『戦争と人間 第一部・運命の序曲』['70]
監督 山本薩夫


 高知市/高知市教育委員会/平成27年度「高知市平和の日」記念事業実行委員会が主催のイベント「戦後70年 平和と憲法を考える」のなかの平和祈念上映会(一般向け)で、約四十年ぶりに観て、当時は気づかなかったと思われるいろいろな触発があって実に面白かった。

 浅丘ルリ子にも松原智恵子にもベッドシーンがあったけれど、二人の高橋が英樹、幸治それぞれ掌で腕できっちりバストトップを隠していた一方、三人目の高橋たる悦史がいきなりはだけた栗原小巻の胸は部分カットのボディダブルで、芦田伸介と浴場でじゃれ合っていた岸田今日子もトップを覗かせたときは別人っぽかった、などということも面白かったのだけれども、最も驚いたのは、郷土のプロレタリア詩人たる槇村浩の代表作の一つである「間島パルチザンの歌」を思い起こさせる満州の朝鮮人による反日武装暴動を描き出していたばかりか、槇村の詩において一九一九年三月一日を忘れようぞ! その日 「大韓独立万歳!」の声は全土をゆるがし 踏み躙られた日章旗に代へて 母国の旗は家々の戸ごとに翻った「土佐プロレタリア詩集」P74)と記された万歳事件をも描き出していたことと、昨年観たばかりで記憶にも新しいセデック・バレに描かれていた台湾での霧社事件を取り上げていたことだった。

 そして、霧社事件の調査に派遣された柘植中尉(高橋英樹)は、軍に批判的な報告をしたことで東京から金沢に左遷されたらしい様子が描かれ、朝鮮人による反日武装暴動では、満州伍代公司の幹部社員ながら不戦派と思しき高畠(高橋幸治)の妻 素子(松原智恵子)に、満州人あるいは朝鮮人によって凌辱された果ての自死と思しき顛末が課せられていた。

 第一部の本作では、共産党員の全国一斉大検挙を行った三・一五事件や済南事件、張作霖爆死事件を起こしたり、治安維持法改正を緊急勅令で行った昭和三年から、関東軍が仕掛けた柳条溝の満鉄線爆破による満州事変を経た昭和七年の上海事変までが描かれていた。血盟団事件や中村大尉事件のことも含めて、本作に現れた事件は、伍代財閥の存在を除いて全て、僕の手元に残っている「現代用語の基礎知識 一九七九年版」の付録「読める年表 昭和53年間・知っておきたい100の事件史」にも掲載されていることばかりで、その記述内容にしても大きくは変わらないのだが、今の御時勢だと到底かなえられないことのように感じた。

 歴史的には軍部の暴走と言われていることながらも、本作では、満州現地で関東軍を腰抜け呼ばわりし煽り立てる国士気取りの一般人や青年団の姿を描き、その関東軍を戦争に向かわせていたのは軍部よりも何よりも、戦争で儲けを企む財閥であることを描くことで、戦争というものの本質を炙り出していたように思う。

 伍代財閥当主の幼い次男 俊介(中村勘九郎)が、素朴な疑問として、日本と戦争しているわけではないのに、なぜ関東軍が攻撃しないといけないのか問う場面で、蒋介石の北伐や張作霖の暴走で済南の日本人の生命・財産が危機に晒されるから、防衛のために必要なのだという説明がされていて、現政権の言う「防衛」との余りにもの符合にいささか恐れ入った。

 最も心に残ったのは、三・一五事件で検挙され転向させられた標拓郎(伊藤孝雄)が徴兵されて二年経た後、上海に向けて出征する前の夜に弟の耕平(吉田次昭)に言った「いいか、人でも思想でも簡単に信用するんじゃないぞ。分かりは遅いほうがいい。威勢のいいことを言う者が、本当は何を考えているかよく観察しろ。上に立つ者に対しては、その人に表裏がないか、いつでもどこでも同じように振舞っているかよく観るんだ。自分で本当に納得できるようになるまで決して信用しちゃいけない。」というような趣旨の台詞だった。

 この映画は、当時大ヒットしたらしいのだが、十代の時分に本作を観た者と観てない者とでは、戦争観が根本的に異なるのではないかという気がしてならなかった。約四十年ぶりに再見してみて、僕の戦争観の根底を形成したのは、もしかすると本作だったのかもしれないと思った。なにせ板垣征四郎ときくと、藤岡重慶の顔が先ず浮かぶくらいだ。

 それにしても、今の御時勢に行政主体のイベントで本作を上映した快挙に、惜しみない賛辞を送りたいと思った。来年再来年かけて三部作とも上映したら凄いのだけれど、きっと圧力に屈するのだろうとも思った。

 それにしても、展示会場のほうに掲示されていたパネルにおいて、仮想敵国を設ける軍事同盟はもはや時代遅れと言わんばかりに同盟停止や解除が進む戦後の世界の趨勢を追う形での、世界で進む非核・非同盟の傾向を訴え、現在、国連加盟192か国のなかで軍隊を持たない国が25か国あって、1割を超えていると訴えていたことが、とても印象深かった。

 他方で政府筋は、我が国をとりまく安全保障環境の変化をそのような文脈では捉えず、「もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできなくなっている」として、日米同盟の一層の強化こそが我が国の対処力と抑止力を高めるうえで必要だと言い、国際貢献にもつながるのだと言う。高校の同窓生から届いた封書に読売新聞の切抜きのコピーとともに、そのような趣旨の文書が入っていた。

 投獄と徴兵によって恋人も失ったと思しき兄拓郎があえなく戦死してくるなかで、いち早く甲種合格しながらも徴兵自体から逃れられている俊介の兄英介(高橋悦史)を不公平だと感じている耕平が兄から教わったように、拓郎が戦死する直前に零していた「この戦争は誰のためのものなんだ?」という問いについて「よく観察しなくてはいけない」と思う。

 次男俊介に「貧乏は自己責任だ」と言い放っていた伍代家当主の由介(滝沢修)を兄に持つ満州伍代公司社主の喬介(芦田伸介)から、「近ごろ兄貴には抱いてもらってないんだろう、こっちへ来ないか」などという屈辱的な形で床に誘われていた女中のお滝(水戸光子)が俊介に「お金持ちは決して貧乏人の味方にはなれないんですよ」と諭していたわけだが、そんな俊介と耕平が、第2部、第3部と大人になっていくなかで味わった生を再び辿ってみたい気持ちになった。


 参照テクスト:『人間の骨』['78]観賞日誌
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2008j/13.htm

by ヤマ

'15. 8. 6. 民権ホール



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