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『海難1890』 『杉原千畝 スギハラチウネ』 | |||||
監督 田中光敏 監督 チェリン・グラック | |||||
史実に想を得た“国籍・民族を超えた救済支援”を描いた二つの物語を続けて観ながら、国の誇りとは、国の誇りを守るとは、どういうことなのだろうと改めて考えさせられたように思う。 先に観た『海難1890』の、百二十五年前の紀州沖でのオスマントルコ軍艦エルトゥールル号の海難事故と三十年前のイランでのトルコ特別機による邦人救出劇の関係を今に伝える物語においては、国民の誇りとは、国の誇りを守るとは、兵器産業で儲けることを企む輩のための軍備増強などでは決してないことを改めて痛感した。 こなれているとはとても思えない作劇や運びに相反して非常に充実していた画面に、スタッフ・キャストの力の籠りようを感じたりもした。今の時代なればこそ、こういう作品を公開する価値は高いと思う。映画の終わった後で、トルコの現職大統領の動画メッセージが映し出されたが、国を代表する者は、こういう形でこそ自国の誇りを語ってもらいたいものだと思った。 作中に蛍雪次朗の顔が見えたが、そういえば、彼の出ていた『飛べ!ダコタ』も民衆の真心による外国人救護を描いた作品だったことを思い出した。“国際紛争による排外主義の蔓延”という負のスパイラルが“人間愛に基づく国際平和の希求”を追いやろうとしているように見える現在をどう生き延びていくべきかを思うとき、三日後に観た『杉原千畝 スギハラチウネ』に繰り返し登場したハルビン学院のモットーたる“自治三訣”の「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう」を体現していたとも言える1890年の紀州串本の漁民や1985年のテヘランのメヘラーバード国際空港に集まったトルコ人の避難民の姿は、忘れられてはならないことだ。 それにしても、日本では、日航にしても東電にしても、ナショナルフラッグを掲げる企業が満鉄の昔から全く情けないのは、どうしてなのだろう。トルコ航空でイランに飛ぶパイロットの志願を募った際に、皆人がこぞって挙手していた場面のようにはいかなくとも、当時の日航でも現場のパイロットに志願者を求めれば、きっと応えた者がいるのだろうが、そういう場を作らせない組織になっていたのだろうという気がしてならなかった。 そのような組織の論理の醜怪さを窺わせる点では、元リトアニア領事代理の杉原千畝の名誉回復と顕彰が彼の死後十四年も経った生誕百年でのものとなり、しかも、佐藤優 著『交渉術』などを読むと、それすらも省内の覇権を巡る政争の具として浮上したものであるらしきことが戦中戦後と変わらぬ有り体のように思われる日本国外務省というのは、日航・東電以上なのかもしれない。 かつて直属の上司だった場面が後で出てくる人物(滝藤賢一)が、杉原(唐沢寿明)の消息を求めて戦後間もなく外務省を訪れたニシェリ(ミハウ・ジュラフスキ)に対し「センポ・スギハラという名の職員は外務省の記録にない」とにべもなく退ける場面から始まる『杉原千畝』は、オープニングタイトルに刻まれていた「Persona non grata(好もしからざる人物)」の文字の部分が、実は作り手が本来、最も描きたかったものだったにもかかわらず、結局は“日本のシンドラー”“命のビザ”のセンポ・スギハラを前面に出していく作品にせざるを得なくなった裏事情が透けて見える感じの作品だった気がする。 諜報外交官としての杉原千畝をもっと丹念に描き込んでもらいたかったが、そこのところに関わるイリーナ(アグニェシュカ・グロホフスカ)という女性の存在自体が、どうにもフィクショナルに造形された人物のように思えて仕方がなかった。ソ連政府からもドイツ政府からも日本政府からも彼が“ペルソナ・ノン・グラータ”と目された事情については、確かに察しがつく形にはなっていたものの、作劇色が強くなり過ぎていたような気がする。 よく知られた人道者としての側面については、彼固有のものとせずに、オランダ領事に任じられていたフィリップ社のリトアニア支店長ヤン(ヴェナンティ・ノスル)や、杉原の発行した通過ビザの実効性を支えた根井三郎ウラジオストク総領事代理(二階堂智)の存在を強く印象づけていたところを好もしく感じた。2,139枚を数えるビザを職を賭して発行した杉原領事代理が鍵を握っていたとしても、あれだけの偉業が彼一人の行いで現実のものになるわけがなく、数多の名もなき人々との出会いや関わりが相互に作用を及ぼしていることを描いていたように思う。 夫の発行したビザをも含めて「紙切れ一枚にすぎない」と繰り返していた杉原夫人(小雪)の言葉には、そんなものがある場面では人の命を左右する決定的な力を持つことへの儚さを訴える部分と同時に、夫を含め紙切れにすぎないものに実効を与えた数々の人々に対する敬意というものが、割印のずれた偽造ビザをわざと見逃がした幾人もの人を描くことによって込められていたように思う。 それはともかく、本作の監督がチェリン・グラックという外国人監督になったのは、どういう経緯によるのだろう。 『杉原千畝 スギハラチウネ』 推薦テクスト:「Banana Fish's Room」より http://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/83377159bbe077da2e191e831fe7afcf 推薦テクスト:「大倉さんmixi」より http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964702026&owner_id=1471688 | |||||
by ヤマ '15.12.11. TOHOシネマズ3 '15.12.14. TOHOシネマズ8 | |||||
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