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《7町》


◆日高エリアの見どころ4コマ


◆日高エリアの名所


 本町は、日高管内の西部に位置し、日高町のある北東から門別町のある南西に流れる「沙流川」の源流から下流にかけて構成されている。。北東部は北海道の屋根といわれる日高山脈がそびえ、周囲を大小の山岳が取り巻いている。南西部はなだらかな地形をなして、沙流川、門別川、波恵川、慶能舞川、賀張川、厚別川が太平洋に注いでいる。町の北側に位置する日高地域は、北海道の内陸気候圏に属しているため寒暖の差が大きく、冬期には1m前後の積雪が見られるが、南側に位置する門別地域は、太平洋に面した海洋性気候のため、積雪も少なく比較的温暖な気候にとなっており、海岸沿いには、なだらかな起伏が続く地勢を呈している。2006年3月1日、 日高町・門別町2町による合併を協議し、新町名を「日高町」とすることで合意し、飛地合併となった。間に平取町を挟んだ「飛び地」で、本庁と総合支所間の距離は約65km、車で約1時間の行程となっている。総面積992.67平方km(門別地区428.73k平方m、日高地区563.94平方km)。
日高町観光協会


<旧日高町>
 日高山脈えりも国定公園の北のふもとにある高原の町。町面積の94%もの山林を持つ自然の宝庫である。国道274号線と237号線が交差する北海道の東西南北を結ぶ要衝に位置する日高町は、北海道を楽しむ人のベストステーションとなっている。日高山脈から湧き出る沙流川は、ヤマベ、ニジマスなどの渓流釣りに絶好のポイント。また、清涼な水辺のキャンプ場は、カーサイト、バンガロー、炊事場、水洗トイレ、遊歩道を完備。心ゆくまでアウトドアライフを楽しめる。登山では、チロロ岳、ペンケヌーシ岳などの北日高山系の山々が親しまれている。特にチロロ岳は、日高山系の主稜線からはずれているために、北日高の遠望が大変すばらしい山である。

<旧門別町>
 南に海岸線23kmに及ぶ太平洋が開け、牧場に競走馬と乳牛が群れ遊ぶ風光明媚の土地である。8月初旬に開催される「もんべつ夏まつり」や10月下旬の「ししゃも祭り」は、いずれも町内外や道外から多くの観光客が訪れる一大イベントである。平松酪農団地は、1,000頭を超える乳牛を飼養。同団地と国道をはさんで隣接するホッカイドウ競馬門別競馬場では、競馬を楽しむことができる。町営温泉「とねっこの湯」がある。また、日高ケンタッキーファームも乗馬、テニス、アーチェリー、ロッジをはじめ各種の施設が整い、道内外の若者で賑わっている。


◆樹魂まつり(7月第3土・日曜日)
 日高山脈に棲むという伝説の竜を守護神として、森の木々に感謝を捧げる「樹魂まつり」。勇壮な樹魂合戦、渓流釣り大会、特産品を集めたうまいもの市など、楽しいイベントが繰り広げられる。

◆日勝峠
 日勝峠(にっしょうとうげ)は、沙流郡日高町と上川郡清水町の境界にある峠。国道274号線沿い、超ワイドな眺望が楽しめる。標高760.5mの地点にある第一展望台からは、どこまでも広がる十勝平野の田園風景を一望にする。

日勝峠(2002年6月撮影)

道の駅・樹海ロード日高
 日高町の中心街にある道の駅。札幌・帯広方面をアクセスする国道274号と、旭川・苫小牧方面をアクセスする国道237号のちょうど分岐点。日勝峠の出入り口にあたる。





 1899年(明治32年)7月に門別戸長役場から平取外八カ村として分村して以来、先人たちのかけがえのない尽力により、100年以上の歴史を着実に発展しながら積み重ねてきた。まちづくりでは、恵まれた自然環境のもと、主力産業である農業において全国的な知名度となった「びらとりトマト」の安定栽培をはじめ、びらとり和牛ブランドの確立。また、歴史的にも特色あるアイヌ文化を今に伝える伝承事業への取り組み、人材育成など恵まれた地域資源を活かした活動に取り組んでいる。
 すずらんとユーカラの里。アイヌ文化発祥の地の「二風谷(にぶたに)」には、アイヌ文化博物館、沙流川歴史観、二風谷ファミリーランド、萱野茂アイヌ記念館、マンロー記念館などがある。また、源義経公を御神体とした義経神社、義経公伝説の義経資料館が設置されているほか、びらとり温泉、オートキャンプ場などがある。
平取町観光協会

びらとりトマト

 トマトはもともと暑さと湿気が苦手な作物。特に日本はジメジメとした夏でトマトにとっては新陳代謝が悪くなり、味もボケがち。そんななか、夏は冷涼で湿度が低い北海道は、味わいと甘みのあるトマト栽培ができる。日高山脈を源とした清流、沙流川沿いに広がる平取町は、北海道のなかでもさらに冷涼な気候。その地の利を最大限に生かし、100ha以上のトマトのハウス栽培を行う全道一の産地。ただ、トマトは、気候や土地、管理の仕方によって生育、味が大きく左右され、たいへん手のかかる野菜でもある。平取町の農家は、長年にわたって手のかかるトマトづくりに取り組み、おいしいトマトを消費者に送り届けている。

ニシパの恋人
 全道一の出荷量を誇る平取トマトやその加工品をブランド化した名称。ニシパとは、アイヌ語(北海道の原住民族)で、紳士・旦那・金持ちを表している。「ニシパが健康な体を保つため、真っ赤に熟れたトマトを毎日食べて、ついにはトマトを恋人のように愛してしまった」と言うストーリーからネーミングしたもの。
◇住所:沙流郡平取町本町40-1(JAびらとり)。
◇電話:01457-2-2211。

ニシパの恋人(2013年11月撮影)

にぶたに湖
 二風谷ダムの完成で平成10年に誕生したダム湖。歴史上の人物の記念碑が点在する散策路、歴史の散歩道がある。カヌーなどエンジンのない乗り物なら乗り入れ可能。ヤマベなど釣りもできる。 字二風谷。市街から車で約10分のところ。
◇住所:沙流郡平取町字二風谷。
◇電話:01457-2-2221。

沙流川
 長さ104km、日高一の長流の沙流川は日高山脈を源としている。アイヌ伝説「カムイ・ユーカラ」のなかでも数々の伝説が語られ、暮らしを育んできた川である。水量が豊富で平取町のシンボル沙流川。下流はアカハラ釣りなどのメッカとしても知られている。
◇電話:01457-2-2221。

びらとり温泉ゆかり
 平取町の銘石「幸太郎石」を配した岩風呂で、透明でやわらかい泉質。
◇住所:〒055-0101 沙流郡平取町字二風谷92-6。
◇電話:01457-2-3280。
幌尻岳
 標高2,053m。日高山脈襟裳国定公園の中で最も高い山。アイヌ語で「大きい・山」を意味する「ホロ・シリ」として親しまれている。山頂からは日高山脈の山並みが一望できる。

平取町立二風谷アイヌ文化博物館
モダンな外観が特徴。映像資料により、沙流川流域のアイヌ民族の伝統や文化生活を開設し、興味深く理解できるよう、展示方法も趣向を凝らした、新しいタイプの博物館。アイヌ参照
◇住所:〒055-0101 沙流郡平取町二風谷55。
◇電話:01457-2-2892。

(上左)にぶたに湖 (上右)コタン再現ゾーン
(下左)平取町立二風谷アイヌ文化博物館 (下中)沙流川歴史館 (下右)二風谷工芸館
(2015年6月撮影)
  

芽生すずらん群生地
 平取町幌尻岳のふもとの平取町芽生(めむ)の野性すずらん群生地は約15haと日本一の広さ。絶滅の危機に瀕したすずらんを10年の歳月をかけ自然の状態に戻した。一般公開は毎年5月下旬〜6月中旬の約1か月間。6月に「すずらん観賞会」がある。芽生すずらん群生地は、平取町市街から車で約40分。道道845号線、または道道638号線沿いにある。
◇住所:沙流郡平取町字芽生。
◇電話:01457-3-7703。

芽生すずらん群生地(2015年6月撮影)



 新ひだか町は、2006年(平成18年)3月31日にそれまでの「静内町」と「三石町」が合併して誕生した町。日高振興局管内の中央に位置し、峰々が連なる日高山脈を背に、雄大な太平洋を望む温暖で緑あふれるまちである。日高地方の行政、産業、経済、文化の中核都市である。
<静内庁舎>
◇住所:〒056-8650 日高郡新ひだか町静内御幸町3-2-50>
◇電話:0146-43-2111 。
<三石庁舎>
◇住所:〒059-3195 日高郡新ひだか町三石本町212。
◇電話:0146-33-2111。
新ひだか観光協会


<旧静内町>
 日高管内最大で、産業、経済、文化の中核都市。「桜舞街(オーマイタウン)」の名で親しまれている桜と馬の町である。直線7kmに及ぶ「二十間道路桜並木」は、その圧倒される景観から「日本一の桜並木」と称され、開花する5月上旬には、約25万人の花見客が壮大な桜絵巻を堪能する。馬産地としてもその名を知られ、ダービー馬ウィニングチケットなど数多くの優駿を送り出している。また、夏まつりで行われる阿波踊りは、本場さながらの臨場感で夏の風物詩となっている。
 北海道開拓史長官・黒田清隆が1872年(明治5年)に静内町に訪れた際、野生馬が群れをなしているのを見て、積雪が少なく、野草の多い日高地方が産馬改良には最適の地であると判断し、静内・新冠・沙流郡にまたがる約7万haに及ぶ大規模な牧場を区画し、野生馬2,262頭を狩り集めて始められた現在の農林水産省家畜改良センタ-新冠牧場が宮内庁所管の新冠御料牧場であった1903年(明治36年)に同牧場を視察する皇族方の行啓道路(当時は中央道路と言われていた)として造成されたのが、二十間道路である。

<旧三石町>
 「三石」の地名は、アイヌ語で「ピットウシ」(小石の多い土地)という意味から転化して「みついし」と名づけられた。町の歴史をひもとくと、今から400年以上も前から人が住み、昆布やタラなどを取って暮らしていたもようである。記録では、1786年(天明6年)に阿部屋伝七が三石場所の請負人となって漁業を営み、戸数30余、人口140余とされている。その後、場所制度が廃止されるが、1818年(文政元年)に楢原屋半次郎が三石場所請負人となり、漁場を再開した。文政6年に半次郎の甥、小林重吉(二代目)が後を継ぎ、(三代目)重吉が、これを継承して漁場を拡張し、新しい事業と開拓が始まった。そして、1875年(明治8年)3月に日高管内で最も早く戸長役場が、姨布村(現在の三石市街)に置かれたのを開基とした。1876年(明治9年)より三石郡に姨布、神居古潭、辺訪、延出、幌毛、鳧舞、本桐、歌笛の8村の行政区が設けられ、明治の初期から中期にかけて徳島県、兵庫県、岩手県、福井県から、富沢、本桐、歌笛に入植し、農業を始めた。また、新潟県からは越海町、港町地区に入り漁業が盛んになった。39年には2級町村制が布かれて、三石村となった。昭和に入ると、l1年に地番の改正とともに現在の19字が新設され、13年には1級町村制となり、26年に待望の町制が施行された。49年には、長期的展望に立った町の振興・発展をめざした町総含開発計画を策定して新しい町づくりが始められた。50年には町開基100年を祝い、記念式典のほか各種の記念行事が行われた。58年には本町の開拓にゆかりのある大野市(福井県)、能生町(新潟県)、葛巻町(岩手県)、南淡町(兵庫県)と「友好の契り」を結び産業などの交流が始まった。1995年(平成7年)3月には町開基120年を迎え、先人の幾多のたゆまぬ開拓精神と苦労によって築かれ、農漁業中心の安定した町づくりをめざして今日を歩んでいる。(2003町勢要覧資料編)
 昆布干しの景観は三石町の名物となっている。観光客に人気の三石海岸公園には、24時間利用できるトイレや味が自慢で馬グッズ販売コーナーもあるレストラン、三石町の特産品がそろっている特産品販売センター、家族連れで楽しめる海水浴場、オートキャンプ場、ボート遊びなどができるファミリーパークキャンプ場、太平洋を一望しながらのんびりくつろげる三石温泉がある。四季の楽しみとして、春には景勝地の歌笛神社の桜、円昌寺のツツジ、夏には磯釣りが楽しめる海岸線一帯、秋には紅葉の美しい山々、冬にはスキーが楽しめる町営スキー場など1年を通して楽しめる。

学名「ミツイシコンブ」

 北海道産の昆布としては、松前地方のものが主流であったが、昆布漁場も沿岸に広がり、日高沿岸一帯で生産されるようになった。松前産のものが減少したため、三石産がこれに代わり、日高沿岸の昆布は「ミツイシコンブ」と総称されることになる。名付け親である宮部金吾博士により、1902年(明治35年)に学名となっている。丈の長い三石昆布は、長切り昆布として声価を博し、日高の水産物の王座を占めてきた。1918年(大正7年)、札幌市で開催された開道50周年記念博覧会で、北海道長官より表彰され、かつ宮内庁御用達となる。以来、三石昆布は、昆布の最高峰として君臨し続けている。

二十間道路桜並木
 幅二十間(36m)・延長約8kmにも及ぶ雄大なこの道は、いつの日からか「二十間道路」と呼ばれるようになった。この地に桜が植栽されたのは、1916年(大正5年)のことで、当時の同牧場職員が、近隣の山々からエゾヤマザクラ等を道路の両端に移植するのに要した歳月は3年にものぼった。厳しい自然と艱難辛苦の過程を経て、毎年、その雄大な景観を見せてくれる二十間道路桜並木は、日本一の桜並木と称され、多くの桜人を魅了し、数々の栄誉にも輝いている。
◇住所:〒056-0144 日高郡新ひだか町静内田原。
◇電話:0146-43-2111。
◇日本の道百選(昭和61年建設省)
◇北海道二十景北の彩時記(昭和62年北海道郵政局)
◇北海道まちづくり100選(昭和63年北海道まちづくり100選実行委員会)
◇さくら名所百選(平成2年(財)日本さくらの会)
◇新・日本街路樹100選(平成6年読売新聞)等

二十間道路桜並木(2006年5月撮影)

 日高のサラブレッド生産の歴史について紹介している。
 ⇒日高と馬の関わり:サラブレッド生産に至るまで

◆みついし昆布温泉蔵三(くらぞう)
 主浴槽、昆布湯、ジャグジー、水風呂、サウナなどがある。三石産昆布を浮かべた昆布湯は、蔵三だけのもの。舟形の露天風呂は、太平洋を一望できる。泉質:冷鉱泉(源泉10.4℃)無色・無味・無臭循環ろ過式。宿泊もできる。
◇住所:日高郡新ひだか町三石鳧舞(けりまい)162。
◇電話::0146-34-2300。
◇日帰り入浴料金:大人450円、小人140円、幼児70円。

みついし昆布温泉蔵三(2009年4月撮影)

◆ライディングヒルズ静内
 2001年10月1日にオープン。馬とのふれあいや乗馬を通しての情操教育、障がい者の体験乗馬による心身の機能回復、健康づくりや生涯学習、後継者育成など、教育・保健・福祉の向上に貢献する社会教育施設として管理運営をしている。
◇住所:日高郡新ひだか町静内真歌7-1。
◇電話:0146-42-1131。

ライディングヒルズ静内(2006年4月撮影)

サラブレットの親子(2006年4月撮影)

道の駅 みついし
 新ひだか町(旧三石町)のマリンレジャーの拠点・三石海浜公園の中にあり、敷地内にはみついし昆布温泉「蔵三」もある。三石海浜公園は、充実した施設で注目されるオートキャンプ場と16棟のバンガローがあり、道の駅自体もオートキャンプ場のセンターハウスも兼ねている。ここではオートキャンプ場の受付も行っております。センターハウスの横には、三石特産の昆布などの海産物の販売所がある。住所の鳧舞の読み方は、けりまい。


◆「レースホース牧場」厩舎、登録有形文化財へ
 国の文化審議会は2023年3月17日、同町三石歌笛のレースホース牧場(旧大日本競走馬生産)本厩舎」を登録有形文化財に登録するよう文部科学相に答申した。道内で同文化財に厩舎が登録された例はなく、新ひだか町では登録有形文化財自体が初めて。厩舎は、1961年に建設された。屋根は腰折れ屋根、2階は干し草置場、1階は馬房が並ぶ典型的な造り。桁行70mと長大。
◇住所:日高郡新ひだか町三石歌笛382。

レースホース牧場の厩舎(2023年4月撮影)




 1881年(明治14)年9月に、新冠郡高江村外10ケ村戸町役場が置かれて以来130年。私たちは今、日本全国から思い出のぎっしり詰まったレコードを収集するとともに、町民文化の高揚をはかる「レ・コードと音楽によるまちづくり事業」を展開している。それはけっして一過性のものではなく、一部の音楽愛好者だけにとどまるものではなく、先人のフロンティア精神を受け継ぎながら、すべての町民に開かれた、新たな活力と繁栄を生み出す真摯な取り組みである。主な施設に、太陽の森ディマシオ美術館、にいかっぷホロシリ乗馬クラブ、新冠温泉レ・コードの湯、レ・コード館、判官館森林公園、優駿記念館などがある。
新冠町観光協会

 国道235号線を離れ、日高山脈を望むように進む道々沿いには、美しい牧場風景が続き、オグリキャップやマヤノトップガンなど往年の名馬たちに会うことができ、銀座の中ほどにはナリタブライアン記念館もある。

草を食むサラブレット(2006年4月撮影)

判官館森林公園
 太平洋と新冠川を望む自然豊かな森林公園。この公園には、キャンプ場、バンガロ一、フィールドアスレチック、展望台、公園内をめぐる散策路などが整備され、アウトドアライフを楽しむことができる。
◇住所:〒059-2413 新冠郡新冠町高江。
◇電話:0146-47-2193。

 新冠泥火山は、新冠町市街地から北方約2kmの地域にあり、国道235号線沿いに見ることができる。東西約300m、南北約1,100mの地域に、大小合わせて8個の泥丘が配列している。泥火山は、火山作用と無関係の油田地帯に見られるもので、背斜断層に沿って生じた亀裂を通じてガス、地下水が噴出し、これに伴った泥土が噴出孔を中心に堆積したもの。1952年(昭和27年)3月の十勝沖地震の際に、泥水やガスの噴出活動が見られ「日高新山」として注目を浴びた。その後、1982年(昭和57年)3月の浦河沖地震にも活動し、学術的にも調査されている。泥火山は、台湾、サハリンに見ることができるが、日本国内では、新冠泥火山が注目されるものである。現在でも大きな地震があった時には、山頂が隆起するなどの現象が見られる。(hpから)
◇住所:〒059-2413 新冠郡新冠町高江219-2。

泥火山(2023年5月撮影)

 新冠町エコミュージアムふるさと探訪4

 北海道指定特別天然記念物 〜新冠泥火山〜
 道路の向こうに見える丘は、新冠泥火山といいます。地層の軟弱点から、地下の泥土や地下水・ガスが噴出し、それが長い年月をかけ、山のように堆積してできあがったものです。その数は大小あわせて8つあり、特に第7、8丘は大型で、これだけ大きいものは珍しいことから、北海道の特別天然記念物に指定されています。今は牧場として活用されていますが、1982年(昭和27年)の十勝沖地震をはじめ、過去の大きな地震において、丘の頂上に地割れや隆起といった現象がみられ、山が生きていることをおしえてくれます。
2004年(平成16年)11月
新冠町教育委員会
監修:新冠郷土文化研究会
(現地に建つ記念碑から)

道の駅 サラブレッドロード新冠
 施設内には、物産館、フラワーショップ、レストランなどがあり、観光の拠点。また、全国から寄贈されたレコードを展示した隣接の「レ・コード館」がある。

◆ハイセイコー号
 1970年(昭和45年)、新冠郡新冠町の武田牧場に生まれる。競馬界はもとより郷土の振興発展に偉大な足跡を遺したハイセイコー号の遺徳を偲び、2001年5月、町内のレ・コード館前に等身大の馬像が完成した。
◇住所:〒059-2402 新冠郡新冠町字中央町1。

レ・コード館前のハイセイコー号の馬像(2021年4月撮影)

 ハイセイコー(英: Haiseiko、1970〜2000年)は、1970年代の日本で社会現象と呼ばれるほどの人気を集めた国民的アイドルホースで、第一次競馬ブームの立役者となった。1984年、顕彰馬に選出。ハイセイコーが1972年の青雲賞で記録した1分39秒2の優勝タイムは、40年以上の歳月を経た現在も破られていない。

レ・コード館
 ここには全国から寄せられた66万枚を超える貴重なレコードが収蔵され、国内最大級のスピーカーシステムで音を楽しめるほか、ミュージアムには蓄音器などが展示され、レコードの歴史を知ることができる。
◇住所:〒059-2402 新冠郡新冠町字中央町1-4。
◇電話:0146-45-7833。
◇営業時間:9:00〜19:00。
◇入場料:大人300円、高校生200円、小中学生100円。

レ・コード館(2023年4月撮影)

新冠温泉・レ・コードの湯「ホテルヒルズ」
 太平洋を望む新冠町の高台にある天然温泉のロッジ風ホテル。露天風呂からは、太平洋に沈む夕陽を望めことができる。
◇住所:〒059-2418 新冠郡新冠町字西泊津16-3。
◇電話:0146-47-2100。

新冠温泉レ・コードの湯(2021年4月撮影)

オグリキャップ号
 優駿メモリアルパークに立つオグリキャップ号の馬像。
◇住所:〒059-2414 新冠郡新冠町字朝日267-3。
◇電話:0146-47-3966。
 オグリキャップは、日本の競走馬、種牡馬。 1987年5月に岐阜県の地方競馬・笠松競馬場でデビュー。8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬へ移籍、重賞12勝を記録。1988年度のJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年度のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬。競走馬引退後は、新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬となった。2007年に種牡馬を引退。2010年7月3日死亡。

優駿記念館前のオグリキャップ号の馬像(2021年7月撮影)

優駿メモリアルパーク・優駿記念館
 「平成の怪物」と言われたオグリキャップを始め、名馬にちなんだ豊富な資料が展示された記念館。
◇住所:〒059-2414 新冠郡新冠町字朝日267-3。
◇電話:0146-47-3966(株式会社優駿)。

優駿メモリアルパーク(2021年7月撮影)





 日高支庁の所在地。五冠馬シンザンをはじめ、三冠馬ミスターシービー、サニーブライアンなど数多くの優駿を生産し、馬産王国の日高地方の中でも特にサラブレットのふるさととして、全国にその名を知られる浦河町。また、国内最大級の乗馬リゾートうらかわ優駿ビレッジ「アエル」がある。どこよりも低料金で楽しめる森林トレッキングコースや初心者でも安心してできる乗馬メニューを用意している。豪華な宿泊ロッジやレストラン、大浴場などを備えており、全国各地から競馬ファンや家族連れで賑わっている。5月には3,000本の桜が咲き誇る「浦河桜まつり」や「シンザンフェスティバル」が、アエルを会場に開かれる。
うらかわ旅

うらかわ優駿ビレッジAERU
 うらかわ優駿ビレッジAERUは、総合保養施設で「うらかわ優駿の里公園」内に立地する。「馬と自然とふれあえる里」(優駿の里構想)の実現として、1998年4月25日に営業を開始。入浴施設、レストラン、ホテルフロントのあるウエルカムセンター、ホテルが入る優駿ロッジ2棟と、ゲート厩舎を核に、周囲に120万平方mを超す広大な放牧場、ゴルフ場、パークゴルフ場などで構成、乗馬などの体験プログラムを充実している。優駿とは、すぐれた競走馬を指している。


 <桜色> 日本の国花でもあるサクラ。300あまりもの品種を数えさまざまな色がある中で、エゾヤマザクラは薄い紫がかったピンクの桜色を表現する。 優駿の里公園入口から、約3kmエゾヤマザクラが道路の両側に立ち並び、一面桜色に染まる。まるで桜のトンネルとなって訪れる人々を楽しませる。「AERU」のある浦河は、5月の春風とともに桜色に染まる。

 <若草色> 浦河地方を南北に連なる日高山脈。この時期、強い日差しを受けて山々が青々と生い茂り、牧草地があたり一面、若草色に。バードウォッチング、フィッシング、カヌー、登山などさまざまなアクティビティを楽しむ中で、色とりどりの自然の色彩を探してみては。「AERU」のある浦河は、今日も優駿たちが緑の牧場を駆けている。

 <スウェード> 五色渓谷が色づく時期。日高山脈がさまざまな色で染まり、スウェード色もその中の一つ、柔らかいなめし皮をさす。ここ優駿の里アエルでは、日常とはひと味違う馬の背に乗りいつもより高い目線で紅葉を楽しんでみて。「AERU」のある浦河は、やわらかな霧に包まれた幻想の街に変わる。

 <月白> 冷たく澄んだ空気の中、月白はムーンライト・ブルー。その薄い青は月光をイメージし、月が出ようとする時の空が白むことをいう。冷たく澄んだ空気の中で、都会では見られない星空と、この時期でしか見られないイルミネーションと合わせて楽しむことができる。「AERU」のある浦河は、月白の後に、満天の星空を見ることがでる。
(hpから)
◇住所:〒057-0171 浦河郡浦河町西舎141-40。
◇電話:0146-28-2111。

<大浴場>
◇日帰り入浴料金:大人500円、小人300円。
◇入浴時間:6:00〜23:00。※毎週月曜日と金曜日の8:30〜11:30までは定期メンテナンスのため、入浴はできない。(月・金が祝日の場合は通常営業)
◇浴槽:主浴槽(平湯)、副浴槽、バイブラ、寝湯、薬湯、打たせ湯、サウナ、水風呂。
◇備品:シャンプー、リンス、ボディソープ、ドライヤー、めん棒。

優駿ビレッジ(2023年4月撮影)

トウショウボーイ
 トウショウボーイは、1975年(昭和50年)代にテンポイント、グリーングラスともに《3強時代》を築き、その走り姿から「天馬」と呼ばれた。1973年4月15日生、1992年9月18日没。父テスコボーイ、母ソシアルバタフライ(父ユアホスト)。戦績15戦10勝。1976年皐月賞、有馬記念。1977年宝塚記念、高松宮杯。主な産駒ダイゼンキング、ミスターシービー、アラホウトク、サクラホクトオー、パッシングショット、シスタートウショウ、ダイイチルビー。
◇住所:〒057-0171 浦河郡浦河町西舎141-40。

優駿ビレッジ内に建つトウショウボーイ像(2023年9月撮影)

天馬(てんま)街道(浦河町〜広尾町・国道236号)
 全面開通したのは1997年9月。道産子とサラブレットの出会いをイメージして「天馬街道」の愛称がつけられた。全道一の長さの野塚トンネル(4,232m)がある。標高500mを超えるこの付近は秋の紅葉など景勝地ともなっている。
◇住所:広尾郡広尾町豊似〜浦河郡浦河町西幌別。

翠明(すいめい)橋公園
 日高と十勝を結ぶ天馬街道(国道236号)沿い、野塚トンネルの手前に架けられた翠明橋のたもとにある公園。駐車場とトイレや休憩所を備えてあるので、ドライブ途中の休憩に利用されている。また、日高山脈が目の前にある。公園内には、野塚トンネル内に湧き出した、日高山脈からの極めて純度の高い超軟水の地下水を引いてある。公園からは上杵臼大橋を臨むことができる。
◇住所:浦河郡浦河町字上杵臼(きねうす)。

翠明橋(天馬街道・国道236号)と翠明橋公園(2023年3-4月撮影)

上杵臼大橋(天馬街道・国道36号)2009年4月撮影

浦河町立伏木田(ふしきだ)光夫美術館
 浦河出身の画家・伏木田 光夫さんの作品を展示。生命の輝きをとらえようと闘う創作絵画の世界が広がっている。
◇住所:浦河郡浦河町字西幌別327-9。
◇電話:0146-28-1304。
◇営業時間:9:00〜16:30。
◇定休日:毎週月曜日。
◇料金:無料。

映画館「大K座」
 1918年(大正7年)に開館し、1994年(平成6年)に建物を建て替えた。北海道に現存する映画館としては最も古いとされる。
◇住所:浦河郡浦河町大通2丁目18。
◇電話:0146-22-2149。
◇料金:一般・大学生1,500円、高校生1,300円、中学生1,100円、小学生・シニア1,000円、幼児800円、障がい者1,000円。
◇駐車場:3台。
◇設備:48座席。

映画館「大K座」(2023年4月撮影)




 北海道南部、日高山脈の南部に位置する。町の南部では山脈が太平洋に迫り、特に冬島幌満間の日高耶馬渓(ひだかやばけい)は奇勝・険路で知られ、江戸時代にシャマニ山道が開削されている。町名のサマニは、アイヌ語起源の地名であるが、語源については「サマムニ」または「サムンニ」(倒れ木)、エサマンペッ(カワウソの川)など諸説あり、はっきりしたことは分からない。
 秀麗アポイ岳(810m)には、ヒダカソウ、エゾコウゾリナ、アポイキンバイなど、約80種の高山植物が生育し、その群落は、特別天然記念物に指定されている。宿泊施設アポイ山荘やキャンプ場が施設され、家族連れで賑わうアポイ山麓ファミリーパークのほか、蝦夷三官寺のひとつ等ジュ院(とうじゅいん)縁の石仏33体が安置されている観音山公園、奇岩親子岩が勇壮な親子岩ふれ愛ビーチなどがある。また、8月にはアポイ岳の故事にちなんだアポイ火の祭りが開催される。
北海道ひだか観光ナビ・様似町

エンルム岬
 アイヌ語のエンルムは「尖り頭」の意で、これを地名に用いるときは岬と解する。古くから東蝦夷地の航路上欠かすことのできない良港であった。海食崖植物が豊富で、台場からはアポイ岳を含む様似の前掲を望むことができる。
◇住所:〒058-0024 様似郡様似町会所町。
◇電話:0146-36-2119。

エンルム岬(2023年9月撮影)

かんらん岩
 エンルム岬の頂上に設置のかんらん岩。「火星より遠いアポイのかんらん岩」の表示板がある。そこには「地球の構造をゆで卵に例えると、私たちは、厚さ数km、数十kmのカラ(地殻)の上で暮らしている。


 目の前のアポイ山塊は、その下にある白身(マントル=かんらん岩)が地表に飛び出したものだといわれています。人類は、火星に探査機を送り出すほどの科学力を持ちながらも、足元の薄い地殻を掘り進めて、その下のマントルを実際に手にしたことはまだありません。つまり、アポイ岳は、ある意味で火星よりも遠い未知の世界を探ることのできる貴重な地質遺産なのです。地球は、「プレート」と呼ばれる十数枚の岩盤で覆われていて、それぞれが年間数センチというゆっくりとしたスピードで動き、互いがぶつかったり、すれ違ったりしています。アポイを含む日高山脈も、はるか昔(約1,300万年前)の巨大プレートの衝突によってできました。」と記されている。
◇住所:〒058-0024 様似郡様似町会所町。
◇電話:0146-36-2119。

エンルム岬の頂上に設置のかんらん岩(2023年9月撮影)

アポイ岳
 日高山脈の南端にある山。標高810.5m。地名の由来はアイヌ語の「アペ・オ・イ」(火のあるところ)より。山が「幌満橄欖岩」と呼ばれているかんらん岩でできている。特殊な自然体系となっていることにから、1952年に高山植物帯が「アポイ岳高山植物群落」として国の特別天然記念物に指定された。1981年には日高山脈襟裳国定公園の特別保護区となった。標高が低いわりに、特殊な岩体のため森林が発達せず、「蛇紋岩植物」が生育する高山植物の宝庫として有名である。花の百名山となっている。(Wikipediaより)

アポイ岳とアポイ山荘(2009年4月撮影)

 「ジオ(GEO)」は地球や大地を意味する言葉。学術的に貴重で、美しい地質や地形を持つ自然公園がジオパーク(GEO PARK)。様似町は2008年、アポイのかんらん岩や高山植物などの貴重な自然が評価され、「アポイ岳ジオパーク」として日本ジオパークに認定された。2008年(平成20年)12月8日に国内7つの地域が日本で初めての「日本ジオパーク」に認定された。北海道では、アポイ岳ジオパークと「洞爺湖有珠山ジオパーク」の2カ所。その他、日本では糸魚川ジオパーク(新潟県)、南アルプス(中央構造線エリア)ジオパーク(長野県・静岡県・山梨県)、山陰海岸ジオパーク(鳥取県・兵庫県・京都府)、室戸ジオパーク(高知県)、島原半島ジオパーク(長崎県)の5カ所(2009年=平成21年5月現在)。
◇住所:〒058-8501 様似郡様似町大通1-21。
◇電話:0146-36-2120。

<アポイ岳ジオパークの3つの特徴>

1

 アポイ岳周辺には、地球深部のマントルの情報をそのまま持っている新鮮なかんらん岩が広がっていて、世界的に注目されている。また、プレート衝突の現場やマグマが冷えて固まった奇岩類、はるか南の海から運ばれてきた岩石など、様似には大地の変動を学び楽しむ素材にあふれている。


2

 アポイ岳では、かんらん岩という特殊な土壌や冷涼な気候などによって、810.5mと低い標高ながらたくさんの高山植物が生育している。しかも、ヒダカソウなどのここにしかない固有植物も多く、その群落は国の特別天然記念物に指定されているほか、固有種のカタツムリ、日本にはここにしか生息しない高山蝶など、様似には自然環境を学び楽しむ多様で貴重な生態系が残されている。


3

 親子岩やソビラ岩などの奇岩やエンルム岬。これら日高路の中でも際立つ風光明媚な景観には、アイヌの人々の数々の言い伝えが残されている。また、風を和らげる出船入船を見守るエンルム岬は、江戸時代の昔から北前船が行き来する東蝦夷地の要衝であった。様似には、人と自然の共生を学び楽しむための、アポイを仰ぎ海とともに生きてきた人々の歴史が息づいている。



エンルム岬
 エンルム岬は、太平洋に向かって突き出している陸繋島(りくけいとう)で、様似漁港の東岸を形づくっている。岸壁にはオオセグロカモメのコロニーがあるほか、エゾイヌナズナやヒダカミセバヤといった岩隙植物が豊富でる。また特筆すべきはミヤマオダマキ等をはじめとする高山植物が生育していることで、サマニヨモギの最初の発見地でもある。若干の樹林もあり、小さな岩山ながら豊富な高山植物が確認されている。また、岬の裏は、干潮時には幅100mほどの磯(波食台)が現れ、夏には潮干狩りもできる。
◇住所:〒058-0024 様似郡様似町会所町。
◇電話:0146-36-2119。

親子岩とソビラ岩
 まるで親子のように寄り添う3つの岩は、家族の絆を思い起こさせる。親子岩の東方、様似漁港内にたたずむソビラ岩は、その形状から烏帽子岩とも呼ばれている。この2カ所の岩は、アイヌの口碑では父と母子とされている。
◇住所:〒058-0032 様似郡様似町西町。

親子岩ふれ愛ビーチ
 太平洋に浮かぶ親子岩を望み、国道336号線をドライブする人たちの心を和ませる絶景ポイントに海水浴場親子岩ふれ愛ビーチがある。センターハウスには、シャワー(冷水)や更衣室、水洗トイレが完備され、海水浴はもちろん、キャンプ、釣り防波堤、遊具施設など、家族で楽しめるマリンエリアになっている。
◇住所:〒058-0032 様似郡様似町西町。
◇電話:0146-36-5555。

観音山
 標高101m。アイヌ語名はソビラヌプリと伝えられる。カムイチャシともいうらしい。えりも町内の観音岳と同町の観音山は別にある。昔の和名は「円山」だったが、明治28年に等じゅ院中興の僧、塚田純田が33体の観音を配置してから観音山と呼ばれるようになったという。
◇住所:〒058-0026 様似郡様似町本町1-7-8。
◇電話:0146-36-2119。

蝦夷三官寺・様似等院(とうじゅういん)
 1806(文化3)年に江戸幕府が建立した直轄の官寺で、伊達市有珠の善光寺(浄土宗)、厚岸町の国泰寺(臨済宗)と並び「蝦夷三官寺」と呼ばれた寺院(天台宗)。禄をくれる幕府が瓦解した明治維新後に、一時廃寺の悲運にあったが、1897(明治30)年に再興され現在に至っている。これまでに何度も移転改築を繰り返し、建立当時の面影を残すものはわずかに護摩堂の姿だけだが、本堂には鎌倉時代(推定)に作られた聖観世音菩薩像や薬師如来三尊仏像(江戸後期・推定)など、様似町指定文化財の貴重な仏像がまつられているほか、2005年には歴代の住職記などの古文書(様似郷土館所蔵)と百万遍念珠箱が国の重要文化財に指定されている。北海道遺産参照
◇住所:様似郡様似町潮見台11- 4。
◇電話:0146-36-2263。

様似等院(2022年7月撮影)




 えりも町(えりもちょう)は、北海道南部、日高振興局管内にある町。1町で幌泉郡をなしている。町名の由来は、アイヌ語で「エンルム」(岬の意)。日高山脈の南端に位置する町。南端部には襟裳岬がある。


 非常に風の強い地域で、最も風の強い襟裳岬では、風速10mを超える日が年間288.85日ある。 また、春と夏は濃霧が発生しやすく、気温があまり上がらない。1669年(寛文9年)、松前藩の藩士、蛎崎蔵人が商場を置く。その後、昆布の漁場として栄える。1880年(明治13年)、戸長役場が設置される。1889年(明治22年)、襟裳岬灯台が点灯。1906年(明治39年)、戸長役場を廃止し、二級町村制が施行され、幌泉村役場を設置する(村名は幌泉村とする)。1959年(昭和34年)1月1日、町制施行(幌泉町となる)。1970年(昭和45年)10月1日、えりも町と改称する。1980年(昭和55年)、開基100年記念式典が行われる。(jawp)
 えりも町は、北海道の東南端に位置し、豊かな水産資源と雄大な自然景観に恵まれた漁業と観光のまちです。「風極の地」と呼ばれる日本屈指の強風地帯でもある。コンブ、サケ、ウニなど豊富な魚介類の水揚げは、地域経済の主力をなしている。また、全国的に知られている「襟裳岬」や断崖絶壁の海岸が続く「黄金道路」など数多くの景勝地を有し、年間30万人以上の観光客が訪れる。まちの歴史は古く、今から300年以上も前から松前藩の昆布場所として拓かれ、明治13年に戸長役場が置かれて行政の基礎ができた。
 歌で有名な襟裳岬が代表で、紺碧の海に鋭く突き出た断崖は勇壮である。襟裳岬を中心に町の一部が日高山脈襟裳国定公園に指定されている。襟裳岬の突端に「襟裳岬 風の館」があり、世界初のテーマ館として、連日多くの観光客で賑わっている。産物は、昆布、サケ、マス、ウニ、ハタハタ、しいたけ、競走馬、肉牛。
北海道ひだか観光ナビ・えりも町

襟裳岬
 襟裳岬(えりもみさき)は、北海道幌泉郡えりも町えりも岬に属し、太平洋に面する岬。北緯41度55分28秒、東経143度14分57秒。北海道の形を大きく表徴する自然地形の一つである。日高山脈の最南端で、太平洋に向かって南へ突き出した岬である。海上にまで岩礁群も伸びている。


 日高山脈の南端部に位置するものであり、沖合い7kmまで岩礁が連なる。岬の周囲は高さ60mに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が開けており、日高山脈襟裳国定公園の中核を成す観光地となっている。風が強いことで知られる。風速が計測できる全国900以上の山岳を除くアメダス地点で、年平均風速がもっとも大きいのが襟裳岬の観測地点である。 1981〜2010年の年平均風速は8.2m/s。風速10m以上の風の吹く日が年間290日以上ある。岬上の襟裳岬灯台は海抜73mに位置し、光達22海里。1889年に初点灯した。他に霧笛が備えられている。2009年4月10日までは無線方向探知局も備えられていた。沖合で暖流の黒潮(日本海流)と寒流である親潮(千島海流)とがぶつかり、濃霧が発生しやすいためである。また強風が吹きやすいことでも知られる。地名の由来は、アイヌ語の「エンルム」(突き出た頭)または「エリモン」(うずくまったネズミ)など諸説ある。
 森進一が唄い、第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」(1974年、岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲)で、一躍有名となった。「襟裳岬」の歌碑は2つある。1つは島倉千代子の曲のもので1971年建立、もう1つが上記の森進一の曲のもので1997年建立である。札幌から日高本線へ直通する国鉄急行の愛称として「えりも」が用いられていた。岬の突端の岩場を中心にゼニガタアザラシが300〜400頭棲息する。双眼鏡で観察が可能。(jawp)
◇住所:幌泉郡えりも町字えりも岬。
◇電話:01466-2-4626。


襟裳岬(2021年7月撮影)

襟裳岬(2008年2月撮影)

◆襟裳岬「風の館」
 襟裳岬は、風速10m/sの風が吹く日が260日を超える、わが国有数の強風地域。時には、風速30m/s以上になる日も決して珍しくない。風の館はその強風を活かした風のテーマ館。館内には、えりもの強風を体感するコーナーや気象情報コーナーを設置。ガラス張りの屋内展望室からは、野生のゼニガタアザラシの姿や季節ごとに表情を変える岬の風景をのんびり眺めることができる。流木、貝殻、海藻を利用した体験も行っている。電話 01466-3-1133。

襟裳岬「風の館」(2021年7月撮影)

◆国指定文化財「名勝ピリカ・ノカ」襟裳岬(オンネエンルム)
 北海道の背骨と呼ばれる険しい日高山脈がしだいに標高を下げ、そのまま太平洋に沈んでいく、 壮大な大自然のドラマを実感できるのが襟裳岬。 長年にわたって荒波に洗われているにもかかわらず、遠く2km沖まで岩礁地帯が続く光景は感動的だ。海面下に没してさらに6kmも続くというから驚きだ。2010年(平成22年)8月、アイヌ民族の精神的・聖地的に重要な場所であるとして、国指定の名勝ピリカ・ノカ に指定される。

◆百人浜
 えりも町、襟裳岬から庶野(しょや)まで続く15kmの砂浜。百人浜のバス停前にある一石一字塔は、江戸時代に南部藩の御用船が難破し、この浜で息絶えた100人の乗組員の供養塔。これが百人浜の名の由来となっている。その横には悲しい恋の伝説が伝えられる悲恋沼(ひれんぬま)がある。
◇場所:〒058-0421 幌泉郡えりも町庶野。

百人浜(2022年10月撮影)

百人浜オートキャンプ場
 太平洋岸に広がる砂浜の海岸周辺に位置する百人浜オートキャンプ場は、林間に囲まれた静かな環境で、ファミリーキャンパーやライダーに人気。足を延ばせば、標裳岬や百人浜、豊似湖などの自然豊かな見どころがいっぱい。緑豊かな森の空気を胸いっぱい深呼吸し、いつもより広く青い空を、ゆっくりと流れる雲を、満天の星空を、潮騒の音を、虫たちが奏でる音色を、満喫してみてはいかが。
◇住所:〒058-0421 幌泉郡えりも町字庶野102-5。
◇電話:01466-4-2168。

豊似湖
 目黒から猿留川沿いの林道を進むこと9km。うっそうとした原生林の中に、ハート型の湖面にエメラルドのような湖水をたたえ、静かにたたずむ豊似湖がある。この周辺には大雪山周辺で有名な氷河時代の生証人ナキウサギも生息し、運が良ければ「ビキッ、ビキノ」という独特の甲高い声も聞ける。
◇住所:〒058-0422 幌泉郡えりも町目黒。
◇電話:01466-2-4626。

黄金道路
 襟裳岬から帯広方面に向かう国道336号線のえりも町庶野から広尾町広尾までの約33Kmの区間を一般的に黄金道路という。莫大な費用をかけて建設したことからこの名前がついた。


 開通は1934年(昭和9年)11月。それまでこの区間は道路が全くなく、生活の交流もほとんどなかった。人々は海岸線を歩いたりしたが、断崖絶壁が多く波の静かな日でさえも歩行は困難を要した。そこで、当時の北海道庁が地元の請願を受ける形で、1927年(昭和2年)に工事を開始した。約7年の工期と当時で約95万円ほどの金額を投入して1934年(昭和9年)11月に開通した。現在の貨幣価値に直すと60億円くらいか。しかし、開通したとはいえ荒天等の荒波などで、通行止めは年間でかなりの数にのぼっていた。1997年(平成9年)に国道236号線、通称天馬街道が開通し、十勝日高のアクセスが確保された。現在では大規模な道路改修工事が行われ、長大トンネルや防護壁が多数できている。
◇住所:幌泉郡えりも町庶野 〜 広尾郡広尾町。

<黄金道路展望台(望洋台)>
 国道336号のえりも町の庶野から広尾までの31.7kmが黄金道路。道路の起源は、寛政10年(1798年)ともいわれ、その建設費の多さに「黄金を敷き詰めるくらいに資金がかかった」ということから黄金道路と呼ばれている。日高山脈襟裳国定公園内の断崖絶壁の海岸線を走る道で、絶景の黄金道路途中に展望台(望洋台)が設けられている。
◇住所:幌泉郡えりも町庶路。

<えりも黄金トンネル>
 えりも黄金トンネルは、幌泉郡えりも町の国道336号(黄金道路)上にある国道トンネル。全長は4,941 mで、北海道内の道路トンネルで最も長い。国道336号の落石、土砂崩落、波浪、雪崩等の災害対策である「襟広防災」事業の一環として、北海道開発局室蘭開発建設部により、既設の宇遠別トンネル(3,215m)の途中から仮称:第2宇遠別トンネル(1,927m)を接続させる形で2006年に着工、掘削が進められてきた。新トンネルの名称を「えりも黄金トンネル」と決定し、当初は2011年2月中旬の完成供用を予定していたが、2010年12月3日に海側の現道が高波により被災し、通行止めとなったことから、12月5日から工事中のトンネルを緊急車両に限って通行可能とする措置を取り、その後、12月7日から10日にかけて、スクールバス、路線バス、自治体関係車両、地域住民車両と順次通行可能な対象車両を広げ、2011年1月17日より一般車両も片側交互通行で暫定供用させた。2011年2月2日に完成供用。 それまで道内の道路トンネルで最長だった国道236号 (天馬街道)の野塚トンネル(4,232m)を抜き道内最長の道路トンネルとなった。2017年総務省の電波遮へい対策事業によりトンネル内において携帯電話が使用可能となった。(jawp)
◇住所:幌泉郡えりも町目黒−庶野。


黄金道路とえりも黄金トンネル(2022年10月撮影)



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