
備後西国 第24番 高岑山 龍雲寺
広島県神石郡神石高原町相渡44平成27年(2015)10月 現在
応永の末頃(1420)須子山城主宮下野守政盛の開基。開山は相渡の出身で丹波国圓通寺竹馬光篤和尚のもとで修業をつんだ高徳の僧。慈伯道順禅師は 延徳3年(1491)に入寂、十世元峰代元和6年(1620)に完備された七堂伽藍を焼失、当時は伝法を慕いて参集する禅学徒が多かった。なを、女人禁制だったが、住職雲水在中の火災で門前の老婆が”本尊が焼けてしまうよりは女人でも”と本尊を運び出しこの時からから女人禁制を解いたといわれる。焼失70年後現堂宇は再建された。
(参考)芦田川文庫 原田太朗著「備後西国三十三カ所」










アクセス
23番札所千手寺からは、高速道路「中国道」に沿った県道23号を西へ国定公園帝釈峡(上帝釈)方向へ進むみ、その先で県道26号を南下する。分岐点から4kmほどで左手に小さな建物「土生板橋集会所」の50m程 先の細い道を右へ入ると、すぐにお寺は右上へ見えてきます。
この分かれ道からさらに600m程南下すると、道路のほとりに「備後西国第二十四番」 「高岑山 龍雲寺」と刻まれた大きな石柱が見える。ここからでもお寺へは行けますが北側からの道の方が道路は広いです。駐車場は参道を入った所へあります。