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●延宝2年(1674)
●延宝3年(1675)
●延宝4年(1676)
●延宝5年(1677)
●延宝6年(1678)
●貞享2年(1685)
●貞享4年(1687)
●延宝元年(1673)
5月25日−肥前・イギリス商船リターン号が長崎に来航し,通商の再開
を要請。幕府は家康以来の法を理由に拒否し,7月末帰帆させる。
唐津藩が庄屋の転村(てんそんせい)制を始める。
鍋島藩窯、大川内山(おおかわちやま)に移る。賀島兵介、田代副代官となる。
4月25日−幕府が長崎代官未次平蔵一族を密貿易の罪で隠岐に配流する。
5月22日−幕府が唐津藩主大久保忠朝、島原藩主松平忠房お
よび長崎奉行に対して長崎警備、キリシタン反乱時の処置法を指示する。
平戸藩が銀札を発行する。
唐津藩主大久保忠朝、下総佐倉に転じ、松平乗久、佐倉より唐津に移る。
6月2日−ポルトガル船が漂流日本人12人を伴って長崎に来航。幕
府は12人を受け取り,29日退去を命じ,国禁を理由として再来を禁じる。
8月−幕府が金・銀の流出を抑えるため長崎の貿易を制限する。
12月−肥前・幕府が長崎港にキリシタン渡来・武器輸出・外国渡航を禁じる高札を立てる。