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●慶応2年(1866)
1月14日−亀山社中・近藤長次郎、英国密航の計画が社中に露見し、問責されて切腹(29歳)。
3月22日−薩摩藩士五代友厚、寺島宗則、森有礼ら19人がイギリス留学のため長崎を出港する。
6月4日−坂本竜馬、長崎本博多町小曾根乾堂邸に龍を預ける。
6月12日−ユニオン号で長州に向かい出港。→
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7月下旬−8月下旬にかけて長崎、鹿児島、下関を往復。小曾根宅を定宿とする。→
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12月−ジョセフ・ヒコ、横浜から長崎に本拠を移し貿易業を始める。
●慶応3年(1867)
3月14日−浦上の潜伏キリシタン、自葬し、旦那寺との関係を断つ。
4月上旬−竜馬、長崎に戻る。脱藩の罪を許され、亀山社中を土佐藩支配下の海援隊に改編。
4月19日、大洲藩船いろは丸に、米・砂糖・銃器・弾薬を積み、大坂に向かい長崎を出港。→
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5月29日−紀州藩船・明光丸と竜馬乗船の大洲藩船いろは丸衝突を巡って紀州藩との数次に渡る
談判の結果、薩摩藩・五代才助の調停により、紀州藩重役・茂田一次郎は賠償金8万3,000両の支払いを約す。
6月9日−後藤象二郎とともに土佐藩船・夕顔で長崎を出港。→
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6月13日−長崎奉行が浦上のキリスト教徒68名を逮捕する(浦上四番崩れ)。
6月−長州藩士木戸孝允、伊藤俊輔がジョセフ・ヒコを訪問。
7月6日−丸山で英艦イカロス号の水兵2名が殺害される。
8月15日−英国公使館員アーネスト・サトウ、英国水兵殺害事件究明のため土佐より長崎に到着。
8月15日−竜馬、長崎着。9月10日、長崎英国水兵殺害事件の犯人不明のまま海援隊の嫌疑晴れる。
9月18日−竜馬、安芸藩船・震天丸に銃を積み出航。三条実美衛士・戸田雅楽、松本、陸奥など同行。→
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●慶応4年(明治元年・1868)
閨4月17日−浦上キリシタン約4,010人が捕らえられる。