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『暁の脱走』('50) | |||||
監督 谷口千吉
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県立文学館と小夏の映画会が共同主催で行う“日本文学原作の映画上映会”の第三弾は、田村泰次郎の『春婦傳』を原作とする『暁の脱走』であった。4月、6月、8月と回を重ねるごとに集客が増えてきて、今回は遂に定員をオーバーし、立ち見や帰ってもらう客が出たようだ。昭和25年のフィルムで画質も音声も充分なものではないけれど、年配者を中心にこれだけの人が集まるというのは、いかにこういう古い作品を観る機会に日頃恵まれていないかを示しているようでもある。 中国人、李香蘭の名で満映のスターとなり、敗戦時、中国側に対日協力者として裁かれそうになりつつも、日本人であることが証明されて帰国し、戦後はハリウッドに渡ったり、国会議員を務めたりもして、数奇な人生を歩み、その生涯がミュージカル作品にもなったりしている山口淑子の存在は前から知っていたが、『支那の夜』を始め、出演作を一度も観たことがなかったので、楽しみにしていた。このとき三十歳くらいの山口淑子は、気丈さを湛えた美貌が、やはりちょっと日本人離れをしている感じだ。さすがの中国語の流暢さには今更ながら驚かされた。 脚本に黒澤明が名を連ねていることも目を引いた。黒澤作品というと専ら男性映画のイメージがあって、女性は添え物であったり、先年、遺稿が映画化された『雨あがる』がそうであったように、ジェンダー的視点からは、意義申し立てを招きそうな女性観が見え隠れするのが常で、こんなふうに女性が強烈な存在感を残す作品を手掛けていることに驚いた。この物語は、いわば、嫌な将校に言い寄られた慰問団の歌手が将校の部下の目の涼しさに惚れ込んで、純情生真面目な彼の人生を狂わせ、ともに死に至る話でもあり、春美(山口淑子)に迫られなければ、三上上等兵(池辺 良)には、あの蜜の一夜もなかったろうけれども、逆上した副官(小沢栄[太郎]) に機銃掃射されることにはならなかったろう。そんな強烈な女性が黒澤の脚本に登場しているのは興味深い。もっともGHQのもとで民間情報教育局の検閲を十数回も受けたようだから、随分改変が施されているのだろう。中国側の将校の描き方などには色濃くその痕跡が窺われるような気がした。その一方で「♪ツ~ツ~レロレロ、ツ~レ~ロ~♪」と、明日をも知れぬ不安を誤魔化すように酒場で乱痴気酔いをしている兵士群を描いた場面の運びには、黒澤らしい雄弁さを感じた。 実際、観終えて強く印象に残るのは、春美と三上の恋の激しさというよりは、日本の軍隊文化の非人間性であり、権力を持つ日本人の横暴で愚劣な卑劣さと裏腹の関係にある、服従する部下の臆病さと愚直な自虐性である。結局、面子を汚されたと憤る将校の私怨で殺されながら、戦病死の扱いで処理された文書を大きく映し出して映画は終わる。今に至るまで飽くことなく繰り返されている日本の組織の隠蔽体質と権力構造における人間関係の陰湿さが印象深い。 その点では、卑劣窮まりない副官を演じた小沢栄[太郎]の好演が光る。捕虜の身から解放され、春美とともに帰隊した三上の報告書を作成するうえで、汚名の総てを部下に押し付ける根回しを将校同士で交わしている場面での下びた表情や自分の軍靴を部下に脱がせて水虫の薬をつけさせているときの尊大な表情など、憎々しいことこのうえない。この作品は、昭和25年のキネ旬ベストテンの邦画部門第3位に選出されたようだが、GHQから観ても満足のいく作品だったのではなかろうか。その功の多くを彼が果たしていたような気がする。 | |||||
by ヤマ '02. 8.24. 県立文学館 | |||||
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