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●元和2年(1616)
●元和3年(1617)
●元和4年(1618)
●元和5年(1619)
●元和6年(1620)
●元和7年(1621)
●元和8年(1622)
●元和9年(1623)
●元和元年(1614)
平戸のイギリス商館長のリチャード・コックス、平戸川内(かわち)鳶の巣に甘藷を植える。
3月29日−長崎代官村山等安が子の秋安と兵船13隻を台湾征討に派遣する。
8月8日−幕府が中国船以外の外国船の寄港地を平戸と長崎に限る。
唐船以外の外国船の入港を、長崎・平戸の二港に限る。板倉重政、森岳(もりだけ)城を築く。
4月−大村藩主大村純頼が領内のキリシタンを処刑する。
6月3日−北九州の戦国大名で肥前藩祖鍋島直茂(81)没。
8月11日−幕府がイタリア船の寄港地を平戸・長崎に限定する。
9月−イギリス商館長リチャード・コックスが幕府に、オランダ船による不法行為・イギリス船略奪を訴える。
12月−長崎代官村山等安が叛逆罪に問われ、一族とともに処刑される。
7月6日−堺の貿易商平山常陳がマニラからスペインとポルトガル宣教師2名を同行したが、
イギリス船に捕らえられ、長崎奉行に引き渡される(平山常陳事件)。
8月−平戸のオランダ・イギリスの両商館員が、ポルトガルとスペインの侵略的植民地政策とキ
リスト教布教が不可分であることを訴えた書状を連名で幕府に提出する。
この年
長崎奉行長谷川藤正がキリスト教会堂や病院を破却する。
長崎在住の南京(中国)出身の船主たちによって興福寺が建てられる。
佐賀藩、五十石未満の武士を平常無役とし、手明鑓(てあきやり)を創設する。
7月27日−幕府が、九州の諸大名に命じ、日本人の外国船での渡航・武器輸出入・外国人への日本人売り渡しを禁じる。
福江藩主盛利と大浜主水、江戸に召されて幕府の裁決を下される。(主水事件終結)
8月1日−シャム(タイ)国使が長崎に入港。9月1日、将軍秀忠に国書を呈し、通商を許可される。
長崎奉行長谷川藤正が破壊したキリスト教会堂跡地に大音寺を建立する。
1月−長崎代官末次平蔵がルソン(フィリピン)に貿易船を派遣する。
8月5日−幕府が長崎で宣教師スピノラ・木村セバスチャンらキリシタン55名を火刑・打ち首にする(元和大殉教)。
長崎でスピノラ神父ほか、キリスト教徒55名が処刑される。(元和の大殉教)
佐賀藩、楠久(くずく)・伊万里・有田に牧場地を新設する。
11月13日−イギリスが平戸の商館を閉鎖する。
平戸のイギリス商館を閉鎖する。