『明日への遺言』
監督 小泉堯史


 この映画に描かれた元東海軍司令官 岡田資中将(藤田まこと)が、敗戦後の戦犯裁判の横浜法廷で、あのように誇り高く恬淡とした姿を貫き、有罪による絞首刑判決を導き出したバーネット主任検察官(フレッド・マックィーン)をも含む幾多の人々からの助命嘆願書の提出を受けるに至ったことについては、もちろん岡田氏自身の人格に負うところが大きいにしても、真摯な姿勢で被告側に立って弁護人としての職責を全うしようとしていたフェザーストン主任弁護人(ロバ−ト・レッサー)による弁護活動が非常に大きく作用しているように感じた。法廷闘争に“法戦”と自ら命名し、ジュネーブ条約において保護されるべきものとされた“捕虜”の虐殺ではなくて、非戦闘員たる民間人の大量虐殺である無差別爆撃を遂行した“戦争犯罪人”の処罰であることを主張していた岡田の胸中に当初あったのは、戦勝国側の行う裁判なれば、もとより自身の有罪判決は覚悟の上なれど、己が下した判断にも処罰にも非はないとの確信であったような気がするのだが、自身が被告席に座って受けた裁判のなかで守られ獲得したものの掛け替えのなさを実感として味わうことで、当時の状況下ではやむを得なかったと主張していた軍律による略式手続きにて処罰をし、裁判を受けさせなかったことや処刑法まで命じたわけではないにしても、斬首によって処罰したことへの悔悟を得ているようにも見受けられたところに、味わいがあった。
 つまり、単に岡田を讃え、彼の誇り高く品格を失わない姿が連合国側の弁護人を始め、裁判官、検事をも感化し、他の戦犯裁判に類を見ない法廷劇が展開されたという描き方をしている作品ではないと映ってきたところに、作り手の見識と志が窺えるように感じられたということだ。映画の始まりにおいて、各国の行った無差別爆撃を枢軸国側のも連合国側のも等しく映し出し、日本軍が行った南京空爆についてもきちんと描出していた。
 そして、最初に僕の目を引いたのは、斬首についての岡田の抗弁だった。裁判の始めのほうで、処刑法の残酷さを検察官から責められた際に、「わが国では斬首も切腹とともに武士の習わしによる名誉ある死であって、軍律に定める銃殺に劣るものではない」というような証言をしていたが、切腹の際の介錯と処罰の際の斬首が全く異なるものであって、同じ死を命じられるにしても、名誉を保って自ら手を下すことが許された切腹と拘束をされたままでの斬首とでは雲泥の差があることを岡田中将が知らぬはずはなく、たとえその詭弁が処刑の直接遂行者である部下を守るためのものであったとしても、この時期の岡田には“己が下した判断にも処罰にも非はないとの確信”に揺るぎがないからこそできた強弁だったような気がする。それが、“法戦”の果てに遂には裁判委員長 ラップ大佐(リチャード・ニール)から、「米軍軍規には不当な財産侵害及び生命剥奪に対する“報復”ならば罪を問われない規定があることを貴官なら承知のことと思うが、貴官が命じたのは“処罰”ではなく“報復”だったのではないか。」といった免罪の誘導を引き出すに至りながらも、「わが軍律にそのような規定はなく、私の判断としても、あれは“処罰”であって断じて“報復”などではない。」と突き返してしまうようになったのは、その時点で、岡田が自らの選択として有罪と死刑を求めていたからではないかという気がした。
 ラップ大佐のロジックとしては、敗戦国日本の軍律に略式手続きによる処刑規定があったとしても、それ自体が不当であって、裁判を略して軍司令官が法的処罰を下す正当性を認めるわけにはいかないが、法的処罰ではなく、報復なれば米軍軍規に認められているように、軍司令官がその判断をすることが直ちに違法とはならないということなのだろう。だが、岡田は、おそらくはその意味するところを十分察知しながらも、それに応えなかった。法廷闘争を“法戦”と命名するならば、無罪もしくは減刑を勝ち取ることこそが勝利であるにもかかわらず、そうはしなかったわけで、僕は、その時点では既に岡田にとって、この法廷闘争が“法戦”ではなくなっている気がしたのだが、映画では僕が推察したようには描いてなかった感じがする。そのようなものを演出的には窺わせつつも、物語としては、岡田が自らの判断への悔悟により自身の選択として有罪と死刑を求めていたからというよりは、自分が死刑を免れてしまっては“法戦”において主張していた抗弁が部下を守り自身の名誉を守るためのものではなく、己の助命のためのものになってしまう不名誉を避けなければ、“法戦”に勝利することにはならないという信念から、ラップ大佐の誘導に乗らなかったというふうに多くの観客が受け取りやすく描いていたような気がした。あるいは、帝国軍人の誇りとして、減刑の可能性が見出せるからといって、日本軍の軍律を否定して米軍軍規に身を委ねるわけにはいかないとの思いがあるようにも描いていた気がする。しかし、それでは、いささか情緒的で浅薄なヒロイズムによって、彼が多くの人々の願いに反して、ナルシスティックに己が思い込む誇りと名誉に殉じていったことになってしまい、僕としては不満が残る。
 論理的で明晰な岡田なれば、“法戦”と名付けたロジックの闘いにおける勝敗は、当然ながらロジカルに判決によって示されるべきものだと考えていたように思う。そのうえで、彼が有罪へと向かう道を選んだのは、もはや“法戦”として挑む意思を喪失していたからであり、その喪失が、戦勝国側の開いた法廷において誇りと名誉の損なわれない扱いを受け、欺瞞と保身に満ちた武藤調書なるものをまとめた同胞少将らからの審問監察とまるで異なる、畏敬と感謝を払うに足る裁判過程を得られたことの掛け替えのなさが身に沁みたことから来ていたように思うわけだ。たとえ軍律に略式規定があろうとも「当時の状況下ではやむを得なかった」などとして、略すべきものでは決してないのが、裁判という“双方の言い分を聴き吟味したうえで決する”という、人間の叡智と品格が生み出した手続きであることを、岡田は横浜法廷で身を以て学んだような気がする。従って彼は、裁判を略した自分を自ら有罪としたような気がしてならない。
 僕としては、そのように受け止めるほうが岡田中将の誇りと品格がより鮮やかなものとして映ってくるから、折角そのようなものを窺わせながら、その部分を浮かび上がらせることなく、情緒的なヒロイズムに流していたことに不満を覚えたわけだ。
 そして、僕がそのような岡田像を受け止めたのは、だから、演出からというより、藤田まことが醸し出していた存在感からだったような気もする。
by ヤマ

'08. 3.16. TOHOシネマズ5



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