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●天明元年(1781)
●天明2年(1782)
●天明4年(1784)
●天明5年(1785)
●寛政2年(1790)
●寛政3年(1791)
●寛政4年(1792)
●寛政8年(1796)
●寛政10年(1798)
●享和元年(1801)
●享和3年(1803)
12月−肥前藩が藩校私道館を創設する。
7月20日−幕府が長崎の竜脳座を廃止し,和製は当分休止,輸入品は商人入札制に戻す。
大村藩が松島炭鉱を開く。
7月−もと唐津藩士の木崎盛標が「肥前国産物図考」を著す。
2月17日−幕府が、中国輸出用の俵物について、請負い人による独占集荷体制を改め,
長崎会所直接買入れ制とする。
2月25日−幕府が、これまで毎年行われてきたオランダ商館長の参府を4年に1度に変え、
9月には長崎における外国貿易を縮小する。
1月17日−幕府が、長崎港通船からの浚渫費用の徴収を停止する。
10月−長崎に産業方会所が設置される。
4月1日−1月以来噴火をつづける雲仙岳が大爆発し、島原から対岸熊本藩領に
かけて溶岩・山津波などによる大被害がでる。
6月11日−9日からの大雨により洪水に襲われ、大被害をだす。
3月6日−出島に火事があり、諸倉庫が焼失する。
6月−天文・物理学者の志筑(しづき)忠雄が肥前で、「暦象新書」上編を著す(1802年完成)。
12月23日−肥前藩・福岡藩が長崎警備用大筒を鋳造して献上、幕府が報奨する。
肥前藩が陶器尊売を実施し、京都・大坂・堺・兵庫・江戸への陶器販売の統制をはかる。
7月8日−アメリカ船が長崎に来航し貿易を要求するが、幕府は拒絶する。
7月24日−ベンガル船が通商を求めて長崎に来航するが、幕府は拒絶する。