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『小さいおうち』 | |||||
監督 山田洋次 | |||||
一年前の『東京家族』を観たときに出て来たバージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』について、映画日誌に「都会と田舎の対照を都会化という時間軸をも見事に取り込んで描いた名作で、まさしく本作にぴったりの小道具だ」と綴っていたら、まさしくその名の山田作品が公開された。よほど好きなんだなと思ったが、どうやら原作小説があるようだ。原作者も多分この絵本がお気に入りなのだろう。 その「小さいおうち」を描いた絵は、どういう経緯でタキ(倍賞千恵子)の部屋に飾られることになっていたのだろう。2009年3月に没後20周年という回顧展が開かれていた板倉正治(吉岡秀隆)が描いたと思われる絵なのだが、タキの部屋の絵は板倉がいつ描いた作品なのかも気になった。板倉正治記念館の学芸員とおぼしき女性の話では、所蔵作品として残っている赤煉瓦の平井家の絵を彼が描いたのは1965年で、戦後20年たってからの事だったらしい。その年の板倉に何があったのだろう。そして、タキと板倉が終生独身を続け、遺族の目にも留まらない遺品として捨てられる「赤煉瓦のおうちの絵」をタキが寝所に飾り続けていたのは何故なのか。 封印したままの封筒が遺品箱から出てきたときに、そういうことだったのか、と思った。平井家を守り、奥様を守ることを口実に、己が想いとして二人の逢瀬を観るのがつらくて、時子(松たか子)の恋情を邪魔立てする悪意を働かせた自責の念がタキ(黒木華)を終生、頑なにさせたのだろうと思った。 戦争で犠牲になっていった者の存在が同時代に生きながら生き遺った者をさまざまに縛る姿を『父と暮せば』に限らず数多の作品で観ているけれども、こういう形はあまり覚えがないものの、なるほどと切なくなった。さすれば、2006年ないしは8年ごろと思しき、「長く生き過ぎた」とのタキの号泣は何事があってのことだったのだろうか。昭和10年に尋常小学校を出て東京に女中奉公に出たとのことだから、タキは大正生まれのようだが、二十歳過ぎで敗戦を迎えた世代というのは、ある意味、最も過酷な世代のような気がしてならない。 非常に興味深かったのが、昭和モダン生まれの山田監督が戦前の日本を実に明るく描いていたことだ。まさか対米開戦はあるまいと高を括って、東京五輪開催を楽しみにし、戦時を我が事とせずに景気の先行きばかり気にしている企業人の姿が映し出される。これにより、ますます今の日本の状況と被って映ってきていたわけだが、このほうが史実に近いはずだ。ABCD包囲網による物資の窮乏が始まったのは対米戦争開始前一年余りの昭和15年頃であることが、金属製の玩具が作れなくなって木製に切り替える様子に描かれていたが、それでもなお、平井家では紅茶をたしなんでいたし、まだまだ多少は余裕のある様子が描かれていた。大叔母タキのそういう自叙伝に対して、平成育ちの健史(妻夫木聡)が当時の状況は違っていたはずだと“史実”を教えようとするたびにタキが異議を唱えていた姿には、拵え物世界と言うほかない『永遠のゼロ』を撮った戦後生まれの山崎貴や百田尚樹が知らない時代を知る者として、リベラル派であれ自由主義歴史観派であれ、ファシズムに覆われ貧しく暗かった戦前だとか旧弊と共に美しき伝統の破壊された戦後だとかいった検証なき乱暴な思い込みによる歴史観が横行していることへの山田監督からの異議申し立てが託されているような気がした。 その一方で、例えば本作で言うなら、時子の倫ならぬ恋に対してタキが帯紐の位置や以後の洋装訪問から想像したような肉体関係が実際にあったのか否かには、南京で大量に殺された中国人民の数や当時の新聞に報じられた百人斬りの実人数と同様に、細密に検証すべきほどの重大な事実的価値はなく、大事なのは、当時、不本意な選択を強いられたり、不本意とも気づかぬまま、あるいは不本意どころか率先して、取り返しのつかない悲劇に向かって行った歴史的事実を正視して、二度と繰り返さないようにする意志のほうだと言っているように思われた。 僕は原作小説を読んでいないし、原作と映画化作品は別物と考えているから、参照して興味を深めることはあっても、その差異自体に是非を投影することはない。未読の原作において、タキの遺品に板倉の描いた絵があったかどうかは知らずにいるが、敢えて原作に当たって確かめるまでもなく、勝手に二つの仮説を立てている。一つは、戦時も末期になり、もう女中を雇ってもいられない時勢になってタキが山形に返された際に、平井常務(片岡孝太郎)が板倉から貰っていた絵を、時子が平井家の思い出の品としてタキに持たせ、以降、大事にしてきたというもので、もう一つは、戦後20年たった頃にタキと板倉が奇しくも再会し、タキが板倉に求めて描いてもらったもので、そのとき板倉から申し込まれた結婚をタキが拒んだ経緯があったのではないかというものだ。そして、僕は主に後者の仮説に立った解釈を本作の物語に対して抱いている。 平井から奴ほど兵隊が似合わない男はいないと評される板倉を、いかにも芸術家風で勇ましい話が嫌いで音楽が好きで「板倉さんって、いいでしょう?」などとタキに向かって褒めそやしていた時子と同じように、タキもまた板倉に恋情を寄せつつ、自分などお呼びではないと自制していたのではないかという気がしてならないのだ。だからこそ、自分だけ帰された後に戻った時子の帯紐の位置が訪ねたときと反対になっているなどと思ったり、その後の洋装での訪問を怪しんだりしているように感じられた。嵐の夜に時子のほうから板倉に唇を合わせた場面にタキはいなかったが、それが彼女の実際に目撃したことなのか想像なのか、タキの自叙伝でどのように書かれていたかは知る由もない。自ら不意に口づける積極さがあれば、下宿屋の二階での交情だってあり得なくはないが、いくら何でも、もう少し場所を選びそうな気がしないでもなく、タキの妄想のように思えて仕方がない。 タキにかような恋情があったからの邪魔立てなればこそ、生き残った板倉にも会うことなく空襲で焼け死んだ時子に対する自責と悔恨に終生縛られ、頑なになったような気がする。「小さいおうち」の絵を大切にしつつ、終生、独身を通し、せっかく板倉に再会して結婚を申し込まれたとしても、応えるわけにはいかない理由は、そこにあったのではなかろうか。 参照テクスト:中島京子 著 『小さいおうち』(文藝春秋 単行本)読書感想 推薦テクスト:「田舎者の映画的生活」より http://blog.goo.ne.jp/rainbow2408/e/4cace65fb755a048f6733a3a53d95ca6 | |||||
by ヤマ '14. 2. 2. TOHOシネマズ3 | |||||
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