『紙屋悦子の青春』
監督 黒木和雄


 拙著刊行に際して帯文に「四国は高知にあってひたむきに映画を愛する人から発信されたシネマ祈祷書といえる。芸術としての映画、娯楽としての映画の豊饒の森に踏みこみ、映画の一樹一樹と親しく敬虔に対話することで、著者はつくり手とうけ手との回路を生々と再生[ルネサンス]したいと願う。二十年にわたる自主上映の困難で貴重な体験を検証するこの人ならではの真摯な語りくちは、映画の回路としての地方の現場を共有したい熱い思いに私たちを駆きたててくれる。」との過分の推薦文を寄せてくださった黒木和雄監督の遺作を観た。

 長回しのゆったりしたテンポで会話がじっくりと捉えられている場面が重ねられることで、次第にその美しさが沁み渡ってくる作品だった。ときにしみじみと、ときにユーモラスに、ときにこわばりを漂わせて交わされる会話のなかで、いつしか浮かび上がってくる“慎ましさ”という美徳に感慨が誘われるような作品だ。今や放縦と強欲が最早それとも意識されない当然さでもって前提とされるに至っている現代日本の潮流からすると、遡ること六十年では済まない遠い時代のようにさえある。

 明石少尉(松岡俊介)の遺志という補強があってのことのようにも感じられたのだが、その美徳を失わずに生きてきたと思しき永与夫妻(永瀬正敏・原田知世)が、その慎ましさでもって語る「戦争だけは二度といやだ」との言葉の重みを忘れてはならないということだろう。

 それとともに僕の心に残ったのは、人の“人に寄せる想いの強さ”のようなものだった。なかんずく友情なるものの濃密さについては、今や人への距離感の持ちように悩むのが当たり前のこととなっている現代からは考えにくいような、手放しでの信頼感が漂っていたように感じる。夫安忠(小林薫)に拗ねられ、「冗談よ」と言葉を継いだ紙屋ふさ(本上まなみ)が言った、仲良しの悦子(原田知世)と姉妹になりたかったから悦子の兄と結婚したのだという言葉や、死に向かうしかない運命の定められている航空兵だからということで、自分が想いを寄せ、相手からの想いの手応えも得ている女性を、己が信頼する友人に嫁がせようとする明石少尉の感覚に対しては、感銘を受けることはあっても実感として共感を覚えられる現代人は、極めて少ないのではないかという気がする。明石少尉が悦子に対して臨む姿勢の“慎ましさ”には、その明石の心を汲み取ることで自身の想いを抑えて応える悦子の“慎ましさ”と相俟ってストイックな美しさと哀しみが漂っていたのだが、悦子の決心が、単に明石の意思に応えるためだけではなくて、実際に永与少尉(永瀬正敏)に心惹かれたからであるとの様子がよく伝わってきたのが気に入った。明石の意のままに従うというのではなく、きちんと自らの意思として永与少尉に好感を覚えていなくては、妙に気持ちの悪い話になりかねない。悦子は、永与少尉の実直そうな人柄と食べっぷりのよさに惚れたんだというふうに感じた。旨そうに食べる男の姿を殊のほか好む女性は存外多いような気がするのだが、永瀬正敏の食べっぷりが妙に気持ちよく、それを眺める原田知世の視線と笑顔が素敵だった。

 ささやかな喜びを歓びとして、とても巧みに掬い取る知恵を人々が備えていた時代の話であることが、彼らの宿している慎ましさとともにしみじみと伝わってくる。過剰な刺激と有り余る物量に慣れることで鈍麻し、知恵を失っている現代人には少々眩しいくらいだ。かと言って、あの時代のほうが良かったなどとは到底言うことのできない時代であったことを冒頭の老いた永与夫妻の会話が厳然と示していたのだが、これは何も戦時に限らず、昨今流行の“昭和レトロ”についても言えることのような気がしてならない。今の時代がよくないからと言って、昔がよかったわけではない。懐古に耽るよりも今の時代における対処のほうに目を向けなければ、いつの時代においてもそうであるように、多数者にツケを回して利得を貪っている一部の者がほくそ笑んでいる状況がいつまで経っても変わらないということになるわけだ。

 それどころか、懐古的退行が度を過ぎて阿片中毒的恍惚に浸る状況を呈するようになれば、一部の利得者たちは、高度成長前の貧しかった昭和の時代の日本は“美しい国”だったと刷り込みながら、ますます嵩に掛かって、庶民に貧乏や窮乏生活を押しつけて来かねない。“昭和レトロ”ブームには、そういう阿片中毒的な危うさが潜んでいるような気がしている。




推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20060908
by ヤマ

'07. 4.26. 高知市文化プラザかるぽーと大ホール



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>