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《6市1町1村》


◆石狩エリアの見どころ4コマ


◆石狩エリアの名所


旭山記念公園から望む札幌市内(2021年4月撮影)

 石狩平野の南西部に位置する札幌市は、1922年(大正11年)8月1日の市制施行以来、近隣町村との度重なる合併・編入によって、市域を拡大してきた。1970年(昭和45年)には人口が100万人を突破し、2年後の1972年(昭和47年)に政令指定都市へ移行した。2023年(令和5年)現在196万人。札幌の名の語源については、アイヌ語の「サリ・ポロ・ペッ」(その葦原が・広大な・川)とする説と「サッ・ポロ・ペッ」(乾いた・大きな・川)とする説などがある。札幌市は、1869年(明治2年)の開拓使設置以来、北海道開拓の拠点として発展し続けている。10月下旬には初雪が見られ、12月上旬には根雪となる。12月から2月の冬季は、最深積雪は約1m、ひと冬の降雪量は約5mに達する。
さっぽろ観光ガイド ようこそさっぽろ
札幌観光協会
定山渓観光協会

◆北海道百年記念塔
 札幌市、江別市、北広島市にまたがる野幌森林公園の一角(札幌市厚別区)に建つ北海道百年記念塔(全高100m、展望室床面23.5m)は、昭和43年(1968年)に建てられた。塔の設計は、全国から公募された299点の中から北海道今金町出身の井口健さんの作品が採用された。外壁は、厚さ4.5〜6.0mmの耐候性高張力鋼板で覆われ、鉄骨なども含めた鋼材の総使用量は約1,500t。工費5億円。正面幅は基部が64m、頂部6.78mの2次曲線によって構成された空を突き刺さんばかりのフォルムは、未来への発展性をシンボライズしたもの。展望室への入場は無料。冬期(11月上旬〜4月上旬)は閉鎖。
◇住所:札幌市厚別区厚別町小野幌53-2。2019年(平成31年)2月に老朽化のため解体の方針を決定。


北海道百年記念塔(2015年5月撮影) 解体中の北海道百年記念塔(2023年3月撮影)

北海道百年記念塔が跡形もなくなり、整地作業の段階に入っていた(2023年10月撮影)

産経新聞 2022年(令和4年)9月14日水曜日付 正論
北海道開拓の歴史を抹殺するな
新しい歴史教科書をつくる会副会長 藤岡 信勝


 北海道の球団、日本ハムファイターズは新千歳空港内に「北海道は、開拓者の大地だ。」というフレーズの広告を出した。フロンティアと野球選手のチャレンジ精神を結びつけたのだ。
 ところが、アイヌ団体からの抗議で球団は広告を撤回し、謝罪してしまった。7年前、2015年の出来事だ。当時すでに「開拓」を禁句とする「閉ざされた言語空間」が北海道内につくられていたことをこのエピソードは物語る。

〈北海道百年記念塔の解体〉
 札幌市と江別市、北広島市にまたがる道立野幌森林公園に、北海道百年記念塔という美しい建造物が建っている。蝦夷地が北海道と改称された1869年(明治2年)から100年を記念して企画され、1970年に完成した。
 設計コンペの結果、299作品の中から採用された井口健氏のデザインは、見事な幾何学的曲線からなり、高さは100m。北海道開拓に血と汗を流した祖先への感謝と慰霊、そして明るい未来を展望するという建設の趣旨は道民に指示され、総工費5億円の半分は道民の寄付でまかなわれた。
 記念塔は札幌駅からも遠望できるランドマークとなっており、周辺の多くの小中高校の校歌・校章にも使われている。それはすでに北海道の歴史の一部として定着しているのである。北海道に生まれ育った私にとっても誇りである。
 ところが、道はこの記念塔を解体する計画を2018年に策定し、道民向けの広報誌に一度も掲載することのないまま計画を推進してきた。解体経費5億円超の契約がこの9月道議会で承認されれば、業者による解体が開始されるという段階に至っている。
 私は8月末、自民党の「日本の尊厳と国益を護る会」の国会議員の視察団に同行して、立ち入り禁止となっている記念塔の内部を見る機会を得た。現地見学の際、塔の入り口の地面にはこれ見よがしに2mの鉄の板が置かれ、視察団を待っていた。塔から落下したものだという。

〈矛盾だらけの解体行政〉
 これにはすでに地元選出の議員から、その鉄片は塔の躯体(本体)ではなく後から取り付けたものであることが指摘され、視察団に「老朽化」と「危険性」を印象付けようとした道庁幹部の子供じみた工作はあっけなく失敗した。塔の躯体は内部から見ても堅牢そのものでビクともしていない。解体するには鋼鉄の意志が必要だ。破壊を目指す情熱はどこから出てくるのか不思議でならなかった。
 現地見学後の道庁幹部との意見交換会では、多数の疑念が議員から出された。解体に反対する市民グループの情報公開請求による調査を加味すると、道の計画・執行には次のような無数の疑惑が存在することが明らかとなった。
(1)道は10年間の保守管理計画を密かに打ち切り、ある時期から補修費を半額以下に減らした(2)今後50年間の維持費の総額が29億円(年間5,800万円)になるという試算は積算根拠が欠けている(3)全体の7割を超える大規模修繕に経費内訳がない(4)競争入札にもかかわらず同じ業者が独占して調査を受託し、文言やデータをコピペして使い回している(5)そもそも調査実態がうかがえないー等々。業者と行政の癒着も疑われる。
 設置後50年の記念塔の躯体に問題がないことは道も認めている。66年になる札幌のテレビ塔に解体の話など一度も出ていない。適切に補修すれば100年はもつ。
 要するに、道は記念塔の管理・補修を意図的にサボり、解体のための世論工作の材料をつくり出そうとしてきたのだ。塔に隣接する北海道開拓記念館は北海道博物館に改称された。道は自ら「開拓」を禁句にして北海道開拓の歴史の抹殺を企図している。500万道民に対する裏切りである。

〈領土要求を呼び込む愚行〉
 ロシアのプーチン大統領は、2018年、「アイヌはロシアの先住民族である」とし、ウクライナ侵攻後の今年4月4日にはロシアの野党議員がロシアは「北海道に(領土的な)権利を持つ」と発言した。
 しかし、ロシアの南下が迫った江戸時代には、幕府と松前藩と東北6藩が多大の犠牲を払って蝦夷地を防衛してきた(中村恵子『江戸幕府の北方防衛』)。紛れもなく江戸時代の北海道は日本の領土だったのであり、この歴史を無視し、開拓の歴史を抹殺することは、ロシアの領土要求を呼び込む愚行である。
 そもそもアイヌと和人は長い歴史を「共生」してきたのであり、私の子供時代の経験に照らしても民族対立など存在しない。和人のみならずアイヌの人々も開拓の恩恵を受けてきた。アイヌ団体の中には百年記念塔の解体に反対している人もいる。
 今、百年記念塔解体工事差し止めを求める行政訴訟の準備が道民の手で進められている。また、記念塔を有形文化財として申請する動きもある。これは北海道のローカルな問題ではない。日本にとっての差し迫った国防問題でもあることを強く訴えたい。
(ふじおか のぶかつ)


◆JR札幌駅
 札幌駅(さっぽろえき)は、北海道札幌市北区北6条西3丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。駅番号は01。電報略号はサツ。札幌市の中心駅。JR北海道最大の拠点駅であり、道内各地とを結ぶ特急列車や、北海道の空の玄関口である新千歳空港とを結ぶ快速「エアポート」、札幌近郊の通勤・通学輸送を担う普通列車などが多く発着し、JR北海道の駅では最大の利用客数がある(2011年度:90,500人/日。降車客数は除く)。


 路線上は函館本線の単独駅であるが、列車運行上では2駅東隣の白石駅で分岐する千歳線と、1駅西隣の桑園駅で分岐する札沼線(学園都市線)の列車も当駅へ乗り入れており、事実上3路線のターミナル駅となっている。2000年代初頭からは札幌都市圏への人口一極集中に加え、駅ビル「JRタワー」の開業(2003年)や駅周辺地域の再開発に伴い、札幌近郊のみならず道内主要都市からの利用客が増加しているほか、鉄道利用客に留まらず商業などの集積においても、大通地区やすすきの地区を凌ぐ新たな拠点へと成長した。近年では若年層を中心に、「サツエキ」という通称で呼ばれることも多くなっている。南口駅前広場を挟んで札幌市営地下鉄南北線・東豊線の「さっぽろ駅」(JR駅は漢字、地下鉄駅は平仮名が正式名称)と隣接しており、同駅が代替輸送の指定駅となっている。当駅では終電が全線同一時刻(23時59分)に発車する。(jawp)
◇住所:〒060-0806 札幌市北区北6西3-1-1。
◇電話:011-222-6130。


JR札幌駅前(2003年、2011年、2019年撮影)

北海道庁旧本庁舎
 北海道庁旧本庁舎は、かつて北海道庁の本庁舎として建築された煉瓦造りの西洋館(国の重要文化財)。「旧道庁」や「道庁赤レンガ庁舎」、「赤レンガ」などと呼ばれ、親しまれている。


 館内は北海道開拓関係資料を展示・保存する北海道立文書館等として一般に公開されているが、一部は隣接する現道庁の会議室として現在でも使用されている。北海道(道庁)にとっての象徴的存在であり、広報番組などのタイトルにしばしば「赤レンガ」が用いられている。道庁前のイチョウ並木は大正14年、勅任技師名井九介(みょういくすけ)の指導により植えられたもの。所在地 - 札幌市中央区北3条西6丁目。竣工 - 1888年(明治21年)。重要文化財指定年 - 1969年(昭和44年)。 設計 - 北海道庁土木課(平井晴二郎)。構造 - 煉瓦造 地上2階地下1階。 デザイン - アメリカ風 ネオバロック様式。(jawp)
◇住所:〒060-0003 札幌市中央区北3西6。
◇電話:011-204-5019。


北海道庁旧本庁舎(赤レンガ) 2009年、2019年撮影

旧札幌農学校演武場(時計台)〈重要文化財〉
 この建物は、日本最初の農業高等専門学校として、1876年(明治9年)8月にクラーク博士を初代教頭に迎えて開校した札幌農学校の演武場である。


 演武場は、講堂を兼ねた兵式教練場として第2代教頭ホイラー博士によって計画され、当時のアメリカ中・西部開拓地の木造建築様式にならって、北海道開拓使工業局の設計監督のもとに建築され、1878年(明治11年)10月16日に完成した。時計塔は、1881年(明治14年)にアメリカボストン市ハワード時計会社製の時打ち重錘式の大時計を備えて設置され、8月12日の正式鳴鐘以来現在も往時の姿のまま時を告げ続けている。北海道大学の前身である札幌農学校は、北海道の開拓や日本文化の発展に寄与する多くの人材を育成したが、彼らに愛され親しまれた時計台の鐘の音は、札幌のシンボルといわれている。時計台は、公共的な施設として、時代の変遷の中で広く利用され、札幌のそして北海道の教育・文化の発展に大きな役割を果たし、1970年(昭和45年)6月国の重要文化財に指定され、現在は館内を札幌歴史館として一般公開している。時計台は、札幌市の歴史と文化を象徴するものとして?わたしたちは、時計台の鐘が鳴る札幌の市民です?と札幌市民憲章にうたわれ、市民の誇りとなっている。(札幌市)
◇住所:札幌市中央区北1西2。
◇電話:011-231-0838。
◇建築年代:1878年(明治11年)。
◇指定年月日:1970年(昭和45年)6月17日。
◇公開時間:8:45〜17:10。
◇休館日:年始(1月1日〜1月3日)。
◇入館料:大人 200円、高校生以下無料。


札幌時計台(2000年、2006年、2016年、2019年撮影)

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札幌時計台(2023年1月撮影)

札幌村郷土記念館
◇住所:〒065-0013 札幌市東区北13条東16丁目2-6
◇電話:011-782-2294
◇開館時間:10:00-16:00(入館無料)
◇休館日:毎週月曜日と祝日の翌日。12月29日〜1月5日の8日間

札幌村郷土記念館と大友亀太郎像(2022年5月撮影)


 江戸幕府は、安政元年(1854)に箱館奉行を設置して蝦夷地の警備に努めていたが、領土の保全のためには内陸部の開発が必要であるとして、二宮尊徳一門に協力を要請していた。安政5年(1859)になって、門下生を派遣することとなり、大友亀太郎(25歳)も函館に渡り、開墾場取扱の辞令を受けて、木古内村、大野村に御手作場(開拓農場)を開設した。両村での業績が高く評価された亀太郎は、慶応2年(1866)に蝦夷地開墾掛を命ぜられ、石狩開墾に関する計画書等を提出し、4月23日、石狩に入り原野を調査し、同29日御手作場を開設すべき地をサツポロと決定し、伏古川のほとり(当記念館付近)で開拓に着手した。これが札幌村のはじまりであり、明治以後の札幌開拓の先駆的な役割を果たした。
 大友亀太郎は、天保5年(1834)に現小田原市に生まれ、「21歳の時、人の一生は、金銀財宝富めるのみ富にあらず、積善の道こそ富である≠ニ考え、22歳の時に郷里を出て二宮尊徳先生に仕え、鋤鍬を取り、堤防を築き、水路を開削し、道路を開き、田畑を開墾し、夜間は門人などからも教えを受け、仕事の暇をみて読書習字を志し」(履歴綴りから要約)農村などの復興、開発等に関する報徳仕法を学んだ。そして、人の住めない酷寒の未開発地と思われていた蝦夷地の開拓に挑戦し、開拓地に入植者を安住させるなど確実な成果を上げた。その成功は、札幌開拓に見られるように、田畑の開墾に先立って、資本等を導入して約4kmの用水路(現創成川の前身)や道路、橋梁など生活基盤の整備を行い、移住者に人里としての安住感を与え、産業活動を養成して農民としての自活方途を開いたことにある。それは報徳思想に基づく仕法の優れた実践であった。
 明治3年(1870)、亀太郎は北海道を去るが、その後も、札幌村には移住民等が相ついで入植して開拓が進んだ。農業も雑穀から果樹栽培を経て、玉ねぎ栽培へと移行し、品種改良等と販売に成功し、わが国の玉ねぎ栽培の先進地、中心地として発展した。
 昭和62年(1987)2月20日、記念館収蔵のこれらの札幌村等に関する郷土資料の内、大友亀太郎文書37点、遺品、ゆかりの品18点、玉ねぎ関係資料59点は札幌市有形文化財に、また、館の敷地は大友亀太郎役宅跡として史跡に指定された。(札幌村郷土記念館パンフレットから)

札幌地下鉄・市電路線図
 札幌市内は「南北線」「東西線」「東豊線」の3本の地下鉄が運行。また、市電は、札幌の中心部を走る総距離約8.9キロメートルの路面電車。

札幌大通公園
 大通公園(おおどおりこうえん)は、札幌市の中心部を東西に横切る公園。中央区大通西1丁目から大通西12丁目まで長さ約1.5kmにわたって連なる。札幌の都市計画の基線となる大通りとして設けられ、徐々に公園として整備された。現在に至るまで札幌の中心を占めるもっとも重要な公園・広場空間である。1980年(昭和55年)6月6日に都市公園告示(特殊公園)、面積約7.9ha。都市景観100選受賞地区。


 札幌市中心部は碁盤目状の区画であり、その住所は「北17条東5丁目」「南9条西15丁目」のように南北東西に条丁目をつけて表される。東西を分ける基準となっているのは創成川である。これに対し南北の境界にあたる道路が大通であり、またそれに面した、南北の「0条」にあたる地域のことも大通という(送り仮名の「り」をつけないのが正しい表記)。都市計画道路としての「3.1.2大通」(幅員105.45m)に公園部分も含まれる。車両通行帯は公園を挟んで北大通と南大通に分かれており、それぞれ東、西への一方通行となっている。大通公園は、幅65mの巨大な中央分離帯であるともいえる。(jawp)
◇住所:〒060-0042 札幌市中央区大通西7。
◇電話:011-251-0438。


札幌大通公園(2009年、2012年撮影)

さっぽろテレビ塔
 1956年(昭和31年)12月、さっぽろテレビ塔が完成し、 NHK札幌が北海道初のTV電波を発信。その翌年の1957年(昭和32年)8月24日に開業した。当時はまだ、電光時計はなかった。50数年の歴史ある「さっぽろテレビ塔」は、札幌のランドマークタワーとして、また札幌のまち全体を東西南北に最もわかりやすく俯瞰できるポイントとして、訪れる人から高い評価を受けている。
◇住所:〒060-0042 札幌市中央区大通西1。
◇電話:011-241-1131。

さっぽろテレビ塔から望む札幌市内と札幌大通公園(2013年2月、2013年8月撮影)

すすきの
 札幌市中央区にある歓楽街である。薄野、ススキノとも表記される。 歌舞伎町(東京都新宿区)、ススキノ、中洲(福岡市)を称して日本3大歓楽街と呼ばれることもあり、東京以北最大の歓楽街でもある。(jawp)
◇住所:札幌市中央区南6西4-4-9。
◇電話:011-563-0007。

札幌の歓楽街すすきの(2006年10月、2012年10月撮影)

◆すすきのまつり
 8月上旬。南4条通〜6条通。北都の歓楽街・すすきのの最大のイベント。おいらん道中、ビール早飲み大会やカラオケ大会などが開かれる。

狸小路商店街
 札幌市中央区にある商店街。狸小路(たぬきこうじ)商店街を中心とした繁華街一帯は、狸小路という通称で呼ばれる。東端は創成川を基点とし、市道南2・3条中通線に添う形で西へ約1kmの地域を中心とする。


 公式な「狸小路商店街」は、西1丁目〜西7丁目間の「札幌狸小路商店街振興組合」加盟約200店舗。沿線では公式な住所である「南2条西○丁目」、「南3条西○丁目」の他、「狸小路○丁目」という呼び方が使われる。さまざまな専門店の他、飲食店・土産物屋が多く立ち並び、観光客にも多く利用されている。また近年では、ストリートミュージシャンの姿も目立つ。札幌市営地下鉄大通駅とすすきの駅の中間に位置し、さっぽろ地下街ポールタウンにも直結している。大通地域、すすきの地域と合わせて東京以北最大の商業地域を構成する。
 明治初期に数軒の商店・飲食店が建てられたのが始まり。1873年(明治6年)頃には既にその一角が狸小路と呼ばれていた。周囲を主要幹線道路・運河に囲まれ、官公庁街と薄野遊廓に挟まれるという恵まれた立地もあり、飛躍的に発展した。1885年(明治18年)札幌初の勧工場が開店する。1958年(昭和33年)より全蓋アーケードの設置が始まり、1982年(昭和57年)に改築。現在は1丁目から6丁目間の交差点も含めた大部分がアーケードに覆われている。2002年(平成14年)の大改修によって、アーケード内部に光ファイバー回線と無線LANによるネットワークが構築され、各店舗のインターネット接続や防犯カメラの運用等に利用されている。なお3丁目・4丁目間の部分は、幅員の広い札幌駅前通と交差するためにアーケードが途切れているが、交差点手前のエスカレーターと交差点地下のポールタウンによって連絡されている。2006年(平成18年)5月に「がんばる商店街77選」に選ばれた。
 名所の由来は、諸説あるが、実際に狸が出没したこと。夜な夜な街頭に立つ客引や私娼をその怪しさや手口から狸に例えての2説(もしくはその両方を由来とする説)が有力。
◇住所:札幌市中央区狸小路 。
◇電話:011-241-5125。


狸小路商店街(2006年10月撮影)

サッポロファクトリー
 ショッピング、アミューズメント、レストラン、ホテルなど約160ものショップと施設が集まる大型商業複合施設として1993年(平成5年)にオープン。明治9年に創業された日本人の手による初のビール工場、サッポロビールの前身である開拓使麦酒醸造所だった跡地に造られ、当時の赤レンガを残した開拓使時代の歴史をたどる見学施設もある。全天候型の館内。
◇住所:札幌市中央区北2東4。
◇電話:011-207-5000。

サッポロファクトリー(2009年11月撮影)


◆さっぽろホワイトイルミネーション
 初冬の札幌を彩る風物詩として定着した「さっぽろホワイトイルミネーション」は、今回で36回目を迎えた。昭和56年、大通公園西2丁目広場から約1,000個の電球で始まったイルミネーションは、年々その規模・内容ともに充実し、国内を代表するイベントに成長。大通公園会場には、シンボルオブジェが設置されるほか、南北には札幌駅前通を会場に、東西には南一条通を会場に、札幌の夜の街並を幻想的な世界に変え、ロマンチックな雰囲気が楽しめる。

札幌イルミネーション(2023年12月撮影)
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札幌ホワイトイルミネーション(2023年12月撮影)


◆さっぽろ雪まつり
 さっぽろ雪まつりは、札幌市中央区内の大通公園をはじめとする複数の会場で、毎年2月上旬に開催される雪と氷の祭典である。雪で作られた大小の像の展示が中心となるが、すすきの会場を中心に氷像(氷彫刻)も展示される。

第74回さっぽろ雪まつり(2024.2.4-11)2024年2月5日撮影

第73回さっぽろ雪まつり1(2023.2.4-11)2023年2月4日撮影

第73回さっぽろ雪まつり2(2023.2.4-11)2023年2月4日撮影

豊平館 (ほうへいかん)〈国指定重要文化財〉
 1880年に現在の市民会館の場所に、北海道開拓使直属の洋風ホテルとして建設された。1881年8月30日に開館、同年11月に民間に貸し付けられ、ホテルと西洋料理店として営まれた。1922年に所有権が札幌市に移され、1927年には新公会堂が完成し、文化活動の拠点となった。1958年、市民会館建設の際に、現在の場所に移築され、以後、市営の結婚式場やパーティの会場として活用されている。館内には豊平館の歴史を展示した一室も公開されている。
◇住所:〒064-0931 札幌市中央区中島公園1-20 。
◇電話:011-211-1951。
◇観覧時間:午前9時〜午後5時
◇休館日:年末年始
◇電話:011-511-0985

豊平館(2012年7月撮影)

清華亭〈札幌市有形文化財〉
 清華亭(せいかてい)は、この地域が偕楽園(かいらくえん)という公園であった1880年(明治13年)に、貴賓の接待所として開拓使工業局の設計監理によって建てられた。その庭園は、和洋折衷の美しいものであった。


 翌14年、明治天皇の北海道行幸の際に御休息所となった。偕楽園は、明治4年に札幌最初の公園として開設された。清華亭などの庭園造りをしたドイツ系アメリカ人、ルイス・ベーマーが園芸の指導にあたるなどして、園内には数百種類の植物が栽培され、北海道の産業振興の目的を担った農業試験場でもあった。その後、規模を拡張して育種場と改め、博物場、温室、工業試験場などが付設された。また、園一帯には清冽な湧き水がほとばしり、それらを水源とするシャクシコトニ川が流れていた。この川は「鮭の道」でもあり、鮭、鱒の孵化場も設けられていた。開拓使の時代が終わる明治15年以降、各施設が移転されるなどして、偕楽園はその機能を失い、自然の杜と帰って行き、清華亭も民間人の所有となり忘れ去られる。しかし、清華亭周辺の自然は、子供たちが駆けめぐる天国となった。葦や笹が生い茂り、ガケや谷地や斜面があり、せみ、クワガタがおり、青大将が出てきた。清流と大小の池にはフナ、八つ目鰻、ザリガニなどがすみ、アキアジものぼってきた。1930年(昭和5年)、建物は河野常吉氏の提唱で保存が図られ、同8年札幌市に寄贈された。1961年(昭和36年)6月7日、建物は北海道開拓の黎明期の歴史を象徴するものとして、また、開拓使の建築技術者が洋風建築に和風様式を導入した貴重な例として、札幌市有形文化財に指定された。そして、この地域にある「清華亭公園」と「かいらくえん公園」に、かつての偕楽園の池地、御前水の湧泉、子供たちの水遊び場の証跡をとどめている。
◇住所:〒060-0807 札幌市北区北7西7。
◇電話: 011-746-1088。

<偕楽園>
 偕楽園には公園のほかに、北海道最初の工業試験場ともいうべき「製物場」、西洋の農業技術を実地に研修する生徒の寄宿舎である「生徒館」および「花室」(温室)、博物所などの開拓使による産業の奨励、実験および研究の諸施設が設けられた。また周辺には、西洋農作物の試験栽培場やブドウ園等があり、北部には本道で最初の円形競馬場があった。明治天皇は、1881年(明治14年)、ここで競馬や馬術をご覧になられた。園内の「屯田兵招魂碑」は、西南戦争に従軍し、戦病死した琴似・山鼻の屯田兵の霊を祭るため建設したもので、当時、毎年8月2日に行われた招魂祭は、札幌神社の大祭よりにぎやかであったという。
◇住所:〒060-0807 札幌市北区北6〜7西7-1-43。
◇電話:011-757-2407。


清華亭(2009年1月撮影)

札幌市資料館
 札幌市資料館は、札幌軟石を使った建物として、大正15年(1926)に札幌控訴院として建てられた。全国的にも貴重なものであり、平成9年(1997)5月に国の登録有形文化財に選定された。裁判所の移転に伴い、昭和48年(1973)11月3日に札幌市資料館として開館した。平成18年11月にリニューアル、現在は控訴院時代の法廷を復元した刑事法廷展示室や札幌の街づくり紹介展示室、司法関係展示室を設置した。このほかにも、札幌出身の画家おおば比呂司の絵画を展示した記念室がある。
◇住所:〒060-0042 札幌市中央区大通西13。
◇電話:011-251-0731。

札幌市資料館(2016年2月撮影)

琴似屯田兵村 兵屋跡(国指定・史跡)
一、名称 史跡琴似屯田兵村兵屋敷
二、1982年(昭和57年)5月7日指定
三、指定理由及説明事項


屯田兵制度は、1873年(明治6年)12月、開拓使次官黒田清隆の上表に基づき北海道、樺太の警備と拓殖、地方警備、開拓の経費軽減、士族の授産を目的として発足しものである。
琴似屯田兵村は、1874年(明治7年)4月に地割と兵村建設に着手、同年12月28日に208戸の兵屋が完成し、1875年(明治8年)5月入植した屯田兵制度最初の兵村である。
この兵屋跡は、東西10間、南北15間(150坪)に区画され、17.5坪の兵屋1戸が建てられたものの遺構で、宮城県亘理郡小堤村より入植した。屯田兵清野専次郎入居兵屋(兵屋番号133番)として給与されたものである。
1972年(昭和47年)3月現在地に復元を完了し、開拓使時代の形態を伝える貴重な遺構として保存されている。
四、保存上の注意事項
・火災のおそれのある一切の行為をしないこと。
・この付近は特に風致を害しないように注意すること。
文部省
札幌市
(現地の説明板から)
◇住所:〒063-0812 北海道札幌市西区琴似2-5-1-12 。
◇公開時間:09:00〜16:00。
◇入館料:無料。
◇電話:011-621-1988。


琴似屯田兵村 兵屋跡(国指定・史跡)2013年8月撮影

石山緑地の札幌軟石

 軟石(支笏噴火熔結凝灰岩)は、1872年(明治5年)お雇外国人ワーフィールド、アンチセルが発見、大岡助右衛門(おおおか・すけえもん)の工事で陸橋の辺りに5棟の小屋を建て、1875年(明治8年)から本格的な採掘が始まった。


 地名は石山だが、"石切山(いしきりやま)"が懐かしくまたふさわしい。いたる所に穴があったり岩肌があったりして軟石採掘の跡が縁で縫うように残され、130余年の歴史を物語っている。開拓使は、本府建設にあたって石材を利用した洋風化建築を勧めたので、軟石は採掘の当初から需要が多く、1875年(明治8年)で採掘量2万個、1881年(明治14年)5万7,000個と急増する需要ぶりであった。最盛期(大正から昭和にかけて)には年産30万個、石材店も100軒を超えた。石工も300人もいて、石山は活気に湧いた時代だったという。長い手掘り時代からチェンソー式に替わったのは1955年(昭和30年)の半ばころであった。ところが、あれほど人気の高かった軟石だったが、大正時代にコンクリートが登場した。幅広い用途と低価格なコンクリートは軟石を追い抜き、戦後は完全にコンクリートの時代になってしまった。あれほど栄えた軟石は急激に限定されてしまい、現在は常盤方面に採石場を2カ所残すのみになった。石山の街を巡ると、"軟石のまち"ふさわしく、旧石切山駅舎前に建つ旧石山郵便局を訪ねる。現在、札幌ふるさと文化百選指定-1935年(昭和10年)代建築で、アーチ型。玄関など洋風建築のおもかげをいまに残しているすばらしい-ポスト館である。また、後方には南北のブロックにそれぞれ軟石の昔をしのばせ市民を誘うにふさわしいゾーンが設計され"石山緑地"も、ふるさと石山に繁栄の歴史をもたらした"採石場跡地"が新しくく蘇り、いずれも"望豊台の碑"と共に、貴重な歴史遺産として保存に努めた地元の人びとの郷土愛に敬意を表したい。
◇住所:札幌市南区石山78。
◇電話:011-578-3361(藻南公園管理事務所)。


石山緑地の札幌軟石(2018年11月撮影)

北海道大学(北大)構内の散策
 JR札幌駅北口から北大構内まで徒歩約7分と札幌市のど真ん中に位置する北海道大学(北大)の歴史は古く、1876年(明治9年)8月W・Sクラーク博士を教頭とする札幌農学校を創始。1907年(明治40年))に東北帝国大学農科大学、1918年(大正7年)に北海道帝国大学、2004年(平成16年)に国立大学法人北海道大学として現在に至っている。広大な構内に恵まれた自然と歴史的建造物が点在、札幌を代表する観光スポットとなっている。北大は、国立大学としては最多の12学部・19大学院を設置し、大学の総敷地面積としては国内最大の規模(660平方km)であり、全国の大学が所有する土地面積の4割超を有する。
◇住所:〒060-0808 札幌市北区北8西5
◇電話:011-716-2111,br>

北大構内(2022年9月撮影)
左 クラーク像 二段目 古川講堂 下 総合博物館

北大ポプラ並木再生記念

 2004年(平成16年)9月8日、北海道に上陸した台風18号の最大瞬間風速50mにもおよぶ強風により、北海道大学構内の樹木約1,900本、植物園の樹木約500本が倒木などの被害を受けた。


 北海道大学のシンボルとして、学内外の多くの方から親しみ愛されてきたポプラ並木51本のうち19本が根元から倒れ、8本が幹だけを残し傾くなど大きな被害を受けた。ポプラ並木の被害がマスコミを通じて全国に伝えられると多くの方から再生を願う手紙と義捐金の申し出が相次いだ。ポプラ並木が北海道大学の教職員、学生、同窓生だけでなく、まだ訪れていない方を含めて、心の中に大きな根を下ろしていることを改めて認識した。ポプラ並木再生の方針は、早急に決めたが、その再生手段については学内で活発な議論があった。老木が倒れたのは残念であるが、自然の摂理であるので、若木で再生を図るべきであるとの意見や、全体の復元は難しくとも根をつけたまま倒れているポプラは、立て直しに挑戦すべきであるなどであった。このような議論の前提にあるのは、ポプラ並木が北海道大学のシンボルであると同時に、北海道を代表する貴重な歴史的・観光的資産であるという紛れもない事実である。
 北海道大学の英知を結集して決めた並木の再生方法は、北海道大学の基本理念の一つである「フロンティア精神」に満ちあふれていた。それは根元から倒れた19本のうちから倒れた際の衝撃が少なく再生の見込みが高かった1本30tもあるポプラ2本を立て直し、残りは並木のポプラの枝を土に埋め込み育てている若木を植えるというものだった。北海道大学関係者だけでなく、札幌市民をはじめとする全国の方と一体となったポプラ並木再生事業は、札幌農学校創設以来129年の歴史を有する北海道大学の歴史に新たな1ページを加えることになった。
       2005年(平成17年)6月1日    北海道大学総長 中村 睦男


北大構内のポプラ並木(2022年9月撮影)

◆北海道大学(北大)構内のイチョウ並木
 札幌市北区北海道大学の敷地内、北13条通にある人気の紅葉スポット。東西約380mにわたり、70本のイチョウの木が立ち並び、例年10月下旬から11月上旬にかけて美しく黄葉する。見頃となる例年10月下旬の土日には、「北大金葉(こんよう)祭」を開催、イチョウ並木のライトアップを行う。
◇住所:札幌市北区 北13条西5~7丁目北海道大学構内。

北大構内のイチョウ並木(2023年10月撮影)

重要文化財「札幌農学校第二農場」
 北海道畜産発祥の地・洋式農業普及の原点、最古の洋風農業建設・明治初期の洋式建設、北大発展の生き証人。当施設は、明治9(1876)年9月13日、W.Sクラーク先生の大農経営構想によって、一戸の酪農家をイメージした北海道開拓の模範農場として発足した。
◇住所:〒060-0818 札幌市北区北18西8 。
◇電話:011-716-2111。

〈重要文化財「札幌農学校第二農場」のあらまし〉

 当農場は、札幌農学校教頭W.S.クラーク先生の大農経営構想に基づいて、1876年(明治9年)9月13日に農黌園(College Farm)として開設された。クラーク先生の後を受け継いだW..P.ブルックス先生は、現ポプラ並木一帯を教育研究用の第1農場、当農場を一戸の酪農家をイメージした模範農場として第2農場として区分した。当時の日本は、乳牛などを飼育する畜産経営がなかったため、米欧の技術が北海道に適するかを調べることと、模範的な経営を行って北海道に入植してきた人たちに普及する必要があったのである。


 農場を代表する模範家畜房と穀物庫は、1877年(明治10年)秋に落成して日本最古の洋式農業建築であるばかりか、ツーバイフォー方式バルーンフレーム構造の稀有な構造物として建築学的にも貴重なものである。1889年(明治22年)に初めて導入された乳牛のホルスタイン種は、今日まで100余年も血統が維持されて雌雄ごとに1,050産を超えたが、その中の優良種は北海道の基礎牛となって酪農の発展に貢献した。また、収蔵する農機具類は、北海道開拓当初からの標本をそろえ、洋式農法の受容経過を知る上で貴重な資料である。これら洋式農業建築や北海道畜産の発祥地としての歴史的・学問的価値によって1969年(昭和44年)に文化財保護法により重要文化財に指定された。
 当第2農場の施設は、農学校校舎が現札幌時計台(演武場)一帯にあった間、現在の大学正面から大型計算機センター帯にあったが、総合大学として発展するために土地を明け渡し、1909-11年(明治42-44年)に現在地に移転した。さらに大学の拡大と都市化の影響によって縮小を余儀なくされ、ここでの畜産研究は、1967年(昭和42年)に隣接地に移転して終了した。その後、重要文化財として閉鎖管理してきたが、2000年(平成12年)1月の大学評議会は、施設の文化的価値を広く世間に伝えるため、年次計画によって整備することを決定し、一般公開への道を開いた。


重要文化財「札幌農学校第二農場」(2009年1月撮影)

重要文化財「札幌農学校第二農場」(2022年9月撮影)
1と2 牧牛舎・木造平屋建 1909年 3 産室追込所及耕馬舎(モデルバーン)
・木造2階建 1877年 4 釜場・石造平屋建 1910年 5 製乳所・煉瓦造平屋建 1911年
 6 左の建物は 収穫室及脱ふ室・木造2階建 1911年
 右の建物は 穀物庫(コーンバーン)・木造2階建 1877年

◆YOSAKOIソーラン祭り
 YOSAKOIソーラン祭りは、札幌市中央区の大通公園を中心に開催。高知のよさこい祭りに感激した大学生が、ソーラン節と織り交ぜて92年にスタートしたもの。

YOSAKOIソーラン祭り(2008年6月撮影)

八紘学園の花菖蒲園
 八紘学園花菖蒲園(はっこうがくえん はなしょうぶえん)は、北海道札幌市豊平区月寒東に所在し、学校法人八紘学園が運営する農業教育施設。毎年7月上旬?下旬に一般開放(有料)し、それ以外の一般入園は不可能。 広大な敷地に約450種類10万株に及ぶ、ハナショウブをメインとして栽培している。見どころは、6月下旬頃より開花するハナショウブの他に7月中旬以後開花するヘメロカリス・ラベンダーの栽培もしており、同時期に合わせて観覧できる場合もある。この園は、同経営の北海道農業専門学校の生徒の農作業実習場にもなっており、生徒自ら栽培した植物でもある。 八紘学園とハナショウブの関係性は、八紘学園創始者栗林元二郎が北海道月寒の地に移住する際に東京より持ち込み栽培したことが始まりである。(jawp)
◇住所:〒062-0052 札幌市豊平区月寒東2-14-1-34。
◇電話:011-851-8236。

八紘学園の花菖蒲園(豊平区)(2009年7月撮影)

◆パシフィック・ミュージック・フェスティバル
 5月中旬。大通公園。札幌市の木でもあるライラックを鑑賞できるイベントで、期間中は生け花展や栽培教室などの催しが開かれる。

◆花フェスタ
 6月下旬〜7月上旬。大通公園。パビリオンでのラン展示、立体花壇のほか花のモニュメントやディスプレーなどで、札幌の街を彩る。花市場などもある。7月上旬〜8月上旬。札幌芸術の森ほか。世界の若手音楽家の育成を目的とした国際教育音楽祭で、期間中には札幌市内のいろいろな場所に会場を設け、コンサートが開かれる。

花フェスタ2003(2003年6月撮影)

ライラック祭り
 1959年(昭和34年)、ライラックの花が咲きそろう季節に文化の香り高い行事を行おう、と文化人の呼びかけにで始まった。ライラックは(1960年)昭和35年に札幌の木にも選ばれ、今では札幌に初夏の訪れを告げる花として親しまれている。約400本のライラックが咲き誇る「大通会場」では、ライラック音楽祭、野外でお茶を楽しむ野だて、スタンプラリーなど、さまざまなイベントが行われている。

ライラック(中央区大通公園)(2019年5月撮影)

◆豊平川イカダ下り
 7月中旬。幌平橋〜上白石橋。趣向を凝らしたさまざまなイカダが約4kmの距離を川を下って競い合う。速さよりもパフォーマンスが楽しい。

◆豊平川花火大会
 7月中旬〜8月上旬。南9条大橋付近。北海道の短い夏の夜を彩る花火大会。期間中は、豊平川沿いに艶やかな浴衣を着た見物客で賑わいを見せる。

◆さっぽろ夏まつり
 7月中旬〜8月上旬。大通公園ほか。大通公園がビアガーデン会場となり、連日賑わう。そのほか北海盆踊り、仮装盆踊りなど楽しいイベントも行われる。

モエレ沼公園
 世界的に有名な彫刻家イサム・ノグチが設計し、札幌郊外にある自然いっぱいの公園で、レストランなどもある。
◇住所:〒007-0880北海道札幌市東区丘珠町605。
◇電話:011-790-1231。

モエレ沼公園(2006年5月撮影)

平岡公園
 昭和57年から札幌市で進められている「夢のグリーンベルト構想」の拠点公園の一つ。札幌市の中心部から南東に11kmに位置し、清田区平岡と里塚にまたがる70.3haの広さを持つ公園。昭和57年から整備が進められている。山林、三里川に沿った散策路、梅林、自然観察のできる池や湿地などのほか、芝生多目的広場、壁泉などの施設も完備。また、スポーツ施設として、パークゴルフ場や野球場、テニスコート、ゲートボール場などがあり運動のできる公園でもある。約1,200本の梅を植林、5月中旬には見ごろとなる。
◇住所:札幌市清田区平岡公園1。
◇電話:011-881-7924。

平岡公園の梅林(2006・2009・2010・2012・2013・2015年撮影)

野外博物館 北海道開拓の村
 北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を、54.2haの敷地に移築復元・再現した野外博物館。ここを訪れる人たちに開拓当時の生活を体感的に理解してもらうことと、文化の流れを示す建造物を保存し、後世に永く伝えることを目的に昭和58年(1983年)4月に開村した。村全体が展示であり、夏は馬車鉄道、冬は馬そりが走る。開拓時代の人たちの知恵と努力を見ることができ、建造物の一つ一つが開拓当時へと導いてくれる。
◇住所:〒004-0006 札幌市厚別区厚別町小野幌50-1。
◇電話:011-898-2692 。


北海道開拓の村(2015年7月撮影)

北海道博物館
 2015年4月18日にオープンした北海道博物館は、北海道の自然・歴史・文化を紹介する博物館。自然環境と人とのかかわりや、アイヌ民族の文化、本州から渡ってきた移住者のくらしなどを調査・研究し、北海道民の貴重な宝である資料収集・保存し、展示や教育、イベント・事業などを行っている。プロローグ・北と南の出会い、第1テーマ・北海道120万年物語、第2テーマ・アイヌ文化の世界、第3テーマ・北海道らしさの秘密、第4テーマ・わたしたちの時代へ、第5テーマ・生き物たちの北海道から―を紹介している。
◇住所:〒004-0006 札幌市厚別区厚別町小野幌53-2。
◇電話:011-898-0466。
◇開館時間:9:30-17:00(5-9月)、9:30-16:30(10-4月)。
◇休館日:毎週月曜日(祝日・振替休日の場合は直後の平日)、年末年始(12月29日-1月3日)。

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(2015年7月撮影)

豊平峡(ほうへいきょう)ダム
 豊平峡ダムは、高さ102.5m、面積150haほどあり、洪水調整や発電のほか、札幌市の水瓶として利用している。駐車場からダムサイトまで、昔の森林軌道跡をを利用した40分ほどの探勝路があって、柱状節理の絶壁や豊平川渓谷の新緑・紅葉が見事である。
◇住所:札幌市南区定山渓840番地先。
◇電話:011-598-3452。

豊平峡ダムの秋(2013年10月撮影)

定山渓(じょうざんけい)温泉
 定山渓温泉は、真言密教の修験者「定山」によって開かれたとされていることから、明治維新直後に東久世開拓使長官が命名した。温泉街の一画に定山寺があり、定山の遺品などが納められている。定山渓温泉の豊平川沿いには、温泉街から二見吊り橋を渡って憩橋に至る約40分ほどの静かな探勝路がある。カツラ、ミズナラ、ハルニレ、シナノキ、シラカンバ、ナナカマドなどの森林や渓谷の美しさをゆっくりと楽しむことができる。
◇住所:〒061-2302 札幌市南区定山渓温泉東2 。
◇電話:011-598-2012。

二見吊橋(ふたみつりはし)
 定山渓のシンボルである真っ赤な吊橋からは、伊勢の二見浦(夫婦岩)に由来する「二見岩」やかっぱ伝説が残る「かっぱ淵」が望め、自然散策路「二見定山の道」へと続く。春は山野草、秋は紅葉など四季を通して楽しめる。
 現在の二見吊橋は1955年(昭和30年)に架けられ、長さ23m、幅1.5mの無補剛吊橋で、豊平川にかかる橋としては高山橋とならぶ最も小さな橋。二見公園から始まる自然散策路『二見定山の道』は豊平川に沿うように、かっぱ淵・いこいの広場をとおり親水公園の先、『赤岩の澗』まで続く約1kmのコース。

二見吊橋(2023年10月撮影)

二見吊橋(2023年10月撮影)

かっぱ伝説
豊平川は、1909年(明治42年)銚子の口発電所のダムができるまでは、上流から木材を流送するほど流れも多く、 至るところの深淵には大きな川魚類が沢山棲息していた。 その昔一人の青年が川で魚釣りをしていたところ、何かに引き込まれるように川底へ消えていってしまった。1年後のある夜、父の夢枕に青年が現れ、「かっぱの妻と子供と幸せに暮らしている」と告げた。定山渓きっての美男子だったこの青年、ここに住んでいるかっぱに魅入られたのだろう。ということで、以来ここをかっぱの淵と称するようになったが、その後はここで遭難する者は全くなくなったそう。
◇住所:〒061-2303北 札幌市南区定山渓温泉西4。
◇電話:011-211-2617。

二見吊橋に建つカッパ像(2023年10月撮影)

豊平峡温泉
 札幌市南区定山渓にある温泉。豊平川の上流にある。近くに豊平峡ダムがある。 「豊平」は、豊平区、豊平川などその多くが「とよひら」と読むが、豊平峡の場合は、豊平館と同じく「ほうへい」と読む。 源泉のまま浴槽へ注がれている。全国的にみても希少で、何万件とある温泉施設の中でもたった数パーセントほどしか存在していないと言われている。豊平峡の湯は、札幌市内で唯一貯湯タンクを使用せず、地中からの源泉を直接各浴槽に注いでいるため、空気には一切触れていない。酸化することなく注がれた湯は、塩素などを必要としないので、泉質が変わることがなく、効能も高い。日本最大級の露天風呂。
◇住所:〒061-2301 北海道札幌市南区定山渓608-2。
◇電話:: 011-598-2410。
◇営業時間:10:00〜22:30。
◇料金:大人1,000円、子供500円。

豊平峡温泉(2021年4月撮影)

サッポロビール博物館
 サッポロビール博物館は、広くビールに関する知識を深めてもらう目的で1987年(昭和62年)7月に開館し、2004年(平成16年)リニューアルした。日本で唯一のビールに関する博物館。展示はサッポロビール社の歴史を中心とした日本のビール産業史などを平易に理解できるように工夫している。ビール博物館の建物は、外国人技師の指導のもと札幌製糖会社の工場として1890年(明治23年)に建設されたもので、旧北海道庁赤レンガとともに明治の面影を残す数少ない貴重な文化遺産である。また、「札幌苗穂地区の工場・記念館群」の一施設として北海道遺産の選定を受けている。
◇住所:〒065-0007 札幌市東区北7条東9丁目1-1。
◇電話:11-748-1876。

サッポロビール博物館(2009年1月撮影)

さっぽろ羊ケ丘展望台
 北海道内でも屈指の観光名所。南東方向から札幌市街を展望でき、それを背景として腕を伸ばしたウィリアム・スミス・クラーク博士の全身像が展望台内に置かれている風景は有名。


 札幌市街地や石狩平野を見渡すことができる札幌市の南東部に位置する緩やかな丘の上にあり、市街地の景色を背景に丘の上で羊が牧草をはむ風景は牧歌的な印象を与える。麓には札幌ドームがあり、その形が展望台から良く見える。丘の上に立つクラーク像は北海道の開拓者精神の象徴であり、彼の有名な言葉である「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」と併せてよく知られている。
 さっぽろ羊ヶ丘展望台のある羊ケ丘地区には戦前「農林省月寒種羊場」があり、その頃から札幌の観光名所として知られるようになった。戦後になると観光客の数が増加し、北海道農業試験場(現在の北海道農業研究センター)は研究に支障がでるとして入場を一時制限。関係自治体や観光関係団体は入場を制限されると観光事業に影響が出るとして試験場を開放するよう陳情し、1959年札幌観光協会が運営・管理する形で敷地の一部の入場が許可され、さっぽろ羊ヶ丘展望台がオープンすることとなった。(jawp)
◇住所:〒062-0045 札幌市豊平区羊ケ丘1 。
◇電話:011-851-3080。


さっぽろ羊が丘展望台(2010年1月撮影)

国営滝野すずらん丘陵公園
<公園概要>
 滝野すずらん丘陵公園は、道央圏を中心とする広域的なレクリエーション需要に対応するために設置された国営公園。 現在、国営公園は整備中も含めて全国に17カ所ある。国営公園としては日本最北に位置し、北海道唯一の公園で、札幌市の 中心部から約20km、車で約30分ほどの札幌市南区滝野地区に位置し、札幌市南部にレクリエーション・エリアを形成している。


 滝野すずらん丘陵公園は東西・南北約2kmずつのほぼ正方形で計画面積は約400haの広大な敷地となっています。 敷地内は標高160〜320mの典型的な丘陵地形で、北端部を西から東へ流れる厚別川と、北流してこれに注ぐ4つの沢があり、 それぞれの合流地点付近でアシリベツの滝を始め4つの滝が形成されています。公園内は植林地(森林植生)と未立木地(草原植生)に大別され、西側半分には、ミズナラ・シナノキ群落や、 ヤチダモ・ハルニレなど良好な樹林が残されています。また、敷地内には他種類の野鳥のほか、シマリス・エゾリス・ キタキツネなども生息しており、時おり可愛らしい姿を見せてくれます。
◇住所:〒005-0862 札幌市南区滝野247。
◇電話:011-592-3333。
<滝野の歴史>
 滝野地区は、明治初期、当時の開拓使が札幌を建設するための木材生産の地としての役割から始まりました。当時の記録には、 「厚別山水車器械所」といわれる水車を使った製材のための施設があったことが記録されています。その後、農地として何度も 開拓が試みられましたが、過酷な気候などのため、1965年(昭和40年)代前半には、開拓地は放棄されることとなってしまいました。その後、滝野地区は、「アシリベツの滝」と共に札幌市民の行楽地として親しまれ、野外教育活動の拠点として子どもたちのキャンプ 活動などが行われてきました。滝野公園は、このように開拓の歴史を持つと同時に、野外教育活動のメッカとして知られていた滝野の 地に計画された公園なのです。(国営滝野すずらん丘陵公園HPから)


国営滝野すずらん丘陵公園(2010年9月撮影)

アシリベツの滝
 落差26m。「日本の滝百選」に選ばれた滝野の名所。
◇住所:〒005-0862 札幌市南区滝野247。
◇電話:011-592-3333(滝野公園案内所)。

アシリベツの滝

藻岩山
 藻岩山(もいわやま)は、札幌市南区にある標高531mの山。札幌の中心から南西に位置する。展望台とスキー場などがあり、札幌市民と観光客の行楽地となっている。平成23年12月23日リニューアルオープン。新型ロープウェイの導入と駅舎、山頂展望台の全面改築、もーりすカー(ミニケーブルカー)や自然学習歩道を新設。また、すべての建物にエレベーターを設置し、バリアフリー対応となっている。
◇住所:〒005-0041 札幌市南区藻岩山1。

藻岩山からのパノラマ

旭山記念公園
 藻岩山や円山に隣接の高台にあり、札幌市内を一望できる。天気の良い日は、石狩平野や日本海も望むことができる。昭和45年、札幌市創建100年記念事業の一つとして造成された。標高137.5mに位置する展望台を中心に、展望広場、段状テラス、ピクニック広場がある。周囲には、学びの森、ポートランドの森、ミュンヘンの森がある。レストハウスや森の家などの施設や、吊り橋や遊具広場、ちびっこ広場もある。
◇住所:〒064-0943 札幌市中央区界川4丁目1-3。
◇電話: 011-200-0311。

旭山記念公園からの札幌市内(2021年4月撮影)

札幌ドーム
 札幌ドーム(さっぽろドーム、Sapporo Dome)は、北海道札幌市にある多目的ドーム施設。開場は2001年6月3日。 施設は札幌市が所有し、札幌市と道内財界各社が出資する第三セクター・株式会社札幌ドームが運営管理を行っている。


 日本プロ野球の1軍公式戦を行うドーム球場としては最北に位置し、サッカー用天然芝グラウンドと野球用人工芝グラウンドの併用が可能。また、日本における唯一の完全屋内天然芝サッカースタジアムで、天然芝サッカー場移動方式「ホヴァリングシステム」を世界で初めて採用した。  主にプロ野球パシフィック・リーグの北海道日本ハムファイターズの本拠地球場、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)コンサドーレ札幌のホームスタジアムとして使用されるほか、コンサートやスキー、自動車レース・ラリーの国際大会などでも使用される。敷地面積:305,230平方m。建築面積:55,168平方m。延床面積:98,226.21平方m。メインとなるドームのクローズドアリーナ、屋外でホヴァリングサッカーステージの芝を育成するオープンアリーナ、その他の屋外施設を全て含めた数字である。地上4階地下2階、掘り下げ式に作られており、アリーナ面が地下2階となっている。収容人数:53,845人。(jawp)
◇住所:〒062-0045北海道札幌市豊平区羊ケ丘1。
◇電話:011-850-1000。


札幌ドーム(2019年8月撮影)



 和田郁次郎ら広島県人25戸104人が1884年(明治17年)、中の沢(現在の中央付近)に一村形成を目指して集団移住し、本格的な開拓のクワが下ろされた。それよりも早く、明治6年には島松川の上流で中山久蔵が「赤毛種」という品種で稲の試作に成功。北広島市が、北海道の寒地稲作の発祥地となった。また、1877年(明治10年)に札幌農学校(現在の北海道大学)の教頭ウイリアム・クラーク博士が帰国する途中、見送ってきた学生たちと別れるとき、「青年よ大志をいだけ」という名言を残したのも、この北広島の地である。1894年(明治27年)には、月寒村から独立して「広島村」となり、幾多の水害や冷害など厳しい自然と闘いながら、村は純農村として着実な歩みを続けていき、1968年(昭和43年)9月1日町制を施行、1984年(昭和59年)には開村100年を迎えた。その後も人口は増え続け、1992年(平成4年)には5万人を達成。1996年(平成8年)9月1日、市制施行への長年の夢が実現し、全道で33番目の市として「北広島市」がスタートした。豊かな自然を育て守り、市民が安心して暮らせるまちづくりを目指す北広島市。21世紀に向けて美しい生活文化都市の創造のため歩み続ける「青年都市」である。2004年(平成16年)7月現在6万人を突破している。


◇人の動き 明治後半から昭和20年(1945年)ころまで長い人口停滞が続きましたが、昭和45年(1970年)の北広島団地の分譲開始とともに急速に人口が増え、平成9年(1997年)現在、道内で15番目の人口規模である。
◇位置と地勢 石狩平野のほぼ中央に位置し、北西には道都札幌市、北には江別市、東には長沼町と南幌町、南には恵庭市がある。総面積は118.56平方km。地形は、南西部にある島松山(512.12m)付近を除いては、標高100m前後の丘陵が各所にあって起伏に富んでいる。
◇農業 水稲の作付面積は約250ha。ゆきひかり、きらら397などの味の良い良質米が生産されている。だいこん、にんじん、かぼちゃ、レタス、グリーンアスパラガスなどの野菜の生産も盛んで、○広のブランド名で好評を博している。また、酪農や養鶏、企業経営による鶏卵生産やミンクの飼育なども行われている。
◇商工業 国道274号線沿いに共栄・北の里地区に2カ所、国道36号線沿いの大曲地区に3カ所の工業団地があり、金属製品、化学製品、食料品、機械など180社を超える企業が操業をしている。また、大曲第3工業団地には、企業の研修や交流のための大曲ふれあいプラザもある。一方、商業も人口の増加に伴って発展しており、商店数、販売額とも伸びている。
◇公園 街区公園や総合公園、都市緑地などすべての公園を合わせると164カ所、約181haにもなる。市民1人当たりの公園面積は約33.8平方km。道内でも屈指の広さである。レクレーションの森など、まち中にあふれる緑はみんなの憩いの場であり、まちのシンボルにもなっている。
◇姉妹都市 北広島開拓の歴史に深いかかわりをもつ東広島市(広島県)と、昭和55年(1980年)7月に姉妹都市の縁組を結んでいる。
北広島市の観光情報
北広島市観光協会

エスコンフィールド北海道
 2023年3月開業の新球場エスコンフィールドHOKKAIDOと、周辺エリアを含めた北海道ボールパークFビレッジ。様々なパートナーの方々とともに、“北海道のシンボル”となる空間が開業。
◇住所:北広島市共栄263。

エスコンフィールド北海道(2023年4月、2023年9月撮影)


エスコンフィールド北海道 開幕セレモニー2023年3月30日

エスコンフィールド北海道(2023年3月撮影)

エスコンフィールド北海道2(2023年3月撮影)


ボールパーク特設サイト(北広島市)

北海道ボールパークFビレッジ

スタジアム レ・ジェンド北海道ボールパーク

レ・ジェイド北海道ボールパーク
  レ・ジェイド北海道ボールパークは完売。
◇住所:北広島市共栄228-2。

国史跡 旧島松駅逓所
(指定年月日・1984年=昭和59年7月25日 文部省告示・第113号)
 島松駅逓は、北海道各地に設置された駅逓の一つで、明治初期の趣を残す駅舎・施設は、北海道の近代史を知る上で貴重な遺構である。


 北海道における駅逓制度は、古く松前藩時代に遡り、明治に入り開拓史に直結された形で駅逓業務が継続された。島松駅逓は、1873年明治6年)12月、箱館・札幌間の札幌本道の開通に伴い島松川の右岸に設置されたのに始まり、初代取扱人は勇払場所総支配人の山田文右衛門(明治8年まで)が、2代目は山口安五郎が務めた。その後は、1877年(明治10年)、中山久蔵が請人となって鶴谷新次郎が駅逓取扱人となったが、1884年(明治17年)8月から中山久蔵が正式に駅逓取扱人となり、以後島松駅逓が廃止されるまで、この駅逓の業務は中山家によって行われた。現在の木造平屋建ての建物(写真)は1873〜1880年(明治6〜13年)に建てられた中山久蔵居宅・客室に同14年造築の行在所が主体をなし、その後小規模の改修が行われた。史跡内にはハス池、井戸などの付属施設が保存されている。
◇住所:〒061-1265 北広島市島松1-1。
◇電話:011-377-5412。


旧島松駅逓所

北広島市エコミュージアムセンター知新の駅
 北広島市の豊かな自然、歴史等についての情報の収集や発信、展示といった役割を担う、「屋根のない博物館(エコミュージアム)」の中心施設。常設展示コーナーでは、地球の歴史や北広島市で発見された地層、化石などの自然史についての展示や、北広島市にゆかりのある3人の先人について紹介する郷土史の資料を展示しているほか、たくさんの市民の方と共に制作した親子マンモスの模型なども展示している。 また企画展示コーナーでは、年に2〜3回程度、さまざまなテーマで展示をしている。
◇住所:〒061-1134 北広島市広葉町3-1(北広島市広葉交流センター内)。
◇電話:011-373-0188。
◇入館料:無料。
◇開館時間:9:00〜17:00。
◇休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は、直後の平日)、年末年始(12月29日〜翌年1月3日)。

北広島市エコミュージアムセンター知新の駅(2023年12月撮影)

中山久蔵と赤毛種
 中山久蔵は、1828年(文政11年)、川内国石川郡春日村(現大阪府南河内郡太子町)で松村家次男として生まれ、1845年(弘化2年)、17歳で故郷を離れ大阪、江戸など諸国を巡る。1853年(嘉永6年)に身を寄せた仙台藩が蝦夷地警備の任務を与えられたため、1855年(安政2年)、藩士片倉英馬の従者として胆振国白老郡白老に渡り、以後、白老・仙台を行き来した後、1869年(明治2年)に北海道永住を決意。片倉家を辞して渡道する。
 1871年(明治4年)、久蔵は44歳で島松沢で開墾を始め、寒地では困難とされた米づくりにも挑戦。1873年(明治6年)、大野村(現北斗市)から取り寄せた水稲赤毛種を用い、川の水を温める水路(暖水路)や、風呂の湯を水田に注ぐなど、工夫と努力により米の栽培に成功し、10a当たり345kgを収穫。希望者には、その技術と赤毛種の種籾を無償提供した久蔵の功績は、米づくりを道央以北へ拡大。やがて、北海道の米の取れ高は、100万石(15万t)に成長したことから、島松沢は、「寒地稲作発祥の地」呼ばれる。
 1881年(明治14年)の明治天皇北海道巡幸では、久蔵宅が行在所に指定され、久蔵は、天皇と直に米づくりについて言葉を交わした。
 近年、おいしくなった道産米のルーツは、中山久蔵が改良した赤毛種の種籾。久蔵の挑戦は、北海道農業を豊かにしただけでなく、生活文化や食文化も変えることになった。
 2023年(令和5年)は、中山久蔵が現在の北広島市で稲作を成功させてから150年の節目の年。(北広島市エコミュージアムセンター知新の駅展示)
◇住所:〒061-1265 北広島市島松1。
◇電話:011-377-5412。

中山久蔵と赤毛と系譜(北広島市エコミュージアム知新の駅展示)
2023年12月撮影

クラーク記念碑
 1877年(明治10年)16日、札幌農学校教頭ウイリアムスミスクラークが、島松駅逓所(中山久蔵宅)における学生および職員と訣別した地を記念し、1950年(昭和25年)11月クラーク奨学会(発起人代表宮部金吾)により、記念碑が建てられた。クラークは、開拓史の招きにより、1876年(明治9年)6月東京へ、ペンハロー・ホイラーの2教師とともに着任した。7月札幌へ赴任し、同年9月札幌農学校教頭となった。翌年4月までの8カ月間在任した。訣別に際し、「青年よ大志を懐け」の含蓄ある言葉を残したのは、現在でも有名である。塔央のクラーク彫像の下には、ボーイズビーアンビシャスとその言葉が彫られている(村史要約)。
◇住所:〒061-1265 北広島市島松1。
◇電話:011-377-5412。

クラーク記念碑

クラーク年譜


1826年米国マサチューセッツ州に生まれる。
1850年ドイツゲッチンゲン大学留学。
1852年帰米アマストカレッジの教授となる。
1867年マサチューセッツ州立農科大学長となる。
1876年札幌農学校教頭に招かれる。
1877年帰米。
1886年マサチューセッツ州にて60歳で歿す。
boys,be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,not for that evanescent thing which men call fame.Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
「青年よ大志をもて。それは金銭や我欲のためではなく、また人呼んで名声という空しいもののためであってもならない。人間として当然備えていなければならぬあらゆることを成し遂げるために大志をもて」
稲富栄二郎「明治初期教育思想の研究」から


北広島市内のゴルフ場

 北広島市は、ゴルファーの間では別名「ゴルフ銀座」とも呼ばれ、毎年「全日空オープン」「東急オープン」「東洋水産レディス北海道」といったビッグトーナメントが開催される名門コースぞろい。


サンパーク札幌ゴルフ場(パブリック27ホール)
◇住所:〒061-1153 北広島市富ヶ岡456。
◇電話:011-372-6370。
札幌国際カントリークラブ島松コース(27ホール)
◇住所:〒061-1265 北広島市島松49-5。
◇電話:011-376-2221。
札幌北広島ゴルフ倶楽部(パブリック54ホール)
◇住所:〒061-1101 北広島市中の沢450-1。
◇電話:011-373-1111。
クラークカントリークラブ(27ホール)
◇住所:〒061-1266 北広島市三島113。
◇電話:011-377-3131。
札幌ゴルフ倶楽部輪厚コース(18ホール)
◇住所:〒061-1264 北広島市輪厚77 。
◇電話:011-376-2231。
札幌リージェントゴルフ倶楽部(54ホール)
◇住所:〒061-1265 北広島市島松641 。
◇電話:011-377-3111。
ゴールド札幌カントリークラブ(18ホール)
◇住所:〒061-1266 北広島市三島600。
◇電話:011-376-3125。
ダイナスティゴルフクラブ北広島(27ホール)
◇住所:〒061-1267 北広島市仁別82番4。
◇電話:011-376-2611。


輪厚国際パークゴルフコース
 三井アウトレットパーク、インタービレッジ大曲、コストコ、ジョイフルAKなどの大型商業施設が集中する北広島市の大曲輪厚地区。札幌市に隣接する利便性の良い地区。4コース36ホールを有する本格的なパークゴルフ場。ロングホールを配した広々としたコースレイアウトと、よく管理された芝のコースは、初心者から上級者まで楽しめる。
◇住所:北広島市輪厚235番地。
◇電話:011-398-9772。
◇営業時間:営業時間 8:00〜17:00。

輪厚国際パークゴルフコース(2023年5月撮影)

北広島芸術文化ホール
 JR北広島駅の前に、エントランスドームを中心に左右に伸びやかな曲線を描く外観。外壁のタイルには市の木であるカエデが刻まれ、その言葉通り、「愛と豊穣」に包まれる時間への予感をかき立てる。饗宴を待つひとときを華やかに彩るホワイエ、コンサートや演劇などを多目的に利用できるシューボックス型ホール、そして美の世界を堪能するギャラリー。花ホールは感動と交流のホールである。
◇住所:〒061-1121 北広島市中央6丁目2-1。
◇電話:011-372-7667。

北広島芸術文化ホール 左は北広島市のシンボルマーク・エルフィン

エルフィンパーク
 JR北広島駅に隣接し、東西エリアを結ぶ連絡橋「エルフィンパーク」は平成12年(2000年)春に完成。幅32m、長さ62m、高さ14m、開閉式ドーム型の巨大コミュニティ空間。イメージテーマのエルフィン(妖精)を、モニュメントや絵タイルで表現、多目的な展示コーナーの設置や緑あふれる町並みの演出で、人々の交流とくつろぎの広場として誕生した。
◇住所:〒061-1121 北広島市中央6丁目209。
◇電話:011-376-8880。

JR北広島駅直結のエルフィンパーク 右は北広島市のゆるキャラ・まいピー
(2008年、2009年、2014年撮影)

エルフィンロードの歴史

 旧国鉄千歳線跡地を利用してつくられた。旧千歳線は、大正15年8月の営業開始に至るまで、大勢の労働者が過酷な労働のもと、宿舎に寝泊りしながら鉄道建設に従事した。何人もの労働者がはやり病などでなくなったり、過酷な労働に耐え切れず逃げ出した人もいたと言い伝えられている。このようにして敷設された旧千歳線は、昭和48年まで千歳線沿線住民の重要な交通手段として活躍してきたが、千歳線の複線化や切り替え工事に伴いその役割を終えていた。平成16年10月16日エルフィンロードとして生まれ変わった。

きたひろしまサイクリングロード (左)自転車の駅(2008年8月撮影)

エーデルワイスファーム
 半世紀以上、自家用に作り楽しんできたものを、1985年に噂を聞いて来られた一流シェフが「今でもこんなに美味しいハム・ベーコンがあるのか」といわれ、その要請によって製品化した店。
 SomeL(サムエル)は、2022年にハム・ベーコンのエーデルワイスファームのパン屋さんとしてオープンした。「ハム・ベーコンに合うパン」として、素材にこだわり、一つ一つ手作りしている。
◇住所: 〒061-1264 北広島市輪厚531-7。
◇電話: 011-377-6656。
◇営業時間:10:00〜16:00。

SomeL名前の由来


 1949年、私たちが牧場経営をしていたときのこと。私が乳牛改良についての知識が詳しいということで推薦され、単独でカナダに乳牛の種雄牛選定に行くことになった。毎日300km以上の道を走り回り、候補の種雄牛を見て歩く日が続いた。その中で、スプリングファームという牧場を視察したとき、その牧場主が案内してくれた郊外のレストランに行った。そのレストランの前に「Someplace else」と大きな木の板に書かれた看板があった。
 いつか、牧場の自家製品主体の特選食品販売をしたいと考えていた私。そのときには、その名前を使いたいと思っていた。
 「Someplace else」は、「他とは違った特別の場所」という意味がある。このたび、パン工房にこの名前を使うことになった。ここのパン工房から出来上がってくるパンを食べれば、ほかのパン工房とは味や製法の違いに気付くはず。 
                    エーデルワイスファーム会長 野崎 健美


エーデルワイスファーム(2023年12月撮影)

くるるの杜
 くるるの杜とは−おいしいものを自分の手で作るのが「農業」。そこには買って食べているだけでは分からない、発見や感動がある。太陽を浴びて、野菜が畑の栄養を吸収するように、人間もココロの栄養を吸収できる。大人も子どももぐんぐん成長できるのが「くるるの杜」。(くるるの杜HP)
◇住所: 〒061-1270 北広島市大曲377-1。
◇電話:011-377-8700。

くるるの森 (右)農村レストラン(2013年7月撮影)

特別天然記念物「野幌原始林」
 石狩平野の南西部、野幌川と江別川の間を南北に細長く延びる野幌丘陵(旧広島村・旧江別村)にあり、旧農林省北海道林業試験場の試験林のうち天然保存区となっていた国有林で、 トドマツと落葉広葉樹を主体とする針広混交林。


 丘陵は中央部が高いものの標高100m以下、東西に緩傾斜。もとは丘陵に針葉樹が多く、この高さでは異色のトドマツの巨木を混じえた純林もある一方、 沢地には広葉樹が多く、開拓が進みつつあった石狩平野で自然の姿を留めていた。この美林が、第二次大戦中は軍用材向けに、戦後は開拓のためかなり伐採された。そして、特別天然記念物に指定された翌々昭和29年(1954)には台風でほとんど壊滅状態になり、 その後の風害や病虫害で回復の見込みがなくなった。このため、30年代半ば、指定されていた3団地320haのうち比較的被害の少ない1団地を残して指定が解除され、現在は北広島レクリエーションの森に隣接する3林班39.7haとなっている。樹種はトドマツ・センノキ・ミズナラ・ミズキ・シナノキ・エゾイタヤ・ホオノキ・エゾヤマザクラ・カツラ・ナナカマドなどで針葉樹85%・広葉樹15%、林齢135年。 林床にはササ・シダ・エゾユズリハ・ハイイヌガヤなどが多い。野幌原始林は、景観面では昔の面影が乏しくなっているものの、温帯北部の平野で、しかも都市近郊に原生林として残っているところが貴重とされる。(hpから)
◇住所:北広島市西の里。
◇指定の経緯:1921年(大正10年)3月3日天然記念物指定、1952年(昭和27年)3月29日特別天然記念物指定。

野幌原始林 石狩の原風景今に(2016.3.6付 毎日新聞)


 札幌、江別、北広島の3市にまたがる野幌丘陵。緩やかな丘に広がる「野幌原始林」は、明治期以前の石狩平野の原風景を今に伝える貴重な森林として国の特別天然記念物に指定されている。台風による倒木や虫害によって、当初の指定区域の約9割は解除され、現在は北広島市の国有林計41.7haを残すのみとなっている。解除区域を含む森は道立自然公園「野幌森林公園」として、森林浴、探鳥会、歩くスキーなど、市民が自然と触れ合う場として活用されている。【坂本智尚】
 「オオカメノキの冬芽は、耳を立てたウサギの顔にそっくり。カメとウサギの取り合わせが面白いでしょう」。野幌森林公園で2月中旬に開かれた自然ふれあい交流館の「冬の森の観察会」で、ガイドの小林秀世さん(58)は散策コース脇に自生する木の枝を手に取りながら参加者に説明した。恵庭市在住でJR北海道社員の小林さんは、27年前から道のボランティアレンジャーを務めている。
 観察会は森林公園北側の大沢口を起終点に2.7kmのコースを約2時間かけて巡った。時折、膝まで埋まる雪道を歩いていると、全身に汗がにじんでくる。ヤマウルシやミズナラといった樹木の冬芽、枝に残る葉痕、クマゲラが穴をあけた幹、樹皮が剥がされたエゾシカによる食痕、チョウやガのさなぎ、キタキツネやエゾリス、テン、ウサギの足跡。森の中では動植物たちの生命の営みを感じる発見の連続だ。木々をわたる風の音、鳥の鳴き声、雪の下を流れる水の音も聞こえ、冬の森は意外とにぎやかだ。広葉樹が葉を落としているため、林内は明るく、野鳥の姿が確認しやすいなど冬ならではの楽しみもある。小林さんは「大都市と近接しているのに、四季を通じて貴重な自然と触れ合うことができる」と魅力を語る。

◇     ◇     ◇

 百年記念塔をシンボルとする野幌丘陵は、最も高い所で標高117mの緩やかな台地で、石狩平野に突き出た岬のような地形になっている。トドマツを主体とする針葉樹、センノキ(ハリギリ)、カツラ、ミズナラなど多様な広葉樹が自生する混交林で、太古からの自然林と明治期以降に植えられた人工林が入り組んで繁茂している。自然林には直径1mを超える大木もみられ、かつては、このようなうっそうとした森が、江別から札幌まで連続しており、終戦直後までヒグマが出没した記録が残っている。
 1873年に旧北海道開拓使は野幌丘陵を含む約5,600haを官林とし、未開墾地の払い下げを行い、丘陵周辺部では本州から移り住んだ屯田兵や民間の移民組織による樹木の伐採や農地開墾が進んだ。しかし、農業用水の水源地として利用された中央部は90年に皇室の御料林となり伐採が禁じられ、1908年に約3,400haが林業試験場の試験林となった。試験林のうち、原生的な植生を保っていた3区域の計307haが21年、当時の「史蹟名勝天然紀念物保存法」の「天然紀念物」に指定される。旧内務省の調査報告書には「石狩ノ平野ニ遺レル唯一ノ原生林ニテ…」と指定理由が記されている。
 文化財保護法の制定により、52年に特別天然記念物に指定されたが、2年後の54年9月、北海道を襲った洞爺丸台風による壊滅的な風倒被害を受け、回復不能と判断された計265haが指定解除され、現在の指定面積に縮小された。

<特別天然記念物「野幌原始林」>
 北広島市西の里にある国有林41.7ha。トドマツの純林を含む針広混交林で、旧農林省北海道林業試験場の試験林のうち、天然保存区として保護されていた区画で1954年指定。当初は307.1haが指定されたが、59年に江別市の136.7ha、62年に北広島市の128. 7haがそれぞれ解除された。指定区域内への立ち入りは禁止されている。野幌森林公園は北海道100年を記念して68年道立自然公園に指定された。面積2,053ha。園内にある旧特別天然記念物指定区域へは、トド山口、瑞穂口、登満別口から遊歩道を通じて散策することができる。

<消滅の危機を乗り越えて>  酪農学園学園長 仙北富志和さん
 「今から117年前、野幌原始林は消滅の危機にひんしたことがあります」。「原始林は『拓かれて』残された。」(柏艪舎)の著書がある学校法人酪農学園(江別市)の学園長、仙北富志加さん(74)は指摘する。原野だった野幌地区は明治の中ごろ、新潟県からの移民組織「北越殖民社」が中心となって開かれた。1899年、道は広大な未開墾地の森林を札幌、江別、広島、白石の4自治体に割譲することを内定する。殖民社のリーダーだった関谷孫左衛門は分割によって樹木が伐採されると、水田に利用している水源が枯渇すると異議を唱えた。関谷の意を受けた殖民社の代表が当時の北海道庁長官に直訴し、分割案は撤回された。仙北さんは「原始林は山菜やきのこを採取する入会地にもなっており、新潟出身の移民たちには里山として森を保全する思想があったのでしょう。関谷たちの反対がなければ、原始林は一残っていなかった」と語る。


竹山高原温泉
 人気の純天然温泉。道内随一本格的な露天岩風呂で、野趣あふれる岩風呂で秘湯の雰囲気を味わえる。露天岩風呂は道内銘石600tを使用し、床面は中国産の総大理石張りの豪華なつくり。純天然温泉でモール温泉。宿泊もできる。日帰り入浴OK。
◇住所:〒061-1153 北広島市富ヶ岡896-5。
◇電話:011-373-2827。
◇営業時間:10:00〜22:00。
◇定休日:月曜日(祝祭日の時は翌日に振替)。

竹山高原温泉

北広島温泉(源泉名:美肌の湯)・楓楓(ふうふう)
 地下1500mから沸き出す北広島温泉・楓楓。森の中に佇む天然温泉(モール系)、黄褐色の無臭。露天風呂をはじめ、高温・低温の2種類の大浴場、サウナ、岩盤浴ドームなどがある。日帰り入浴OK(10:00 〜 22:00)。
◇住所:〒061-1101 北広島市中の沢316-1。
◇電話: ◇料金:大人800円、小人300円(小学生)、小学生未満は無料。

天然温泉 森のゆ
 男女の浴室が毎日入れ替わる。西側浴室からは、恵庭岳をはじめ札幌周辺の山並みを一望できる。東側浴室からは、森の四季の移ろいを間近に感じることができる。
◇住所:〒061-1102 北広島市西の里511-1。
◇電話:011-375-2850。



 北海道の空の玄関である新千歳空港を擁し、市域の西部には支笏湖がある。また、物流拠点として発展している。自衛隊の町といった側面もある。


 陸上自衛隊第7師団と航空自衛隊第2航空団が存在し、人口9万人のうち、約3万人が自衛隊関係者といわれている。かつてこの地はアイヌ語で「シ・コツ(大きな窪地、又は谷)アイヌ語ローマ字表記:si-kot」と呼ばれていたが、音の響きが「死骨」に通じることが憚られたため、当時この地に多くの鶴がいたことにちなみ「鶴は千年、亀は万年」の言い伝えによる縁起を担いで1805年(文化2年)に「千歳」と命名された。旧称は現在に至るまで、「支笏湖」などにその名を留めている。千歳市は3つの一番があり、世界一、日本一、北海道一である。世界一は(ギネス認定)、空港乗降客が一番、日本一は、自衛隊の規模、隊員数が一番、北海道一は、平均年齢が北海道で一番若い市町村。これは、自衛隊日本一と密接に関係している。東千歳駐屯地は、面積、隊員数とも日本一であり、約4000人が勤務している。千歳市の水道は、名水100選に選ばれたナイベツ川湧水から引かれている。ただし、人口増加に伴い新興住宅地は、えにわ湖や夕張のシュープル湖から水道が供給されている。名水100選を記念して千歳市蘭越に名水ふれあい公園が作られた。ここで名水ナイベツ川湧水を汲むことができる。(jawp)
ちとせの観光


新千歳空港
 千歳市と苫小牧市にまたがる空港。国際航空輸送網、国内航空輸送網の拠点空港。北海道内にある空港では最大の規模を誇り、利用者数は日本国内の空港では東京国際空港、成田国際空港に次いで第3位(2010年度)の空港である。北海道の空の玄関口として機能している。


 航空自衛隊千歳基地と隣接・接続し、航空管制も航空自衛隊にて一体的に行なわれるなど、日本の防空上の重要な拠点としての意味合いも併せ持つ空港である。1992年の開業以来、国内線と同一の建物を使用していた国際線の空港ターミナルビルは、2010年3月26日より新ターミナルが開業・移転し、別の建物になった。両ターミナルは、連絡橋で結ばれている。また、誘導路を挟んだ国内線ターミナルの北側には貨物ターミナル(オープンスポット併設)が、国内線ターミナルの南側・国際線ターミナルの北側にオープンスポットがあり、特に冬季間は夜間駐機にも使用されている。
 2012年現在、年間利用者約1,800万人、季節運航も含め30路線以上の国内線ネットワークを持ち、北海道の空の玄関となっている。とりわけ東京国際空港(千歳-羽田)便は現在、日本航空(JAL)・全日本空輸(ANA)・AIR DO(ADO)・スカイマーク(SKY)の4社が競合し、2006年には単一路線としては、世界で初めて年間乗降客が1,000万人を突破した。近年、利用者数は減少に転じているものの、直近でも年900万人以上の利用がある世界一の巨大幹線である。国際線は、2012年12月現在、運休中・定期チャーター便を除き12社により10路線が運航されている。チャーター便を含む利用者は2007年に年間80万人、2012年には年間100万人を突破している。最近はアジア圏の北海道ブーム等により、既存路線の増便や新路線開設の動きが活発になっている。以前のようなヨーロッパやオーストラリアへの定期長距離路線はないものの、ハワイへの路線復活や東南アジアへの新路線開設など新たな動きも見せつつある。格安航空会社(LCC)は、2012年8月現在で国内拠点3社、海外拠点1社が就航している。特に国内LCCはすべての会社が就航しており、成田国際空港や関西国際空港との国内路線を運航している。海外LCCも複数の会社が就航検討中との報道もあり、今後就航の動きが活発化する可能性もある。
◇住所: 千歳市美々987-22。
◇電話:0123-23-0111。


(左)千歳空港国際線 (右)千歳空港国内線・国際線連絡路(2011年、2012年撮影)

支笏湖
 千歳市の西部に位置する日本最北の不凍湖です。最大深度は360mと日本で第2位の深さの神秘の湖・支笏湖(しこつこ)。恵庭岳(えにわだけ)1,320m、樽前山(たるまえざん)1,041m、風不死岳(ふっぷしだけ)1,103mなど周囲を山で囲まれ、緑濃い原生林が今も多く残されている。湖畔周辺には、国設美笛(びふえ)野営場やバードウォッチングが楽しめる野鳥の森などがある。
◇問い合わせ:0123-24-3131。

恵庭岳(1,320m)
◇住所:千歳市幌美内。
◇問い合わせ:0123-25‐2404(支笏湖ビジターセンター)。
 支笏湖周辺の最高峰の山で、名称の由来となったアイヌ語の工・エン・イワ (頭の尖った岩山)の通り、尖った山容が特徴。登山口から3時間半ほどで第2見晴台まで登れる。◇第2見晴台から先は立入禁止となっている。

◆風不死岳(1,102m)
 アイヌ語のフプシ(トドマツあるところ)が名祢の由。樽前山7合目ヒュッテから約3 時間で山頂まで登るごとができる。

支笏湖と恵庭岳(2006年5月撮影)

支笏湖と(左)樽前山・(右)風不死岳(2006年5月撮影)

支笏湖(2010年5月撮影)

樽前山山頂から望む支笏湖(2005年7月撮影)

◆苔の洞門(閉鎖)
 樽前山が噴火したときに流れ出た溶岩の割れ目が、沢水などによって浸食されてできた自然の回廊状の地形で、その岩肌に苔が密生してできたもの。洞門内で見られる主な苔(こけ)は、エビゴケ、エゾチョウチンゴケ、ジャゴケなど。
◇問い合わせ:0123-24-0366(千歳市観光課)。

苔の洞門ネイチャーセンター(左)と苔の洞門

オコタンペ湖
 オコタンペ湖周辺は漁岳周辺森林生態系保護地域となっている。標高1,318mの漁岳を中心に南に小漁山とフレ岳が尾根を重ね、それら東にオコタンペ湖は位置する。


 この区域の森林は標高600mから1,300mの範囲にあり、大雪山など道央のエゾマツ、トドマツ林から渡島半島のブナ林の移行地域として重要な地域である。眼下に見えるオコタンペ湖は、約3万年前、支笏湖カルデラ生成後、噴火し、恵庭火山の噴出物が沢をせきとめて形成された湖である。支笏湖より300m以上高地にあり、湖の水は急崖を滝となっており、オコタンペ川になり支笏湖に注いでいる。湖の周囲は、エオゾマツなどの針葉樹とミズナラやダケカンバなどの広葉樹が混交する森林となっている。これらの森林に取り囲まれた湖水はエメラルドグリーンとなり、神秘的な雰囲気を醸し出しているとともに、北海道三大秘湖の一つといわれている。オコタンペ湖は、周囲約5km、最大水深約20mでアメマス、エゾサンショウウオ、ザリガニなどが生息している。また、鳥類では、オシドリ、マガモなどが飛来する。
◇住所:〒066-0286北海道千歳市奥潭。
◇電話:0123-25‐2404(支笏湖ビジターセンター)。


オコタンペ湖(2010年5月撮影)

紋別岳(866m)
 頂上まで2時間ほどと、手軽に登山を楽しめる山として人気。頂上からの36 度 開けた眺望は壮観。
◇問い合わせ:0123-25-2404。

◆美笛峠
 標高630mにある国道276号線沿いの展望駐車場では、新緑や紅葉の美しい最観を楽しめる。

樽前山(1,041m)
 火山ドームを含む活火山で、アイヌ語のタロイ・マイ(川岸の高いところ)が名称の由来。7合目までは車で行くことができる。高山植物の花畑や山頂からの眺望にも優れ、7合目からは1時間ほどで火山ド ーム周辺の外輪山まで登れる。 ◇火山活動の状況により登山禁止となる場合がある。火山情報に 十分注意して危険のないようにしてください。
◇住所:〒059-1265 苫小牧市樽前。
◇電話:0144-32-6448。

樽前山(2006年11月撮影)

◆千歳JAL国際マラソン(6月下旬)
 新緑の6月、原生林と千歳川に固まれた森林のコースを走るマラソン大会。フル、八一フ、10km、3km、3km親子マラソンなど、豊富な種目とランナーの脚にやさしいコースで人気の大会。

◆スカイ・ビア&YOSAKOI祭(7月中旬)
 全道から集結したYOSAKOIチームによる卜ーナメントやパレードのほか、空路交流都市によるPRステージなど、多彩な内容で展開される。会場内には飲食ブースが出店し、4大ビールメー力ーのビールや地ビールなどを昧わうことができる。

◆支笏湖湖水まつり(7月下旬)
 2日間の日程で各種ステージ行事や湖上打ち上げ花火大会が開催され、毎年多くの観光客で賑わう、支笏湖ならではの風情ある夏を満喫できるイベント。

千歳基地「航空祭」(8月上旬)
 自衛隊への理解を深めるために航空自衛隊千歳基地が主催するイベント。音楽隊による演奏や、装備品等の地上展示、自衛隊機等の飛行機展示などが行われる。祭りのメインはブルーインパルスによる曲芸飛行。一糸乱れぬチームワークは必見。
◇開催場所:航空自衛隊千歳基地(千歳市平和)。
◇問い合わせ:0123-23-3101(内線2218 航空自衛隊千歳基地監理部広報室)。

航空祭

◆インディアン水車まつり(9月中旬)
 千歳川とインディアン水車(千歳市花園2丁目4)とサケをテーマに、サケ鍋やイクラ弁当の販売の他、釣堀やヤマ メレース、丸太切りレース、各種ステージ行事などが行われ、千歳の秋をたっぷり満喫できる。

インデアン水車(2009年10月撮影)

サケのふるさ千歳水族館
 淡水では日本最大級の水槽を有する水族館で、館内ではサケの仲間や北海道の淡水魚を中心に、世界各地の様々な淡水生物を観察することができる。千歳川の水中を直接見ることのできる日本初の施設で、四季折々の千歳川の生き物たちの営みを間近に観察することができる。中でも、秋に産卵のため川をさかのぼるサケの群れは必見。サケの稚魚放流体験などのイベントや企画展なども数多く開催している。
◇住所:066-0028 千歳市花園2-312。
◇電話:0123-42-3001 。

サケのふるさと千歳水族館(2021年4月撮影)

◆支笏湖紅葉まつり(10月中旬)
 支笏湖の紅葉を眺めながら、秋の昧覚を昧わうことができるイベント。きのこや旬の野菜の販売、支笏湖名物ヒメマス(チップ) ときのこがたつぷり入った昧覚汁も大好評。お祭りの後は、温泉でゆっくりのんびりと過ごすのがおすすめ。

◆千歳・支笏湖氷濤(ひょうとう)まつり(1月下旬〜2月中旬)
 湖水を吹きかけて凍らせた大小さまざまな氷のオブジェが、昼は支笏湖ブルー、夜は色とりどりにライトアップされ立ち並び、訪れた人を幻想的な世界へ誘う。ゲーム大会や乗馬体験、会場内での結婚式「氷濤ウエデイング」、「冬の支笏湖花火の世界」、和太鼓の演奏を行う「支笏湖ダィナミックナイト」など、さまざまな催し物が行われる。

千歳・支笏湖氷濤まつり(2011年2月撮影)

千歳アウトレットモール・レラ
 .北海道初、日本初進出のショップも多数出店しているアウトレツトモール。新千歳空港からも近いロケーションで買い物も便利。飲食コーナーには話題のラーメン店のほか、北海道のお酒やおみやげなどを集めた物産館「北海道新発見ファクトリー」がある。
◇住所:〒066-8765 千歳市柏台南1丁目2-1。
◇電話:0123-42-3000。
◇営業時間:10:00〜19:00。

千歳アウトレットモール・レラ(2012年5月撮影)

温泉特集


丸駒温泉旅館
 支笏湖周辺の温泉では最古の湯。大正4年創業の老舗旅館で、開湯当時からの源泉かけ流し天然露天風呂が人気。露天風呂は湖面と同じ高さにあり、支笏湖の景色を楽しむことができる。泉質・ナトリウム・カルシウム−塩化物・炭酸水素塩・硫酸塩泉。効能・神経痛、関節痛、筋肉痛、冷え性、慢性婦人病等。
◇住所:千歳市支笏湖幌美内7。
◇電話:0123-25-2341。

◆支笏湖温泉
 「美肌の湯」の混泉街。さまざまな趣の湯船がそろい、数件の温泉旅館や飲食店が集まる支街湖で最も大きな温泉街。全国でも珍しいナトリウム−炭酸水素塩泉で、「美肌の湯」として女性に人気。泉質・ナトリウム−炭酸水素塩。効能・リウマチ性疾患、創傷、火傷等。支笏湖温泉旅館組合
◇住所:千歳市支笏湖温泉。
◇電話:0123-24-8818(千歳観光連盟 北海道観光ステーション)。

松原温泉旅館
 飲む温泉もお試しあれ!ナトリウムー炭酸水素塩泉で腐植質の含有量は道内一。真っ黒なお湯に驚くが、入ってみると肌触りがよくツルツルに。弱塩質の温泉も楽しめる。泉質・ナトリウム−炭酸水素塩。効能・リウマチ性疾患、神経痛、皮膚病等。
◇住所:千歳市泉郷708。
◇電話:0123-29-2536。

新千歳空港温泉万葉の湯
 旅の始まり、終わりに、最高のリラックスとリフレッシュを。 新千歳空港温泉は、塩分を含むナ トリウム塩化物泉。保温効果が高 く、保湿性に優れ、なめらかでツルツルした素肌になる美人の湯。泉質・ナトリウム−塩化物泉 弱アルカリ性 張性温泉pH8。 効能・神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺。
◇住所:〒066-0012 千歳市美々987-22。
◇電話:0123-46-4126。


千歳ワイナリー
 千歳ワイナリーは1988年の創業来、ワイン造り一筋に歩んできた。 北の大地が育てた芳醇で果実味豊かなワインを醸している。
◇住所:〒066-0035 千歳市高台1丁目7。
◇電話: 0123-27-2460。

千歳ワイナリー(2012年7月撮影)

道の駅 サーモンパーク千歳
 千歳市と小樽市を結ぶ国道337号沿いに位置。周辺を流れる清流千歳川には毎年サケが遡上し、インディアン水車と呼ばれる水車によるサケの捕獲風景は千歳の秋の風物詩となっている。また、新千歳空港や道央自動車道千歳ICから車で約10分程度と交通アクセスにも恵まれ、北海道観光の起点としても絶好の位置にある。


世界文化遺産・国指定史跡・キウス周堤墓群
◇住所:〒066-0007 千歳市中央2777。
◇電話:0123-24-4210(千歳市埋蔵文化財センター)。
◇駐車場:あり。
◇トイレ:あり。
<周堤墓とは>
 縄文時代の終わりに近いころ(縄文時代後期後葉、約3,200年前)、北海道では独特な集団墓が造られた。それは地面に円い大きな穴を掘り(竪穴=たてあな)、その土で竪穴の周囲に土手を盛り、(周堤=しゅうてい)、竪穴内や周堤上に1基〜数十基の墓穴を設けたもので、「周堤墓」と呼ばれている。周堤墓は、一部が関東と芦別市にあるほかは、大部分が恵庭市、千歳市、苫小牧市の石狩低地帯南部に集中して造られている。周堤墓の大きさは、一般的に10〜30mほどだが、キウス周堤墓群では70mを超える大規模な周堤墓が群集しているのが大きな特徴。また、キウス周堤墓群は、現地表面からその形を見ることができる貴重なものとして、1979年に国指定史跡となり、2019年には4.9haから10.9haに史跡の範囲が広がった。


<キウスのアイヌ語地名>
 アイヌ語の地名は、その土地の特徴を示して付けられている。北海道には今もその読み方をもとに付けられた地名が多く残っている。キウスとはアイヌ語の「キ・ウシ」(カヤ・群生するところ)という意味が由来となっていると考えられる。当時は眼前の湖沼や湿地の周辺に茅(かや)が広がっている風景だったのだろう。

<キウス周辺の地形と遺跡>
 キウス周堤墓群は、石狩低地帯の南東にある馬追(まおい)丘陵のすそ野部、標高15〜21mの緩斜面(かんしゃめん)に造られている。かつて大地の眼前は広大な湿地帯となっており、オサツトー(長都沼)やマオイトー(馬追沼)が広がっていた。現在は干拓され、湖沼(こしょう)や湿地はほとんど残っていない。丘陵のすそ野部周辺には、旧石器時代に始まる人々の生活の痕跡(遺跡)が数多く確認されている。また、周堤墓は、高速道路千歳東IC部分にあるキウス4遺跡や南西へ2.4km離れた丸子山(まるこやま)遺跡でも見つかっており、発掘調査が行われている。

<周堤墓研究の今>
 周堤墓は、古くから研究者たちの注目を集めてきた。ここでは、今も研究が進められている周堤墓の始まりについての学説を紹介する。周堤墓は、北東北や北海道で縄文時代後期初頭に造られた環状列石に由来するとの指摘がある。環状列石が礫(れき)を円形に配置した大型の記念物で、墓穴や祭祀(さいし)遺物を伴う点が周堤墓とよく似ているためである。一方、両者は造営時期の連続性や分布域の重なりが明確でなく、遺跡の立地傾向も異なることから、直接的な系譜関係は認められないとする指摘もある。ほかにも竪穴住居をモデルとする説、群集墓の影響を受けて発生したとする説、気候の寒冷化により、人口密度が高まった結果、周辺地域の人々や集落内の繋がり(団結)を強めるための共同作業として周堤墓をつくり始めたとする説など、多様な見解がある。その後、縄文晩期になると、周堤墓は忽然(こつぜん)と造られなくなる。なぜ終焉したのか、造営に携わった人々はどうなったのか、後期後葉の北海道という限られた期間と地域のなかで造られた周堤墓には、これらを含めまだまだたくさんの謎が残されている。

<キウス周堤墓群、驚きの大きさ!>
 キウス周堤墓群のうち1号周堤墓は、周堤の最大径が約83mあり、地表面から分かる縄文時代のお墓の中で最大級の大きさを誇る。シロナガスクジラは全長26m、世界最大級の旅客機ボーイング777は全長74mであるので、比べてみると1号周堤墓の大きさがよくわかる。また、高さが最大なのは2号周堤墓で、竪穴床面から周堤上までは約5mある。2号周堤墓を造るには役3,000uの土を動かしたと計算されている。縄文時代の道具を使って土を掘って運んで積み上げた土の量を1人1日1uだったとすると、25人で120日かかることになる。
<これまでの歩み>
◇紀元前約1200年 キウス周堤墓群が造られる。
◇紀元前約500年 樽前山の噴火により火山灰被覆。
◇1739年 樽前山の噴火により火山灰被覆。
◇1890年(明治23年) 周堤墓を通る由仁街道(現国道337号)が竣工。
◇1901年(明治34年) 河野常吉(こうのつねきち)による現地調査。
◇1917年(大正6年) 河野常吉による現地調査、阿部正己(あべまさき)による現地調査、松坂修吾(まつさかしゅうご)による測量調査。
◇1922年(大正11年) 河野常吉による現地調査(聴き取り)。
◇1930年(昭和5年) 「史跡キウスノチャシ」として1〜5号周堤墓が史跡天然記念物保存法に基づき北海道庁より仮指定される(史跡面積:38ha)。
◇1950年(昭和25年)河野広道(こうのひろみち)による7号周堤墓の調査(石柱のある1基のベンカラのまかれた墓穴を確認)。
◇1964年(昭和39年) 大場利夫(おおばとしお)・石川徹(いしかわとおる)による1号周堤墓の調査(5期の墓穴を確認)。
◇1965年(昭和40年) 大場利夫・石川徹による2号周堤の調査(1基の墓穴を確認、周堤の断面を記録、4号周堤墓外縁部の墓穴の発見・調査(石棒出土)。
◇1968年(昭和43年) 大場らの調査結果をもとに「千歳キウス環状土籬(どり)群」として1〜6号周堤墓が北海道文化財に指定される(史跡面積41,615.05u)。
◇1978年(昭和53年) 千歳市教育委員会と奈良国立文化財研究所による共同測量調査(11号・12号周堤墓を発見)。
◇1979年(昭和54年) キウス周堤墓群として1〜6・11・12号周堤墓の範囲が国史跡に指定される(史跡面積:49,441.00u)。
◇2012年(平成24年) 世界遺産暫定一覧表記載の「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」に構成資産の一つとして追加登録される。
◇2013〜2017年(平成25〜29年) 史跡周辺の詳細分布調査(14号周堤墓を発見)、および地形測量調査。
◇2019年(令和元年) 14号周堤墓を含めた範囲が国史跡に追加される(史跡面積:108,772.06u)。
◇2020年(令和2年) 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つとして世界文化遺産の推薦書が国(文化庁)からユネスコへ提出される。

<7〜10・13号周堤墓について>
 史跡に含まれていない周堤墓の番号について説明する。7号は史跡から300m南西に離れて現存している。8・9・10号は発見当時から削平されていた周堤墓で、その後、位置不明となってしまった。また、史跡から約3km南に離れた13号は誤認と判明し、現在オルイカ1遺跡と名称が変わっている。

(千歳市埋蔵文化財センター文化財普及啓発事業広報資料、2020年=令和2年9月30日発行)


キウス周堤墓群(2021年9月撮影)



 石狩市は、2003年(平成15年)1月から旧厚田村・旧浜益村と合併協議会を設置して協議を重ね、2005年(平成17年)10月1日両村を編入合併した。


<旧石狩市>
◇位置 札幌市の北側に隣接し、石狩湾に臨む水に恵まれた環境にある。江戸時代初期には河口部流域が「場所」に指定されたことや交通の要所であったことから、西蝦夷地の中心地として重要な役割を果たしてきた。近年は、石狩湾新港をベースにした国際的な文化・経済の拠点として、目覚しい発展を遂げている。
◇地勢・面積 総面積は117.86平方km。東西に21.83km、南北19.03kmに広がっている。西側一帯は石狩湾に、北・南・東は厚田村、当別町、札幌市、小樽市に接している。
◇気候 北海道の中でも温暖で四季の変化に富み、台風の影響も極めて少ないのが特徴である。対馬海流の影響による海洋性気侯で、春から夏、秋にかけてはしのぎやすく、冬期問の気温も零下10度以下になることは少なく、気温格差もそれほど大きくない。積雪も12月〜3月ころまでで、最深積雪は120cm前後である。
◇交通アクセス 国道231号、337号など道路網の完備により、札幌市中心街へは、車でわずか30分。またバス路線も充実しており、札幌市の地下鉄へのアクセスも容易である。空の玄関、新千歳にも高速道路を使えば、約1時間で着くことができる。
◇石狩の歴史 今からおよそ6,000年前、現在の石狩市の大部分は海の底であった。温暖な気候によって海水面が上昇していたためである。海は現在の札幌や江別にまで広がっていたが、その後、砂丘が水上に現れてまもなく、縄文人が活動を始め、以後、砂丘は4,000年間にわたって古代人の生活の場となった。縄文時代の遺跡で発見された家の跡からは、サケの骨が発見されており、縄文時代からサケ漁が行われていたことがわかる。また、平野部の遺跡は、石狩川に面した砂丘上に集中しており、古代人たちは、石狩川と深いかかわりをもって生活していたことがわかる。
 江戸時代になると松前藩は、アイヌと交易する区域をいくつかの「場所」とよぶ区域に分け、この「場所」での交易を、一定の運上金と引き換えに場所請負人と呼ばれる商人に任せるようになる。場所請負人の代表格が石狩場所の村山家である。石狩だけでなくルルモッペ(留萌)、宗谷、クナシリ場所なども請け負い、持ち船は数十隻、1年間の儲けは6万両といわれ、日本屈指の豪商として知られた。最盛期には松前藩の参勤交代の費用まで出したといわれている。
 弁天歴史通に残る石狩弁天社は、元禄7年(1694)に創建され、文化13年(1816)に村山家が再建したもので、石狩場所の役人、松前や江戸の問屋が奉納した鳥居や鰐口、手水鉢などが残されており、村山家の繁栄とイシカリを巡る交易の広がりを伝えている。また、石狩弁天社には、「石狩川の主」といわれ、鮭漁の神様として「鮫様(妙亀法鮫大明神)=みょうきほうこうだいみょうじん」がまつられ、今も信仰されている。幕末に箱館奉行だった村垣淡路守のつくった絵図を見ると、この頃のイシカリには、現在の弁天歴史通に沿って、石狩弁天社、元小屋(交易の場所)が並んでいる。元小屋の前には、高札が立てられており、和人の小屋やアイヌの家、川沿いには材木の集積場のようなものが見える。明治時代は、鮭漁の最盛期で、年問100万尾を越える水揚げも珍しくなかった。そのため、サケの漁期には2,000人以上の出稼ぎ人が入り込み、遊郭や料理屋などの飲食店が十数軒も軒を連ね大いに賑わった。
 明治時代になると、愛知県や石川県などから移住者が入り、花畔(ばんなぐろ)村、生振(おやふる)村、樽川(たるかわ)村の3つの村ができ、近代的な開拓が始まる。石狩の平野部は砂地のため、最初は畑作のほか酪農が盛んに行われた。水田は開拓民の悲願であったが、砂地での水田耕作は難しく、さまざなな試行錯誤が繰り返された後、昭和3年(1928)、花畔地区の農民たちによって本格的な水田耕作に成功し、市内の水田は飛躍的に増加した。戦後も食料難から造田への意欲は高く、町民あげて大規模な造田工事が行われ、水田地帯に変わった。
 昭和30年代には、札幌市の人口の急増から大規模団地として注目されるようになる。昭和39年(1964)、現在の花川南地区が「新札幌団地」として造成が開始されて以降、大規模住宅地として開発が進み、人口は目覚しく増加した。また、昭和48年(1973)から着工された石狩湾新港は、国際貿易拠点港として期待されている。平成8年(1996)9月1日に、石狩町は「石狩市」となり市政が施行され、着々と発展を遂げている。(石狩市勢要覧2003)

<旧厚田村>
 明治2年(1869年)に運上屋制度が廃止され、開拓使扱いとなり戸長役場が設置され、この時を「村の開基」としている。その後、明治4年(1871年)に仙台から160余名がシップに移住し、山形・庄内から45名15戸が望来に居を構えた。以降、本州各県より次々に団体移住があり、各集落が形成された。それに伴い神社、寺院も建てられ、また明治13年(1880年)には古潭教育所を併合した厚田教育所が設置された。明治35年(1902年)、戸長制度が廃止され、二級町村制が施行され、聚富(しっぷ)、望来(もうらい)、嶺泊(みねどまり)三村を合わせて望来村とし、古潭以北の7村を合わせて厚田村とした。明治40年(1907年)に1級町村制が施行され、厚田、望来を合わせて厚田村となり、現在に至る。

<旧浜益村>
 石狩管内の最北端に位置し、暑寒別天売焼尻国定公園を有し、自然景観に恵まれた農漁業中心の村。
石狩観光協会

石狩弁天社
 海上安全と鮭の豊漁を願って1694年に建てられた神社。市内に残る最も古い建物であり、代々の石狩場所請負人などによって信仰されてきた。主神は弁天様であるが、このほかに石狩川の主といわれるチョウザメを神格化した「妙亀法鮫大明神(鮫様)」が奉られている。
◇住所:〒061-3372 石狩市弁天町18。
◇電話:0133-62-4611(石狩観光協会)。

石狩八幡神社
 石狩が幕府の直轄地となった後の1858年に、東西蝦夷地総鎮守とすべく建てられた神社。その名の通り、もともとは八幡町にあったが、1874年に弁天社があった現在の場所に移転した。石鳥居は弁天社が残していったもので、海上安全、秋味といった文字が刻まれている。
◇住所:〒061-3372 石狩市弁天町1 。
◇電話:0133-62-3006。

石狩八幡神社(2023年3月撮影)

弁天歴史公園
 鮭漁とともに歩んできた石狩のシンボルとして弁天歴史通りとともに作られた公園である。
◇住所:石狩市弁天町。
◇電話:0133-62-4611。

はまなすの丘公園
 石狩川の河口にのびる約1.5?の砂嘴に広がる海浜植物の楽園。市の花ハマナスをはじめ、180種類もの植物が自生し、春から秋にかけてさまざまな花を見ることができる。潮騒と鳥のさえずりを聞きながら、河口までのびる道を歩き、大都市の近郊に残る素朴な景色を堪能できる。
◇住所:〒061-3371 石狩市浜町。
◇電話:0133-62-3450。

石狩浜海浜植物保護センター
 石狩浜に残る貴重な海浜植物を守り、再生するための活動拠点。石狩浜を訪れた人が、より石狩浜の自然に親しむことができるよう、パネルやビデオで植物の生態や保護活動を紹介し、自然観察会や学習会なども行っている。
◇住所:〒061-3372 石狩市弁天町48-1。
◇電話:0133-60-6107。
◇開館:9:00〜17:00。
◇休館:火曜(祝日の場合はその翌日)。

◆ミズバショウの群生
 石狩河口橋の側にあるマクンベツ湿原で、4月末〜5月のはじめにかけてミズバショウの群落が見られる。堤防に沿って約1.5kmの遊歩道が整備されているので、野鳥のさえずりとともに問近での鑑賞が楽しめる。
中央バス札幌ターミナルから急行「札幌厚田線」で40〜50分、「矢臼場」停下車徒歩約10分。P1OO台、トイレ有。

◆あそびーち石狩
 年間数十万人が訪れる道内最大の海水浴場。ライフセーバーが監視、救助、そして環境美化に努めているので、小さな子供のいる家族も安心。より多くの人に海水浴を楽しんでもらえるよう、砂浜用の車椅子と専用のトイレ、シャワーも用意している。

◆いしかり夏まつり(7月下旬)
 郷土芸能やパフォーマンスコンテスト、オリジナルの野外劇など、にぎやかなイベントが繰り広げられる。お祭りのフイナーレを飾るのが、石狩川の夜を彩る花火大会。間近にあがるど迫力の2尺玉と華麗な水中花火を楽しめる。

◆石狩さけまつり(9月下旬)
 鮭のまち石狩を代表するお祭り。朝に獲れた新鮮な秋鮭の即売はもちろん、超特大の千人鍋で作る石狩鍋の格安提供、そして豪快な鮭のつかみどりなど、まさに鮭づくしのお祭り。石狩が鮭缶工場の発祥の地であることにちなんで、缶にちなんだイベントも行う。

◆石狩冬まつり(2月中旬)
 市民による雪像が並ぶ会場で、タイヤのチューブで滑る雪の巨大滑り台や、鮭の網を引く雪中網起こしレースなど、厳冬の石狩を熱くする催しが行われる。

石狩温泉番屋の湯(宿)
 石狩湾から雄大な日本海を眺望する景勝の地に建つやすらぎの施設。開拓時代を偲ばせる番屋風の建物が人気で、年間50万人もの人が訪れる。地下数百メートルから汲み上げられた一千万年近く前の太古の海水、いうなれば「化石海水」温泉が体を芯から温めてくれる。泉質ナトリウム塩化物強塩泉。適応症/神経痛、筋肉痛、関節痛、慢性消化器病、痔疾、冷え性など。
◇住所:〒061-3372 石狩市弁天町51-2。
◇電話:0133-62-5000。
◇営業:10:00〜24:00。
◇料金:大人750円、小学生以下350円。シルバー(65歳以上)700円

◆石狩番屋の地ビール
 石狩産高品質米の柔かい風味を生かした「加夢加夢ピルスナー」、ビターですっきりした飲み口が特長の「はまなすアルト」、甘さ・苦み・香ばしさ等素材の持ち味が重厚感を織りなす「カナダレッドビール」、そして、生きた酵母でミネラルたっぷり、フルーティな「生き活きヴァイツェン」!石狩番屋の手作り地ビール4種類がある。ジャパン・ビアカップ2003ヴァイスビール部門入賞。
◇住所:〒061-3372 石狩市弁天町30-4。
◇電話:0133-62-5010。
◇取扱店:番屋の湯、番屋の宿、ヴィジターセンター

◆サーモンファクトリー
 石狩で獲れる鮭はすべてここへ。工場に直結した店舗には、新巻きから加工品、珍味まで、鮭のありとあらゆる製品がそろっている。2階のレストランでは、旧石狩川を眺望しながら白慢の鮭料理が満喫できる。
◇営業:10:00〜18:00。
◇電話:0133-62-5511。

◆いしかり漁港朝市
 水揚げされたばかりのカレイやタコ、ヒラメ、ホッケ、シャコなど新鮮な魚介類を市価より安く提供。おいしい食べ方も教えてくれる。
◇住所:石狩湾新港ふ頭。
◇時期:4月中旬〜7月中旬。
◇時間:6:00〜14:00(天候により変動あり)。

◆ルーラン海岸
 厚田村の北端、国道231号沿いのルーラン海岸は、平成2年(1990年)に指定された暑寒別天売焼尻国定公園の一部。 海に岩壁が突き出た義経の涙岩と呼ばれる洞窟がある。

◆義経の涙岩
 ルーラン海岸でひときわ目を引く岩壁が義経の涙岩である。磯舟が通り抜けできるほどの洞窟で、 衣川の戦で破れ逃れてきた源義経が、この地で酒を飲みながら静御前のことを思い、涙したという伝説が残っている。


◆戸田記念墓地公園
 厚田村出身の戸田城聖を記念するメモリアルパーク。 眼下に日本海を望む望来の高台に位置している。


戸田生家
創価学会を築いた2代会長戸田城聖は1900年(明治33年)2月11日に生まれ3才のとき一家は石川県から渡道厳しく雄大な厚田の自然にいだかれて成長し1914年(大正3年)厚田尋常高等小学校を首席で卒業した。
「男子志を立て郷関を出づ。
 功なくして志ならずしていかにして
 厚田の水を飲むべきや」
と手記の残して向学心に燃えて雄飛の決意を固めて上京する。
鰊の波にわきたつなかで多感な時をすごした証しである。
このたび厚田川の改修にあたり漁家特有の造りに十分配意しながら移転復元した。家具類などについては多くの人々の協力を得てゆかりの品々を収集したものである。
貧しくも銀に映えた生家である。
1978年(昭和53年)10月10日
厚田村


戸田生家(2023年6月撮影)

道の駅 あいろーど厚田
 国道231号線沿い厚田に道内120番目の道の駅。。日本海を見下ろす2階のフードコートや3階展望デッキからの夕日は絶景。また「こども広場」も併設。北海道で最初に認定された「恋人の聖地」「戸田城聖生家」「厚田キャンプ場」も公園内にある。

恋人の聖地 厚田展望台
 石狩市厚田区にある厚田展望台は、愛を誓いプロポーズするのにふさわしい観光スポット100カ所を選定する「恋人の聖地」プロジェクトで、北海道で初めて、2006年(平成18年)7月選出された。展望台からは、雄大な海岸線や日本海に沈む夕日が見え、「誓いの鐘」というベルや、恋人たちが固く結ばれることを願って、南京錠を取り付けるためのフェンスが設置されている。
◇住所:〒061-3601 石狩市厚田区厚田。
◇電話:0133-72-3167。

恋人の聖地(2023年6月撮影)

雄冬岬
 道内有数の景勝地。雄冬岬(おふゆみさき)は、石狩市浜益区(旧浜益村)の国道231号線沿いの雄冬海岸に位置する暑寒連峰の最先端が日本海に没する断崖絶壁の中にある岬。


 この地域一帯は厳しい断崖絶壁の中に位置し、道路が未整備で訪問が著しく困難であったことから北海道三大秘岬の一つとされていた(ちなみにあとの二つは室蘭市の地球岬、根室市の落石岬)。秘岬といわれるだけあり、岬からの眺望は日本海の雄大さと周辺の荒寂ぶりがかなり印象的と言われている。雄冬岬の最寄集落として北側にある雄冬集落(増毛郡増毛町と石狩市浜益区に跨る)についても記述する。雄冬集落は、かつて浜益村中心部や札幌側からの往来が不可能で、増毛側からも山側に大きく迂回する区間(増毛山道)も冬季は積雪により閉鎖されていた。交通は事実上1日1往復していた増毛−雄冬間の定期航路しか実質的な交通手段がなく、かつこの定期航路も時化で休航が珍しくなかった。そのため雄冬集落は、長い間「陸の孤島」と呼ばれ、北海道を代表する秘境の一つであった。1978年10月18日に、大掛かりな回線敷設工事の末、北海道で最後に電話回線の自動化が完了した集落でもある。後述する国道231号の整備により、通年でのアクセスが可能となった1999年(平成11年)、雄冬岬に展望台・岩石公園などが整備され、北海道を代表する観光スポットに変わりつつある。
◇住所:〒061-3102北海道石狩市浜益区雄冬。
◇電話:0133-79-2029。

白銀(しらがね)の滝
 昭和56年(1981年)11月、国道231号線が開通した。開通記念碑が建てられている場所に白銀の滝がある。
◇住所:〒061-3102北海道石狩市浜益区雄冬。
◇電話:0133-79-2029。

雄冬岬(右)と白銀の滝

◆黄金山
姿が富士山に似ているところから別名「黄金富士」「浜益富士」と呼ばれています。標高740mで、登山に好適。

千本ナラ
「新日本名木100選」に選定されている樹齢820年(推定)、直径2m、樹高30m級の大木が3本並んで、送毛山道頂上付近に立っている。
◇住所:北海道石狩市浜益区毘砂別(びしゃべつ)。
◇電話:0133-79-5700。

わし岩(愛冠岬=あいかっぷ)
   奇岩の多い浜益の海岸線の中でも、愛冠(アイカップ)海岸の先端には、一羽の大鷲が翼を休める姿をした岩がある。この場所は船でなければ見られない。

史跡荘内藩ハママシケ陣屋跡
   安政6(1859)年、幕府から警護を命ぜられた荘内藩は、現在の川下地区を開拓し、十余棟の邸舎を建て、それを御陣屋と称していた。この跡が今も川下神社横に残り、昭和63年5月に国指定の史跡となった。指定地内には、邸舎跡を示す木柱がある(指定面積:167,809平方m)。
◇住所:石狩市浜益区川下6。
◇電話:0133-79-2402。

浜益村郷土資料館
 浜益村郷土資料館の建物は、元白鳥家が経営していた鰊建網漁場の番屋であり、明治32年(1899年)に建てられた。鰊漁の歴史とともに歩んだ番屋も、昭和30年(1954年)以降の漁の衰退によって放置され、崩壊寸前にあった。昭和46年(1971年)、浜益村は開村百年の記念事業の一環として、この番屋を復元、浜益村郷土資料館として現代によみがえらせた。
◇住所:〒061-3101 石狩市浜益区浜益77-1。
◇電話:0133-79-2402。

岡島洞窟遺跡
昭和11年(1936年)、34年(1959年)の2度にわたる発掘調査により、縄文文化期から擦文文化期までの7期間にわたる住居跡と判明。内部からは人骨、土器、石器などが多数出土した。特に第4文化層からはオホーツク土器が発見され、日本海沿岸最南端の遺跡として学界より注目を集めている。
◇住所:〒061-3101 石狩市浜益区浜益。
◇電話:0133-79-5700。





 アイヌ語の「エエンイワ」 (現在の恵庭岳を指し、鋭くとがった山という意)から転訛されてきたと言われている。恵庭の開拓の始まりは、1870年(明治3年)高知藩の移住により鍬が入れられたのが最初で、本格的な開拓が始まったのは1886年(明治19年)、山口県岩国・和木地方からの集団移住65戸が漁川沿いに入植、その後順調に発展してきた。1897年(明治30年)、千歳郡六ケ村戸長役場から独立し、漁村外一村戸長役場が開設 。1906年(明治39年)、漁・島松両村を合わせ「恵庭村」と称し二級町村制が施行された。1951年(昭和26年)、恵庭町」町制施行 .。1970年(昭和45年)「恵庭市」市制施行。1997年(平成9年)開基100年記念を迎える。
 札幌市と新千歳空港のほぼ中間に位置し、恵まれた交通アクセスと穏やかな気候風土のマチ。また、支笏洞爺国立公園を後背地とした恵庭渓谷は、「白扇の滝」や「ラルマナイの滝」などが点在。最近では市民主導による花のまちづくりが盛んで「ガーデニングのまち」として全国的に知られるようになっている。
恵庭観光協会

◆えにわ湖
 千歳川支流の漁川(いさりがわ)を堰き止め、1980年(昭和55年)に完成した漁川ダムのダム湖がえにわ湖。恵庭の中心部から道道117号 恵庭岳公園線を西へ13km、車で30分ほどのところにある。広大な芝生がひろがる「えにわ湖自由広場」には、桜や白樺、カエデなどの立木の中に、花壇、ベンチ、東屋、炭床を設置さている。さらに漁川上流の道道117号沿いに三段の滝、ラルマナイの滝、白扇の滝の3つの滝が続く景勝地。
◇住所:〒061-1422 恵庭市盤尻。
◇電話:0123-33-3131。

三段の滝
 道道117号恵庭岳公園線で、えにわ湖側から走ると最初の滝が三段の滝。その名の通り、3段になって落下する美しい滝。紅葉の名所でもある。源義経が平泉の衣川館では死なず、奥州から蝦夷地に渡ったというのが義経北行伝説。
◇住所:〒061-1363 恵庭市桜森。
◇電話:0123-33-3131。

◆ラルマナイの滝
 野趣あふれる恵庭渓谷の大木の間から雄々しい姿で流れ落ちる滝。「ラルマナイ」とは、水無沢と訳し、一説には沢の両側がきり立ち、急流になっているところの意味。
◇住所:〒061-1422 恵庭市盤尻。

◆白扇の滝
 恵庭渓谷第一の名勝地となっているこの滝は、高さ15m、幅18mで真っ白な扇を広げたような優美な姿に見えることから名づけられた。1986年(昭和61年)には北海道観光百景の河川渓谷・滝の部で第6位に選ばれ、ラルマナイ川の熔結凝灰岩でできた板状節理が珍しい。
◇住所:〒061-1422 恵庭市盤尻。

上左 ラルマナイの滝 上右 えにわ湖 下左 白扇の滝 下右 三段の滝
(2021年10月撮影)

えこりん村
 「環境負荷を軽減し、持続可能な社会の形成に貢献したい」この想<えこ>を実現するために、動植物をはじめとする自然環境とのつながり<輪=りん>を大切にしながら展開する小さなコミュニティー<村>。それが「えこりん村」である。


 これまで私たちは安全な食を提供し、食を通じて地域や文化が豊かになること、食を育む人とそれを食べる人が共にしあわせになれることを目指してきた。そのために肉や乳製品をお届けする酪農をはじめ、レストランを自分たちが栽培した花で飾るなど、さまざまな角度から農業に取り組んできた。さらにレストランから出る生ゴミや家畜糞尿を有機肥料へリサイクル、二酸化炭素の排出を抑える技術開発など環境への負荷を軽減させるエコロジーへの取り組みも行ってきた。「えこりん村」では、これまで私たちが考え、実践してきた自然への理解や環境問題への様々な対応策、文化的な試み、そしておいしく健全な食の提案などを展開し、「未来の子供が幸せに暮らすために今必要な情報発信をすること」と「お客様に最大のご満足を提供すること」を目指す。(えこりん村HP)
◇住所:恵庭市牧場277-4。
◇電話:0123-34-7800。


えこりん村(2006年6月、2014年9月撮影)

道の駅 花ロードえにわ
 1日交通量38,000台を誇る国道36号とサケの遡上する漁川の交差点に位置する道の駅。センターハウス内は明るく開放感にあふれている。また、地元産の食材を使った、ベーカリーの焼きたてパン販売、特産品等のショップがある。2007年(平成19年)には多目的広場やウォーターガーデンも整備され、漁川へとつながる親水空間でゆったりくつろげる。




 当別はアイヌ語「トウペツ」(沼から来る川の意)からでたもの。札幌市と境界を接し、札幌都心部から約15〜25kmに位置している。


  1871年(明治4年)、仙台藩岩出山の領主・伊達邦直公が家臣ともども移住し、開拓が始まった。農地をつくり、大豆、ひえ、大麻、馬鈴薯などを作付けし、中でも水稲は、1872年(明治5年)に試作され、明治35年ころには札幌支庁管内(当時)で最も豊かな農村へと発展し、農業を基幹産業とした本町の礎が築かれた。現在では、北海道有数の米どころとして発展している。また、切り花の生産が盛ん。 近年は、石狩湾新港と新千歳空港とを結ぶ交通の要衝。1988年(昭和63年)の札幌大橋開通やJR学園都市線の増便などから札幌近郊の田園都市として発展している。 風景が酷似していると言われるスウェーデン王国・レクサンド市との姉妹都市として提携している。
当別町観光協会

北欧の風 道の駅 とうべつ
 国道337号の札幌大橋からすぐのところにある札幌都心部から一番近い道の駅。姉妹都市であるスウェーデン王国レクサンド市がある北欧風のベンガラ色に大きな三角屋根の外観が特徴。地元素材を活かした「食」にこだわった施設である。




 

 明治19年、江別外三村戸長役場の管轄に属する。明治29年(1896年)、新篠津村を設置。同年新篠津村戸長役場を設置。大正4年(1915年)二級町村制を施行。
 石狩平野の西部に位置し、東側流れる石狩川に沿ったまち。昭和30年(1955年)代初期に畑作から稲作に転換し、道内でも有数の米の産地となる。昭和54年(1979年)ころから花き栽培も盛んに行われ、道内外に出荷されている。河川敷を利用したゴルフ場や温泉などで、都市との交流を図り、地域活性化に努めている。
新篠津村観光協会

道の駅 しんしのつ
 道道江別奈井江線沿い。新篠津村にすでにある温泉たっぷの湯施設を利用している。また岩見沢市-江別市及び札幌市間を通行する道路として利用されていて、地理的条件にも恵まれている。施設周辺にはしのつ公園及びしのつ湖があり、夏はゴルフ・パークゴルフ・キャンプ、冬はワカサギ釣りができる観光施設として広く利用されている。


天然温泉たっぷの湯
 道の駅しんしのつと併設。1997年(平成9年)オープンの宿泊研修施設があり、隣接のしのつ湖を眺められる露天風呂やサウナ、打たせ湯などが人気。
◇住所:石狩郡新篠津村第45線北2。
◇電話:0126- 58-3166。
◇開館:日帰り入浴 10:00〜23:00。
◇休館:第3月曜日 (祝日・振替休日の場合はその翌日)。
◇料金:日帰り入浴。大人600円 、子供(小学生)300円。1泊2食8,800円〜(税込)
◇交通:JR上幌向駅から新篠津交通バス。「新篠津温泉」行きで「たっぷの湯」下車。徒歩約1分。駐車場有り。

しのつ湖
 道の駅しんしのつに隣接。石狩川沿いの三日月湖。冬はわかさぎ釣りができる。

道の駅しんしのつ併設の天然温泉たっぷの湯のフロント(中)としのつ湖
(2023年11月撮影)



 石狩平野の中央に位置する江別市は最も高いい所で海抜93.0m、起伏が少なくなだらがな地形が特徴である。南西の高台から北へ連なる火山灰埴土地帯には、肥沃な水田酪農地帯と人口の集積地域として発展を続ける市街地が広がり、また低地にあって耕地化された泥炭地には豊かな農産物生産地帯が続く。さらに、札幌市と隣接する南西部には雄大な道立野幌森林公園があり、周辺地帯は江別RTNパークとして成長する先端技術系工業団地の企業群が臨める。


 一方、北海道一の大河石狩川を有し、開拓期には水運の集積地として繁栄した江別市は、現在も陸・海・空とも絶好の交通アクセスに恵まれており、人・物・情報のスム一ズな流れにその力を大きく発揮している。恵まれた白然環境と利便性の高い都市環境―。総合的なメリットを生かし、多様化・高度化する社会へ向けてダイナミックな未来像を描けるまち、それが江別市である。(江別市勢要覧2002.02)
 江別市には、北翔大学、札幌学院大学、酪農学園大学、北海道情報大学の4つの大学がある。このほかに道立の施設では、図書館、教育研究所、埋蔵文化財センター、食品加工研究センターなどがある。また民間では、北海道電力総合研究所などの大規模研究施設がある。
江別観光協会

江別市ガラス工芸館
 絵画や写真の題材になるなど江別のレンガ建造物の象徴として市民に親しまれている「旧石田邸」(昭和意20年築)を改修・保存している。
◇住所:江別市野幌代々木町53。
◇電話:011-384-7620。

ガラス工芸館(2005年6月撮影)

江別の赤レンガ

 江別産の煉瓦(レンガ)は、市内ほか周辺地域の土壌に多く含まれる野幌粘土を原材料として、褐色や赤い色が特徴である。鉄道や道路のトンネル・橋などのインフラ、サイロ、学校、民家、駅舎や倉庫建物などに用いられ、北海道の近代化に貢献した。 現在も市内には江別市「歴史的れんが建造物保存活用事業」の一環として、400棟を越える煉瓦造りの建造物が保存されている。なお、江別では現在でも3か所の煉瓦工場が稼働し、国内の20%以上のシェアを占める、日本有数の煉瓦生産地となっている。(jawp)

旧ヒダ工場(2011年8月撮影)

<旧ヒダ工場は、1998年(平成10年)に自主廃業した窯業会社「株式会社ヒダ」の工場跡で、当時は、江別市内に残されていた古くからある窯業工場のひとつ。>

赤レンガ工場跡「江別EBRI(エブリ)」
 2016年3月、江別市に新登場の観光スポットの旧ヒダ工場を利用した「EBRI(エブリ)」は、赤レンガ造りの建物が印象的な商業施設である。


 施設名EBRIは、EBETSU(江別)とBRICK(レンガ)の造語から生まれた名称。江別のレンガは、江別の土100%のみで生成される産物。この土を原点に、北海道を代表する小麦ハルユタカや、良質な野菜、良質な大地で育つ酪農など、二次的に生まれる良質な産物がここ江別から数々生み出されている。三次的に生まれる人とのつながり、食文化、ライフスタイルをつくる拠点として、?BRIは江別の人との交流・江別の新商品開発・地元市民があつまる拠点を目指し、江別を原点に“つくる”を集めた、Makers(つくる) Factoryとして新たな歴史を歩み始めている。(hp)
◇住所:〒069-0821 江別市東野幌町3-3。
◇電話:011-398-9570。
◇開館時館:10:00〜20:00。


赤レンガ工場跡「江別EBRI(エブリ)」(2023年1月撮影)

江別市セラミックアートセンター
 館内には、江別のれんがの歴史や北海道の現代陶芸作家の作品と道内の窯業技術の発展に寄与した窯業研究科・小森忍の作品などを紹介する常設展示室のほか、各種の展示会を行う企画展示室がある。ま、た陶芸体験教室なども行われていて、「観る」だけでなく「創る体験」ができる施設である。


 1994年(平成6年)に開館した同市内の建築施設・江別市セラミックアートセンターには、れんが資料展示室が設置されており、江別ならびに北海道における煉瓦の歴史を学ぶことのできる資料が多く展示されているほか、数々の関連イベントも行う「北のやきもの展示室」も設けている。 煉瓦と共に、西暦300年ごろのものとされる「江別式土器」も市内の遺跡から掘り出されていることなどもあって、江別市は陶芸の中心的な地域のひとつとしても知られている。(jawp)
◇住所:江別市西野幌114-5。
◇電話:011-385-1004。
◇営業時間:9:30〜17:00(入場は16:30まで)。
◇休業日:月曜日、祝日の翌日、年末年始。
◇料金:高校生以上300円、小中学生150円、身障者手帳をお持ちの方は無料。※企画展は別途料金。

旧町村農場
北海道酪農の先駆者町村敬貴氏が作った農場の建物を移築し、資料館として開放している。建物は、昭和初期の「キング式牛舎」で、町村氏の資料や当時の農機具など酪農に関する資料が展示されている。
◇住所:江別市いずみ野25-1。
◇電話:011-383-7734。



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