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●慶長7年(1602)
●慶長8年(1603)
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●慶長16年(1611)
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●慶長19年(1614)
●慶長5年(1600)
関ケ原の戦後、平戸・大村・五島・有馬の各藩は旧知行地をそのまま与えられる。
6月28日−コウチ(ベトナム)船が長崎に来航し、家康に象・虎・孔雀を贈る。
大村領主大村喜前(よしあき)がキリシタンを迫害し、教会を焼き払う。
長崎在住の中国福建省章州の商人、悟真寺を菩提寺とし、在住唐人の集合所とする。
4月−幕府の初代長崎奉行に小笠原為宗(一庵)が任命される。
12月−貿易商角倉了以が幕府より安南渡航の朱印状を得て、角倉船が長崎より出港する。
大村氏が改宗する。唐通事(中国語の通訳官)に馮六(ほうろく)を任命する。(通訳任命の始まり)
平戸藩の松浦鎮信(しげのぶ)、亀岡城を構築する。
大村藩、北松波佐見(はさみ)村の三ツ股(みつのまた)に陶石を発見し、波佐見焼を始める。
4月−幕府が長谷川藤広を長崎奉行に任じる。
初代大村藩主喜前(よしあき)、一門払いを断行し、藩主権力の強化を図る。
平戸にオランダ船が入港し、通商を許可され、商館建設を決定する。
12月9日−日野江藩大名・有馬晴信、長崎港外でポルトガル船を襲い、これを沈める。
幕府、長崎・京都・堺・大阪・江戸の商人に生糸取り引き仲間の貿易制度をつくる。
1月−鍋島勝茂領内検地を実施、家臣の知行の10分の3を返納させる。
3月21日−幕府、京都所司代板倉勝重と長崎奉行長谷川藤広にキリスト教禁止と南蛮寺破却を命じる。
平戸にイギリス商船入港。通商許可の朱印状が与えられる。(元和九年閉鎖する)
10月25日−イギリス領東インド会社司令官ジョン・セーリスが平戸に商館を設置することが決定。
4月−キリシタンの大群衆が4月2日から20日間行列して長崎の町を練り歩く。
9月−長崎でキリシタン教会の破壊が始まる。秀吉の没後よりこの年、幕命により長崎の教会堂11ケ所が
破壊されるまで、長崎教会の黄金時代で、コレジヨは日本教会の文化と宣教の中心であった。
10月−幕府、高山右近、内藤如安らキリシタン148名と在日宣教師の約3分の2をマニラ・マカオに追放する。
大村藩の深沢義太夫、鯨突き組を始め、西彼(さいひ)近海・五島・壱岐で操業し、九州捕鯨の
草分けとなる。のち、鯨運上金や寄進で野岳堤(のだけつつみ)を築き、大村平野の農業を開拓する。
大村喜前、玖島(くしま)城を改築する。