『八月の狂詩曲』
監督 黒澤 明


 前作、の説教臭さにいささか参っていたので、あまり期待せずに観た。案の定、わざとらしさと説教臭さがちらちらして気になる。例えば、子どもたちの手放しの素直さ・良い子ぶり、彼らが長崎市内を回るときの原爆についての説明、溶けたジャングルジムに供養に集まる罹災者たちとその場に居合せるクラークのタイミング、etc。しかし、それらは総てラストの嵐のなかを歩くお祖母ちゃんと彼女を追い、懸命に駆ける孫・子の姿の美しさで許されてしまう。その美しく、神々しい映像の前には、あらゆる文句や不満は沈黙を余儀なくされるほどに素晴らしい。

 全編に渡る数多くの細かな傷を補って余りある一編の映像ゆえに傑作となる作品も稀には存在するものなのである。しかも、もうこれ以上何を撮っても蛇足としかならない映像のピークに達した部分ですぱっと終わる潔さ。その思いが見事に一致したとき、観客は作り手の感情への深い共感に包まれる。すなわち、黒沢明が年老いて残りわずかと目される生のなかで、言い残しておきたい、伝えておきたいと考えていることへの思いの深さがひしひしと伝わってきて、その中身や言い方以上にそのことに打たれるのである。この場面が、孫たちが追いつき、纏わりつくところまで引き伸ばされたら、そうはいかない。まして、そのとき一体となった彼らの周囲をカメラが回りながら凝視し続けたりなどしたら、ぶち壊しなのである。

 そして、すぱっと終わる潔さのもたらす一致と共感ゆえに、それまで説明されなかったことがここで一気に氷解する。お祖母ちゃんに錫二郎という兄さんの記憶は最初からあったのだ。けれども、ハワイの大富豪の縁者であるかもしれないことに狂喜し、見え透いた打算と卑屈さに恥じることなく得意満面の息子と娘の有様に、アメリカを決して好きにはなれないが、もはや憎いとも思わなくなっているお祖母ちゃんは、本当は兄さんに会いに行きたいのに、行くことができなかったに違いない。息子たちの情けなくいじましい姿には、原爆を落されながら、落したアメリカに媚びへつらって経済大国となった今の日本のなりふり構わぬ拝金主義や矜持を失った姿がそのまま投影される。そういうお祖母ちゃんの心を汲み、解きほぐしたのは、夏休み一緒に暮し、お祖母ちゃんの昔話に耳を傾け、長崎の街を歩くなかで原爆のことも少しづつ知り始めた孫たちだったのである。息子たちのような厚顔無恥な打算からではなく、無邪気にハワイでの夏休みを期待してお祖母ちゃんにハワイへ行かせようとしていた孫たちが「お祖母ちゃんは絶対に行かないよ。アメリカは、原爆を落してお祖父ちゃんを殺した国だもの。」というのを聞いてやっと行けるという気になったのであろう。そこへ訪れた甥クラーク。彼との交流のなかでアメリカ人として育った彼のほうが日本人の息子や娘よりも遥かに自分の思いを理解してくれることを知ったとき、お祖母ちゃんはハワイ行きに頑なだったことを少し悔い、行くことにしてよかったと思ったに違いない。しかし、それが遅きに失し、間に合わせようとすればできたはずの兄の死に、そうはしなかったのは自分のせいだという思いは、彼が終生消せなかった望郷の念や敗戦国日本の一世としてアメリカで生き抜くことの辛酸を、あの戦中戦後の時代を共に生きただけに解り過ぎるほどに解るお祖母ちゃんなればこそ、彼女を痴呆の世界へといざなうほどのものだったのであろう。

 それら総てのことを無言の内に、嵐のなかを歩く姿で語り切った村瀬幸子の演技とそれを余すところなくフィルムに焼き付けた黒沢の思いの深さは、観る者の涙を誘わずにはおかない。嵐のなかを風に向かって歩く姿には、鉦婆さんの生きて来た力の総てが凝縮されている。それゆえにそれまでの多少の不満や難点は一切許されるのである。そして、その背後には、歴史をきちんと伝えられないままに昭和の時代を閉じた日本人への断腸の思いが綴られている。「黒沢、老いたり」とは、もう言うまい。

by ヤマ

'91. 4.24. 高知東映



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