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●宝永5年(1708)
●宝永6年(1709)
●正徳元年(1711)
●正徳2年(1712)
●正徳3年(1713)
●正徳4年(1714)
●正徳5年(1715)
●宝永3年(1706)
伊万里で出火、町家146軒、船12隻、船倉1、男女13人焼死する。
4月1日−長崎の唐人屋敷で中国人が騒ぎをおこす。
8月14日−肥前藩が多久(たく)聖廟を完成する。
11月−幕府が長崎入港の唐船を59艘とする。
佐賀藩多久聖廟(恭安殿)完成する。鬼丸聖堂ではじめての釈菜(せきさい)が行われる。
秋−イタリア人宣教師ヨハン・シドッチを江戸に護送する。
10月−幕府が長崎出島のオランダ人の外出を制限し,僧・山伏の立ち入りを禁止する。
3月6日−幕府がオランダ人船長に海上での密貿易について警告する。
3月24日−幕府が長崎奉行を1名減員して3名とする。
7月14日−長崎の町人らが米の買い占めに反対して米屋を襲う。
佐賀藩領洪水、潰家5,530軒、流家10軒、溺死151人、死牛馬52匹。
5月14日−幕府が長崎奉行に清国船による密貿易取り締まりを命じる。
11月−幕府が長崎奉行を減員して2名とする。
1月11日−幕府が中国,オランダとの貿易を制限する新法令を定める(正徳長崎新令)。
佐賀藩領大風高潮、潰家2,700軒、流家100軒などの被害。