『男たちの大和/YAMATO』
『大日本帝国』('82)
監督 佐藤純彌
監督 舛田利雄


 同窓生でもある郷土出身の作家 坂東眞砂子が地元紙に“大河ドラマにだまされるな”との挑発的なタイトルで痛快なエッセーを寄稿していた。「歴史とは、勝者の書いたものだ。…日本の歴史小説の主流は、その勝者礼賛の立脚地点に立ち、天皇、将軍、武将など史上有名な人物、英雄と呼ばれる人を取りあげて、いかに彼らが偉大であったかを記してきた。」として司馬遼太郎を批判し、「『功名が辻』での戦いの描写などは、おもしろおかしく書かれている。教育上問題ありとされるアニメの戦争シーンの先駆けだ。そこに表れているのは、強い、非凡な者が勝つ、弱い凡人は虫けらだ、ばたばた殺されてもいいというメッセージだ。」と痛罵していた。そして、そういった歴史小説を好んでドラマ化してきたテレビが「日本人にひとつの歴史観を繰り返し巻き返し植え付けてきた。それは、勝者の歴史観、人を殺し、領土を奪い取ってきた侵略者の歴史だ。」と断罪し、「この歴史観に洗脳された日本人は、自分たちを勝者に同一視するようになった。武士を企業戦士の身に置き換え、高度成長時代の経済戦争を戦ってきた。その結果、国民総生産は世界上位に食いこんだが、個人的には休みもほとんど取らずに働き、僅かな広さの自宅を持つにも大変で、「カローシ」などという世界通用語まで生み出す悲惨な暮らしを強いられている。その状況は、戦国時代の庶民と大差はない。」と嘆いていた。

 僕は未読だけれども、地元新聞に連載されていた『梟首の島』をものした作家としての面目が窺える。同世代で、同じ学舎に過ごしたことも作用しているのか、かねがね自分の思っていることと符合していて、大いに溜飲を下げた。歴史が勝者の記述であるのは、何も日本に限った話ではなく、民衆が勝者たる権力者に都合よく操作されるのも日本に限った話ではない。だが、敢えて彼女が“日本の問題”として今このことを声高に綴っているのは、僕が日本鬼子 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白』の日誌で言及した“自由主義史観”なるものが、いつのまにやら大手を振ってまかり通り始め、愛国称揚や国家主義がはびこりだすとともに、企業経営者の愛読誌だとされる「プレジデント」などに登場する企業人の愛読書が専ら歴史小説に偏向していて、戦国武将への憧憬がさも彼らのメンバーシップの必須要件でもあるかのような日本の風潮を強く意識してのことだという気がしてならない。そして何よりも、亀も空を飛ぶ』の日誌に「昨今のTVの質の悪さは…、大金持ちをもて囃して手放しに勝ち組礼賛やセレブ志向を促す弊害をもたらしていることに無自覚どころか、半ば確信的に煽っているところに顕著に窺える。」と綴ったようなことに対して庶民があまりにも無防備で、小泉劇場なる胡散臭いものに翻弄されて選挙での圧勝を許してしまっている危うさを懸念してのことだろうと思う。


 そのような観点から『男たちの大和』を振り返ると、まさしくここには勝者からの視点はなく、いわゆる歴史に名を残す人物には焦点を当てずに、名もなき戦争体験者の六十年前から今に至る戦後史を偲んだ作品だったように思う。物語の中心を担うのは、専ら兵曹以下で士官ですらない。司令官(渡哲也)や艦長(奥田瑛二、勝野洋)は馴染みのある俳優が演じているからこそ識別できるものの、直接的に戦艦大和の話なのに、映画のなかでは、いつの間にか艦長が交代しつつも同乗している顛末すら語られぬうちに、艦隊司令官までもが乗船したまま沈没に向かうわけだが、将校たる彼らについては殆ど何も説明がなく、家族にまつわる描写も一切ない。描き手の関心は、ひたすら兵曹以下の兵士とその家族に向かっている。

 そういうなかで、轟沈した巨大戦艦大和から辛くも生還した海軍特別年少兵だった神尾(松山ケンイチ/仲代達矢)が、上官だった二等兵曹内田(中村獅童)の戦後の生き方について養女だと名乗る真貴子(鈴木京香)から知らされ、慟哭する姿が描かれるわけだ。自分がかねてより慕っていた妙子(蒼井優)を亡くしたのと同じく恋仲の田舎芸者文子(寺島しのぶ)を、おそらくは同様に原爆で亡くしていた内田が自分とは異なる戦後を生きていたことを知り、自分は何をしていたんだと打ちのめされていた。そこには「日本が目覚めるためには敗れなければならず、我々がその目覚めの礎になれるのであれば本望ではないか」という趣旨の訓辞を教養豊かな士官(長嶋一茂)が“死ニ方用意”と板書して垂範していたことへの呼応があって、戦後六十年、生き残った神尾が目撃してきた昭和の時代は、当時“敗れて目覚める”ことに身を捧げた同志英霊たちには、とても顔向けできない有様だったとの思いがあるからこそ、彼は人嫌いの変わり者で通し、内田の親友で好敵手でもあった二等兵曹森脇(反町隆史)の墓守に閉じ籠もる生き方をしていたのだろう。

 しかし、内田の生き方は違っていた。自分のことは余り話さず戦友の森脇や唐木(山田純大)、そして配下の特別年少兵たちのことばかり話していたと真貴子の語る内田は、戦後、十一人もの孤児を育て、こうして大和の最期と戦友を語り継ぐ娘を残していたわけで、生き残ってなお“日本が敗れて目覚める”ことの礎として身を捧げ、先に逝った同志英霊たちに恥じることなき命を全うしていたことになる。神尾の慟哭と慨嘆の激しさは、まさしくそれゆえのものであり、あの戦争を生き延びたことで苦しんだ人々の想いの深さとして父と暮せばの美津江にも通じるものを覚え、大いに胸打たれた。だが、さればこそ、いかんせん六十年前の戦災孤児とみるには真貴子を演じた鈴木京香が若過ぎ、少々興をそがれ、六十年という年月の語る部分が大きい神尾の慟哭であるがゆえに、けっこう気になった。

 このとき神尾は、戦艦大和撃沈で九死に一生を得たのと同じように、漁船明日香丸の上で再び落としかけた命を拾う。今度はきっと先に逝った者への慰霊だけに費やすのではなく、自身の戦争体験とそこに生き死んでいった人々の辛さや悲しみ、覚悟、誇り、嘆きなどを語り継いでくれる者を残そうとしていくのだろう。その最初がアツシ少年(池松壮亮)となるわけだ。真貴子を介し、その道を亡き内田から示してもらえたことで、「おいの昭和がようやっと終わった。ありがとう。」との言葉となるのだろう。そういう意味でも、チラシにあるような“叙事詩”などという趣は皆無で、国土そのものの名を冠した戦艦の轟沈という、日本の敗戦の象徴とも言うべき姿の大和を舞台にしつつ、あくまで末端兵士のとてもパーソナルな物語を綴っていたのだと思う。だから、エンディングで長渕剛の歌う主題歌『close your eyes/YAMATO』が「♪それでもこの国をたまらなく愛しているから もう一度生まれ変わったら私の名を呼んでください♪」というフレーズで始まったときには、いささか憤慨した。

 まず最初に出てくる言葉がなぜ“国”なのか。なぜ国のための召還を望む英霊の声を模した歌なのか。この映画は、けっしてそういうものではなかった。映画の最後で、英霊への哀悼と慰霊に終始していた生を改めることで昭和を終え、再び命の拾い直しをした神尾の物語に対して、エンディング主題歌で愛国者としての英霊への慰霊と哀悼のみを連綿と綴る歌を聞かせては、この映画自体がそういう作品だったような印象を与えかねない。とても罪深いように思った。


 そんな『男たちの大和』を観たところだったので、折よく上映していた同じく東映の四半世紀近く前の作品『大日本帝国』('82)を観逃すのは、あまりにも勿体なく、最終日になんとか駆け込んだ。『男たちの大和』に比べると遙かに“叙事詩”的に、名のあるひと名もなきひとの功業が時代背景の解説とともに語られるのだが、この作品で重視されていたのは、一に懸かって“人への想い”だったように思う。
 太平洋戦争開戦から描く「第一部 シンガポールへの道」のあと「休憩」の文字表示とともにインターバルを挟んで、敗戦後までも描いた「第二部 愛は波濤をこえて」に至る三時間超の作品は、当時の記録フィルムの挿入に頼りがちな戦闘シーンや画面のスケール感では『男たちの大和』に到底及ばないものの、作品的なスケールでは、こちらのほうが遙かに上回っていて、大いに感心した。公開当時、右翼からは左翼的だと非難され、左翼からは右翼的だと非難されたらしいことが頷けるバランス感覚を備えた笠原和夫の脚本は、巧みにイデオロギー色を排していたように思う。そして、それが故に、欧米が包囲網を敷き日本を開戦へと追い込んだうえで勝者が敗者を裁く軍事裁判を強いたことへの反発を強烈に打ち出している部分が、印象深く残った気がする。この強い反米感なればこそ、小田島中隊長(三浦友和)の最期があのような形で描かれたのだろう。

 小田島は、シンガポール攻略からサイパン島で最期を迎えるまで、歴戦のなかで軍人の務めが何であるのかを自問し続けた士官だった。海上での避難ボートに下級兵士が縋り付いてくると沈むのを恐れて射殺しようとする上級士官たちや軍の都合のためには民間人の犠牲など一顧だにしようとしない軍隊の有様を見ながら、常に最前線に居続けた彼は、サイパンも民間日本人がいるからには「ここが“大和”」であり、彼らを守り生き長らえさせることこそが軍人の務めだと悟るに至る。そんな小田島が、玉砕を戒め何としてでも生き延びることを図ろうとしていたにもかかわらず、抑えがたき憤怒で日頃の冷静さを失い、逆上して米兵を襲い、相撃ち果てる。この小田島逆上の段が突飛なほどに痛烈だった。日本軍は民間人を連れて密林に敗走し、飢えと傷病に苦しみながら自決や玉砕の覚悟を迫られている状況だったのに対し、米軍は男女一組の士官がビーチでボール遊びをした挙げ句、全裸になって海で抱き合うバカンス気分をオフに楽しんでいる様子が描かれるのだ。国力兵力を含め、彼我の落差の大きさに打ちひしがれながら、二人がボール代わりにして興じていたのが日本兵の頭蓋骨だったことに涙する小田島のエピソードには、これだけの力の差を以て戦争に臨んだことへの無念もまた窺われるように感じた。

 もう一つ、印象深かったのが東条英機の描き方だった。戦時の首相、東条英機A級戦犯を美化し、英雄視する不愉快な映画だと中国からクレームのついたプライド−運命の瞬間−('98)に先立つこと十六年、丹波哲郎の演じた東条英機も『プライド』に描かれた“指導者の持つべき自負と誇り”と“東京裁判の欺瞞性”をきっちり表現していたように思う。ここで興味深かったのが、確かに国体=天皇であった時代だとは言え、東条のなかに常にあったのが天皇(市村萬次郎)個人への想いであって、それを包括した国家なり国ではないように描かれていたことだ。この点では『プライド』の東条英機のほうがもっと国という意識でものを考えているように描かれていた気がする。「この作品で重視されていたのは、一に懸かって“人への想い”だったように思う。」と前述したゆえんであって、それは、小田島と靖子(佳那晃子)や小林幸吉(あおい輝彦)・美代(関根恵子)夫妻、江上(篠田三郎)と京子(夏目雅子)、マリア(夏目雅子)の間のものだけではなかったように思う。東条英機においてすら国家主義よりも個人への想いという形で描いていたように見受けられたのが鮮烈だった。血の通いを覚えられる人の感情というのは、そういうものでしかないとの立場なのだろう。

 そして、夫の生還のみを願う美代の「アメリカでも日本でも、どっちでもいいから早う負ければええんじゃ。」との叫びに訴求力を宿らせていたことや、江上が京子から志願の理由を問われる場面で「いずれ徴兵されるのなら、国の言いなりにされてしまう前に、自分の自由意思を行使したい。」というような台詞を設えていたあたりにも、国家主義を拒む作り手の意志が明確に窺えたように思う。また、昭和天皇が開戦前においては最善を尽くして戦争回避に努めるよう望んでいたことや敗戦時における覚悟の様子を描くと同時に、民の声として天皇の戦争責任を問う言葉を抜かりなく盛り込んでいたところに見識を感じた。『男たちの大和』で、連合艦隊司令部が安全な防空壕のなかから一歩も出てこようとしないことを非難する声が艦隊司令部の会議のなかで士官たちから出てくる場面を設けていたことより、数段重みがあったように思う。

 ただエンディングでの主題歌の不適切さでは『男たちの大和』ともいい勝負で、五木ひろしの歌う『契り』がベタに情愛を切々と歌いあげるのみだったために、この作品が持っていた志のようなものを観後感から遠ざけてしまうようなところがあった。主題歌というのは、先頃観たばかりのさよなら みどりちゃんのようには、なかなかいかないものだ。改めてその際立ちを再認識させられたように思う。




参照テクスト1:『男たちの大和/YAMATO』をめぐる往復書簡編集採録
参照テクスト2:掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』過去ログ編集採録


*『大日本帝国』推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs200608.htm#dai-nihon-teikoku
*『大日本帝国』推薦テクスト: 「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/archives/253
*『男たちの大和/YAMATO』推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs200512.htm#yamato



<参考> 僕が憤慨した、長渕剛の歌う『close your eyes/YAMATO』の歌詞
  それでも この国を たまらなく愛しているから
  もう一度生まれ変わったら 私の名を呼んでください
  寒さに震える夜も 流れる涙つむぐ夜も
  もう一度生まれ変わったら あなたを決して離しはしない
  私の胸の中へ帰っておいで 気高いあなたの勇気を抱きしめたい
  ひそやかな海に咲いた白い花たちが 今 私のからだに折り重なる
 close your eyes 瞳を閉じれば あなたが私に微笑みかけるよ
 close your eyes 瞳を閉じれば 希望へと駆け上る あなたが永遠に生きている
  それでも この道を 耐え忍び歩いてきたから
  もう一度生まれ変わったら あなたの名を呼んであげたい
  夕暮れにしなだれて 必ず明日が来るんだと
  もう一度 生まれ変わったら あきらめないで 待ち続けたい
  私の胸の中に帰っておいで 気高いあなたの勇気を抱きしめたい
  すこやかな海に咲いた白い花たちが 今 私のからだに折り重なる
 close your eyes 瞳を閉じれば あなたが私に微笑みかけるよ
 close your eyes 瞳を閉じれば 希望へと駆け上る あなたが永遠に生きている
 close your eyes....
by ヤマ

'06. 2. 7. TOHOシネマズ3
'06. 2.14. あたご劇場



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