享保年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●享保2年(1717)
●享保4年(1719)
●享保5年(1720)
●享保8年(1723)
●享保11年(1726)
●享保12年(1727)
●享保13年(1728)
●享保16年(1731)
●享保17年(1732)
●享保18年(1733)
●享保元年(1716)
藩士山本常朝の「葉隠聞書(はがくれききがき)』(通称「葉隠」)11巻完成。
3月9日−幕府は清の貿易船を年40艘、取引高を銀額8,000貫目に増やす。
12月28日−幕府が九州の諸大名に外国船を見つけしだい打ち払うよう通達する。
4月26日−大村藩が地方知行制を蔵米知行制に改める。
6月13日−幕府が西国大名に密貿易敢り締まりの強化を命じる。
幕府が翌年以後,清船の貿易額を年30艘・新銀4,000貫目に減らすこととする。
佐賀藩領大風、倒家5,397軒などの被害がでる。
2月11日−清の伊孚九が来日し南画の技法を伝える。
12月−幕府が翌年以後,オランダとの貿易額を滅らし,年に
新金2万5000両、渡銅100万斤とする。
3月3日−長崎奉行が清船の私的取引を糾明する。
7月−唐津藩が藩校盈科堂(えいかどう)を創設する。
3月4日−佐賀城が炎上、本丸・天守・二の丸が焼失する。
7月26日−カンボジア船が長崎に来航し,通商を求める。
6月13日−コウチ(ベトナム)から雌雄の象が渡来する。
12月3日−清の画家沈南蘋(しんなんぴん)が来日。花鳥写生画を伝え,享保18年(1733)9月に帰国する。
この年、近畿から九州にかけて雨が数十日降り続き、蝗虫大発生による飢饉,餓死者1万2,000人余に達する(享保の飢饉)。
8月−大村藩が凶作救済のため在地の藩士・農民に樹木の伐採を許可する。
4月−幕府が貿易衰退により、長崎会所運上金を3万5,000両に減額する。
9月−幕府がオランダ船の貿易額を年に銀1,100貫目に減額する。
この年、幕府が清船の貿易額を改め,年29艘を上限とする。