◆國稀酒造 ◆旧花田家番屋 ◆風の通り道苫前町 ◆とままえ温泉ふあっと ◆天売島 ◆焼尻島 ◆旧商家丸一本間家 ◆はぼろバラ園 ◆赤岩(天売島) ◆ウミガラス ◆ウミネコ ◆ウトウ ◆しょさんべつ天文台
市名の由来は、アイヌ語のルルモッペが語源。ルルは(汐)モは(静)ヲッは(ある)ペは(水)のこと。「汐が奥深く入る川」という意味で、留萌市を流れる留萌川から名づけられている。北海道西北部における留萌支庁管内の中心都市.。
水産加工を基幹産業とし、国の重要港湾がある。地形は、東西に走る留萌川を中心に両翼には平原、丘陵が続き、南側は比較的高度のある山並みがあり、北部は低位な丘陵地である。西には日本海、南北には暑寒別天売焼尻国定公園が連なり、暑寒別山系をはじめ夢の浮島といわれる天売・焼尻が望まれる。かつて鰊(にしん)の千石場所として栄えた港町・留萌市は、生産量日本一を誇る「塩数の子」をはじめとする水産加工を基幹産業に発展してきた。豊かな自然に囲まれ、四季折々の景観や新鮮な食材が堪能できる。
留萌の文化を象徴するもののひとつに鰊がある。江戸末期から明治、大正、昭和と百年以上にわたり、鰊漁が人々 に与えた思恵は暮らしや文化、芸能、建造物に色濃く残っている。その最たるものは留萌市礼受町に現存する旧留萌佐賀家漁場である。 鰊漁場建築と漁労用具一式は国指定重要有形民俗文化財に指定され、留萌市に限らず北海道の貴重な産業遺産である。
留萌観光協会 。
春告魚「鰊」が浜に姿を見せる。留萌の春である。春先のどんよりと曇りがかかった朝、鰊の大群が浅瀬に卵を産みつける。いつしか地元では「練曇り」と呼ぶようになった。留萌から鰊の大群が姿を消して50年あまり。地元漁師は大群の鰊が再びこの浜に戻ってほしいとの願いをこめ、網を刺す。そして、山の雪が解け始めると山菜が顔を出し、5月には田植えが始まる。最盛期は家族総出の作業となる。留萌千望高校生が開発した「にしん飯」は、鰊の甘露煮を押し寿司にした一品。市内の留萌寿司商組合各店で食べられる。鰊の群来に思いを馳せながら味わいたい。
留萌の夏は海開きで本番を迎える。6月下旬のオートキャンプフェスティバルを皮切りに7月中旬から8月中旬にかけて「ゴールデンビーチるもい」がオープンし、札幌や旭川などからも海水浴客が訪れる。留萌三大夏祭りの最後を飾る「るもい呑濤まつり」。行灯が市内中心部を練り歩き、花火が夜空を焦がす。夏の味覚と言えば「ウニ」。キタムラサキウニとエゾバフンウニの二種類が獲れる。7月に「うにまつり」が行われ、留萌寿司商組合各店で地物のウニを堪能できる。「うまいよ ! るもい市」はウニの袋詰め放題が人気で行列ができるほどだ。
黄金色の絨毯を敷き詰めたような風景が広がる秋は、収穫の季節だ。留萌管内南部で収穫される南るもい米の「ななつぼし」は、過去に全国米・食味分析鑑定コンクールで金賞の実績を誇るなど、留萌の米の美味しさは評価が高い。今年も農家の人達に感謝しながら新米をいただく。そして、神居岩総合公園の木々の葉が色づきはじめる秋。まだ緑のまま残っている葉と赤や黄に色づいた葉の絶妙なコントラストが、美しさを増す。海では秋サケが長い旅を終え、生まれた川へ戻ってくる。宝石のように輝くイクラをほかほかのご飯に乗せたイクラ井は旬のご馳走だ。
留萌の冬はとても厳しく、荒れ狂う波が押し寄せる日々が続く。 時折「気嵐(けあらし)」と呼ばれる現象に出会える日がある。寒くほとんど風のない穏やかな日に、海から湯気のような蒸気が立ち上がる現象だ。漁師たちは気嵐のなか漁の準備をし漁場へ向かう。かつて鰊漁で栄えた留萌。現在は数の子生産量日本一のマチ だ。12月は数の子出荷のピークを迎え、各水産加工場では黄色いダイヤと呼ばれる数の子を化粧箱に詰める作業に追われる。また、鰊漬けは寒さが厳しくなるこの時期に漬け込む保存食だ。(留萌より)>/p>
◆JR留萌駅・留萌本線
留萌市船場町2丁目にあるJR北海道留萌本線の駅。現在、留萌本線の終着駅であるが、留萌本線は2016年(平成28年)まで増毛駅まで通じていた。それ以前は、国鉄羽幌線や天塩炭砿鉄道線、留萠鉄道臨港線も分岐する拠点であった。留萌本線は、深川市の深川駅から留萌市の留萌駅を結ぶ。路線距離は50.1 kmで、本線ではJR線の中で最も短い路線である。
◇住所:留萌市船場町2丁目115-8。
◇電話:0164-42-0640。
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JR留萌駅(2020年10月撮影)
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◆黄金岬海浜公園
日本海に沈む夕陽は絶景であり、「日本の夕陽百選」に選ばれている。小さな磯ガニが生息しており、夏には海の家で販売しているイカゲソで磯ガニ釣りも楽しめる。冬には珍しい「けあらし」を見ることができる。
◇住所:〒077-0048 留萌市大町2。
◇電話:0164-42-1801。
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黄金岬(2023年6月撮影)
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◆礼受牧場畜産館
日本海や暑寒岳を望み近くには大型風車が立ち並ぶ風光明媚なスポット。5月下旬から6月中旬には菜の花が見ごろを迎える。また隣接している畜産館では、ソフトクリームやバーベキューを味わうことができる。畜産館(礼受牧場トリム)。
◇住所:〒077-0035 留萌市礼受町294-1。
◇電話:0164-43-0964。
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礼受牧場畜産館(2023年6月撮影)
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◆千望台(サンセット千望台)
海抜180mに位置する丘陵地帯で、留萌港を中心に広がる市街地を一望できる景勝地。北の水平線には、国定公園の秀峰が望める。夕景や夜景を望むには絶好のスポット。隣接しているサンセット千望台で気軽に食事が楽しめる。
◇住所:留萌市礼受町。
◇電話:0164-42-0569。
◆留萌市海のふるさと館
幕末に「のろし台」として利用された高台に建つ資料館。施設内には留萌の歴史を道具や映像・レプリカ等によって再現し、留萌市を代表する施設でNPO法人留萌観光協会の事務所を併設。
◇住所:〒077-0048 留萌市大町2-3-1。
◇電話:0164-43-6677。
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道の駅 るもい
高規格幹線道路・深川-留萌自動車道のインターチェンジに近接し、 札幌、稚内、旭川の主要都市と留萌を結ぶ国道が集まる交通結節点に位置する。 駐車場、トイレ、アンテナショップ、多目的広場、ふれあい広場、 ドッグラン、観光インフォメーション、休憩スペース、展望休憩スペース、小型遊具貸出、パークゴルフ場、ベビーコーナー、 無料公衆無線LAN、レンタサイクル、非常用電源などを設備。
町名の由来は、鰊(にしん)が群来ると海一面にかもめが飛ぶことから、アイヌ語で「かもめの多いところ」という意味の「マシュキニ」または「マシュケ」が転じたものであるといわれている。増毛は、宝暦増毛場所の時代から豊富な水産資源に恵まれ、なかでも鰊漁は増毛に多くの富をもたらし、当時の繁栄ぶりが今も伝えられている。
増毛観光情報局 。
◆國稀酒造
日本最北の酒造。1882年(明治15年)創業の地酒「國稀(くにまれ)」は、秀峰暑寒別岳の伏流水に支えられる銘酒。入場無料。
國稀酒造株式会社(くにまれしゅぞう)は、北海道増毛郡増毛町(稲葉町1丁目)の清酒製造・販売を行う酒蔵。1882年(明治15年)創業。2001年(平成13年)10月1日、「丸一本間合名会社」から「國稀酒造株式会社」に法人格および社名を変更。初代は本間泰蔵。『國稀』『北海鬼ころし』が主力商標である。南部杜氏の流れを汲み、昔ながらの製法を守る蔵であり、暑寒別岳山麓からの良質な天然水に拘った酒造りをしている。現在、造り酒屋としては日本で最北に位置する。高倉健主演の映画『駅 STATION』のロケ地ともなった。(jawp)
◇住所:増毛郡増毛町稲葉町1-17。
◇電話:0164-53-1050。
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國稀酒造(2007年7月撮影)
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国稀は初代本間泰蔵が、増毛郡役所に醸造免許鑑札願いを届け出た、1882年(明治15年)が創業である。創業者本間泰蔵は、1849年(嘉永2年)新潟県佐渡の仕立て屋の三男として生まれ、1873年(明治6年)23歳で小樽に渡り、呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン景気でわく増毛にしばしば行商で来ていたが、1875年(明治8年)に増毛に移り住み呉服商を始めた。1882年(明治15年)には「丸一本間」を名乗り、本業の呉服商の他に、荒物雑貨販売、呉服雑貨や漁獲物の輸送のためだけではなく、地域住民の需要を満たす海運業、当時この地第一の産業であったニシン漁にも手を拡げ、醸造業も始めるに至った。当時、日本酒の多くは本州からの移入酒で、決して安いものではなかったが、佐渡の知人に酒屋がいたことから知識があった泰蔵は、当地での自家醸造を思い立ったとされる。創業から20年間は、旧本店(現「旧商家丸一本間家」、国指定の重要文化財)敷地内にある醸造蔵で酒が造られていた。しかし、ニシン豊漁による好景気が続き、酒の需要が増え続け、創業時の設備では量産できないところから、1902年(明治35年)、現在地に地元産の軟石を使った酒蔵を建設した。同年に合名会社となり、丸一本間合名会社酒造部として永きにわたり営業してきたが、合名会社設立から100年目の2001年(平成13年)に、国稀酒造株式会社と社名を改めた。
現在、当社の社名ともなっている酒の代表銘柄の「國稀」も、その昔は「國の誉」であった。「國稀」という名の酒が、乃木希典元陸軍大将の名前にちなんで、定番の商品名として登場したのが1920年(大正9年)のこと。1902年(明治35年)、旭川の第七師団は盛岡の第八師団と共に、寒さに強いという理由で日露戦争に出征する。この第七師団にはたくさんの増毛町民が入隊しており、激戦地ともなった二百三高地での死者数も多数となった。戦後、戦没者を弔うために慰霊碑を建てる話が持ち上がり、当社創業者である本間泰蔵がその発起人となったのである。町民の寄付を募り費用をまかない、1907年(明治40年)頃、泰蔵が東京の乃木希典元陸軍大将に碑文の揮毫の依頼に赴いた。実際に面会し、乃木大将の人格に大きな感銘を受けた泰蔵は、増毛に戻り、乃木希典の希の一字をもらい「國の誉」を「國稀」と改めた。「希」ではなく「稀」としたのは、そのまま使用するのはおこがましいと考えたためで、「のぎへん」をつけて「国に稀な良いお酒」という意味合いももたせた。1907年(明治40年)頃から実験的に価格の高いお酒に使っていたようであるが、由来についてはあまり一般的に知られていなかった。忠魂碑は1916年(大正5年)に建立され、現在も同じ場所にたたずんでいる。乃木大将は、1912年(大正元)年9月に明治天皇の大喪当日、静子夫人と共に自決し本懐を遂げた。(HPから)
◆重要文化財・旧商家丸一本間家
増毛を代表する歴史的建造物(1877年=明治10年〜1897年=30年代築)。道指定の有形文化財。屋根瓦の一枚ごとに屋号が彫られ、当時の建築職人の心意気と細部にわたる手技をかけた建築物。丸一本間の屋号は、呉服屋、ニシン漁網元、海運業、酒造業など、天塩國随一の豪商といわれる事業家として発展し続けた。明り取りの仕掛けのある奥帳場、有名書家の襖がある奥の間、町で最初につけられたシャンデリアのある客間、町屋形式の中庭、呉服店舗や蔵など贅を尽くした建物である。大人400円。
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重要文化財・旧商家丸一本間家(2007年7月撮影)
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◆雄冬岬展望台
増毛を代表する歴史的建造物(国道231号線を札幌方向から来ると、増毛の入り口となる“雄冬”。かつては陸の孤島と呼ばれていた時代もあった。断崖絶壁の続く雄冬海岸の景色や遠く積丹半島、天売島などを見ることができる標高135メートルの展望台である。
◇住所:増毛郡増毛町雄冬795。
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雄冬岬展望台からの眺望(2007年7月、2015年6月撮影)
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◆厳島神社本殿(北海道指定有形文化財=建造物)
◆厳島神社奉納絵馬 7点(北海道指定有形文化財=絵画)
◇住所:〒077-0204 増毛郡増毛町稲場町3-38。
◇電話:0164-53-2306。
厳島神社本殿は明治34年の建立であり、組物や彫刻で豊かな装飾された社殿として北海道でも希少である。
これを手掛けたのは越後(新潟県)から来訪した棟梁・4代篠田宗吉義則(しのだそうきちよしのり)や彫刻師・池山甚太郎(いけやまじんたろう)で、二人は函館の高龍寺本堂(明治32年)建築にも携わる等、北海道との強い関わりを持っている。本殿は欅(けやき)を用いた白木の彫刻が施されており、「唐二十四孝(とうにじゅうしこう」と呼ばれる中国の書を題材にした彫刻をあしらうなど、その豊かな装飾性は高く評価されている。本殿は創建以来覆屋(おおいや)で保護されてきたため、極めて良好な状態であり、越後大工と北海道の寺社建築との関わりを今に伝える。
厳島神社には19世紀初めから近代にかけて制作された「大絵馬」が奉納されている。「源頼光図(みなもとのらいこうず)」「富士巻狩図(ふじまきがりず)」「巴御前武勇図(ともえごぜんぶゆうず)」「浦島図(うらしまず)」「神宮皇后図(じんぐうこうごうず)」「文禄慶長役図(ぶんろくけいちょうえきず)」「天塩国増毛郡秋味大漁図(てしおこくましけぐんあきあじたいりょうず)」「の7点で、航海安全や豊漁を祈願する主題が選ばれている。中でも、「ガラス絵」の技法で描かれた「源頼光図」は絵画としても美術史観点から学術性の高さが評価されており、質・量ともに道内を代表する絵馬の作品群である。
厳島神社本殿と厳島神社奉納絵馬は、平成30年3月30日、北海道指定有形文化財に指定された。(増毛町教育委員会)
(ここからは北海道神社庁のphから)
宝永年間(1704-1711)松前氏は漁場の区域を定め、増毛場所を家臣下国兵太夫の采地とした。渡島国松前の商人村山伝兵衛は下国兵太夫に代わって運上屋を設け漁業並びに人事に関する諸般を管理支配するにあたり、運上屋の守護神として厳島神社を祀った。安永天明のころ伊達浅之助がこれに代り、後文化年中伊達林右衛門が管理支配する。文化13年7月伊達氏が平素から深く尊崇していた安芸国厳島神社より市杵島姫命の御分霊を奉斎した。文久元年5月社殿を再建し明治9年増毛郡総鎮守として社格を郷社と定め開拓使より御神霊を奉られ、同年7月15日に正遷座祭を執行した。明治26年安芸国厳島神社より御分霊を奉斎し、同年4月24日遷座祭を執行した。明治32年社殿を移転落成し、同年本殿新築の議起り同34年落成遷座祭を執行した。昭和42年、開道百年の遺跡として、道知事より指定を受ける。平成2年、本殿を増毛町有形文化財指定第1号に指定される。
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増毛厳島神社(2023年6月撮影)
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◆増毛駅
増毛駅は、1921年(大正10年)に開通した深川と増毛を結ぶJR留萌本線の終着駅で、鰊場で栄えた最盛期には人や貨物の輸送の拠点としてにぎわった。しかし、2016年(平成28年)12月5日に廃線となった。駅舎とその周辺は、高倉健さんが主演した映画「駅 STATION」の舞台となった。駅舎をはじめ、犯人逮捕の重要な鍵を握る「風待食堂」の建物が今も残っている。現在は、開通当時の駅舎に復元し、公衆トイレや駐車場なども整備され、「風待食堂」は観光案内所となっている。
◇住所:〒077-0205北海道増毛町弁天町1-1-2。
◇電話:0164-53-1111。
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増毛駅舎と駅周辺(2023年6月撮影)
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小平は旧名を小平蘂(おびらしべ)といい、アイヌ語でオビラウシベツから転訛したもので、「川口に崖のあるところ」の意味に由来する。今から約340年前の寛永11年松前景広が知行主となり、家臣にアイヌとの交易を支配させたのが、この地方の歴史の始まりといわれている。
その後、天明7年ころから漁業が盛んになり、臼谷・広富に鰊や鮭漁場が開かれ、次第に漁村として形態が整い、明治13年には天登雁(てんとかり)村・鬼鹿(おにしか)村2ケ村戸長役場がおかれて、自治行政の第一歩が印されたのである。明治28年には、小平蘂原野に植民地区画が設けられ、移住する農家が増加し、開墾が進められた。明治39年4月、天登雁村を廃し鬼鹿村と合併し、一方、小平は、大正8年7月留萌から分村して小平蘂村が独立誕生した。小平蘂村は、奥地の石炭や森林資源の開発が促進され、国鉄羽幌線の開通、私鉄天塩鉄道の敷設とともに、人口も増加し、村政は著しく進展した。昭和33年村名を小平と改称、昭和31年に鬼鹿村と合併し、鰊漁業の衰退、炭鉱の閉山等、苦難を乗り越えて、新しい村づくりが進められ、昭和41年町制が施行されて、新生小平町が誕生したのである。昭和13年、村人の手に行政が委ねられて100年、明暗、浮沈、苦楽を刻んだ年輪の深さと先人の偉大な足跡を引き継ぎ、《明るく、住みよい、豊かな郷土》道北に理想郷を目指して、成長しているのが郷土・小平町である。(現地の看板から)
町名はアイヌ語「オピラシュペツ」(川口にガケのある所の意)から出たもの。明治10年留萌ほか2村戸長役場の管轄となり、大正8年7月留萌町大字三泊村のうちの小平蘂、臼谷、鬼泊の3区域をもって二級町村制施行、村名を小平蘂村とした。昭和23年1月小平村と改称。同31年9月鬼鹿村を編入。同41年9月町制施行。
おびら観光情報 。
◆おびらしべ湖
小平ダムにより造られた人造湖。湖にかかる「滝見大橋」は、湖上橋として全道一の長さを誇りる。また、ダム公園にはクビナガリュウのモニュメント等がある。
◇問い合わせ:0164-56-2111(内線222)経済課商工水産係。
◆旧花田家番屋
日本最北端の国指定重要文化財。2001年(平成13年)には北海道遺産にも認定されている。1905年(明治38年)頃に建築され、道内で現存する番屋では最大の規模を有し、当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家。「道の駅」を併設し、年間を通じて公開されている。また、国道232号線をはさんで海側にはにしん文化歴史公園があり、北海道の名付け親、松浦武四郎翁の像が建っている。
毎年5月下旬に鰊番屋まつりを開催。創立は一説に1896年(明治29年)といわれていたが、今時の解体調査の結果仏間大引下の束に書かれた墨書やヤン衆寝台羽目板の落書から親方生活部分の内部造作は1903年(明治38年)(壁紙下張の新聞紙の日付が1904年(明治37年)、1905年(明治38年)頃と考えられ、ヤン衆生活部分はこれより2〜3年早くできたものと推定される。
故花田作三氏の生前の話によれば、1896年(明治29年)頃山林を入手伐採、この頃から製材等に着手したものと思われる。この番屋は、すべて地元「大椴」の山から切りだし三半船で海上を運び、木挽の手によって製材されたものである。
小平町では、1971年(昭和46年)重要文化財の指定とともにこれを買収し、3年の年月と約1億9,000万円の費用を投じて解体修復したもので、すでに稀有となった古民家建築物鰊番屋の代表的遺構である。
◇住所:〒078-3454 留萌郡小平町鬼鹿広富35-2。
◇電話:0164-57-1411。
重要文化財旧花田家番屋(2021年7月撮影)
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◆小平町望洋台キャンプ場
小平市街を眼下に、壮大な日本海を望む丘にある望洋台キャンプ場。オートサイト・バンガローのほか、シャワー・遊具・無料駐車場等を完備。その他、施設も充実している。また、キャンプ場を下ったところには、気軽に陶芸が体験できる陶工房おびらや小平町国際パークゴルフ場、B&G海洋センターなどもあり、キャンプをしながら一日中遊んで楽しむことができる。
◇住所:〒078-3311 留萌郡小平町字花岡。
◇電話:0164-59-1950。
◆
道の駅・おびら鰊番屋
重要文化財「旧花田家番屋」に隣接し、外観は番屋に合わせて古い木造の建築物風になっている。特産品、土産品コーナーや、焼きにしん定食、にしんそば等が味わえるレストランを備え、ドライバーや旅行者の休憩所がある。また、国道232号線をはさんで海側にはにしん文化歴史公園があり、北海道の名付け親、松浦武四郎翁の像が建っている。
留萌支庁管内の中央部(国道232号線=オロロラインと国道239号線(内陸横断ルート)との分岐点)に位置し、農業、漁業を基幹産業とする。水稲、乳牛、養豚を中心に、メロンなどの野菜を生産している。海水浴場やオートキャンプ場、緑地公園などを整備し、観光にも力を入れている。2月にはこのまち特有の「風」を利用した「北海道凧あげ大会」が開催される。1869年(明治2年)水戸藩の支配となり、漁民17戸70人が移住。1880年(明治13年)、苫前外二村戸長役場を設置。1897年(明治30年)、羽幌村を分離。1902年(明治35年)、力昼村を合併し、二級町村制を施行し、村名を苫前村とする。1948年(昭和23年)町制施行。
苫前町観光情報 。
◆とままえ温泉「ふわっと」
苫前町が進める大型地域プロジェクト「シーフロントパークとままえ整備事業」の核となる施設。2000年(平成12年)5月19日、約26億円をかけてオープンした総合宿泊温泉施設。
施設は、第三セクターの株式会社苫前町振興公社が運営。平成9年度に構想をまとめ、構想段階から住民参加によってつくられた施設。ネーミングは中学生が名付け親となった。《ふわっと》は《風W》とも書き表し、「風の町・苫前」と「風力発電」にちなんで電気のワットの組み合わせからなっている。また、屋根には東京ドームと同じ特殊テントを用い、雲のイメージを表現している。
48.5度の自噴温泉で源泉100%の湯をそのまま利用している。日本海が一望できる露天風呂のほかジャグジーバス、サウナやリラックスルームも整備。泉質は、ナトリウム−塩化物強塩泉で神経痛・筋肉痛・関節痛・リューマチ・冷え性・慢性消化器病などに効能がある。
◇住所:苫前郡苫前町字苫前119−1。
◇電話:0164-64-2810。
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とままえ温泉ふわっと(2023年6月撮影)
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◆上平グリーンヒルウインドファーム
浜風を利用した国内最大級の大型風力発電施設。総発電出力50,600kwの風車39基が並ぶ景色は壮観!
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風の通り道苫前町の風車(2004年月撮影)
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◆三毛別羆(ヒグマ)事件復元地
今にも羆が出現しそうな雰囲気があり、訪れる人々にとってスリルを感じる隠れた人気の観光スポット。
本町は、明治20年代の後半になると原野の開拓が始まった。未開の原野への入植者が続いたが、堀立小屋に住み、粗末な衣服を身につけ空腹に耐えながら原始林にいどみ、マサカリで伐木し、ひとくわ、ひとくわ、開墾した。こんな時、町内三毛別(三渓)で、大正4年(1915年)12月9・10日の両日、冬ごもり前の一頭の羆が空腹から狂暴性を発揮し、10人の婦女子を殺傷(7人が殺され、3人が重傷)した事件が発生した。当時の様相を一部復元し、また羆と人間との関わりについても写真、図表を使って紹介している。羆は、冬ごもり中の1月から2月に子供を産む。普通1頭から2 頭で、生まれたばかりの子供は体長20cm、体重500gととても小さい。4月下旬に穴から出て、母グマと一緒に生活する。また、成長すると、体長が約2mにも達する。日本最大の陸上動物である。食肉類でありながら、木の実や野草、アリ、ザリガニなどを食べている。
(羆が出ないとも限りません。十分注意を!)
◇住所:苫前郡苫前町三渓。
◇電話:0164-64-2211(苫前町役場)。
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三毛別(三渓)羆事件復元地(2019年10月撮影)
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◆とままえ夕陽ヶ丘未来港公園(シーフロントパーク夕陽ヶ丘港公園)
芝生面と砂場面に分かれた公園で、親水広場やダブルデッキなどがあり多目的広場としても利用できる。また、近くには水産加工所などがあり、苫前町産の水産物を購入することができる。
◇住所:苫前郡苫前町苫前栄浜313。
◆とままえ夕陽ヶ丘ホワイトビーチ
中国海南島から取り寄せた、白い砂が魅力のロマンチックな海水浴場。家銭そろって楽しめる。また隣接して海公園もある。
◆とままえ夕陽ヶ丘オートキャンプ場(シーフロントパーク夕陽ヶ丘公園)
海水浴場に隣接したキャンプ場で、日本海に浮かぶ天売島・焼尻島や利尻富士の眺望が美しく、日本海に沈む夕陽は素晴らしいロケーションを演出してくれる。また、「とままえ温泉ふわっと」とも隣接しており、源泉100%のお湯が疲れた身体を癒やしてくれる。
◇住所:苫前町字栄浜67-1。
◇電話:0164-64-2339。
◇開設期間:4月26日〜9月30日。
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道の駅・風Wとままえ
日本海に浮かぶ天売島・焼尻島と国内最大級の風車群を眺めながら温泉に入ることができる。そんなことで、風力発電がまちのシンボル、「ふわっと=風W(Wは電力のワットより)」と命名されたとのこと。
天売・焼尻(てうり・やぎしき)両島の対岸に広がる羽幌町は、稚内市と留萌市の中間に位置し、島への交通拠点、道北地方の流通の拠点として発展してきた。現在は「はぼろバラ園」を代表に、美しい花にめぐり会える花のまち、サンセットビーチを拠点とした海洋リゾートのまちとして知られている。
羽幌町観光協会 。
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焼尻島・天売島
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◆はぼろバラ園
300種以上、2、000株ものバラが咲きほころぶバラの花園で、規模内容とも北北海道随一といわれている。なかでもフェアリーダンスやマクランサローブリターなどは、ここでしか見られない貴重なもの。花の見ごろは7月中旬から8月上旬であるが、6月〜9月いっぱいまで、代わる代わる咲いている。
◇住所:〒078-4115 苫前郡羽幌町北5-1。
◇電話:01646-2-1211。
◆天売島
羽幌から約25km沖合いにある天売島は、海鳥の聖地。周囲12km、人口わずか500人弱の小さな島に100万羽を超える海鳥が飛来する。
海鳥が姿を見せるのは3月ころからで、オロロン鳥(ウミガラス)、ウトウ、ケイマフリなど8種の海鳥が飛来し、巣を作って卵を産む。海鳥たちは、8月ころまでひなを育て、秋の始まりとともに成鳥となったひな鳥とともに島を離れていく。西海岸の海蝕崖地域、特に屏風岩から赤岩にかけてその密度が高<、崖の岩棚や崖上部の土中および地面上に、それぞれの種ごとにあった環境にすみ分けをしている。海鳥類の生息数(成鳥)は、ウミガラス57羽(平成2年現在)のほか、概数でウトウ約35万羽、ウミネコ約10万羽、ケイマフリ約400羽である。渡りの時期には、メボソムシクイ、キクイタダキなどが大群で通過し、また、ササゴイ、アカガシラサギ、チョウサギなど道内では稀なサギ科の鳥やヤツガシラ、シロフクロウ、サンショウクイなどの飛来が確認されている。(天売島愛鳥公園標識より)
◆シンボル「赤岩」
「おろろーん」と鳴くことからオロロン鳥と呼ばれるウミガラス。かつて万の単位で生息していたこの鳥も現在ではわずか十数羽。日本でもっとも絶滅が懸念されている海鳥である。このオロロン鳥の棲息地が、天売島の西端にある赤岩周辺。赤岩は、海から直立した高さ48mの岩礁で、周辺は切り立った断崖に囲まれている。この岩と周囲を飛び回る海鳥の姿は、天売島のシンボルである。赤岩周辺は、人が近寄ることも難しい断崖絶壁である。展望台から眼下の赤岩と日本海の美しい海原を見ることができる。また、展望台周辺には、ウトウが掘った直径20cmほどの巣穴が無数にある。
◇住所:〒078-3955 苫前郡羽幌町天売島。
◇電話:0164-62-6666(羽幌町観光協会)。
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赤岩(天売島)2004月8月撮影
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天売島は、羽幌港の西方約30kmに位置する面積約543haの小島で、島の全域が国設天売島鳥獣保護区に設定されている。さらに、島の西北部海岸の赤岩から観音岬にかけての断崖や丘陵地は海鳥類の繁殖地になっていて、鳥獣保護区の特別保護地区や天然記念物指定地になっている。天売島は、国内でも有数の海鳥類繁殖地で、ウミガラス(通称オロロンチョウ)、ケイマフリ、ウミスズメ、ウトウ、ウミウ、ウミネコ、オオセグロカモメなどが繁殖している。毎年、3月ころ繁殖地に集りはじめ種類ごとにすむ場所を選んで集団で繁殖し、8月ころまでひなを育てて繁殖地を離れていく。
◆ウミガラス
低くうなるような鳴き声から「オロロン鳥」と呼ばれている。ウミネコに近い大きな海鳥で、背面は黒く腹は白いため、岩の上に立っているとペンギンのように見える。短い翼を使って巧みに水中を泳ぎ魚を捕らえる。巣は岩壁の狭い棚(テラス)につくる。卵は一方が非常に細くなっているのは、巣の外に転がり落ちないためではないかと言われている。昔は1万羽以上いたが、年々急速に減り続けている。
◆ウミネコ
鳴き声が猫のようなのでこの名がある。日本のカモメの中では最も普通の種類で、成鳥(親鳥)は尾に黒い帯があるのですぐわかる。しかし、若い鳥は、全身褐色でほかのカモメの若鳥とよく似ている。天売島では一番目につく鳥で、夏はいつも赤岩あたりで見ることができる。なお、天売島にはウミネコより大きく尾が白いオオセグロカモメもいるが、数はずっと少ないようだ。
◆ウトウ
ウミガラスより小さい褐色の鳥で、夏はくちばしの上部に突起があり、おもしろい姿をしている。天売にいる鳥の中では一番数が多く、50万羽以上と推定する人もいるほど。しかし、昼間は海上に出ていて夕方にならないと帰ってこない。ゆるい傾斜地に深い穴を掘って巣をつくるが、その密度は非常に高く10m四方に150個以上の穴がある。
◆焼尻島
天売島と並ぶ焼尻島は森と花の島。双子の兄弟のように大きさ、地形ともよく似ているが、天売鳥の森がほとんど失われてしまったのに対して、焼尻島は面積の3分の1が深い原生林に覆われている。また、海沿いの草原には、エゾカンゾウなどの美しい花が咲きほこり、天売島とは別な魅力を放っている。古くから漁業基地として栄えた島でもあり、今でも、ニシン漁にわいた時代の面影を残す。
◆老樹・オンコの荘
和名でイチイと呼ばれる木を北海道では「おんこ」と呼んでいる。焼尻島には、5万本ともいわれるイチイの原生林があり、規模と樹容の見事さは、日本国内でも並ぶものがないといわれている。中でも、島の南東、眼下に海を臨む丘陵にあるオンコの荘は、自然が丹精込めてつくった盆栽といえる見事さで、焼尻の代表といえる。気候の厳しさで300年以上もの老木が、風を受けて地を這うように広がっている。
◆ウグイス谷
焼尻島のイチイの原生林は、学術的にも貴重なものとして、国の天然記念物に指定されている。複雑に曲がりくねった幹、イチイとミズナラが入り交じった独白の林相。ウグイス谷は、まるで童話の魔法の森に迷い込んでしまったかのような個性的な森の最深部に位置する。森陰からウグイスの鳴き声が聞こえることからこの名前がある。
◆雲雀ケ丘公園
焼尻の森には、整備された散策路が張り巡らされ、足下を気にすることなく森林浴が楽しめる。水墨画のような幽玄な白然を楽しもうと、古くから整備が進められてきたからで、なかでも蓮の花が浮かぶ雲雀ヶ丘公園は、森の憩いの場として親しまれてきた。
◆野鳥・野生花
天売が海鳥の聖地ならば、焼尻は野鳥のパラダイス。渡りの中継点に位置し、鳥たちが休むのに格好な森があるため、200種類以上の野鳥が渡りの途中で羽を休める。5月の連休、そして紅葉のころには、森のあちこちで色とりどりの野鳥たちに出会うことができる。鳥たちがさえずる森を抜けると、エゾカンゾウ、クルマユリやオオマツヨイグサなど、原生の花がいたるところで可憐な姿を見せている。花の島。焼尻のもう一っの呼び名である。
◆鷹の巣園地
東から西にかけて標高が高くなる焼尻島で、鷹の巣園地は島全体を見渡せる高台にある。天売島の身近さ、羽幌海岸に並ぶ風車の風景、そして水平線に浮かぶ利尻富士の勇姿。360度の大パノラマが楽しめるスポットである。(「二島物語」から)
国定公園天売島
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(左)羽幌-焼尻-天売フェリー (中)天売港 (右)ウミネコ(2004年8月撮影)
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(左)オオマツヨイグサ |
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道の駅・ほっと・はぼろ
国道232号沿いに位置する道の駅・ほっと・はぼろのメイン施設・はぼろ温泉サンセットプラザは、真っ白な豪華客船をイメージし、天然温泉大浴場・露天風呂・屋外プールや地元特産品を扱う物産店などの施設がある。また7階展望ラウンジからは、天売島、焼尻島など日本海が一望できる。隣接のはぼろバラ園では、珍しい北方系バラなどが咲き誇り、北海道海鳥センターでは、天売島の海鳥のことが全てわかる展示室や研究施設がある。
花に囲まれた憩いの場「みさき台公園」、日本海を一望できる温泉宿泊施設「岬センター」、キャンプ場や遊歩道が隣接する「有明ダム」のほか、道内最大の反射望遠鏡を備えた「しょさんべつ天文台」がある。
初山別村の観光・特産 。
◆しょさんべつ展望台
肉眼で8600倍の集光力を誇る65cm反射板式天体望遠鏡で数々の星競演を楽しむことができる。星に自分の好きな名前が付けられる、村独自のMy Stars Systemも人気。
◇住所:苫前郡初山別村字豊岬153-7。
◇電話:0164-67-2539。
◆キャンプ場・バンガロー
みさき台公園内にあるキャンプ場は、天文台隣接地と北極星下の2カ所。合わせて約23,000平方kmの広さがあり、ゆっくりとくつろげる。日本海に沈む夕日や利尻島の眺めは素晴らしく、開放感いっぱいのキャンプ場。開設期間は4月下旬〜10月下旬まで、無料。
ただし、夏期間のみ有料となる。有料期間は、7月10日〜8月20日(テント1張500円。予約・区画割なし)。バンガローは、ツリー型が5棟とログハウス型が5棟。それぞれ6畳間程度で4〜5人の使用が可能。室内には、蛍光灯照明が配備されている。ログ型には、屋外にバーベキュースペースがある。ツリー型には、椅子が設置されているので、設備を持ち込めば調理が可能。寝具ほか自炊用品などは、持ち込みが必要。レンタルはない。
◇開設:4月23日〜10月23日。
◇料金:ツリー型3,300円。ログ型3,800円。
◇予約:岬センターへ。
◇住所:苫前郡初山別村豊岬1531。
◇電話:0164-67-2031。
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みさき台公園としょさんべつ展望台(2021年7月撮影)
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◆金比羅神社
金比羅神社は、みさき台公園(金比羅岬)の下にある。昔、この岬に流れ着いた金毘羅様のお札を地元の漁師が奉った後、この付近での海難事故が減ったと言い伝えられている。海の中に建つ鳥居がある。
◇住所:〒078-4431 苫前郡初山別村豊岬。
◇電話:0164-67-2211。
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海の中に建つ金比羅神社の大鳥居(2021年7月撮影)
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風連別=ふうれんべつ(現豊岬=とよみさき)沿岸は、昔から鯨(くじら)・鮭(さけ)・鱒(ます)の好漁業で1887年(明治20年)代初頭には、鯨の群遊もあったことから「鯨とりの岬」とも呼ばれていた。1907年(明治40年)ころのある日、この浜に四国の金比羅様のお札(ふだ)が流れ着いているのを奥瀬酉松(おくせとりまつ)という漁夫が発見した。このままにしておいてはもったいないと思い海に戻したところ、翌朝また同じ場所の流れ着いていた。こんなことを幾度か繰り返したが、その都度同じ場所の流れ着いたので、何か不思議な縁(えにし)があるに違いないと岩の上に小さな祠(ほこら)を建ててお札を祀(まつ)った。この付近は波浪の高いところで幾度か難破船もあったが、お札を祀ってからはほとんどなくなり、いつか誰云うことなくこの岬を「金比羅岬」と呼ぶようになった。
金比羅宮お守り・御朱印はしょさんべつ温泉フロントが臨時授与所となっております。初穂料をお納めうえ、お受け下さい。(7月20日 金比羅宮例大祭)豊岬稲荷神社
1926年(大正15年)、奥瀬酉松、他6名の有志が発起人となり御堂を改築した。1953年(昭和28年)9月、漁師達の寄付金で金比羅宮を新築した。1981年(昭和56年)の初夏、岩田金蔵が大漁祈願の意味を込めて金比羅の波打ち際に鮮やかな朱色の大鳥居を自費、自作で建立。その年の7月17日に大鳥居入魂式が行われた。岩田金蔵は、祠と大鳥居の直線沖に網を入れることを考え、翌年8月、大量の鮪(まぐろ)が獲れ300kgを超える大物も多数あり、かつてない漁獲であったという。その後、鮪漁はその年によって増減はあったが、1993年(平成5年)ころまで続いたという。岩田金蔵は、金比羅様のお陰と感謝していたと伝えられている。そして、現在も変わらず、毎年7月20日、例大祭が地元漁師により執り行われている。初山別村は、文化財保護条例に基づき金毘羅神社並び大鳥居を含む一帯を、2016年(平成28年)7月、有形文化財に指定している。(いずれも現地の立て看板から)
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道の駅・★ロマン街道しょさんべつ
みさき台公園内には天文台を始め温泉、レストラン、ゴーカート場、パークゴルフ場などの施設がある。毎年6月下〜7月上ころに星まつりが開催される予定で、8月の第1週土・日曜日には岬まつりが開催される予定。
◆しょさんべつ温泉ホテル・岬の湯
日本海の水平線を眺めながら入浴できる。朝風呂あり。日帰り入浴料金:大人500円、小人250円。泉質:ナトリウム塩化物泉。
◇住所:〒078-4431 苫前郡初山別村字豊岬153番地 。
◇電話:0164-67-2031。
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しょさんべつ温泉ホテル・岬の湯(2021年7月撮影)
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国道232号線日本海オロロンラインの中継拠点、留萌ー稚内のちょうど中間にあり、42haの広大な敷地を有する富士見ケ丘公園は手作りのファミリーリゾート。道の駅「富士見」があり、レストラン「とんがりかん」では、地元の新鮮な食材を生かした料理が楽しめる。食事をしながら見る雄大な日本海に浮かぶ秀峰利尻富士、夕陽の眺望はまさに遠別にふさわしい絶景といえる。
えんべつの観光 。
◆河川公園「風と夕日のモニュメント」
遠別川と日本海が出合う遠別川の河口周辺を利用して作られた河川公園。蛇行する川の地形をそのまま生かして整備され、水辺や遊歩道が心地よく、潤いと憩いのスポットとして人気が高い。公園のシンボル「風と夕日のモニュメント」から見るサンセットは、「素晴らしい」の一言に尽きる。
◇住所:〒098-3534 天塩郡遠別町字富士見32-11、142-1地先(河川敷地)。
◇電話:01632-7-2859。
◆日本最北の水田
同町字清川114番地の門間了さん所有の水田が日本水稲北限地に当たる(北緯44°43′20″、東経141°47′32″)。遠別町が日本最北の米どころとして、良質の米が生産できるには理由がある。日本海を流れる対馬海流により気候が穏やかであること。そして、米づくりに携わる人々がたゆまぬ工夫と努力を続けていることで、遠別町は指折りのもち米生産地となっている。
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日本最北の水田(2022年5月撮影)
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道の駅 えんべつ富士見
2020年4月24日、名前も一新して道の駅・えんべつ富士見としてリニューアルオープン。稚内市・留萌市・名寄市の中間に位置し、普段の行いが良ければ、道の駅裏手の高台からの利尻島の景色は、人気のスポット。日本最北のもち米産地でもある。6月第2日曜日からは、地元農家さんの「新鮮野菜の直売」を行っている。
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道の駅えんべつ富士見から望む利尻富士(2020年7月撮影)
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◆旭温泉
富士見の湯(循環):黒い色の湯が特徴。感触がすべすべし。旭の湯(掛け流し):赤茶色の湯が特徴。
◇住所:天塩郡遠別町字本旭294-2。
◇電話:01632-7-3927。
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旭温泉(2020年7月撮影)
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天塩岳を源とした天塩川の河口に位置し、農業、漁業が基幹産業。7月下旬の「しじみ祭り」に始まり、8月に漁業の守護神をまつる「天塩川みなとまつり」、9月には天塩産のサケつかみどり「秋の味まつり」が開催される。先住民族の住居跡を新しく復元した注目の「川口遺跡風景林」がある。
天塩町の観光情報 。
◆鏡沼海浜公園キャンプ場
潮風が吹き開放感にあふれるフリーサイト。天気が良いと鏡沼に映る美しい夕日が見れる。天井が高くきれいなバンガローも魅力。
◇住所:〒098-3315 天塩郡天塩町字更岸7476-1。
◇電話:01632-2-1830。
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鏡沼海浜公園内に建つ松浦武四郎像 後方がてしお温泉などの建物 右に鏡沼
キャンプ場がある(2022年5月撮影) |
日本最北の大河・天塩川は、その雄大な流域に肥沃な土地を形作ってきた。本町の農業も母なる川・天塩川のもたらしたその大地の上で取り組まれている。中心となるのは専業化された大規模な酪農である。
明治末から大正にかけて始められた畜産・酪農は、昭和32年の産業振興5カ年計画、35年の酪農振興計画などを契機として、町の発展を担う基幹産業の一つとして歩み続けてきた。経営の大型化や近代化、大規模草地改良事業などを柱とした取り組みの中で、町内で飼育されている乳牛は約1万数千頭を数え、年間約5万tの牛乳を生産している。こうして本町は、道北圏の専業酪農地域として「北海道の酪農王国」と称されるようになった。
近年は、優良牛導入、良質乳生産出荷奨励補助、経営の合理化・近代化・後継者対策などに努めながら経営体質の強化と安定化を図り、新たな時代にふさわしい酪農郷づくりを進めている。 また、酪農家のひとときの休日と、余暇の充実を図るためヘルパー制度、後継者対策ばかりではなく農業実習生や新規酪農者を受け入れるシステムづくりが積極的に進められている。
現在、本町には民安ダムが建設され、このダムから水を引くための用水路や排水路などの基盤整備をし、家畜ふん尿などを畑に還元するスラリー方式による肥培かんがいを展開している。また、牛舎の牛床・飼槽・換気改善など快適環境づくりを積極的に進め、良質乳の生産性向上に努めている。(2012年=平成24年1月11日現在)
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道の駅・てしお
レンガ基調の道の駅・てしおは、中心街の入口に位置する。全国で活躍中の地元出身の画家3人と陶芸家2人の作品をギャラリーに展示しいる。近くにてしお温泉「夕映」がある。
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てしお温泉・夕映
天然温泉(泉質は、ナトリウム‐塩化物強塩泉)。日本海に沈む夕陽を眺めながら温泉に入ることができる。露天風呂からの眺めも最高である。宿泊・日帰り入浴OK。食事もできる。
◇住所:天塩郡天塩町サラキシ5807番地5。
◇電話:01632-2-3111。
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てしお温泉・夕映(2022年5月撮影)
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