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『キネマ旬報増刊「戦後70年目の戦争映画特集」』を読んで | |||||
2015年 8月18日発行第1696号 通巻2510号<キネマ旬報社> | |||||
第1章「2015年夏」で取り上げられていた作品の当地で観られそうな作品は観終えて済んだので、観ることのできた作品の分だけ読んでみることにした。最も分量を割いている『日本のいちばん長い日』がやはり一番面白く興味深く読めたように思う。ほかに取り上げられていた作品は『野火』『沖縄 うりずんの雨』『この国の空』『アンブロークン』『母と暮せば』『杉原千畝 スギハラチウネ』だ。 第2章「日本の戦争映画」は、日本の戦争映画史として“日本映画は戦争の何を描いてきたのか”との標題の佐藤忠男の論考と“映画が描く戦争の真実”との標題の日本映画70選となっていた。前者では、いかにも映画人らしく伊丹万作の遺した『戦争責任者の問題』を想起させる「戦争中に民衆の中から殆ど反戦運動が起こらなかったことを、なにもかも警察や憲兵のせいにしないために。」(P94)との言葉で結んでいることに大いに感じ入るものがあった。 戦争映画史としては、「挙国一致のクライマックス」(P86)を上海事変としていることが目を惹いた。5本の映画が競作されてその全てが大ヒットになったとの爆弾三勇士事件と4本の映画が競作されて軍神と呼ばれた空閑少佐について、前者に関しては「日本兵の誰もがこういう行動ができるならば日本軍は無敵だという神話になり、これが太平洋戦争での特攻隊に大きく影響したことは疑いない」とし、「戦場で捕虜になり、捕虜交換で帰されてくると部下たちが大勢死んだ場所に行って自決した」との後者に関しては、捕虜になった際の身の処し方としての自決について「そうすれば国賊あつかいされるはずだった者が一転して軍神と仰がれることになる」という描き方をされたことが「太平洋戦争の末期に、多くの軍人や民間人が集団自殺するというかたちで実現した」ことに結びついていると見て、「一般に戦争末期の集団自決は東條英機の『戦陣訓』で捕虜になるなと書かれているためだとされているが、それを日本人が常識のように思うようになったのは空閑少佐ブームからだと思われる」と記していることが目を惹いた。映画人として、大衆装置たる映画の影響力の大きさを強く意識した歴史観が窺われるとともに、映画に関心を寄せる自分には共感する箇所の多い論考だった。 日本映画70選として作品解説とともに列挙された映画のうち、僕が観ているものは39作品で、そのうち映画日誌を綴っているものが23作品あった。<戦時中の映画>からは『戦ふ兵隊』『土と兵隊』、<日中戦争>からは『暁の脱走』『人間の條件』『戦争と人間』『日本鬼子』、<太平洋戦争>からは『大日本帝国』『野火』、<特別攻撃隊>からは『肉弾』『雲ながるる果てに』『ホタル』、<生体解剖事件>の『海と毒薬』、<戦時下の人々>からは『少年H』『美しい夏キリシマ』『紙屋悦子の青春』『小さいおうち』、<原子爆弾投下>からは『ひろしま』『黒い雨』『父と暮せば』『八月の狂詩曲』、<敗戦>の『日本のいちばん長い日』、<軍事裁判>からは『明日への遺言』、<戦災孤児、復員兵>からは『キクとイサム』である。 第3章「映画と戦争をめぐる10人のことば」では、存命する5名【降旗康男、山田太一、池谷薫、日向寺太郎、大林宣彦】へのインタビュー記事と物故者5名【黒木和雄、今井正、岡本喜八、木下惠介、新藤兼人】に係る“キネマ旬報アーカイブス”が掲載されていた。目に留まった言葉を抜書きしておこうと思う。 降旗康男からは「ただ忘れてはいけないのは、“戦争とは何だ?”と言えば、それは誰かが金を儲けるためにやるもんだと。そこにもう一度戻って、戦争というものを見なければいけない。そのことを抜かしたら、戦争の姿が無くなってしまう」(P133)。 山田太一からは「戦争の悲惨を他人事としてしか捉えられない人たちが、目先の経済と浅薄なプライドで『やってもいいんじゃないか』などとたかをくくるのがとても怖い…戦争は一度始まってしまったら、どうにもならない。…日常的にも、戦争に勝つということが第一目的になって来る。戦争だから非常時だからそれ以外の人生は二の次三の次になってくる。政府の方針に反対なんてできなくなる。小さな権力を持った嫌な奴が威張ったりする。その上、敵からの爆撃があってもお互いさまだから文句も言えない。…国家はなるべく対立しないように、戦争を互いにしないように、しないようにして、軍事力は増強でなく、むしろ減らして相手にも減らさせるということをしなくてはいけないと思う。綺麗ごとで国と国とは生きていけないんだと言われれば、それはそうかもわからないけれども、では、綺麗ごとじゃなくすればどう綺麗におさまるのか…」(P139)。 池谷薫からは「言いたいのは『戦争は人を殺すことだ』と。そして、『その覚悟を持てるのか』ということなんですよ。『自衛隊員が殺されるかもしれない』など、『殺される』論議が圧倒的に多いけど、『自衛隊員が人を殺すかもしれない』ということでもあるということが話されていないと思います…日本軍山西省残留問題の教訓は『国家は大きな嘘をつく』ということだったわけです。今、また、権力者が嘘をつき出して――今度はもっと小賢しい嘘ですけれど――それに対して黙っていられない、ということです」(P143)。 日向寺太郎からは「黒木さんが『美しい夏キリシマ』以降、戦争に関する映画を3本続けて撮られたのは、黒木さんの危機感からであったことは間違いないと思います。実際に、戦時中の空気に似てきている、とよく言っていました。いまじゃないんですよ。2000年代の初めに、ですよ。だから、もしいま、黒木さんが生きていたら、その時の危機感なんてものじゃなく、差し迫ったものを感じられたと思いますけれど」(P147)。 大林宣彦からは「戦争映画を1本挙げろと言われたら、僕は『肉弾』を挙げますね」(P151)。 そして、アーカイブスの黒木和雄からは「体験と想像力では、確かに体験するに越したことはない。しかし戦争を体験した人間がイコール反戦主義者ではないし、逆に戦争に対する見方は偏っている部分もあるんです。ですから戦争の本質を正確に知ることができるのは、若い世代だとも言える」(P159)。【05年8月下旬号】 今井正からは「とかく、社会が悪い、戦争が悪いという描き方が多くなされていますが、個人の問題の追求がなくて、ほんとうの戦争責任の問題は追求されないのではないでしょうか。 戦争はすでにすぎ去ったことであり、また自分は指導部にいたのではないから、自分の問題ではないし、考える必要もない、という考え方がいまの日本人のなかにあるのではないでしょうか。これではいつまでたってもほんとうの戦争責任の問題はうかびあがってこない」(P161)。【63年8月下旬号】 岡本喜八からは『肉弾』を想起させる「豊橋予備士ニ於ケル教育中ハ…困苦欠乏ニ耐エル為トイウ理由デ節食、タチマチ候補生ノ殆ドハ栄養失調トナリ、ソノウチ反芻ノ流行ヲ見ル。反芻トハ一度飲ミコンダ食物ヲ再ビ口中ニモドシ良ク噛ンデカラマタ飲ミ込ムコト、為念」(P162~P163)。【67年8月下旬号】 木下惠介からは「(『この子を残して』)原爆被災者の書いたものに、なるほどそうか、と思ったことがあってそれを大竹しのぶ君にしゃべらせているんですね。傷より火傷より、あの火の中を逃げ回りながら、自分の生命かわいさに倒れている人に手を貸すでもなく、水一杯あげるでもなく生きのびた人間が、自分の正体が分かって苦しむ。これが原爆の悲劇の一番のものだなと思いますね。冷たく言えば、人間は戦争になれば原爆でなくても死にますからね。だから、自分がどんな人間だったかを知り尽くしたら、怖いですね」(P168)。【83年9月下旬号】 新藤兼人からは「いい映画もありますけど、みな、原爆が落ちたことを受け入れ、いかに強く生きるか、いかに傷跡をなめるようにして平和な心で生きるか、を描いている。原爆がどのくらいの殺戮力を持っていて、落ちた瞬間、人間がどういうふうになって死んでいったのかは描いていない。…原爆が落とされた瞬間を誰も実際に見ていないから、のんきに…できるんだと思うんですよ。…僕は、人があまり観たくないようなカットを撮りたいんですよ。爆風で目が飛び出してしまった人が、子供の手を引いて歩いているとか、家が倒壊して家事になり、人がジリジリ焼け死んでいる様子、電車ごと焼かれて生きたまま白骨になってしまった事実……。いままでの想像も及ばない一つの真実を、そのまま再現したい」(P169~P170)。【05年8月下旬号】 第4章「外国映画の視点」では、中国映画の描いた日中戦争やアメリカ映画の描いた太平洋戦争についての論考が、数々の作品紹介を通じて掲載されていたが、非常に示唆に富んでいたのは、僕も観ている『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を撮ったオリヴァー・ストーンとピーター・カズニックの2年前の来日記者会見完全採録(P194~P201)だった。その「来日の意義は、敢えて自国による加害の歴史に目を向けたドキュメンタリーの映像と本を出して、国内でナショナリストから批判を浴びることもあった二人が、日本に対しても自国の負の歴史を直視しなければいけない、と訴えたことである」(P191)と記されている。 採録では「2013年の今、日本のメディアの前で、こう言いたい。あなた方は、まるでアメリカ人のようだ。あなた達は、自分たちの歴史を知らないのだ、と。語られてこなかったし、学べもしなかった。ドイツ人は、少なくとも再教育を受けています。何が起こっていたのか理解しています。日本人には、ほとんどの人に、その知識が無いのです」と述べるオリヴァーを受けてピーターが「私たちは二つの問題に直面しています。一つは、歴史に対する忘却、もしくは知識の欠如。もう一つは、アメリカ人が間違った歴史の知識を持っているということです」と述べ、特に後者について、事実とは異なる三つの“第二次世界大戦に関する基本的な神話”として、アメリカのヨーロッパでの戦いにおける勝利、原爆投下の必要性、第二次世界大戦の終り=東西冷戦の始まり、の三つを挙げていた。 質疑応答で目を惹いたのは、アメリカと日本の関係について、ピーターが日本を“(アメリカ)帝国を拡大するためのジュニアパートナー”として同盟国扱いをしてきたにすぎないとしたうえで、「日本は、おびえる子供のようにアメリカの核の傘下にいます。独立して真実のために立ち上がらなくてはいけません。平和的に解決するのです。今はまるで弟が喧嘩をしかけて、後に従えた兄がその後始末をしている状態です。私たちは、日本が更に平和な世界を築くところを見たいのです。日本には平和憲法があるのです。核の傘ではなく。」と述べていることだった。また、興味深い点として、日本が中国の都市を爆撃したことが、東京裁判で問題にされなかったことを取り上げ、それは日本がアメリカに原爆を落とされたからだとしていたことも目を惹いた。 そして、福島原発事故について問われ、「私の意見では、ドワイト・D・アイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」プログラムが発端」と明言してもいた。 日本国政府が実にアメリカの言いなりだというのは、もちろん今に始まったことではないが、リバランスを求めるアメリカに応えて軍事に注力する現政権に忌々しさを覚えつつも、単に言いなりということでもない利権欲が働いている納得感が、好もしからざるものではありながらも、得心できることとしてあった。それとは逆に、好もしいことではありながらも唖然とさせられたのが、年末の“慰安婦問題における日韓の歴史的合意決着”だった。あれだけ強硬姿勢だったのに、アメリカが望み仲介に入れば、本当に言いなりになって手の平を返すのを目の当たりにして、改憲もアメリカの要請によるものに違いないと改めて確信した。 | |||||
by ヤマ '15.12.30. キネマ旬報社 | |||||
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