◆羊蹄山 ◆小樽運河 ◆余市ニッカー工場 ◆キロロリゾート ◆積丹岬 ◆神威岬 ◆西村計雄記念美術館 ◆神仙沼 ◆弁慶の刀掛岩 ◆木田金次郎美術館 ◆荒井記念美術館 ◆賀老の滝 ◆ニセコ岩内スキー場 ◆ふきだし公園 ◆小川原脩記念美術館 ◆国松登ギャラリー ◆ニセコのスキー場 ◆有島記念館 ◆チセヌプリスキー場 ◆大湯沼 ◆北限のブナ林 ◆賀老の滝 ◆貴賓館(旧青山別邸)
小樽市は、道都札幌から西方に約30kmにあり、三方を山々に囲まれた面積246平方kmの坂道の多い港町。天然の良港を有する商工港湾都市として発展してきた。
本市には海や山などの自然景観とともに歴史を偲ばせる建造物や街並みなどが残されており、近年これらを生かした都市観光が発展し、年間500万人以上の観光客が来街している。
小樽市は、北海道西海岸のほぼ中央、後志地方の東側に位置し、札幌市など4市町村に接している。東西約36km、南北約20kmで、市街地の一方が日本海に面し、他の三方を山々に囲まれた坂の多いまち。海岸線は約69kmで、その中央には天然の良港である小樽港があり、西側の勇壮な海岸は「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」に指定されている。
小樽観光協会 。
◆天狗山
標高532.5m。市の中心部より南西に位置し、展望台とスキー場などにより小樽市民や観光客からリゾート地として親しまれている。
由来はいくつかの説があり、有力なものに以下の3説がある。1.山中に天狗火(火や煙など)が見え、天狗が棲んでいると言われた。2.山や岩の形が天狗に似ていた。3.東北日本海側から移住してきた人々が、故郷の天狗山を想って名づけた。山頂の展望台から小樽市街と石狩湾を眺める事ができる。特に夜景は「北海道三大夜景」の一つとして謳われている(「三大夜景」の他の二つは函館山と藻岩山)。山麓と山頂の間はロープウェイで結ばれている他、観光道路も整備され夏季ならマイカーで山頂まで登ることも可能。さらに登山道もあり、登山客にも利用されている。冬は、スキー場として親しまれている。夏は、山頂のスライダー、リス公園などの屋外施設も充実している。また、観光道路の中腹にはキャンプ場「おたる自然の村」も整備されている。山麓・山頂にはレストランもあり、山麓には「ザ・グラススタジオ・イン・オタル」や数軒の宿泊施設が用意されている。また、山頂には「小樽スキー資料館」と日本全国から収集した約700点もの天狗の面を展示した「天狗の館」が併設されている。(jawp)
◇住所:〒047-0012 小樽市天狗山2。
◇電話:0134-33-7381。
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天狗山から望む小樽市街(2009年10月撮影)
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◆小樽八区八景ガイドマップ(発行:小樽市建設部新幹線・まちづくり推進室)
◆日本銀行旧小樽支店
小樽市指定文化財第8号。指定年月日・平成14(2002)年9月17日。竣工・明治45(1912)年7月27日。構造・煉瓦造り。設計者は日本銀行本店や赤煉瓦の東京駅を設計した辰野金吾である。煉瓦造りであるが、外装を石造風の装いにまとめている。ドームの曲線と重厚な外観が調和してひときわ荘重な姿を誇っており、小樽を代表する建造物である。
◇住所:047-0031 小樽市色内1-11-16。
◇電話:0134-21-1111。
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日本銀行旧小樽支店(2006年5月撮影)
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◆小樽運河
1923年(大正12年)に完成した。内陸に水路を掘ったものではなく、沖合を埋め立て、陸との間にできた水路であり、「埋立て式運河」と呼ばれる。
海上に停泊した船舶からの貨物を乗せた艀(はしけ)舟を係留し、貨物の荷揚げに使われた。人力で荷揚げする方式は戦後に入り衰退していった。また、戦後は樺太等との交易がなくなったため、物流の拠点としても急速にすたれていった。無用の長物と化し、放置されていた小樽運河はヘドロがたまり悪臭が漂うようになった。1960年代に入り、運河を埋め立てて、道路として整備する方針が小樽市から打ち出された。それに対し運河の保存運動が全国規模で高まった。市側は当初の全面埋め立てに対し、運河の半分の幅を残す妥協案を提示するが、全面保存を求める保存派と意見が折り合わないまま、1983年(昭和58年)には埋め立て工事に着手。1986年(昭和61年)には北海道道17号小樽港線 (通称:小樽臨港線)が開通する。散策路やガス灯が整備され、大きく様変わりした運河周辺は、小樽の一大観光スポットに成長し、1996年(平成8年)には都市景観100選を受賞した。現在では、立地の関係からか、当初の景色を残す北運河よりも、半分を埋め立てて散策路を整備した臨港線部分に観光客が多い。運河の両岸には煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群が立ち並び、往時をしのぶことができる。(jawp)
◇住所:〒047-0031 小樽市色内1。
◇電話:0134-32-4111。
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小樽運河(2006年5月、2008年9月撮影)
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◆手宮線跡地
昭和60年(1985)11月5日に廃止となった国鉄の手宮線(南小樽駅〜手宮駅の2.8km)。官営幌内鉄道(手宮〜札幌〜幌内)の一部として、明治13年(1880)11月28日に開通した線路で、北海道で最初の鉄路でもある。現在、線路がそのまま保存され、その横が散策路として整備されている。
◇住所:〒047-0031 小樽市色内1-13-14(JR小樽駅から徒歩6分)
◇電話1:0134-33-2510(一般社団法人 小樽観光協会)
◇電話2:0134-32-4111(小樽市建設部まちづくり推進課)
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手宮線跡地(2022年5月撮影)
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◆小樽市総合博物館本館
小樽市総合博物館本館には、蒸気機関車「しづか号」をはじめ、北海道を代表する50両もの鉄道車両が屋外に保存・展示されている。また、北海道鉄道の歴史を紹介する常設展示がある。館内には、プラネタリウムや体験を通して学習できる科学展示室があり、土・日・祝日はチャレンジラボで簡単な実験や工作もできる。また、企画展示室では、歴史、自然、科学などさまざまなテーマに基づいた展示を行っている。(ホームページから)
◇住所:〒047-0041 小樽市手宮1丁目3-6
◇電話:0134-33-2523
◇定休日:火曜日。
◇入館料:一般400円、高校生200円、中学生以下無料。
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小樽市総合博物館本館(2022年5月撮影)
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◆石原裕次郎記念館(2017年8月31日閉館)
俳優・歌手として栄光に生きたスーパースター「石原裕次郎」の世界が余すところなく広がっている。思い出の名画シーンのセット再現からヒットナンバーやCMの一コマ一コマがテレビモニターとワイドスクリーンで鮮やかに蘇る。また、栄光のトロフィーや盾も一堂に見る子ができる。海を愛し、車を愛し、人を愛した石原裕次郎。愛用のマリングッズや愛車ベンツ300SLをはじめ、ハワイ・成城の裕次郎邸の再現などプライベート部分にスポットを当てている。また、まき子夫人・兄慎太郎氏・石原軍団とのそれぞれのヒストリーも思い出深く綴られている。
◇住所:〒047-0008 小樽市築港5番10号。
◇TEL 0134-34-1188 FAX 0134-24-1480。
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石原裕次郎記念館(2008年9月撮影)
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◆オーンズ春香山ゆり園
北海道最大級!のオーンズ春香山ゆり園。2015年シーズン3年目を迎えるゆり園! 。2015年も4万5,000球のゆりを植栽し、213万輪のゆり園となる。 山頂からの景色は『空と海とゆりの三重奏!』。さらに、ゆり料理、お土産、キッズパークとゆり以外も 子供からシニアまで楽しめる。
◇住所:〒047-0265 小樽市春香町357。
◇電話:0134-62-2228。
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オーンズ春香山ゆり園(2015年8月撮影)
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◆北海道ワイン 小樽醸造所・おたるワインギャラリー
梅雨や台風の影響が少ない北海道の夏は、湿度が低く、昼夜の寒暖差が激しいのが特徴。実はこうした気候は、ヨーロッパ系ぶどうの栽培にとって最適な条件。北海道は、ヴィニフェラ系(ワイン専用種)ぶどうの日本一の生産地になっている。
北海道は、北緯42〜45度に位置しているが、亜寒帯性気候に属していることから、ぶどう栽培の気候区分では「リジョン1」にあたる。これは、ヨーロッパの北部、北緯49度付近と同じ。ぶどうの栽培にとっては、もっとも冷涼なエリアである。この「リジョン1」には、ドイツをはじめ、フランス北部のシャンパーニュ地方、フランスとドイツの国境地帯にあるアルザス地方などが含まれる。これらは世界的な銘醸白ワインの産地。こうした産地にならい、北海道ワインでは、白ワインを主品種に据えている。北海道ワインの白ワイン用ぶどうと赤ワイン用ぶどうの比率は、白が65%、赤が35%ほど。
小樽から北東へ約100kmの浦臼町鶴沼地区に、自社農園「鶴沼ワイナリー」がある。総面積は447ha、ヴィニフェラ系ぶどう栽培としては、日本最大の規模。また、本社と醸造所のある小樽市をはじめ、余市町、仁木町、共和町、ニセコ町、蘭越町など後志管内には、糖度による買い取り価格決定を行っている契約栽培園があり、その規模と範囲は、道内32市町村、約400軒の農家に及ぶ。主として、鶴沼ワイナリーのある空知エリアでは、ヨーロッパ系ワイン専用種が、小樽や余市などの後志エリアでは、ナイヤガラなどの生食用品種の栽培が盛ん。北海道ワインには、巨大な原料供給体制が確立しているため、毎年安定したワイン生産が可能である。年間のぶどう使用量は、約2,500t、これは北海道全体で収穫されるぶどう全量の4分の1を占める。「北海道農業に必要な企業でありたい」、それが私たち北海道ワインの願い。
空知管内浦臼町は、北海道開拓の歴史を刻む石狩川流域のまちである。ドイツのライン地方にとてもよく似た気象条件下にあり、南向きの丘陵地に開かれた鶴沼ワイナリーは、冬の寒さもおだやかで、夏には適度な雨と好天に恵まれる。北海道ワインがこの地に最初のクワを入れたのは、昭和47年(1972年)。幼少時からぶどうに接してきた山梨県出身の嶌村彰禧(現北海道ワイン会長)は、北海道の気候風土にふれたとき「ここなら本物の日本ワインができる」と直感した。挑戦は、45haの原野を切り拓くことから始まった。2年後の昭和49年(1974年)には、ドイツから輸入し横浜の植物防疫所に1年間置かれていた苗木が植えられる。ところが、やっとの思いで植えた苗木も野ウサギに食べられたり、枯れてしまったりするなど、苦難と試行錯誤の日々が続いた。北海道ワインと鶴沼ワイナリーに光が差し始めたのは、昭和52年(1977年)。当時ドイツに留学していた本間恒行(現北海道ワイン顧問)が、ドイツ人ケラーマイスターのグスタフ・グリュン氏を連れて帰国したことがきっかけになった。グリュン氏の栽培技術には、目を見張るものがあった。彼の指導により鶴沼にドイツ系のワイン用葡萄の木々がしっかりと根付いていったのである。
開墾から30年の時を経た現在、鶴沼ワイナリーには、ミュラー・トゥルガウ、ツヴァイゲルト・レーベ、セイベルなどのヨーロッパ系ワインぶどうが20品種あまり栽培されている。なかには国内でも鶴沼だけというシュペート・ブルグンダーやトラミナーもある。これほど豊富なヨーロッパ系ワイン葡萄を育成している場所は、ヨーロッパのワイン産地以外では、おそらくここ鶴沼だけであろう。鶴沼の畑では、ヨーロッパのワイン産地でみられる光景と同じように、南西向きの斜面に限りなくぶどうの垣根が広がり、さえぎるものなく日差しをいっぱいに受けている。私たちが大切にするのは、「身土不二」のこころ。つまり日本の大地で育ったぶどうからできるワインこそが、日本人に安心感や幸福感をもたらすものと考える。みなさまに幸せを与える「未来のワイン」が、今日もここ鶴沼で育っている。(ホームページから)
<北海道ワイン株式会社>
◇住所:〒047-8677 小樽市朝里川温泉1丁目130番地。
◇電話:0134-34-2187。
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北海道ワイン小樽醸造所・おたるワインギャラリー(2016年7月撮影)
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◆小樽貴賓館(にしん御殿の旧青山別邸)
小樽貴賓館横に、にしん御殿の旧青山別邸がある。青山家は小樽市祝津の網元、にしん漁で巨万の富を築き上げた。大正6年(1917)から6年半余りの歳月をかけて建てられた別荘、それが旧青山別邸である。
北前船で運ばれた最高の素材と匠の技で、金に糸目をつけずに建てられた。母屋には春慶塗が施され、18室の各部屋の襖絵や書は、当代一流の画家・書家が描いた。純和風建築の中に大正ロマンを彷彿とされるモダンな洋室や趣きある枯山水の庭園などが見られる。四季の花が庭を彩り、小樽を代表する建造物である。また、旧青山別邸横には600株のあじさい園があり、7月〜8月中旬が見ごろ。一方、小樽貴賓館は、和食レストランと和室(160名様)、洋室(15〜50名)が用意されている。窓からは日本海が一望できる。1Fホールには、北海道ゆかりの日本画家による豪華な天井画がある。
◇住所:〒047-0047 小樽市祝津3丁目63。
◇電話:0134-24-0024。
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にしん御殿の旧青山別邸とあじさい園(2019年7月撮影)
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小樽貴賓館(下右奥)と1Fホールの北海道ゆかりの日本画家による豪華な天井画
(2019年7月、2022年5月撮影) |
<北海道有形文化財・にしん漁場建築>
小樽市鰊御殿は、1958年(昭和33年)北海道炭鉱汽船株式会社が積丹(しゃこたん)の泊村(とまりむら)にあった鰊漁場建築物を解体、この地に移設した。その後、小樽市に寄贈されたもので、1960年(昭和35年)5月31日「北海道有形文化財・にしん漁場建築」として、本道の民家ではじめて文化財に指定された。屋内にはニシン漁やニシン加工に使われた道具類をはじめ、ニシン番屋で生活していた人々の生活用具や写真などを展示している。
<建物の由来>
積丹半島を中心とした日本海沿岸地域で、かつてニシン漁全盛のころ(網をひと起こし千両万両と言われた明治、大正時代)に、数多くの豪勢なニシン漁舎が建築された。この建物はその中の元屋のひとつで、泊村のニシン親方、田中福松氏が1891年(明治24年)から7年をかけて1897年(明治30年)に竣工したもの。現存する建物の中では、大規模であり、かつ明治時代の原形をとどめており、華やかな往時をしのぶ貴重なニシン漁場建築である。
<当時の漁業状況>
本来、この建物の立地は、崖を背負う波打ち際にあり、海岸に張り付くようにニシン場特有の漁舎である網倉(あみくら)、倉庫など数棟が建てられていた。この田中漁場の全盛期には120人くらいの漁夫がここに寝泊まりして、漁期外でも越年仕事のため30人程度は常住していた言われている。建網15カ統(とう)〜18カ統を営んだ田中漁場の漁夫は、1カ統35〜40人くらいでしたので、ニシン漁期には、地元の手間(てま)取りなどを数えるとその使用人は大変な人数となった。
<建物創建者>
当時、鰊大尽(にしんだいじん)と呼ばれた積丹地方有数の親方・田中福松氏は、青森県東津軽郡蓬田(よもぎだ)村在住の田中吉平衛の二男として生まれ、17歳の時、1854年(安政元年)、叔父の武井忠兵衛(積丹の古宇(ふるう)場所支配人)を頼り、漁夫として来道したが、ほどなく独立して、ニシン刺網(さしあみ)から次第に大規模な建網(たてあみ)漁業(定置漁業)へ移行し、その漁獲は実に1万石(200万貫、7,500t)ともいわれた。
<構造>
一部2階建て総面積は611.9平方メートル(185.1坪)を誇り、北陸・東北地方の切妻造の民家様式が採用さている。特徴としては、大屋根中央に形良く乗っている入母屋造の煙出し、伽藍調(がらんちょう)を帯びた大屋根の庇(ひさし)、正面玄関の円形屋根と直線の小庇との対象、脇玄関の庇を支えている象鼻(ぞうはな)などがあり、いずれも民家には珍しい建築様式となっている。
<建築用材>
主として、「たも・せん・とど松」などの道産原木や弁財船(べんざいせん)で東北地方から取り寄せた檜(ひのき)など約3,000石(540t)が使われてる。仮にこの材料を使用して30坪の家を建てるとすると20軒分建てることが可能。いかに木材が豊富な時代とはいえ、長大な木材をふんだんに使ったその時代のニシン場親方の豪放さに驚かされる。
<小樽鰊御殿>
◇住所:小樽市祝津3丁目228番地。
◇電話:0134-22-1038。
<小樽市鰊御殿指定管理者(株式会社小樽水族館公社)>
◇住所:小樽市祝津3丁目303番地。
◇電話:0134-33-1400。
<小樽市産業港湾部観光振興室>
◇住所:小樽市港町4番3号。
◇電話:0134-32-4111。
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小樽鰊御殿(2019年7月撮影)
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北海道の西部、後志管内北部にあって北緯43度10分、東経140度50分に位 置し、北は余市町に隣接、東は南走する頂白山系をもって赤井川村と、また西南は八内岳から稲穂嶺、三角山に至る山嶺を隔てて古平町、共和町及び倶知安町とそれぞれ境を画し、小樽市までは24km、札幌市までは58kmと道中央圏に近接している。
およそ数万年前の地質といわれる西方の主峰八内岳、およびその一連の山々とその後の生成と推定されている東・南一帯の赤井川カルデラ内輪山の間を北流する余市川が形づくった平坦地からなっている。周辺の山々は標高が低いもののいずれも比較的険しいうえに面 積も広いため、農耕適地は総面積の12%にとどまっている。しかし、余市川沿いの沖積地帯は地味肥沃で道内有数の果 樹・そ菜・水稲などの生産地として知られている。
仁木町観光協会 。
◆フルーツパークにき
国内では珍しい果物をテーマにした公園。サクランボはもちろんリンゴやプルーンの生育状況が間近で見れる。また園内にはレストラン、特産品販売、宿泊施設も完備。
◇住所:〒048-2411 余市郡仁木町東町16-121 。
◇電話:0135-32-3500。
◆ふれあい遊トピア公園
『果実とやすらぎの里』仁木町のアウトドアスポーツエリア。全36ホールの雄大で変化に富んだパークゴルフ場をはじめ、テニスコートや野球場など充実した施設がいっぱい。
◇住所:〒048-2402 余市郡仁木町大江1。
◇電話:0135-32-3977。
◆ゆかりの地
北海道の地名の多くはアイヌ語に由来するが、仁木はアイヌ語がその起源ではない。徳島県から事前調査のため単身当地に渡り、1875年(明治8年)、約360名を伴って入植した開拓者、仁木竹吉氏の姓がその由来。
国道5号線、国道229号線が通り、小樽・札幌方面、倶知安・岩内・函館方面、積丹方面の中心に位置し、3方向への 交通の要衝となっている。「余市」はアイヌ語の「イヨテイーン」が語源だとされている。ヘビのように曲がりくねった大きな川のある所の意味だとされている。
1881年(明治12年)、民間では日本で初めて、りんごの実がなった土地。それ以来、りんごは余市の農業の中心となり、現在ではぶどう、さくらんぼ、なし、ももなど数々の果物が生産されている。また、古くからニシンの漁場として栄え、その繁栄ぶりは現在文化財として保存・公開されている運上屋、福原漁場から偲ぶことができる。
余市町観光協会 。
◆えびす岩・大黒岩
えびす岩と大黒岩は、白岩町の海上、岸から10数mほどの浅瀬に並んで立っている。上部に比べ下部が細く不安定な形をしているのがえびす岩(写真左)、やや大ぶりな安定感のある形をしているのが大黒岩(写真右)。2つの岩の岩質は、黒く丸い安山岩の礫岩。それぞれの岩の形やたたずまいから夫婦岩(めおといわ)とも呼ばれている。
◇住所:〒046-0031 余市郡余市町白岩町172。
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えびす岩・大黒岩(2006年7月撮影)
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◆ローソク岩
日本海沿いの国道229号線を車で走ってくるとローソク岩が見えてくる。豊浜町の沖合約500mの海上に45mを超える高さでそそり立っている。ローソク岩の岩質はもろい性質で、これまで何度か崩落を繰り返し、昭和10年代の大きな崩落により、現在の姿になった。その珍しい形から、地元の漁家やアイヌ民族に幾つかの伝説が残っており、またその周辺はかつて千石場所と呼ばれ、ニシンの良好な漁場であった。
◇住所:〒046-0033 北海道余市郡余市町潮見町沖。
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ローソク岩(2022年7月撮影)
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◆ニッカウヰスキー発祥の地 余市蒸溜所
余市蒸溜所は1934年、ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝によりニッカウヰスキー第一の蒸溜所として建設された。
余市町は、札幌から西に約50km、積丹半島の付け根に位置し、澄んだ空気と夏でもあまり気温が上がらない気候に加え、近くには良質のピートに恵まれた大地が広がっている。ここ「余市」はまさに竹鶴政孝の理想とするウイスキーづくりの条件をすべて満たした理想郷であったのである。そして、“ウイスキーは北の風土が育むもの”という信念を基に、環境に調和し景観にも配慮した工場づくりを進めた。この地のと出会いから2年、1936年に竹鶴政孝の長年にわたる意志と悲願を託したポットスチルに火がくべられ、モルトウイスキーの製造を開始。以来、今も当時と変わらぬ製法でウイスキーの蒸溜、貯蔵を行っている。また当工場は昭和初期の建物群がほぼ当時のままに保存されており、北海道遺産に選定、文化庁有形文化財に登録された。この豊かな自然の恵みと、厳しい北の気候風土に囲まれた余市は、ニッカウヰスキーの発祥の地であり、当社の品質の原点である。(ニッカウヰスキー発祥の地北海道工場余市蒸溜所GUIDEから)
◇住所:余市郡余市町黒川町7-6 。
◇電話:0135-23-3131。
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ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸留所(2006年7月、2009年10月撮影)
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◆重要文化財・史跡 旧下ヨイチ運上家
1971年(昭和46年)12月28日重要文化財指定。1973年(昭和48年)7月31日史跡指定。蝦夷地(えぞち)における知行主(ちぎょうぬし)と知行商場(あきないば)居住の蝦夷との関係は、はじめ友好的に行われていた。
しかし、両者の勢力にへだたりが生じ、内地商人の資本力の進出、とりわけ17世紀のなかば前から活躍し始めた近江(おうみ)商人が力を発揮し始めると、知行主は蝦夷交易に必要な資本等を商人から借りて蝦夷交易に従い、獲得した品物を証人に渡すという場所制度(ばしょせいど)が生まれた。その後、蝦夷交易が複雑になると、交易権も証人の手に帰するようになり、知行主は、知行主の場所を請け負う商人を場所請負人として選び、場所請負人は知行主に運上金(うんじょうきん)・差荷を納めるかわりに、知行主の場所における一定の交易独占権を行使することを認められ、請負場所に雲上家を設け、支配人等を遣わして、蝦夷に米・塩・小刀等を送り、蝦夷の漁獲した水産物や手芸品等を交換し、これを内地の市場に送って売りさばき、利益を得ることとなった。(場所請負制度)
ヨイチ場所は、すでに18世紀には、その存在が認められるが、おおむね上下二つの運上家が設けられ、運上金の額は300両前後であった。このうち現在残っている下ヨイチ運上家(写真)である。この建物は1853年(嘉永6年)場所請負人 竹屋長左エ門(たけやちょうざえもん)が建てたもので、翌年一部を継ぎたした。完成当初は、桁行(けたゆき)22間(けん)、梁間(はりま)8間、柾屋根(まさやね)、上手(かみて)が座敷で通行の役人や勤番下役の止宿所にあて、中央に広い台所と表裏に帳場や番人の居間、下手(しもて)には雑部屋と土間を配していた。明治にはいり、規模を縮小して模様替えを行い、敷地も狭くなり、付属建物等を取り払われたが、現在残っている唯一の運上家であり、幕藩体制下の蝦夷地経営を知る上で貴重な歴史遺産である。
◇住所:〒046-0011 余市郡余市町入舟町10。
◇電話:0135-23-5915。
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重要文化財・史跡 旧下ヨイチ運上家(2022年7月撮影)
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◆旧余市福原漁場
国指定史跡(1982年2月12日、1984年8月29日、1987年12月25日)。北海道の日本海沿岸は、近世よりニシン・鮭漁が盛んに行われ、ヨイチ(余市)場所は江戸時代からニシン漁の千石場所としてその名を知られ、明治時代には沿岸沿いに大きな番屋が立ち並び、ますますニシン漁が盛んになった。
旧余市福原漁場には、敷地や建物が当時のニシン漁場のすがたのまま、まとまって残されており、往事の様子を伝えることのできる貴重な遺構として国の史跡指定を受け、1983年(昭和58年)度より文化庁の補助により保存修理工事に着手し、建物の復元、修理が完了した。
◇住所:余市郡余市町浜中町150。
◇電話:0135-22-5600。
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旧余市福原漁場 主屋と右上の写真は土倉(文書庫)(2022年7月撮影)
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◆道の駅 スペース・アップルよいち
国道229号と国道5号の分岐点にほど近い余市川河畔、国道229号沿い。余市宇宙記念館「スペース童夢」や農産品直売所、無料体験コーナーなどがある。宇宙記念館では、郷土出身で日本人初の科学者宇宙飛行士・毛利衛さんの業績を紹介。さらに、CGドーム映像で星空を見ることができるデジタルプラネタリウムなどを設置。また、10種類以上の「宇宙食」などが手に入るほか、地元水産加工品、農産品、アップルパイも大好評!
◆【燻製屋】南保留太郎商店
燻製専門店、魚介を中心に様々な燻製を製造・販売している。店舗の隣に燻製料理のカフェ燻香廊(けむかろう)を併設。自社の燻製商品を使ったメニューがある。
◇住所:〒046-0024 余市郡余市町港町88番地。
◇電話:0135-22-2744。
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【燻製屋】南保留太郎商店(2022年7月撮影)
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アイヌ語「フレ・ペツ」(赤い川)を意味したもの。1899年(明治32年)、大江村(現在の仁木町)から分村し、赤井川戸長役場を設置、1906年(同39年)4月2級町村制施行により赤井川村と称し、現在に至る。北海道の南西部に位置し、周囲を札幌市、小樽市、余市町、仁木町、倶知安町、京極町に囲まれた緑豊かな「カルデラの里」。村の総面積は280.1平方kmと広大,で、その8割が山林で占める。気象条件は盆地特有の内陸型気候で、冬の積雪は多く、北海道内で有数の豪雪地帯。
赤井川村の観光・イベント情報 。
◆赤井川カルデラ
赤井川村、仁木町にまたがる直径およそ直径6〜7kmの楕円形のカルデラである。カルデラ壁の標高は最高で大黒山の725m。カルデラ底はおよそ150m。地質は安山岩、デイサイト、流紋岩からなる。火山の活動時期は約170万?130万年前。赤井川カルデラの外側には後期鮮新世に形成された余市川カルデラが存在する。赤井川村役場はカルデラ内に位置する。(jawp)
◆ライオンの滝
轟地区の白井川に架かるライオン橋から望める滝で、紅葉の時期が特にきれい。名称には、滝の音の「雷音」と、付近の岩の形から「ライオン」との二説がある。
◇住所:余市郡赤井川村轟。
◆盤ノ沢滝
余市川の上流、キロロリゾートホテルピアノ向かいの駐車場に入り口がある。夏の暑い日に遊歩道を散策すると、さわやかな清涼感を味わうことができる。
◆赤井川カルデラ温泉赤井川村保養センター
◇住所:〒046-0501余市郡赤井川村字赤井川71-2。
◇電話:0135-34-6441。
◇営業時間:10:00〜21:00。
◇料金:大人400円、子供200円。
◇定休日:月曜日。
◆キロロ温泉森林の湯(休業)
キロロリゾートにある日帰り温泉施設。「キロロトリビュートポートフォリオホテル北海道」(旧ホテルピアノ)より入館する。併設するキロロタウン内の「遊湯館」に温泉施設がある。浴場は、建物の2階に位置する。温泉そのものは鉄分を含む良質なお湯。
◇住所:〒046-0571余市郡赤井川村字常盤128-1。
◇電話:0135-35-7111。
◇営業時間:15:00〜22:00。
◇料金(温泉のみ):大人1,200円、子供800円。
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キロロリゾート (左)ホテルピアノ (右)マウンテンホテル(2004年6月撮影)
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◆キロロリゾート
余市郡赤井川村にあるリゾート施設。朝里岳北西斜面のスキー場キロロスノーワールドを中心として、ホテル3棟、温泉施設等がある。自動車で新千歳空港から約2時間、札幌市から1時間ほど。
◇住所:〒046-0571 余市郡赤井川村字常盤128-1。
◇電話:0135-34-7111。
◆山中牧場
山中牧場は、キロロの近くにあり、ソフトクリームや牛乳をその場で楽しむことができる。他にもバター、ハム、ハンバーグを売っている。
◇住所:余市郡赤井川村字落合478番地。
◇電話:0135-34-6711。
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山中牧場(2016年7月撮影)
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◆道の駅 あかいがわ
札幌圏とニセコ道南エリアを結ぶ国道393号の中間に位置。この地は、明治時代から昭和初期にかけて官設の駅逓所が置かれていた場所で、今も昔も交通の要衝となっている。周囲を山々に囲まれたカルデラ盆地である。
アイヌ語「フィーピラ」(赤いガケの意)から転化。積丹半島の中央部に位置し、山すそに海岸が迫り、丸山岬が西北に突出していて、自然の良港古平湾を擁している。沿岸・沖合漁業が基幹産業。
古平港と街並みを見下ろす小高い丘に、「古平家族旅行村」がある。1996年(平成8年)、「ふるびら温泉」が誕生した。1869年(明治2年)開拓使出張所が置かれ、1873年(同7年)開拓使古平分署となった。1880年(同13年)開拓使古平郡役所を設け、1886年(同19年)北海道庁古平郡役所と改称。1889年(同22年)古平郡各町村戸長役場を設置。1902年(同35年)4月二級町村制施行、町名を古平町とした。1907年(同40年)4月一級町村制施行。
古平町の観光・イベント 。
◆古平家族旅行村
小高い丘の上に広がる古平家族旅行村は、家族で快適に過ごせるアウトレジャーのとっておきの施設。
◇住所:〒046-0132 古平郡古平町大字歌棄町44。
◇電話:0135-42-4200。
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家族旅行村(2012年7月撮影)
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◆琴平神社祭典
大漁と海の安全を願って、町内が海の男の汗と掛け声と熱気一色になる夏の一大イベント。神輿や山車の行列が街中を練り歩き、猿田彦(天狗)火渡りの儀式で最高潮となる。
古平町出身の吉田一穂は、詩人で文明評論家。1898年(明治31年)8月15日-1973年(昭和48年)3月2日。一穂は、渡島管内の木古内町に生まれ、7歳から古平で育った。上京して1926年(大正15年)に出版した処女詩集「海の聖母」で詩壇に衝撃を与え、若山牧水や北原白秋らとともに親交を深めた。古平を「白鳥古丹(かむいこたん)」と名付け、その風土を愛し続けた。また、一穂は、児童文学との関わりも深く、1922年に童話「ふる郷へ」「古時計」を発表するなど、その本格的な文筆活動の始まりは児童詩への執筆であった。専門詩人の間で、吉田一穂ほど畏怖されている存在はない。ただ孤高で俗流詩人と肩を並べることを好まず、ジャーナリズムをも蔑視してきた。自らを恃むところ余りに高く、知るところ余りに多いからである。
◆ふるびら温泉しおかぜ
坂の上にある建物は番屋をイメージしたデザインが特徴的。 海を望むロケーションと、濃厚な褐色の湯は町民にも愛されている。
◇住所:古平郡古平町大字新地町90-1。
◇電話:0135-42-2290。
◇入館料:大人550円、小中学生250円。
◇泉質:ナトリウム-塩化物質。源泉掛け流し。
アイヌ語「シャックコタン」(夏の場所)から転化。5月のウニ漁、7月のイカ漁、秋のサケ漁、冬のタラ漁と四季を通じて水揚げがある。延長42kmに及ぶ海岸線は、奇岩美にあふれ、ニセコ積丹国定公園に含まれる。
沿岸の3カ所が、水が澄み海中の動植物が豊富であるとして、国から海中公園の指定を受けている。1898年(昭和31年)9月美国町、入舸村、余別村を合併して設置した。旧美国町は1880年(明治13年)戸長役場を設置。1902年(同35年)4月二級町村制施行。村名を美国村とし、1909年(同42年)4月一級町村制施行、美国町となる。旧入舸村は1903年(明治36年)入舸ほか3村戸長役場を設置、1906年(同39年)4月二級町村制施行、村名を入舸村とした。旧余別村は1906年(明治39年)4月二級町村制施行、村名を余別村とし、1938年(大正13年)4月一級町村制施行。
積丹町は人口約3,200人、面積238.17平方m。北海道西海岸の中央部、北西に突出している積丹半島の頭部に位置している。積丹半島は、明治から昭和初期にかけてニシン漁の大漁場として発展し、当時の番屋、トンネル、旧街道などが保存されている。特にウニは、積丹町の名物であり、6月のウニ漁、秋のサケ漁、冬季のタラ漁と四季を通して水揚げがある。積丹町の海岸は、およそ42kmあり、切り立った断崖や奇岩、シャコタンブルーといわれる「神威岬」の景観は絶景。積丹半島は、ニセコ積丹小樽国定公園に含まれ、北海道で唯一、海中公園に指定されている。平成16年に積丹半島と神威岬が北海道遺産に指定された。
積丹観光協会 。
◆美国港
町内に7カ所ある漁港のひとつ。ここから、ホッケやイカ、アワビ、ウニなどの日本海の海の幸が陸揚げされる。釣り好きにも人気のある場所で、ゴールデンウィークの頃から岸壁は、竿を持った人でびっしり。
◆黄金岬
美国エリアでは見逃せないスポットが、ここ。美国港の先から海へ突き出した黄金岬へは遊歩道(410m)が整備され、3カ所の入り口から展望台を目指すことができる。展望台からは、青く澄んだ日本海と断崖絶壁が続く海岸線、さらの美国の街並みも見渡せる。
◇住所:積丹郡積丹町美国町。
◇電話:0135-44-3715。
◆宝島
黄金岬の先にある美国のシンボル・宝島は、かつて大きな富をもたらしたニシンの大群が押し寄せたことから、その名がついたといわれている。近くに浮かぶ小さな島は、ゴメとも呼ばれるカモメが羽を休めている姿に似ているため、ゴメ島と名付けられている。
◇住所:積丹郡積丹町美国町。
◇電話:0135-44-3381(積丹町商工観光課)。
◆美国神社
享保10年(1726年)、小泊村(現・美国小泊)に創建され、大正3年に現在地に移転しました。鳥居をくぐると、細かな木彫を施した神殿が、長い年月にわたって海のマチを見守り続けてきた歴史を感じさせてくれる。
◇住所:〒046-0201 積丹郡積丹町大字美国町字船澗230。
◇電話:0135-44-2101。
◆積丹半島
北海道西部、後志総合振興局にある半島である。地名の由来はアイヌ語のシャクコタン(夏の村)である。日本海に向かって突き出ており、地質学上では那須火山帯に属する後志火山群の延長上に位置する。
半島部の全長は約30km、地形は平野部が少なく急峻で、中心では積丹岳や余別岳が脊梁をなし、沿岸は複雑な海岸線が連続する。そのため、風光明媚な景観に富み、海岸線一帯はニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されている。
積丹岬や神威岬など岬が多く、それを取り囲む小湾に幾つもの漁村集落が誕生した。とりわけ、江戸時代から大正末にかけて続いたニシン漁を始め、長らく漁業が周辺町村の経済を支えていたが、近年[いつ?]は沿岸漁業不振により、人口流出による過疎化が著しい。近年[いつ?]は観光業に注力しているが、札幌大都市圏に比較的近いながらも、交通の不便さがネックとなっている。そのため、温泉資源が豊富であるにもかかわらず、雷電温泉、盃温泉郷以外は、さほど開発も進んでいない。(jawp)
◇住所:積丹郡積丹町野塚町。
◇電話:0135-44-3715(積丹観光協会)。
◆島武意(しまむい)海岸
透明度が高く「日本の渚百選」にも選ばれた神秘的な美しさをたたえた海岸。透明度の高い海からは岩盤がのぞき、ビョウブ岩のある入り江に波が寄せるさまをいつまでも見ていたくなる。初夏には断崖が、積丹の町花・エゾカンゾウで彩られる。
◇住所:〒046-0327 積丹郡積丹町入舸(いりか)町。
◇電話:0135-44-3715(積丹観光協会)。
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積丹岬・島武意海岸(2006年7月撮影)
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◆神威岬
大海原へダイナミックにせり出した積丹半島の神威岬。広い駐車場とレストハウスが整っている。
先端に行く入口に「女人禁制の門」(注)がある。ここから先端の神威岬灯台までは約770m。徒歩で30分ほどのアップダウンの遊歩道<チャレンカの小道>をたどって行く。両側は絶壁、その眼下には積丹ブルーの青い海、目を転じると日本海の雄大な眺め、周囲300度の丸みの帯びた水平線がどこまでも広がり、まさに地球は丸いを実感させてくれる。そして、岬の先端からほんの少し離れたところに神威岩が佇んでいる。季節ごとにエゾカンゾウ、エゾニュウ、ハマフウロ、エゾノヨロイグサ、ハマナスなどの花が咲き誇る岬でもある。要注意は、神威岬入り口にゲートがあり、時期によって開閉時間が変わること。
◇住所:積丹郡積丹町大字神岬町。
◇電話:0135-44-3715(積丹観光協会)。
北へ向かう義経主従は、途中、シケに遭い、やっとの思いで、入舸へたどり着いた。傷ついた義経は、酋長の娘「シララ姫」の看病により傷もいえ、互いに恋想う仲となったが、義経は再び船出しなければならなかった。涙に濡れ、声をからし、義経の後を追うシララ姫であったが、その想いはかなわず、大波に飲み込まれてしまった。その直後に現れた岩を、誰もがシララ姫の化身と信じた。誰言うともなく「女郎子岩」と呼ばれるようになり、今も義経を恋慕うかのように立っている。,br>
◇住所:〒046-0327 積丹町入舸町。
◇電話:0135-44-3715(積丹観光協会)
<その1>
神威岬沖周辺は、古い昔から海難事故が多発する難所として知られ、積丹町史によると、和人の女性が神威岬を通過すれば、海の神様の怒りをかい船が遭難し、漁業も不振となると言い伝えられ、江戸時代、当時の蝦夷地(北海道)を支配する松前藩が、1691年から神威岬より奥への和人の女性の立ち入りを禁止した。
<その2>
その昔、日高地方のアイヌの酋長の娘チャレンカが源義経を追って神威岬までたどり着いたが、義経の船はすでに沖の彼方に。悲しみにくれたチャレンカは、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」という恨みの言葉を残し、海の身を投げ、悲しみと恨みを抱いたチャレンカの身体は神威岩となり、以来、その周辺に女性を乗せた船が近づくと必ず転覆したことから女人禁制の地となった。
「女人禁制」は、上記言い伝えの名残りであり、神威岬遊歩道(チャレンカの小道)が整備された平成7年(1995年)に「女人禁制の門」が作られた。(積丹観光協会)。
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積丹岬・女郎子岩(2006年7月撮影)
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神威岬(2020年9月撮影)
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◆神威岩
神威岬の先端から眼下に見る神威岩は、澄み切った海中に立ち尽くす乙女の化身とも言われている。遊歩道の途中から右手に見える水無の立岩などとともに、神威岬の景観をより印象的にするスパイスの役割も果たしている。
◇住所:積丹郡積丹町神威岬。
◇電話:0135-44-3715(積丹観光協会)
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神威岩(2020年9月撮影)
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村名の由来はアイヌ語の「カモイナイ(美しい神秘の沢)」。積丹半島の西側中央部に位置する漁業のマチ。日本海に面し、奇岩、巨岩、断崖など自然が作り出した絶景を見ることができる。にしん漁で栄えたが、現在はさけ、いか、すけとうだら、ほっけ、うに、あわびなどが水揚げされている。世界でも有数の塩分濃度の高い(海水の1.3倍の)温泉がある。
古宇(フルウ)を呼ばれていた江戸時代からニシン漁が盛んだった神恵内。本格的な村づくりが始まった昭和時代に最盛期を迎え、明治21年には約3万6,000石の漁獲量を記録する。明示40年には神恵内村漁業組合が発足。まさに村がニシン一色に染まった時期であった。なお、当時は弁財船による本州との交易も活発に行われ、神恵内からはニシンカスや身欠きニシン、胴ニシンなどを運び、本州からは米、みそ、しょうゆなどが運ばれてきた。大正時代になってもニシン漁は大量が続いた。特に大正元年には全道一の漁獲量を記録し、村は活気にあふれた。しかし、その勢いは長く続かず、年々漁獲量は減少し、大正の終わりころには衰退の道をたどることになった。ニシンの不漁を補うため、昭和元年に神恵内港の築港がスタート。同時にスケソウダラやイカ漁への転換が図られた。高度成長の時代を迎えた昭和50年代。二百海里問題や水産資源の減少など、漁業を取り巻く環境は厳しさを増していき、神恵内の漁業も「獲る漁業」から「育てる漁業」へと転換を図る。昭和50年にサケの水産ふ化場が完成。ウニ、ホタテ、ヒラメなどの養殖も積極的に行い、平成6年には珊内地区にサクラマス幼魚飼育場が完成。こうした取り組みが現在の浜の活況につながっている。
高度成長のころに持ち上がった過疎問題に取り組んだのが、観光スポットしての神恵内。海や山など恵まれた自然環境を生かした名所づくり、青少年旅行村の整備、そして温泉施設の開設。平成8年には積丹半島周回道路が開通し、これまで見ることのできなかった国道229号沿いの神秘ゾーンも体験可能になった。これからも漁業と観光を柱に、神恵内の歴史は続く。
神恵内村の観光情報 。
◆道の駅 オスコイ!かもえない
日本海に面した国道229号沿いにある山と海に囲まれた自然あふれる道の駅。
施設内には、神恵内で獲れた魚介類を中心に、水産加工品の販売を行っている。駅名の「オスコイ!」は、鰊漁の折に船を漕ぐ際の掛け声に由来する。
もう、だいぶ前からトイレに行きたかった。しかし、こんなときほど、トイレが見つからない。雨も降っていた。そのとき、『道の駅オスコイ!かもえない』の標識が見えた。あと2kmとある。これで大丈夫。ここで用を足そう。『道の駅オスコイ!かもえない』はすでに閉まっていたが、道の駅のトイレは24時間使える。車を降りて急いでトイレに向かおうとしたその時、思いもよらぬものに出くわし、一瞬たじろいだ。「何だこれは」。あたりはもう薄闇に包まれ、夜のとばりの様相を呈していた。「この雨の中、ベンチに誰かが座っている。人間?いや、ミイラ?、まさか」。トイレどころの騒ぎではなくなった。恐る恐る近寄る。そうするとパット電気が点いた。よく見ると木っ端を集めて作った?なかなかなの出来!それにしても驚いた。やっとの思いで用を足した。家に帰ってネットで調べると『流木アート』とある。飛びきっりのパフォーマンスに感服。『道の駅オスコイ!かもえない』アッパレ!いやカツ!そんなことはどうでもいい。一度必見の価値あり。まだ飾っているかどうかだがー。(2020年9月記)
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道の駅 オスコイ!かもえない−流木アート(2020年9月撮影)
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◆リフレッシュプラザ温泉998(2020年4月閉館)
山に囲まれた道道998号線沿いにある温泉。世界でも珍しい海水の1.3倍という塩 分濃度、さらに炭酸ガスも豊富に含んでいるので、体がぽかぽかに温まるだけでなくお肌もつるつるになる。特にアトピー性皮膚炎に効果大で、皮膚疾病や身体的障害のある方が利用できる温泉療養専用浴室も設置している。
◇泉質:ナトリウム塩化物強塩泉(中性高張性高温泉)。
◇浴用適応症:神経痛、筋肉痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、痔症、慢性消化器病、慢性皮膚炎など。
◇住所:古宇郡神恵内村神恵内村大川116-1。
◇電話:0135-76-5110。
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リフレッシュプラザ温泉998
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◆珊内(さんない)ぬくもり温泉
珊内漁港のそばにあり、浴室と休憩室から日本海が一望でき る。特に水平線に沈む夕陽の美しさは感動的!
◇住所:古宇郡神恵内村珊内村57-29。
◇電話:0135-77-6131。
◇泉質:ナトリウム、鉄(U)、硫酸塩、塩化物、炭酸水素塩泉(中性低張性温泉)。
◇浴用適応症:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、関節のこわばり、うちみ、くじき、痔症、慢性消化器病、動脈硬化症など。
◆中の滝
神恵内村大字赤石村国道229号沿いにある。ちょっと目を離すと見過ごしてしまうかも。
◆奇岩「窓岩」
神恵内村から積丹町へゆく途中に見えてくるのが、この窓岩。岩の真ん中にポッカリと空いた穴。神恵内を代表する奇岩。まさに穴場中の穴場! 冬の窓岩は必見。雪をかぶった窓岩の厳しさは秘境そのもの。国道229号海岸沿い。神恵内市街地から車で20分程度。
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窓岩(左)と西の河原(2012年7月撮影)
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◆竜神(りゅうじん)岬
竜神伝説に彩られたこの岬は、今もむかしも航路の目標として、船乗りの命を救ってきた。ここを訪れるなら夕刻がオススメ。
◇住所:〒045-0301 古宇(ふるう)郡神恵内村トラセ。
◇電話:0135-76-5011。
◆神恵内2000年の森公園
西暦2000年を記念して整備された公園で、当丸山コース( 所委時間約90分) 、当丸沼コース( 所要時間約40分)の2つの散策コースがある。緑の木々が生い茂り、野鳥の声を聞きながら森林浴を楽しむにはぴったりのスポット。 ◇11月から5 月ころの雪解けまでは、ゲート閉鎖のため来園できない。
◇住所:〒045-0301 古宇郡神恵内村字トーマル。
◇電話:0135-76-5011(神恵内村役場)。
◆沖揚げまつり(7月第1日曜日)
神恵内村最大のお祭りが沖揚げまつり。夏のイベントとしてすっかり定着し、近隣の市町村からも大勢の観光客が訪れる。海の幸が当たるゲーム、沖揚げ音頭、松前神楽、小学生によるソ-
ラン演舞など、プログラムも盛りだくさん。もちろん、ウニ井やホタテなど海の幸もたっぷ
り堪能できる。
積丹(しゃこたん)半島の南西に位置し、1601年(慶長6年)に村として産声をあげてから400年という歴史をもつ。古くはにしんの千石場所、そして北海道最古の茅沼炭鉱で栄え、現在、北海道唯一の原子力発電所を有する。ニセコ・積丹・小樽海岸国定公園に指定されている奇岩の並ぶ海岸沿いのダイナミックな風景は、「とまり」を代表する景観。アイヌ語の”ヘモイトマリ(マスを寄せる入海)”に由来。
泊村の観光・イベント 。
◆鰊御殿とまり
泊村の鰊漁が始められたのは今から約300年前といわれている。明治になって鰊漁が全盛期を迎えると、泊村には50を超える鰊番屋が建ち並んだ。
鰊漁によって莫大な富がもたらした鰊番屋は泊村の繁栄の象徴でもあった。当時の繁栄を現在に伝える「鰊御殿とまり」は、1884年(明治27年)に親方の川村慶次郎氏によって、漁場を経営する親方と雇った漁夫たちが共同生活をするために、独特の構造で建てられた『旧川村家番屋』と、1916年(大正5年)頃に武井忠吉氏によって母屋と棟続きで建設された『旧武井邸客殿』で、移築、復元されたもので、どちらも鰊漁が盛んだった当時の姿をいきいきと再現されている。2001年(平成13年)に泊村で初めて有形文化財に指定されている。『旧川村家番屋』の2階は、もともと川村家が来客用として使用していた部分。商談なども行っていたようで、往時の繁栄を現在に伝えている。
館内には、泊村の多くの方々から寄贈された鰊漁の様子を物語る貴重な品々が展示・保存されている。泊村の歴史や文化がぎっしりと詰まった空間をつくりだし、郷土文化を後世に伝えるための資料館として広く一般 に公開している。
◇住所:古宇郡泊村大字泊村59-1。
◇電話:0135-75-2849。
◇開館期間:4月中旬〜11月末日。
◇開館時間:9:30〜16:30。
◇休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)。
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鰊御殿とまり(2012年7月撮影)
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泊村沿岸には、今もなお鰊漁最盛期の余韻を残す多くの袋澗が現存している。澗は、鰊漁が盛んだった時代に、日本海の荒波を避け、豊漁で陸にあげきれない鰊を袋網に入れ、鮮度を保つために利用されていたもの。
澗とは、たに、谷川などの意味を持つ漢字。15画数をもち、水部に分類される。ケン、カン、たにみず、たにの4種の読み方が存在する。数の単位。10の36乗。溝(コウ)の1万倍、正(セイ)の1万分の1。(mojinaviから)
◆盃温泉郷(潮香荘)
この泉源の開発は古く、1905年(明治38年)といわれており、当時は湯治場というよりも銭湯として利用されておりました。明治と言えば鰊の全盛期で、各地から漁場に集まるヤン衆たちで賑わい、岩内や古宇の漁場では「高島の湯」と呼び親しんでいたようです。この温泉郷は、ニセコ・積丹・小樽海岸国定公園にあり、環境庁より国民保養温泉地に昭和50年に指定されている。温泉の泉質は、含芒硝石こう泉で神経痛や筋肉痛などに効果がある。
◇住所:〒045-0205 古宇郡泊村大字興志内村220-11。
◇電話:0135-75-2111。
◆泊原子力発電所
泊発電所は現在、1号機(1989年=平成元年6月営業運転開始)、2号機(1991年=平成3年4月営業運転開始)、3号機(2009年=平成21年12月営業運転開始)が順調に運転を続けており、その発電設備容量(出力)は207万KWで、北海道の電気の約40%を賄う重要な電源となっている。3号機が加わったことにより、泊村は“北海道最大の電気エネルギー基地”となり、21世紀の北海道の暮らしや産業を力強く支えると期待されている。
◇住所:古宇郡泊村大字堀株(ほりかっぷ)村。
◆原子力PRセンター「とまりん館」
原子力発電を知ってもらうため、1991年6月に開館。当館の愛称「とまりん館」は、泊原子力発電所のマスコットキャラクター「とまりん」に由来。原子力展示・地元を紹介した地域展示・科学に親しむ科学展示などの展示棟および25mの温水プール棟からなる施設。
◇住所:〒045-0201 古宇郡泊村大字堀株村字古川45-1。
◇電話:0135-75-3001。
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とまりん館(2012年7月撮影)
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◆茅沼炭鉱跡
1856年(安政33年)、一漁夫によって茅沼の山中で「燃える石」石炭が発見され、1867年(慶応3年)には、英国技師のガールを招き日本最初の鉄のレールを敷き、大量の石炭を貨車に載せて港まで出炭する方法が採られるなど、いち早く外国の先進技術を取り入れ、石炭採掘を遂げた茅沼炭鉱は本道最古の炭鉱として、百有余年北海道開発の重要エネルギー資源として貢献し、泊村の発展のみならず、広く北海道の発展に大きな役割を果たした。
その後、その茅沼炭鉱も国のエネルギー政策によって1964年(昭和39年)に閉山になり、108年の歴史を閉じ、地域開発と暖房炭確保のため引き続きできた泊炭鉱も1969年(昭和44年)に閉山となり、泊村から文字どおり炭鉱の灯が消えてしまった。現在の泊村の人口は約1,950人であるが、炭鉱で栄えた頃は約1万人が泊村に住み、その約半数が炭鉱のあった茅沼地区の人たちだったといわれている。茅沼地区の奧に、かつての炭鉱のズリ山が今も残り、当時の様子を伝えている。
◇住所:古宇郡泊村茅沼。
国道5号線沿いにある共和町は、旧前田町、小沢村、発足村が合併したとき、共に和やかに和合し発展しようと付けられた町名。有名なワイス温泉がある。・特産品 米・すいか・メロン・ナチュラルチーズ。
共和町の観光情報 。
◆神仙沼(ニセコ神仙沼自然休養林)
神仙沼付近は、海抜750mの高層湿原地帯で、この周辺に生育している植物は、数百年以上もの風雪や天候の移り変わりに耐えてきた。ニセコ神仙沼自然休養林展望台は標高755.3m。道道66号線沿いにレストハウスと神仙沼への入口がある。神仙沼の面積は1.19ha、湿原4.18ha、水深最大2.00oom、平均1.30m。
◇住所:〒048-2201 岩内郡共和町前田。
◇電話:0135-73-2011。
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神仙沼(2008年6月撮影)
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◆かかし古里館
廃校となった旧幌似小学校を修復し展示場として再活用。共和町開拓の歴史を分かりやすく展示・紹介している。
◇住所:〒048-2202 岩内郡共和町南幌似103-13。
◇電話:0135-73-2617。
◇開館時間:10:00〜16:00。
◇休館日:毎週月曜日・祝祭日の翌日・年末年始。
◆西村計雄(にしむらけいゆう)記念美術館
この西村計雄記念美術館は、町民の財産として、心の中に残る美術館として、また"わたしたち町民の絵"として、『希望』を美術館に贈り、末永く展示していく―この作品は、町民を中心に『希望』の会の呼びかけで建てられた。
雄大なニセコ連峰の裾野に位置する小澤村(現・共和町小沢)で生まれた西村計雄(1909年=明治44年-平成12年=2000年)。戦後、パリを拠点に活躍した洋画家。ピカソを育てた画商・カーンワイラーに「和菓子の色」と評されたやわらかな色彩と、たおやかな線が特徴の作品は、東洋と西洋の美を融合したとして高く評価された。1999年(平成11年)11月1日、ふるさとの田園風景を見渡す丘に西村計雄記念美術館が開館。パリ時代の作品、さらに制作に没頭した箱絵まで、140点余を収蔵。常設展示室に並んでいる作品からは、渡仏後、解き放たれたように変貌を遂げていくさまが見て取れる。
◇住所:岩内郡共和町南幌似143-2。
◇電話:0135-71-2525。
◇開館時間:10:00〜18:00(入館は17:30分まで)。
◇休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日・年末年始)
◇入館料:大人500円、高校生200円、小・中学生100円。
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西村計雄記念美術館(2003年10月) 下はPOST CARDから
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アイヌ語のイワウナイ(iwaw nay 硫黄の川)とする説や、イワナイ(iwa nay 山の川)とする説などがある。南西部の海岸は断崖・奇岩が連なっている。雷電温泉の付近は、ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されている。義経伝説が伝わる海岸沿いの雷電温泉郷、市街地が一望できる高台のいわない温泉が有名。かつてニシンの千石場所として栄えた岩内町。各地からの人で賑わったこの港町は、たくさんの優れた文化を生み出した。そんな伝統に誇りを持つ町民たちは、本当の文化のあり方を知っている。
岩内町観光ポータルサイト 。
◆弁慶の刀掛岩
断崖絶壁が続く雷電海岸は、夕日が美しいので有名。その中でもひときわ目を引く刀掛岩は、昔、弁慶が刀を置くためにつくった岩との伝説もある。
◇住所:〒045-0025 岩内郡岩内町敷島内。
◆傘岩
国道229号線沿いにある傘岩。昔、ここを通る人が雨宿りした岩と言われている。
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(左)弁慶の刀掛岩(2020年9月撮影)と傘岩(2006年7月撮影)
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◆木田金次郎美術館
岩内が生んだ孤高の画家・木田金次郎。画伯は岩内の網元の子として生まれ、岩内の海と自然をこよなく愛し、その風景を69歳の生涯を閉じる日まで描き続けた。岩内町マリンパークにある木田金次郎美術館では、そんな画伯の作品を時代の流れとともに展示。ダイナミックなタッチによる作品からは、彼の岩内に対する愛情と絵に注がれた情熱とが伝わってくるようだ。この美術館では、木田金次郎の作品を展示するだけでなく、ユニークな特別展やコンサートなども開催されている。
◇住所:岩内郡岩内町万代51−3。
◇電話:0135-63-2221。
◇開館時間:10:00〜18:00。
◇休館日:月曜日(ただし、祝日にあたる場合はその翌日)。
◇入館料:大人600円、高校生以下無料。
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木田金次郎美術館
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◆荒井記念美術館(一般財団法人)
岩内の街並みを見下ろすようにして建つ荒井記念美術館。展示の目玉は、なんといってもピカソの版画コレクションだ。青年時代の代表作「貧しい食事」から晩年の「エロチカ」まで、作品総数は267点にも及び、ピカソファンならずともその作品世界に引き込まれてしまう。また、2号館には、道内関係の画家たちが、木田金次郎をモデルにした有島武郎の小説「生まれ出づる悩み」の読後感、あるいは木田や有島の人となりを感じたままに描き上げた作品群が並んでいる。
◇住所:岩内郡岩内町町字野束505。
◇電話:0135-63-1111。
◇開館時間:9:00〜17:00(10月〜4月は9:00〜17:00)。
◇休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、※冬期休館(11月中旬〜4月中旬)。
◇入館料:一般1,000円、大学生・高校生500円、中学生・小学生400円。
◆ニセコいわない国際スキー場
標高1,086mの岩内岳は、ニセコ連峰の最西端、北斜面ゲレンデから見渡す日本海・積丹半島のパノラマビューは格別。
◇住所:岩内郡岩内町字野束350-4。
◇電話:0135-62-6011。
◆道の駅 いわない
元国鉄岩内駅の跡地につくられた岩内マリンプラザ地区が道の駅として誕生。ヨットをイメージしたガイドセンターたら丸館を中心に、木田金次郎美術館や岩内地方文化センター、岩内町のシンボルであるカリヨンモニュメント、噴水など水・光・音をモチーフにした美しい公園などがある。
北海道の西部、札幌から洞爺を結ぶ国道230号線沿い、後志管内の南東部にあり、尻別岳、貫気別山など周囲を山に囲まれた高原地になっている。村内には全道有数のリゾート施設であるルスツリゾートがあり、一年を通し多くの観光客の方が訪れている。
てん菜、馬鈴しょ、だいこん、アスパラなどの農産物が生産されている。村中心街には童謡「赤い靴」のモデルとなった少女「きみちゃん」のブロンズ像がある。赤い靴ふるさと公園内に、指圧で有名な《浪越徳治郎先生胸像》が建てられ、新しい観光名所となっている。
野口雨情の作詞で知られる童謡「赤い靴」の舞台でもある留寿都村。開拓期の母娘の悲哀に満ちた思い出は、村のシンボル「母思像」として今も語り継がれています。「開拓の母像」、「母思像」共に米坂ヒデノリ氏が制作されたものです。
留寿都村観光協会 。
◆赤い靴ふるさと公園
幼いきみちゃんを、外国人に託して、きみちゃんの母は開拓地留寿都村に入植した。きみちゃんはアメリカ人の宣教師夫妻に引き取られたが、その当時不治の病といわれた結核にかかってしまい、わずか9歳でこの世を去ってしまった。
◇住所:〒048-1731 留寿都村留寿都68-1 。
◇電話:0136-46-3131(留寿都村役場)。
◆浪越徳治郎先生像(赤い靴ふるさと公園)
「指圧の心、母ごころ。押せば命の泉湧く」で有名な浪越先生の胸像が建てられ、留寿都の新しい観光名所として話題になっている(道の駅「230ルスツ」にある)。
◇住所:〒048-1731 留寿都村留寿都68-1 。
◇電話:0136-46-3131(留寿都村役場)。
◆ルスツ温泉
平成12年12月に留寿都村内にオープン。源泉100%で疲れを癒してくれる温泉。定休日が毎週水曜日。入浴は、清掃協力金として200円で入れる。
◇住所:虻田郡留寿都村字留寿都156-54。
◇電話:0136-46-2626。
◆ルスツリゾート
言わずと知れたスーパーアミューズメントパーク。うわさの絶叫マシンが集結。新登場のスペースショットをはじめ、スリルと感動に満ちた60種類を超える遊具の数々、それにスーパージャンボプールなどもある。
◇住所:〒048-1711 虻田郡留寿都村泉川13。
◇電話:0136-46-3111。
◆ルスツスキー場
初級者も上級者も、スキーヤーもボーダーも、アスピリンスノーが舞うルスツリゾートの全37コース。1人乗りでも、2人乗りでも楽しめる、スノーモービルランドもある。保母の資格を持ったスタッフが常駐する託児所もあって、安心。造波プールや、ショッピングゾーン、バーなど、アフタースキーの室内施設ももちろん充実。
◇住所:〒048-1711 虻田郡留寿都村泉川13。
◇電話:0136-46-3111。
◆道の駅 230ルスツ
蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山を眺望できる絶景地に位置する道の駅。
併設するルスツふるさと公園の多目的芝生広場、遊戯広場で思う存分自然と親しむことができる。 周辺にあるルスツリゾートでは、夏は遊園地、ゴルフ、冬はスキーと1年を通して楽しむことができる。
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羊蹄山(2021年4月撮影)
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羊蹄山(2002年、2007年、2008年、2013年撮影)
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羊蹄山(2009年7月、2024年9月撮影)
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◆羊蹄山
標高1,898mの成層火山。後方羊蹄山(しりべしやま)として、日本百名山に選定されている。羊蹄山は円錐形の成層火山で、2003年(平成5年)に気象庁により活火山に指定された。
山頂には直径700m、深さ200mの火口があり、西北西斜面にも側火口を持つ。支笏洞爺国立公園に属し、山頂は倶知安町・喜茂別町・京極町・真狩村・ニセコ町の境をなしている。 山腹にはキタキツネ、エゾクロテン、エゾリス、エゾシマリス、エゾモモンガ、エゾユキウサギなどの哺乳類が生息しており、130種類以上の野鳥がいることも確認されている。また、名水の地としても知られ、周囲には無料で利用できる水汲み場が数ヶ所ある。
4つの登山道があり、京極コースもその一つです。頂上を中心とする7,000haは国立公園区域に指定され、9合目付近の高山植物帯をはじめ、6合目付近からのダケカンパやハイマツの森、山腹の原生林と四季を彩る鮮やかな自然が息づいている。高山植物が開花する7月から8月上旬、さまざまな衣をまとう秋まで登山を楽しむことができる。
富士山によく似た整ったその姿から、郷土富士として蝦夷富士(えぞふじ)とも称される。明治、大正から昭和にかけて後方羊蹄山(しりべしやま・こうほうようていざん)、マッカリヌプリ、蝦夷富士の呼び名が併存していた。また一部の地図にはマッカリ山(真狩山)の表記も見られた。陸地測量部の大正9年発行の5万分の1地形図「留寿都」では後方羊蹄山(蝦夷富士)と記載されていた。しかし難読であったことから地元の倶知安町が羊蹄山への変更を求め、国土地理院の昭和44年11月発行の地形図から羊蹄山と書き換えられた。このため現在の羊蹄山の名が定着することとなった。旧名である後方羊蹄山は、斉明5年(659年)に阿倍比羅夫が郡領を置いたと日本書紀に記されている地名後方羊蹄(しりべし)に由来する(実際に同じ場所を指すかどうかは不明)。なお、後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊蹄を和名で「し」と読む。アイヌの人々はマッカリヌプリもしくはマチネシリ(雌山)と呼び、南東にある尻別岳(1,107m)をピンネシリ(雄山)と呼んだ。なお尻別岳は後方羊蹄山に対して前方羊蹄山と呼ぶことがある。(jawp)
◇住所:倶知安町・京極町・喜茂別町・真狩村・ニセコ町。
◇電話:0136-23-3388。
アイヌ語の「キム・オ・ペツ」に由来すると言われている。意味は「山の多い川」であり、羊蹄山・尻別岳などの山々に囲まれ、尻別川・喜茂別川・オロウェンシリベツ川をはじめ大小41の川が流れている町の状況を現している。
1871年(明治4年)、仙台藩家臣の阿部嘉左衛門外3名がシンノシケコタン(現在の留産地区)へ入植したのが本村の開基とされている。1897年(明治30年)7月、虻田村から真狩村(現留寿都村)が分村独立し、戸長役場が現留寿都村に設置された。1917年(大正6年)4月に真狩村(現留寿都村)から分村して2級町村制を施行、村名を喜茂別村とし村内を21部の行政区画に分割した。1920年(大正9年)6月、得舜別村(現大滝村)の一部を編入。昭和初期よりアスパラガスの栽培が行われ、アスパラガス発祥の地として、農業を基幹産業として発展を続けてきた。1952年(昭和27年)7月には町制を施行。1993年(平成5年)には建設省から全国のトップをきって道の駅「望羊中山」として登録された。
きもべつ観光協会 。
◆中山峠
中山峠(なかやまとうげ)は、札幌市南区と虻田郡喜茂別町の境界にある国道230号の峠。標高835m。国道230号の最高地点に位置する。支笏洞爺国立公園内に位置し、峠からは羊蹄山を望むことができるほか、紅葉の名所としても知られ、観光ルートの一つとして多くの観光客がここを通る。また、道央と道南を結ぶ大動脈の一つであり、道南と道央の最短ルートであることから、産業道路としても広く利用されている。中山峠の北東方面は豊平川を経由する石狩川水系、南西方面は喜茂別川を経由する尻別川水系で、どちらも水は日本海にそそぐ。太平洋側への分水界ではない。
道路ができる前から冒険家などが峠越えを行っていた。道路が開通したのは1870年(明治3年)に東本願寺道路の掘削が行われてからである。以来長い間この時の道を改良しつつ利用されてきた。しかしながら、定山渓から中山峠にかけては8kmの区間に128カ所のカーブと最大12%の勾配がある険しい道路であり、道幅も狭く見通しも悪いことから転落事故も相次ぎ、「魔の山道」と呼ばれるほど危険な道であった。車社会の到来に伴い、支笏洞爺国立公園への観光道路としても重要性が高まる中、1957年(昭和32年)から中山峠を含む国道230号の大幅な改修が行われることとなった。喜茂別町側は順調に改修が進んでいたが、定山渓から中山峠にかけての道はルート選定が難航した。当初予定されていた豊平峡経由の案は豊平峡ダムの建設決定により困難となり、旧道改良案は元々険しい道路を改良するには多数の橋とトンネルを作る必要が生じ、費用が高くなりすぎるので却下され、最終的に現在の薄別川から無意根大橋を経由する「薄別峡ルート」に決定した。この区間の道路設計にあたっては北海道で初めてクロソイド曲線を採用し、直線と曲線が無理のない線形としたほか、国立公園内を通過することから、景観へも配慮した設計がなされ、トンネルや覆道等の構造に当時としては斬新なデザインが採用された。「道路は公園と同じで、通ることによって心がなごむようにつくられ、維持されなければならない」という道路哲学に基づき設計されたと言われている。定山渓側の工事は1963年(昭和38年)に開始され、7年の歳月を経て1969年(昭和44年)10月3日に完成した。(jawp)
◇住所:虻田郡喜茂別町字川上345(国道230号沿い)。
◇電話:0136-33-2671。
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中山峠から羊蹄山を望む(2021年4月撮影)
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◆中山峠写真の森美術館(2017年11月5日をもって閉館)
北海道の大自然や野生動物、人々の暮らしなどを写真で魅せる美術館としてリニューアルオープンした「中山峠写真の森美術館」。写真の展示ギャラリーのほかにシーニックバイウェイプラザ、喜茂別 i センターも設置され、ホットな観光情報・地域情報を提供している。ティーラウンジやショップもあり、自然の中でやすらぎと憩いの時間を過ごせる。隣接する物産館「望羊中山」とも連絡通路で結ばれ、往来が一層便利になった。
◇住所:〒044-0223 虻田郡喜茂別町字川上345。
◇電話:0136-33-3230。
◆双子の羊蹄山
晴れた日に国道276号線喜茂別町中里付近から見ると、羊蹄山(右・標高1,898m)と尻別(しりべつ)岳(標高1,107m)がほぼ同じ大きさ、しかも同じ形に見えることから双子の羊蹄山のようである。
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双子の羊蹄山(2009年7月撮影)
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◆道の駅 望羊中山
年間約400万人の旅行者が訪れる中山峠の頂上にある道の駅。また、羊蹄山が見える絶好のポイントにある。全国的に有名な名物「あげいも」などがる。
羊蹄山麓から湧きだす名水が、日本名水百選に選ばれた名水のまち。京極とは、本町開拓の先駆者である京極高徳氏の姓をつけたもの。京極町は、1910年(明治43年)4月1日、胆振国虻田郡倶知安村から分離し、北海道2級村東倶知安村として誕生した。その後、1923年(大正12)年に1級村政に昇格し、1938年(昭和13年)、村の開基者京極高徳子爵所有の京極農場が開放されたのを記念して、1940年(昭和15年)京極村と改称された。1962年(昭和37年)5月1日には、町制を施き現在に至る。
京極町観光協会 。
◆ふきだし公園
自然と羊蹄山とで作り出す「おいしい水」が絶え間なく湧き出る噴き出し公園は「名水の里」として多くの人に親しまれている。1日の水量は約8万トン、これはおよそ30万人の生活用水にあたる。湧水口では水を飲むことができ、容器に入れ持ち帰ることもできる。名水が池を湛えた公園内には、吊り橋・八つ橋・東屋・噴水・遊具施設や展望台が点在、また三十三番観音像や不動明王が奉られ、霊場としても知られている。
◇住所:〒044-0131 虻田郡京極町川西45。
◇電話:0136-42-2111。
◆道の駅 名水の郷きょうごく
京極町と倶知安町を結ぶ道道京極倶知安線に位置し、ふきだし公園は環境庁の名水百選に選ばれた「羊蹄のふきだし湧水」がある。公園内には、名水プラザ、三角ステージ、トイレ棟、販売施設、遊具などの施設や芝生広場などを配置している。周辺には、京極温泉、パークゴルフ場、キャンプ場がある。
◆京極温泉(京極ふれあい交流センター)
日帰り温泉施設。露天風呂に入りながら羊蹄山を眺めることができる。
◇住所:〒044-0131 虻田郡京極町川西68。
◇電話:0136-42-2120。
◇泉質:ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉(低張性弱アルカリ性温泉)。
◇利用時間:午前10時〜午後9時。
◇利用料:大人600円、小人300円。
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羊蹄山をバッグに建つ京極温泉施設(京極ふれあい交流センター)2021年4月撮影
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倶知安は「クッチャン」にあてた漢字。クッチャンはアイヌ語の「クッシャニ」から名付けられた。クッシャニは尻別川支流、倶登山(くとさん)川の旧名。クッシャニは「クッ・シャン・イ」で「くだの(ようなところ)を・流れ出る・ところ」の意。このクッ・シャン・イがクッシャニとなり、さらにクドサニと変わって倶登山川となる。一方、同じクッシャニがクッチャン(倶知安)となって地名となる。明治26年公示。漢字をあてたのは当時の北海道庁参事官白仁武。
倶知安町観光協会 。
◆鏡沼
ニセコアンヌプリの北東斜面中腹(標高570m)に位置する高層湿原の中にある。この湿原はおもに雪解け水によって維持されており、沼の対岸にはミズナラ・イタヤカエデ・ホオノキなどの巨木が原生に近い森林として存在している。風のない穏やかな日には水面に周囲の景色が映し出され、まさに鏡のような光景になることからこの名前がつけられた。また、沼には浮島があり、風によって少しずつ移動している。
◇住所:〒044-0084 虻田郡倶知安町花園。
◇電話:0136-22-1121。
◆半月湖畔自然公園
羊蹄山ひらふコース近くにある自然公園。トイレ・駐車場が完備され、三日月形の火口湖である半月湖を周遊できるハイキングコース。外周コース約1時間。湖畔までは約15分。
◇住所:〒044-0077 虻田郡倶知安町比羅夫。
◇電話:0136-23-3388。
◆イワオヌプリ
ニセコ連邦のひとつで標高1,116mの山。秋にはもみじ・カエデ・ダケカンバなどが紅葉し、赤や黄色の見事な色彩で彩られ、多くの観光客が訪れる。近くには五色温泉郷があり、散歩後に温泉でゆっくりとリラックスできる。
◆日本一の水
JR倶知安駅前にある羊蹄山からの冷たい伏流水を飲めるスポット。倶知安町のマスコットキャラクターである「じゃが太くん」の形をしていてとてもキュート。
◆倶知安温泉
JR倶知安駅から徒歩10分。市街地に最も近い温泉。小高い丘からの眺めが良好。泉質は重曹食塩泉。
◇住所:〒044-0083 虻田郡倶知安町旭69。
◇電話:0136-22-1164。
◆花園温泉郷
ワイスホルンの中腹に位置する温泉郷。晴れた日の眺望はお見事。泉質は炭酸水素塩泉・塩化物泉。
◇住所:〒044-0084 虻田郡倶知安町花園79-2 。
◇電話:0136-23-3311。
◆ひらふ温泉郷
外国人観光客で賑わうひらふ地区にある温泉。山で遊んだ後の疲れを癒してくれる。
◇住所:〒044-0081 虻田郡倶知安町字山田。
◇泉質:硫黄・重曹食塩泉・ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩泉。
◆小川原脩(おがわらしゅう)記念美術館
小川原脩は、倶知安町に生まれ、旧制倶知安中学校(現・倶知安高校)から東京美術学校(現・東京芸術大学)へと進み、戦後は一貫して郷里の倶知安で創作を続けている。現代美術のパイオニアとして精力的に創作活動を展開し、高い評価を得るとともに、北海道の美術界に大きく貢献。そうした功績をたたえ、平成11年秋に小川原脩記念美術館は誕生した_国、チベット、インドへの旅で浄化され、アジア的な幽玄の境地を切り開いていこうとする姿勢を反映した作品群が並ぶ。また、企画展示室では、自伝的回顧展などの数々の企画が用意されている。
◇住所:虻田郡倶知安町北6東7-1。
◇電話:0136-21-4141。
◇開館時間:9:00〜17:00。
◇休館日:火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日。)
◇入館料:大人500円、高校生300円、小・中学生100円。
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小川原脩記念美術館(2007年3月撮影) 下はポストカードから
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◆ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ
パウダースノーの聖地ニセコエリアの中でも最大の規模とダイナミックなコース変 化が楽しめるスキー場。ニセコアンヌブリの 東側に位置し、コース標高差は840m 、最上級者が好む難斜面、中・上級者向きの急斜面、初中級者向きのフラットバーン、初心者向きの緩斜面、それぞれが豊富な降雪に支えられ最高のパウダースノーをレベルに合わせて満喫することができる。今冬は2010年(昭和36年)にリフトの営業が開始されて から50 周年のア二一バーサリーイヤーにあたり、ゴンドラリフトを8人乗り高速へとリニューアル。さらにマウンテンセンターも新築するなど次の550年に向けての新たな 一歩を踏み出している。
◇住所:〒044-0081 虻田郡倶知安町字山田204。
◇電話:0136-22-0109。
◆ニセコHANAZONOリゾート ニセコHANAZONO
ニセコアンヌブリの北東部斜面に位置し、積雪も多くドライスノーのメッカとなってい るスキー場。賛沢なほどに上質のパウダー、道内屈指のパークやハーフパイプ、洗練さ れたスキースクールにバックカントリーガイド、家族や仲間たちと笑顔になれる場所が ここにある。1,308m のアンヌブリ山頂からHANAZON0308 デイセンターまで1,OOOmを良質のパウダーやツリーラン、グルームコースを楽しめ、国際色豊かなインストラクターが揃うスキースクールNISS ではスキーレッスンを受けながら英語も学ぶことができる。また、HANAZONOパウダーガイズではニセコの山で最高の場所に専門ガイドが案内してくれ、プライベートツアーではオーブン前にリフトに乗れるファストトラックもある。
◇住所:〒044-0082 虻田郡倶知安町岩尾別328-36 。
◇電話:0136-23-0103。
ニセコ・倶知安は、じゃがいも(馬鈴薯)王国北海道の中でも、指折りの名産地。旬は、8月上旬〜9月中旬。 主な品種は、ホクホク系のじゃがいもの代表格「男爵」と「キタアカリ」。 他にも栗のような甘さの「インカの目覚め」やビタミンCが豊富でヘルシーなじゃがいも「とうや」など新しい品種も育てられてる。
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じゃがいも畑(男爵)(2006年7月撮影)
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「じゃがいも」、「馬鈴薯(ばれいしょ)」、「御所芋(ごしょいも、ごせいいも)」、「いも」。どれが正しい呼び方なのか。まだ、ほかに呼び方があるのか。まず「じゃがいも」の呼び方は、諸説あるが、1598年にオランダ人によって持ち込まれたとされる。ジャワ島のジャガタラを経由して長崎へ伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮され「ジャガイモ」となったとある。次に「馬鈴薯」は、どうか。「じゃがいも」の別名が「馬鈴薯」。この呼び方は中国からきたものだといわれている。中国ではマメ科のホドイモを馬鈴薯と呼ぶ?次に「御所芋」だ。読み方は、ごしょいも、ごせいいも。これは正確には「大和いも」である。奈良県の豊かな土壌で育った御所芋は、大変粘りが強く、すりおろして山かけやとろろにして食べるらしい。ということは長芋なのか。じゃがいもや馬鈴薯とはちょっと違う気がする。最後に「いも」といえばジャガイモのことを指し、薩摩芋(さつまいも)と区別した。これ正しいのか。いも博士がいたら教えてほしい。
◆駅の宿ひらふ
予約、料金などは、駅の宿ひらふのホームページから。
◇住所:虻田郡倶知安町比羅夫594-4。
◇電話: 080-5582-5241。
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駅の宿ひらふ(2022年7月撮影)
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言うまでもなく、まさしく「駅の宿」。「道の駅」は全国に点在しているが、ここは唯一「駅の宿」。なんだか頭がこんがらかってしまう。それはそれとして、電車から乗り降りする駅舎、イコール宿でもある。多分、全国は広い、このほかにもある、のかもしれない。宿名は、駅名の「比羅夫駅」から命名した「ひらふ」。比羅夫駅は、JR函館本線。JR函館本線は、函館市の函館駅から長万部駅、小樽駅、札幌駅を経由して旭川市の旭川駅を結ぶ北海道旅客鉄道の鉄道路線。比羅夫駅の次がニセコ駅、もう一方が倶知安駅。もうこのあたりは、冬はウインタースポーツのメッカ。諸外国から世界一のスノーパウダーに魅せられてごった返す。もちろん夏もアウトドアで大自然を満喫できる。比羅夫駅あたりは周囲から比べるとさらに森の中、森閑としていて、深い眠りにつけること間違いなし。カメラを向けたとき、ちょうど一両のジーゼルカー(列車)が比羅夫駅に滑り込んできた。このときは乗降客は見当たらなっかたが、すでに宿泊客が駅のホームといっていいだろう、ここで夕食のバーベーキューに舌鼓。いい匂いをさせて食べていた。たぶん、乗降客がいたら、「私も食べたい」となっただろう。
アイヌ語「マクカリペッ」羊蹄山を取り巻く川より転化したもの。「えぞ富士」と呼ばれ親しまれている羊蹄山の南ろくに位置し、農業を基幹産業として発展してきた準農村。
主要な作物は、馬鈴しょ、だいこん、にんじんなどで、中でも食用ユリ根、花ユリ球根は、全国一の出荷量を誇っている。《世界のユリ園》には75種2万5,000株のユリが栽培されており、園内のコテージではメルヘンの世界に遊ぶ新しいタイプのリゾートが楽しめる。また、演歌歌手の細川たかしさんの出身地としても良く知られ、村を流れる真狩川河川公園には、熱唱する「細川たかし記念像」が置かれ、観光スポットとして賑わっている。 露天風呂のある《まっかり温泉》は、こんこんと湧き出るお湯と、羊蹄山の美しい眺望が自慢、札幌市などからも多くの温泉ファンが訪れている。
1892年(明治28年)5戸18人がマッカリベツ原野に移住した。1922年(大正11年)真狩村(現留寿都村)から分村して、真狩別村に。昭和16年村名を真狩村に改称。羊蹄山の南麓にあるため、風力は比較的弱く、風水害は少ないが積雪が多く、寒気も比較的厳しい。春の融雪後は温暖で早晩霜による影響は少なく、暖侯期の平均気温は14度C、寒侯期の平均気温は-3度Cであり、降雨量は1,400mmと北海道のなかでも比較的恵まれた気象条件下にある。
真狩村観光協会 。
◆国松登ギャラリー(2002年11月閉館)
国松登は、1994年(平成6年)86歳で没するまで、北のロマンを描き続けた画家として知られている。晩年、画伯がアトリエを立てる地として選んだのが、創作意欲を刺激し高めてくれる羊蹄山の麓。そのアトリエは現在、国松登ギャラリーとして開放されている。木の温もりに満ちた空間に、「眼のない魚」「冬樹」「夜の森」など多数の作品を展示。周りには美しく伸びやかな風景が広がっていて、そこに身を置くと、画伯がこの場所にアトリエを設けた気持ちなども理解できるに違いない。1993年(平成5年)11月-国松登ギャラリー開館。1996年(平成8年)-来館者1万人達成。1999年(平成11年)7月-開館5周年特別展開催。2002年(平成14年)11月-閉館。
◆細川たかしの記念像
1994年(平成6年)7月、真狩村開基100年を機に細川たかしの記念像を建立。細川たかし氏のメッセージと代表曲4曲を高らかに歌い上げる。像の高さは、細川たかし氏の身長である173センチメートル、台座と像を合わせた高さは約3メート。住所:虻田郡真狩村字真狩・真狩村河川公園内。細川たかし氏は、真狩村出身。1975年(昭和50年)に「心のこり」でデビューし、各新人賞を受賞、1982年(昭和57年)「北酒場」、翌年「矢切の渡し」とヒット曲を連発し、日本レコード大賞を2年連続受賞し、現在も活躍し続けている国民的演歌歌手。1980年(昭和55年)には村民栄誉賞を受賞。
◇住所:〒048-1631 虻田郡真狩村字真狩 真狩川河川公園内。
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細川たかしの記念像
(2006年4月撮影) |
◆まっかり温泉
源泉かけ流しの湯。晴れた日は露天風呂からの羊蹄山が望める。パークゴルフもできる。
◇住所:虻田郡真狩村字緑岡174-3 。
◇電話:0136-45-2717。
◇営業時間:4月〜9月 10:00〜21:00、10月〜3月 11:00〜21:00。
◇定休日:毎週月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日)。
◇入館料:大人(中学生以上)600円、小人(4歳から小学生まで)250円。
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まっかり温泉
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◆道の駅 真狩フラワーセンター
1997年(平成9年)、花きの生産振興、花をテーマとした観光拠点とすることを目的にオープンした真狩フラワーセンターは、4月28日に道の駅としてリニューアルオープン。約4万uの敷地内に、センターハウス、ガラスハウス、円形ハウス、トイレ棟、多目的施設などの施設と、花壇や芝生広場などを配置し、花に囲まれた癒しの空間を提供している。
「ニセコ」とは、アイヌ語で「切り立った崖」という意味。また、「ヌプリ」とはアイヌ語で「山」という意味があり、スキー場がある「ニセコアンヌプリ」という山は、アイヌ語で「切り立った崖(とその下に川)がある山」という意味になる。道央の西部、後志管内のほぼ中央に位置し、東に国立公園羊蹄山(1,898m)、北に国定公園ニセコアンヌプリ(1,309m)の山岳に囲まれており波状傾斜の多い丘陵盆地を形成。町の中央には、尻別川(2004年清流日本一)が流れ、これに昆布川、ニセコアンベツ川、真狩川などの中小河川が流入。内陸的気候を呈し、平均気温は摂氏6.3度で、冬期の最深積雪は、200cmにも達することがある。
ニセコリゾート観光協会 。
《東洋のサンモリッツ》と言われるニセコのスキー場は、ニセコアンヌプリ(1,309m)を主峰とし、チセヌプリ、ワイスホルン、岩内岳など山々の自然界を一大ゲレンデとしたもので、全国からスキーヤーが訪れる。美しい白樺林と豪快なダウンヒルコースが自慢の「ニセコ東山スキー場」、ファミリーに人気の「ニセコアンヌプリ国際スキー場」、そして競技スキーヤーのメッカと知られる「ニセコ国際モイワスキー場」。ニセコ町には、それぞれに個性を放つ3つのスキー場を有している。これらのスキー場は、例年11月下旬から12月上旬にかけてオープン。ふんわりとしたパウダースノーの感触と地形を生かした多彩なコースが、あらゆるレベルのスキーヤー&スノーボーダーたちを魅了する。(NISEKO express vol.19から)
◆ニセコビレッジスキーリゾート ニセコビレッジ
正面に羊蹄山を望み、そのスケール感が 魅力的なスキー場。自然を生かしたコースレイアウト、そして美しく雄大な眺めがスキーマインドを一層高めてくれる。初・中・上級コースがミックスされたレイアウト。コースはlOOOm台地の上と下に分かれ、上部のコースは樹木が全くない標高差250mの中急斜面、下部のコースは美しい白樺林のなかに緩急の変化に富んだ斜面が広がっている。特に人気があるのはワンダーランド付近。全長5,OOOm、最大斜度35度、非圧雪のパウダーコースがあるなど、パウダースノーを巻き上げて豪快な滑りが楽しめる。また、和食、洋食、中華などクルメも充実している。
◇住所:〒048-1500 虻田郡ニセコ町東山温泉。
◇電話:0136-44-2211。
◆ニセコアンヌプリ国際スキー場 ニセコアンヌプリ
ニセコ山系の主峰アンヌブリの南斜面に広がるスキー場。比較的緩やかな斜面が多く、初級者でも連続してロングクルージングが楽しめるのが特徴だ。樹木がなくオープンな雰囲気のlOOOm台地から下には、原生林に固まれた林間コースが広がり、特に白樺コースやS字コー スは、ロマンチックなムードが漂うことから女性に圧倒的な支持を得ている。上級者にはデイーブパウダーの感触が味わえる深雪林間コースやチャレンジコース、また中級者にはオープンゲレンデのチャンピオンコースが人気。山頂付近から4,000mものロングコースが続き、初級者から上級者まで、それぞれのレベルに合わせたコース選択により爽快な滑り を楽しむことができる。
◇住所:〒048-1511 虻田郡ニセコ町ニセコ485。
◇電話:0136-58-2080。
◆ニセコモイワスキーリゾート ニセコモイワ
ニセコアンヌブリの西南にある、標高839mのモイワ山に展開されるニセコモイワスキーリゾートは、国体クラスの競技スキーヤーに人気のゲレンデ。目玉コースはエキスパート大回転パーン。平均斜度24度のコースにはコブが連続し、スーパーテクニックに磨きをかけたいという実力派にはぴったり。上級者向けのコース以外では、シラカバ、力工デなどの原生林を縫う展望コースや林間コースなどがあり、ムード満点の景色の中をゆったりした気分 で滑走できる。新型圧雪車の導入で、常にコースコンディションは万全だ。シーズン中にはこのゲレンデを舞台にさまざまな大会が開催されるなど、ニセコの穴場的な存在として評価は高い。また、五色温泉や昆布温泉にも近いことから、ツアースキーファンはベースキャンプとして利用している。
◇住所:〒048-1511 虻田郡ニセコ町ニセコ485。
◇電話:0136-58-2080。
◆JRニセコ駅
当時の 国鉄では初めて片仮名のみで表記された駅名。 各駅停車のほか、期間限定で運行される特急「ニセコ号」が停車する。かつては特急「北海」や急行「ニセコ」などの停車駅だった。ニセコ町観光案内所があり、グリーンバイクをレンタルできる。
◇住所:〒048-1512 虻田郡ニセコ町中央ニセコ駅構内。
◇電話:0136-44-2468。
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JRニセコ駅(2022年7月撮影)
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◆有島記念館
「カインの末裔」「生れ出づる悩み」「或る女」などで知られる大正期の作家・有島武郎の人と作品、有島武郎が所有した農場の足跡を紹介。
◇住所:虻田郡ニセコ町字有島57。
◇電話:0136-44-3245。
◇開館時間:9:00〜17:00。
◇休館日:毎週月曜日、年末年始。
◇入館料:大人500円、高校生100円、中学生以下無料。
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有島記念館 背景は羊蹄山(2003年4月撮影)
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有島記念館(2022年7月撮影)
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◆道の駅 ニセコビュープラザ
国道5号と道道岩内洞爺線が交差するポイントに位置する道の駅。特産品販売と観光案内の「情報プラザ棟」「フリースペース棟」「トイレ棟」の3棟からなる。
ニセコ・倶知安は、じゃがいも(馬鈴薯)王国北海道の中でも、指折りの名産地。旬は、8月上旬〜9月中旬。 主な品種は、ホクホク系のじゃがいもの代表格「男爵」と「キタアカリ」。 他にも栗のような甘さの「インカの目覚め」やビタミンCが豊富でヘルシーなじゃがいも「とうや」など新しい品種も育てられてる。
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じゃがいも畑(男爵)(2006年7月撮影)
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「じゃがいも」、「馬鈴薯(ばれいしょ)」、「御所芋(ごしょいも、ごせいいも)」、「いも」。どれが正しい呼び方なのか。まだ、ほかに呼び方があるのか。まず「じゃがいも」の呼び方は、諸説あるが、1598年にオランダ人によって持ち込まれたとされる。ジャワ島のジャガタラを経由して長崎へ伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮され「ジャガイモ」となったとある。次に「馬鈴薯」は、どうか。「じゃがいも」の別名が「馬鈴薯」。この呼び方は中国からきたものだといわれている。中国ではマメ科のホドイモを馬鈴薯と呼ぶ?次に「御所芋」だ。読み方は、ごしょいも、ごせいいも。これは正確には「大和いも」である。奈良県の豊かな土壌で育った御所芋は、大変粘りが強く、すりおろして山かけやとろろにして食べるらしい。ということは長芋なのか。じゃがいもや馬鈴薯とはちょっと違う気がする。最後に「いも」といえばジャガイモのことを指し、薩摩芋(さつまいも)と区別した。これ正しいのか。いも博士がいたら教えてほしい。
本町は、後志支庁管内の南西部に位置し、周囲をニセコ連峰等の山岳に囲まれた盆地を形成しており、町の中央を道南最大の河川「尻別川」が東西約30kmにわたり貫流し、日本海に注いでいる。また、その流域に広がる平坦地は、肥沃で水田の耕作に適しており、ここで生産される蘭越米は良質美味で道内外で好評を得ている。気候は比較的温暖であるが、冬は積雪量が多く、特別豪雪地帯に指定されている。蘭越町の奥座敷・親見温泉郷、露天風呂で有名な五色温泉郷、肌なめらかになると好評の昆布温泉がある。
蘭越町観光物産協会 。
◆新見温泉郷
新見渓谷は荒々しい岩肌と清流、そしていくつもの滝と緑が織りなす神秘的なたたすまい。その新見渓谷上流の深い山間にある温泉。目国内岳や雷電山、白樺山やシャクナゲ岳など、夏は登山基地として、また冬は山スキーファンに人気の温泉。泉質・ 硫酸塩泉。 効能・神経痛、虚弱児童、肥満症、皮膚病、湿疹、アレルギー疾患、疲労回復、神経衰弱、リューマチほか。
◇住所:〒048-1327 磯谷郡蘭越町新見1 。
◇電話:0136-57-5111。
◆五色温泉郷
ニセコアンヌブリとイワオヌブリに挟まれた谷間の温泉。夏は登山や沼めぐりのベースキャンブとして賑わう。冬は辺り一面が銀世界 となり、降り積もった雪が壁のようになる冬の露天風呂はまた格別。泉質・含硫黄−マグネシウム・ナトリウム硫酸塩塩泉。効用・神経痛、高血圧症、動脈硬化症ほか。
◇住所:〒048-1511 虻田郡ニセコ町ニセコ510 。
◇電話:0136-58-2707。
◆昆布温泉郷
春の新緑、秋の紅葉が美しい渓流沿いに広がるニセコエリア最大級の温泉郷。冬は山スキーのベースキャンプとしても人気がある。宿は4 軒あり、それぞれに趣の違った露天風呂が楽しめるのも魅力だ。泉質・塩化物泉。効能・慢性関節炎、筋肉痛、リューマチ、慢性皮膚 炎、神経痛、創傷、慢性婦人病ほか。
◇住所:〒048-1511 虻田郡ニセコ町ニセコ415-19 。
◇電話:0136-58-3800。
北海道南西部随一の大河、清流日本一の尻別川の流域に広がる肥沃な土壌、雄大なニセコ連峰から湧き出る天然のミネラルをたっぷり含んだ清流が、良質でおいしいらんこし米を育てる。
ニセコ連峰に囲まれた盆地は、夏は温暖な気候で、比較的昼と夜の気温差も大きく、おいしいお米をつくる環境としては最適。お米のおいしさは、タンパク質の含有率が 低いほどおいしいとされている。タンパク値を下げるため、収量は低くなるが、窒素肥料を抑え、きめ細かい肥培管理をしている。
らんこし米のタンパク質の含有率は、平成20年から22年の3年間の平均値で、全道の平均値を大きく下回りおいしいお米と評価されている。清らかな水と良質の土、寒暖のある最適な気候、そして生産者の努力により生産されるらんこし米は、全道の中で最上の評価を受けいる。色・つや・見た目も、そして昧と粘りも抜群である。
◆コックリ湖
樹齢200年から300年のダケカンバなどの古木がうっそうと茂っている、大自然のなかにひっそりとたたずんでいる湖、コックリ湖。対岸の風景を逆さに映し出す波穏やかな湖面に、野鳥のさえずりや木々が風にそよぐ音以外何も聞こえない秘境の風情がたまらない魅力。コックリ湖登山口から徒歩で1時間10分ほどの道のリである。
◇住所:磯谷郡蘭越町字御成。
◇電話:0136-22-1152。
◆ニセコ連峰チセヌプリスキー場 ニセコチセヌプリ
ニセコ山系のほぼ中央に位置する標高1,135mのチセヌブリ南斜面にコースが展開。数多いニセコ工リアのスキー場の中で、シラカバの原生林に囲まれたチセヌブリスキー場は、特に自然を豊かに感じられるスキー場として、多くのファンに知られている。自然林に囲まれたコースでの滑走は、野趣あふれた山岳スキーの雰囲気満点。その中でも山スキーヤーに人気のコースは、シラカバ林の中につくられた特有 のムードを持っている林間コース。深雪のバージンスノーが楽しめるチセヌブりの滑りに魅了された、喧騒を嫌い解放感を楽しむチセファンも決して少なくない。スキー場のベースキャンプは、ニセコ湯本温泉郷。スキーで汗をかいた後は、しっとりとした温泉宿での入浴 で、ひと昧違ったアフタスキーを。
◇住所:磯谷郡蘭越町湯里680-2 。
◇電話:0136-58-2328。
◆大湯沼(おおゆぬま)
白い湯気と硫黄の匂いが立ち込める湯本温泉の源泉の沼。熱いところで360度もの温度があり、珍しい黄色球状硫黄が浮かぶ。
◇住所:磯谷郡蘭越町湯の里。
◇電話:0136-57-5111(蘭越町商工労働観光課観光係)。
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大湯沼 ニセコ湯元温泉(2006年5月撮影)
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◆交流促進センター 雪秩父(ゆきちちぶ)
大自然に囲まれた露天風呂が雪秩父の自慢で。大湯沼からチセヌプリ・ニトヌプリまでを見渡せるようになっており、自然を肌で感じることができる。休憩所や食堂を完備。
◇住所:〒048-1321 磯谷郡蘭越町字湯里680。
◇電話:0136-58-2328。
◇入浴料金:大人700円、子供300円。
◇泉質:硫黄泉、源泉かけ流し。
◇入浴時間:10時〜20時。
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交流促進センター 雪秩父(2006年5月撮影)
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◆大湯沼自然展示館
豊かな自然に囲まれたニセコ連峰のほぼ中央、立ち込める硫黄の臭いと湯煙たなびく大湯沼の近くに建設された大湯沼自然展示館」、ニセコの温泉の源泉である大湯沼の紹介をはじめ、周辺の自然の生態なども学ぶことがでる。施設には2つの展示ゾーンと映像ゾーン、展望コミュニケーションゾーンがある。北海道最大級の大型ジオラマ模型で紹介する大湯沼のふしぎを探り、100インチ8面のマルチシアターで自然の生態を学んでニセコの自然博物誌を見学。展示ゾーンで望遠鏡をのぞき、イラストマップに自由にらくがきできる。施設内中央にはシンボル「杜の大老樹」が設置されている。
◇住所:〒048-1321 磯谷郡蘭越町字湯里680-15。
◇電話:0136-58-2328。
◆貝の館
貝をイメージしたユニークな外観がひときわ目をひく貝の館。約5億年前のオルビス紀の海を代表する貝、オウム貝の祖先であるチョッカクガイの全長5m大の復元模型を中央に展示。古代の海が美しく体験できる。
◇住所:〒048-1341 磯谷郡蘭越町港町1401。
◇電話:0136-56-2102。
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貝の館
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◆道の駅 らんこし・ふるさとの丘
函館市と札幌市の中間に位置し、雄大なニセコ連峰と羊蹄山を眺め、清流尻別川の恵みを受ける。キャンプ場やバンガロー施設も整備されいる。
◆道の駅 シェルプラザ・港
国道229号線沿いに位置し、海岸線でもひときわ目を引く貝の形をイメージしたユニークな貝の館に隣接している。世界の珍しい貝も販売。
後志支庁管内一を誇る酪農と福祉の町。天然記念物の自生北限《歌才ブナ林》を持つ本町は、自然体験型の農村リゾートを目指している。40人収容で季節の料理を提供する自然体験宿泊施設《歌才自然の家》、ブナに関する資料展示、食品加工、木工・陶芸の実習工房を備えた《ブナセンター》、バンガロー・シャワー等の設備が整った《オートキャンプ場》、本町の酪畜品を原料としたチーズ、ハム、アイスクリームを生産する《特産物手作り加工センター》を中核施設として、遊びのフィールドがいっぱいだ。都会の雑踏を離れて、田舎でのんびり過ごすには最適の町くろまつない。1998年6月30日に待望の黒松内温泉《ぶなの森》がオープン。
黒松内町観光協会 。
◆自然体験宿泊施設《歌才自然の家》
歌才(うたさい)自然の家は、ランチも楽しめる食事処を備えた小さな宿。恵まれたロケーション。宿の裏手は天然記念物の歌才ブナ林を含む、美しい森。整備された散策路があり、ウォーキングもできる。当キャンプ場は、全サイト(フリーサイトも含む)完全予約制。
◇住所:寿都郡黒松内町黒松内584。
◇電話:0136-72-3010。
◆歌才オートキャンプ場
2.2haの広いフィールドには、バンガロー3棟、オートサイト27区画、フリーサイト9張がある。隣と干渉しない広いサイト設計となっている。個別・バンガロー全サイトに水道・流し台・直火(焚き火)スペースが完備。ペットと一緒(ペット同伴可)にキャンプを楽しむこともできる。。近くにドッグラン施設もある。
◇住所:〒048-0101 寿都郡黒松内町字黒松内521-1。
◇電話:0136-72-4546。
◆黒松内温泉《ぶなの森》
開放感があり、ゆったりとした浴場には、ジェットバスなどを備えたドーム型の洋風浴室と、檜風呂などを備えた和風浴室の2タイプがあり、ともに露天風呂とサウナがある。
◇住所:寿都郡黒松内町黒松内545。
◇電話:0136-72-4566。
◇営業時間:11:00〜21:00。
◇休館日:4〜10月第1水曜日、11〜3月第1・3水曜日。
ブナは温帯を代表する樹種で、日本では鹿児島県大隅(おおすみ)半島を南限に、主に東日本に分布している。北海道では渡島半島のみに分布し、寿都と長万部を結ぶ「黒松内低地帯」を北限として、本州から連続的に分布してきたブナの森が途切れる。
ここから北には北海道特有の森「針広混交林」(針葉樹と広葉樹の交じる森)が広がる。日本の森林を考える上で重要なこのブナ自生北限地帯を代表する森として「歌才ブナ林」は、昭和3年、その価値を見出され、国の天然記念物に指定された。以来、ブナの森は町民有志や学術的価値を知る学者たちに守られ、静かに時を過ごしていたが、指定から60年を経た昭和の終わり、各地でまちづくり運動が盛んに繰り広げられ、黒松内町でもブナを題材にしたまちづくり「ブナ北限の里づくり」をスタートした。ブナをはじめとした町内に残る多くの自然を生かし、歌才自然の家やブナセンターなどの施設を整え、ブナウオッチングツアー(6月)、かんじきブナウォッチング(1、2月)といったイベント、名称にブナを用いた日本酒や焼酎などの特産品づくり、このほかにもブナにこだわったまちづくりを進めている。今では、ブナの森が持つ独特の雰囲気、四季折々の変化の美しさに魅せられた人々が、道内外からリピーターとして何度も訪れ、着実にファン層を広げている。(北海道遺産 北限のブナ林HP)
◆歌才ブナ林(天然記念物)
日本のブナは、南は鹿児島県大隅半島から北は北海道渡島半島まで分布している。寿都と長万部を結ぶ「黒松内低地帯」がブナの北限。歌才ブナ林はブナ自生北限地帯を代表する森として、昭和3年に国の天然記念物に指定された。
天然記念物の森は、どんなものも許可なく採取することはできない。きれいな草花だって自然の中にあるからこそ美しいもの。およそ1万年前の最終氷期に東北南部にあったブナの北限は、その後気候の温暖化にともなって少しずつ北進してきた。ブナが函館に到達したのが約6000年前、歌才には1000年前に到達したことがわかっている。現在もブナは北進の途上であるとのこと。近年の地球温暖化の影響も含め、500年後、1000年後にブナの北限はどう変化しているであろう?
◇住所:〒048-0114 寿都郡黒松内町歌才。
◇電話:0136-72-4411(黒松内町ブナセンター) 。
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歌才ブナ林の立て看板(2006年7月撮影)
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◆添別ブナ林
添別ブナ林は、一周30〜40分の周回コース。木々を縫うように通っている散策路を歩くと、いろいろなブナの木に直接触れることができる。このブナ林の特徴は、太さ40cmほどのやや太めのブナから、ほっそりとした若木まで、さまざまな樹齢のブナが見られること。若いブナが多いので、木肌がとってもきれい。地衣類の色合いも鮮やかで、木肌の模様もくっきりしている。壮齢で大木が多い歌才ブナ林と比べてみよう。
◇住所:寿都郡黒松内町中ノ川。
◇電話:0136-72-4411(黒松内町ブナセンター) 。
◆ブナ北限の里 黒松内町ブナセンター
緑のとんがり屋根がアクセントのブナセンター。ブナを中心に町の歴史や自然を紹介。自然観察の方法や動物・植物に関する情報のほか、木工房と陶工房、食工房などの体験スペースもある。
◇住所:寿都郡黒松内町字黒松内512-1。
◇電話:0136-72-4411。
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黒松内ブナセンターと北海道遺産(2006年7月撮影)
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◆道の駅 くろまつない
黒松内町の自然と文化の情報や特産品を一堂にラインアップ。トワ・ヴェールはフランス語で「緑の屋根」、II(ドゥー)は2番目の意味で発音が「ドゥー」で「DO」つまり「体験・行動」を表す。特に焼きたての50〜60種類のパンの販売が自慢。
北海道南西部にあり、函館と小樽を結ぶ海岸線のほぼ中央に位置する。寿都湾の海岸線32kmは弓状に張り、島牧村、蘭越町、黒松内町と接している。
寿都観光物産協会 。
◆鰊御殿
1879年(明治12年)に仕込屋である橋本与作が建てたといわれている。釘を一本も使っていない見事な建築のお宿「鰊御殿」として営業している。
国道向かいには、「追分記念碑」もある。
鰊御殿といえば、一般的には網元や漁師たちが寝泊りしていた建物をいうが、この建物は、ここの漁場で「仕込屋」として商売をしていた橋本家の建物である。仕込屋というのは、網元や漁師に品物や金を貸し、代金を数の子、身欠鰊、鰊粕等で返済してもらってこれを売る商売であった。明治の初期、創業者橋本与作は長栄丸、金栄丸など五百国積みの自家弁財船で膨大な利益をあげ、当時で最高級の家を建てたのがこの建物。自分の出身地(福井県)本家の庄屋宅を模し、全建材を集めるのに3年、建築に4年の歳月をかけ1879年(明治12年)に完成、総工費は当時で7万円を要したといわれている。(大正時代の豪邸で3,000円程度)。床下には防湿のため600俵もの木炭をしきつめ、窓は当時ギヤマンといわれたガラスをオランダから取り寄せるなど、豪華な調度品をそろえ、鰊にわきたつ浜と海の商人の盛時が渋い落着きの中にこめられている。
◇住所:〒048-0415 寿都郡寿都町字歌棄(うたすつ)町有戸。
◇電話:0136-64-5321。
2020年(令和2年)7月、旧橋本家の土蔵を改装したそば処 鰊御殿「昌の屋」寿都店がリニューアルオープンした。
◇住所:寿都郡寿都町字歌棄町有戸14番地。
◇電話:0136-64-5321。
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鰊御殿(2022年7月撮影)
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◆寿都温泉ゆうべつのゆ
地域固有の資源である寿都温泉は、1880年に「湯別野温泉開発」と寿都町史に記憶されており、古い温泉の歴史が刻まれている。また、国が初めて全国規模の温泉情報をまとめた「日本鉱泉誌(1886年)」にも「湯別温泉」と記録が残っている。かつては湯治場としても古くから利用されてきた。「美肌の湯」と「癒しの湯」の二つの湯を同時に楽しむことができる。「美肌の湯」は硫黄泉―泉質は含硫黄-カルシウム-塩化物温泉(アルカリ性低張性温泉)。「癒しの湯」は塩化温泉―泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物温泉(中性高張性温泉)。
◇住所:寿都郡寿都町字湯別町下湯別462。
◇電話:0136-64-5211。
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寿都温泉ゆべつのゆ(2022年7月撮影)
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◆弁慶岬
寿都と島牧の境界に突き出た岬で、昔、アイヌたちはポロ・エドと呼んでいた。更科源蔵の「アイヌ語地名解」によれば、大きな鼻の形の岬の意味だそうだが、この岬の先端が裂けたようになっていて、この岩と岬の間をベルケイ(裂けたところ)と言ったのを和人がベンケイとなまったという。
松浦武四郎の「西蝦夷日誌」には、ここをベニツケウと称し、その形が獣の背に似ているところから付けられたとしているが、一方、武蔵坊弁慶が甲冑を曝されたところで弁慶岬ともいう。別にマレイ岬ともいうとも書かれている。しかし、弁慶岬の呼称については、今一つ別の話がある…。
想望―同志を待ちわびる弁慶の心、ここに宿る。奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡り、この地に滞在していた。弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が、義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は、毎日毎日、この岬の先端に立って海尊の到着を待っていたが、海尊軍団の船影を見ることはできなかった。そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、この岬のことを、弁慶が同志を待ちわびていた岬ということから、いつしか弁慶岬と呼ぶようになったといわれる伝説が残り、その姿を再現した銅像が建てられている。岬に打ち寄せる波は、今も変わることなく沖へ沖へと弁慶の想いを運んでいるかのようである。銅像の台座に刻まれている「想望」の二文字は、ここからつけられたもの。
◇弁慶の土俵跡 弁慶が義経をなぐさめるため、アイヌと相撲をした土俵跡。昔は弁慶が力足を踏んだ跡が、わらじばきの足跡としてあり、土俵のふちの高さが30cmもあったという。弁慶に投げられたアイヌたちは崖下に落ち、鼻血を流して赤く染まったといわれる「赤岩」がある。
◇二つ森 酒好きの弁慶が、別れを惜しむアイヌの人たちと、二つ森の頂上で秘蔵の金の銚子と盃で酒宴を催したと伝えられる。また、再び生まれ変わって、ここに来ることを約束し、そのときのためにと銚子と盃を二つ森とヌカ森との間の白桔梗の根方に埋め、「これを掘り出す者は天罰があるだろう」といって、雷電方向をさして去っていったと伝えられている。町の最西端に位置する弁慶岬は「狩場・茂津多道立自然公園」の中にあり、伝説と夕日の名所として知られている。遠く狩場山・茂津多・積丹・雷電の岬を一望できる景勝の地で、夕暮れとともに灯をともす「弁慶岬灯台」も、落日の景勝をより詩情豊かなものにしている。また、駐車場・休憩所・トイレのある弁慶岬公園には、伝統とロマンを秘めた武蔵坊弁慶の銅像も建立されている。
◇住所:〒048-0403 寿都郡寿都町字政泊町弁慶。
◇電話:0136-62-2602。
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弁慶銅像と虹(2020年9月撮影)
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◆北海道有形文化財指定 カクジュウ佐藤家 旧歌棄(うたすつ)佐藤家漁場
*「カクジュウ」は屋号で、くにがまえに漢数字の十と書く。
義経の家臣、佐藤継信の末裔(まつえい)が明治初期に建てた漁場建築の代表的な建築物。現在でも人が住んでおり、ニシン場時代の資料や文献が大切に保管されている。
佐藤家は、1852年(嘉永5年)以降に歌棄、磯谷二場所の場所請負人を勤め、維新後は駅逓取扱人を命ぜられた同地方随一の名家である。積丹半島開発および漁法改良に尽力した開発功労者としても著名である。この建物は、国道229号線に接して正面を海岸に向けて建ち、母屋は間口24.3m、奥行18mの2階建で、よせ棟屋根に西洋風下見張り、2階正面には櫛形ペジメントの付いた上げ下げガラス窓、1階前面はたてしげ格子、さらに、下見張りの戸袋でまとめ、屋根の大棟をまたいで洋風の六角形の明かり取り、その背後に和風の切妻屋根の煙出しを設けた洋風と和風とが入りまじった折衷の独自のスタイルの外形をもっている。内部は、正面右より玄関からかぎの手の形の土間が奥まで通り、その左側には、前向に帳場、その後に常居が並び、かぎの手土間に接して台所がある。また、帳場の奥には、前面に沿って中の間、浜座敷と並び、常居の奥は、六畳、仏間と並ぶ。仏間の後方には上段の間があり、六畳の後方には九畳、常居後方には八畳がある。また、常居から二箇所の階段があり二階に上がるが、二階正面に5室、後方にかぎの手状の大室がある。また、常居から台所の脇を通って、下屋で後方別棟の土蔵に通ずる。以上のように、ニシン漁場建築に普遍的にみられる漁夫宿泊部をほとんど含んでいない点に特色がある。この建物の完成年代は、佐藤家の口伝では明治3年としているが、確認資料は発見されていない。外形の洋風建築形式からみて、常識的には明治10年から20年の間の建築と思われる。旧態の保存が良好である上、建築年代、規模、意匠、構造の諸点からみて、現存の漁場建築中で、この建物に匹敵するものがない代表的な遺構である。1968年(昭和43年)北海道有形文化財に指定。
◇住所:寿都郡寿都町字歌棄町有戸163番地。
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北海道有形文化財指定 カクジュウ佐藤家(2022年7月撮影)
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◆道の駅 みなとま〜れ寿都
寿都漁港に隣接。漁港を一望できる優位性を生かした「海と一体感」あるエリアへの配置となっている。また、国道229号線は弁慶岬から磯谷までのルートは、歴史的建造物などがありる。
札幌から167km。目の前には日本海が広がり背後には、狩場山系がそびえる。狩場山地は、貴重なブナの原生林面積が1万700haと、日本最大級のスケールで、「北限のブナ」として知られている。1972年道立自然公園指定を受け、特別な保存林として認定された。
島牧村観光情報サイト 。
◆賀老(がろう)の滝
日本の滝100選、北海道自然100選に選ばれた高さ70m、幅35mの大瀑布。また、松前藩の財宝を龍が守護しているという龍神伝説が残されているなど神秘的な趣がある。
◇住所:島牧郡島牧村。
◇電話:0136-75-6212。
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賀老の滝(2011年8月撮影)
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賀老の滝(2011年8月撮影)
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島牧の前身となる「シマコマキ」地方は、昔から魚類の宝庫として知られ、その多くは漁業の生業としていたが、曽津己 ( 福島町 ) 及び大沢 ( 松前町 ) から、砂金が流出して砂金ブームとなり、本格的な金鉱採掘も始められた。そこで松前藩は、西部金山奉行所を設け、砂金を管理することになった。1631年(寛永8年) シマコマキからも砂金が産出。龍神伝説はこの砂金にまつわる島牧の心あたたまる言い伝えである。
藩主の命を受け、狩場山付近一帯を探索していた家臣のひとり、小太郎という若者が手負いの子鹿を見つけた。小太郎が、かわいそうな子鹿を抱きかかえて賀老の滝付近にさしかかったとき、子鹿は水を欲しがってひと鳴きした。小太郎は、両手に滝の水をすくい子鹿に飲ませ、手拭いをとると滝の水で子鹿の傷口を丁寧に拭き、包帯にして巻いてやった。子鹿はにわかに元気を取り戻し立ち上がった。
「もうだめかと思ったのに、よかったね元気になって。強く生きるんだよ。また縁があったら会おう」
子鹿はうれしそうに「キューン」と鳴いて、小太郎の後ろ姿をいつまでも見送っていた。その様子を賀老の滝の主、龍神がジーッと見ていたことは、小太郎が知るよしもなかった。何年かが過ぎ、小太郎は金山奉行所を預かるまでになった。幕府の税の取り立ては厳しく、このうえ金までも没収されてはと、藩主は思案したあげく、金をわからない場所に隠すように命じた。
もし、幕府にわかれば打ち首。小太郎は思案にくれた。隠し場所を探して賀老の滝まで来てしまった小太郎の前に、一頭の立派な鹿が現れた。澄んだ目には見覚えがあった。鹿はその鼻先で賀老の滝の滝壷を差し示し、「キュー」 と鳴いた。「そこに隠すというのかい。でも龍神が何というかなぁ」するとそのとき、雲の切れ間から龍神が姿を現した。驚きのあまり、口もきけずにいる小太郎に向かい、龍神様は低い声で言った。「おまえのやさしい気持ちに応えたい。わしが守ってやろう」
金は、密かに滝壷の中に埋められた。しかし幕府の手がまわり、滝壷が探索されることとなってしまった。が、幕府の者たちが滝壷に近づいたとき、暗雲が立ちこめ、イナズマが走り、鋭いキバを持った龍神が現れ大きく吠えると、物凄い嵐が吹き荒れた。滝の水かさは増え、大洪水となって襲いかかり、龍神が滝を駈け登ると、仰天した皆は、命からがら一目散に逃げ出してしまった。以来、金を掘ろうとして、滝壷に近づくものは、ことごとく龍神様の怒りに触れ、誰一人としてその埋蔵金を手にすることはできなかった。金は、今も滝壷に埋められていると言われている。そして、誰からとなく、いつの日からか、この滝を「飛龍」賀老の滝と呼ぶようになった。
◆狩場山(かりばやま)
標高1,520mの道南最高峰の狩場山は、この一帯が狩場茂津多道立自然公園に指定され、大自然が広がる秀峰として知られている。
島牧村には温泉が3カ所。国道229号沿いにあって、目の前に日本海が広がり、夜には漁火が楽しめる「モッタ海岸温泉」。山あいにたたずみ、川のせせらぎや緑が萌える景色が風情をそえる「千走川(ちはせがわ)温泉」「宮内(ぐうない)温泉」。それぞれ温泉の効能が違い、自分にあった温泉で思い思いにゆったりとくつろげる。
<モッタ海岸温泉>
ナトリウム‐塩化物泉(中性等張性高温泉)。源泉温度53.1度。湯色は無色透明だが硫黄分由来の白い湯の華が出る。わずかに硫黄臭。特筆すべきは天然ラジウム含有量である。ラジウム含有量は道内随一、国内でも有数のレベルである。一軒宿「モッタ海岸温泉旅館」がある。男女別の内湯、露天風呂が1つずつある。湯は源泉掛け流し、飲泉可能。
◇住所:島牧郡島牧村字栄浜362-1。
◇電話:0136-74-5336。
<千走川(ちはせかわ)温泉>
ナトリウム‐炭酸水素・塩化物泉(中性低張性温泉)(旧泉質名:含食塩-重曹泉)。 源泉温度39.2度、pH 6.5(中性)、湧出量毎分27g(動力揚湯)。弱黄色濁、塩味および炭酸味、無臭。千早川上流に一軒宿の「千走川温泉旅館」がある。日帰り入浴が可能で内風呂と露天風呂を備え、加温掛け流し方式。
◇住所:島牧郡島牧村江ノ島561。
◇電話:0136-74-5409。
<宮内温泉>
ナトリウム・炭酸水素塩-硫酸塩泉(中性低張性高温泉、旧泉質名:含芒硝重曹泉)。源泉温度8.8度。湧出量3,000g/分。pH7.2。無色透明、微弱塩味。自噴。湯は無色透明ではあるが、湯の花の酸化鉄で赤茶けて見える。湯量が豊富で源泉掛け流し。飲泉可。有限会社宮内温泉が経営する一軒宿、宮内温泉旅館があり、宿泊、日帰り入浴が可能。内湯、露天風呂を備えている。湯治場の雰囲気を残す温泉地である。
◇住所:島牧郡島牧村泊431。
◇電話:0136-75-6320。
◆ブナ原生林
狩場山系に広がるブナ原生林の面積は10,700haで日本最大級。自然休養村として保護管理され、貴重な資源として保存されている。
◇住所:島牧郡島牧村賀老高原。
◇電話:0136-75-6214。
◆千走川(渓流)
島牧村には千走川、泊川、大平川、折川があり、深い山々から流れ出たその清らかな流れとともに、緑深い渓谷が楽しめる。
◆本目岬灯台
厚瀬漁港の横に、海に突き出た岬にある灯台。この岬から眺める夕陽は「きれい」の一言。
◇住所:〒048-0600 島牧郡島牧村島牧港。
◆茂津多岬
・島牧郡島牧村とせたな町の境(灯台が建つのは島牧村側)、茂津多岬の高台に建つのが、茂津多岬灯台(もったみさきとうだい)。海霧を意識して白と黒のツートンカラーに着色され、ロケットを思わせる異色の外観。平均水面から灯頂部まで288mは日本一です。
・狩場山が日本海に落ち込むところ、280m余りの断崖をもって屹立している。岬は日本一高い茂津多岬灯台があり、栄浜に至る海岸線は荒磯の奇岩続きの景観が絶妙である。
◇住所:島牧郡島牧村字持田。
◆江ノ島海岸
日本の渚100選にも選ばれた美しい海岸。約4kmにわたって続く砂浜にはメノウやジャスパーなどの銘石が混ざっている。
◇住所:〒048-0623 島牧郡島牧村字江ノ島。
◇電話:0136-75-6211。
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江ノ島海岸(2022年7月撮影)
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◆道の駅 よってけ!島牧
国道229号沿いにある道の駅。海と山に囲まれた島牧村の観光の拠点として、地元で採れる海産物や特産品を味わえる場所として人気。