市川崑監督特集(平成27年度優秀映画観賞推進事業)

『おとうと』
銀残し復元版
1960年/大映/98分
『野火』 1959年/大映/104分
『東京オリンピック』 1965年/東京オリンピック映画協会・東宝/169分
『おはん』 1984年/東宝/112分

 午前11時から午後7時30分までの長丁場だった。記録映画の『東京オリンピック』を除いた劇映画の3作品は、どれも原作小説の映画化作品だったが、いずれも観後感というか後味のよくないものばかりで、それぞれ観応えはあったものの、少々気が滅入った。

 最初に観た『おとうと』は、山田監督の同名作品に確か「市川監督に捧げる」というようなクレジットが出てきた気がしていたから、紐で繋ぐ付き添い看護の場面以外には、むしろ違いのほうが際立つように感じられることに驚いた。幸田文の原作とクレジットされていたが、幸田家をモデルに描いたものであることがそのまま伝わってくる映画化作品で、裏「寅さん」のような山田版『おとうと』とは、随分と趣が異なっていた。
 継母(田中絹代)にも父親(森雅之)にも蟠りのある娘げん(岸恵子)の困った弟(川口浩)に寄せる思いは伝わってきたが、山田作品とは違って十代で亡くなってしまう若者と、彼に対してきちんと向き合って看取るのが姉だけしかいない家族の物語を観ても、あまりいい気持にはならない。継母に対して以上に、家長としての役割を回避して仕事に逃げている父親だと幸田露伴を観ていたと思しき娘からのルサンチマンのような作品だった気がする。

 続いて映写された『野火』は、当然ながら『おとうと』以上に救いのない南方戦線譚で、原作の大岡昇平の意図したであろうものがよく描かれている作品だと思った。三か月前に塚本晋也監督による映画化作品['14]を観た際に、昭和の時代ではなく今の御時勢に製作されたことにインパクトがあると思ったが、厳しい製作費が透けて見えていたことに比べて、出演者数も多く、画面の充実度においても、半世紀以上前の本作のほうが上回っているように感じた。
 やはり戦争を知っている時代の役者と戦後生まれの役者との差というものが最も大きな違いだったように思う。とはいえ、生死そのものを弾薬の如き“消耗品”として扱われるのが伍長以下の兵卒なのだという無惨さがよく描かれている点は、両作に共通しているように感じた。

 記録映画の『東京オリンピック』も今回初めて観たが、第1回のアテネ大会からの開催地名とショートコメントを織り交ぜるオープニングのなかで、戦後間もなくは出場自体を拒まれた日本が東洋初の五輪開催にまで持ってきた戦後復興の象徴としての誇りと喜びを謳歌する国民的祭典となっていたことがよく伝わってきた。国家的イベントではなく国民的祭典として映るところが肝要であり、そこに国際社会への復帰と平和の祭典を祝う心情が描かれており、決してナショナリズムとか国威高揚を煽ったりする場ではないことへの信頼が宿っていて気持ちがよかった。
 オリンピックのプロ化や商業化が始まったのはいつからだったろう。プロ選手が出場できないアマチュアリズムを軸に商業主義を拒んでいた時代が五輪にあったことを知るなり覚えている者のほうが既に少なくなっているのではないかと思われる今、本作を観ると湧いてくる感慨には少なからぬものがあった。当時わずか六歳だった僕の家にはテレビもまだなかった気がするから、視覚的には直に覚えのないものが多かったのは当然なのだが、テレビがあったとしても観ることはできなかっただろうと思われる場面がふんだんにあって興味深かった。
 それにしても、少し覚えのあるチャフラフスカの体操は、実に美しく魅力的で、官能的ですらあった。現在のアクロバティックな体操と同じ競技だとは思えない気がした。また、久しぶりに円谷幸吉の姿を観て、ピンク・ピクルスの♪一人の道♪を思い出した。

 他の3作品からは二十年ほど後のものとなる劇映画『おはん』は、宇野千代の原作で公開当時に観たような記憶があるものの手元の控えに記録がなくて驚いた。石坂浩二の演じた色男のろくでなしぶりが何だか不愉快で仕方がなかった覚えがあったが、三十年前の若い時分と違って、いま観直すとどう映って来るのかが興味深かった作品だ。
 やはり、四十歳前の吉永小百合の演じるおはんと一歳下の大原麗子の演じるおかよという最も熟した盛りの美女からあられもなく肉欲を吐露され恋焦がれられて、ぬらぬらと二股かけている幸吉のキャラクターに、優男以外の何らの魅力もないように思えることが腹立たしかったのは、実に無理からぬとの想いが湧いて苦笑した。だが、当時は余り感じ取れなかったのではないかと思える“女の哀れ”が伝わってきて、若いときに感じたほどの愚かさを彼女たちに覚えなかったことが意外だった。
 また、痴情に耽ることの罰当たりを自覚させる顛末として、七歳の悟(長谷川歩)の水死を設えた物語の容赦なさをしんどく感じるようになっているのは、ちょうど来年、小学生になる孫息子を僕が持つようになっているからなのかもしれないとも思った。

by ヤマ

'15.11.15. あたご劇場



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