在に至っている。
 また、1960年(昭和35年)の6,468人の人口をピークに過疎化が始まり、その後30年間で半分以下となったが、最近ではゆるやかな減少傾向となっているものの高齢化が進行している状況にある。
 稲作を基幹作目とした農業のまち。水田転作により果菜類やひまわりの作付けも盛んで、北竜メロン、黄小玉すいかは道内でも有数の生産地。ひまわりの作付面積100haは全国一を誇り、最近はひまわりが観光の目玉として一躍脚光を浴び、開花シーズンには20万人以上の観光客が訪れる。
北竜町ひまわり観光協会

ひまわりの里
 国内最大級のひまわり畑でひまわり達が一斉に咲き誇る。最も旬な時期は8月上旬。なだらかな丘一面が100万本のヒマワリで彩られ、光あふれる夏の風景が広がる。
◇住所:雨竜郡北竜町字板谷143-2。
◇電話:0164-34-2082。


7〜8月にかけ見ごろのひまわり(2006年7月撮影)

サンフラワーパーク北竜(2013年8月撮影)

◆三段の滝
 三段の滝は恵岱別ダムより上流約10km、暑寒別岳登山口(暑寒別林道)から約5kmのところ。恵岱別には暑寒別林道を約2kmほど入ったところにある支流より下り入る。林道にはゲートがあるので途中から歩く。後は遡行するだけ。それほど難所はなく滝までは行る。滝は水量豊富で豪快に轟音を響かせているが下からは2段しか見えない。上流にも滝はあるが、これ以上大きな滝はない。一度テレビで放映されたことがあるが、掛け値無しの秘境といえる。
◇住所:雨竜郡北竜町竜西。

◆サンフラワーパーク
 道の駅にもなっている「サンフラワーパーク」の建物の外観は、中世オランダをイメージしており、お洒落な雰囲気があふれている。ひまわりの花や茎などの成分を利用した「ひまわり湯」は、肌が滑らかになると大好評。大浴場や露天風呂、泡風呂、高温サウナをはじめ、充実した施設で疲れを癒してくれる。
◇泉質:ナトリウム塩化物泉。適応症は神経通、間接痛、冷え性、五十肩、関節のうちみ、くじき、こわばり、筋肉痛、疲労回復、健康増進。
◇住所: 雨竜郡北竜町字板谷163-2。
◇電話:0164-34-3321。
◇営業時間:8:00〜22:00。

道の駅 サンフラワー北竜
 国道275号沿い。2頭の龍が守る門の中にそびえるオランダ風の建物。この駅は温泉保養センターと物産販売、宿泊研修施設を兼ねた施設。 特に温泉は観光客ばかりではなく、地元はもちろん近隣市町村から温泉を楽しみにやってくる。目玉は「ひまわり」で、季節には駅の裏手に一面のひまわり畑が見える。




 北海道のほぼ中央、空知支庁管内の北西部に位置する面積287.17平方キロメートルの町。南部の平坦部は、広大な石狩平野の北端の一部で肥沃な水田地帯になっており、市街地や農耕地は、この平坦部を流れる雨竜川や小河川の地域に沿って南に開けている。西部には牧場が広がり、北部、東部は地下資源に恵まれた山岳地帯で、森林が町の8割を占めている。気候は内陸型で四季の区別がはっきりしており、季節ごとに変化のある景観を楽しむことができる。


 日本海より約45km離れた内陸部にある豊かな自然に包まれ、ほたるが飛びかう町、ドラマ「すずらん」の「明日萌」のある町としても有名。本町明治27年富山県人・沼田喜三郎氏が入植したのが始まりで、1947年(昭和22年)に町制施行し、肥沃な水田地帯を走る国道275号とJR留萌本線沼田駅の駅前通りを軸として市街地が形成。内陸性気候で、毎年累積10m程度ある雪を利活用し、「雪中米」などさまざな試みが行われている。
 沼田町へのアクセスは、札幌からは国道275号で約100kmの距離。道央自動車道を利用すると深川インターから国道233号経由で約90分の距離にある。旭川からは国道12号と国道233号経由で約60分。留萌からは国道233号経由で40分の距離にある。現在建設が進められている深川・留萌間高規格幹線道路の沼田インターチェンジが将来完成して沼田・深川間が開通すると、札幌や旭川方面からのアクセスがより便利になる。
沼田町の観光

◆沼田町夜高(ようたか)あんどんまつり
 赤々と夜空を焦がす十数基の巨大なあんどん。勇壮な太鼓の音が響き渡り、威勢のよいかけ声が飛び交う。毎年8月の第4・土曜・日曜日に開催される夜高(ようたか)あんどんまつりは、優雅で勇壮な田祭りとして開拓の祖「沼田喜三郎」翁の出身地である富山県小矢部市より昭和52年に伝承したもの。

 北海道の三大あんどん祭りのひとつに数えられる。そのあんどんの製作は、6月初めから約3カ月近くかけて行われる。竹細工で籠や御所車などを型どって電球を仕込んで紙を貼り、ロウ引きをして秘伝の色で彩色。そして山車、傘鉾、田楽、台により組み立てられた夜高あんどんは、高さ7m、長さ11m、幅3m、重さ5tと迫力満点。
 この一連の作業は、保育園児からお年寄りまで参加者の手作業で行われ、文字通り手作りのお祭りだ。祭り当日、日暮れとともに太鼓や笛と踊りの前ぶれで巨大なあんどん十数基に一斉に明かりが灯されると、街はたちまち不夜城と化す。「ミスあんどん」披露パレードが祭りに花を添え、露払いの角あんどんと裁許(あんどんの舵取り役)の「ヨイヤサッ」という威勢のよいかけ声に導かれ、黒装束の引き子があんどんを引き回す。あんどんの後ろから唄やかけ声で引き回しを盛り上げるのは若頭だ。振舞連が日本酒を見物客に振る舞い、はしご連は行く手をさえぎる電線を持ち上げて「早く通れ〜!」と声を張り上げる。跳ね踊りには見物客も飛び入り参加し、巨大なあんどんのぶっつけあいで祭りはクライマックスを迎える。夏の夜2日間、極彩色の一大絵巻が沼田の街でホットに繰り広げられる。
◇電話:0164-35-2231(夜高あんどんまつり実行委員会)



第37回沼田町夜高あんどんまつり(2013年8月撮影)

<図解・これが夜高だ>(NUMATA TOWN INFORMATION)

◆雪山センタープロジェクト
 「沼田式雪山センター」は、冬は雪捨場、夏は雪利用施設のための冷熱エネルギー供給基地として利用される、冬場の雪対策と雪の利用を結びつけた取り組みである。雪山にバークを被覆することで夏まで大量の雪を保存することができる。雪はエネルギー利用だけでなく、雪に親しむイベントなどにも利用される。【沼田式雪山センター概要】 貯蔵量5,000t。雪の販売価格1t 1,000円(輸送費別)。

◆スノークールライスファクトリー
 世界で初めて米の貯蔵に雪冷房を活用した施設。2,500tの籾(モミ)を1,500tの雪冷熱により、2,500tのモミを低温貯蔵することができる。「雪中米」は、同施設でモミのまま貯蔵され、出荷直前にモミすりを行うため、いつも新米の味と香りを味わうことができる。

スノークール
ライスファクトリー
雪中米

◆沼田町牛肉祭り
 毎年8月の第4日曜日、市街地の一望する五カ山模範牧場で開催される沼田町の一大味覚祭り。町内外から約5,000人が集まり、青々とした丘の上で町特産の高級和牛・黒毛和牛の焼肉に舌鼓を打ち、会場に設けられたステージで催されるコンサートやアトラクションなどを楽しむ。

ほろしん温泉ほたる館
 ほたるが棲む大自然の中で、川のせせらぎと山々の深い緑を楽しみながらのんびりと入浴する露天風呂。美しい白樺林を通り、山あいに湧くほろしん温泉は、1907年(明治40年)ころに発見されたといわれている。特に美肌の湯として古くから利用されてきた。木々の緑が目に優しし、レストランや23室を有する7階建ての「源氏の宿」、創業の面影を残す「平家の宿」からなり、大浴場「ほたる湯」は開放感あふれる窓の下には渓谷が広がり、サウナや水風呂、北海道で初めて導入した温熱療法温浴ミストの岩盤浴「健康殿」も完備し、都会の喧燥を離れ心身ともにリフレッシュできる。夏には、源氏蛍の飛翔が目の前で観賞できる。
◇泉質:単純硫黄冷鉱泉。
◇効能:皮膚病・リュウマチ・神経痛・糖尿病。
◇住所:雨竜郡沼田町幌新377。
◇電話:0164-35-1188。

ほろしん温泉ほたる館(2013年8月撮影)

明日萌(あしもい)駅(JR恵比島駅)
 1999年(平成11年)に放映されたNHK朝の連続テレビ小説「すずらん」の主人公である《萌》は、明日萌という小さな駅(架空の駅)で駅長に拾われ、さまざまな逆境を乗り越えて成長していく。その物語の舞台となるのが、JR留萌本線の恵比島駅。


 恵比島駅が選ばれたのは、線路がどこまでも一直線であること。 昭和初期にあっては困るような現代的なものが駅周辺にはないこと、駅前の広場と道路がメインストリートとしての雰囲気がある、といった理由から。実際の恵比島駅は1910年(明治43年)12月に開駅、1965年(昭和40年)9月に駅舎が改築され、その後、1986年(昭和61年)11月に駅舎が取り壊され、緩急車を改造した簡易駅舎が置かれた無人駅となった。今回ドラマを撮影するにあたり、その簡易駅舎を古材で覆い、その横にドラマのための昭和初期の駅舎が再現された。明日萌という地名は、物語のためにつけられた架空の地名で、アイヌ語のアシリ・モイ(新しい淀み・新しい淵)に由来している。そして、少しでも明日への希望を持てるようにという意味を込めてこのような漢字をあてた。実際はこのような駅名は存在しないが、主人公《萌》が前向きに生きていく様子がこの駅名に表れている。
◇住所:雨竜郡沼田町恵比島。

明日萌駅(2013年8月撮影)



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